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変動篇變動篇

論衡(虚と実を秤にかける書) 論衡 · 王充 · 80年頃 · 段落 21 · 漢字 2,449字 · 朗読 9.8分

論衡(虚と実を秤にかける書) 變動篇 後漢の人・王充が自ら明かしたこの書の意は四字である — 「疾虚妄」、虚しく妄りなものを憎む。天が人の事に応えて災いを下すとか、死ねば鬼神になって仇を返すとか、日を選ばなければ障りがあるとかいう、その時代の言い分を一つ一つ捕らえて論じる。 論じる肌合いが人とは違う。年長者の言葉だからといってそのままにしない — 孔子に問い(問孔)、孟子を刺し(刺孟)、韓非を否とする(非韓)。天が咎めて災いを下すという言い分には、それならば天はなぜ君主一人のために国中に旱を下すのかと問い返す。 「虚」の字が付いた九篇(書虚・変虚・異虚・感虚・福虚・禍虚・龍虚・雷虚・道虚)が一列に並び、古い書に記された不思議な話を順に捕らえる。「増」の字が付いた三篇(語増・儒増・芸増)は、言葉がどのように膨らんでいくのかを扱う。 吉験篇には、夫余の東明が弓をよく射たので王が殺そうとし、南へ逃れて掩淲水に至ったという話がある。今に残る東明の記録のうち最も早い形である。

論災異者,已疑於天用災異譴告人矣。更說曰:「災異之至,殆人君以政動天,天動氣以應之。譬之以物擊鼓,以椎扣鍾,鼓猶天,椎猶政,鍾鼓聲猶天之應也。人主為於下,則天氣隨人而至矣。」

災いや異を論ずる者は、すでに天が災いや異によって人を譴め告げるということを疑った。あらためて説いて言う。「災いや異が至るのは、おそらく人君が政によって天を動かし、天が気を動かしてこれに応ずるのである。たとえれば、物で鼓を撃ち、椎で鍾を扣くとき、鼓は天のようであり、椎は政のようであり、鍾や鼓の声は天の応ずるもののようである。人主が下で何かをなせば、天の気が人に随って至るのだ。」

曰:此又疑也。夫天能動物,物焉能動天?何則?人物繫於天,天為人物主也。故曰:「王良策馬,車騎盈野。」

答える。これもまた疑わしい。そもそも天は物を動かせるが、物がどうして天を動かせようか。なぜか。人や物は天に繋がっていて、天が人や物の主であるからである。だから「王良が馬に策てば、車や騎が野に盈ちる」と言う。

非車騎盈野,而乃王良策馬也。天氣變於上,人物應於下矣。故天且雨,商羊起舞,使天雨也。

車や騎が野に盈ちたから王良が馬に策つのではなく、王良が馬に策つのが先なのである。天の気が上で変じれば、人や物が下で応ずる。だから天がまさに雨になろうとすると、商羊が起って舞う。天の雨がそうさせるのである。

商羊者,知雨之物也,天且雨,屈其一足起舞矣。故天且雨,螻蟻徙,丘蚓出,琴弦緩,固疾發,此物為天所動之驗也。故在且風,巢居之蟲動;且雨,穴處之物擾:風雨之氣感蟲物也。故人在天地之間,猶蚤虱之在衣裳之內,螻蟻之在穴隙之中。蚤虱、螻蟻為逆順橫從,能令衣裳穴隙之間氣變動乎?蚤虱、螻蟻不能,而獨謂人能,不達物氣之理也。

商羊は雨を知る物であり、天がまさに雨になろうとすると、その一足を屈めて起って舞う。だから天がまさに雨になろうとすると、螻や蟻が徙り、丘の蚓が出て、琴の弦が緩み、固い疾が発する。これは物が天に動かされるという証しである。だからまさに風になろうとすると巣に居る虫が動き、まさに雨になろうとすると穴に処る物が擾れる。風や雨の気が虫や物を感じさせるのである。だから人が天地の間にあるのは、蚤や虱が衣裳の内にあり、螻や蟻が穴や隙の中にあるのと同じである。蚤や虱、螻や蟻が逆らい順い横たわり從ったとして、衣裳や穴や隙の間の気を変じ動かせるであろうか。蚤や虱、螻や蟻ができないのに、ひとり人だけはできると言うのは、物と気の理に達していないのである。

