譲王莊子 雜篇 讓王
1堯が天下を許由に譲ろうとする
堯以天下讓許由,許由不受。又讓於子州支父,子州之父曰:「以我為天子,猶之可也。雖然,我適有幽憂之病。方且治之,未暇治天下也。」夫天下至重也,而不以害其生,又況他物乎!唯无以天下為者,可以託天下也。
堯が天下を許由(きょゆう)に譲ろうとしたが、許由は受けなかった。また子州支父(ししゅうしほ)に譲ろうとすると、子州支父は言った。「わたしを天子にするのは、それでもかまわない。とはいえ、わたしにはちょうど深い憂いの病がある。いまそれを治そうとしているところで、天下を治める暇がない。」
そもそも天下は至って重いものであるのに、それによって自分の生を害さなかった。まして他のものならなおさらである。ただ天下で何かをしようとしない者だけが、天下を託せるのである。
2天下は大きな器だが、生と引き換えにはしない
舜讓天下於子州支伯,子州支伯曰:「予適有幽憂之病,方且治之,未暇治天下也。」故天下大器也,而不以易生,此有道者之所以異乎俗者也。
舜が天下を子州支伯(ししゅうしはく)に譲ろうとすると、子州支伯は言った。「わたしにはちょうど深い憂いの病がある。いまそれを治そうとしているところで、天下を治める暇がない。」
だから天下は大きな器であるが、生と引き換えにはしない。これが道ある者が世俗と異なるゆえんである。
3日が出れば働き、日が入れば休む
舜以天下讓善卷,善卷曰:「余立於宇宙之中,冬日衣皮毛,夏日衣葛絺;春耕種,形足以勞動;秋收斂,身足以休食;日出而作,日入而息,逍遙於天地之間而心意自得。吾何以天下為哉!悲夫,子之不知余也!」遂不受。於是去而入深山,莫知其處。
舜が天下を善巻(ぜんけん)に譲ろうとすると、善巻は言った。「わたしは天地のただ中に立ち、冬には毛皮を着、夏には葛(くず)の布を着る。春には耕して種をまき、体は精を出して働くに足り、秋には取り入れて、身は休んで食うに足りる。
日が出れば働き、日が入れば休み、天地の間にそぞろ歩いて心が自ずから満ちている。わたしは天下で何をしようか。悲しいことだ、あなたがわたしを知らないとは。」
ついに受けなかった。そこで立ち去って深い山に入り、その居る所を知る者はなかった。
4夫は背負い妻は頭に載せて海へ入る
舜以天下讓其友石戶之農。石戶之農曰:「捲捲乎后之為人,葆力之士也!」以舜之德為未至也。於是夫負妻戴,攜子以入於海,終身不反也。
舜が天下をその友である石戸(せきこ)の農夫に譲ろうとした。石戸の農夫は言った。「あくせくとしているな、君の人となりは。力を積む士である。」
舜の徳がまだ至らないと見たのである。そこで夫は背負い妻は頭に載せ、子を連れて海へ入り、一生帰らなかった。
5太王亶父が邠の地を去る
大王亶父居邠,狄人攻之;事之以皮帛而不受,事之以犬馬而不受,事之以珠玉而不受,狄人之所求者土地也。大王亶父曰:「與人之兄居而殺其弟,與人之父居而殺其子,吾不忍也。子皆勉居矣!為吾臣與為狄人臣奚以異!且吾聞之,不以所用養害所養。」因杖筴而去之。民相連而從之,遂成國於岐山之下。夫大王亶父,可謂能尊生矣。能尊生者,雖貴富不以養傷身,雖貧賤不以利累形。今世之人,居高官尊爵者,皆重失之,見利輕亡其身,豈不惑哉!
