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則陽莊子 雜篇 則陽

荘子(荘周の書) 莊子 · 荘周と後の人びと · 戦国時代(紀元前4〜3世紀)· 西晋・郭象の33篇本 · 段落 55 · 漢字 2,741字 · 朗読 11.0分

荘子(荘周の書) 雑篇 「北の黒い海に魚がいる、その名を鯤という」 — この一行で始まり、背の広さが何千里あるか分からない鳥が南の海へ飛んでいくところから書が開く。胡蝶の夢を見て目覚め「私が胡蝶の夢を見たのか、胡蝶が私の夢を見ているのか」と問い、牛を解く庖丁は十九年のあいだ刃を研がず、妻が死ぬと盆を叩いて歌う。蝸牛の角の上で国と国が戦って死者数万が倒れたという話で戦をやめさせ、恵子の墓を過ぎて「私にはもう語り合う者がいない」と言う。道徳経と並べて置けば、同じところをまるで違う声で語っているのが聞こえる。

1則陽が楚に遊ぶ

則陽游於楚,夷節言之於王,王未之見,夷節歸。

則陽が楚に遊んだとき、夷節が王に彼のことを言ったが、王は会わず、夷節は帰った。

2どうして私を王に申し上げてくださらないのか

彭陽見王果曰:「夫子何不譚我於王?」

彭陽が王果に会って言った。「先生はどうして私を王に申し上げてくださらないのか。」

3私は公閲休に及ばない

王果曰:「我不若公閱休。」

王果は言った。「私は公閲休に及ばない。」

4公閲休とはどういう人か

彭陽曰:「公閱休奚為者邪?」

彭陽は言った。「公閲休とはどういう人か。」

5冬には鼈を突き、夏には山の裾で休む

曰:「冬則擉鼈於江,夏則休乎山樊。有過而問者,曰:『此予宅也。』夫夷節已不能,而況我乎!吾又不若夷節。夫夷節之為人也,无德而有知,不自許,以之神其交固,顛冥乎富貴之地,非相助以德,相助消也。夫凍者假衣於春,暍者反冬乎冷風。夫楚王之為人也,形尊而嚴;其於罪也,無赦如虎;非夫佞人正德,其孰能橈焉!

言った。「冬には川で鼈を突き、夏には山の裾で休む。通りかかって問う者があれば『これが私の家だ』と言う。

そもそも夷節でさえもうできないのに、まして私はどうか。私はまた夷節にも及ばない。

そもそも夷節の人柄は徳がなく知があって、自らを許さず、それによって交わりを神妙にして固める。富貴の地に魂を失った者であり、徳で互いに助けるのではなく、互いに溶け消えるように助けるのである。

そもそも凍えた者は春に衣を借り、暑気に当たった者はかえって冬の冷たい風を求める。そもそも楚の王の人柄は、外は尊く厳しく、罪については虎のように赦しがない。あの諂う者か正しい徳を持つ者でなければ、誰が彼を撓めることができようか。

6聖人は窮しても家の者に貧しさを忘れさせる

故聖人,其窮也使家人忘其貧,其達也使王公忘爵祿而化卑。其於物也,與之為娛矣;其於人也,樂物之通而保己焉;故或不言而飲人以和,與人並立而使人化。父子之宜,彼其乎歸居,而一閒其所施。其於人心者若是其遠也。故曰待公閱休。」

だから聖人は、窮したときには家の人にその貧しさを忘れさせ、通ったときには王公に爵と禄を忘れさせて低いところへ変わらせる。

物に対してはともに楽しみ、人に対しては人が通ることを楽しみながら自分を保つ。だから、あるときは言わずして人に和を飲ませ、人と並んで立つだけで人を変える。

父と子の宜しさのように、彼はそれぞれ自分の場所に帰って住まわせながら、その施すところを一様に閑かにする。彼が人の心に対してこれほど遠くにいる。だから公閲休を待てと言ったのだ。」

7聖人は絡まりに通じて全身をあまねく尽くす

聖人達綢繆,周盡一體矣,而不知其然,性也。復命搖作而以天為師,人則從而命之也。憂乎知而所行恆无幾時,其有止也若之何!

