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景行天皇

古事記(古い事柄の記録) 古事記 · 太安万侶 · 712年(和銅5年) · 段落 33 · 漢字 3,833字 · 朗読 15.3分

古事記(古い事柄の記録) 中下巻 日本で最も古い書物。天地が開けるところから始まり、神々の時代を経て推古天皇までの三巻。歌百五首が万葉仮名で記されており、漢字を意味ではなく音だけで用いた文章がまるごと残っている。日本書紀と同じ出来事を違えて記した箇所が多く、並べて読む値打ちが大きい。

1景行天皇の子たち

大帶日子淤斯呂和氣天皇。坐纒向之日代宮。治天下也。此天皇。娶吉備臣等之祖。若建吉備津日子之女。名針間之伊那毘能大郎女。生御子。櫛角別王。次大碓命。次小碓命。亦名倭男具那命。次倭根子命。次神櫛王。又娶八尺入日子命之女。八坂之入日賣命。生御子。若帶日子命。次五百木之入日子命。次押別命。次五百木之入日賣命。又妾之子。豐戸別王。次沼代郎女。又妾之子。沼名木郎女。次香余理比賣命。次若木之入日子王。次吉備之兄日子王。次高木比賣命。次弟比賣命。又娶。日向之美波迦斯毘賣。生御子。豐國別王。又娶伊那毘能大郎女之弟。伊那毘能若郎女。生御子。眞若王。次日子人之大兄王。又娶倭建命之曾孫。名須賣伊呂大中日子王之女。訶具漏比賣。生御子。大枝王。凡此大帶日子天皇之御子等。所録廿一王。不入記五十九王。并八十王之中。若帶日子命。與倭建命。亦。五百木之入日子命。此三王。負太子之名。自其餘七十七王者。悉別賜。國國之國造。亦和氣。及稻置。縣主也。故若帶日子命者。治天下也。小碓命者。平東西之荒神。及不伏人等也。次櫛角別王者。次大碓命者。次神櫛王者。次豐國別王者。於是天皇。聞看定三野國造之祖。神大根王之女。名兄比賣。弟比賣二孃子。其容姿麗美而。遣其御子大碓命以喚上。故其所遣大碓命。勿召上而。即己自婚其孃子。更求他女人。詐名其孃女而貢上。於是天皇。知其他嬢。恒令經長眼。亦勿婚而惚也。故其大碓命。娶兄比賣。生子。押黒之兄日子王。亦娶弟比賣。生子。押黒弟日子王。此之御世。定田部。又定東之淡水門。又定膳之大伴部。又定倭屯家。又作坂手池。即竹植其堤也。

大帶日子淤斯呂和氣天皇(おおたらしひこおしろわけのてんのう)が、纒向(まきむく)の日代宮(ひしろのみや)に坐して、天下を治められました。

この天皇が、吉備臣(きびのおみ)たちの祖、若建吉備津日子(わかたけきびつひこ)の娘、名は針間(はりま)の伊那毘能大郎女(いなびのおおいらつめ)を娶(めあわ)せて生んだ御子は、櫛角別王(くしつぬわけのみこ)、次に大碓命(おおうすのみこと)、次に小碓命(おうすのみこと)、別の名は倭男具那命(やまとおぐなのみこと)です。次に倭根子命(やまとねこのみこと)、次に神櫛王(かむくしのみこ)です。

また八尺入日子命(やさかいりびこのみこと)の娘、八坂之入日賣命(やさかのいりびめのみこと)を娶せて生んだ御子は、若帶日子命(わかたらしひこのみこと)、次に五百木之入日子命(いおきのいりびこのみこと)、次に押別命(おしわけのみこと)、次に五百木之入日賣命(いおきのいりびめのみこと)です。

また妾(みめ)の子として豊戸別王(とよとわけのみこ)、次に沼代郎女(ぬしろのいらつめ)があり、また妾の子として沼名木郎女(ぬなきのいらつめ)、次に香余理比賣命(かごよりひめのみこと)、次に若木之入日子王(わかきのいりびこのみこ)、次に吉備の兄日子王(えひこのみこ)、次に高木比賣命(たかきひめのみこと)、次に弟比賣命(おとひめのみこと)があります。

また日向(ひむか)の美波迦斯毘賣(みはかしびめ)を娶せて生んだ御子は、豊國別王(とよくにわけのみこ)です。

また伊那毘能大郎女の弟(おと)、伊那毘能若郎女(いなびのわかいらつめ)を娶せて生んだ御子は、眞若王(まわかのみこ)、次に日子人之大兄王(ひこひとのおおえのみこ)です。

また倭建命(やまとたけるのみこと)の曾孫、名は須賣伊呂大中日子王(すめいろおおなかつひこのみこ)の娘、訶具漏比賣(かぐろひめ)を娶せて生んだ御子は、大枝王(おおえのみこ)です。

およそこの大帶日子天皇の御子らは、記(しる)されたものが二十一王、記に入らないものが五十九王、あわせて八十王のうち、若帶日子命と倭建命、また五百木之入日子命の三王が太子(ひつぎのみこ)の名を負い、その余りの七十七王は、ことごとく国々の國造(くにのみやつこ)、また和氣(わけ)、稻置(いなぎ)、縣主(あがたぬし)に別け賜りました。

