非韓篇
韓子之術,明法尚功。賢,無益於國不加賞;不肖,無害於治不施罰。責功重賞,任刑用誅。故其論儒也,謂之「不耕而食」,比之於一蠹,論有益與無益也。比之於鹿馬,馬之似鹿者千金,天下有千金之馬,無千金之鹿。鹿無益,馬有用也。儒者猶鹿,有用之吏猶馬也。
韓子の術は、法を明らかにし功を尊ぶ。賢くても国に益がなければ賞を加えず、不肖でも治に害がなければ罰を施さない。功を責め賞を重くし、刑に任せて誅を用いる。だから彼が儒者を論ずるときには「耕さずに食う」と言って一匹の虫にたとえた。益のあるものと益のないものを論じたのである。鹿と馬にたとえて言うには、馬で鹿に似たものは千金であり、天下に千金の馬はあっても千金の鹿はない。鹿は益がなく、馬は用がある。儒者は鹿のようで、用のある吏は馬のようだ、というのである。
夫韓子知以鹿馬喻,不知以冠履譬。使韓子不冠,徒履而朝,吾將聽其言也。加冠於首而立於朝,受無益之服,增無益之(仕)〔行〕,言與服相違,行與術相反,吾是以非其言而不用其法也。煩勞人體,無益於人身,莫過跪拜。使韓子逢人不拜,見君父不謁,未必有賊於身體也。然須拜謁以尊親者,禮義至重,不可失也。故禮義在身,身未必肥;而禮義去身,身未必瘠而化衰。以謂有益,禮義不如飲食。使韓子賜食君父之前,不拜而用,肯為之乎?夫拜謁,禮義之效,非益身之實也。然而韓子終不失者,不廢禮義以苟益也。夫儒生,禮義也;耕戰,飲食也。貴耕戰而賤儒生,是棄禮義求飲食也。
そもそも韓子は鹿と馬でたとえることは知っていたが、冠と履でたとえることを知らなかった。もし韓子が冠をかぶらず、履だけで朝廷に出るのであれば、私は彼の言葉を聞こう。冠を頭に載せて朝廷に立ち、益のない服を受け、益のない行いを重ねながら、言葉と服とが互いに食い違い、行いと術とが互いに反しているのだから、私はそれゆえにその言葉をよくないとし、その法を用いないのである。人の体を煩わせ労して人の身に益のないことでは、跪いて拝むことに過ぎるものはない。韓子が人に会って拝まず、君や父に会って謁見しなくても、必ずしも身体に害があるわけではない。それでも拝み謁見して尊い者を敬わなければならないのは、礼義がきわめて重く、失ってはならないからである。だから礼義が身にあっても身が必ず肥えるわけではなく、礼義が身を離れても身が必ず痩せるわけではないが、教化は衰える。益のあるなしで言えば、礼義は飲食に及ばない。もし韓子が君や父の前で食を賜ったとき、拝まずに食べるであろうか。そもそも拝み謁見することは礼義のあらわれであって、身に益のある実ではない。それでも韓子がついにこれを失わないのは、礼義を廃して間に合わせに益を求めはしないからである。そもそも儒生は礼義であり、耕すことと戦うことは飲食である。耕戦を貴んで儒生を賤しむのは、礼義を捨てて飲食を求めることである。
使禮義廢,綱紀敗,上下亂而陰陽繆,水旱失時,五谷不登,萬民飢死,農不得耕,士不得戰也。子貢去告朔之餼羊,孔子曰:「賜也,爾愛其羊,我愛其禮。」子貢惡費羊,孔子重廢禮也。故以舊防為無益而去之,必有水災;以舊禮為無補而去之,必有亂患。
礼義が廃れ綱紀が崩れれば、上下が乱れて陰陽が狂い、水と旱が時を失い、五穀が実らず、万民が飢え死にして、農夫は耕せず、士は戦えない。子貢が告朔の生け贄の羊をやめようとすると、孔子は言った。「賜よ、おまえはその羊を惜しむが、私はその礼を惜しむ。」子貢は羊を費やすことを憎み、孔子は礼を廃することを重く見たのである。だから古い堤を益がないとして取り去れば必ず水の災いがあり、古い礼を補いがないとして取り去れば必ず乱れの憂いがある。
儒者之在世,禮義之舊防也,有之無益,無之有損。庠序之設,自古有之。重本尊始,故立官置吏。官不可廢,道不可棄。儒生,道官之吏也,以為無益而廢之,是棄道也。夫道無成效於人,成效者須道而成。然足蹈路而行,所蹈之路,須不蹈者。身須手足而動,待不動者。故事或無益而益者須之,無效而效者待之。儒生,耕戰所須待也,棄而不存,如何也?
