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雄略天皇

古事記(古い事柄の記録) 古事記 · 太安万侶 · 712年(和銅5年) · 段落 30 · 漢字 2,779字 · 朗読 11.1分

古事記(古い事柄の記録) 中下巻 日本で最も古い書物。天地が開けるところから始まり、神々の時代を経て推古天皇までの三巻。歌百五首が万葉仮名で記されており、漢字を意味ではなく音だけで用いた文章がまるごと残っている。日本書紀と同じ出来事を違えて記した箇所が多く、並べて読む値打ちが大きい。

1堅魚木を上げた家を焼け

大長谷若建命。坐。長谷朝倉宮。治天下也。天皇。娶大日下王之妹。若日下部王。又娶都夫良意富美之女。韓比賣生御子。白髮命。次妹若帶比賣命。故爲白髮太子之御名代。定白髮部。又定長谷部舍人。又定河瀬舍人也。此時。呉人參渡來。其呉人。安置於呉原。故號其地。謂呉原也。初大后。坐日下之時。自日下之直越道。幸行河内。爾登山上。望國内者。有上堅魚。作舍屋之家。天皇。令問其家云。其上堅魚作舍者。誰家。答白。志幾之大縣主家。爾天皇詔者。奴乎。己家。似天皇之御舍而造。即遣人。令燒其家之時。其大縣主懼畏。稽首白。奴有者。隨奴不覺而。過作。甚畏。故獻能美之御幣物。布縶白犬。著鈴而。己族名謂腰佩人。令取犬繩以獻上。故令止其著火。即幸行。其若日下部王之許。賜入其犬。令詔。是物者。今日得道之奇物。故都摩杼比之物云而賜入也。於是若日下部王。令奏天皇。背日幸行之事。甚恐。故己直參上而仕奉。是以。還上坐於宮之時。行立其山之坂上歌曰。

大長谷若建命は、長谷の朝倉宮(長谷朝倉宮)にいらせられて天下をお治めになりました。

天皇は、大日下王の妹の若日下部王を妻にお迎えになりました。また都夫良意富美の娘の韓比売(からひめ)を妻にお迎えになり、お生まれになった御子は白髪命(しらかのみこと)、次は妹の若帯比売命(わかたらしひめのみこと)です。

それで白髪太子の御名代として白髪部を定め、また長谷部舎人を定め、また河瀬舎人を定めました。

このとき、呉の人が渡って来ました。その呉の人を呉原に安置しました。それでその地を呉原と申します。

はじめ大后が日下にいらせられたとき、天皇は日下の直越の道(直越道)から河内においでになりました。山の上に登って国の内を望まれると、堅魚木(かつおぎ)を上げて作った舎屋の家がありました。天皇はその家をお問わせになりました。「あの堅魚木を上げて作った舎は、誰の家か。」「志幾の大県主の家でございます」と答え申し上げました。

そこで天皇はおっしゃいました。「奴が、自分の家を天皇の御舎に似せて造ったのか。」そのまま人を遣わしてその家を焼かせようとされたとき、その大県主は懼れ畏んで、稽首して申し上げました。「奴でございますので、奴らしく弁えず、過って造りました。はなはだ畏れ入ります。」

そして能美(のみ)の御幣物として、白い犬に布を縶(つな)ぎ、鈴を着けて、自分の族のうち腰佩(こしはき)という名の人に犬の縄を取らせて、たてまつりました。それで、その火を着けるのをお止めになりました。

そのまま、その若日下部王のもとにおいでになり、その犬を賜わり入れて、こう詔わせました。「この物は、今日、道で得た奇しい物である。それゆえ都摩杼比(つまどひ)の物である。」

そこで若日下部王は、天皇に奏させました。「日に背いておいでになったことが、はなはだ恐ろしく存じます。それゆえ、わたくし自身が参り上ってお仕えいたします。」

こうして宮へ還り上っておいでになるとき、その山の坂の上に行き立って歌われました。

夾注 4

无子。

子がありません。

二柱。

二柱です。

能美二字以音。

「能美」の二字は音で読みます。

此四字以音。

この四字は音で読みます。

2その思い妻よ、ああ

久佐加辨能。許知能夜麻登。多多美許母。幣具理能夜麻能。許知碁知能。夜麻能賀比爾。多知邪加由流。波毘呂久麻加斯。母登爾波。伊久美陀氣淤斐。須惠幣爾波。多斯美陀氣淤斐。伊久美陀氣。伊久美波泥受。多斯美陀氣。多斯爾波韋泥受。能知母久美泥牟。曾能淤母比豆麻。阿波禮。

