神武天皇
1東へ進んで熊野に到る
神倭伊波禮毘古命。與其伊呂兄五瀬命二柱。坐高千穂宮而。議云。坐何地者。平聞看天下之政。猶思東行。即自日向發。幸行筑紫。故到豐國宇沙之時。其土人。名宇沙都比古。宇沙都比賣二人。作足一騰宮而。獻大御饗。自其地遷移而。於筑紫之岡田宮一年坐。亦從其國上幸而。於阿岐國之多祁理宮。七年坐。亦從其國遷上幸而。於吉備之高嶋宮。八年坐。故從其國上幸之時。乘龜甲。爲釣乍。打羽擧來人。遇于速吸門。爾喚歸。問之汝者誰也。答曰僕者國神。名宇豆毘古。又問汝者知海道乎。答曰能知。又問從而仕奉乎。答曰仕奉。故爾指度槁機。引入其御船。即賜名號槁根津日子。故從其國上行之時。經浪速之渡而。泊青雲之白肩津。此時。登美能那賀須泥毘古。興軍。待向以戰。爾取所入御船之楯而下立。故號其地謂楯津。於今者云日下之蓼津也。於是與登美毘古戰之時。五瀬命。於御手。負登美毘古之痛矢串。故爾詔。吾者爲日神之御子。向日而戰不良。故負賤奴之痛手。自今者。行廻而。背負日以撃期而。自南方。廻幸之時。到血沼海。洗其御手之血。故謂血沼海也。從其地廻幸。到紀國男之水門而詔。負賤奴之手乎死。爲男建而崩。故號其水門。謂男水門也。陵即在紀國之竈山也。故神倭伊波禮毘古命。從其地廻幸。到熊野村之時。大熊。髣髴出入即失。爾神倭伊波禮毘古命。焂忽爲遠延。及御軍皆遠延而伏。此時。熊野之高倉下。齎一横刀。到於天神御子之伏地而。獻之時。天神御子即寤起。詔長寢乎。故受取其横刀之時。其熊野山之荒神。自皆爲切仆。爾其惑伏御軍。悉寤起之。故天神御子。問獲其横刀之所由。高倉下答曰。己夢云。天照大神。高木神。二柱神之命以。召建御雷神而詔。葦原中國者。伊多玖佐夜藝帝阿理那理。我之御子等。不平坐良志。其葦原中國者。專汝所言向之國故。汝建御雷神可降。爾答曰。僕雖不降。專有平其國之横刀。可降是刀。降此刀状者。穿高倉下之倉頂。自其墮入。「故建御雷神教曰。穿汝之倉頂。以此刀堕入。」故阿佐米余玖汝取持。獻天神御子。故如夢教而。旦見己倉者。信有横刀。故以是横刀而獻耳。於是亦。高木大神之命以覺白之。天神御子。自此於奧方莫使入幸。荒神甚多。今自天。遣八咫烏。故其八咫烏引道。從其立後應幸行。故隨其教覺。從其八咫烏之後幸行者。到吉野河之河尻時。作筌有取魚人。爾天神御子。問汝者誰也。答曰僕者國神。名謂贄持之子。從其地幸行者。生尾人。自井出來。其井有光。爾問汝誰也。答曰僕者國神。名謂井氷鹿。即入其山之。亦遇生尾人。此人。押分巖而出來。爾問汝者誰也。答曰僕者國神。名謂石押分之子。今聞天神御子幸行。故參向耳。自其地蹈穿越。幸宇陀。故曰宇陀之穿也。
神倭伊波禮毘古命(かむやまといわれびこのみこと)が、その伊呂兄(いろせ)五瀬命(いつせのみこと)と二柱、高千穗宮(たかちほのみや)に坐して議(はか)って言われました。「どの地に居れば、天下の政(まつりごと)を平(たいら)かに聞き看(み)ることができるだろうか。やはり東へ行くのがよい」。
そこで日向(ひむか)を発(た)って、筑紫(つくし)へ幸(い)でました。豊國(とよのくに)の宇沙(うさ)に到ったとき、その土人(くにびと)で、名は宇沙都比古(うさつひこ)・宇沙都比賣(うさつひめ)の二人が、足一騰宮(あしひとつあがりのみや)を作って大御饗(おおみあえ)を献りました。
その地を遷(うつ)って、筑紫の岡田宮(おかだのみや)に一年坐しました。またその国から上り幸でて、阿岐國(あきのくに)の多祁理宮(たけりのみや)に七年坐しました。またその国から遷り上り幸でて、吉備(きび)の高嶋宮(たかしまのみや)に八年坐しました。
その国から上り幸でるとき、亀の甲(こうら)に乗り、釣りをしながら羽(そで)を挙げ振って来る人に、速吸門(はやすいのと)で遇(あ)いました。喚(よ)び帰して問われました。「おまえは誰か」。