そうして若帶日子命が天下を治められました。小碓命は、東西の荒ぶる神、および服(まつろ)わない人らを平らげました。

次に櫛角別王は茨田下連たちの祖、次に大碓命は守君たちの祖、次に神櫛王は木國の酒部阿比古たちの祖、次に豊國別王は日向國造の祖です。

このとき天皇は、三野國造(みののくにのみやつこ)の祖、神大根王(かむおおねのみこ)の娘、名は兄比賣(えひめ)・弟比賣(おとひめ)の二人の孃子(おとめ)が、その容姿が麗しく美しいと聞き看(み)定められて、その御子、大碓命を遣わして喚(よ)び上げさせました。ところが遣わされた大碓命は、召し上げずに、すぐに自分でその孃子たちと婚(よば)い、さらに他の女人を求めて、その孃女の名を詐(いつわ)って貢(たてまつ)り上げました。そこで天皇は、それが他の孃だと知り、恒(つね)に長眼(ながめ)を経(へ)させるばかりで、婚わずに惚(なげ)いておられました。

そうして、その大碓命が兄比賣を娶せて生んだ子が押黒之兄日子王(おしくろのえひこのみこ)、これは三野の宇泥須和氣の祖です。また弟比賣を娶せて生んだ子が押黒弟日子王(おしくろのおとひこのみこ)、これは牟宜都君たちの祖です。

この御世に、田部(たべ)を定め、また東の淡(あわ)の水門(みなと)を定め、また膳(かしわで)の大伴部(おおとものべ)を定め、また倭(やまと)の屯家(みやけ)を定め、また坂手池(さかてのいけ)を作って、その堤に竹を植えました。

夾注 10

具那二字以音。

「具那」の二字は音で読みます。

五柱。

五柱です。

自伊下四字以音。

「伊」から下の四字は音で読みます。

自須至呂四字以音。

「須」から「呂」までの四字は音で読みます。

茨田下連等之祖。

茨田下連(まむたのしものむらじ)たちの祖です。

守君。大田君。嶋田君之祖。

守君(もりのきみ)、大田君(おおたのきみ)、嶋田君(しまだのきみ)の祖です。

木國之酒部阿比古。宇陀酒部之祖。

木國の酒部阿比古(さかべのあびこ)と宇陀の酒部(さかべ)の祖です。

日向國造之祖。

日向國造(ひむかのくにのみやつこ)の祖です。

此者。三野之宇泥須和氣之祖。

これは三野の宇泥須和氣(うねすわけ)の祖です。

此者。牟宜都君等之祖。

これは牟宜都君(むげつのきみ)たちの祖です。

2小碓命が熊曾と出雲を撃つ

天皇詔小碓命。何汝兄。於朝夕之大御食不參出來。專汝泥疑教覺。如此詔以後。至于五日。猶不參出。爾天皇問賜小碓命。何汝兄。久不參出。若有未誨乎。答白。既爲泥疑也。又詔。如何泥疑之。答白。朝署入廁之時。持捕搤㧗而。引闕其枝。裹薦投棄。於是天皇。惶其御子之。建荒之情而。詔之。西方有熊曾建二人。是不伏无禮人等。故取其人等。而遣。當此之時。其御髮結額也。爾小碓命。給其姨倭比賣命之御衣御裳。以小劔納于御懷而幸行。故到于熊曾建之家見者。於其家邊。軍圍三重。作室以居。於是言動爲御室樂。設備食物。故遊行其傍。待其樂日。爾臨其樂日。如童女之髮。梳垂。其結御髮。服其姨之御衣御裳。既成童女之姿。交立女人之中。入坐其室内。爾熊曾建兄弟二人。見感其孃子。坐於己中而。盛樂。故臨其酣時。自懷出劔。取熊曾之衣衿。以劔自其胸刺通之時。其弟建。見畏逃出。乃追至其室之椅本。取其背。以劔自尻刺通。爾其熊曾建白言。莫動其刀。僕有白言。爾暫許押伏。於是白言。汝命者誰。爾詔。吾者坐纒向之日代宮。所知大八嶋國。大帶日子淤斯呂和氣天皇之御子。名倭男具那王者也。意禮熊曾建二人。不伏無禮聞看而。取殺意禮詔而遣。爾其熊曾建白。信然也。於西方。除吾二人。無建強人。然於大倭國。益吾二人而。建男者坐祁理。是以。吾獻御名。自今以後。應稱倭建御子。是事白訖。即如熟苽振折而。殺也。故自其時。稱御名謂倭建命。然而。還上之時。山神河神。及穴戸神。皆言向和而參上。即入坐出雲國。欲殺其出雲建而。到即結友。故竊以赤檮。作詐刀。爲御佩。共沐肥河。爾倭建命。自河先上。取佩出雲建之解置横刀而。詔為易刀。故後出雲建。自河上而。佩倭建命之詐刀。於是倭建命。誂云伊奢合刀。爾各拔其刀之時。出雲建。不得拔詐刀。即倭建命。拔其刀而。打殺出雲建。爾御歌曰。