くさかべの こちのやまと たたみこも へぐりのやまの こちごちの やまのかひに たちざかゆる はびろくまかし もとには いくみだけおひ すゑへには たしみだけおひ いくみだけ いくみはねず たしみだけ たしにはいねず のちもくみねむ そのおもひづま あはれ

— 日下部のこちらの山と 畳薦(たたみこも)のような平群(へぐり)の山、 こちらこちらの山の間に 立ち茂る葉の広い大櫟(くまかし)。 その本には茂み竹が生え その末には繁み竹が生えている。 茂み竹のように茂り合って寝ることもなく 繁み竹のようにぴたりと寄り寝ることもないが 後には組み合って寝よう、 その思い妻よ、ああ。

3八十年を待った赤猪子

即令持此歌而返使也。亦一時。天皇遊行。到於美和河之時。河邊。有洗衣童女。其容姿甚麗。天皇。問其童女。汝者誰子。答白。己名。謂引田部赤猪子。爾令詔者。汝不嫁夫。今將喚而。還坐於宮。故其赤猪子。仰待天皇之命。既經八十歲。於是赤猪子以爲。望命之間。已經多年。姿體痩萎。更無所恃。然非顯待情。不忍於悒而。令持百取之机代物。參出貢獻。然天皇。既忘。先所命之事。問其赤猪子曰。汝者誰老女。何由以參來。爾赤猪子答白。其年其月。被天皇之命。仰待大命。至于今日。經八十歲。今容姿既耆。更無所恃。然顯白己志以。參出耳。於是。天皇大驚曰吾既忘先事。然汝守志待命。徒過盛年。是甚愛悲。心裏欲婚。憚其極老。不得成婚而。賜御歌。其歌曰。

そのまま、この歌を持たせて使いを返されました。

またあるとき、天皇が遊行して美和河においでになったとき、河のほとりに衣を洗う童女がいて、その容姿がはなはだ麗しかったのです。天皇はその童女に「お前は誰の子か」とお問いになると、「わたくしの名は引田部の赤猪子(あかいこ)と申します」と答え申し上げました。そこでこう詔わせました。「お前は夫に嫁ぐな。今、呼び寄せよう。」そうして宮へ還っていらせられました。

それで、その赤猪子は天皇の命を仰ぎ待つうちに、すでに八十年が過ぎました。

そこで赤猪子は思いました。「命を望むあいだに、すでに多くの年が過ぎ、姿も体も痩せ萎えて、さらに恃むところがない。けれども待っていた情を顕さずには、悒えに堪えられない。」そうして百取(ももとり)の机代(つくえしろ)の物を持たせ、参り出てたてまつりました。

けれども天皇は、先に命じられた事をすでに忘れて、その赤猪子にお問いになりました。「お前はどこの老女か。何のために参り来たのか。」そこで赤猪子は答え申し上げました。「その年その月に天皇の命を被り、大命を仰ぎ待って今日に至るまで、八十年が過ぎました。今は容姿もすでに耆(お)いて、さらに恃むところがありません。けれども、自分の志を顕して申し上げようと、参り出ただけでございます。」

そこで天皇は大いに驚いておっしゃいました。「わたしは先の事をすでに忘れていた。それなのにお前は志を守って命を待ち、いたずらに盛りの年を過ごしてしまった。これはまことに愛しく悲しいことだ。」お心のうちでは婚いたいとお思いになりましたが、その極めて老いたことを憚って婚うことができず、御歌を賜わりました。その歌はこうです。

