いにしえの文 › 論衡(虚と実を秤にかける書)

道虛篇

論衡(虚と実を秤にかける書) 論衡 · 王充 · 80年頃 · 段落 37 · 漢字 5,354字 · 朗読 21.4分

論衡(虚と実を秤にかける書) 後漢の人・王充が自ら明かしたこの書の意は四字である — 「疾虚妄」、虚しく妄りなものを憎む。天が人の事に応えて災いを下すとか、死ねば鬼神になって仇を返すとか、日を選ばなければ障りがあるとかいう、その時代の言い分を一つ一つ捕らえて論じる。 論じる肌合いが人とは違う。年長者の言葉だからといってそのままにしない — 孔子に問い(問孔)、孟子を刺し(刺孟)、韓非を否とする(非韓)。天が咎めて災いを下すという言い分には、それならば天はなぜ君主一人のために国中に旱を下すのかと問い返す。 「虚」の字が付いた九篇(書虚・変虚・異虚・感虚・福虚・禍虚・龍虚・雷虚・道虚)が一列に並び、古い書に記された不思議な話を順に捕らえる。「増」の字が付いた三篇(語増・儒増・芸増)は、言葉がどのように膨らんでいくのかを扱う。 吉験篇には、夫余の東明が弓をよく射たので王が殺そうとし、南へ逃れて掩淲水に至ったという話がある。今に残る東明の記録のうち最も早い形である。

儒書言:黃帝采首山銅,鑄鼎於荊山下。鼎既成,有龍垂胡髯下迎黃帝,黃帝上騎龍,群臣後宮從上七十餘人,龍乃上去。余小臣不得上,乃悉持龍髯。龍髯拔,墮黃帝之弓,百姓仰望黃帝既上天,乃抱其弓與龍胡髯吁號。故後世因其處曰鼎湖,其弓曰烏號。《太史公記》誄五帝亦云:黃帝封禪已,仙云。群臣朝其衣冠,因葬埋之。

儒の書に言う。黄帝が首山の銅を采り、荊山の下で鼎を鋳た。鼎が成ると、龍が胡や髯を垂れて下り、黄帝を迎えた。黄帝は上って龍に騎り、群臣や後宮で従って上った者が七十余人、龍はそこで上り去った。残った小さい臣たちは上れなかったので、みな龍の髯を持った。龍の髯が拔け、黄帝の弓が墮ちた。百姓は黄帝がすでに天に上ったのを仰ぎ望んで、その弓と龍の胡や髯を抱いて吁き号んだ。だから後の世にその処を鼎湖と言い、その弓を烏号と言った、と。「太史公記」が五帝を誄したところにもまた言う。黄帝は封禪を已えて仙となった。群臣はその衣や冠を朝し、それで葬り埋めた、と。

曰:此虛言也。實黃帝者何等也?號乎,謚也?如謚,臣子所誄列也。誄生時所行為之謚。黃帝好道,遂以升天,臣子誄之,宜以仙升,不當以「黃」謚。謚法曰:「靜民則法曰黃。」

答える。これは虚しい言である。実に黄帝とは何であるのか。号であるか、謚であるか。もし謚なら、臣子が誄し列べたものである。生きていた時に行ったところを誄して謚とする。黄帝が道を好んで、ついに天に升ったのなら、臣子が誄するとき、まさに仙として升ったとすべきで、「黄」を謚とすべきではない。謚法に言う。「民を静め法とするを黄と言う。」

黃者,安民之謚,非得道之稱也。百王之謚,文則曰文,武則曰武。文武不失實,所以勸操行也。如黃帝之時質,未有謚乎,名之為黃帝,何世之人也?使黃帝之臣子知君,使後世之人跡其行。黃帝之世,號謚有無,雖疑未定,「黃」非升仙之稱,明矣。

黄とは民を安んじた謚であって、道を得た称ではない。百王の謚は、文なら文と言い、武なら武と言う。文や武が実を失わないのが、操行を勧めるところである。もし黄帝の時が質朴でまだ謚がなかったのなら、これを黄帝と名づけたのは、どの世の人なのか。黄帝の臣子に君を知らせ、後世の人にその行いを跡づけさせたのである。黄帝の世に号や謚があったかなかったかは、疑わしくて定められないが、「黄」が升仙の称でないことは明らかである。

龍不升天,黃帝騎之,乃明黃帝不升天也。龍起雲雨,因乘而行;雲散雨止,降復入淵。如實黃帝騎龍,隨溺於淵也。案黃帝葬於橋山,猶曰群臣葬其衣冠。審騎龍而升天,衣不離形;如封禪已仙去。衣冠亦不宜遺。黃帝實仙不死而升天,臣子百姓所親見也。見其升天,知其不死必也。葬不死之衣冠,與實死者無以異,非臣子實事之心,別生於死之意也。

龍が天に升らないのだから、黄帝がこれに騎ったというなら、黄帝が天に升らなかったことが明らかである。龍は雲や雨を起こせば、それに乗って行き、雲が散り雨が止めば、降って改めて淵に入る。もし実に黄帝が龍に騎ったのなら、随って淵に溺れたであろう。案ずるに、黄帝は橋山に葬られたのに、それでも群臣がその衣や冠を葬ったと言う。審らかに龍に騎って天に升ったのなら、衣は形を離れない。もし封禪を已えて仙として去ったのなら、衣や冠もまた遺すべきではない。黄帝が実に仙となって死なず天に升ったのなら、臣子や百姓が親しく見たところである。その天に升るのを見たのなら、その死なないことを必ず知る。死なない者の衣や冠を葬るのは、実に死んだ者と異なるところがなく、臣子が実の事に即す心、生を死から別つ意ではない。

載太山之上者七十有二君,皆勞情苦思,憂念王事,然後功成事立,致治太平。太平則天下和安,乃升太山而封禪焉。夫修道求仙,與憂職勤事不同。心思道則忘事,憂事則害性。世稱堯若腊,舜若,心愁憂苦,形體贏㮡。使黃帝致太平乎,則其形體宜如堯、舜。堯、舜不得道,黃帝升天,非其實也。使黃帝廢事修道,則心意調和,形體肥勁,是與堯、舜異也,異則功不同矣。功不同,天下未太平而升封,又非實也。五帝、三王皆有聖德之優者,黃帝(不)〔亦〕在上焉。如聖人皆仙,仙者非獨黃帝;如聖人不仙,黃帝何為獨仙?世見黃帝好方術,方術仙者之業,則謂帝仙矣。又見鼎湖之名,則言黃帝采首山銅鑄鼎,而龍垂胡髯迎黃帝矣。是與說會稽之山無以異也。夫山名曰會稽,即云夏禹巡狩,會計於此山上,故曰「會稽」。夫禹至會稽治水不巡狩,猶黃帝好方伎不升天也。無會計之事,猶無鑄鼎龍垂胡髯之實也。里名勝母,可謂實有子勝其母乎?邑名朝歌,可謂民朝起者歌乎?