聖人は絡まり合ったところに通じて、あまねく全身を尽くしながら、そうであることを知らない。性である。

命に帰って揺れ動きながら天を師とするので、人々が従って彼を聖人と名づけたのである。

知を憂えて行うところが常にいくらも続かないのだから、それに止まることがあるのをどうしようか。

8生まれつき美しい者は人が鏡になってくれる

生而美者,人與之鑑,不告則不知其美於人也。若知之,若不知之,若聞之,若不聞之,其可喜也終无已,人之好之亦无已,性也。聖人之愛人也,人與之名,不告則不知其愛人也。若知之,若不知之,若聞之,若不聞之,其愛人也終无已,人之安之亦无已,性也。

生まれつき美しい者は、人が鏡になってくれるので、告げられなければ自分が人より美しいことを知らない。

知っているようでもあり知らないようでもあり、聞いたようでもあり聞かないようでもあるが、その嬉しさはついにやむことがなく、人が彼を好むこともやむことがない。性である。

聖人が人を愛することも、人が名をつけてくれるので、告げられなければ自分が人を愛していることを知らない。

知っているようでもあり知らないようでもあり、聞いたようでもあり聞かないようでもあるが、その人を愛することはついにやむことがなく、人が彼のもとで安らぐこともやむことがない。性である。

9古い国、古い都は望むだけで心が晴れる

舊國舊都,望之暢然;雖使丘陵草木之緡,入之者十九,猶之暢然。況見見聞聞者也,以十仞之臺縣衆閒者也。

古い国、古い都は、望むだけで心が晴れる。たとえ丘や草木が絡まって十に九が埋もれていても、やはり心が晴れる。

まして見たものを見、聞いたものを聞く者はどうであろうか。十仞の高い台を衆人の間に懸けておいたようなものである。

10冉相氏が環の中心を得る

冉相氏得其環中以隨成,與物无終无始,无幾无時。日與物化者,一不化者也,闔嘗舍之!夫師天而不得師天,與物皆殉,其以為事也若之何?夫聖人未始有天,未始有人,未始有始,未始有物,與世偕行而不替,所行之備而不洫,其合之也若之何?湯得其司御門尹登恆為之傅之,從師而不囿;得其隨成。為之司其名;之名嬴法,得其兩見。仲尼之盡慮,為之傅之。容成氏曰:「除日无歲,无內无外。」

冉相氏は環の中心を得て成ることに従ったので、物とともに終わりもなく始まりもなく、いくらもなく時もなかった。日ごとに物とともに変わる者は、一つに変わらない者である。どうしてかつてこれを捨てようか。

そもそも天を師としようとすれば天を師とすることができず、物とともに従って死ぬ。それを事とするというのはどうであろうか。

そもそも聖人は初めから天があったことがなく、人があったことがなく、始まりがあったことがなく、物があったことがなく、世とともに行きながら廃れず、行うところが備わっていながら溢れない。その合うことはどうであろうか。

湯王はその御者である門尹登恆を得て師としたが、師に従いながら囚われず、成ることに従うことを得た。彼のためにその名を預けたので、その名が法に余って二つがともに顕れた。仲尼が思いを尽くしたのも、彼を師としたのである。

容成氏は言った。「日を除けば年がなく、内もなく外もない。」

11魏瑩が田侯牟と結んだ約束

魏瑩與田侯牟約,田侯牟背之,魏瑩怒,將使人剌之。

魏の瑩が斉の田侯牟と約束を結んだが、田侯牟がこれを裏切った。魏瑩は怒って人を遣わして彼を刺そうとした。

12兵二十万を受けて討ちましょう

犀首公孫衍聞而恥之,曰:「君為萬乘之君也,而以匹夫從讎!衍請受甲二十萬,為君攻之,虜其人民,係其牛馬,使其君內熱發於背。然後拔其國。忌也出走,然後抶其背,折其脊。」

犀首の公孫衍がこれを聞いて恥じて言った。「君は万乗の君であられるのに、匹夫のやり方で仇を討とうとされるのですか。私に甲の兵二十万をお与えくださるなら、君のために彼を討ち、その民を捕らえ、その牛と馬を繋いで来ましょう。その君が内に熱を発して背に瘡が出るようにした後、その国を抜きましょう。田忌が逃げ出したら、その背を打って背骨を折りましょう。」