4ゆゆしき櫟の本

美母呂能。伊都加斯賀母登。賀斯賀母登。由由斯伎加母。加志波良袁登賣。

みもろの いつかしがもと かしがもと ゆゆしきかも かしはらをとめ

— 三諸の斎(いつ)き櫟の本、 櫟の本のように ゆゆしくて触れがたい身になったことよ、 櫟原(かしはら)の娘よ。

5また歌う

又歌曰。

また歌われました。

6若いうちに共に寝たであろうものを

比氣多能。和加久流須婆良。和加久閇爾。韋泥弖麻斯母能。淤伊爾祁流加母。

ひけたの わかくるすばら わかくへに いねてましもの おいにけるかも

— 引田の若い栗栖原(くるすばら)。 若いうちに共に寝たであろうものを、 老いてしまったことよ。

7赤猪子の答え歌

爾赤猪子之泣涙。悉濕。其所服之丹摺袖。答其大御歌而歌曰。 美母呂爾。都久夜多麻加岐。都岐阿麻斯。多爾加母余良牟。加微能美夜比登。

そこで赤猪子の泣く涙は、着ていた丹摺(にずり)の袖をことごとく濕らせました。その大御歌に答えて歌いました。

みもろに つくやたまかき つきあまし たにかもよらむ かみのみやひと

— 三諸に築く玉垣を 築き余して 誰に寄ろうか、 神の宮人は。

8また歌う

又歌曰。

また歌いました。

9花咲く蓮のように

久佐迦延能。伊理延能波知須。波那婆知須。微能佐加理毘登。登母志岐呂加母。

くさかえの いりえのはちす はなばちす みのさかりびと ともしきろかも

— 日下江(くさかえ)の入江の蓮、 花咲く蓮のように 身の盛りの人が羨ましいことよ。

10この四つの歌は志都歌である

爾多祿給其老女以。返遣也。故此四歌。志都歌也。

そこでその老女に多くの禄を給わって、返し遣わされました。この四つの歌は志都歌です。

11吉野の舞う娘

天皇。幸行吉野宮之時。吉野川之濱。有童女。其形姿美麗。故婚是童女而。還坐於宮。後更亦幸行吉野之時。留其童女之所遇。於其處立大御呉床而。坐其御呉床。彈御琴。令爲儛其孃子。爾因其孃子之好儛。作御歌。其歌曰。

天皇が吉野宮においでになったとき、吉野川の浜に童女がいて、その形姿が美麗でした。この童女と婚われて、宮へ還っていらせられました。

その後、またあらためて吉野においでになったとき、その童女に遇った所に留まられ、そこに大御呉床(おおみあぐら)を立てて、その御呉床に座り、御琴を弾いて、その娘に舞わせられました。そこで、その娘の舞が好かったので、御歌をお作りになりました。その歌はこうです。

12常世にあれかし

阿具良韋能。加微能美弖母知。比久許登爾。麻比須流袁美那。登許余爾母加母。

あぐらゐの かみのみてもち ひくことに まひするをみな とこよにもかも

— 呉床(あぐら)にいます神がみずから手に取って 弾く琴に合わせて 舞う女よ、 常世(とこよ)にあれかし。

13虻を食った蜻蛉

即幸阿岐豆野而。御猟之時。天皇。坐御呉床。爾虻咋御腕。即蜻蛉來。咋其虻而飛。於是作御歌。其歌曰。

そのまま阿岐豆野においでになり、御猟をなさるとき、天皇は御呉床に座っていらせられました。そのとき虻が御腕を咋みましたが、すぐに蜻蛉が来て、その虻を咋んで飛んで行きました。そこで御歌をお作りになりました。その歌はこうです。

夾注 1

訓蜻蛉云阿岐豆。

「蜻蛉」は「あきづ」と読みます。

14蜻蛉島 — あきづしま

美延斯怒能。袁牟漏賀多氣爾。志斯布須登。多禮曾。意富麻幣爾麻袁須。夜須美斯志。和賀淤富岐美能。斯志麻都登。阿具良爾伊麻志。斯漏多閇能。蘇弖岐蘇那布。多古牟良爾。阿牟加岐都岐。曾能阿牟袁。阿岐豆波夜具比。加久能碁登。那爾於波牟登。蘇良美都。夜麻登能久爾袁。阿岐豆志麻登布。

みえしのの をむろがたけに ししふすと たれぞ おほまへにまをす やすみしし わがおほきみの ししまつと あぐらにいまし しろたへの そできそなふ たこむらに あむかきつき そのあむを あきづはやぐひ かくのごと なにおはむと そらみつ やまとのくにを あきづしまとふ

— 美しい吉野の小室が岳に 猪が伏していると 誰が大前に申し上げたのか。 安らかに治められるわが大君が 猪を待とうと呉床にいらせられ、 白妙(しろたへ)の袖を着そなえた 手腓(たこむら)に虻が食いつき、 その虻を蜻蛉がすばやく食った。 このように名を負えと、 空に満ちる倭の国を 蜻蛉島(あきづしま)と呼ぶのだ。