天皇が小碓命に詔(みことのり)されました。「どうしておまえの兄は、朝夕の大御食(おおみけ)に参り出て来ないのか。おまえがもっぱら泥疑(ねぎ)——教え覺(さと)せ」。

こう詔された後、五日に至ってもなお参り出ませんでした。そこで天皇が小碓命にお尋ねになりました。「どうしておまえの兄は、久しく参り出ないのか。もしや、まだ誨(おし)えていないのか」。

答えて申しました。「すでに泥疑ました」。

また詔されました。「どのように泥疑たのか」。

答えて申しました。「朝署(あさけ)に廁(かわや)に入るときに、持ち捕らえて搤(つか)み㧗(ひし)ぎ、その枝(えだ=手足)を引き闕(か)いて、薦(こも)に裹(つつ)んで投げ棄てました」。

そこで天皇は、その御子の建(たけ)く荒い情(こころ)を惶(おそ)れて詔されました。「西の方に熊曾建(くまそたける)二人が有る。これは服わない無礼な人らである。だからその人らを取れ」。そう言って遣わされました。このとき、その御髮を額(ひたい)に結っておられました。

そこで小碓命は、その姨(おば)倭比賣命(やまとひめのみこと)の御衣(みそ)・御裳(みも)を給(たま)わり、小さな剣を御懷(みふところ)に納めて幸行(いでま)しました。

そうして熊曾建の家に到って見ると、その家の辺(へ)に軍が三重に囲み、室(むろ)を作って居りました。そこでは新室(にいむろ)の樂(うたげ)をすると言い動(ざわめ)いて、食物を設け備えていました。そこでその傍(かたえ)を遊び行きながら、その樂の日を待たれました。

その樂の日に臨むと、童女(おとめ)の髮のように、その結った御髮を梳(と)き垂れ、その姨の御衣・御裳を服(き)て、すっかり童女の姿になり、女人(おみな)たちの中に交じって立ち、その室の内に入り坐しました。

そこで熊曾建の兄弟二人は、その孃子を見て感(め)で、自分たちの中に坐らせて、盛んに樂(うたげ)をしました。

そうしてその酣(たけなわ)の時に臨み、懷から剣を出し、熊曾の衣の衿(えり)を取って、剣でその胸から刺し通したとき、その弟建(おとたける)が見て畏れ、逃げ出しました。そこで追って、その室の椅(はしご)の本(もと)に至り、その背を取って、剣で尻から刺し通されました。

そこでその熊曾建が申して言いました。「その刀を動かさないでください。わたくしに申し上げたいことが有ります」。そこでしばらく押し伏せたままにされると、申して言いました。「あなたの命(みこと)は誰ですか」。

そこで詔されました。「わたしは、纒向の日代宮に坐して大八嶋國(おおやしまのくに)を治められる、大帶日子淤斯呂和氣天皇の御子、名は倭男具那王(やまとおぐなのみこ)である。意禮(おれ)——おまえたち熊曾建二人が、服わず無礼だと聞き看されて、おまえたちを取り殺せと詔して遣わされたのだ」。

そこでその熊曾建が申しました。「まことにそうでしょう。西の方では、わたくしども二人を除いて、建(たけ)く強い人は有りません。それなのに大倭國には、わたくしども二人にまして建き男(お)が坐したのですね。ですから、わたくしは御名を献ります。今から後は、倭建御子(やまとたけるのみこ)と称えられるのがよろしいでしょう」。

この事を申し終えると、すぐに熟(う)れた苽(うり)を振り折るように斬り殺されました。そうしてその時から、御名を称えて倭建命(やまとたけるのみこと)といいます。

そして還り上るとき、山の神、河の神、および穴戸(あなと=海峡)の神を、みな言向(ことむ)け和(やわ)して参り上られました。

そしてすぐに出雲國に入り坐し、その出雲建(いずもたける)を殺そうとして、到るとすぐに友を結ばれました。そうして竊(ひそ)かに赤檮(いちい)で詐刀(いつわりのたち)を作り、御佩(みはかし)として、共に肥河(ひのかわ)で沐(ゆあ)みました。

そこで倭建命は河から先に上り、出雲建が解き置いた横刀(たち)を取り佩き、「刀を易(か)えよう」と詔されました。そうして後に出雲建が河から上り、倭建命の詐刀を佩きました。

そこで倭建命が「いざ、刀を合わせよう」と誂(いざな)われました。それぞれその刀を抜くとき、出雲建は詐刀を抜くことができませんでした。すぐに倭建命はその刀を抜いて、出雲建を打ち殺されました。そこで御歌にいうには、