13十仞の城を築いてまた壊すこと

季子聞而恥之,曰:「築十仞之城,城者既十仞矣,則又壞之,此胥靡之所苦也。今兵不起七年矣,此王之基也。衍亂人,不可聽也。」

季子がこれを聞いて恥じて言った。「十仞の城を築いて既に十仞になったのに、またこれを壊すのなら、これは夫役に出る者たちを苦しめることです。今、兵を起こさずに七年です。これが王の基です。公孫衍は人を乱す者ですから、お聞きになってはなりません。」

14討とうという者も討つなという者も人を乱す者だ

華子聞而醜之,曰:「善言伐齊者,亂人也;善言勿伐者,亦亂人也;謂伐之與不伐亂人也者,又亂人也。」

華子がこれを聞いて醜いと思って言った。「斉を討とうと巧みに言う者も人を乱す者であり、討つなと巧みに言う者も人を乱す者です。討つことと討たないことについて人を乱す者だと言う者も、また人を乱す者です。」

15それではどうせよというのか

君曰:「然則若何?」

君は言った。「それではどうせよというのか。」

16君はその道を求められるだけです

曰:「君求其道而已矣!」

言った。「君はその道を求められるだけです。」

17蝸牛をご存じですか

惠子聞之而見戴晉人。戴晉人曰:「有所謂蝸者,君知之乎?」

恵子がこれを聞いて戴晋人に会わせた。戴晋人は言った。「蝸牛というものがありますが、君はご存じですか。」

18知っている

曰:「然。」

言った。「知っている。」

19蝸牛の左の角の触氏と右の角の蛮氏

「有國於蝸之左角者曰觸氏,有國於蝸之右角者曰蠻氏。時相與爭地而戰,伏尸數萬,逐北旬有五日而後反。」

「蝸牛の左の角に国を置く者を触氏といい、右の角に国を置く者を蛮氏といいます。時々互いに地を争って戦い、倒れた屍が数万、逃げる者を追うこと十五日してから帰りました。」

20空言であろう

君曰:「噫!其虛言與?」

君は言った。「ああ、それは空言であろう。」

21上下四方に終わりがありますか

曰:「臣請為君實之。君以意在四方上下有窮乎?」

言った。「臣が君のためにこれを実にしてみせましょう。君は心に、上下四方に終わりがあるとお思いですか。」

22終わりがない

君曰:「無窮。」

君は言った。「終わりがない。」

23終わりのないところに遊んだ心が帰れば

曰:「知遊心於無窮,而反在通達之國,若存若亡乎?」

言った。「終わりのないところに心を遊ばせることを知ってから、帰って人が行き来する国の中にいれば、あるようでもなくなったようでもありませんか。」

24そうだ

君曰:「然。」

君は言った。「そうだ。」

25君と蛮氏に違いがありましょうか

曰:「通達之中有魏,於魏中有梁,於梁中有王。王與蠻氏,有辯乎?」

言った。「人が行き来するうちに魏があり、魏のうちに大梁があり、大梁のうちに君がおられます。君と蛮氏に違いがありましょうか。」

26違いはない

君曰:「无辯。」

君は言った。「違いはない。」

27客が出ると君はぽかんとして何かを失ったようであった

客出而君惝然若有亡也。

客が出ると、君はぽかんとして何かを失ったようであった。

28客は大人である、聖人でも当たれない

客出,惠子見。君曰:「客,大人也,聖人不足以當之。」

客が出た後、恵子が会うと、君は言った。「あの客は大人である。聖人でも彼に当たるに足らない。」

29笛を吹けば音が出るが剣の柄の穴を吹けばひゅっと鳴るだけだ

惠子曰:「夫吹莞也,猶有嗃也;吹劍首者,吷而已矣。堯舜,人之所譽也;道堯舜於戴晉人之前,譬猶一吷也。」

恵子は言った。「そもそも笛を吹けばそれでもぶうぶうと音が出ますが、剣の柄の穴を吹く者はひゅっと鳴るだけです。堯と舜は人々が誉めるところですが、堯舜を戴晋人の前で語るのは、たとえばひゅっという音ひとつのようなものです。」