儒者が世にあることは礼義の古い堤であり、あっても益はないが、なければ損がある。庠序の設けは古くからあった。本を重んじ始まりを尊ぶので、官を立て吏を置く。官は廃せず、道は捨てられない。儒生は道の官の吏であり、益がないとしてこれを廃するのは、道を捨てることである。そもそも道は人に対して成った効がないが、効を成すものは道を待ってはじめて成る。足で路を踏んで歩くとき、踏む路は踏まないところを必要とする。身は手足によって動くが、動かないものを待つ。だから事には、益がないのに益のあるものがそれを必要とし、効がないのに効のあるものがそれを待つ、ということがある。儒生は耕戦が必要とし待つものであるのに、捨てて置かないとは、どういうことか。
韓子非儒,謂之無益有損,蓋謂俗儒無行操,舉措不重禮,以儒名而俗行,以實學而偽說,貪官尊榮,故不足貴。夫志潔行顯,不徇爵祿,去卿相之位若脫者,居位治職,功雖不立,此禮義為業者也。國之所以存者,禮義也。民無禮義,傾國危主。今儒者之操,重禮愛義,率無禮義士,激無義之人。人民為善,愛其主上,此亦有益也。聞伯夷風者,貪夫廉,懦夫有立志;聞柳下惠風者,薄夫敦,鄙夫寬。此上化也,非人所見。
韓子が儒者をよくないとして、益がなく損があると言ったのは、おそらく俗な儒者が身の行いを持たず、挙措が礼を重んじず、儒者の名で俗な行いをし、実のある学でいながら偽りの説を立て、官を貪り栄華を尊ぶので、貴ぶに足りないと言ったのである。そもそも志が潔く行いが明らかで、爵禄に従わず、卿相の位を履物を脱ぐように捨てる者は、位にあって職を治めて功が立たなくても、礼義を業とする者である。国が保たれる理由は礼義である。民に礼義がなければ、国を傾け主を危うくする。いま儒者の身の行いは礼を重んじ義を愛し、礼義のない士を率い、義のない人を励ます。人民が善を行い、その主上を愛するのだから、これもまた益があるのである。伯夷の風を聞いた者は、貪る男が廉となり、怯える男が志を立て、柳下恵の風を聞いた者は、薄い男が篤くなり、鄙しい男が寛やかになる。これは上からの教化であり、人の目に見えるものではない。
段干木闔門不出,魏文敬之,表式其閭,秦軍聞之,卒不攻魏。使魏無干木,秦兵入境,境土危亡。秦,強國也,兵無不勝,兵加於魏,魏國必破,三軍兵頓,流血千里。今魏文式闔門之士,卻強秦之兵,全魏國之境,濟三軍之眾,功莫大焉,賞莫先焉。齊有高節之士,曰狂譎、華士,二人昆弟也,義不降志,不仕非其主。太公封於齊,以此二子解沮齊眾,開不為上用之路,同時誅之。韓子善之,以為二子無益而有損也。
段干木が門を閉ざして出なかったので、魏の文侯はこれを敬い、その里に向かって車上で礼をした。秦の軍はこれを聞いて、ついに魏を攻めなかった。もし魏に干木がいなかったなら、秦の兵が境に入り、境の地は危うく滅びていたであろう。秦は強国で、兵は勝たないことがない。兵が魏に加えられれば魏国は必ず破れ、三軍の兵が倒れ、血が千里に流れたであろう。いま魏の文侯が門を閉ざした士に礼をして、強い秦の兵を退け、魏国の境を全うし、三軍の兵を救ったのだから、功はこれより大きいものがなく、賞はこれより先んずべきものがない。斉に高い節操の士があり、狂譎と華士といった。二人は兄弟で、義のために志を下げず、自分の主でない者には仕えなかった。太公が斉に封じられると、この二人が斉の民をばらばらにし、上に用いられない道を開くものだとして、同時にこれを誅した。韓子はこれをよしとして、二人は益がなく損があると考えた。
夫狂譎、華士,段干木之類也,太公誅之,無所卻到;魏文侯式之,卻強秦而全魏。功孰大者?使韓子善干木闔門高節,魏文式之,是也;狂譎、華士之操,干木之節也,善太公誅之,非也。使韓子非干木之行,下魏文之式,則干木以此行而有益,魏文用式之道為有功;是韓子不賞功、尊有益也。
そもそも狂譎と華士は段干木の類であるのに、太公がこれを誅しても退けたものは何もなく、魏の文侯が礼をして強い秦を退け魏を全うした。功はどちらが大きいか。もし韓子が、干木が門を閉ざした高い節をよしとし、魏の文侯が礼をしたことを正しいとするのなら、狂譎と華士の身の行いは干木の節なのだから、太公がこれを誅したのをよしとするのは誤りである。もし韓子が干木の行いをよくないとし、魏の文侯が礼をしたことを低く見るのなら、干木はこの行いによって益があり、魏の文侯は礼をする道を用いて功があったのだから、これは韓子が功に賞を与えず、益あるものを尊ばないということになる。