太山の上に載った者は七十二君であり、みな情を労し思いを苦しめ、王の事を憂え念じた後に、功が成り事が立って、太平の治めを致した。太平であれば天下が和らぎ安らかになるので、そこで太山に升って封禪したのである。そもそも道を修めて仙を求めることは、職を憂え事に勤めることと同じではない。心が道を思えば事を忘れ、事を憂えば性を害する。世は堯は腊のようで舜は臘のようであったと称する。心が愁え憂え苦しんで、形や体が羸れ瘠せたのである。もし黄帝が太平を致したのなら、その形や体はまさに堯や舜のようであるべきである。堯や舜は道を得ず、黄帝は天に升ったというなら、その実ではない。もし黄帝が事を廃して道を修めたのなら、心や意が調い和し、形や体が肥え勁い。これは堯や舜と異なり、異なれば功が同じでない。功が同じでなければ、天下がまだ太平でないのに升って封じたことになり、また実ではない。五帝や三王はみな聖なる徳が優れた者であり、黄帝もまたその上にある。もし聖人がみな仙となるのなら、仙となるのは黄帝だけではない。もし聖人が仙とならないのなら、黄帝はどうしてひとり仙となるのか。世は黄帝が方術を好んだのを見、方術は仙者の業だから、帝が仙となったと言うのである。また鼎湖の名を見て、黄帝が首山の銅を采って鼎を鋳たので、龍が胡や髯を垂れて黄帝を迎えたと言う。これは會稽の山を説くのと異なるところがない。そもそも山の名が會稽と言うので、夏の禹が巡狩してこの山の上で会計したから「會稽」と言うと言うのである。そもそも禹が會稽に至ったのは水を治めたのであって巡狩したのではない。黄帝が方や伎を好んだが天に升らなかったのと同じである。会計の事がなかったのは、鼎を鋳て龍が胡や髯を垂れた実がないのと同じである。里の名が勝母だからといって、実に子がその母に勝つことがあると言えるか。邑の名が朝歌だからといって、民が朝に起きれば歌うと言えるか。

儒書言:淮南王學道,招會天下有道之人,傾一國之尊,下道術之士。是以道術之士,并會淮南,奇方異術,莫不爭出。王遂得道,舉家升天,畜產皆仙,犬吠於天上,雞鳴於雲中。此言仙葯有餘,犬雞食之,并隨王而升天也。好道學仙之人,皆謂之然。此虛言也。

儒の書に言う。淮南王が道を学び、天下の道ある人を招き会わせ、一国の尊さを傾けて道術の士に下った。このため道術の士が並んで淮南に会し、奇しい方、異なる術が、争って出ないものはなかった。王はついに道を得て、家を挙げて天に升り、畜や産もみな仙となって、犬は天の上で吠え、雞は雲の中で鳴いた、と。これは仙の薬に余りがあって、犬や雞がこれを食べ、並んで王に随って天に升ったという話である。道を好み仙を学ぶ人は、みなそうだと言う。これは虚しい言である。

夫人,物也,雖貴為王侯,性不異於物。物無不死,人安能仙?鳥有毛羽,能飛不能升天。人無毛羽,何用飛升?使有毛羽,不過與鳥同;況其無有,升天如何?案能飛升之物,生有毛羽之兆;能馳走之物,生有蹄足之形。馳走不能飛升,飛升不能馳走。稟性受氣,形體殊別也。今人稟馳走之性,故生無毛羽之兆,長大至老,終無奇怪。好道學仙,中生毛羽,終以飛升。使物性可變,金木水火,可革更也。蝦蟆化為鶉,雀入水為蜃蛤,稟自然之性,非學道所能為也。好道之人,恐其或若等之類,故謂人能生毛羽,毛羽備具,能升天也。且夫物之生長,無卒成暴起,皆有浸漸。為道學仙之人,能先生數寸之毛羽,從地自奮,升樓台之陛,乃可謂升天。今無小升之兆,卒有大飛之驗,何方術之學成無浸漸也?

そもそも人は物である。たとえ貴くて王侯であっても、性は物と異ならない。物に死なないものはないのに、人がどうして仙となれようか。鳥に毛や羽があって飛べるが、天に升ることはできない。人には毛や羽がない。何によって飛び升るのか。もし毛や羽があったとしても、鳥と同じ程度を過ぎない。まして、それがないのだから、天に升るのはどうしてか。案ずるに、飛び升れる物は、生まれながら毛や羽の兆がある。馳せ走れる物は、生まれながら蹄や足の形がある。馳せ走るものは飛び升れず、飛び升るものは馳せ走れない。性を稟け気を受けるのに、形や体が殊に別れているのである。今、人は馳せ走る性を稟けたから、生まれながら毛や羽の兆がなく、長大して老いに至るまで、ついに奇しく怪しいことがない。道を好み仙を学んで、中ごろ毛や羽が生じ、ついに飛び升るというのである。もし物の性を変えられるのなら、金・木・水・火も革め更えられるであろう。蝦蟆が化して鶉となり、雀が水に入って蜃や蛤となるのは、自然の性を稟けたのであって、道を学んで為せることではない。道を好む人は、それがあるいはこういう類のようなものかと恐れて、人に毛や羽が生じることができ、毛や羽が備わり具われば、天に升れると言うのである。その上、そもそも物の生じ長ずるのに、卒かに成り暴かに起こるものはなく、みな浸り漸むところがある。道を為し仙を学ぶ人が、まず数寸の毛や羽を生じ、地から自ら奮って楼台の陛に升れるのなら、天に升ると言ってもよい。今、小さく升る兆もないのに、卒かに大きく飛ぶ験があるというなら、どうして方術の学の成るのに浸り漸むところがないのか。