太王亶父(たいおうたんぽ)が邠(ひん)に住んでいたとき、狄(てき)の人がこれを攻めた。皮と絹で仕えても受けず、犬と馬で仕えても受けず、珠と玉で仕えても受けない。狄の人が求めるものは土地であった。
太王亶父は言った。「人の兄とともに住みながらその弟を殺し、人の父とともに住みながらその子を殺すことは、わたしには忍びない。おまえたちはみな努めてここに住むがよい。わたしの臣となるのと狄の人の臣となるのと、何が違うだろうか。また、わたしは聞いている、養うために用いるものによって養うところを害さない、と。」
そこで杖をついてその地を去った。民は連れ立って彼に従い、ついに岐山(きざん)の下に国を成した。
そもそも太王亶父は、生を尊ぶことができた者と言えよう。生を尊ぶことができる者は、貴く富んでいても養うものによって身を傷つけず、貧しく賤しくても利によって身を縛らない。
いまの世の人で高い官や尊い爵にある者は、みなそれを失うことを重く見て、利を見れば自分の身を失うことを軽んじる。なんと惑ってはいないか。
6君となるのが嫌なのではなく、君の憂いが嫌なのだ
越人三世弒其君,王子搜患之,逃乎丹穴。而越國無君,求王子搜不得,從之丹穴。王子搜不肯出,越人薰之以艾。乘以王輿。王子搜援綏登車,仰天而呼曰:「君乎,君乎!獨不可以舍我乎!」王子搜非惡為君也,惡為君之患也。若王子搜者,可謂不以國傷生矣,此固越人之所欲得為君也。
越の人は三代にわたってその君を殺した。王子捜(おうじそう)はこれを憂えて丹穴(たんけつ)に逃げた。越の国に君がなく、王子捜を探したが見つからず、丹穴まで追っていった。王子捜が出ようとしないので、越の人は艾(よもぎ)を焚いて煙でいぶし、君の輿(こし)に乗せた。
王子捜は乗り手の綏(ひも)を取って車に登り、天を仰いで叫んだ。「君よ、君よ。わたし一人を放してはくれないのか。」
王子捜は君となることを嫌ったのではなく、君となることの憂いを嫌ったのである。王子捜のような者は、国のために生を傷つけなかったと言えよう。これがもとより越の人が彼を君として得たいと思った理由である。
7天下を前に銘を記して — つかめば一方の腕を失う
韓魏相與爭侵地。子華子見昭僖侯,昭僖侯有憂色。子華子曰:「今使天下書銘於君之前,書之言曰:『左手攫之則右手廢,右手攫之則左手廢,然而攫之者必有天下。』君能攫之乎?」
韓と魏が互いに土地を争って侵し合った。子華子(かしし)が昭僖侯(しょうきこう)に会うと、昭僖侯には憂いの色があった。
子華子は言った。「いま天下が君の前に銘(めい)を書き記したとして、その言葉に『左手でこれをつかめば右手を失い、右手でこれをつかめば左手を失う。しかしこれをつかむ者は必ず天下を得る』とあれば、君はこれをつかまれますか。」
8わたしはつかまない
昭僖侯曰:「寡人不攫也。」
昭僖侯は言った。「わたしはつかまない。」
9両腕は天下より重く、身は両腕より重い
子華子曰:「甚善!自是觀之,兩臂重於天下也,身亦重於兩臂。韓之輕於天下亦遠矣,今之所爭者,其輕於韓又遠。君固愁身傷生以憂戚不得也!」
子華子は言った。「まことに結構です。これによって見れば、両腕は天下よりも重く、身はまた両腕よりも重いのです。
韓が天下より軽いことはまた遠く隔たっており、いま争っているものが韓より軽いことはさらに遠く隔たっています。君はわざわざ身を愁わせ生を傷つけて、得られないことを憂えておられるのです。」
10わたしを教えた者は多かったが、こういう言葉は聞いたことがない