論者或曰:「魏文式段干木之閭,秦兵為之不至,非法度之功;一功特然,不可常行,雖全國有益,非所貴也。」夫法度之功者,謂何等也?養三軍之士,明賞罰之命,嚴刑峻法,富國強兵,此法度也。案秦之強,肯為此乎?六國之亡,皆滅於秦兵。六國之兵非不銳,士眾之力非不勁也,然而不勝,至於破亡者,強弱不敵,眾寡不同,雖明法度,其何益哉?使童子變孟賁之意,孟賁怒之,童子操刃與孟賁戰,童子必不勝,力不如也。孟賁怒,而童子修禮盡敬,孟賁不忍犯也。秦之與魏,孟賁之與童子也。魏有法度,秦必不畏,猶童子操刃,孟賁不避也。其尊士式賢者之閭,非徒童子修禮盡敬也。夫力少則修德,兵強則奮威。秦以兵強,威無不勝,卻軍還眾,不犯魏境者,賢干木之操,高魏文之禮也。夫敬賢,弱國之法度,力少之強助也。謂之非法度之功,如何?高皇帝議欲廢太子,呂后患之,即召張子房而取策,子房教以敬迎四皓而厚禮之,高祖見之,心消意沮,太子遂安。使韓子為呂后議,進不過強諫,退不過勁力。以此自安,取誅之道也,豈徒易哉?夫太子敬厚四皓以消高帝之議,猶魏文式段干木之閭,卻強秦之兵也。
論ずる者はこう言うかもしれない。「魏の文侯が段干木の里に礼をして、秦の兵がそのために至らなかったのは、法度の功ではない。一つの功がたまたまそうであっただけで、常に行えるものではないから、国を全うして益があったとしても、貴ぶべきものではない。」そもそも法度の功とは何を言うのか。三軍の士を養い、賞罰の命を明らかにし、刑を厳しくし法を峻しくして、国を富ませ兵を強くする。これが法度である。調べてみると、秦の強さに対して、これをしようとするであろうか。六国の滅亡は、どれも秦の兵に滅ぼされたのである。六国の兵は鋭くなかったのではなく、士卒の力も強くなかったのではないが、それでも勝てず、破れ滅びるに至ったのは、強弱が釣り合わず、多寡が同じでなかったからであり、いかに法度を明らかにしても、何の益があろうか。童子が孟賁の気に障ることをして孟賁が怒り、童子が刃を取って孟賁と戦えば、童子は必ず勝てない。力が及ばないからである。孟賁が怒ったとき、童子が礼を修め敬を尽くせば、孟賁はこれを犯すのに忍びない。秦と魏とは、孟賁と童子である。魏に法度があっても秦は必ず恐れない。童子が刃を取っても孟賁が避けないのと同じである。その士を尊び賢者の里に礼をすることは、ただの童子が礼を修め敬を尽くすのとは違う。そもそも力が少なければ徳を修め、兵が強ければ威を振るう。秦は兵が強く威は勝たないことがないのに、軍を退け兵を帰して魏の境を犯さなかったのは、干木の身の行いを賢いとし、魏の文侯の礼を高く見たからである。そもそも賢者を敬うことは、弱い国の法度であり、力の少ない者の強い助けである。それを法度の功ではないと言うのは、どういうことか。高皇帝が太子を廃そうと議したとき、呂后はこれを憂え、すぐに張子房を召して策を取った。子房は四皓を敬って迎え、厚く礼遇せよと教えた。高祖はこれを見て心が消え意が折れ、太子はついに安らかになった。もし韓子が呂后のために議ったなら、進んでは強く諫めるに過ぎず、退いては力ずくに過ぎなかったであろう。それで自ら安んじようとするのは誅を招く道であり、どうしてただ易しいことであろうか。そもそも太子が四皓を敬い厚くして高帝の議を消したのは、魏の文侯が段干木の里に礼をして強い秦の兵を退けたのと同じである。
治國之道,所養有二:一曰養德,二曰養力。養德者,養名高之人,以示能敬賢;養力者,養氣力之士,以明能用兵。此所謂文武張設,德力(且)〔具〕足者也,事或可以德懷,或可以力摧。外以德自立,內以力自備。慕德者不戰而服,犯德者畏兵而卻。徐偃王修行仁義,陸地朝者三十二國,強楚聞之,舉兵而滅之。此有德守,無力備者也。夫德不可獨任以治國,力不可直任以御敵也。韓子之術不養德,偃王之操不任力。二者偏駁,各有不足。偃王有無力之禍,知韓子必有無德之患。凡人稟性也,清濁貪廉,各有操行,猶草木異質,不可復變易也。狂譎、華士不仕於齊,猶段干木不仕於魏矣。性行清廉,不貪富貴,非時疾世,義不苟仕,雖不誅此人,此人行不可隨也。太公誅之,韓子是之,是謂人無性行,草木無質也。