答えて言いました。「わたくしは国の神で、名は宇豆毘古(うづびこ)です」。
また問われました。「おまえは海の道を知っているか」。「よく知っております」。また問われました。「従って仕え奉るか」。「仕え奉ります」。
そこで槁機(さお)を指し度(わた)して、その御船に引き入れ、すぐに名を賜って槁根津日子(さおねつひこ)と号(なづ)けられました。
その国から上り行くとき、浪速(なみはや)の渡りを経て、青雲の白肩津(しらかたのつ)に泊(は)てられました。このとき、登美能那賀須泥毘古(とみのながすねびこ)が軍(いくさ)を興し、待ち向かって戦いました。
そこで御船に入れていた楯(たて)を取って下り立たれました。ですからその地を楯津(たてつ)と号け、今は日下(くさか)の蓼津(たでつ)といいます。
登美毘古と戦ったとき、五瀬命が御手に、登美毘古の痛矢串(いたやぐし=深く刺す矢)を負われました。そこで詔(みことのり)されました。「わたしは日の神の御子であるから、日に向かって戦うのはよくない。だから賤(いや)しい奴に痛い手を負ったのだ。これからは行き廻って、日を背に負って撃とう」。
そして南の方から廻り幸でるとき、血沼海(ちぬのうみ)に到り、その御手の血を洗われました。ですから血沼海といいます。
その地から廻り幸でて、紀國(きのくに)の男之水門(おのみなと)に到って詔されました。「賤しい奴の手に負って死ぬのか」。男(お)だけびをして崩(かむあが)られました。ですからその水門を男水門(おのみなと)といいます。御陵(みはか)は紀國の竈山(かまやま)に在ります。
神倭伊波禮毘古命は、その地から廻り幸でて、熊野村(くまののむら)に到ったとき、大熊が髣髴(ほの)かに出入りして、すぐに失(き)えました。そこで神倭伊波禮毘古命は焂忽(たちまち)に遠延(おえ)——正気を失い、御軍(みいくさ)もみな遠延して伏せました。
このとき、熊野の高倉下(たかくらじ)が横刀(たち)一振りを齎(もた)らし、天の神の御子が伏せている地に到って献ったとき、天の神の御子はすぐに寤(さ)め起きて詔されました。「長く寝たものだな」。
その横刀を受け取られたとき、その熊野の山の荒ぶる神が、おのずからみな切り仆(たお)されました。そこで、その惑(まど)い伏せていた御軍も、ことごとく寤め起きました。
天の神の御子が、その横刀を獲た由(よし)を問われると、高倉下が答えて言いました。
「わたくしの夢に、天照大神(あまてらすおおかみ)と高木神(たかぎのかみ)の二柱の神の命(おおせ)で、建御雷神(たけみかづちのかみ)を召して詔されるには、『葦原中國(あしはらのなかつくに)が伊多玖佐夜藝帝阿理那理(いたくさやぎてありなり)——たいそう騒がしく乱れているという。わが御子らが平(やす)らかに坐さないらしい。その葦原中國は、専(もは)らおまえが言向(ことむ)けた国であるから、おまえ建御雷神が降るがよい』と。
そこで答えて申すには、『わたくしが降らなくても、その国を平らげた横刀が有りますから、この刀を降せばよいでしょう。この刀を降す様は、高倉下の倉の頂を穿(あ)け、そこから堕(お)とし入れるのです』と。
そうして建御雷神が教えて言うには、『おまえの倉の頂を穿けて、この刀を堕とし入れよう。だから阿佐米余玖(あさめよく)——朝早く取り持って、天の神の御子に献れ』と。
夢に教えられたとおり、朝、自分の倉を見ますと、まことに横刀が有りました。ですからこの横刀を献ったのです」。
そこでまた、高木大神の命で覺(さと)し申しました。「天の神の御子よ、ここより奧の方へは入り幸でさせてはなりません。荒ぶる神がたいそう多くあります。いま天から八咫烏(やたがらす)を遣わします。その八咫烏が道を引きますから、その立つ後に従って幸行なさいませ」。
