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仁徳天皇仁德天皇

古事記(古い事柄の記録) 古事記 · 太安万侶 · 712年(和銅5年) · 段落 49 · 漢字 3,161字 · 朗読 12.6分

古事記(古い事柄の記録) 中下巻 日本で最も古い書物。天地が開けるところから始まり、神々の時代を経て推古天皇までの三巻。歌百五首が万葉仮名で記されており、漢字を意味ではなく音だけで用いた文章がまるごと残っている。日本書紀と同じ出来事を違えて記した箇所が多く、並べて読む値打ちが大きい。

1民の竈の烟 — 聖帝の御世

大雀命。坐難波之高津宮。治天下也。此天皇。娶葛城之曾都毘古之女。石之日賣命生御子。大江之伊邪本和氣命。次墨江之中津王。次蝮之水齒別命。次男淺津間若子宿禰命。又娶上云。日向之諸縣君。牛諸之女。髮長比賣。生御子。波多毘能大郎子。亦名大日下王。次波多毘能若郎女。亦名長日比賣命。亦名若日下部命。又娶庶妹八田若郎女。又娶庶妹宇遲能若郎女。此之二柱。無御子也。凡此大雀天皇之御子等。并六王。故伊邪本和氣命者。治天下也。次蝮之水齒別命。亦。治天下。次男淺津間若子宿禰命亦。治天下也。此天皇之御世。爲大后。石之日賣命之御名代。定葛城部。亦爲太子。伊邪本和氣命之御名代。定壬生部。亦爲水齒別命之御名代。定蝮部。亦爲大日下王之御名代。定大日下部。爲若日下部王之御名代。定若日下部。又役秦人。作茨田堤。及茨田三宅。又作丸邇池。依網池。又掘難波之堀江而。通海。又掘小椅江。又定墨江之津。於是天皇。登高山見四方之國。詔之。於國中烟不發。國皆貧窮。故自今至三年。悉除人民之課役。是以大殿破壞。悉雖雨漏。都勿修理以椷受其漏雨。遷避于不漏處。後見國中。於國滿烟。故爲人民富。今科課役。是以百姓之榮。不苦役使。故稱其御世。謂聖帝世也。

大雀命は、難波の高津宮(難波之高津宮)にいらせられて天下をお治めになりました。

この天皇は、葛城の曾都毘古(そつびこ)の娘、石之日売命(いわのひめのみこと)を妻にお迎えになりました。大后です。お生まれになった御子は大江之伊邪本和気命(おおえのいざほわけのみこと)、次は墨江之中津王(すみのえのなかつのみこ)、次は蝮之水歯別命(たじひのみずはわけのみこと)、次は男浅津間若子宿禰命(おあさづまわくごのすくねのみこと)です。

また上に申した日向の諸県君の牛諸(うしもろ)の娘、髪長比売を妻にお迎えになり、お生まれになった御子は波多毘能大郎子(はたびのおおいらつこ)、別の名は大日下王(おおくさかのみこ)、次は波多毘能若郎女(はたびのわきいらつめ)、別の名は長日比売命(ながひひめのみこと)、また別の名は若日下部命(わかくさかべのみこと)です。

また庶妹の八田若郎女を妻にお迎えになり、また庶妹の宇遅能若郎女を妻にお迎えになりましたが、この二柱には御子がありません。

およそこの大雀天皇の御子たちは、合わせて六王です。それで伊邪本和気命が天下をお治めになり、次に水歯別命も天下をお治めになり、次に男浅津間若子宿禰命も天下をお治めになりました。

この天皇の御世に、大后の石之日売命の御名代として葛城部を定め、太子の伊邪本和気命の御名代として壬生部を定め、水歯別命の御名代として蝮部を定め、大日下王の御名代として大日下部を定め、若日下部王の御名代として若日下部を定めました。

また秦人を役して茨田堤と茨田の三宅を作り、丸邇池と依網池を作り、難波の堀江を掘って海に通わせ、小椅江を掘り、墨江の津を定めました。

このとき天皇は高い山に登って四方の国を見渡され、おっしゃいました。「国の中に烟が立たないので、国はみな貧しいのだ。それゆえ今から三年のあいだ、民の課役をことごとく除け。」