30孔子が楚へ行き蟻丘に宿る

孔子之楚,舍於蟻丘之漿。其鄰有夫妻臣妾登極者,子路曰:「是稯稯何為者邪?」

孔子が楚に行くとき、蟻丘の酒屋に宿った。その隣に夫と妻と召使いと侍女が屋根に登っていたので、子路が言った。「あそこに集まっている者たちは何をする者たちでしょうか。」

31あの者が市南宜僚ではないか

仲尼曰:「是聖人僕也。是自埋於民,自藏於畔。其聲銷,其志無窮,其口雖言,其心未嘗言,方且與世違而心不屑與之俱。是陸沈者也,是其市南宜僚邪?」

仲尼は言った。「あの者は聖人の僕である。自らを民の中に埋め、自らを畔に隠した者である。

その声は消えたが、その志は終わりがなく、その口は言っていても、その心はかつて言ったことがなく、まさに世と背きながら、心では世とともにあることを快しとしない。これは陸に沈んだ者である。あの者が市南宜僚ではないか。」

32子路が呼びに行くことを願う

子路請往召之。

子路が行って呼ぶことを願った。

33彼は私を諂う人間だと思うであろう

孔子曰:「已矣!彼知丘之著於己也,知丘之適楚也,以丘為必使楚王之召己也,彼且以丘為佞人也。夫若然者,其於佞人也羞聞其言,而況親見其身乎!而何以為存?」

孔子は言った。「やめておけ。彼は私が彼を世に出そうとしていることを知り、私が楚に行くことを知り、私が必ず楚の王に彼を呼ばせるだろうと思うであろう。彼はまた私を諂う人間だと思うであろう。

そもそもそのような者は、諂う者についてはその言葉を聞くことさえ恥じるのに、まして自ら彼を見ることはどうであろうか。それなのにどうして彼がいるだろうか。」

34子路が行って見ると家は空であった

子路往視之,其室虛矣。

子路が行って見ると、その家はすでに空であった。

35長梧の国境の番人が子牢に言う

長梧封人問子牢曰:「君為政焉勿鹵莽,治民焉勿滅裂。昔予為禾,耕而鹵莽之,則其實亦鹵莽而報予;芸而滅裂之,其實亦滅裂而報予。予來年變齊,深其耕而熟耰之,其禾蘩以滋,予終年厭飧。」

長梧の国境の番人が子牢に言った。「君が政をなさるなら粗くなさらず、民を治められるなら投げやりになさらないでください。

以前、私が稲を作ったとき、耕すのを粗くしたところ、その実も粗く私に報い、草を取るのを投げやりにしたところ、その実も投げやりに私に報いました。私は翌年やり方を変えて、深く耕してよく土をかけたところ、その稲が茂り盛って、私は一年中飽きるほど食べました。」

36自分の体を治め自分の心を治める者たちも

莊子聞之曰:「今人之治其形,理其心,多有似封人之所謂,遁其天,離其性,滅其情,亡其神,以衆為。故鹵莽其性者,欲惡之孽,為性萑葦蒹葭,始萌以扶吾形,尋擢吾性;並潰漏發,不擇所出,漂疽疥癕,內熱溲膏是也。」

荘子がこれを聞いて言った。「今、人が自分の体を治め自分の心を治めるのが、国境の番人の言ったことと似たところが多い。自分の天から逃げ、自分の性を離れ、自分の情を滅ぼし、自分の神を失いながら、多くのことをする。

だから自分の性を粗くする者は、欲と憎みの芽が性に葦や薄となって、初めて芽ぐむときは私の体を支えるようであるが、やがて私の性を抜いてしまう。あわせて崩れ漏れて噴き出し、出るところを選ばない。爛れ膿む瘡や、内に熱が出て脂が漏れるのがこれである。」

37柏矩が老聃に学ぶ

柏矩學於老耼,曰:「請之天下遊。」

柏矩が老聃に学んで言った。「天下に遊ぶことをお願いします。」

38やめておけ、天下はみなこのようなものだ

老耼曰:「已矣!天下猶是也。」

老聃は言った。「やめておけ。天下はみなこのようなものだ。」

39お前はどこから始めるつもりか

又請之,老耼曰:「汝將何始?」

また願うと、老聃は言った。「お前はどこから始めるつもりか。」

40斉から始めます

曰:「始於齊。」

言った。「斉から始めます。」

41罪人の屍に朝服を脱いで覆い、泣く

至齊,見辜人焉,推而強之,解朝服而幕之,號天而哭之,曰:「子乎!子乎!天下有大菑,子獨先離之,曰莫為盜!莫為殺人!榮辱立,然後覩所病;貨財聚,然後覩所爭。今立人之所病,聚人之所爭,窮困人之身使无休時,欲无至此,得乎!」