その教え覺しのとおり、その八咫烏の後に従って幸行されると、吉野河(よしのがわ)の河尻(かわしり)に到ったとき、筌(うえ)を作って魚を取る人が有りました。天の神の御子が問われました。「おまえは誰か」。答えて言いました。「わたくしは国の神で、名は贄持之子(にえもつのこ)と申します」。
その地から幸行されると、尾の生えた人が井から出て来ました。その井に光が有りました。そこで問われました。「おまえは誰か」。答えて言いました。「わたくしは国の神で、名は井氷鹿(いひか)と申します」。
すぐにその山に入られると、また尾の生えた人に遇いました。この人は巖(いわ)を押し分けて出て来ました。そこで問われました。「おまえは誰か」。答えて言いました。「わたくしは国の神で、名は石押分之子(いわおしわくのこ)と申します。いま天の神の御子が幸行されると聞きましたので、参り向かっただけです」。
その地から蹈(ふ)み穿(うか)ち越えて、宇陀(うだ)へ幸でました。ですから宇陀之穿(うだのうかち)といいます。
夾注 16
自伊下五字以音。
「伊」から下の五字は音で読みます。
伊呂二字以音。
「伊呂」の二字は音で読みます。
此十字以音。
この十字は音で読みます。
自多下三字以音。
「多」から下の三字は音で読みます。
此者倭國造等之祖。
これは倭國造(やまとのくにのみやつこ)たちの祖です。
自登下九字以音。
「登」から下の九字は音で読みます。
遠延二字以音。
「遠延」の二字は音で読みます。
此者人名。
これは人の名です。
此十一字以音。
この十一字は音で読みます。
此二字以音。
この二字は音で読みます。
此刀名。云佐士布都神。亦名云甕布都神。亦名云布都御魂。此刀者。坐石上神宮也。
この刀の名は佐士布都神(さじふつのかみ)といい、別の名は甕布都神(みかふつのかみ)といい、また別の名は布都御魂(ふつのみたま)といいます。この刀は、石上神宮(いそのかみのかみのみや)に坐します。
自阿下五字以音。
「阿」から下の五字は音で読みます。
此者。阿陀之鵜飼之祖。
これは阿陀(あだ)の鵜飼(うかい)の祖です。
此者。吉野首等祖也。
これは吉野首(よしののおびと)たちの祖です。
此者。吉野國巣之祖。
これは吉野の國巣(くず)の祖です。
天照大神
天照大神——日本書紀の天照大神(あまてらすおおみかみ)と同じ神です。底本が天照大御神と天照大神を書き分けていますので、この本では大御神・大神と分けて訳しました。——訳者
2宇陀の二人の兄弟
故爾於宇陀。有兄宇迦斯。弟宇迦斯二人。故先遣八咫烏。問二人曰。今天神御子幸行。汝等仕奉乎。於是兄宇迦斯。以鳴鏑待射返其使。故其鳴鏑所落之地。謂訶夫羅前也。將待撃云而。聚軍然不得聚軍者。欺陽仕奉而。作大殿。於其殿内。作押機待時。弟宇迦斯先參向。拜曰。僕兄兄宇迦斯。射返天神御子之使。將爲待攻而。聚軍不得聚者。作殿。其内張押機。將待取。故參向顯白。爾大伴連等之祖。道臣命。久米直等之祖。大久米命二人。召兄宇迦斯罵詈云。伊賀所作仕奉於大殿内者。意禮先入。明白其將爲仕奉之状而。即握横刀之手上。矛由氣矢刺而。追入之時。乃己所作押見打而死。爾即控出斬散。故其地謂宇陀之血原也。然而。其弟宇迦斯之獻大饗者。悉賜其御軍。此時歌曰。
宇陀に、兄宇迦斯(えうかし)と弟宇迦斯(おとうかし)の二人が有りました。そこでまず八咫烏を遣わして、二人に問わせました。「いま天の神の御子が幸行される。おまえたちは仕え奉るか」。
そこで兄宇迦斯は、鳴鏑(なりかぶら)でその使いを射返しました。その鳴鏑が落ちた地を、訶夫羅前(かぶらさき)といいます。