毛羽大效,難以觀實。且以人髯髪物色少老驗之。

毛や羽の大きな效は、実を観るのが難しい。まずは人の髯や髪、物の色で少いか老いかを験してみよう。

物生也色青,其熟也色黃。人之少也髪黑,其老也髪白。黃為物熟驗,白為人老效。物黃,人雖灌溉壅養,終不能青;髪白,雖吞葯養性,終不能黑。黑青不可復還,老衰安可復卻?黃之與白,猶肉腥炙之,魚鮮煮之熟也。不可復令腥,熟不可復令鮮。鮮腥猶少壯,熟猶衰老也。天養物,能使物暢至秋,不得延之至春。吞葯養性,能令人無病,不能壽之為仙。為仙體輕氣強,猶未能升天,令見輕強之驗,亦無毛羽之效,何用升天?天之與地,皆體也。地無下,則天無上矣。天無上升之路,何如穿天之體?人力不能入。如天之門在西北,升天之人,宜從昆侖上。淮南之國,在地東南。如審升天,宜舉家先從昆侖,乃得其階。如鼓翼邪飛,趨西北之隅,是則淮南王有羽翼也。今不言其從之昆侖,亦不言其身生羽翼,空言升天,竟虛非實也。

物が生じるときは色が青く、それが熟すときは色が黄い。人が少いときは髪が黒く、それが老いるときは髪が白い。黄いのは物が熟した験であり、白いのは人が老いた效である。物が黄くなれば、人が灌ぎ溉ぎ壅み養っても、ついに青くできない。髪が白くなれば、薬を吞み性を養っても、ついに黒くできない。黒さや青さを再び還せないのに、老い衰えをどうして再び卻けられようか。黄いのと白いのは、肉が腥いのを炙り、魚が鮮しいのを煮て熟したのと同じである。熟したものを再び腥くはできず、熟したものを再び鮮しくはできない。鮮しく腥いのは少く壮んなのと同じで、熟したのは衰え老いたのと同じである。天が物を養うのに、物を暢びやかに秋まで至らせることはできるが、これを延べて春まで至らせることはできない。薬を吞み性を養えば、人に病がないようにはできるが、これを寿くして仙とすることはできない。仙となれば体が軽く気が強いが、それでもなお天に升ることはできない。軽く強い験を見せたとしても、やはり毛や羽の效がない。何によって天に升るのか。天と地はどちらも体である。地に下がなければ、天に上がない。天に升る路がないのだから、天の体を穿つのはどうであろうか。人の力では入れない。もし天の門が西北にあるのなら、天に升る人は、まさに昆侖から上るべきである。淮南の国は地の東南にある。もし審らかに天に升ったのなら、まさに家を挙げてまず昆侖から行って、その階を得るべきである。もし翼を鼓って邪めに飛び、西北の隅に趨ったのなら、それは淮南王に羽や翼があったことになる。今、それが昆侖に従ったとも言わず、またその身に羽や翼が生じたとも言わず、空しく天に升ったと言う。結局虚しくて実ではない。

案淮南王劉安,孝武皇帝之時也。父長,以罪遷蜀嚴道,至雍道死。安嗣為王,恨父徙死,懷反逆之心,招會術人,欲為大事。伍被之屬充滿殿堂,作道術之書,發怪奇之文,合景亂首。八公之(傳)〔儔〕欲示神奇若得道之狀,道終不成,效驗不立,乃與伍被謀為反事,事覺自殺,或言誅死。誅死、自殺,同一實也。世見其書深冥奇怪,又觀八公之(傳)〔儔〕似若有效,則傳稱淮南王仙而升天,失其實也。

案ずるに、淮南王の劉安は、孝武皇帝の時の人である。父の長が罪で蜀の嚴道に遷され、雍に至って道で死んだ。安が嗣いで王となったが、父が徙されて死んだのを恨んで、反逆の心を懐き、術人を招き会わせて、大きな事を為そうとした。伍被の属が殿堂に充ち満ちて、道術の書を作り、怪しく奇しい文を発して、景を合わせ首を乱した。八公の儔は神しく奇しいことが道を得た状のようだと示そうとしたが、道はついに成らず、効験が立たなかったので、そこで伍被と反く事を謀り、事が覚れて自ら殺した。あるいは誅され死んだとも言う。誅され死ぬことと自ら殺すことは、同じ一つの実である。世はその書が深く冥く奇しく怪しいのを見、また八公の儔が效があるかのように見えるのを観て、それで淮南王が仙となって天に升ったと伝え称する。その実を失っているのである。

儒書言:盧敖游乎北海,經乎太陰,入乎玄關,至於蒙谷之上,見一士焉:深目玄准,雁頸而(戴)〔鳶〕肩,浮上而殺下,軒軒然方迎風而舞。顧見盧敖,樊然下其臂,遁逃乎碑下。敖乃視之,方卷然龜背而食合梨。盧敖仍與之語曰:「吾子唯以敖為倍俗,去群離黨,窮觀於六合之外者,非敖而己。敖幼而游,至長不(倫)〔偷〕解,周行四極,唯北陰之未窺。今卒睹夫子於是,殆可與敖為友乎?」若士者悖然而笑曰:「嘻!子中州之民也,不宜遠至此。此猶〔乎〕光日月而戴列星,四時之所行,陰陽之所生也。此其比夫不名之地,猶突兀也。若我南游乎罔浪之野,北息乎沉之鄉,西窮乎杳冥之党,而東貫須之先。此其下無地,上無天,聽焉無聞,而視焉則營;此其外猶有狀,有狀之餘,壹舉而能千萬里,吾猶未能之在。今子游始至於此,乃語窮觀,豈不亦遠哉!然子處矣。吾與汗漫期於九垓之上,吾不可久。」若士者舉臂而縱身,逐入雲中。盧敖目仰而視之,不見乃止,喜心不怠,悵若有喪,曰:「吾比夫子也,猶黃鵠之與壤蟲也,終日行而不離咫尺,而自以為遠,豈不悲哉!」