夾注 1

泥疑二字以音。下效此。

「泥疑」の二字は音で読みます。以下もこれに倣(なら)います。

3出雲建を嘲る歌

夜都米佐須。伊豆毛多祁流賀。波祁流多知。都豆良佐波麻岐。佐味那志爾阿波禮。

やつめさす 出雲建(いずもたける)が 佩(は)ける太刀 黒葛(つづら)多(さわ)巻き 身(さ み)無しにあはれ

——雲の立つ出雲の建(たける)が 佩いた太刀は、黒葛(つづら)をたっぷり巻いてあるが 身(刃)が無くて、あわれなことだ。

4還って覆奏する

故如此撥治。參上覆奏。

このように撥(はら)い治めて、参り上って覆奏(かえりごと)しました。

5東へ遣わされ、弟橘比賣命が海に入る

爾天皇。亦頻詔倭建命。言向和平。東方十二道之荒夫琉神。及摩都樓波奴人等而。副吉備臣等之祖。名御鉏友耳建日子而。遣之時。給比比羅木之八尋矛。故受命。罷行之時。參入。伊勢大御神宮。拜神朝廷。即白其姨倭比賣命者。天皇。既所以思吾死乎。何撃遣西方之惡人等而。返參上來之間。未經幾時。不賜軍衆。今更平遣。東方十二道之惡人等。因此思惟。猶所思看吾既死焉。患泣罷時。倭比賣命。賜草那藝劍。亦賜御嚢而。詔若有急事。解茲嚢口。故到尾張國。入坐。尾張國造之祖。美夜受比賣之家。乃雖思將婚。亦思還上之時將婚。期定而。幸于東國。悉言向和平。山河荒神。及不伏人等。故爾到相武國之時。其國造詐白。於此野中。有大沼。住是沼中之神。甚道速振神也。於是看行其神。入坐其野。爾其國造。火著其野。故知見欺而。解開其姨倭比賣命之所給嚢口而見者。火打有其嚢。於是先以其御刀苅撥草。以其火打而。打出火。著向火而。燒退。還出。皆切滅。其國造等。即著火燒。故其地者。於今謂燒津也。自其入幸。渡走水海之時。其渡神興浪。廻船。不得進渡。爾其后。名弟橘比賣命白之。妾易御子而入海中。御子者。所遣之政遂應復奏。將入海時。以菅疊八重。皮疊八重。絁疊八重。敷于波上而。下坐其上。於是其暴浪自伏。御船得進。爾其后歌曰。

そこで天皇が、また頻(しき)りに倭建命に詔されました。「東の方の十二の道の荒夫琉(あらぶる)神、および摩都樓波奴(まつろわぬ)——服わない人らを言向け和し平らげよ」。そして吉備臣たちの祖、名は御鉏友耳建日子(みすきとももみたけひこ)を副(そ)えて遣わされるとき、比比羅木之八尋矛(ひひらぎのやひろほこ)を給わりました。

命を受けて罷(まか)り行くとき、伊勢の大御神宮(おおみかみのみや)に参り入り、神の朝廷(みかど)を拝み、すぐにその姨、倭比賣命に申されました。「天皇は、すでにわたしが死ぬことを思っておられるのだろうか。どうして西の方の悪い人らを撃ちに遣わし、返り参り上って来てから幾時も経たぬうちに、軍衆(いくさびと)も賜らず、いま更に東の方の十二の道の悪い人らを平らげに遣わされるのか。これによって思うに、やはりわたしが早く死ぬことを思い看ておられるのだ」。患(うれ)え泣いて罷るとき、倭比賣命は草那藝剣(くさなぎのつるぎ)を賜り、また御嚢(みふくろ)を賜って詔されました。「もし急な事が有れば、この嚢の口を解け」。

尾張國に到り、尾張國造の祖、美夜受比賣(みやずひめ)の家に入り坐しました。そこで婚おうと思われましたが、還り上るときに婚おうと思い、期(ちぎ)りを定めて東の国へ幸でて、山河の荒ぶる神、および服わない人らを、ことごとく言向け和し平らげられました。

そうして相武國(さがむのくに)に到ったとき、その國造が詐って申しました。「この野の中に大きな沼が有ります。この沼の中に住む神は、たいそう道速振(ちはやぶ)る神です」。

そこでその神を看に、その野に入り坐しました。するとその國造が、その野に火を著(つ)けました。そこで欺かれたと知り、その姨、倭比賣命が給わった嚢の口を解き開けて見ると、火打(ひうち)がその嚢に有りました。

そこでまず、その御刀で草を苅り撥(はら)い、その火打で火を打ち出し、向こう火を著けて焼き退け、還り出て、その國造らをみな切り滅ぼし、すぐに火を著けて焼かれました。ですからその地は、今、燒津(やきつ)といいます。

そこから入り幸でて、走水海(はしりみずのうみ)を渡るとき、その渡りの神が浪を興し、船が廻(めぐ)って進み渡ることができませんでした。

そこでその后、名は弟橘比賣命(おとたちばなひめのみこと)が申しました。「わたくしが御子に易(か)わって海の中に入りましょう。御子は、遣わされた政(まつりごと)を遂げて復奏(かえりごと)なさるべきです」。

海に入ろうとするとき、菅(すが)の疊(たたみ)八重、皮の疊八重、絁(きぬ)の疊八重を波の上に敷いて、その上に下り坐しました。そこでその暴(あら)い浪はおのずから伏し、御船は進むことができました。そこでその后の歌にいうには、