斉に至って、罪に処されて死んだ者を見、押して仰向けに寝かせ、朝服を脱いで覆ってやり、天を呼んで泣いた。

「あなたよ、あなたよ。天下に大きな災いがあるのに、あなたがひとり先にそれに掛かったのだな。『盗むな、人を殺すな』とは言うが、栄えと辱が立てば、その後にはじめて病むところが見え、財が積まれれば、その後にはじめて争うところが見える。

今、人が病むところを立て、人が争うところを積んで、人の身を窮し疲れさせて休む時がないようにしておいて、ここに至らないことを望んだとして、できるだろうか。」

42古の君は得ることを民に置き、失うことを自分に置いた

「古之君人者,以得為在民,以失為在己;以正為在民,以枉為在己;故一形有失其形者,退而自責。今則不然,匿為物而愚不識,大為難而罪不敢,重為任而罰不勝,遠其塗而誅不至。民知力竭,則以偽繼之,日出多偽,士民安取不偽!夫力不足則偽,知不足則欺,財不足則盜。盜竊之行,於誰責而可乎?」

「昔、人を治めた者は、得ることを民に置き、失うことを自分に置き、正しさを民に置き、曲がりを自分に置いた。だから一人でもその身を失った者があれば、退いて自ら責めた。

今はそうではない。物を隠しておいて知らないと愚かだと言い、大いに難しくしておいて敢えてしないと罪を与え、重く負わせておいて堪えられないと罰し、その道を遠くしておいて至らないと殺す。

民は知と力が尽きれば偽りで続けるので、日ごとに偽りが多くなる。士や民がどうして偽らずにいられようか。そもそも力が足りなければ偽り、知が足りなければ欺き、財が足りなければ盗む。盗み掠める行いを、誰に責めればよいのだろうか。」

43蘧伯玉は六十年を生きて六十度変わった

蘧伯玉行年六十而六十化,未嘗不始於是之而卒詘之以非也,未知今之所謂是之非五十九非也。萬物有乎生而莫見其根,有乎出而莫見其門。人皆尊其知之所知,而莫知恃其知之所不知而後知,可不謂大疑乎!已乎!已乎!且无所逃。此所謂然與,然乎?

蘧伯玉は六十年を生きて六十度変わった。かつて初めに是としておいて、ついに非として退けなかったことがない。今是としていることが、五十九年の間の非ではないかどうか分からない。

万物は生まれることがあるのに、その根を見る者がなく、出てくることがあるのに、その門を見る者がない。

人はみな自分の知が知るところを尊びながら、自分の知が知らないところに頼ってはじめて知るということを知らない。大いに惑っているといわないであろうか。やめよ、やめよ。また逃げるところがない。これがいわゆる然りということであるが、まことに然りなのか。

44仲尼が史官たちに衛の霊公を問う

仲尼問於大史大弢、伯常騫、狶韋曰:「夫衞靈公飲酒湛樂,不聽國家之政;田獵畢弋,不應諸侯之際;其所以為靈公者何邪?」

仲尼が太史の大弢と伯常騫と狶韋に問うた。「あの衛の霊公は酒を飲んで楽しみに浸り、国家の政を聞かず、狩りをし網をかけ弋を射て、諸侯の間の交わりに応じませんでした。それなのに霊公と呼ばれるようになった理由は何でしょうか。」

45それはまさにそのためです

大弢曰:「是因是也。」

大弢は言った。「それはまさにそのためです。」

46三人の妻とともに浴びた者が賢人の前では厳かであった

伯常騫曰:「夫靈公有妻三人,同濫而浴。史鰌奉御而進所,搏幣而扶翼。其慢若彼之甚也,見賢人若此其肅也,是其所以為靈公也。」

伯常騫は言った。「そもそも霊公は妻を三人持ち、同じ盥でともに浴びました。ところが史鰌が君の召しを奉じて進み出ると、霊公は幣を手に取って扶け助けました。その放恣さがあれほど甚だしくありながら、賢人を見てはこれほど厳かであった。これが彼が霊公となった理由です。」