国を治める道において養うものは二つある。一つは徳を養うこと、二つは力を養うことである。徳を養うとは名の高い人を養って、賢者を敬えることを示すのであり、力を養うとは気力のある士を養って、兵を用いられることを明らかにするのである。これがいわゆる文と武を張り設け、徳と力が具わり足りているということで、事は徳によって懐けられる場合もあり、力によって砕ける場合もある。外には徳によって自ら立ち、内には力によって自ら備える。徳を慕う者は戦わずに服し、徳を犯す者は兵を恐れて退く。徐の偃王が仁義を修め行うと、陸地から朝する国が三十二国あったが、強い楚がこれを聞き、兵を挙げて滅ぼした。これは徳の守りはあっても力の備えがなかったのである。そもそも徳だけに任せて国を治めることはできず、力だけに任せて敵を防ぐこともできない。韓子の術は徳を養わず、偃王の身の行いは力に任せなかった。二つは偏っていて、それぞれ足りないところがある。偃王に力のない禍があったのだから、韓子に必ず徳のない患いがあると分かる。およそ人が性を受けるとき、清い濁った貪る廉いがそれぞれ身の行いとなっているのは、草木が質を異にして二度と変えられないのと同じである。狂譎と華士が斉に仕えなかったのは、段干木が魏に仕えなかったのと同じである。性と行いが清く廉く、富貴を貪らず、時をよくないとし世を憎んで、義のために間に合わせに仕えないのであり、この人を誅さなくても、この人の行いに人は従えない。太公がこれを誅し、韓子がこれを正しいとするのは、人に性と行いがなく、草木に質がないと言うようなものである。
太公誅二子,使齊有二子之類,必不為二子見誅之故,不清其身;使無二子之類,雖養之,終無其化。堯不誅許由,唐民不皆處;武王不誅伯夷,周民不皆隱餓;魏文侯式段干木之閭,魏國不皆闔門。由此言之,太公不誅二子,齊國亦不皆不仕。何則?清廉之行,人所不能為也。夫人所不能為,養使為之,不能使勸;人所能為,誅以禁之,不能使止。然則太公誅二子,無益於化,空殺無辜之民。賞無功,殺無辜,韓子所非也。太公殺無辜,韓子是之,以韓子之術殺無辜也。夫執不仕者,未必有正罪也,太公誅之。如出仕未有功,太公肯賞之乎?賞須功而加,罰待罪而施。使太公不賞出仕未有功之人,則其誅不仕未有罪之民,非也;而韓子是之,失誤之言也。
太公が二人を誅したが、斉に二人のような類の者がいれば、二人が誅された理由によってその身を清くしないということは必ずない。二人のような類の者がいなければ、いくら養っても、ついにその教化はない。堯は許由を誅さなかったが、唐の民はみな隠れ住みはしなかった。武王は伯夷を誅さなかったが、周の民はみな隠れて飢えはしなかった。魏の文侯は段干木の里に礼をしたが、魏国はみな門を閉ざしはしなかった。このことから言えば、太公が二人を誅さなくても、斉国がみな仕えないということにはならなかったであろう。なぜか。清廉な行いは、人にはできないものだからである。そもそも人にできないことを、養ってやらせても勧めることはできず、人にできることを、誅して禁じてもやめさせることはできない。とすれば太公が二人を誅したのは教化に益がなく、むなしく罪のない民を殺したのである。功のない者に賞を与え、罪のない者を殺すのは、韓子がよくないとするところである。太公が罪のない者を殺し、韓子がこれを正しいとするのは、韓子の術によって罪のない者を殺すことである。そもそも仕えないことを固く守る者には、必ずしも正しい罪があるわけではないのに、太公はこれを誅した。もし出て仕えてまだ功がないとしたら、太公はこれに賞を与えるであろうか。賞は功を待って加え、罰は罪を待って施す。もし太公が、出て仕えてまだ功のない人に賞を与えないのであれば、仕えずにまだ罪のない民を誅したことは誤りである。それなのに韓子がこれを正しいとするのは、誤った言葉である。
且不仕之民,性廉寡欲;好仕之民,性貪多利。利欲不存於心,則視爵祿猶糞土矣。廉則約省無極,貪則奢泰不止;奢泰不止,則其所欲不避其主。案古篡畔之臣,希清白廉潔之人。貪,故能立功;驕,故能輕生。積功以取大賞,奢泰以貪主位。太公遺此法而去,故齊有陳氏劫殺之患。太公之術,致劫殺之法也;韓子善之,是韓子之術亦危亡也。
しかも仕えない民は性が廉く欲が少なく、仕えることを好む民は性が貪って利が多い。利欲が心にないのであれば、爵禄を見ることが糞土のようである。廉ければ約やかに省くことに限りがなく、貪れば奢り驕って止まらない。奢り驕って止まらなければ、その欲するところはその主をも避けない。調べてみると、古の簒奪し叛いた臣に、清白で廉潔な人はまれである。貪るから功を立てられ、驕るから生を軽んじられる。功を積んで大きな賞を取り、奢り驕って主の位を貪る。太公はこの法を遺して去ったので、斉には陳氏が脅して殺す患いがあった。太公の術は脅して殺すことを招く法であり、韓子がこれをよしとするのだから、これは韓子の術もまた危うく滅びるということである。