それで大殿が破れ壊れて雨が漏っても、まったく修理をなさらず、器でその漏る雨を受け、漏らない所へ遷って避けていらせられました。

後に国の中を見渡されると、国に烟が満ちていました。そこで民が富んだとお考えになり、はじめて課役をお科しになりました。それで百姓は栄え、役に使われることに苦しみませんでした。

それゆえ、その御世を称えて聖帝の御世と申します。

夾注 5

大后。

大后です。

四柱。

四柱です。

自波下四字以音。下效此。

「波」から下の四字は音で読みます。以下もこれに倣います。

二柱。

二柱です。

男王五柱。女王一柱。

男王が五柱、女王が一柱です。

2石之日売の嫉妬と黒日売

其大后石之日賣命。甚多嫉妬。故天皇所使之妾者。不得臨宮中。言立者。足母阿賀迦邇嫉妬。爾天皇。聞看。吉備海部直之女。名黑日賣。其容姿端正。喚上而使也。然畏其大后之嫉。逃下本國。天皇坐高臺。望瞻其黑日賣之。船出浮海以。歌曰。

その大后の石之日売命は、嫉妬がはなはだ多い方でした。それで天皇が召し使われる妾たちは宮の中をのぞくこともできず、何か事があれば、足を踏み鳴らさんばかりに嫉妬しました。

天皇は、吉備の海部直の娘、名は黒日売(くろひめ)の容姿が端正だとお聞きになり、呼び上げて召し使われました。けれども黒日売は、その大后の嫉みを畏れて、もとの国へ逃げ下りました。

天皇は高殿にお登りになり、その黒日売の船が出て海に浮かぶのを望み見て歌われました。

夾注 1

自母下五字以音。

「母」から下の五字は音で読みます。

3黒日売の船を望んで

淤岐幣邇波。袁夫泥都羅羅玖。久漏邪夜能。摩佐豆古和藝毛。玖邇幣玖陀良須。

おきへには をぶねつららく くろざやの まさづこわぎも くにへくだらす

— 沖の方には小舟が連なっている。 わたしの愛しい真砂子(まさづこ)が 自分の国へ下って行く。

4淡道島に出て望み見る

故大后。聞是之御歌。大忿。遣人於大浦。追下而。自歩追去。於是天皇。戀其黑日賣。欺大后。曰欲見淡道嶋而。幸行之時。坐淡道嶋。遙望歌曰。

大后はこの御歌を聞いて大いに忿り、大浦に人を遣わして、黒日売を船から追い下ろし、歩いて追い去らせました。

そこで天皇はその黒日売を恋しく思い、大后を欺いて「淡道島を見たい」とおっしゃって出かけられ、淡道島にお立ちになって遥かに望み見て歌われました。

5島々が見える

淤志弖流夜。那爾波能佐岐用。伊傳多知弖。和賀久邇美禮婆。阿波志摩。淤能碁呂志摩。阿遲摩佐能。志麻母美由。佐氣都志摩美由。

おしてるや なにはのさきよ いでたちて わがくにみれば あはしま おのごろしま あぢまさの しまもみゆ さけつしまみゆ

— 照り輝く難波の崎から 出で立って、わが国を見れば 淡島、自凝島(おのごろしま)、 檳榔(あぢまさ)の島も見え 佐気都島(さけつしま)も見える。

6吉備の山畑で

乃自其嶋傳而。幸行吉備國。爾黑日賣。令大坐其國之山方地而。獻大御飯。於是爲煮大御羹。採其地之菘菜時。天皇。到坐。其孃子之採菘處。歌曰。

そのままその島を伝って吉備国へおいでになりました。黒日売はその国の山方の地にお住まわせして、大御飯をたてまつりました。このとき大御羹を煮ようとして、その地の菘菜(あをな)を採るとき、天皇はその娘が菘を採る所においでになって歌われました。