15阿岐豆野と呼ぶ

故自其時。號其野。謂阿岐豆野也。

それでそのときから、その野を阿岐豆野と申します。

16怒った猪を避けて木に登る

又一時天皇。登幸葛城之山上。爾大猪出。即天皇。以鳴鏑。射其猪之時。其猪怒而。宇多岐依來。故天皇。畏其宇多岐。登坐榛上。爾歌曰。

またあるとき、天皇が葛城の山の上に登っておいでになりました。そのとき大きな猪が出ました。天皇が鳴鏑(なりかぶら)でその猪を射られたとき、その猪は怒って、うたき――唸りながら寄って来ました。それで天皇はそのうたきを畏れて、榛(はり)の上に登っていらせられました。そのとき歌われました。

夾注 1

宇多岐三字以音。

「宇多岐」の三字は音で読みます。

17在丘の榛の木の枝よ

夜須美斯志。和賀意富岐美能。阿蘇婆志斯。志斯能夜美斯志能。宇多岐加斯古美。和賀爾宜能煩理斯。阿理袁能。波理能紀能延陀。

やすみしし わがおほきみの あそばしし ししのやみししの うたきかしこみ わがにげのぼりし ありをの はりのきのえだ

— 安らかに治められるわが大君が 射て獲ろうとなさった猪、 その怒った猪のうたきが恐ろしくて わたしが逃げ登った 在丘(ありを)の榛(はり)の木の枝よ。

18葛城の一言主大神

又一時。天皇。登幸葛城山之時。百官人等。悉給著紅紐之青摺衣服。彼時。有其自所向之山尾。登山上人。既等天皇之鹵簿。亦其裝束之状。及人衆。相似不傾。爾天皇。望令問曰。於茲倭國。除吾亦無王。今誰人如此而行。即答曰之状亦。如天皇之命。於是天皇。大忿而矢刺。百官人等。悉矢刺爾。其人等亦皆矢刺。故天皇。亦問曰。然告其名。爾各告名而彈矢。於是答曰。吾先見問。故吾先爲名告。吾者。雖惡事而一言。雖善事而一言。言離之神。葛城之一言主大神者也。天皇。於是惶畏而白。恐我大神。有宇都志意美者。不覺白而。大御刀。及弓矢始而。脱百官人等。所服衣服以。拜獻。爾其一言主大神。手打受其捧物。故天皇之還幸時。其大神。深山末。於長谷山口送奉。故是一言主之大神者。彼時所顯也。

またあるとき、天皇が葛城山に登っておいでになりました。百官の人たちに、みな紅の紐のついた青摺りの衣服を給わって着せられました。

そのとき、向かいの山の尾から山の上へ登る人たちがいて、天皇の鹵簿(ろぼ)とまったく等しく、またその装束のさまも人の数も、互いに似て違いがありませんでした。

そこで天皇は望み見て問わせられました。「この倭国に、わたしを除いてほかに王はいない。今、誰人がこのようにして行くのか。」ところが、答えて言うさまもまた、天皇の命と同じでした。

そこで天皇は大いに忿って矢をつがえ、百官の人たちもみな矢をつがえると、その人たちもみな矢をつがえました。

天皇はまた問われました。「それならば、その名を告げよ。それぞれ名を告げてから矢を放とう。」

そこで答えました。「わたしが先に問われたのだから、わたしが先に名を告げよう。わたしは、悪い事も一言、善い事も一言で言い離つ神 — 葛城の一言主大神である。」

天皇はそこで惶れ畏んで申されました。「恐れ多いことでございます、わが大神よ。うつし臣(現し身)がいらせられるとは存じませんでした。」そうして大御刀と弓矢をはじめ、百官の人たちが着ている衣服まで脱がせて、拝んでたてまつりました。

その一言主大神は、手を打ってその捧げ物を受けました。天皇が還っておいでになるとき、その大神は深い山の末から長谷の山口まで送りたてまつりました。

この一言主の大神は、そのとき顕れたのです。

夾注 2

自宇下五字以音。

「宇」から下の五字は音で読みます。

深山末

底本は深山末です。満山末と記す版本があり、「山の末を満たして」とも読まれてきましたが、底本に従って訳しました。― 訳者

19丘に隠れた袁杼比売

又天皇。婚丸邇之佐都紀臣之女。袁杼比賣。幸行于春日之時。媛女逢道。即見幸行而。逃隱岡邊。故作御歌。其歌曰。

また天皇が、丸邇の佐都紀臣の娘の袁杼比売(おどひめ)と婚おうとして春日においでになったとき、その媛女が道で行き会い、御幸を見て丘のほとりに逃げ隠れました。そこで御歌をお作りになりました。その歌はこうです。