夾注 2

比比羅三字以音。

「比比羅」の三字は音で読みます。

那藝二字以音。

「那藝」の二字は音で読みます。

6相武の野の歌

佐泥佐斯。佐賀牟能袁怒邇。毛由流肥能。本那迦邇多知弖。斗比斯岐美波母。

さねさし 相武(さがむ)の小野(をの)に 燃ゆる火の 火中(ほなか)に立ちて 問ひし君はも

——相武の野原で 燃える火の中に立って わたしの安否を問うてくださった君よ。

7あづまはや、わが妻よ

故七日之後。其后御櫛依于海邊。乃取其櫛。作御陵而。治置也。自其入幸。悉言向荒夫琉蝦夷等。亦平和山河荒神等而。還上幸時。到足柄之坂本。於食御粮處。其坂神化白鹿而來立。爾即以其咋遺之蒜片端待打者。中其目。乃打殺也。故登立其坂。三歎。詔云。阿豆麻波夜。故號其國謂阿豆麻也。即自其國越。出甲斐坐酒折宮之時。歌曰。

七日の後、その后の御櫛(みくし)が海辺に依(よ)り着きました。そこでその櫛を取り、御陵を作って治め置きました。

そこから入り幸でて、荒夫琉蝦夷(えみし)らをことごとく言向け、また山河の荒ぶる神らを平らげ和して、還り上り幸でるとき、足柄(あしがら)の坂本に到り、御粮(みかれい)を食(お)される処で、その坂の神が白い鹿に化(な)って来て立ちました。そこですぐに、その咋(く)い遺(のこ)された蒜(ひる)の片端で待ち打たれると、その目に中(あた)って、打ち殺されました。

そうしてその坂に登り立って、三度歎(なげ)いて詔されました。「阿豆麻波夜(あづまはや)」——わが妻よ、と。ですからその国を阿豆麻(あづま)といいます。

そしてすぐにその国を越え、甲斐(かい)に出て酒折宮(さかおりのみや)に坐したとき、歌っていうには、

夾注 1

自阿下五字以音。(也)

「阿」から下の五字は音で読みます。

8新治の歌

邇比婆理。都久波袁須疑弖。伊久用加泥都流。

新治(にひばり) 筑波(つくは)を過ぎて 幾夜(いくよ)か寝(ね)つる

——新治と筑波を過ぎて 幾夜寝たことだろうか。

9御火燒の老人が続ける

爾其御火燒之老人。續御歌以歌曰。

そこでその御火燒(みひたき)の老人が、御歌に続けて歌っていうには、

10九夜と十日

迦賀那倍弖。用邇波許許能用。比邇波登袁加袁。

かがなべて 夜には九夜(ここのよ) 日には十日(とをか)を

——日を数えてみますと 夜では九夜、昼では十日になります。

11美夜受比賣のもとへ還る

是以譽其老人。即給東國造也。自其國越科野國乃言向科野之坂神而。還來尾張國。入坐先日所期美夜受比賣之許。於是獻大御食之時。其美夜受比賣。捧大御酒盞以獻。爾美夜受比賣。於意須比之襴著月經。故見其月經御歌曰。

そこでその老人を譽(ほ)めて、すぐに東(あずま)の國造を給わりました。

その国から科野國(しなののくに)を越え、科野の坂の神を言向け、尾張國に還り来て、先の日に期りを定めた美夜受比賣のもとに入り坐しました。そこで大御食を献るとき、その美夜受比賣が大御酒盞(おおみさかずき)を捧げて献りました。ところが美夜受比賣の意須比(おすひ)——襲(おすい=上衣)の襴(すそ)に月經(さわり)が著いていました。そこでその月經を見て、御歌にいうには、

夾注 1

意須比三字以音。

「意須比」の三字は音で読みます。

12月が立ってしまった

比佐迦多能。阿米能迦具夜麻。斗迦麻邇。佐和多流久毘。比波煩曾。多和夜賀比那袁。麻迦牟登波。阿禮波須禮杼。佐泥牟登波。阿禮波意母閇杼。那賀祁勢流。意須比能須蘇爾。都紀多知邇祁理。

久方(ひさかた)の 天(あめ)の香具山(かぐやま) 利鎌(とかま)に さ渡る鵠(くび) 弱細(ひはぼそ) たわや腕(がひな)を 枕(まか)むとは 我はすれど さ寝(ね)むとは 我は思へど 汝(な)が著(け)せる 襲(おすひ)の裾(すそ)に 月立ちにけり

——はるかな天の香具山を 鎌のように横切って渡る鵠(くぐい)。 その首のように細くたわやかな腕を 枕こうとわたしは思い 共に寝ようとわたしは思うけれど、 あなたが着ている襲(うわぎ)の裾に 月が立ってしまった。

13美夜受比賣が答える

爾美夜受比賣。答御歌曰。

そこで美夜受比賣が、答えて御歌にいうには、

14待ちきれずに月が立った

多迦比迦流。比能美古。夜須美斯志。和賀意富岐美。阿良多麻能。登斯賀岐布禮婆。阿良多麻能。都紀波岐閇由久。宇倍那宇倍那。岐美麻知賀多爾。和賀祁勢流。意須比能須蘇爾。都紀多多那牟余。

