いにしえの文 › 古事記(古い事柄の記録) › 中下巻

允恭天皇

古事記(古い事柄の記録) 古事記 · 太安万侶 · 712年(和銅5年) · 段落 26 · 漢字 1,447字 · 朗読 5.8分

古事記(古い事柄の記録) 中下巻 日本で最も古い書物。天地が開けるところから始まり、神々の時代を経て推古天皇までの三巻。歌百五首が万葉仮名で記されており、漢字を意味ではなく音だけで用いた文章がまるごと残っている。日本書紀と同じ出来事を違えて記した箇所が多く、並べて読む値打ちが大きい。

1新羅の使いが天皇の病を治す

男淺津間若子宿禰命。坐遠飛鳥宮。治天下也。此天皇。娶意富本杼王之妹。忍坂之大中津比賣命。生御子。木梨之輕王。次長田大郎女。次境之黑日子王。次穴穂命。次輕大郎女。亦名衣通郎女。次八瓜之白日子王。次大長谷命。次橘大郎女。次酒見郎女。凡天皇之御子等。九柱。此九王之中。穴穂命者。治天下也。次大長谷命。治天下也。天皇。初爲將所知天津日繼之時。天皇辭而。詔之。我者。有一長病。不得所知日繼。然大后始而。諸卿等。因堅奏而乃。治天下。此時。新良國主。貢進。御調八十一艘。爾御調之大使。名云金波鎭漢紀武。此人深知藥方。故治差。帝皇之御病。於是天皇。愁天下。氏氏名名人等之。氏姓忤過而。於味白檮之。言八十禍津日前。居玖訶瓮而。定賜天下之。八十友緒氏姓也。又爲木梨之輕太子御名代。定輕部。爲大后御名代。定刑部。爲大后之弟。田井中比賣御名代。定河部也。天皇。御年。漆拾捌歲。御陵在河内之惠賀長枝也。

男浅津間若子宿禰命は、遠飛鳥宮にいらせられて天下をお治めになりました。

この天皇は、意富本杼王の妹、忍坂之大中津比売命を妻にお迎えになり、お生まれになった御子は木梨之軽王(きなしのかるのみこ)、次は長田大郎女(ながたのおおいらつめ)、次は境之黒日子王(さかいのくろひこのみこ)、次は穴穂命(あなほのみこと)、次は軽大郎女(かるのおおいらつめ)、別の名は衣通郎女(そとおりのいらつめ)、次は八瓜之白日子王(やつりのしろひこのみこ)、次は大長谷命(おおはつせのみこと)、次は橘大郎女(たちばなのおおいらつめ)、次は酒見郎女(さかみのいらつめ)です。

およそ天皇の御子たちは合わせて九柱です。この九王の中で、穴穂命が天下をお治めになり、次に大長谷命が天下をお治めになりました。

天皇がはじめて天津日継をお継ぎになろうとしたとき、辞してこうおっしゃいました。「わたしには一つの長い病があって、日継を継ぐことができない。」けれども大后をはじめ、諸々の卿たちが堅く奏したので、そこで天下をお治めになりました。

このとき新羅の国主が、御調の船八十一艘をたてまつりました。御調の大使の名を金波鎮漢紀武(こんはちんかんきむ)と申します。この人は薬方を深く知っていて、帝皇の御病を治してさしあげました。

そこで天皇は、天下の氏々名々の人たちの氏姓が忤い過っていることを愁えられ、味白檮(あまかし)の言八十禍津日(ことやそまがつひ)の前に玖訶瓮(くかべ)を据えて、天下の八十友緒(やそとものお)の氏姓を定め賜わりました。

また木梨之軽太子の御名代として軽部を定め、大后の御名代として刑部を定め、大后の弟の田井中比売の御名代として河部を定めました。

天皇は御年七十八歳でいらせられました。御陵は河内の恵賀の長枝(恵賀長枝)にあります。

夾注 4

御名所。以負衣通王者。其身之光。自衣通出也。

御名を衣通王と負わせたわけは、その身の光が衣を通して出たからです。

九柱。

九柱です。

男王五。女王四。

男王が五、女王が四です。

玖訶二字以音。

「玖訶」の二字は音で読みます。

2軽太子と同母の妹

天皇崩之後。定木梨之輕太子。所知日繼。未即位之間。奸其伊呂妹輕大郎女而。歌曰。

天皇がお亡くなりになった後、木梨之軽太子が日継をお継ぎになると定まっていましたが、まだ位に即かないあいだに、その同母の妹の軽大郎女と通じて歌いました。

3今夜こそ肌を触れよう

阿志比紀能。夜麻陀袁豆久理。夜麻陀加美。斯多備袁和志勢。志多杼比爾。和賀登布伊毛袁。斯多那岐爾。和賀那久都麻袁。許存許曾婆。夜須久波陀布禮。

あしひきの やまだをつくり やまだかみ したびをわしせ したどひに わがとふいもを したなきに わがなくつまを こぞこそば やすくはだふれ

— 足引きの山田を作り、 山が高いので下樋(したび)で水を走らせるように 人知れず通ってわたしが訪う妹を、 人知れず泣いてわたしが泣く妻を、 今夜こそは心安く肌を触れよう。