47砂丘から出た石の棺の銘

狶韋曰:「夫靈公也死,卜葬於故墓不吉,卜葬於沙丘而吉。掘之數仞,得石槨焉,洗而視之,有銘焉,曰:『不馮其子,靈公奪而里之。』夫靈公之為靈也久矣,之二人何足以識之!」

狶韋は言った。「そもそも霊公が死ぬと、古い墓に葬ろうと占ったところ吉くなく、砂丘に葬ろうと占ったところ吉でした。数仞掘ると石の棺が出てきて、洗って見ると銘があり、『その子に頼ることができず、霊公が奪ってここに入るであろう』とありました。そもそも霊公が霊となってから久しいのです。あの二人がどうしてこれを知るに足りましょうか。」

48少知が大公調に村里の言葉を問う

少知問於大公調曰:「何謂丘里之言?」

少知が大公調に問うた。「村里の言葉とは何をいうのですか。」

49十の姓と百の名を集めて風俗を成したもの

大公調曰:「丘里者,合十姓百名而以為風俗也,合異以為同,散同以為異。今指馬之百體而不得馬,而馬係於前者,立其百體而謂之馬也。是故丘山積卑而為高,江河合水而為大,大人合并而為公。是以自外入者,有主而不執;由中出者,有正而不距。四時殊氣,天不賜,故歲成;五官殊職,君不私,故國治;文武大人不賜,故德備;萬物殊理,道不私,故无名。无名故无為,无為而无不為。時有終始,世有變化。禍福淳淳,至有所拂者而有所宜;自殉殊面,有所正者有所差。比於大澤,百材皆度;觀於大山,木石同壇。此之謂丘里之言。」

大公調は言った。「村里とは、十の姓と百の名を集めて風俗としたものですから、異なるものを集めて同じとし、同じものを散らして異なるものとします。

今、馬の百の部分を指しても馬を得られないのに、馬が前に繋がれていれば、その百の部分を立てておいてこれを馬といいます。

このために丘や山は低いものが積まれて高くなり、川や河は水が集まって大きくなり、大人は併せ集めて公となります。

このために外から入ってくるものは主があっても捉えておかず、内から出ていくものは正しさがあっても遮りません。

四季は気が異なりますが天が偏って与えないので一年が成り、五つの官は職が異なりますが君が私しないので国が治まり、文と武は大人が偏って与えないので徳が備わり、万物は理が異なりますが道が私しないので名がありません。

名がないので為すことがなく、為すことがなくても為さないことがありません。時には終わりと始まりがあり、世には変わりがあります。禍と福が流れ行って至るところに背くところがあれば宜しいところがあり、それぞれ異なる面に従って死ぬので、正しいところがあれば違うところがあります。

大きな沢に比べれば万の材がみな量られ、大きな山を望めば木と石が同じ壇にあります。これを村里の言葉といいます。」

50それでは道と呼んで足りるでしょうか

少知曰:「然則謂之道,足乎?」

少知は言った。「それではこれを道と呼んで足りるでしょうか。」

51万物というのは数が多いと名づけて呼ぶ名である

大公調曰:「不然。今計物之數,不止於萬,而期曰萬物者,以數之多者號而讀之也。是故天地者,形之大者也;陰陽者,氣之大者也;道者為之公。因其大以號而讀之則可也,已有之矣,乃將得比哉!則若以斯辯,譬猶狗馬,其不及遠矣。」

大公調は言った。「そうではありません。今、物の数を数えれば万に止まらないのに、万物と期して言うのは、数の多いもので名づけて呼ぶのです。

このために天と地は形のうちで大きなものであり、陰と陽は気のうちで大きなものであり、道はそれらの公となります。

その大きさによって名づけて呼ぶのは正しいのですが、すでにそれがあるとしておいて、これに比べようとするならどうでしょうか。こうしたもので分けるなら、たとえば犬と馬のようで、その及ばないことが遠いのです。」