待ち撃とうと言って軍を聚(あつ)めましたが、軍を聚めることができなかったので、欺いて仕え奉る陽(ふり)をして大殿を作り、その殿の内に押機(おし=圧し罠)を作って待っていました。
弟宇迦斯が先に参り向かい、拝して申しました。「わたくしの兄、兄宇迦斯は、天の神の御子の使いを射返し、待ち攻めようとして軍を聚めましたが聚められなかったので、殿を作り、その内に押機を張って、待ち取ろうとしています。ですから参り向かって顯(あら)わし申し上げます」。
そこで大伴連(おおとものむらじ)たちの祖、道臣命(みちのおみのみこと)と、久米直(くめのあたい)たちの祖、大久米命(おおくめのみこと)の二人が、兄宇迦斯を召して罵詈(ののし)って言いました。「伊賀(いが)——おまえが作って仕え奉るというその大殿の内に、意禮(おれ)——おまえが先に入り、どのように仕え奉ろうとしたのか明らかに白(あ)かせ」。
そしてすぐに横刀の手上(つか)を握り、矛を由氣(ゆけ)——構え、矢を刺して追い入れたとき、自分が作った押機に打たれて死にました。そこですぐに控(ひ)き出して斬り散らしました。ですからその地を宇陀之血原(うだのちはら)といいます。
しかし、その弟宇迦斯が献った大饗(おおみあえ)は、ことごとくその御軍に賜りました。このとき歌っていうには、
夾注 4
自宇以下三字以音。下效此。(也)
「宇」から下の三字は音で読みます。以下もこれに倣(なら)います。
此二字以音。
この二字は音で読みます。
此二字以音。
この二字は音で読みます。
此二字以音。
この二字は音で読みます。
3鴫(しぎ)の歌
宇陀能。多加紀爾。志藝和那波留。和賀麻都夜。志藝波佐夜良受。伊須久波斯。久治良佐夜流。古那美賀。那許波佐婆。多知曾婆能。微能那祁久袁。許紀志斐惠泥。宇波那理賀。那許婆佐婆。伊知佐加紀。微能意富祁久袁。許紀陀斐惠泥。
宇陀の 高城(たかき)に 鴫罠(しぎわな)張る 我が待つや 鴫(しぎ)は障(さや)らず いすくはし 鯨(くじら)障る 前妻(こなみ)が 肴(な)乞(こ)はさば 立ち柧棱(そば)の 実の無けくを こきしひゑね 後妻(うわなり)が 肴乞はさば いちさかき 実の多(おお)けくを こきだひゑね
——宇陀の高城に鴫(しぎ)の罠を張って わたしが待っていると、鴫はかからず 思いがけず鯨がかかった。 前妻(こなみ)が肴(さかな)を乞うたなら 柧棱(そば)の木の実のように身の少ないところを削って与え、 後妻(うわなり)が肴を乞うたなら いちさかきの実のように身の多いところを削って与えよ。
4囃(はやし)の句
疊疊志夜胡志夜。此者伊碁能布曾。阿阿志夜胡志夜。此者嘲咲者也
「ええ しやごしや」。これは伊碁能布(いごのふ)——あざ笑う声です。「ああ しやごしや」。これは嘲(あざけ)り笑うのです。
夾注 3
音引
長く引いて読みます。
此五字以音。
この五字は音で読みます。
音引
長く引いて読みます。
5忍坂の大室
故其弟宇迦斯。自其地幸行。到忍坂大室之時。生尾土雲八十建。在其室待伊那流。故爾天神御子之命以。饗賜八十建。於是宛八十建。設八十膳夫。毎人佩刀。誨其膳夫等曰。聞歌之者。一時共斬。故明將打其土雲之歌曰。
その弟宇迦斯の居る地から幸行され、忍坂(おさか)の大室(おおむろ)に到ったとき、尾の生えた土雲(つちぐも)の八十建(やそたける)が、その室に居て伊那流(いなる)——叫びながら待っていました。
そこで天の神の御子の命で、八十建に饗(あえ)を賜りました。そして八十建に宛(あ)てて八十人の膳夫(かしわで)を設け、一人ごとに刀を佩(は)かせ、その膳夫らに誨(おし)えて言われました。「歌を聞いたら、一時(いちどき)に共に斬れ」。
そうして、その土雲を打とうとすることを明かした歌にいうには、
夾注 3