高光る 日の御子 やすみしし 我が大君 あらたまの 年が来経(きふ)れば あらたまの 月は来経(きへ)行く うべなうべな 君待ちがたに 我が著せる 襲の裾に 月立たなむよ

——高く光る日の御子、 あまねく治められるわが大君。 新しい年が来ては過ぎ、 新しい月も来ては過ぎて行きます。 もっともなことです、君を待ちきれずに わたしが着ている襲の裾に 月が立ったのです。

15伊服岐能山の神に敗れる

故爾御合而。以其御刀之草那藝劔置其美夜受比賣之許而。取伊服岐能山之神幸行。於是詔。茲山神者。徒手直取而。騰其山之時。白猪逢于山邊。其大如牛。爾爲言擧而詔。是化白猪者。其神之使者。雖今不殺。還時將殺而。騰坐。於是零大氷雨。打惑倭建命。故還下坐之。到玉倉部之清泉以息坐之時。御心稍寤。故號其清泉。謂居寤清泉也。自其處發。到當藝野上之時。詔者。吾心恆念自虚翔行然。今吾足不得歩。成當藝斯玖。故號其地。謂當藝也。自其地。差少幸行。因甚疲衝御杖。稍歩。故號其地。謂杖衝坂也。到坐尾津前一松之許。先御食之時。所忘其地御刀。不失猶有。爾御歌曰。

そうして御合(みあ)いになり、その御刀の草那藝剣をその美夜受比賣のもとに置いたまま、伊服岐能山(いぶきのやま)の神を取ろうと幸行されました。

そこで詔されました。「この山の神は、徒手(むなで)で直(ただ)に取ろう」。そしてその山に騰(のぼ)るとき、白い猪(い)に山辺で逢いましたが、その大きさは牛ほどでした。そこで言擧(ことあ)げして詔されました。「この白い猪に化ったものは、その神の使いであろう。いま殺さなくとも、還るときに殺そう」。そう言って騰り坐しました。

するとそこに大きな氷雨(ひさめ)が零(ふ)り、倭建命を打ち惑わせました。

還り下り坐して、玉倉部(たまくらべ)の清泉(しみず)に到って息(やす)み坐したとき、御心がやや寤(さ)めました。ですからその清泉を、居寤清泉(いさめのしみず)といいます。

その処を発(た)って、當藝野(たぎの)の上に到ったとき、詔されました。「わたしの心は、恒(つね)に虚(そら)から翔(か)け行こうと念(おも)っていた。それが今、わたしの足は歩むことができず、當藝斯玖(たぎしく)——たぎたぎしくなってしまった」。ですからその地を當藝(たぎ)といいます。

その地から少しばかり幸行されましたが、たいそう疲れて御杖(みつえ)を衝(つ)き、やや歩まれました。ですからその地を杖衝坂(つえつきざか)といいます。

尾津(おつ)の前(さき)の一つ松のもとに到り坐すと、先に御食(みけ)された時にその地に忘れられた御刀が、失われずになお有りました。そこで御歌にいうには、

夾注 2

此化白猪者。非其神之使者。當其神之正身。因言擧見惑也。

この白い猪に化ったものは、その神の使いではなく、その神の正身(ただみ)でした。言擧げしたために、惑わされたのです。

自當下六字以音。

「當」から下の六字は音で読みます。

16尾張の一つ松

袁波理邇。多陀邇牟迦幣流。袁都能佐岐那流。比登都麻都。阿勢袁。比登都麻都。比登邇阿理勢婆。多知波氣麻斯袁。岐奴岐勢麻斯袁。比登都麻都。阿勢袁

尾張(をはり)に 直(ただ)に向(むか)へる 尾津(をつ)の崎なる 一つ松 あせを 一つ松 人にありせば 太刀佩(は)けましを 衣(きぬ)着せましを 一つ松 あせを

——尾張を真っ直ぐに向いている 尾津の崎の一つ松よ、弟(あせ)よ。 一つ松よ、おまえが人であったなら 太刀を佩かせてやろうに、衣を着せてやろうに。 一つ松よ、弟よ。

17国を思う歌

自其地幸。到三重村之時。亦詔之。吾足如三重勾而甚疲。故號其地謂三重。自其幸行而。到能煩野之時。思國以歌曰。 夜麻登波。久爾能麻本呂婆。多多那豆久。阿袁加岐。夜麻碁母禮流。夜麻登志宇流波斯。

その地から幸でて、三重村(みえのむら)に到ったとき、また詔されました。「わたしの足は、三重に勾(まが)ったように、たいそう疲れた」。ですからその地を三重(みえ)といいます。