儒の書に言う。盧敖が北海に游び、太陰を経て、玄関に入り、蒙谷の上に至って、一人の士を見た。目が深く准が玄く、雁の頸に鳶の肩、上は浮いて下は殺げ、軒軒としてまさに風を迎えて舞っていた。顧みて盧敖を見ると、樊然としてその臂を下げ、碑の下に遁げ逃げた。敖がそこで視ると、まさに卷然と龜の背のようにして蛤や蜊を食べていた。盧敖はそこでこれと語って言った。「あなたはただ敖を俗に倍き、群を去り党を離れて、六合の外まで窮め観た者と思うでしょう。そういう者は敖以外にない。敖は幼くして游び、長ずるに至るまで偷み解らず、四極を周く行ったが、ただ北の陰だけはまだ窺えなかった。今、卒かにあなたをここで睹た。おそらく敖と友となれるのではないか。」その士は悖然と笑って言った。「ははあ。あなたは中州の民だ。遠くここまで至るのは宜しくない。ここもなお日月が光り列星を戴き、四時が行くところ、陰陽が生ずるところだ。ここをあの名もない地に比べれば、なお突き兀っているようなものだ。わたしは南は罔浪の野に游び、北は沉墨の鄉に息み、西は杳く冥い党を窮め、東は鴻濛の先を貫いた。そこは下に地がなく、上に天がなく、聽こうとしても聞こえず、視ようとすれば営む。その外になお状があり、状のあるものの余りは、一たび挙がれば千万里を行けるのだが、わたしもまだそこに在ることはできない。今、あなたは游んで始めてここに至り、それで窮め観たと語る。何とも遠いことではないか。しかしあなたは処りなさい。わたしは汗漫と九垓の上で期しているから、久しくはいられない。」その士は臂を挙げて身を縦し、ついに雲の中に入った。盧敖は目を仰いでこれを視たが、見えなくなってそこで止め、喜ぶ心は怠らなかったが、悵しく何かを喪ったようで、言った。「わたしがあの夫子に比べれば、黄い鵠と壌の虫のようなものだ。終日行って咫や尺を離れないのに、自ら遠いと思っていた。何とも悲しいことではないか。」

夾注 1

非敖而己

底本は「非敖而己」と記すが、己は已の誤りと見て「敖以外にない」と読んだ。盧敖が自らを誇る箇所である。――訳者

若盧敖者,唯龍無翼者升則乘雲。盧敖言若士者有翼,言乃可信。今不言有翼,何以升雲?且凡能輕舉入雲中者,飲食與人殊之故也。龍食與蛇異,故其舉措與蛇不同。聞為道者服金玉之精,食紫芝之英,食精身輕,故能神仙。若士者食合蜊之肉,與庸民同食,無精輕之驗,安能縱體而升天?聞食氣者不食物,食物者不食氣。若士者食物如不食氣,則不能輕舉矣。

盧敖のような者は、ただ龍が翼なしに升るときは雲に乗るのだと言う。盧敖が、あの士に翼があったと言うのなら、言は信じられる。今、翼があると言わないのに、何によって雲に升るのか。その上、およそ軽く挙がって雲の中に入れるものは、飲食が人と殊なるからである。龍の食は蛇と異なるから、その挙措が蛇と同じでない。聞くに、道を為す者は金や玉の精を服し、紫の芝の英を食べ、精を食べて身が軽いから、神仙となれるという。あの士は蛤や蜊の肉を食べ、庸しい民と同じく食べていて、精によって軽くなった験がない。どうして体を縦して天に升れようか。聞くに、気を食べる者は物を食べず、物を食べる者は気を食べないという。あの士が物を食べるのなら、気を食べないのだから、軽く挙がることはできない。

或時盧敖學道求仙,游乎北海,離眾遠去,無得道之效,慚於鄉里,負於論議。自知以必然之事見責於世,則作夸誕之語,云見一士,其意以為有〔仙〕,求(仙)之未得,期數未至也。淮南王劉安坐反而死,天下并聞,當時并見,儒書尚有言其得道仙去,雞犬升天者;況盧敖一人之身,獨行絕跡之地,空造幽冥之語乎?是與河東蒲阪項曼都之語,無以異也。曼都好道學仙,委家亡去,三年而返。家問其狀,曼都曰:「去時不能自知,忽見若臥形,有仙人數人,將我上天,離月數里而止。見月上下幽冥,幽冥不知東西。居月之旁,其寒淒愴。口飢欲食,仙人輒飲我以流霞一杯,每飲一杯,數月不飢。不知去幾何年月,不知以何為過,忽然若臥,復下至此。」河東號之曰「斥仙」。

おそらく盧敖は道を学び仙を求めて北海に游び、衆を離れて遠く去ったが、道を得た效がなく、鄉里に慚じ、論議に負けたのであろう。必ずそうなる事で世に責められることを自ら知って、夸り誕しい語を作り、一人の士を見たと云ったのであり、その意は、仙はあるのだが、これを求めてまだ得られないのは期や数がまだ至らないからだ、ということである。淮南王の劉安が反に坐して死んだことは天下が並び聞き、当時に並び見たことであるのに、儒の書になお彼が道を得て仙として去り、雞や犬が天に升ったと言う者がある。まして盧敖一人の身が跡の絶えた地を独り行ったのだから、空しく幽く冥い語を造らないであろうか。これは河東蒲阪の項曼都の語と、異なるところがない。曼都は道を好み仙を学んで、家を委てて亡げ去り、三年して返った。家がその状を問うと、曼都は言った。「去る時は自ら知ることができなかったが、忽ち臥すような形になり、仙人が数人あって、わたしを天に上らせ、月を数里離れて止まった。月の上下が幽く冥いのを見たが、幽く冥くて東西が分からなかった。月の傍らに居ると、その寒さは淒く愴ましかった。口が飢えて食べたくなると、仙人がすぐにわたしに流霞を一杯飲ませ、一杯飲むたびに数月飢えなかった。幾何の年月が去ったかも知らず、何が過ちとなったかも知らないが、忽然として臥すようになって、また下ってここに至った。」河東ではこれを「斥けられた仙」と号んだ。

實論者聞之,乃知不然。夫曼都能上天矣,何為不仙?已三年矣,何故復還?夫人去民間,升皇天之上,精氣形體,有變於故者矣。萬物變化,無復還者。復育化為蟬,羽翼既成,不能復化為復育。能升之物,皆有羽翼,升而復降,羽翼如故。見曼都之身有羽翼乎,言乃可信;身無羽翼,言虛妄也。虛則與盧敖同一實也。或時(聞)曼都好道,默委家去,周章遠方,終無所得。力倦望極,默復歸家,慚愧無言,則言上天。其意欲言道可學得,審有仙人;己殆有過,故成而復斥,升而復降。