20金鋤が五百本でもあったなら

袁登賣能。伊加久流袁加袁。加那須岐母。伊本知母賀母。須岐波奴流母能。

をとめの いかくるをかを かなすきも いほちもがも すきばぬるもの

— 娘が隠れた丘を 金鋤(かなすき)が五百本でもあったなら 掘り崩してしまうものを。

21大御盞に浮かんだ槻の葉

故號其岡。謂金鉏岡也。又天皇。坐長谷之百枝槻下。爲豐樂之時。伊勢國之三重婇。指擧大御盞以獻。爾其百枝槻葉落浮於大御盞。其婇不知落葉浮於盞。猶獻大御酒。天皇。看行。其浮盞之葉。打伏其婇。以刀刺充其頸。將斬之時。其婇白天皇。曰莫殺吾身。有應白事。即歌曰。

それでその丘を金鉏岡(かなすきのおか)と申します。

また天皇が、長谷の百枝槻(ももえつき)の下にいらせられて豊楽を催されたとき、伊勢国の三重の婇(うねめ)が大御盞(おおみうき)を指し挙げてたてまつりました。ところが、その百枝槻の葉が落ちて大御盞に浮かびました。その婇は落ちた葉が盞に浮かんでいるのを知らず、そのまま大御酒をたてまつりました。

天皇は、その盞に浮かぶ葉をご覧になり、その婇を打ち伏せ、刀をその頸に刺し充てて斬ろうとされました。そのとき、その婇は天皇に申し上げました。「わたくしの身を殺さないでください。申し上げるべき事がございます。」そして歌いました。

22日代の宮の天語歌

麻岐牟久能。比志呂乃美夜波。阿佐比能。比傳流美夜。由布比能。比賀氣流美夜。多氣能泥能。泥陀流美夜。許能泥能。泥婆布美夜。夜本爾余志。伊岐豆岐能美夜。麻紀佐久。比能美加度。爾比那閇夜爾。淤斐陀弖流。毛毛陀流。都紀賀延波。本都延波。阿米袁淤幣理。那加都延波。阿豆麻袁淤幣理。志豆延波。比那袁於幣理。本都延能。延能宇良婆波。那加都延爾淤知布良婆閇。那加都延能。延能宇良婆波。斯毛都延爾。淤知布良婆閇。斯豆延能。延能宇良婆波。阿理岐奴能。美幣能古賀。佐佐賀世流。美豆多麻宇岐爾。宇岐志阿夫良。淤知那豆佐比。美那許袁呂許袁呂爾。許斯母。阿夜爾加志古志。多加比加流。比能美古。許登能。加多理碁登母。許袁婆。

まきむくの ひしろのみやは あさひの ひでるみや ゆふひの ひがけるみや たけのねの ねだるみや このねの ねばふみや やほによし いきづきのみや まきさく ひのみかど にひなへやに おひだてる ももだる つきがえは ほつえは あめをおへり なかつえは あづまをおへり しづえは ひなをおへり ほつえの えのうらばは なかつえに おちふらばへ なかつえの えのうらばは しもつえに おちふらばへ しづえの えのうらばは ありきぬの みへのこが ささがせる みづたまうきに うきしあぶら おちなづさひ みなこをろこをろに こしも あやにかしこし たかひかる ひのみこ ことの かたりごとも こをば

— 巻向(まきむく)の日代(ひしろ)の宮は 朝日が照る宮、 夕日が輝く宮、 竹の根の根垂る宮、 木の根の根延ふ宮、 搗き固めた土の堅い宮。 真木を割いて造った日の御門、 新嘗(にひなへ)の屋のかたわらに生い立つ 枝の茂る槻(つき)の木 — 上の枝は天を覆い 中の枝は東を覆い 下の枝は田舎を覆っている。 上の枝の枝先の葉は 中の枝に落ちて触れ、 中の枝の枝先の葉は 下の枝に落ちて触れ、 下の枝の枝先の葉は 麗しい衣を着た三重の子が 捧げ持った玉の盞(うき)に 油のように落ちて漂い、 水がこをろこをろと凝り回るので、 これこそまことに畏れ多いことだ。 高く光る日の御子。 これが語り伝える言葉でございます。