僖侯曰:「善哉!教寡人者衆矣,未嘗得聞此言也。」子華子可謂知輕重矣。
僖侯は言った。「よいことだ。わたしを教えた者は多かったが、こういう言葉は聞いたことがない。」
子華子は軽重を知る者と言えよう。
11顔闔が贈り物を受けない
魯君聞顏闔得道之人也,使人以幣先焉。顏闔守陋閭,苴布之衣而自飯牛。魯君之使者至,顏闔自對之。使者曰:「此顏闔之家與?」顏闔對曰:「此闔之家也。」使者致幣,顏闔對曰:「恐聽者謬而遺使者罪,不若審之。」使者還,反審之,復來求之,則不得已。故若顏闔者,真惡富貴也。
魯の君は顔闔(がんこう)が道を得た人であると聞いて、人をやって先に贈り物を届けさせた。顔闔はみすぼらしい村を守り、粗い布の衣を着て自分で牛に飼いをやっていた。
魯の君の使者が着くと、顔闔はみずから応対した。使者は言った。「ここが顔闔の家ですか。」顔闔は答えた。「ここがこの闔の家です。」
使者が贈り物を差し出すと、顔闔は答えた。「聞いた者が聞き違えて、使者に罪を負わせることになるのが恐ろしい。確かめてみられるほうがよいでしょう。」
使者は帰って確かめ、もう一度来て彼を探したが、見つからなかった。だから顔闔のような者は、まことに富貴を嫌った者である。
12道の真で身を治め、その余りで国を治める
故曰,道之真以治身,其緒餘以為國家,其土苴以治天下。由此觀之,帝王之功,聖人之餘事也,非所以完身養生也。今世俗之君子,多危身棄生以殉物,豈不悲哉!凡聖人之動作也,必察其所以之與其所以為。今且有人於此,以隨侯之珠彈千仞之雀,世必笑之,是何也?則其所用者重而所要者輕也。夫生者,豈特隨侯之重哉!
だから言う。道の真によって身を治め、その余りで国家をおさめ、その滓(かす)で天下を治める。
これによって見れば、帝王の功は聖人の余った仕事であって、身を全うし生を養うものではない。いまの世俗の君子は、多く身を危うくし生を捨てて物のために死ぬ。なんと悲しいことではないか。
そもそも聖人が動くときは、必ずその行く先とその為すところとを見きわめる。いまここに人がいて、随侯(ずいこう)の珠で千仞(せんじん)の高さの雀を撃つなら、世は必ずこれを笑うだろう。これはどうしたことか。用いるものが重く、求めるものが軽いからである。そもそも生というものは、どうして随侯の珠ほどの重さにとどまろうか。
13列子が窮して顔つきに飢えの色がある
子列子窮,容貌有飢色。客有言之於鄭子陽者,曰:「列禦寇,葢有道之士也,居君之國而窮,君无乃為不好士乎?」鄭子陽即令官遺之粟。子列子見使者,再拜而辭。
列子(れっし)が窮して、顔つきに飢えの色があった。ある客がこれを鄭(てい)の子陽(しよう)に話した。「列禦寇(れつぎょこう)はおそらく道ある士ですが、君の国に住みながら窮しています。君は士を好まないということになりませんか。」
鄭の子陽はすぐに役人に命じて穀物を届けさせた。列子は使者に会い、二度拝んで辞退した。
夾注 1
居君之國而窮
君 — 子陽を呼ぶ「あなた」と見て「あなたの国に住みながら」と読むこともある。― 訳者
14道ある人の妻はみな安らかで楽しいと聞いていたのに
使者去,子列子入,其妻望之而拊心曰:「妾聞為有道者之妻子,皆得佚樂,今有飢色。君過而遺先生食,先生不受,豈不命邪!」
使者が去り、列子が入ってくると、その妻は彼を見て胸を打って言った。「わたしの聞くところでは、道ある人の妻子はみな安らかで楽しいということでしたのに、いまは飢えの色をしています。君が立ち寄って先生に食べ物を届けたのに、先生は受けない。これが運命でないことがありましょうか。」