その地から幸行されて、能煩野(のぼの)に到ったとき、国を思って歌っていうには、

倭(やまと)は 国のまほろば 畳(たたな)づく 青垣 山籠(やまごも)れる 倭しうるはし

——倭は国のうちで最もすぐれたところ。 幾重にも畳なる青い垣、 山に籠(こも)られた倭は、美しい。

夾注 1

三重勾

三重勾——三重に曲がった形をいいます。そのような形の食べ物の名と見る解釈もあります。——訳者

18また歌っていうには

又歌曰。

また歌っていうには、

19命の無事な人は

伊能知能。麻多祁牟比登波。多多美許母。幣具理能夜麻能。久麻加志賀波袁。宇受爾佐勢。曾能古。

命(いのち)の 全(また)けむ人は 畳薦(たたみこも) 平群(へぐり)の山の 熊白檮(くまかし)が葉を 髻華(うず)に挿(さ)せ その子

——命の無事な人は 幾重にも畳なる平群の山の 大きな白檮(かし)の葉を、髪に挿せ、おまえたちよ。

20国を思う歌

此歌者。思國歌也。又歌曰。

この歌は、思國歌(くにしのびうた)です。また歌っていうには、

21わが家の方から

波斯祁夜斯。和岐幣能迦多用。久毛韋多知久母。

愛(はし)けやし 我家(わぎへ)の方(かた)よ 雲居(くもゐ)立ち来(く)も

——恋しいことよ、わが家の方から 雲が立ち起こって来る。

22御病が急になる

此者片歌也。此時御病甚急,爾御歌曰。

これは片歌(かたうた)です。このとき御病がたいそう急になりました。そこで御歌にいうには、

23床の辺の太刀

袁登賣能。登許能辨爾。和賀淤岐斯。都流岐能多知。曾能多知波夜。

嬢子(おとめ)の 床(とこ)の辺(べ)に 我が置きし 剣(つるぎ)の太刀 その太刀はや

——嬢子の床の辺に わたしが置いて来た剣の太刀、 ああ、その太刀よ。

24歌い終えて崩られる

歌竟即崩。爾貢上驛使。於是坐倭后等。及御子等。諸。下到而。作御陵。即匍匐廻其地之那豆岐田而。哭爲歌曰。

歌い終えると、すぐに崩(かむあが)られました。そこで驛使(はゆまづかい)を貢り上げました。

倭に坐した后たちと御子たちが、みな下り到って御陵を作り、すぐにその地の那豆岐田(なづきた)を匍匐(はらば)い廻って、哭(な)いて歌っていうには、

夾注 1

自那下三字以音。

「那」から下の三字は音で読みます。

25稲の幹を這う蔓

那豆岐能。多能伊那賀良邇。伊那賀良爾。波比母登富呂布。登許呂豆良。

那豆岐(なづき)の 田の稲幹(いながら)に 稲幹に 匍(は)ひ本(もと)ほろふ 薢蔓(ところづら)

——御陵のそばの田の稲の幹に、 稲の幹に絡みついて這い廻る 薢(ところ)の蔓のように、わたしたちは泣きます。

26白い鳥となって飛ぶ

於是化八尋白智鳥。翔天而向濱飛行。爾其后及御子等。於其小竹之苅杙。雖足䠊破。忘其痛以哭追。此時歌曰。

そこで八尋(やひろ)の白智鳥(しろちどり)に化って、天を翔け、濱に向かって飛び行かれました。

そこでその后と御子たちは、その小竹(ささ)の苅杙(かりくい=刈り株)に足を䠊(そこな)い破られても、その痛みを忘れて哭き追いました。このとき歌っていうには、

夾注 1

智字以音。

「智」の字は音で読みます。

27小竹の刈り株

阿佐士怒波良。許斯那豆牟。蘇良波由賀受。阿斯用由久那。

浅小竹原(あさじのはら) 腰なづむ 空は行かず 足よ行くな

——浅い小竹(ささ)の原に腰が埋もれて、歩むのも難しい。 空は行けず、足で行くほかないとは。

28海の塩に入って

又入其海鹽而。那豆美行時歌曰。

また、その海の塩(しお)に入って、那豆美(なづみ)——もがきながら行くとき、歌っていうには、

夾注 1

此三字以音。

この三字は音で読みます。

29海を行けば

宇美賀由氣婆。許斯那豆牟。意富迦波良能。宇惠具佐。宇美賀波。伊佐用布。

海(うみ)が行けば 腰なづむ 大河原(おほかはら)の 植ゑ草 海処(うみが)は いさよふ

——海を行けば腰が埋もれ、 大きな河原の水草のように 海では揺れて進むことができない。

30磯に居られたとき

又飛居其磯之時。歌曰。

また、飛んでその磯に居られたとき、歌っていうには、

31千鳥は浜辺を行かず

波麻都知登理。波麻用波由迦受。伊蘇豆多布。

浜つ千鳥 浜よは行かず 磯伝(いそづた)ふ

——浜の千鳥は浜辺を行かず、 磯を伝って行くのだ。

32四つの歌と白鳥御陵

是四歌者。皆歌其御葬也。故至今其歌者。歌天皇之大御葬也。故自其國。飛翔行。留河内國之志幾。故於其地作御陵。鎭坐也。即號其御陵。謂白鳥御陵也。然亦自其地更翔天以飛行。凡此倭建命。平國廻行之時。久米直之祖。名七拳脛。恆爲膳夫以。從仕奉也。

この四つの歌は、みなその御葬(みはぶり)で歌ったものです。ですから今に至るまで、その歌は天皇の大御葬(おおみはぶり)で歌われます。

その国から飛び翔けて行き、河内國(かわちのくに)の志幾(しき)に留まられました。ですからその地に御陵を作って鎮め坐しました。そしてその御陵を白鳥御陵(しらとりのみはか)といいます。けれども、またその地から更に天に翔けて飛び行かれました。