52万物が生まれるのはどこから起こるのですか

少知曰:「四方之內,六合之裏,萬物之所生惡起?」

少知は言った。「四方の内、六合の裏で、万物が生まれるのはどこから起こるのですか。」

53陰と陽が互いに照らし覆い治める

大公調曰:「陰陽相照相蓋相治,四時相代相生相殺,欲惡去就於是橋起,雌雄片合於是庸有。安危相易,禍福相生,緩急相摩,聚散以成。此名實之可紀,精微之可志也。隨序之相理,橋運之相使,窮則反,終則始。此物之所有,言之所盡,知之所至,極物而已。覩道之人,不隨其所廢,不原其所起,此議之所止。」

大公調は言った。「陰と陽が互いに照らし互いに覆い互いに治め、四季が互いに代わり互いに生み互いに殺します。欲することと憎むこと、去ることと就くことがここから橋を架けるように起こり、雌と雄が連れ合うことがここに常にあるようになります。

安らかさと危うさが互いに入れ替わり、禍と福が互いに生み、緩さと急さが互いに擦れ、集まることと散ることで成ります。これが名と実で記すことのできるものであり、細やかで微かなところまで誌すことのできるものです。

順序に従って互いに理をなし、橋を架けるように移って互いに使うので、窮すれば返り、終われば始まります。これが物の持つところであり、言葉の尽きるところであり、知の至るところであって、物を極めただけのことです。

道を見た人は、その廃れるところを追わず、その起こるところを究めません。ここが議論の止まるところです。」

54季真の「為す者がない」と接子の「使う者がある」

少知曰:「季真之莫為,接子之或使,二家之議,孰正於其情,孰徧於其理?」

少知は言った。「季真の『為す者がない』と接子の『使う者がある』、二つの家の議論のうち、どちらがその実に正しく、どちらがその理にあまねく及ぶのですか。」

55鶏が鳴き犬が吠えるのは人のみな知るところである

大公調曰:「雞鳴狗吠,是人之所知;雖有大知,不能以言讀其所自化,又不能以意其所將為。斯而析之,精至於无倫,大至於不可圍,或之使,莫之為,未免於物而終以為過。或使則實,莫為則虛。有名有實,是物之居;无名无實,在物之虛。可言可意,言而愈疏。未生不可忌,已死不可徂。死生非遠也,理不可覩。或之使,莫之為,疑之所假。吾觀之本,其往无窮;吾求之末,其來无止。无窮无止,言之无也,與物同理;或使莫為,言之本也,與物終始。道不可有,有不可无。道之為名,所假而行。或使莫為,在物一曲,夫胡為於大方?言而足,則終日言而盡道;言而不足,則終日言而盡物。道物之極,言默不足以載;非言非默,議有所極。」

大公調は言った。「鶏が鳴き犬が吠えるのは、人のみな知るところです。しかし大いなる知があっても、それが自ら変わるところを言葉で解くことができず、またそれがこれから為すところを意で量ることができません。

これを割って分ければ、細かさは比べるものがないところに至り、大きさは囲むことができないところに至ります。『使う者がある』と『為す者がない』は物から脱することができず、ついに過ちとなります。

使う者があるといえば実であり、為す者がないといえば虚です。名があり実があるものは物の留まるところであり、名がなく実がないものは物の虚にあります。言うことができ意うことができますが、言うほどいっそう遠ざかります。

まだ生まれていないものは忌むことができず、すでに死んだものは遮ることができません。死と生は遠くないのに、その理は見ることができません。使う者があるということと為す者がないということは、疑いが借りてきたものです。

私がその本を見れば、その往くことに終わりがなく、私がその末を求めれば、その来ることに止まりがありません。終わりがなく止まりがないものは言葉の無であり、物と理を同じくします。使う者があるといい為す者がないというのは言葉の本であり、物とともに終わり始まります。

道はあることができず、あるものは無いことができません。道という名は、借りて行くものです。使う者があるということと為す者がないということは物の一つの曲がりにあるのですから、どうして大いなる道において言いましょうか。

言葉が足りるなら、一日中言って道を尽くすでしょう。言葉が足りないなら、一日中言って物を尽くすだけです。道と物の極みは、言葉と黙りで載せ運ぶに足りません。言葉でもなく黙りでもないところに、議論の極みがあります。」