4これは志良宜歌である

此者。志良宜歌也。又歌曰。

これは志良宜歌(しらげうた)です。また歌いました。

5共に寝て寝たならば

佐佐波爾。宇都夜阿良禮能。多志陀志爾。韋泥弖牟能知波。比登波加由登母。宇流波斯登。佐泥斯佐泥弖婆。加理許母能。美陀禮婆美陀禮。佐泥斯佐泥弖婆。

ささばに うつやあられの たしだしに いねてむのちは ひとはかゆとも うるはしと さねしさねてば かりこもの みだればみだれ さねしさねてば

— 笹の葉に ぱらぱらと打つ霰のように たしかに共に寝た後は 人は離れて行ってもかまわない。 愛しいと思う人と共に寝て寝たなら、 刈った薦(こも)が乱れるように 乱れるなら乱れよう。 共に寝て寝たならば。

6兄弟がそれぞれ矢を作る

此者。夷振之上歌也。是以百官及。天下人等。背輕太子而。歸穴穂御子。爾輕太子畏而。逃入大前小前宿禰大臣之家而。備作兵器。穴穂御子亦。作兵器。於是穴穂御子。興軍圍大前小前宿禰之家。爾到其門時。零大氷雨。故歌曰。

これは夷振(ひなぶり)の上歌(あげうた)です。

こうして百官および天下の人たちは軽太子に背いて、穴穂御子に帰しました。そこで軽太子は畏れて、大前小前宿禰大臣(おおまえおまえのすくねのおおおみ)の家へ逃げ入り、兵器を備え作りました。穴穂御子も兵器を作りました。

そこで穴穂御子は軍を興して、大前小前宿禰の家を囲みました。その門に到ったとき、大きな氷雨が降りました。そこで歌いました。

夾注 2

爾時所作矢者。銅其箭之内。故号其矢謂輕箭也。

このとき作った矢は、その箭の内を銅にしました。それでその矢を軽箭(かるや)と申します。

此王子所作之矢者。即今時之矢者也。是謂穴穂箭也。

この王子が作った矢は、すなわち今の時の矢です。これを穴穂箭(あなほや)と申します。

7金門の陰へ寄って来い

意富麻幣。袁麻幣須久泥賀。加那斗加宜。加久余理許泥。阿米多知夜米牟。

おほまへ をまへすくねが かなとかげ かくよりこね あめたちやめむ

— 大前・小前宿禰の 金門(かなと)の陰へ、こう寄って来い。 雨が立ち止んだら行こう。

8大臣が舞いながら参り来る

爾其大前小前宿禰。擧手打膝。儛訶那傳歌參來。其歌曰。

そこでその大前小前宿禰が、手を挙げ膝を打ち、舞い、かなでながら歌って参り来ました。その歌はこうです。

夾注 1

自訶下三字以音。

「訶」から下の三字は音で読みます。

9小鈴が落ちたと

美夜比登能。阿由比能古須受。淤知爾岐登。美夜比登登余牟。佐斗毘登母由米。

みやひとの あゆひのこすず おちにきと みやひととよむ さとびともゆめ

— 宮人の 足結(あゆひ)の小鈴が落ちたと 宮人たちが騒いでいる。 里人たちもどうか慎まれよ。

10太子が捕らえられる

此歌者。宮人振也。如此歌參歸。白之。我天皇之御子。於伊呂兄王無及兵。若及兵者。必人咲。僕捕以貢進。爾解兵退坐。故大前小前宿禰。捕其輕太子。率參出以貢進。其太子。被捕歌曰。

この歌は宮人振(みやひとぶり)です。

このように歌って参り寄り、申し上げました。「わが天皇の御子よ、同母の兄の王に兵を及ぼしてはなりません。もし兵を及ぼされれば、必ず人に笑われます。わたくしが捕らえてたてまつりましょう。」