23罪を赦す

故獻此歌者。赦其罪也。爾大后歌。其歌曰。

この歌をたてまつったので、その罪を赦されました。そこで大后が歌われました。その歌はこうです。

24大后の歌

夜麻登能。許能多氣知爾。古陀加流。伊知能都加佐。爾比那閇夜爾。淤斐陀弖流。波毘呂。由都麻都婆岐。曾賀波能。比呂理伊麻志。曾能波那能。弖理伊麻須。多加比加流。比能美古爾。登余美岐。多弖麻都良勢。許登能。加多理碁登母。許袁婆。

やまとの このたけちに こだかる いちのつかさ にひなへやに おひだてる はびろ ゆつまつばき そがはの ひろりいまし そのはなの てりいます たかひかる ひのみこに とよみき たてまつらせ ことの かたりごとも こをば

— 倭のこの高市(たけち)に 小高い市(いち)の丘、 新嘗の屋のかたわらに生い立つ 葉の広い神聖な椿。 その葉のように広くいらせられ その花のように照り輝かれる 高く光る日の御子に 豊かな御酒をたてまつりなさい。 これが語り伝える言葉でございます。

25天皇が歌う

即天皇歌曰。

そのまま天皇が歌われました。

26庭雀のようにうずくまり

毛毛志記能。淤富美夜比登波。宇豆良登理。比禮登理加氣弖。麻那婆志良。袁由岐阿閇。爾波須受米。宇受須麻理韋弖。祁布母加母。佐加美豆久良斯。多加比加流。比能美夜比登。許登能。加多理碁登母。許袁婆。

ももしきの おほみやひとは うづらとり ひれとりかけて まなばしら をゆきあへ にはすずめ うずすまりゐて けふもかも さかみづくらし たかひかる ひのみやひと ことの かたりごとも こをば

— 百敷(ももしき)の大宮人は 鶉鳥のように領布(ひれ)を取り掛けて 鶺鴒(まなばしら)のように尾を合わせ 庭雀のようにうずくまり集まって 今日もまた酒に漬かっているらしい。 高く光る日の宮人よ。 これが語り伝える言葉でございます。

27ほだりを堅く取れ

此三歌者。天語歌也。故於此豐樂。譽其三重婇而。給多祿也。是豐樂之日。亦春日之袁杼比賣。獻大御酒之時。天皇歌曰。 美那曾曾久。淤美能袁登賣。本陀理登良須母。本陀理斗理。加多久斗良勢。斯多賀多久。夜賀多久斗良勢。本陀理斗良須古。

この三つの歌は天語歌(あまがたりうた)です。それでこの豊楽において、その三重の婇を譽めて、多くの禄を給わりました。

この豊楽の日に、また春日の袁杼比売が大御酒をたてまつるとき、天皇が歌われました。

みなそそく おみのをとめ ほだりとらすも ほだりとり かたくとらせ したがたく やがたくとらせ ほだりとらすこ

— 水を注ぐ臣(おみ)の娘、 ほだり(酒器)を取っていることよ。 ほだりを取るなら、堅く取りなさい。 下も堅く、しっかり堅く取りなさい。 ほだりを取る子よ。

28これは宇岐歌である

此者。宇岐歌也。爾袁杼比賣獻歌。其歌曰。

これは宇岐歌(うきうた)です。そこで袁杼比売が歌をたてまつりました。その歌はこうです。

29脇机の下の板にでも

夜須美斯志。和賀淤富岐美能。阿佐斗爾波。伊余理陀多志。由布斗爾波。伊余理陀多須。和岐豆岐賀斯多能。伊多爾母賀。阿世袁。

やすみしし わがおほきみの あさとには いよりだたし ゆふとには いよりだたす わきづきがしたの いたにもが あせを

— 安らかに治められるわが大君が 朝の戸には寄り立たれ 夕の戸には寄り立たれる 脇机(わきづき)の下の 板にでもなりたい、ああ。

30御年と御陵

此者志都歌也。天皇。御年。壹佰貳拾肆歲。御御陵在河内之多治比高鸇也。

これは志都歌です。

天皇は御年百二十四歳でいらせられました。御陵は河内の多治比の高鸇(多治比高鸇)にあります。