夾注 1
君過而遺先生食
君 — 子陽を指す「あなた」と見て「あなたが立ち寄って」と読むこともある。― 訳者
15人の言葉で与えたのなら、人の言葉で罪も与えるだろう
子列子笑謂之曰:「君非自知我也,以人之言而遺我粟,至其罪我也又且以人之言,此吾所以不受也。」其卒,民果作難而殺子陽。
列子は笑って言った。「君がみずからわたしを知ったのではなく、人の言葉によってわたしに穀物を届けた。わたしに罪を与えるときになっても、やはり人の言葉によるだろう。これがわたしが受けなかった理由だ。」
ついに民ははたして乱を起こして子陽を殺した。
16羊を屠る説
楚昭王失國,屠羊說走而從於昭王。昭王反國,將賞從者,及屠羊說。屠羊說曰:「大王失國,說失屠羊;大王反國,說亦反屠羊。臣之爵祿已復矣,又何賞之有!」
楚の昭王(しょうおう)が国を失うと、羊を屠(ほふ)る説(えつ)は昭王に従って逃げた。昭王が国に帰り、従った者に賞を与えようとして、羊を屠る説のところに及んだ。
羊を屠る説は言った。「大王が国を失われたとき、わたしは羊を屠る仕事を失い、大王が国にお帰りになったので、わたしも羊を屠る仕事に帰りました。臣の爵も禄もすでに戻っております。その上に何の賞がありましょう。」
17強いて与えよ
王曰:「強之。」
王は言った。「強いて与えよ。」
18王の過ちでも自分の功でもないから、罰も賞も受けません
屠羊說曰:「大王失國,非臣之罪,故不敢伏其誅;大王反國,非臣之功,故不敢當其賞。」
羊を屠る説は言った。「大王が国を失われたのは臣の罪ではありませんので、あえてその罰を受けませんでした。大王が国にお帰りになったのは臣の功ではありませんので、あえてその賞を受けることはできません。」
19彼に会おう
王曰:「見之!」
王は言った。「彼に会おう。」
20法を廃し約を破ってわたしに会われるのは
屠羊說曰:「楚國之法,必有重賞大功而後得見,今臣之知不足以存國而勇不足以死寇。吳軍入郢,說畏難而避寇,非故隨大王也。今大王欲廢法毀約而見說,此非臣之所以聞於天下也。」
羊を屠る説は言った。「楚の国の法では、必ず重い賞に当たる大きな功があってはじめてお目にかかれます。いま臣の知は国を保つに足らず、勇は敵と戦って死ぬに足りません。
呉の軍が郢(えい)に入ったとき、わたしは危難を恐れて敵を避けたのであって、わざわざ大王に従ったのではありません。いま大王が法を廃し約を破ってわたしに会おうとされるのは、臣が天下に知られたいと思うところではありません。」
21三旌の位で彼を迎えよ
王謂司馬子綦曰:「屠羊說居處卑賤而陳義甚高,子綦為我延之以三旌之位。」
王は司馬子綦(しばしき)に言った。「羊を屠る説は、住むところは低く賤しいが、義を述べることはきわめて高い。子綦よ、わたしのために三旌(さんせい)の位で彼を迎えよ。」
22わたしの羊を屠る店に帰らせてください
屠羊說曰:「夫三旌之位,吾知其貴於屠羊之肆也;萬鍾之祿,吾知其富於屠羊之利也;然豈可以貪爵祿而使吾君有妄施之名乎!說不敢當,願復反吾屠羊之肆。」遂不受也。
羊を屠る説は言った。「そもそも三旌の位が羊を屠る店よりも貴いことは、わたしも知っています。万鍾(まんしょう)の禄が羊を屠る稼ぎよりも豊かなことも、わたしも知っています。
しかし、どうして爵禄を貪って、わが君にみだりに施したという名を負わせられましょう。わたしはあえてお受けできません。どうかわたしの羊を屠る店に帰らせてください。」
ついに受けなかった。
23原憲が魯に住む