7青菜を共に摘めば

夜麻賀多邇。麻祁流阿袁那母。岐備比登登。等母邇斯都米婆。多怒斯久母阿流迦。

やまがたに まけるあをなも きびひとと ともにしつめば たのしくもあるか

— 山畑に蒔いた青菜も 吉備人と共に摘めば こんなにも楽しいことだ。

8黒日売がたてまつる

天皇上幸之時。黑日賣獻御歌曰。

天皇が上っておいでになるとき、黒日売が御歌をたてまつりました。

9西風が吹いても忘れようか

夜麻登幣邇。爾斯布岐阿宜弖。玖毛婆那禮。曾岐袁理登母。和禮和須禮米夜。

やまとへに にしふきあげて くもばなれ そきをりとも われわすれめや

— 倭の方へ西風が吹き上げて 雲のように離れ、遠く隔たっていても わたしがあなたを忘れることがありましょうか。

10また歌う

又歌曰。

また歌いました。

11倭へ行くのは誰の夫か

夜麻登幣邇。由玖波多賀都麻。許母理豆能。志多用波閇都都。由久波多賀都麻。

やまとへに ゆくはたがつま こもりづの したよはへつつ ゆくはたがつま

— 倭の方へ行くあの人は誰の夫か。 隠り水(こもりづ)のように人知れず心を通わせて 行くあの人は誰の夫だろうか。

12大后が御船の綱柏を投げ棄てる

自此後時。大后爲將豐樂而。於採御綱柏。幸行木國之間。天皇。婚八田若郎女。於是大后。御綱柏積盈御船。還幸之時。所驅使於水取司吉備國兒嶋之仕丁。是退己國。於難波之大渡。遇所後倉人女之船。乃語云。天皇者。此日婚八田若郎女而。晝夜戲遊。若大后。不聞看此事乎。靜遊幸行。爾其倉人女。聞此語言。即追近御船。白之。状具如仕丁之言。於是大后大恨怒。載其御船之御綱柏者。悉投棄於海。故號其地。謂御津前也。即不入坐宮而。引避其御船泝於堀江。隨河而。上幸山代。此時歌曰。

その後、大后が豊楽(とよのあかり)を催そうとして、御綱柏を採りに木国へおいでになっているあいだに、天皇は八田若郎女と婚われました。

大后が御綱柏を御船に積み満たして還っておいでになるとき、水取司に駆り使われていた吉備国の児嶋の仕丁が、自分の国へ退がる途中、難波の大渡で、遅れていた倉人女の船に出会って語りました。「天皇はこのごろ八田若郎女と婚われて、昼も夜も戯れ遊んでおられます。大后はこの事をお聞きになっていないのでしょうか、静かに遊んでおいでになります。」

その倉人女はこの語りを聞いて、すぐに御船を追って近づき、仕丁の言ったとおりにくわしく申し上げました。

そこで大后は大いに恨み怒り、その御船に載せた御綱柏をことごとく海に投げ棄てました。それでその地を御津の前(みつのさき)と申します。

そのまま宮にはお入りにならず、その御船を引き避けて堀江を遡り、河に従って山代へ上っておいでになりました。このとき歌われました。

13山代河を遡って

都藝泥布夜。夜麻志呂賀波袁。迦波能煩理。和賀能煩禮婆。迦波能倍邇。淤斐陀弖流。佐斯夫袁。佐斯夫能紀。斯賀斯多邇。淤斐陀弖流。波毘呂。由都麻都婆岐。斯賀波那能。弖理伊麻斯。芝賀波能。比呂理伊麻須波。淤富岐美呂迦母。

つぎねふや やましろがはを かはのぼり わがのぼれば かはのへに おひだてる さしぶを さしぶのき しがしたに おひだてる はびろ ゆつまつばき しがはなの てりいまし しがはの ひろりいますは おほきみろかも

— 山の重なる山代河を 遡って、わたしが上れば 河のほとりに生い立つさしぶ、 そのさしぶの木の下に生い立つ 葉の広い神聖な椿。 その花のように照り輝き その葉のように広くいらせられる方は 大君でいらせられることよ。