夫風至而樹枝動,樹枝不能致風。是故夏末,蜻鳴,寒啼,感陰氣也。

そもそも風が至って樹の枝が動くのであって、樹の枝が風を致せるのではない。それゆえ夏の末に蜻が鳴き、寒蟬が啼くのは、陰の気に感じたのである。

雷動而雉驚,〔蟄〕發(蟄)而蛇出,起〔陽〕氣也。夜及半而鶴唳,晨將旦而雞鳴,此雖非變,天氣動物,物應天氣之驗也。顧可言寒溫感動人君,人君起氣而以賞罰;乃言以賞罰感動皇天,天為寒溫以應政治乎?六情風家言:「風至,為盜賊者感應之而起。」

雷が動いて雉が驚き、蟄が発いて蛇が出るのは、陽の気が起こったのである。夜が半ばに及べば鶴が唳き、晨がまさに旦けようとすれば雞が鳴く。これは変ではないが、天の気が物を動かし、物が天の気に応ずる証しである。かえって、寒温が人君を感じ動かし、人君が気を起こしてそれによって賞罰するのだと言えるだけであって、賞罰によって皇天を感じ動かし、天が寒くなり温かくなって政治に応ずるなどと言えようか。六情風の家は言う。「風が至れば、盗賊をなす者がこれに感じ応じて起こる。」

非盜賊之人精氣感天,使風至也。風至怪不軌之心,而盜賊之操發矣。何以驗之?盜賊之人,見物而取,睹敵而殺,皆在徙倚漏刻之間,未必宿日有其思也,而天風已以貪狼陰賊之日至矣。

盗賊をなす人の精しい気が天を感じさせて風を至らせるのではない。風が至って軌らない心を怪しくさせて、盗賊の操が発するのである。何によってこれを確かめるか。盗賊をなす人は、物を見れば取り、敵を睹れば殺す。どれも徙り倚る漏刻の間のことであって、必ずしも前日にその思いがあったわけではないのに、天の風はすでに貪狼や陰賊の日に至っているのである。

以風占貴賤者,風從王相鄉來則貴,從囚死地來則殘。夫貴賤、多少,斗斛故也。風至而(糴)〔〕谷之人,貴賤其价,天氣動怪人物者也。故谷价低昂,一貴一賤矣。《天官》之書,以正月朝占四方之風,風從南方來者旱,從北方來者湛,東方來者為疫,西方來者為兵。太史公實道言以風占水旱兵疫者,人物吉凶統於天也。使物生者,春也;物死者,冬也。春生而冬殺(也)〔者〕,天(者)〔也〕。如或欲春殺冬生,物終不死生,何也?物生統於陽,物死繫於陰也。故以口氣吹人,人不能寒;吁人,人不能溫。使見吹吁之人,涉冬觸夏,將有凍之患矣。寒溫之氣,繫於天地而統於陰陽。人事國政,安能動之?

風によって貴賤を占う者は、風が王相の鄉から来れば貴く、囚死の地から来れば残しいと言う。そもそも貴賤や多少は、斗や斛の故である。風が至ると穀を糴う人がその价を貴くし賤しくするのだから、天の気が人や物を動かして怪しくさせるのである。だから穀の价が低く昂く、一たび貴く一たび賤しい。『天官』の書は、正月の朝に四方の風を占って、風が南方から来れば旱、北方から来れば湛、東方から来れば疫、西方から来れば兵となるとする。太史公がまことに風によって水旱や兵疫を占うことを道い言ったのは、人や物の吉凶が天に統べられているからである。物を生じさせるのは春であり、物を死なせるのは冬である。春に生じ冬に殺すのは天である。もしあるいは春に殺し冬に生じさせようとしても、物がついに死なず生じないのはなぜか。物が生ずることは陽に統べられ、物が死ぬことは陰に繋がっているからである。だから口の気で人を吹いても人は寒くなれず、人に吁いても人は温かくなれない。もし吹き吁く人に冬を涉り夏に触れさせれば、凍え暑に中る患いがあるであろう。寒温の気は天地に繋がって陰陽に統べられている。人の事や国の政が、どうしてこれを動かせようか。