此者。宇陀水取等之祖也。
これは宇陀(うだ)の水取(もひとり)たちの祖です。
訓云具毛。
「ぐも」と読みます。
此三字以音。
この三字は音で読みます。
6久米の子らの歌
意佐加能。意富牟盧夜爾。比登佐波爾。岐伊理袁理。比登佐波爾。伊理袁理登母。美都美都斯。久米能古賀。久夫都都伊。伊斯都都伊母知。宇知弖斯夜麻牟。美都美都斯。久米能古良賀。久夫都都伊。伊斯都都伊母知。伊麻宇多婆余良斯。
忍坂(おさか)の 大室屋(おおむろや)に 人多(さわ)に 来入り居り 人多に 入り居りとも みつみつし 久米の子が 頭椎(くぶつつ)い 石椎(いしつつ)い持ち 撃ちてし止まむ みつみつし 久米の子らが 頭椎い 石椎い持ち 今撃たば善(よ)らし
——忍坂の大室屋に 人が多く入って居る。 人が多く入って居ても 勇(いさ)ましい久米の子らが 頭椎(くぶつち)の太刀、石椎(いしつち)の太刀を持って 撃って討ち止めよう。 勇ましい久米の子らが 頭椎の太刀、石椎の太刀を持って いま撃つのがよいだろう。
7歌に合わせて撃つ
如此歌而。拔刀。一時打殺也。
このように歌って、刀を抜き、一時(いちどき)に打ち殺しました。
8登美毘古を撃とうとするとき
然後將撃登美毘古之時。歌曰。
そののち、登美毘古を撃とうとするとき、歌っていうには、
9韮(にら)の歌
美都美都斯。久米能古良賀。阿波布爾波。賀美良比登母登。曾泥賀母登。曾泥米都那藝弖。宇知弖志夜麻牟。
みつみつし 久米の子らが 粟生(あわふ)には 韮(かみら)一本(ひともと) そ根が本(もと) そ根芽(ね め)繋(つな)ぎて 撃ちてし止まむ
——勇ましい久米の子らが 粟畑に植えた韮(にら)一本、 その根と芽をひとつに繋いで抜くように 撃って討ち止めよう。
10また歌っていうには
又歌曰。
また歌っていうには、
11椒(はじかみ)の歌
美都美都斯。久米能古良賀。加岐母登爾。宇惠志波士加美。久知比比久。和禮波和須禮士。宇知弖斯夜麻牟。
みつみつし 久米の子らが 垣本(かきもと)に 植えし椒(はじかみ) 口ひひく 我は忘れじ 撃ちてし止まむ
——勇ましい久米の子らが 垣の本に植えた椒(はじかみ=山椒)、 口の中がひりひりしたあの辛さを、わたしは忘れまい。 撃って討ち止めよう。
12また歌っていうには
又歌曰。
また歌っていうには、
13細螺(しただみ)の歌
加牟加是能。伊勢能宇美能。意斐志爾。波比母登富呂布。志多陀美能。伊波比母登富理。宇知弖志夜麻牟。
神風(かむかぜ)の 伊勢の海の 大石(おいし)に い廻(は)ひ本(もと)ほろふ 細螺(しただみ)の い廻ひ本ほり 撃ちてし止まむ
——神風の吹く伊勢の海の 大きな石に這い廻っている 細螺(しただみ=きさご)のように取り囲み廻って 撃って討ち止めよう。
14御軍が疲れたとき
又撃兄師木。弟師木之時。御軍暫疲。爾歌曰。
また兄師木(えしき)・弟師木(おとしき)を撃つとき、御軍(みいくさ)がしばらく疲れました。そこで歌っていうには、
15鵜飼の徒を呼ぶ歌
多多那米弖。伊那佐能夜麻能。許能麻用母。伊由岐麻毛良比。多多加閇婆。和禮波夜惠奴。志麻都登理。宇加比賀登母。伊麻須氣爾許泥。
楯(たた)並(な)めて 伊那佐(いなさ)の山の 木の間(ま)よも い行き守(まも)らひ 戦へば 我はやゑぬ 島つ鳥 鵜飼(うかひ)が徒(とも) 今助けに来(こ)ね
——楯を並べ立てた伊那佐の山の 木の間からも覗(うかが)い見守りながら進み 戦うので、わたしはもう疲れてしまった。 島の鳥、鵜飼の徒(ともがら)よ、 いますぐ助けに来てくれ。
夾注 2
上
上げて読みます。
和禮波夜惠奴
和禮波夜惠奴——惠奴を「飢える」と読む解釈が古くからあります。ここでは前の散文の「御軍暫疲」に合わせて「疲れた」と訳しました。——訳者