原憲居魯,環堵之室,茨以生草;蓬戶不完,桑以為樞;而甕牖二室,褐以為塞;上漏下溼,匡坐而弦。
原憲(げんけん)は魯に住んでいた。四方一丈の部屋に生えた草で屋根を葺き、よもぎの戸は壊れていて桑の木を枢(とぼそ)とし、割れた甕(かめ)で窓を開けた二つの部屋を粗い衣でふさいでいた。上は漏り下は湿っているのに、正しく座って弦を弾いていた。
24子貢が大きな馬に乗って訪ねてくる
子貢乘大馬,中紺而表素,軒車不容巷,往見原憲。原憲華冠縰履,杖藜而應門。
子貢(しこう)は大きな馬に乗り、内に紺(こん)の衣、外に白い衣を着ていたが、高い車は路地に入らなかった。原憲を訪ねて会うと、原憲は樺(かば)の皮の冠をかぶり、かかとのない履(くつ)をはき、あかざの杖をついて戸口に出て迎えた。
25先生は何の病なのですか
子貢曰:「嘻!先生何病?」
子貢は言った。「ああ。先生は何の病なのですか。」
26財のないことを貧といい、学んで行えないことを病という
原憲應之曰:「憲聞之,无財謂之貧,學而不能行謂之病。今憲,貧也,非病也。」子貢逡巡而有愧色。
原憲は答えた。「わたしの聞くところでは、財のないことを貧といい、学んで行えないことを病という、と。いまわたしは貧しいのであって、病んでいるのではありません。」
子貢はたじろいで恥じた色を見せた。
27世に合わせて行い、党を組んで友とすること
原憲笑曰:「夫希世而行,比周而友,學以為人,教以為己,仁義之慝,輿馬之飾,憲不忍為也。」
原憲は笑って言った。「そもそも世に望まれようとして行い、党を組んで友とし、学ぶのを人に見せるためにし、教えるのを自分のためにし、仁義を隠れ蓑にして悪を行い、車や馬を飾るようなことは、わたしには忍びずできません。」
28志を養う者は形を忘れる
曾子居衞,縕袍无表,顏色腫噲,手足胼胝。三日不舉火,十年不製衣,正冠而纓絕,捉衿而肘見,納屨而踵決。曳縰而歌商頌,聲滿天地,若出金石。天子不得臣,諸侯不得友。故養志者忘形,養形者忘利,致道者忘心矣。
曽子(そうし)は衛に住んでいた。古綿の上着に表地がなく、顔色は腫れ、手足にたこができていた。三日のあいだ火を起こせず、十年のあいだ衣を仕立てられず、冠を正せば紐が切れ、襟をつかめば肘が出て、履をはけばかかとが破れた。
かかとを引きずって商(しょう)の頌(しょう)を歌うと、声は天地に満ちて、金や石から出るようであった。天子も彼を臣とすることができず、諸侯も彼を友とすることができなかった。
だから志を養う者は形を忘れ、形を養う者は利を忘れ、道に至った者は心を忘れるのである。
29回よ、来なさい
孔子謂顏回曰:「回,來!家貧居卑,胡不仕乎?」
孔子が顔回(がんかい)に言った。「回よ、来なさい。家は貧しく住まいは低いのに、どうして仕えないのか。」
30わたしは仕えたいとは思いません
顏回對曰:「不願仕。回有郭外之田五十畝,足以給飦粥;郭內之田十畝,足以為絲麻;鼓琴足以自娛,所學夫子之道者足以自樂也。回不願仕。」
顔回は答えた。「仕えたいとは思いません。わたしには城外に田が五十畝(ほ)あって、粥をととのえるに足ります。城内に田が十畝あって、糸と麻をととのえるに足ります。琴を弾けば自分で楽しむに足り、先生に学んだ道は自分で楽しむに足ります。わたしは仕えたいとは思いません。」
31足るを知る者は利によって自分を縛らない
孔子愀然變容曰:「善哉回之意!丘聞之:『知足者不以利自累也,審自得者失之而不懼,行修於內者无位而不作。』丘誦之久矣,今於回而後見之,是丘之得也。」