14那良山の口で

即自山代廻。到坐那良山口。歌曰。

そのまま山代から廻って、那良山の口においでになり、歌われました。

15わたしが見たいのは葛城

都藝泥布夜。夜麻志呂賀波袁。美夜能煩理。和賀能煩禮婆。阿袁邇余志。那良袁須疑。袁陀弖。夜麻登袁須疑。和賀美賀本斯久邇波。迦豆良紀多迦美夜。和藝幣能阿多理。

つぎねふや やましろがはを みやのぼり わがのぼれば あをによし ならをすぎ をだて やまとをすぎ わがみがほしくには かづらきたかみや わぎへのあたり

— 山の重なる山代河を 宮を過ぎて、わたしが上れば 青土の美しい奈良を過ぎ 盾を立てた倭を過ぎて、 わたしが見たい国は 葛城の高宮、わが家のあたり。

16奴理能美の家に入られる

如此歌而還。暫入坐。筒木韓人。名奴理能美之家也。天皇。聞看其大后。自山代上幸而。使舍人。名謂鳥山人。送御歌曰。

このように歌って還り、しばらく筒木の韓人、名は奴理能美(ぬりのみ)の家にお入りになりました。

天皇は、その大后が山代から上っておいでになったとお聞きになり、鳥山(とりやま)という名の舎人を遣わして、御歌を送られました。

17追い行け、わが愛しい妻に

夜麻斯呂邇。伊斯祁登理夜麻。伊斯祁伊斯祁。阿賀波斯豆麻邇。伊斯岐阿波牟加母。

やましろに いしけとりやま いしけいしけ あがはしづまに いしきあはむかも

— 山代へ追い行け、鳥山よ。 追い行け、追い行け、 わたしの愛しい妻に追い着いて会ってくれ。

18口子を遣わす

又續遣丸邇臣口子而。歌曰。

またつづいて丸邇臣の口子(くちこ)を遣わして歌われました。

19肝のように向かい合う心なら

美母呂能。曾能多迦紀那流。意富韋古賀波良。意富韋古賀。波良邇阿流。岐毛牟加布。許許呂袁陀邇迦。阿比淤母波受阿良牟。

みもろの そのたかきなる おほいこがはら おほいこが はらにある きもむかふ こころをだにか あひおもはずあらむ

— 三諸(みもろ)のその高城(たかき)にある 大猪子(おほいこ)が原、その大猪子が 腹にある肝のように向かい合う 心だけでも、互いに思わずにいられようか。

20また歌う

又歌曰。

また歌われました。

21白い腕を枕にしなかったなら

都藝泥布。夜麻志呂賣能。許久波母知。宇知斯淤富泥。泥士漏能。斯漏多陀牟岐。麻迦受祁婆許曾。斯良受登母伊波米。

つぎねふ やましろめの こくはもち うちしおほね ねじろの しろただむき まかずけばこそ しらずともいはめ

— 山の重なる山代の女が 鋤鍬(こくは)で打った大根のように 根の白いその白い腕(ただむき)を 枕にしなかったのなら、知らぬとも言おうが。

22口子が雨をいとわず

故是口子臣。白此御歌之時。大雨。爾不避其雨。參伏前殿戶者。違出後戶。參伏後殿戶者。違出前戶。爾匍匐進赴。跪于庭中時。水潦至腰。其臣。服著紅紐青摺衣。故水潦拂紅紐。青皆變紅色。爾口子臣之妹。口日賣。仕奉大后。故是口日賣歌曰。

口子臣がこの御歌を申し上げるとき、大雨が降りました。その雨を避けずに前殿の戸に参り伏すと、かえって後ろの戸からお出になり、後殿の戸に参り伏すと、かえって前の戸からお出になりました。そこで匍匐して進み赴き、庭の中に跪いたとき、水たまりが腰にまで至りました。その臣は紅の紐のついた青摺りの衣を着ていましたが、水が紅の紐を拂ったので、青はみな紅の色に変わりました。

口子臣の妹の口日売(くちひめ)は大后にお仕えしていました。その口日売が歌いました。

23口日売の歌

夜麻志呂能。都都紀能美夜邇。母能麻袁須。阿賀勢能岐美波。那美多具麻志母。

やましろの つつきのみやに ものまをす あがせのきみは なみたぐましも

— 山代の筒木の宮で 物を申し上げているわが兄の君は 涙ぐましいことです。

24三色に変わる虫

爾太后問其所由之時。答白。僕之兄口子臣也。於是口子臣。亦其妹口比賣。及奴理能美。三人議而。令奏天皇云。大后幸行所以者。奴理能美之所養虫。一度爲匐虫。一度爲殻。一度爲飛鳥。有變三色之奇虫。看行此虫而。入坐耳。更無異心。如此奏時。天皇詔。然者吾。思奇異故欲見行。自大宮上幸行。入坐奴理能美之家時。其奴理能美。己所養之三種虫。獻於大后。爾天皇。御立其大后所坐殿戶。歌曰。