且天本而人末也。登樹怪其枝,不能動其株。如伐株,萬莖枯矣。人事猶樹枝,(能)〔寒〕溫猶根株也。生於天,含天之氣,以天為主,猶耳目手足繫於心矣。心有所為,耳目視聽,手足動作,謂天應人,是謂心為耳目手足使乎?旌旗垂旒,旒綴於杆,杆東則旒隨而西。苟謂寒溫隨刑罰而至,是以天氣為綴旒也。鉤星在房、心之間,地且動之占也。齊太卜知之,謂景公:「臣能動地。」

しかも天は本であり人は末である。樹に登ってその枝を怪しく揺すっても、その株を動かせない。もし株を伐れば、万の莖が枯れる。人の事は樹の枝のようであり、寒温は根や株のようである。天に生まれ、天の気を含み、天を主とするのは、耳や目や手足が心に繋がっているのと同じである。心になすところがあれば耳や目が視き聴き、手足が動き作るのであるのに、天が人に応ずるのだと言うのは、これは心が耳や目や手足に使われるということなのか。旌や旗に垂れた旒は、旒が杆に綴られているので、杆が東に行けば旒が随って西になる。もし寒温が刑罰に随って至るのだと言うのであれば、これは天の気を綴られた旒とすることである。鉤星が房と心の間にあるのは、地がまさに動こうとする占いである。斉の太卜はこれを知って、景公に言った。「臣は地を動かせます。」

景公信之。夫謂人君能致寒溫,猶齊景公信太卜之能動地。夫人不能動地,而亦不能動天。

景公はこれを信じた。そもそも人君が寒温を致せると言うのは、斉の景公が太卜が地を動かせると信じたのと同じである。そもそも人は地を動かせないのだから、やはり天も動かせない。

夫寒溫,天氣也。天至高大,人至卑小。篙不能鳴鐘,而螢火不爨鼎者,何也?鐘長而篙短,鼎大而螢小也。以七尺之細形,感皇天之大氣,其無分銖之驗,必也。占大將且入國邑,氣寒則將且怒,溫則將喜。夫喜怒起事而發,未入界,未見吏民,是非未察,喜怒未發,而寒溫之氣已豫至矣。怒喜致寒溫,怒喜之後,氣乃當至,是竟寒溫之氣使人君怒喜也。

そもそも寒温は天の気である。天は至って高く大きく、人は至って卑しく小さい。篙が鍾を鳴らせず、螢の火が鼎を爨けないのはなぜか。鍾は長くて篙は短く、鼎は大きくて螢は小さいからである。七尺の細い形によって皇天の大きな気を感じさせようとして、そこに分や銖ほどの証しもないのは必然である。占いでは、大将がまさに国や邑に入ろうとするとき、気が寒ければ将はまさに怒ろうとしており、温かければ将は喜んでいるという。そもそも喜びや怒りは事が起こって発するものであるのに、まだ界に入らず、まだ吏や民を見ておらず、是非がまだ察せられず、喜びや怒りがまだ発していないのに、寒温の気がすでに豫め至っている。怒りや喜びが寒温を致すのであれば、怒りや喜びの後に気が当然至るべきであるから、これは結局、寒温の気が人君を怒らせ喜ばせているのである。

或曰:「未至誠也。行事至誠,若鄒衍之呼天而霜降,杞梁妻器而城崩,何天氣之不能動乎?」

ある人は言う。「まだ至誠ではないのだ。事を行うにあたって至誠であれば、鄒衍が天に呼んで霜が降り、杞梁の妻が哭して城が崩れたようであるのだから、どうして天の気を動かせないことがあろうか。」

夫至誠,猶以心意之好惡也。有果之物,在人之前,去口一尺。心欲食之,口氣吸之,不能取也。手掇送口,然後得之。夫以果之細,員易轉,去口不遠,至誠欲之,不能得也,況天去人高遠,其氣莽蒼無端末乎?盛夏之時,當風而立,隆冬之月,向日而坐。其夏欲得寒而冬欲得溫也,至誠極矣。欲之甚者,至或當風鼓,向日燃爐,而天終不為冬夏易氣,寒暑有節,不為人變改也。夫正欲得之而猶不能致,況自刑賞,意思不欲求寒溫乎?