周公聞太公誅二子,非而不是,然而身執贄以下白屋之士。白屋之士,二子之類也,周公禮之,太公誅之,二子之操,孰為是者?宋人有御馬者不進,拔俞剄而棄之於溝中;又駕一馬,馬又不進,又剄而棄之於溝。是者三。以此威馬,至矣,然非王良之法也。王良登車,馬無罷駑。堯、舜治世,民無狂悖。王良馴馬之心,堯、舜順民之意。人同性,馬殊類也。王良能調殊類之馬,太公不能率同性之士。然則周公之所下白屋,王良之馴馬也;太公之誅二子,宋人之剄馬也。舉王良之法與宋人之操,使韓子平之,韓子必是王良而非宋人矣。王良全馬,宋人賊馬也。馬之賊,則不若其全;然則民之死,不若其生。使韓子非王良,自同於宋人,賊善人矣。如非宋人,宋人之術與太公同。非宋人,是太公,韓子好惡無定矣。
周公は太公が二人を誅したと聞いて、よくないとして正しいとはせず、そして自ら贄を手にして白屋の士に身を低くした。白屋の士は二人の類であるのに、周公はこれを礼遇し、太公はこれを誅した。二人の身の行いのうち、どちらが正しいのか。宋の人に馬を御する者があり、馬が進まないと、剣を抜いて首を切り、溝の中に捨てた。また一頭の馬を繋ぐと、馬がまた進まないので、また首を切って溝に捨てた。こうすることが三度であった。これで馬を威すことは極まっているが、王良の法ではない。王良が車に乗れば、馬に疲れた駄馬はない。堯・舜が世を治めれば、民に狂い背く者はない。王良が馬を馴らす心は、堯・舜が民に従う意である。人は性が同じで、馬は類が違う。王良は類の違う馬を調えられるのに、太公は性の同じ士を率いられなかった。とすれば周公が白屋に身を低くしたのは王良が馬を馴らすことであり、太公が二人を誅したのは宋の人が馬を切ったことである。王良の法と宋の人の仕方とを挙げて韓子に評させれば、韓子は必ず王良を正しいとし宋の人をよくないとするであろう。王良は馬を全うし、宋の人は馬をそこなった。馬がそこなわれるのはその全うされるのに及ばないのだから、とすれば民が死ぬのはその生きるのに及ばない。もし韓子が王良をよくないとするなら、自ら宋の人と同じになって、善い人をそこなうことになる。もし宋の人をよくないとするなら、宋の人の術は太公と同じである。宋の人をよくないとし、太公を正しいとするのなら、韓子の好悪には定まりがない。
治國猶治身也。治一身,省恩德之行,多傷害之操,則交党疏絕,恥辱至身。推治身以況治國,治國之道當任德也。韓子任刑獨以治世,是則治身之人任傷害也。韓子豈不知任德之為善哉?以為世衰事變,民心靡薄,故作法術,專意於刑也。夫世不乏於德,猶歲不絕於春也。謂世衰難以德治,可謂歲亂不可以春生乎?人君治一國,猶天地生萬物。天地不為亂歲去春,人君不以衰世屏德。孔子曰:「斯民也,三代所以直道而行也。」
国を治めることは身を治めることと同じである。一身を治めるにあたって恩徳の行いを減らし、傷つけ害する振る舞いを多くすれば、交わりや仲間は疎く絶え、恥辱が身に至る。身を治めることを推して国を治めることにたとえれば、国を治める道は当然徳に任せるべきである。韓子が刑に任せてそれだけで世を治めようとするのは、身を治める人が傷つけ害することに任せるのと同じである。韓子がどうして徳に任せることが善いと知らなかったであろうか。世が衰え事が変わって民の心が薄くなったと考えたので、法術を作り、意を刑に専らにしたのである。そもそも世に徳が欠けないのは、一年に春が絶えないのと同じである。世が衰えたから徳で治めがたいと言うのは、年が乱れたから春に生じさせられないと言えるであろうか。君主が一国を治めることは、天地が万物を生むのと同じである。天地は乱れた年だからといって春を取り去らず、君主は衰えた世だからといって徳を退けない。孔子は言った。「この民こそ、三代が直き道で行った相手である。」
周穆王之世,可謂衰矣,任刑治政,亂而無功,甫侯諫之,穆王存德,享國久長,功傳於世。夫穆王之治,初亂終治,非知昏於前,才妙於後也;前任蚩尤之刑,後用甫侯之言也。
周の穆王の世は衰えたと言ってよいが、刑に任せて政を治めたので乱れて功がなく、甫侯が諫めると、穆王は徳を保ち、国を享けることが久しく長く、功が世に伝わった。そもそも穆王の治が初めは乱れ終わりには治まったのは、知が前に暗く才が後に妙であったからではなく、前には蚩尤の刑に任せ、後には甫侯の言を用いたからである。
夫治人不能舍恩,治國不能廢德,治物不能去春。韓子欲獨任刑用誅,如何?