大后がそのわけをお問いになったとき、答えて申し上げました。「わたくしの兄の口子臣でございます。」

そこで口子臣と、その妹の口比売、そして奴理能美の三人が議って、天皇に申し上げさせました。「大后がおいでになったわけは、奴理能美が養っている虫が、一度は匐う虫となり、一度は殻となり、一度は飛ぶ鳥となる、三色に変わる奇しい虫なので、この虫を見にお入りになっただけで、ほかの心はございません。」

このように申し上げたとき、天皇はおっしゃいました。「それならば、わたしも奇異に思うので、見に行きたい。」

大宮から上っておいでになり、奴理能美の家にお入りになったとき、その奴理能美は自分が養っている三種の虫を大后にたてまつりました。

天皇はその大后のいらせられる殿の戸にお立ちになって歌われました。

25蚕のように帰って来てくれ

都藝泥布。夜麻斯呂賣能。許久波母知。宇知斯意富泥。佐和佐和爾。那賀伊幣勢許曾。宇知和多須。夜賀波延那須。岐伊理麻韋久禮。

つぎねふ やましろめの こくはもち うちしおほね さわさわに ながいへせこそ うちわたす やがはえなす きいりまゐくれ

— 山の重なる山代の女が 鋤鍬で打った大根のように さわさわとあなたが言ってくれたので 見渡すかぎり茂り栄える木のように こうして入り参って来たのです。

26志都歌の歌返し

此天皇與大后所歌之六歌者。志都歌之歌返也。天皇。戀八田若郎女。賜遣御歌。其歌曰。

この天皇と大后がお歌いになった六つの歌は、志都歌(しつうた)の歌返しです。

天皇は八田若郎女を恋しく思い、御歌を賜わり遣わされました。その歌はこうです。

27八田の一本菅

夜多能。比登母登須宜波。古母多受。多知迦阿禮那牟。阿多良須賀波良。許登袁許曾。須宜波良登伊波米。阿多良須賀志賣。

やたの ひともとすげは こもたず たちかあれなむ あたらすがはら ことをこそ すげはらといはめ あたらすがしめ

— 八田の一本菅は 子も持たず、立ち枯れてしまうのか。 惜しい菅原(すがはら)よ。 言葉でこそ菅原と言おうが 惜しい清らかな女よ。

28八田若郎女の答え歌

爾八田若郎女答歌曰。

八田若郎女が答えて歌いました。

29独りでいても大君の言葉なら

夜多能。比登母登須宜波。比登理袁理登母。意富岐彌斯。與斯登岐許佐婆。比登理袁理登母。

やたの ひともとすげは ひとりをりとも おほきみし よしときこさば ひとりをりとも

— 八田の一本菅は 独りでいても、 大君が良しと聞こしめすなら 独りでいてもよいのです。

30女鳥王と速総別王

故爲八田若郎女之御名代。定八田部也。亦天皇。以其弟速總別王。爲媒而。乞庶妹女鳥王。爾女鳥王。語速總別王曰。因大后之強。不治賜八田若郎女。故思不仕奉。吾爲汝命之妻。即相婚。是以速總別王。不復奏。爾天皇。直幸女鳥王之所坐而。坐其殿戶之閾上。於是女鳥王。坐機而織服。爾天皇歌曰。

それで八田若郎女の御名代として八田部を定めました。

また天皇は、弟の速総別王(はやぶさわけのみこ)を媒として、庶妹の女鳥王(めとりのみこ)に乞われました。すると女鳥王は速総別王に語りました。「大后が強いために、八田若郎女も治め賜わられていません。ですからわたしはお仕えしないつもりです。わたしはあなたの命の妻になります。」そのまま婚いました。