孔子は顔色を改めて言った。「よいことだ、回の思いは。わたしは聞いている、『足るを知る者は利によって自分を縛らず、自ら得ることを見きわめた者はそれを失っても恐れず、内に行いを修めた者は位がなくても恥じない』と。
わたしはこれを唱えて久しいが、いま回においてはじめてこれを見た。これがわたしの得たものだ。」
32身は川や海にあり、心は朝廷にある
中山公子牟謂瞻子曰:「身在江海之上,心居乎魏闕之下,柰何?」
中山の公子牟(こうしぼう)が瞻子(せんし)に言った。「身は川や海の上にあるのに、心は朝廷にある。どうすればよいか。」
夾注 1
心居乎魏闕之下
魏闕 — 朝廷を指す定まった言い方である。魏の宮門と見る読み方もある。― 訳者
33生を重んじなさい
瞻子曰:「重生。重生則利輕。」
瞻子は言った。「生を重んじなさい。生を重んじれば利が軽くなります。」
34知ってはいるが、自分に勝てない
中山公子牟曰:「雖知之,未能自勝也。」
中山の公子牟は言った。「それは知っているが、まだ自分に勝てない。」
35勝てないのに無理に従わないのを、重ねて傷つけるという
瞻子曰:「不能自勝則從,神无惡乎?不能自勝而強不從者,此之謂重傷。重傷之人,无壽類矣!」
瞻子は言った。「自分に勝てないのなら、従いなさい。神(しん)が嫌うことがありましょうか。自分に勝てないのに無理に従わないことを、重ねて傷つけるといいます。重ねて傷ついた人には、長生きする類がありません。」
36魏牟は万乗の公子である
魏牟,萬乘之公子也,其隱巖穴也,難為於布衣之士;雖未至乎道,可謂有其意矣。
魏牟(ぎぼう)は万乗の公子である。彼が岩穴に隠れたことは、布衣の士がするよりも難しいことだ。道に至ってはいないとしても、その志はあったと言えよう。
37孔子が陳と蔡の間で窮する
孔子窮於陳蔡之間,七日不火食,藜羹不糝,顏色甚憊,而弦歌於室。顏回擇菜,子路子貢相與言曰:「夫子再逐於魯,削迹於衞,伐樹於宋,窮於商周,圍於陳蔡,殺夫子者无罪,藉夫子者无禁。弦歌鼓琴,未嘗絕音,君子之无恥也若此乎?」
孔子が陳(ちん)と蔡(さい)の間で窮し、七日のあいだ火で炊いたものを食べられず、あかざの羹(あつもの)に米粒も入れられず、顔色はひどく疲れていたが、部屋で弦を弾いて歌っていた。
顔回が菜を選っていると、子路(しろ)と子貢が互いに言った。「先生は魯で二度追われ、衛では足跡を消され、宋では木を伐られ、商と周で窮し、陳と蔡で囲まれた。先生を殺しても罪にならず、先生を踏みつけても止める者がない。それなのに弦を弾き歌って、かつて音を絶やしたことがない。君子が恥を知らないとは、これほどのものだろうか。」
38由と賜は小さな人間だ、呼んで来なさい
顏回无以應,入告孔子。孔子推琴喟然而歎曰:「由與賜,細人也。召而來,吾語之。」
顔回は答える言葉がなく、入って孔子に告げた。孔子は琴を押しのけて大きく嘆いて言った。「由(ゆう)と賜(し)は、小さな人間だ。呼んで来なさい。わたしが話してやろう。」
39これくらいなら窮したと言えましょう
子路子貢入。子路曰:「如此者可謂窮矣!」
子路と子貢が入ってきた。子路は言った。「これくらいなら窮したと言えましょう。」
40寒さが来て霜と雪が降ってから、松と柏の茂りを知る
孔子曰:「是何言也!君子通於道之謂通,窮於道之謂窮。今丘抱仁義之道以遭亂世之患,其何窮之為!故內省而不窮於道,臨難而不失其德,天寒既至,霜雪既降,吾是以知松柏之茂也。陳蔡之隘,於丘其幸乎!」
孔子は言った。「それは何ということだ。君子は道に通じることを通といい、道に窮することを窮という。いまわたしは仁義の道を抱いて乱れた世の憂いに遭っているのだ。それが何の窮であろうか。