そもそも人を治めるのに恩を捨てられず、国を治めるのに徳を廃せず、物を治めるのに春を取り去れない。韓子が刑だけに任せて誅を用いようとするのは、どういうことか。
魯繆公問於子思曰:「吾聞龐是子不孝,不孝其行奚如?」子思對曰:「君子尊賢以崇德,舉善以勸民。若夫過行,是細人之所識也,臣不知也。」子思出,子服厲伯見,君問龐是子,子服厲伯對以其過,皆君(子)〔之〕所未曾聞。自是之後,君貴子思而賤子服厲伯。韓子聞之,以非繆公,以為明君求奸而誅之,子思不以奸聞,而厲伯以奸對,厲伯宜貴,子思宜賤。今繆公貴子思,賤厲伯,失貴賤之宜,故非之也。
魯の繆公が子思に尋ねた。「私は龐是子が不孝だと聞いたが、その不孝の行いはどのようなものか。」子思は答えた。「君子は賢者を尊んで徳を崇め、善い者を挙げて民を励まします。あの過ちある行いは、細かな人が知るところで、臣は存じません。」子思が出ると、子服厲伯が謁見した。君が龐是子について尋ねると、子服厲伯はその過ちを答えたが、どれも君がこれまで聞いたことのないものであった。これより後、君は子思を貴び、子服厲伯を賤しんだ。韓子はこれを聞いて繆公をよくないとし、明君は奸を求めてこれを誅するものだが、子思は奸を知らせず、厲伯は奸をもって答えたのだから、厲伯が貴ばれるべきで、子思が賤しまれるべきだと考えた。いま繆公は子思を貴び厲伯を賤しんで、貴賤の当然を失ったから、よくないとしたのである。
夫韓子所尚者,法度也。人為善,法度賞之;惡,法度罰之。雖不聞善惡於外,善惡有所制矣。夫聞惡不可以行罰,猶聞善不可以行賞也。非人不舉奸者,(非)韓子之術也。使韓子聞善,必將試之;試之有功,乃肯賞之。夫聞善不輒加賞,虛言未必可信也。若此,聞善與不聞,無以異也。夫聞善不輒賞,則聞惡不輒罰矣。聞善必試之,聞惡必考之。試有功乃加賞,考有驗乃加罰。虛聞空見,實試未立,賞罰未加。賞罰未加,善惡未定,未定之事,須術乃立。則欲耳聞之,非也。
そもそも韓子が尊ぶのは法度である。人が善をなせば法度がこれに賞を与え、悪をなせば法度がこれを罰する。たとえ善悪を外から聞かなくても、善悪には制せられるものがある。そもそも悪を聞いたからといって罰を行えないのは、善を聞いたからといって賞を行えないのと同じである。奸を告発しない人をよくないとするのが、韓子の術である。もし韓子が善を聞けば、必ずこれを試すであろう。試して功があってはじめて賞を与えようとするであろう。そもそも善を聞いてもすぐに賞を加えないのは、空言は必ずしも信じられないからである。こうであれば、善を聞くことと聞かないこととに違いはない。そもそも善を聞いてもすぐに賞を与えないのであれば、悪を聞いてもすぐに罰しないはずである。善を聞けば必ずこれを試し、悪を聞けば必ずこれを調べる。試して功があってはじめて賞を加え、調べて証があってはじめて罰を加える。むなしく聞きむなしく見ただけで、実際の試しがまだ立っていなければ、賞罰は加えられない。賞罰が加えられなければ善悪は定まらず、定まらない事は術を待ってはじめて立つ。とすれば耳で聞こうとするのは誤りである。
鄭子產晨出,過東匠之宮,聞婦人之哭也,撫其仆之手而聽之。有間,使吏執而問之;手殺其夫者也。翼日,其仆問曰:「夫子何以知之?」子產曰:「其聲不慟。凡人於其所親愛也,知病而憂,臨死而懼,已死而哀。今哭夫已死,不哀而懼,是以知其有奸也。」韓子聞而非之,曰:「子產不亦多事乎!奸必待耳目之所及而後知之,則鄭國之得奸寡矣。不任典城之吏,察參伍之正,不明度量,待盡聰明、勞知慮而以知奸,不亦無術乎!」韓子之非子產,是也。其非繆公,非也。夫婦人之不哀,猶龐(捫)〔是〕子不孝也。非子產持耳目以知奸,獨欲繆公須問以定邪。子產不任典城之吏,而以耳〔聞〕定實;繆公亦不任吏,而以口問立誠。夫耳聞口問,一實也,俱不任吏,皆不參伍。厲伯之對不可以立實,猶婦人之哭不可以定誠矣。不可定誠,使吏執而問之。可以立實,不使吏考,獨信厲伯口以罪不考之奸,如何?