それで速総別王は復(かえ)って奏しませんでした。そこで天皇はみずから女鳥王のいらせられる所においでになり、その殿の戸の閾(しきみ)の上にお座りになりました。このとき女鳥王は機に座って服(はた)を織っていました。天皇は歌われました。

31誰の機か

賣杼理能。和賀意富岐美能。淤呂須波多。他賀多泥呂迦母。

めどりの わがおほきみの おろすはた たがたねろかも

— 女鳥(めどり)のわが大君が 織る機は、誰の衣料(たね)だろうか。

32女鳥が答える

女鳥王答歌曰。

女鳥王が答えて歌いました。

33速総別の御襲の料

多迦由久夜。波夜夫佐和氣能。美淤須比賀泥。

たかゆくや はやぶさわけの みおすひがね

— 高く行く速総別(はやぶさわけ)の 御襲(みおすひ)の料です。

34雲雀は天を翔け

故天皇。知其情。還入於宮。此時。其夫速總別王。到來之時。其妻女鳥王歌曰。

天皇はその心をお知りになり、宮へ還ってお入りになりました。

このとき、その夫の速総別王が来たとき、妻の女鳥王が歌いました。

35鷦鷯を取ってくれ

比婆理波。阿米邇迦氣流。多迦由玖夜。波夜夫佐和氣。佐邪岐登良佐泥。

ひばりは あめにかける たかゆくや はやぶさわけ さざきとらさね

— 雲雀は天を翔けるもの。 高く行く速総別よ、 鷦鷯(さざき)を取ってしまってください。

36倉椅山へ逃げる

天皇聞此歌。即興軍欲殺。爾速總別王。女鳥王。共逃退而。騰于倉椅山。於是速總別王歌曰。

天皇はこの歌を聞いて、すぐに軍を興して殺そうとされました。速総別王と女鳥王はともに逃げ退いて、倉椅山に騰りました。そこで速総別王が歌いました。

37険しくて手を取ってくださる

波斯多弖能。久良波斯夜麻袁。佐賀志美登。伊波迦伎加泥弖。和賀弖登良須母。

はしたての くらはしやまを さがしみと いはかきかねて わがてとらすも

— 梯立(はしだて)のような倉椅山を 険しいといって岩を掴みかねて わたしの手をお取りになることだ。

38また歌う

又歌曰。

また歌いました。

39妹と上れば険しくもない

波斯多弖能。久良波斯夜麻波。佐賀斯祁杼。伊毛登能爐禮波。佐賀斯玖母阿良受。

はしたての くらはしやまは さがしけど いもとのぼれば さがしくもあらず

— 梯立のような倉椅山は 険しいけれど、妹(いも)と上れば 険しくもない。

40玉釧のために死を賜わった将軍

故自其地逃亡。到宇陀之蘇邇時。御軍追到而殺也。其將軍山部大楯連。取其女鳥王。所纒御手之玉釧而。與己妻。此時之後。將爲豐樂之時。氏氏之女等。皆朝參。爾大楯連之妻。以其王之玉釧。纒于己手而參赴。於是大后石之日賣命。自取大御酒柏。賜諸氏氏之女等。爾大后。見知其玉釧。不賜御酒柏。乃引退。召出其夫大楯連以。詔之。其王等。因无禮而退賜。是者無異事耳。夫之奴乎。所纒己君之御手玉釧。於膚温剥持來。即與己妻。乃給死刑也。

その地から逃げ亡れて、宇陀の蘇邇(そに)に到ったとき、御軍が追い到って殺しました。

その将軍である山部の大楯連(おおたてのむらじ)は、女鳥王が御手に纏っていた玉釧(たまくしろ)を取って、自分の妻に与えました。

その後、豊楽を催そうとするとき、氏々の女たちがみな朝に参りました。大楯連の妻は、その王の玉釧を自分の手に纏って参り赴きました。

そこで大后の石之日売命は、みずから大御酒の柏を取って諸々の氏々の女たちに賜わっていましたが、その玉釧を見知って、その女には御酒の柏を賜わらず、引き退けられました。そしてその夫の大楯連を召し出しておっしゃいました。

「あの王たちは、無礼であったために退け賜わったのだ。それは異(あや)しむほどのことではない。それにこの奴は、自分の君の御手に纏われていた玉釧を、肌の温もりの残るまま剥ぎ持って来て、自分の妻に与えたのか。」