16邇藝速日命が来て、伊須氣余理比賣に遇う
故爾邇藝速日命。參赴。白於天神御子。聞天神御子。天降坐故。追參降來。即獻天津瑞以。仕奉也。故邇藝速日命。娶登美毘古之妹。登美夜毘賣。生子宇摩志麻遲命。故如此。言向平和荒夫琉神等。退撥不伏之人等而。坐畝火之白檮原宮。治天下也。故坐日向時。娶阿多之小椅君妹。名阿比良比賣。生子。多藝志美美命。次岐須美美命。二柱坐也。然更求爲大后之美人時。大久米命曰。此間有媛女。是謂神御子。其所以謂神御子者。三嶋湟咋之女。名勢夜陀多良比賣。其容姿麗美。故美和之大物主神。見感而。其美人。爲大便之時。化丹塗矢。自其爲大便之溝流下。突其美人之富登。爾其美人驚而。立走伊須須岐伎。乃將來其矢。置於床邊。忽成麗壯夫。即娶其美人。生子。名謂富登多多良伊須須岐比賣命。亦名謂比賣多多良伊須氣余理比賣。故是以謂神御子也。於是七媛女。遊行於高佐士野。伊須氣余理比賣在其中。爾大久米命。見其伊須氣余理比賣而。以歌白於天皇曰。
そこで邇藝速日命(にぎはやひのみこと)が参り赴(おもぶ)いて、天の神の御子に申しました。「天の神の御子が天降り坐したと聞きましたので、追って参り降って来ました」。そしてすぐに天津瑞(あまつしるし)を献って仕え奉りました。
そうして邇藝速日命が、登美毘古の妹、登美夜毘賣(とみやびめ)を娶(めあわ)せて生んだ子が、宇摩志麻遲命(うましまぢのみこと)です。
このように荒夫琉(あらぶる)神らを言向(ことむ)け平(やわ)し、伏(まつろ)わない人らを退(そ)け撥(はら)って、畝火(うねび)の白檮原宮(かしはらのみや)に坐して、天下を治められました。
日向に坐したとき、阿多(あた)の小椅君(おばしのきみ)の妹、名は阿比良比賣(あひらひめ)を娶せて生んだ子は、多藝志美美命(たぎしみみのみこと)、次に岐須美美命(きすみみのみこと)、二柱が坐します。
しかし、さらに大后(おおきさき)とする美人(おとめ)を求められたとき、大久米命(おおくめのみこと)が申しました。「ここに媛女(おとめ)が有ります。これを神の御子と申します。その神の御子と申す理由はこうです。
三嶋(みしま)の湟咋(みぞくい)の娘で、名は勢夜陀多良比賣(せやだたらひめ)、その容姿が麗(うるわ)しく美しいのです。そうして美和(みわ)の大物主神(おおものぬしのかみ)が見て感(め)で、その美人が大便(くそ)をするとき、丹塗矢(にぬりや)に化(な)って、その大便をする溝を流れ下り、その美人の富登(ほと)——陰(ほと)を突きました。
その美人は驚いて立ち走り伊須須岐伎(いすすきき)——慌てまどい、そしてその矢を持って来て床の辺(べ)に置いたところ、たちまち麗しい壯夫(おとこ)になり、すぐにその美人を娶せて生んだ子の名を、富登多多良伊須須岐比賣命(ほとたたらいすすきひめのみこと)といい、別の名を比賣多多良伊須氣余理比賣(ひめたたらいすけよりひめ)といいます。ですから神の御子と申すのです」。
そこで七人の媛女が高佐士野(たかさじの)で遊び行くとき、伊須氣余理比賣がその中に在りました。大久米命は、その伊須氣余理比賣を見て、歌で天皇に申し上げました。
夾注 7
此者。物部連。穂積臣。婇臣祖也。
これは物部連(もののべのむらじ)、穂積臣(ほづみのおみ)、婇臣(うねめのおみ)の祖です。
夫琉二字以音。
「夫琉」の二字は音で読みます。
自阿以下五字以音。
「阿」から下の五字は音で読みます。
此二字以音。下效此。
この二字は音で読みます。以下もこれに倣(なら)います。
此五字以音。
この五字は音で読みます。
是者。惡其富登云事。後改名者也。
これは「ほと」という言葉を憚(はばか)って、後に名を改めたものです。
佐士二字以音。