そもそも至誠も、やはり心や意の好悪によるものである。果のある物が人の前にあって、口から一尺離れている。心で食べたいと思って口の気で吸っても、取ることはできない。手で掇って口に送ってはじめてこれを得る。そもそも果は細かく円くて転がりやすく、口から遠くないのに、至誠でこれを欲しても得られないのだから、まして天は人から高く遠く、その気は莽く蒼くて端も末もないのだから、なおさらである。盛んな夏のときには風に当たって立ち、隆んな冬の月には日に向かって坐る。その夏に寒さを得ようとし冬に温かさを得ようとすることは、至誠が極まっている。欲することの甚だしい者は、甚だしければ風に当たって扇ぎ、日に向かって炉を燃やすまでするが、天はついに冬や夏のために気を易えず、寒さ暑さには節があって、人のために変じ改めない。そもそもまさにそれを得ようとしてもなお致せないのだから、まして自ら刑し賞して、意や思いが寒温を求めようとしてもいないのであれば、なおさらである。

萬人俱嘆,未能動天,一鄒衍之口,安能降霜?鄒衍之狀,孰與屈原?見拘之冤,孰與沉江?離騷楚辭淒愴,孰與一嘆?屈原死時,楚國無霜,此懷、襄之世也。厲、武之時,卞和獻玉,刖其兩足,奉玉泣出,涕盡續之以血。夫鄒衍之誠,孰與卞和?見拘之冤,孰與刖足?仰天而嘆,孰與泣血?夫嘆固不如泣,拘固不中刖,料計冤情,衍不如和,當時楚地不見霜。李斯、趙高讒殺太子扶蘇,并及蒙恬、蒙驁。其時皆吐痛苦之言,與嘆聲同;又禍至死,非徒苟徙。而其死之地,寒氣不生。秦坑趙卒於長平之下,四十萬眾,同時俱陷。當時啼號,非徒嘆也。誠雖不及鄒衍,四十萬之冤,度當一賢臣之痛;入坑坎之啼,度過拘囚之呼。當時長平之下,不見隕霜。《甫刑》曰:「庶旁告無辜於天帝。」

万人がともに嘆いても天を動かせないのだから、鄒衍一人の口が、どうして霜を降らせられようか。鄒衍の有様は屈原と比べてどうか。拘われた冤は江に沈むことと比べてどうか。離騒や楚辞の淒く愴しいさまは、一たびの嘆きと比べてどうか。屈原が死んだとき、楚の国に霜はなかった。これは懐王・襄王の世である。厲王・武王のとき、卞和が玉を献じて、その両足を刖られ、玉を奉じて泣きながら出て、涕が尽きて血で続いた。そもそも鄒衍の誠は卞和と比べてどうか。拘われた冤は足を刖られることと比べてどうか。天を仰いで嘆くことは、血の泣と比べてどうか。そもそも嘆きはもとより泣に及ばず、拘われることはもとより刖られることに中らないのだから、冤の情を料り計れば衍は和に及ばないのに、当時の楚の地に霜は見られなかった。李斯と趙高が太子の扶蘇を讒して殺し、あわせて蒙恬や蒙驁にまで及んだ。そのとき彼らはみな痛み苦しむ言を吐いたので、嘆く声と同じであり、また禍が死に至ったのだから、ただ間に合わせに徙されたのではない。それでもその死んだ地に寒い気は生じなかった。秦が趙の卒を長平の下に坑にしたとき、四十万の衆が同じ時にともに陷った。当時の啼き号ぶことは、ただの嘆きではない。誠は鄒衍に及ばないとしても、四十万の冤は、度れば一人の賢い臣の痛みに当たり、坑や坎に入る啼きは、度れば拘われ囚われた者の呼びを過ぎるであろう。当時、長平の下に霜の隕るのは見られなかった。『甫刑』に「庶しく旁く辜なきことを天帝に告げた」とある。