実を論ずる者が聞けば、そうでないことが分かる。そもそも曼都が天に上れたのなら、どうして仙とならなかったのか。すでに三年であったのに、どういう理由で改めて還ったのか。そもそも人が民の間を去って皇天の上に升れば、精気や形体に故のものから変わるところがある。万物の変化に、改めて還るものはない。復育が化して蟬となれば、羽や翼がすでに成って、改めて化して復育となることはできない。升れる物はみな羽や翼があって、升って改めて降りても、羽や翼は故のままである。曼都の身に羽や翼があるのを見たのなら、言は信じられる。身に羽や翼がないのなら、言は虚しく妄りである。虚しいのなら、盧敖と同じ一つの実である。おそらく曼都は道を好んで、黙って家を委てて去り、遠方を周り章り、ついに得るところがなかったのであろう。力が倦み望みが極まって、黙って家に帰り、慚じ愧じて言がなく、それで天に上ったと言ったのである。その意は、道は学んで得られ、審らかに仙人がいるが、己におそらく過ちがあったから、成って改めて斥けられ、升って改めて降りたのだと言おうとするのである。

儒書言:齊王疾,使人之宋迎文摯。文摯至,視王之疾,謂太子曰:「王之疾,必可已也。」雖然,王之疾已,則必殺摯也。太子曰:「何故?」文摯對曰:「非怒王,疾不可治也。王怒,則摯必死。」

儒の書に言う。齊王が疾んで、人を宋に遣わして文摯を迎えた。文摯が至って王の疾を視て、太子に言った。「王の疾は、必ず已ませることができます。」しかしながら、王の疾が已めば、必ず摯を殺すであろう、と言った。太子は言った。「どういう理由か。」文摯は対えて言った。「王を怒らせなければ、疾は治せません。王が怒れば、摯は必ず死にます。」

太子頓首強請曰:「苟已王之疾,臣與臣之母以死爭之於王,必幸臣之母。願先生之勿患也。」

太子は頓首して強いて請って言った。「かりにも王の疾を已ませてくださるなら、臣と臣の母が死をもって王に争います。必ず臣の母を幸されるでしょう。願わくは先生、患えないでください。」

文摯曰:「諾,請以死為王。」與太子期,將往不至者三,齊王固已怒矣。文摯至,不解屨登床履衣,問王之疾。王怒而不與言。文摯因出辭以重王怒。王叱而起,疾乃遂已。王大怒不悅,將生烹文摯。太子與王后急爭之而不能得,果以鼎生烹文摯,爨之三日三夜,顏色不變。文摯曰:「誠欲殺我,則胡不覆之,以絕陰陽之氣。」

文摯は言った。「諾。請うて死をもって王のために為しましょう。」太子と期して、往くと言って至らないことが三たびあり、齊王はもとよりすでに怒っていた。文摯が至って、屨を解かずに床に登り衣を履んで、王の疾を問うた。王は怒って言葉を交わさなかった。文摯はそれで辞を出して王の怒りを重くした。王は叱って起ち、疾はそこでついに已んだ。王は大いに怒って悦ばず、文摯を生きたまま烹ようとした。太子と王后が急いでこれを争ったが得られず、果たして鼎で文摯を生きたまま烹て、爨くこと三日三夜であったが、顔色が変わらなかった。文摯は言った。「誠にわたしを殺そうとするなら、どうしてこれを覆って陰陽の気を絶たないのか。」

王使覆之,文摯乃死。夫文摯,道人也,入水不濡,入火不,故在鼎三日三夜,顏色不變。此虛言也。

王が覆わせると、文摯はそこで死んだ。そもそも文摯は道人で、水に入っても濡れず、火に入っても燋けないから、鼎に三日三夜あっても顔色が変わらなかったのだという。これは虚しい言である。

夫文摯而烹三日三夜,顏色不變,為一覆之,故絕氣而死,非得道之驗也。諸生息之物,氣絕則死。死之物,烹之輒爛。致生息之物密器之中,覆蓋其口,漆塗其隙,中外氣隔,息不得泄,有頃死也。如置湯鑊之中,亦輒爛矣。何則?體同氣均,稟性於天,共一類也。文摯不息乎,與金石同,入湯不爛,是也。令文摯息乎,烹之不死,非也。令文摯言,言則以聲,聲以呼吸。呼吸之動,因血氣之發。血氣之發,附於骨肉。骨肉之物,烹之輒死。今言烹之不死,一虛也。既能烹煮不死,此真人也,與金石同。金石雖覆蓋,與不覆蓋者無以異也。今言文摯覆之則死,二虛也。置人寒水之中,無湯火之熱,鼻中口內不通於外,斯須之頃,氣絕而死矣。寒水沉人,尚不得生,況在沸湯之中,有猛火之烈乎?言其入湯不死,三虛也。人沒水中,口不見於外,言音不揚。烹文摯之時,身必沒於鼎中。

そもそも文摯が烹られて三日三夜、顔色が変わらなかったのに、一たびこれを覆ったために気が絶えて死んだというのなら、道を得た験ではない。諸々の生き息む物は、気が絶えれば死ぬ。死んだ物は、烹ればすぐに爛れる。生き息む物を密な器の中に致し、その口を覆い蓋い、その隙を漆で塗って、中と外の気が隔たり、息が泄れられなければ、しばらくして死ぬ。もし湯の鑊の中に置けば、やはりすぐに爛れる。なぜか。体が同じく気が均しく、性を天から稟けて、共に一つの類だからである。文摯が息まないで、金や石と同じで、湯に入っても爛れなかったのなら、それはよい。文摯が息むのに、烹られて死ななかったというのなら、それは非である。文摯が言ったのなら、言は声によるのであり、声は呼吸による。呼吸の動きは、血や気の発に因る。血や気の発は、骨や肉に附く。骨や肉の物は、烹ればすぐに死ぬ。今、烹られて死ななかったと言う。一つめの虚である。すでに烹られ煮られても死なないのなら、これは真人であって、金や石と同じである。金や石は覆い蓋っても、覆い蓋わないものと異なるところがない。今、文摯が覆われて死んだと言う。二つめの虚である。人を寒い水の中に置いて、湯や火の熱がなくても、鼻の中や口の内が外に通じなければ、斯須の間に気が絶えて死ぬ。寒い水に人を沉めても、なお生きられないのに、まして沸く湯の中で、猛い火の烈しさがあればなおさらである。彼が湯に入って死ななかったと言う。三つめの虚である。人が水の中に没めば、口が外に見えず、言の音は揚がらない。文摯を烹る時、身は必ず鼎の中に没んでいたであろう。