「佐士」の二字は音で読みます。
17七人の媛女のうち
夜麻登能。多加佐士怒袁。那那由久。袁登賣杼母。多禮袁志摩加牟。
大和の 高佐士野(たかさじの)を 七(なな)行く 媛女(おとめ)ども 誰をし枕(ま)かむ
——大和の高佐士野を 七人で行く媛女たちのうち、 どなたをお枕(ま)きになりますか。
18天皇が答えて
爾伊須氣余理比賣者。立其媛女等之前。乃天皇見其媛女等而。御心知伊須氣余理比賣立於最前。以歌答曰。
そのとき伊須氣余理比賣は、その媛女たちの前に立っていました。そして天皇はその媛女たちを見て、御心のうちに伊須氣余理比賣が最も前に立っていることを知られ、歌で答えられました。
19いちばん先の娘
加都賀都母。伊夜佐岐陀弖流。延袁斯麻加牟。
かつがつも いや先(さき)立てる 兄(え)をし枕かむ
——ともあれ、いちばん先に立っている その娘(え)を枕こう。
20大久米命の黥を見て
爾大久米命。以天皇之命。詔其伊須氣余理比賣之時。見其大久米命黥利目而。思奇歌曰。
そこで大久米命が、天皇の命をその伊須氣余理比賣に詔(つ)げたとき、その大久米命の黥(さ)けた利目(とめ=切れ長の目に入れた黥)を見て、奇しく思い、歌っていうには、
21どうして目に黥をしたのか
阿米都都。知杼理麻斯登登。那杼佐祁流斗米。
あめつつ 千鳥(ちどり)ま鵐(しとと) など黥(さ)ける利目(とめ)
——あめつつ、千鳥、ま鵐(しとと)のような目よ、 どうしてそのように目に黥(いれずみ)をしたのですか。
22大久米命が答えて
爾大久米命答歌曰。
そこで大久米命が答えて歌っていうには、
23媛女に遇おうとして
袁登賣爾。多陀爾阿波牟登。和加佐祁流斗米。
媛女(おとめ)に 直(ただ)に遇(あ)はむと 我が黥ける利目
——媛女に直(じか)に遇おうとして わたしが目に黥をしたのです。
24狹井河の家
故其孃子。白之仕奉也。於是其伊須氣余理比賣命之家。在狹井河之上。天皇幸行其伊須氣余理比賣之許。一宿御寢坐也。後其伊須氣余理比賣。參入宮内之時。天皇御歌曰。
そうして、その孃子(おとめ)は仕え奉ると申しました。
その伊須氣余理比賣命の家は、狹井河(さいがわ)の上に在りました。天皇はその伊須氣余理比賣のもとへ幸行され、一宿(ひとよ)御寢(みね)坐しました。
のちに、その伊須氣余理比賣が宮の内に参り入るとき、天皇の御歌にいうには、
夾注 1
其河謂佐韋河由者。於其河邊山由理草多在。故取其山由理草之名。號佐韋河也。山由理草之本名云佐韋也。
その河を佐韋河(さいがわ)という理由はこうです。その河辺に山由理草(やまゆりぐさ)が多く在りますので、その山由理草の名を取って佐韋河と号けました。山由理草の本の名を佐韋(さい)といいます。
25菅畳の歌
阿斯波良能。志祁志岐袁夜邇。須賀多多美。伊夜佐夜斯岐弖。和賀布多理泥斯。
葦原の しけしき小屋(おや)に 菅畳(すがたたみ) いや清(さや)敷きて 我が二人寝し
——葦原のなかの粗末な小屋に 菅(すが)の畳を清らかに敷いて わたしたち二人は寝たのだった。
26當藝志美美命が謀る
然而阿禮坐之御子名。日子八井命。次神八井耳命。次神沼河耳命。故天皇崩後。其庶兄當藝志美美命。娶其嫡后伊須氣余理比賣之時。將殺其三弟而。謀之間。其御祖伊須氣余理比賣患苦而。以歌。令知其御子等。歌曰。
そうして生(あ)れ坐した御子の名は、日子八井命(ひこやいのみこと)、次に神八井耳命(かむやいみみのみこと)、次に神沼河耳命(かむぬなかわみみのみこと)です。
天皇が崩られた後、その庶兄(ままあに)當藝志美美命(たぎしみみのみこと)が、その嫡后(むかいきさき)伊須氣余理比賣を娶せたとき、その三人の弟を殺そうと謀(はか)っているあいだに、その御祖(みおや)伊須氣余理比賣は患(うれ)い苦しんで、歌でその御子らに知らせました。その歌にいうには、