此言蚩尤之民被冤,旁告無罪於上天也。以眾民之叫,不能致霜,鄒衍之言,殆虛妄也。

これは蚩尤の民が冤を被って、旁く罪のないことを上の天に告げたという言葉である。衆しい民の叫びで霜を致せなかったのだから、鄒衍の言はおそらく虚しくみだりである。

南方至熱,煎炒爛石,父子同水而浴。北方至寒,凝冰坼土,父子同穴而處。燕在北邊,鄒衍時,周之五月,正歲三月也。中州內正月二月,霜雪時降。北邊至寒,三月下霜,未為變也。此殆北邊三月尚寒,霜適自降,而衍適呼,與霜逢會。傳曰:「燕有寒谷,不生五谷。」

南方は至って熱く、煎り炒って石を爛らせるので、父と子が同じ水で浴する。北方は至って寒く、氷が凝り土が坼けるので、父と子が同じ穴に処る。燕は北の辺りにあり、鄒衍のとき、周の五月は正しい歳の三月である。中州の内では正月や二月に霜や雪が時に降る。北の辺りは至って寒いので、三月に霜が下っても変とはならない。これはおそらく北の辺りが三月でもなお寒くて霜が適々自ら降り、衍が適々呼んで、霜と逢い会ったのである。伝に「燕に寒い谷があって、五穀が生じない」とある。

鄒衍吹律,寒谷復溫,則能使氣溫,亦能使氣復寒。何知衍不令時人知己之冤,以天氣表己之誠,竊吹律於燕谷獄,令氣寒而因呼天乎?即不然者,霜何故降?范雎為須賈所讒,魏齊之,折干摺脅。張儀游於楚,楚相掠之,被捶流血。二子冤屈,太史公列記其狀。鄒衍見拘,雎、儀之比也,且子長何諱不言?案衍列傳,不言見拘而使霜降。偽書游言,猶太子丹使日再中、天雨粟也。由此言之,衍呼而降霜,虛矣!則杞梁之妻哭而崩城,妄也!

鄒衍が律を吹いて寒い谷がまた温かくなったのであれば、気を温かくさせられるし、やはり気をまた寒くさせられる。衍が当時の人に自分の冤を知らせようとして、天の気によって自分の誠を表そうと、ひそかに燕の谷の獄で律を吹いて気を寒くし、それに因って天に呼んだのではないと、どうして分かるのか。もしそうでないのなら、霜はどういう故に降ったのか。范雎は須賈に讒されて、魏齊がこれを笞ち、干を折り脅を摺いた。張儀は楚に游んで、楚の相がこれを掠ち、捶たれて血を流した。二人の冤れ屈したさまを、太史公はその状を列ね記した。鄒衍が拘われたのは雎や儀と比べられるのに、子長はどうして諱んで言わなかったのか。衍の列伝を調べても、拘われて霜を降らせたとは言っていない。偽りの書、游いだ言は、太子の丹が日をまた中天にし、天が粟を雨降らせたというのと同じである。このことから言えば、衍が呼んで霜を降らせたというのは虚しい。とすれば杞梁の妻が哭して城を崩したというのも、みだりである。

頓牟叛,趙襄子帥(帥)〔師〕攻之,軍到城下,頓牟之城崩者十餘丈,襄子擊金而退之。夫以杞梁妻哭而城崩,襄子之軍有哭者乎?秦之將滅,都門內崩;霍光家且敗,第牆自坏。誰哭於秦宮,泣於霍光家者?然而門崩牆坏,秦、霍敗亡之徵也。或時杞國且圮,而杞梁之妻適哭城下,猶燕國適寒而鄒衍偶呼也。事以類而時相因,聞見之者或而然之。又城老牆朽,猶有崩坏。一婦之哭,崩五丈之城,是(城)則一指摧三仞之楹也。春秋之時山多變。山、城,一類也。哭能崩城,復能坏山乎?女然素縞而哭河,河流通。信哭城崩,固其宜也。案杞梁從軍,死不歸。其婦迎之,魯君吊於途,妻不受吊,棺歸於家,魯君就吊,不言哭於城下。本從軍死,從軍死不在城中,妻向城哭,非其處也。然則杞梁之妻哭而崩城,復虛言也。