沒則口不見,口不見則言不揚。文摯之言,四虛也。烹輒死之人,三日三夜顏色不變,痴愚之人,尚知怪之。使齊王無知,太子群臣宜見其奇。奇怪文摯,則請出尊寵敬事,從之問道。今言三日三夜,無臣子請出之言,五虛也。此或時聞文摯實烹,烹而輒死。世見文摯為道人也,則為虛生不死之語矣。猶黃帝實死也,傳言升天;淮南坐反,書言度世。世好傳虛,故文摯之語傳至於今。

没めば口が見えず、口が見えなければ言が揚がらない。文摯の言は、四つめの虚である。烹ればすぐに死ぬ人が、三日三夜顔色が変わらなかったのなら、痴れ愚かな人でもなおこれを怪しむことを知る。齊王に知がなかったとしても、太子や群臣はまさにその奇しさを見たであろう。文摯を奇しく怪しんだのなら、出すことを請って尊び寵み敬い事え、従って道を問うたであろう。今、三日三夜と言いながら、臣や子が出すことを請う言がない。五つめの虚である。これはおそらく文摯が実に烹られ、烹られてすぐに死んだと聞いたのであろう。世は文摯が道人であるのを見て、虚しく死ななかったという語を生んだのである。黄帝が実に死んだのに、伝えが天に升ったと言い、淮南が反に坐したのに、書が世を度れたと言うのと同じである。世は虚しいことを伝えるのを好むから、文摯の語が今に至って伝わるのである。

世無得道之效,而有有壽之人,世見長壽之人,學道為仙,逾百不死,共謂之仙矣。何以明之?如武帝之時,有李少君以祠灶辟谷卻老方見上,上尊重之。少君匿其年及所生長,常自謂七十,而能使物卻老。其游以方遍諸侯,無妻。人聞其能使物及不老,更餽遺之,常餘錢金衣食。

世に道を得た效はないが、寿い人はある。世は長寿の人が道を学んで仙となろうとし、百を逾えても死なないのを見て、ともにこれを仙と言うのである。何によってこれを明らかにするか。武帝の時、李少君が灶を祠り穀を辟け老いを卻ける方で上に見えると、上はこれを尊び重んじた。少君はその年と生まれ育ったところを匿して、常に自ら七十と言い、物をもって老いを卻けさせることができるとした。彼が方をもって諸侯を遍く游び、妻がなかった。人はその物を使えること、老いないことを聞いて、更わり餽り遺ったので、常に銭や金や衣や食が余った。

人皆以為不治產業饒給,又不知其何許人,愈爭事之。少君資好方,善為巧發奇中。嘗從武安侯君見上,上有古銅器,問少君。少君曰:「此器齊桓公十五年陳於柏寢。」已而案其刻,果齊桓公器,一宮盡驚,以為少君數百歲人也。久之,少君病死。

人はみな、彼が産業を治めないのに饒かに給っているとし、またその何許の人かを知らないので、いよいよ争ってこれに事えた。少君は方を好む資で、巧みに発して奇しく中てることを善くした。かつて武安侯に従って上に見えたとき、上に古い銅の器があって、少君に問うた。少君は言った。「この器は齊の桓公十五年に柏寢に陳ねたものです。」やがてその刻を案ずると、果たして齊の桓公の器であったので、一つの宮がことごとく驚いて、少君は数百歳の人だと思った。久しくして、少君は病んで死んだ。

今世所謂得道之人,李少君之類也。少君死於人中,人見其尸,故知少君性壽之人也。如少君處山林之中,入絕跡之野,獨病死於岩石之間,尸為虎狼狐狸之食,則世復以為真仙去矣。

今の世でいわゆる道を得た人は、李少君の類である。少君は人の中で死に、人がその尸を見たから、少君が性の寿い人であったことが分かる。もし少君が山林の中に処り、跡の絶えた野に入って、独り岩や石の間で病み死に、尸が虎や狼や狐や狸の食となったのなら、世は改めて真に仙として去ったと思ったであろう。

世學道之人無少君之壽,年未至百,與眾俱死。愚夫無知之人,尚謂之尸解而去,其實不死。所謂尸解者,何等也?謂身死精神去乎,謂身不死得免去皮膚也?如謂身死精神去乎,是與死無異,人亦仙人也;如謂不死免去皮膚乎,諸學道死者骨肉具在,與恆死之尸無以異也。夫蟬之去復育,龜之解甲,蛇之脫皮,鹿之墮角,殼皮之物解殼皮,持骨肉去,可謂尸解矣。今學道而死者,尸與復育相似,尚未可謂之尸解。何則?案蟬之去復育,無以神於復育,況不相似復育,謂之尸解,蓋復虛妄失其實矣。太史公與李少君同世并時,少君之死,臨尸者雖非太史公,足以見其實矣。如實不死。尸解而去,太史公宜紀其狀,不宜言死,其處座中年九十老父為兒時者,少君老壽之效也。或少君年十四五,老父為兒,隨其王父。少君年二百歲而死,何為不識?武帝去桓公鑄銅器,且非少君所及見也。或時聞宮殿之內有舊銅器,或案其刻以告之者,故見而知之。今時好事之人,見舊劍古鉤,多能名之,可復謂目見其鑄作之時乎?

世に道を学ぶ人は少君の寿もなく、年が百に至らないうちに、衆とともに死ぬ。愚かな夫、無知な人は、なおこれを尸解して去ったのであって、実は死んでいないのだと言う。いわゆる尸解とは、どういうものか。身が死んで精神が去るのを言うのか、身が死なずに皮膚を免れ去れるのを言うのか。もし身が死んで精神が去るのを言うのなら、これは死と異なりがなく、人もまたみな仙人である。もし死なずに皮膚を免れ去るのを言うのなら、道を学んで死んだ諸々の者は骨や肉が具に在って、恆に死んだ尸と異なるところがない。そもそも蟬が復育を去り、龜が甲を解き、蛇が皮を脱ぎ、鹿が角を墮とすのは、殼や皮の物が殼や皮を解いて、骨や肉を持って去るのだから、尸解と言える。今、道を学んで死んだ者は、尸が復育と相い似ていて、なおこれを尸解と言うことはできない。なぜか。案ずるに、蟬が復育を去っても、復育より神しいところがない。まして復育に似てもいないのに、これを尸解と言うのは、やはり虚しく妄りでその実を失っている。太史公は李少君と世を同じくし時を並べていて、少君が死んだとき、尸に臨んだ者が太史公でなくても、その実を見るに足る。もし実に死なず、尸解して去ったのなら、太史公はまさにその状を紀すべきで、死んだと言うべきではない。その座の中にいた年九十の老父が、児であった時のことだというのは、少君が老い寿かった效である。おそらく少君が年十四、五のとき、老父が児としてその王父に随っていたのであろう。少君が年二百歳で死んだのなら、どうして識らないことがあろうか。武帝と桓公が銅の器を鋳た時との隔たりは、少君が及び見られるものではない。おそらく宮殿の内に旧い銅の器があると聞いたか、あるいはその刻を案じてこれに告げた者があったから、見て知ったのである。今の時、事を好む人が旧い剣や古い鉤を見て、多くはこれを名づけられるが、改めてそれが鋳て作られた時を目で見たと言えるであろうか。