だから内を省みて道に窮せず、難に臨んでその徳を失わない。寒さがすでに来て、霜と雪がすでに降ってから、わたしは松と柏(かしわ)の茂りを知るのだ。陳と蔡のこの行きづまりは、わたしにとっては幸いであるな。」
41天が高く地が低いことを知りませんでした
孔子削然反琴而弦歌,子路扢然執干而舞。子貢曰:「吾不知天之高也,地之下也。」
孔子は静かに琴を取り直して弾き歌い、子路は勢いよく盾を取って舞った。子貢は言った。「わたしは天が高く地が低いことを知らなかった。」
42昔、道を得た者は窮しても楽しく、通じても楽しかった
古之得道者,窮亦樂,通亦樂。所樂非窮通也,道德於此,則窮通為寒暑風雨之序矣。故許由娛於潁陽而共伯得乎共首。
昔、道を得た者は、窮しても楽しく、通じても楽しかった。楽しんだのは窮や通ではない。道と徳がここにあれば、窮と通は寒さ暑さ、風や雨の移り変わりとなる。だから許由は潁陽(えいよう)で楽しみ、共伯(きょうはく)は共首(きょうしゅ)で得たのである。
43舜が北人無択に天下を譲ろうとする
舜以天下讓其友北人无擇,北人无擇曰:「異哉后之為人也,居於畎畝之中而遊堯之門!不若是而已,又欲以其辱行漫我。吾羞見之。」因自投清泠之淵。
舜が天下をその友である北人無択(ほくじんむたく)に譲ろうとすると、北人無択は言った。「奇妙なことだ、君の人となりは。畑のただ中に住んでいて、堯の門に遊んだ。
そうであるばかりでなく、またその辱ずべき行いでわたしを汚そうとする。わたしは彼に会うのが恥ずかしい。」
そこでみずから清泠(せいれい)の淵に身を投げた。
44湯が桀を討とうとして卞随に相談する
湯將伐桀,因卞隨而謀,卞隨曰:「非吾事也。」
湯が桀を討とうとして卞随(べんずい)に相談すると、卞随は言った。「わたしの事ではない。」
45誰がよいか
湯曰:「孰可?」
湯は言った。「誰がよいか。」
46わたしは知らない
曰:「吾不知也。」
言った。「わたしは知らない。」
47湯がまた務光に相談する
湯又因務光而謀,務光曰:「非吾事也。」
湯はまた務光(むこう)に相談すると、務光は言った。「わたしの事ではない。」
48誰がよいか
湯曰:「孰可?」
湯は言った。「誰がよいか。」
49わたしは知らない
曰:「吾不知也。」
言った。「わたしは知らない。」
50伊尹はどうか
湯曰:「伊尹何如?」
湯は言った。「伊尹(いいん)はどうか。」
51強く力があって汚れを忍ぶ者だ、その他は知らない
曰:「強力忍垢,吾不知其他也。」
言った。「強く力があって汚れを忍ぶ者だ。わたしはその他のことは知らない。」
52わたしを賊と見、また貪る者と見たのだ
湯遂與伊尹謀伐桀,剋之,以讓卞隨。卞隨辭曰:「后之伐桀也謀乎我,必以我為賊也;勝桀而讓我,必以我為貪也。吾生乎亂世,而无道之人再來漫我以其辱行,吾不忍數聞也。」乃自投椆水而死。
湯はついに伊尹と相談して桀を討ち、これに勝って、天下を卞随に譲ろうとした。
卞随は辞退して言った。「君が桀を討つときにわたしに相談したのは、必ずわたしを賊と見たのだ。桀に勝ってわたしに譲るのは、必ずわたしを貪る者と見たのだ。
わたしは乱れた世に生まれ、道のない人が二度も来てその辱ずべき行いでわたしを汚す。わたしはこれを度々聞くのに忍びない。」
そこでみずから椆水(ちゅうすい)に身を投げて死んだ。
53知る者が謀り、武ある者が成し、仁ある者が座に居るのが古の道だ
湯又讓務光,曰:「知者謀之,武者遂之,仁者居之,古之道也。吾子胡不立乎?」