そこで兵を解いて退いていらせられました。それで大前小前宿禰は、その軽太子を捕らえ、率いて参り出てたてまつりました。その太子は捕らえられて歌いました。

11波佐の山の鳩のように

阿麻陀牟。加流乃袁登賣。伊多那加婆。比登斯理奴倍志。波佐能夜麻能。波斗能。斯多那岐爾那久

あまだむ かるのをとめ いたなかば ひとしりぬべし はさのやまの はとの したなきになく

— 天飛ぶ軽(かる)の娘よ、 ひどく泣いたら人に知られてしまう。 波佐(はさ)の山の鳩のように 人知れず声を忍んで泣く。

12また歌う

又歌曰。

また歌いました。

13寄り添って寝て行きなさい

阿麻陀牟。加流袁登賣。志多多爾母。余理泥弖登富禮。加流袁登賣杼母。

あまだむ かるをとめ したたにも よりねてとほれ かるをとめども

— 天飛ぶ軽の娘よ、 人知れずしっかりと 寄り添って寝て行きなさい。 軽の娘よ。

14伊余の湯に流される

故其輕太子者。流於伊余湯也。亦將流之時。歌曰。

それでその軽太子は伊余の湯に流されました。流されようとするとき、また歌いました。

15鶴の声が聞こえたなら

阿麻登夫。登理母都加比曾。多豆賀泥能。岐許延牟登岐波。和賀那斗波佐泥。

あまとぶ とりもつかひぞ たづがねの きこえむときは わがなとはさね

— 天を飛ぶ鳥も使いである。 鶴(たづ)の声が聞こえるときは わたしの名を問うてくれ。

16この三つの歌は天田振である

此三歌者。天田振也。又歌曰。

この三つの歌は天田振(あまだぶり)です。また歌いました。

17わたしの畳をよく守れ

意富岐美袁。斯麻爾波夫良婆。布那阿麻理。伊賀幣理許牟叙。和賀多多彌由米。許登袁許曾。多多美登伊波米。和賀都麻波由米。

おほきみを しまにはぶらば ふなあまり いがへりこむぞ わがたたみゆめ ことをこそ たたみといはめ わがつまはゆめ

— 大君であるわたしを島に放っても 船のあまりに乗って帰って来るぞ、 わたしの畳をよく守れ。 言葉でこそ畳と言おうが わたしの妻よ、どうか身を慎め。

18衣通王が歌をたてまつる

此歌者。夷振之片下也。其衣通王。獻歌。其歌曰。

この歌は夷振の片下(かたおろし)です。

その衣通王が歌をたてまつりました。その歌はこうです。

19牡蠣の殻に足を踏まれるな

那都久佐能。阿比泥能波麻能。加岐加比爾。阿斯布麻須那。阿加斯弖杼富禮。

なつくさの あひねのはまの かきかひに あしふますな あかしてとほれ

— 夏草の茂る 阿比泥(あひね)の浜の牡蠣の殻に 足をお踏みになりませんように。 夜を明かしてお通りください。

20恋慕に堪えず

故後亦不堪戀慕而。追往時。歌曰。

その後また恋慕に堪えられず、追って行くとき歌いました。

21待ってばかりはいまい

岐美賀由岐。氣那賀久那理奴。夜麻多豆能。牟加閇袁由加牟。麻都爾波麻多士。

きみがゆき けながくなりぬ やまたづの むかへをゆかむ まつにはまたじ

— あなたが行かれてから日が長くなった。 山たづのように迎えに行こう。 待ってばかりはいまい。

夾注 1

此云山多豆者。是今造木者也。

ここで山たづと申したのは、今の造木(にわとこ)です。

22初瀬の山で相見える

故追到之時。待懷而歌曰。

それで追って到ったとき、太子は待ち迎えて懐に抱き、歌いました。

23思い妻よ、ああ

許母理久能。波都世能夜麻能。意富袁爾波。波多波理陀弖。佐袁袁爾波。波多波理陀弖。意富袁爾斯。那加佐陀賣流。淤母比豆麻阿波禮。都久由美能。許夜流許夜理母。阿豆佐由美。多弖理多弖理母。能知母登理美流。意母比豆麻阿波禮。

こもりくの はつせのやまの おほをには はたはりだて さををには はたはりだて おほをにし なかさだめる おもひづまあはれ つくゆみの こやるこやりも あづさゆみ たてりたてりも のちもとりみる おもひづまあはれ

— 隠り国(こもりく)の初瀬の山の 大峰には旗を張り立て 小峰にも旗を張り立てて、 大峰のように堅く 契りを定めた思い妻よ、ああ。 槻弓(つくゆみ)が臥すように臥していても、 梓弓が立つように立っていても、 後々まで取り見る 思い妻よ、ああ。

24また歌う

又歌曰。

また歌いました。

25鏡のようなわが思う妻

許母理久能。波都勢能賀波能。加美都勢爾。伊久比袁宇知。斯毛都勢爾。麻久比袁宇知。伊久比爾波。加賀美袁加氣。麻久比爾波。麻多麻袁加氣。麻多麻那須。阿賀母布伊毛。加賀美那須。阿賀母布都麻。阿理登伊波婆許曾爾。伊幣爾母由加米。久爾袁母斯怒波米。

こもりくの はつせのがはの かみつせに いくひをうち しもつせに まくひをうち いくひには かがみをかけ まくひには またまをかけ またまなす あがもふいも かがみなす あがもふつま ありといはばこそに いへにもゆかめ くにをもしのはめ

— 隠り国の初瀬の川の 上の瀬に斎杙(いくひ)を打ち 下の瀬に真杙(まくひ)を打って、 斎杙には鏡を掛け 真杙には真玉を掛けて — 真玉のようなわが思う妹、 鏡のようなわが思う妻が いると言うのであれば 家にも行こうが、 国をも偲ぼうが。

26共にみずから死ぬ

如此歌。即共自死。故此二歌者。讀歌也。

このように歌って、そのまま共にみずから死にました。それゆえ、この二つの歌は読歌(よみうた)です。