およそ、この倭建命が国を平らげに廻り行かれたとき、久米直(くめのあたい)の祖、名は七拳脛(ななつかはぎ)が、恒に膳夫(かしわで)となって従い仕え奉りました。

33倭建命の子孫

此倭建命。娶伊玖米天皇之女。布多遲能伊理毘賣命。生御子。帶中津日子命。又娶。其入海弟橘比賣命。生御子。若建王。又娶。近淡海之安國造之祖。意富多牟和氣之女。布多遲比賣。生御子。稻依別王。又娶。吉備臣建日子之妹。大吉備建比賣。生御子。建貝兒王。又娶。山代之玖玖麻毛理比賣。生御子。足鏡別王。又一妻之子。息長田別王。凡是倭建命之御子等。并六柱。故帶中津日子命者。治天下也。次稻依別王者。次建貝兒王者。足鏡別王者。次息長田別王之子。杙俣長日子王。此王之子。飯野眞黒比賣命。次息長眞若中比賣。次弟比賣。故上云若建王。娶飯野眞黒比賣。生子。須賣伊呂大中日子王。此王。娶淡海之柴野入杵之女。柴野比賣。生子。迦具漏比賣命。故大帶日子天皇。娶此迦具漏比賣命。生子。大江王。此王。娶庶妹銀王。生子。大名方王。次大中比賣命。故此之大中比賣命者。香坂王。忍熊王之御祖也。此大帶日子天皇之御年。壹佰參拾漆歳。御陵在山邊之道上也。

この倭建命が、伊玖米天皇(いくめのてんのう)の娘、布多遲能伊理毘賣命(ふたじのいりびめのみこと)を娶せて生んだ御子は、帶中津日子命(たらしなかつひこのみこと)です。

また、あの海に入った弟橘比賣命を娶せて生んだ御子は、若建王(わかたけるのみこ)です。

また近淡海(ちかつおうみ)の安國造(やすのくにのみやつこ)の祖、意富多牟和氣(おおたむわけ)の娘、布多遲比賣(ふたじひめ)を娶せて生んだ御子は、稻依別王(いなよりわけのみこ)です。

また吉備臣建日子(きびのおみたけひこ)の妹、大吉備建比賣(おおきびたけひめ)を娶せて生んだ御子は、建貝兒王(たけかいこのみこ)です。

また山代(やましろ)の玖玖麻毛理比賣(くくまもりひめ)を娶せて生んだ御子は、足鏡別王(あしかがみわけのみこ)です。

また一人の妻の子として、息長田別王(おきながたわけのみこ)が有ります。

およそ、この倭建命の御子らは、あわせて六柱です。そうして帶中津日子命が天下を治められました。

次に稻依別王は犬上君たちの祖、次に建貝兒王は讚岐綾君たちの祖、足鏡別王は鎌倉之別たちの祖です。

次に息長田別王の子は杙俣長日子王(くいまたながひこのみこ)、この王の子は飯野眞黒比賣命(いいののまくろひめのみこと)、次に息長眞若中比賣(おきながまわかなかつひめ)、次に弟比賣(おとひめ)です。

そうして、上に申した若建王が飯野眞黒比賣を娶せて生んだ子が須賣伊呂大中日子王、この王が淡海(おうみ)の柴野入杵(しばののいりき)の娘、柴野比賣(しばのひめ)を娶せて生んだ子が迦具漏比賣命(かぐろひめのみこと)です。

そうして大帶日子天皇が、この迦具漏比賣命を娶せて生んだ子が大江王(おおえのみこ)、この王が庶妹(ままいも)銀王(しろかねのみこ)を娶せて生んだ子が大名方王(おおなかたのみこ)、次に大中比賣命(おおなかつひめのみこと)です。そうして、この大中比賣命が香坂王(かごさかのみこ)・忍熊王(おしくまのみこ)の御祖(みおや)です。

この大帶日子天皇の御年は百三十七歳でした。御陵は山邊之道上(やまのべのみちのえ)に在ります。

夾注 13

自布下八字以音。

「布」から下の八字は音で読みます。

一柱。

一柱です。

一柱。

一柱です。

一柱。

一柱です。

一柱。

一柱です。

一柱。

一柱です。

犬上君。建部君等之祖。

犬上君(いぬかみのきみ)と建部君(たけべのきみ)たちの祖です。

讚岐綾君。伊勢之別。登袁之別。麻佐首。宮首之別等之祖。

讚岐の綾君(あやのきみ)、伊勢之別(いせのわけ)、登袁之別(とおのわけ)、麻佐首(まさのおびと)、宮首之別(みやじのわけ)たちの祖です。

鎌倉之別。小津。石代之別。漁田之別之祖也。

鎌倉之別(かまくらのわけ)、小津(おづ)、石代之別(いわしろのわけ)、漁田之別(すなきたのわけ)の祖です。

三柱。

三柱です。

自須至呂以音。

「須」から「呂」までは音で読みます。

一柱。

一柱です。

二柱。

二柱です。