湯はまた務光に譲ろうとして言った。「知る者が謀り、武ある者が成し遂げ、仁ある者がその座に居る。これが古の道である。あなたはどうして立たないのか。」
54その義でなければその禄を受けない
務光辭曰:「廢上,非義也;殺民,非仁也;人犯其難,我享其利,非廉也。吾聞之曰,非其義者,不受其祿,无道之世,不踐其土。況尊我乎!吾不忍久見也。」乃負石而自沈於廬水。
務光は辞退して言った。「上に立つ者を廃するのは義ではない。民を殺すのは仁ではない。人がその難を冒したのに、わたしがその利を享けるのは廉(れん)ではない。
わたしは聞いている、『その義でなければその禄を受けず、道のない世ではその土を踏まない』と。まして、わたしを尊ぶとはどういうことか。わたしは長く見るのに忍びない。」
そこで石を背負ってみずから廬水(ろすい)に沈んだ。
55伯夷と叔斉が西の方に人がいると聞く
昔周之興,有士二人處於孤竹,曰伯夷叔齊。二人相謂曰:「吾聞西方有人,似有道者,試往觀焉。」至於岐陽,武王聞之,使叔旦往見之,與盟曰:「加富二等,就官一列。」血牲而埋之。
昔、周が興ったとき、孤竹(こちく)に二人の士がいて、伯夷(はくい)と叔斉(しゅくせい)といった。二人は互いに言った。「わたしの聞くところでは、西の方に人がいて道ある者のようだという。ためしに行って見てみよう。」
岐山の南に至ると、武王はこれを聞いて弟の旦(たん)をやって会わせ、ともに盟って「富を二等加え、官の一列に就けよう」と言い、犠牲の血を塗ってこれを埋めた。
56これはわたしたちの言う道ではない
二人相視而笑,曰:「嘻,異哉!此非吾所謂道也。昔者神農之有天下也,時祀盡敬而不祈喜;其於人也,忠信盡治而无求焉。樂與政為政,樂與治為治,不以人之壞自成也,不以人之卑自高也,不以遭時自利也。今周見殷之亂而遽為政,上謀而下行貨,阻兵而保威,割牲而盟以為信,揚行以說衆,殺伐以要利,是推亂以易暴也。吾聞古之士,遭治世不避其任,遇亂世不為苟存。今天下闇,殷德衰,其並乎周以塗吾身也,不如避之以絜吾行。」二子北至於首陽之山,遂餓而死焉。若伯夷叔齊者,其於富貴也,苟可得已,則必不賴。高節戾行,獨樂其志,不事於世。此二士之節也。
二人は互いに見て笑って言った。「ああ、奇妙なことだ。これはわたしたちの言う道ではない。
昔、神農(しんのう)が天下を保っていたときは、時ごとの祭りに敬いを尽くしても福を祈らず、人に対しては忠と信によって治めを尽くしても求めるところがなかった。政をともにすることを楽しんで政を行い、治めをともにすることを楽しんで治め、人の崩れによって自分を成さず、人の低さによって自分を高くせず、時に遭ったことによって自分を利さなかった。
いま周は殷の乱れを見て急に政を行い、上では謀り下では財を用い、兵を恃んで威を保ち、犠牲を割いて盟って信とし、行いを掲げて人々を喜ばせ、殺し伐って利を求める。これは乱を押しのけて暴と取り替えることだ。
わたしの聞くところでは、古の士は治まった世に遭えばその任を避けず、乱れた世に遭えば苟(かりそめ)に生き残ろうとはしなかったという。いま天下は暗く、殷の徳は衰えた。周と並んでわが身を汚すよりは、これを避けてわが行いを清くするほうがよい。」
二人は北へ向かって首陽山(しゅようざん)に至り、ついに飢えて死んだ。
伯夷と叔斉のような者は、富貴に対して、たとい得られるとしても必ず頼らなかったであろう。高い節と並々でない行いで、ひとりその志を楽しみ、世を事としなかった。これが二人の士の節である。