鄭の子産が明け方に出て、東匠の家を通りかかり、婦人の哭するのを聞いて、御者の手を押さえてそれを聴いた。しばらくして、吏に命じて捕らえて問わせると、自分の手で夫を殺した者であった。翌日、その御者が尋ねた。「先生は何によってお分かりになったのですか。」子産は言った。「その声が哀しんでいなかった。およそ人は自分の親しみ愛する者について、病を知れば憂え、死に臨めば懼れ、すでに死ねば哀しむ。いま夫がすでに死んだのに、哭して哀しまずに懼れていた。それゆえに奸があると分かったのだ。」韓子はこれを聞いてよくないとして言った。「子産はまた事が多いではないか。奸を必ず耳目の及ぶのを待ってから知るのであれば、鄭国が奸を捕らえることは少ないであろう。城を司る吏に任せず、参伍の正しさを調べず、度量を明らかにせず、聡明を尽くし知慮を労するのを待って奸を知るのであれば、また術がないではないか。」韓子が子産をよくないとしたのは正しい。彼が繆公をよくないとしたのは誤りである。そもそも婦人が哀しまなかったことは、龐是子が不孝であることと同じである。子産が耳目によって奸を知ったことをよくないとしながら、繆公にだけは尋ねることによって邪を定めてほしいと望んでいる。子産は城を司る吏に任せず、耳で聞いて実を定め、繆公もまた吏に任せず、口で尋ねて誠を立てた。そもそも耳で聞くことと口で尋ねることは同じ一つの実で、どちらも吏に任せず、どちらも参伍していない。厲伯の答えで実を立てられないのは、婦人の哭で誠を定められないのと同じである。誠を定められないので、吏に命じて捕らえて問わせた。実を立てられるとして吏に調べさせず、ひとり厲伯の口を信じて、調べてもいない奸を罪に問うとは、どういうことか。
韓子曰:「子思不以過聞,繆公貴之。子服厲伯以奸聞,繆公賤之。人情皆喜貴而惡賤,故季氏之亂成而不上聞。此魯君之所以劫也。」夫魯君所以劫者,以不明法度邪,以不早聞奸也?夫法度明,雖不聞奸,奸無由生;法度不明,雖日求奸,決其源鄣之以掌也。御者無銜,見馬且奔,無以制也。使王良持轡,馬無欲奔之心,御之有數也。今不言魯君無術,而曰「不聞奸」;不言〔不〕審法度,曰「不通下情」,韓子之非繆公也,與術意而相違矣。
韓子は言った。「子思が過ちを知らせないと、繆公はこれを貴んだ。子服厲伯が奸を知らせると、繆公はこれを賤しんだ。人の情はみな貴ばれることを喜び賤しまれることを憎むから、季氏の乱が成っても上に聞こえなかった。これが魯の君が脅された理由である。」そもそも魯の君が脅された理由は、法度を明らかにしなかったからか、奸を早く聞かなかったからか。そもそも法度が明らかであれば、たとえ奸を聞かなくても奸は生じる道がなく、法度が明らかでなければ、たとえ日々奸を求めても、その源を切り開いて手のひらで塞ぐようなものである。御者に銜がなければ、馬が走り出すのを見ても制する手立てがない。王良が手綱を取れば、馬に走り出そうとする心がない。御するのに法があるからである。いま魯の君に術がなかったとは言わずに「奸を聞かなかった」と言い、法度を審らかにしなかったとは言わずに「下の情に通じなかった」と言うのだから、韓子が繆公をよくないとしたのは、彼自身の術の意と互いに食い違っている。
龐(捫)〔〕是子不孝,子思不言。繆公貴之,韓子非之,以為明君求善而賞之,求奸而誅之。夫不孝之人,下愚之才也。下愚無禮,順情從欲,與鳥獸同,謂之惡,可也,謂奸,非也。奸人外善內惡,色厲內荏,作為操止象類賢行,以取升進,容媚於上,安肯作不孝、著身為惡以取棄殉之咎乎?龐(捫)〔〕是子可謂不孝,不可謂奸。韓子謂之奸,失奸之實矣。