夾注 1
三柱。
三柱です。
27雲の立つ歌
佐韋賀波用。久毛多知和多理。宇泥備夜麻。許能波佐夜藝奴。加是布加牟登須。
狹韋河(さいがわ)よ 雲立ち渡り 畝傍山(うねびやま) 木の葉さやぎぬ 風吹かむとす
——狹韋河から雲が立ち渡り 畝傍山の木の葉が騒いでいる。 風が吹こうとしているのだ。
28また歌っていうには
又歌曰。
また歌っていうには、
29畝傍山の歌
宇泥備夜麻。比流波久毛登韋。由布佐禮婆。加是布加牟登曾。許能波佐夜牙流。
畝傍山 昼は雲とゐ 夕されば 風吹かむとぞ 木の葉さやげる
——畝傍山に昼は雲が集まり 夕方になれば風が吹こうとするので、 木の葉が騒いでいるのだ。
30弟が兄に代わる
於是其御子聞知而。驚乃爲將殺當藝志美美之時。神沼河耳命。曰其兄神八井耳命。那泥。汝命。持兵入而。殺當藝志美美。故持兵入以。將殺之時。手足和那那岐弖不得殺。故爾其弟神沼河耳命。乞取其兄所持之兵。入殺當藝志美美。故亦稱其御名。謂建沼河耳命。爾神八井命。讓弟建沼河耳命曰。吾者不能殺仇。汝命既得殺仇。故吾雖兄。不宜爲上。是以汝命爲上。治天下。僕者扶汝命。爲忌人而。仕奉也。故其日子八井命者。神八井耳命者。神沼河耳命者。治天下也。凡此神倭伊波禮毘古天皇。御年。壹佰參拾漆歳。御陵在畝火山之北方白檮尾上也。
そこでその御子らは聞き知って驚き、當藝志美美を殺そうとするとき、神沼河耳命がその兄、神八井耳命に言いました。「那泥(なね)——兄上よ、あなたの命が兵(つわもの)を持って入り、當藝志美美を殺してください」。
そうして兵を持って入り、殺そうとしたとき、手足が和那那岐弖(わななきて)——震えて、殺すことができませんでした。そこでその弟、神沼河耳命が、その兄の持っていた兵を乞い取り、入って當藝志美美を殺しました。そうしてその御名を改めて称え、建沼河耳命(たけぬなかわみみのみこと)といいます。
神八井命は、弟の建沼河耳命に讓って言いました。「わたしは仇を殺すことができず、あなたの命はすでに仇を殺された。だからわたしが兄であっても、上(かみ)となるのはよろしくない。あなたの命が上となって天下を治めよ。わたくしはあなたの命を扶(たす)け、忌人(いわいびと=祭りを掌る者)となって仕え奉ろう」。
そうして、その日子八井命と、神八井耳命と、神沼河耳命が、天下を治められました。
およそ、この神倭伊波禮毘古天皇は、御年百三十七歳でした。御陵は畝火山の北の方、白檮尾上(かしのおのえ)に在ります。
夾注 4
此二字以音。
この二字は音で読みます。
此五字以音。
この五字は音で読みます。
茨田連。手嶋連之祖。
茨田連(まむたのむらじ)と手嶋連(てしまのむらじ)の祖です。
意富臣。小子部連。坂合部連。火君。大分君。阿蘇君。筑紫三家連。雀部臣。雀部造。小長谷造。都祁直。伊余國造。科野國造。道奧石城國造。常道仲國造。長狹國造。伊勢船木直。尾張丹波臣。嶋田臣等之祖也。
意富臣(おおのおみ)、小子部連(ちいさこべのむらじ)、坂合部連(さかいべのむらじ)、火君(ひのきみ)、大分君(おおきたのきみ)、阿蘇君(あそのきみ)、筑紫三家連(つくしのみやけのむらじ)、雀部臣(さざきべのおみ)、雀部造(さざきべのみやつこ)、小長谷造(おはつせのみやつこ)、都祁直(つげのあたい)、伊余國造(いよのくにのみやつこ)、科野國造(しなののくにのみやつこ)、道奧石城國造(みちのくのいわきのくにのみやつこ)、常道仲國造(ひたちのなかのくにのみやつこ)、長狹國造(ながさのくにのみやつこ)、伊勢船木直(いせのふなきのあたい)、尾張丹波臣(おわりのたにわのおみ)、嶋田臣(しまだのおみ)たちの祖です。