世或言東方朔亦道人也,姓金氏,字曼倩。變姓易名,游宦漢朝。外有仕宦之名,內乃度世之人,此又虛也。

世はあるいは東方朔もまた道人だと言う。姓は金氏、字は曼倩で、姓を変え名を易えて、漢の朝に游び宦えた。外には仕宦の名があるが、内はすなわち世を度れた人だ、と。これもまた虚である。

夫朔與少君并在武帝之時,太史公所及見也。少君有(教)〔谷〕道祠灶卻老之方,又名齊桓公所鑄鼎,知九十老人王父所游射之驗,然尚無得道之實,而徒性壽遲死之人也。況朔無少君之方術效驗,世人何見謂之得道?案武帝之時,道人文成、五利之輩,入海求仙人,索不死之葯,有道術之驗,故為上所信。朔無入海之使,無奇怪之效也。如使有奇,不過少君之類及文成、五利之輩耳,況謂之有道?

そもそも朔は少君とともに武帝の時にあって、太史公が及び見たところである。少君には穀を辟け灶を祠って老いを卻ける方があり、また齊の桓公が鋳た鼎を名づけ、九十の老人の王父が游び射たところを知った験があったが、それでもなお道を得た実はなく、ただ性が寿くて遅く死んだ人であった。まして朔は少君の方術の効験もないのに、世の人は何を見て道を得たと言うのか。案ずるに、武帝の時、道人の文成や五利の輩が海に入って仙人を求め、死なない薬を索めて、道術の験があったから、上に信じられた。朔には海に入る使いもなく、奇しく怪しい效もない。もし奇しさがあったとしても、少君の類や文成・五利の輩に過ぎないだけである。まして道があると言えようか。

此或時偶復若少君矣,自匿所生之處,當時在朝之人不知其故,朔盛稱其年長,人見其面狀少,性又恬淡,不好仕宦,善達占卜射覆為怪奇之戲,世人則謂之得道之人矣。

これはおそらく偶々また少君のようであって、自ら生まれた処を匿したので、当時朝にいた人がその故を知らず、朔がその年が長いと盛んに称し、人はその面の状が少いのを見、性がまた恬く淡くて仕宦を好まず、占卜や射覆など怪しく奇しい戲れによく達していたので、世の人がそれで道を得た人だと言ったのであろう。

世或以老子之道為可以度世,恬淡無欲,養精愛氣。夫人以精神為壽命,精神不傷則壽命長而不死。成事,老子行之,逾百度世,為真人矣。

世はあるいは老子の道で世を度れると考える。恬く淡くて欲がなく、精を養い気を愛しむというのである。そもそも人は精神を寿命とするのだから、精神が傷つかなければ寿命が長くて死なない。成った事として、老子がこれを行って、百を逾えて世を度れ、真人となったのだという。

夫恬淡少欲,孰與鳥獸?鳥獸亦老而死。鳥獸含情欲,有與人相類者矣,未足以言。草木之生何情欲,而春生秋死乎?

そもそも恬く淡くて欲が少ないことは、鳥獸に比べてどうであろうか。鳥獸もまた老いて死ぬ。鳥獸は情や欲を含んで、人と相い類するところがあるから、まだ言うに足らない。草や木が生じるのに何の情や欲があって、春に生じ秋に死ぬのか。

夫草木無欲,壽不逾歲;人多情欲,壽至於百。此無情欲者反夭,有情欲者壽也。夫如是,老子之術以恬淡無欲延壽度世者,復虛也。或時老子,李少君之類也,行恬淡之道,偶其性命亦自壽長。世見其命壽,又聞其恬淡,謂老子以術度世矣。

そもそも草や木は欲がないのに、寿は歳を逾えない。人は情や欲が多いのに、寿は百に至る。これは情や欲のないものがかえって夭く、情や欲のあるものが寿いということである。こうであるから、老子の術が恬く淡く欲がないことで寿を延べ世を度れたというのも、また虚である。おそらく老子は李少君の類で、恬く淡い道を行って、偶々その性命もまた自ら寿く長かったのであろう。世はその命の寿さを見、またその恬く淡いことを聞いて、老子が術で世を度れたと言うのである。

世或以辟谷不食為道術之人,謂王子喬之輩以不食谷,與恆人殊食,故與恆人殊壽,逾百度世,逐為仙人。此又虛也。夫人之生也,稟食飲之性,故形上有口齒,形下有孔竅。口齒以拕食,孔竅以注瀉。順此性者為得天正道,逆此性者為違所稟受。失本氣於天,何能得久壽?使子喬生無齒口孔竅,是稟性與人殊;稟性與人殊,尚未可謂壽,況形體均同而以所行者異,言其得度世,非性之實也。

世はあるいは穀を辟けて食わないのを道術の人だとし、王子喬の輩は穀を食わず、恆の人と食が殊なるから、恆の人と寿が殊なって、百を逾えて世を度れ、ついに仙人となったのだと言う。これもまた虚である。そもそも人が生まれるのに、食い飲む性を稟けたから、形の上に口と歯があり、形の下に孔や竅がある。口と歯で食を拕み、孔や竅で注ぎ瀉す。この性に順うのが天の正しい道を得たことであり、この性に逆らうのが稟け受けたところに違うことである。天から受けた本の気を失って、どうして久しく寿いことができようか。もし子喬が生まれながら歯も口も孔も竅もなかったのなら、それは稟けた性が人と殊なるのである。稟けた性が人と殊なっていても、なお寿いとは言えない。まして形や体が均しく同じでありながら、行うところが異なるからといって、世を度れたと言うのは、性の実ではない。