龐是子が不孝であることを、子思は言わなかった。繆公がこれを貴んだので韓子はよくないとし、明君は善を求めてこれに賞を与え、奸を求めてこれを誅するものだと考えた。そもそも不孝な人は下愚の才である。下愚の者は礼がなく、情に従い欲を追って鳥獣と同じであるから、これを悪と言うのはよいが、奸と言うのは誤りである。奸人は外は善く内は悪く、顔色は厳しく内は弱く、振る舞いや挙措を賢い行いに似せて昇進を取り、上に取り入って媚びるのだから、どうして不孝をして身に悪をあらわし、捨てられ退けられる咎を取ろうとするであろうか。龐是子は不孝と言えるが、奸と言うことはできない。韓子がこれを奸と言うのは、奸の実を取り損なっている。
韓子曰:「布帛尋常,庸人不擇;爍金百鎰,盜蹠不搏。」
韓子は言った。「布帛の尋常ほどのものは並の人も選ばず、溶けた金の百鎰は盗蹠もつかまない。」
以此言之,法明,民不敢犯也。設明法於邦,有盜賊之心,不敢犯矣;不測之者,不敢發矣。奸心藏於胸中,不敢以犯罪法,(罪)〔明〕法恐之也。明法恐之,則不須考奸求邪於下矣。使法峻,民無奸者;使法不峻,民多為奸。而不言明王之嚴刑峻法,而云求奸而誅之。言求奸,是法不峻,民或犯之也。世不專意於明法,而專心求奸。韓子之言,與法相違。
このことから言えば、法が明らかであれば民は敢えて犯さない。明らかな法を国に設ければ、盗賊の心があっても敢えて犯さず、測りがたい者も敢えて事を起こさない。奸の心が胸のうちに隠れていても敢えて罪や法を犯さないのは、明らかな法が恐れさせるからである。明らかな法が恐れさせるのであれば、下において奸を調べ邪を求める必要はない。法が峻しければ民に奸をなす者はなく、法が峻しくなければ民は多く奸をなす。ところが明王の厳しい刑と峻しい法を言わずに、奸を求めて誅すると言う。奸を求めると言うのは、法が峻しくなく民が時に犯すということである。世が法を明らかにすることに意を専らにせず、奸を求めることに心を専らにする。韓子の言葉は、法と互いに食い違っている。
人之釋溝渠也,知者必溺身。不塞溝渠而繕船楫者,知水之性不可閼,其勢必溺人也。臣子之性欲奸君父,猶水之性溺人也。不教所以防奸,而非其不聞知,是猶不備水之具,而徒欲早知水之溺人也。溺於水,不責水而咎己者,己失防備也。然則人君劫於臣,己失法也。備溺不閼水源,防劫不求臣奸,韓子所宜用教己也。水之性勝火,如裹之以釜,水煎而不得勝,必矣。
人が溝や渠を切り開けば、知る者でも必ず身が溺れる。溝や渠を塞がずに船や櫂を修める者は、水の性は塞げず、その勢いが必ず人を溺れさせることを知っているのである。臣や子の性が君や父に奸をなそうとするのは、水の性が人を溺れさせるのと同じである。奸を防ぐ方法を教えずに、それを聞き知らなかったことをよくないとするのは、水を防ぐ道具を備えずに、ただ水が人を溺れさせることを早く知ろうとするのと同じである。水に溺れたとき、水を責めずに自分を咎めるのは、自分が防備を失ったからである。とすれば君主が臣に脅されるのは、自分が法を失ったのである。溺れに備えるのに水の源を塞がず、脅しを防ぐのに臣の奸を求めないということは、韓子が当然用いて自分自身を教えるべきことである。水の性は火に勝つが、釜で包めば、水は煎られて勝てないことが必定である。
夫君猶火也,臣猶水也,法度釜也。火不求水之奸,君亦不宜求臣之罪也。
そもそも君は火のようであり、臣は水のようであり、法度は釜である。火は水の奸を求めないのだから、君もまた臣の罪を求めるべきではない。