そして死刑を給わりました。

41日女嶋の雁

亦一時。天皇爲將豐樂而。幸行日女嶋之時。於其嶋雁生卵。爾召建内宿禰命。以歌問雁生卵之状。其歌曰。

またあるとき、天皇が豊楽を催そうとして日女嶋においでになったとき、その嶋で雁が卵を生みました。そこで建内宿禰命を召して、歌で雁が卵を生んだことをお問いになりました。その歌はこうです。

42雁が卵を生んだと聞いたか

多麻岐波流。宇知能阿曾。那許曾波。余能那賀比登。蘇良美都。夜麻登能久邇爾。加理古牟登岐久夜。

たまきはる うちのあそ なこそは よのながひと そらみつ やまとのくにに かりこむときくや

— 命のかぎり仕えた内(うち)の朝臣よ、 お前こそは世の長き人。 空に満ちる倭の国で 雁が卵を生んだと聞いたことがあるか。

43建内宿禰が歌で申し上げる

於是建内宿禰。以歌語白。

そこで建内宿禰が歌で語り申し上げました。

44わたしはまだ聞いておりません

多迦比迦流。比能美古。宇倍志許曾。斗比多麻閇。麻許曾邇。斗比多麻閇。阿禮許曾波。余能那賀比登。蘇良美都。夜麻登能久邇爾。加理古牟登。伊麻陀岐加受。

たかひかる ひのみこ うべしこそ とひたまへ まこそに とひたまへ あれこそは よのながひと そらみつ やまとのくにに かりこむと いまだきかず

— 高く光る日の御子、 お問いになるのはもっともなことです。 まことによくお問いになりました。 わたしこそは世の長き人でございますが 空に満ちる倭の国で 雁が卵を生んだとは、まだ聞いておりません。

45御琴を賜わって

如此白而。被給御琴。歌曰。

このように申し上げて、御琴を賜わり、歌いました。

46あなたの御子が終に治められる兆し

那賀美古夜。都毘邇斯良牟登。加理波古牟良斯。

ながみこや つひにしらむと かりはこむらし

— あなたの御子が終に治められるであろうと 雁は卵を生むのでしょう。

これは本岐歌(ほきうた)の片歌です。

47枯野の船と塩と琴

此者。本岐歌之片歌也。此之御世。免寸河之西。有一高樹。其樹之影。當旦日者。逮淡道嶋。當夕日者。越高安山。故切是樹以作船。甚捷行之船也。時號其船。謂枯野。故以是船。旦夕酌淡道嶋之寒泉。獻大御水也。茲船破壞以燒鹽。取其燒遺木。作琴。其音響七里。爾歌曰。

この御世に、免寸河(とのきがわ)の西に一本の高い樹がありました。その樹の影は、朝日に当たると淡道嶋にまで及び、夕日に当たると高安山を越えました。

この樹を切って船を作ると、たいそう速く行く船でした。そのとき、その船の名を枯野(からの)と申しました。この船で朝夕に淡道嶋の寒泉(しみず)を酌み、大御水としてたてまつりました。

この船が破れ壊れたので、それで塩を焼き、その焼け残った木を取って琴を作ると、その音は七里に響きました。そこで歌いました。

48由良の門の海石に触れて立つ木のように

加良怒袁。志本爾夜岐。斯賀阿麻理。許登爾都久理。賀岐比久夜。由良能斗能。斗那賀能伊久理爾。布禮多都。那豆能紀能。佐夜佐夜。

からのを しほにやき しがあまり ことにつくり かきひくや ゆらのとの となかのいくりに ふれたつ なづのきの さやさや

— 枯野を塩に焼き その残りで琴に作り 掻き弾くと、由良の門(と)の 海の中の海石(いくり)に触れて立つ 濡れた木のように、さやさやと鳴る。

これは志都歌の歌返しです。

49御年と御陵

此者。志都歌之歌返也。此天皇。御年捌拾參歲。御陵在毛受之耳原也。

この天皇は御年八十三歳でいらせられました。御陵は毛受の耳原(毛受之耳原)にあります。

夾注 1

上

上げて読みます。