夫人之不食也,猶身之不衣也。衣以溫膚,食以充腹。膚溫腹飽,精神明盛。如飢而不飽,寒而不溫,則有凍餓之害矣。凍餓之人,安能久壽?且人之生也,以食為氣,猶草木生以土為氣矣。拔草木之根,使之離土,則枯而蚤死。閉人之口,使之不食,則餓而不壽矣。

そもそも人が食わないのは、身が衣ないのと同じである。衣で膚を温め、食で腹を充たす。膚が温かく腹が飽ちれば、精神が明らかに盛んである。もし飢えて飽かず、寒くて温かくなければ、凍え餓える害がある。凍え餓える人が、どうして久しく寿いことができようか。その上、人が生きるのに食を気とするのは、草木が生きるのに土を気とするのと同じである。草木の根を拔いて土を離れさせれば、枯れて早く死ぬ。人の口を閉じて食わせなければ、餓えて寿くない。

道家相夸曰:真人食氣。以氣而為食,故傳曰:「食氣者壽而不死,雖不谷飽,亦以氣盈。」此又虛也。

道家は相い夸って言う。真人は気を食う、と。気で食とするから、伝えに言う。「気を食う者は寿くて死なない。穀で飽かなくても、やはり気で盈ちる。」これもまた虚である。

夫氣,謂何氣也?如謂陰陽之氣,陰陽之氣不能飽人,人或咽氣,氣滿腹脹,不能饜飽。如謂百葯之氣,人或服葯,食一合屑,吞數十丸,葯力烈盛,胸中憒毒,不能飽人。食氣者必謂吹呼吸,吐故納新也。昔有彭祖嘗行之矣,不能久壽,病而死矣。

そもそも気とは、何の気を言うのか。もし陰陽の気と言うのなら、陰陽の気は人を飽かせることができない。人がもし気を咽んでも、気が満ちて腹が脹れるだけで、饜き飽くことはできない。もし百薬の気と言うのなら、人がもし薬を服して、一合の屑を食べ、数十丸を吞めば、薬の力が烈しく盛んで、胸の中が憒れ毒くなって、人を飽かせることはできない。気を食うというのは、必ず吹き呼し吸って、故きを吐き新しきを納れることを言うのであろう。昔、彭祖がかつてこれを行ったが、久しく寿いことができず、病んで死んだ。

道家或以導氣養性度世而不死,以為血脈在形體之中,不動搖屈伸,則閉塞不通。不通積聚,則為病而死。此又虛也。

道家はあるいは気を導き性を養って世を度れて死なないとし、血脈は形や体の中にあって、動き搖れ屈み伸びなければ、閉じ塞がって通じないと考える。通じないで積み聚まれば、病となって死ぬ、と。これもまた虚である。

夫人為形,猶草木之體也。草木在高山之巔,當疾風之衝,晝夜動搖者,能復勝彼隱在山谷間,鄣於疾風者乎?案草木之生,動搖者傷而不暢,人之導引動搖形體者,何故壽而不死?夫血脈之藏於身也,猶江河之流地。江河之流,濁而不清,血脈之動,亦擾不安。不安,則猶人勤苦無聊也,安能得久生乎?

そもそも人の形は、草木の体と同じである。草木が高い山の巔にあって、疾い風の衝くところに当たり、昼夜動き搖れるものが、かえってあの山や谷の間に隱れて疾い風から鄣られているものに勝れるであろうか。案ずるに、草木が生じるのに、動き搖れるものは傷ついて暢びない。人が導き引いて形や体を動き搖らす者が、どういう理由で寿くて死なないのか。そもそも血脈が身に藏まるのは、江や河が地に流れるのと同じである。江や河の流れは濁って清くなく、血脈の動きもまた擾れて安らかでない。安らかでなければ、人が勤め苦しんで聊しみがないのと同じである。どうして久しく生きられようか。

道家或以服食葯物,輕身益氣,延年度世。此又虛也。夫服食葯物,輕身益氣,頗有其驗。若夫延年度世,世無其效。百葯愈病,病愈而氣復,氣復而身輕矣。凡人稟性,身本自輕,氣本自長,中於風濕,百病傷之,故身重氣劣也。服食良葯,身氣復故,非本氣少身重,得葯而乃氣長身更輕也,稟受之時,本自有之矣。故夫服食葯物除百病,令身輕氣長,復其本性,安能延年至於度世?有血脈之類,無有不生,生無不死。以其生,故知其死也。天地不生,故不死;陰陽不生,故不死。死者,生之效;生者,死之驗也。夫有始者必有終,有終者必有始。唯無終始者,乃長生不死。人之生,其猶(水)〔冰〕也。水凝而為冰,氣積而為人。冰極一冬而釋,人竟百歲而死。人可令不死,冰可令不釋乎?諸學仙術為不死之方,其必不成,猶不能使冰終不釋也。

道家はあるいは薬物を服し食って、身を軽くし気を益し、年を延べて世を度れるとする。これもまた虚である。そもそも薬物を服し食って身を軽くし気を益すことは、かなり験がある。しかし年を延べて世を度れることは、世にその效がない。百薬が病を愈し、病が愈えれば気が復り、気が復れば身が軽くなる。およそ人が性を稟けるのに、身はもともと自ら軽く、気はもともと自ら長いのだが、風や湿に中たり、百病がこれを傷つけるから、身が重く気が劣るのである。良い薬を服し食って、身と気が故に復るのであって、もともと気が少なく身が重かったのが、薬を得てそこで気が長くなり身が更に軽くなるのではない。稟け受けた時に、もともと自らそれがあったのである。だからそもそも薬物を服し食って百病を除き、身を軽く気を長くするのは、その本の性に復すのであって、どうして年を延べて世を度れるに至れようか。血脈のある類は、生じないものがなく、生じれば死なないものがない。その生じることによって、その死ぬことが分かる。天地は生じないから死なず、陰陽は生じないから死なない。死は生の效であり、生は死の験である。そもそも始めがあるものは必ず終わりがあり、終わりがあるものは必ず始めがある。ただ終わりも始めもないものだけが、長く生きて死なない。人の生は、氷のようなものである。水が凝って氷となり、気が積んで人となる。氷は一冬を極めて釈け、人は百歳を竟えて死ぬ。人を死なないようにできるのなら、氷を釈けないようにできるのか。諸々の仙の術を学んで死なない方とする者は、必ず成らない。氷をついに釈けないようにできないのと同じである。