頓牟が叛いたので、趙の襄子が師を帥いてこれを攻め、軍が城の下に到ると、頓牟の城の崩れたところが十余丈になったので、襄子は金を撃ってこれを退かせた。そもそも杞梁の妻が哭して城が崩れたというのなら、襄子の軍に哭した者がいたのか。秦がまさに滅びようとすると都の門の内が崩れ、霍光の家がまさに敗れようとすると第の牆が自ら坏れた。誰が秦の宮で哭し、霍光の家で泣いたのか。それでも門が崩れ牆が坏れたのは、秦や霍が敗れ亡びる徵であった。あるいは杞の国がまさに圮れようとしているときに、杞梁の妻が適々城の下で哭したのであって、燕の国が適々寒くて鄒衍が偶々呼んだのと同じである。事が類によって起こり時が相い因るので、聞き見た者が惑ってそうだと思ったのである。また城が老い牆が朽ちれば、やはり崩れ坏れることはある。一人の婦の哭で五丈の城を崩すのであれば、これは一本の指で三仞の楹を摧くことである。春秋の時に山が多く変じた。山と城は一つの類である。哭して城を崩せるのであれば、さらに山を坏せるのか。女然が素い縞を着て河に哭すると、河が流れ通じた。哭によって城が崩れることを信じるのであれば、それも当然であろう。調べてみると、杞梁は軍に従って死んで帰らなかった。その婦がこれを迎えるのに、魯の君が途で吊したが、妻は吊を受けず、棺が家に帰ってから魯の君が就いて吊したのであって、城の下で哭したとは言っていない。もともと軍に従って死んだのであり、軍に従って死んだのは城の中ではないのだから、妻が城に向かって哭するのは、その処ではない。とすれば杞梁の妻が哭して城を崩したというのも、やはり虚しい言である。

因類以及,荊軻〔刺〕秦王,白虹貫日;衛先生為秦畫長平之計,太白食昴。復妄言也。夫豫子謀殺襄子,伏於橋下,襄子至橋心動。貫高欲殺高祖,藏人於壁中,高祖至柏人亦動心。

類によって及べば、荊軻が秦王を刺そうとして白い虹が日を貫き、衛先生が秦のために長平の計を画いて太白が昴を食したというのも、やはりみだりな言である。そもそも豫子が襄子を殺そうと謀って橋の下に伏すと、襄子は橋に至って心が動いた。貫高が高祖を殺そうとして人を壁の中に蔵すと、高祖は柏人に至ってやはり心が動いた。

二子欲刺兩主,兩主心動。實論之,尚謂非二子精神所能感也。而況荊軻欲刺秦王,秦王之心不動,而白虹貫日乎?然則白虹貫日,天變自成,非軻之精為虹而貫日也。鉤星在房、心間,地且動之占也。地且動,鉤星應房、心。夫太白食昴,猶鉤星在房、心也。謂衛先生長平之議,令太白食昴,疑矣!歲星害鳥尾,周、楚惡之。然之氣見,宋、衛、陳、鄭災。案時周、楚未有非,而宋、衛、陳、鄭未有惡也。然而歲星先守尾,災氣署垂於天,其後周、楚有禍,宋、衛、陳、鄭同時皆然。

二人が二人の主を刺そうとして、二人の主の心が動いた。実を論ずれば、それでも二人の精神が感じさせられたものではないと言う。まして荊軻が秦王を刺そうとして、秦王の心は動かずに、白い虹が日を貫いたなどということがあろうか。とすれば白い虹が日を貫いたのは、天の変が自ら成ったのであって、軻の精しいものが虹となって日を貫いたのではない。鉤星が房と心の間にあるのは、地がまさに動こうとする占いである。地がまさに動こうとして、鉤星が房と心に応じたのである。そもそも太白が昴を食するのは、鉤星が房と心にあるのと同じである。衛先生の長平の議が太白に昴を食させたと言うのは、疑わしい。歳星が鳥尾を害したので、周と楚がこれを悪んだ。燃え立つ気が見れたので、宋・衛・陳・鄭に災いがあった。調べてみると、当時、周や楚にまだ非はなく、宋・衛・陳・鄭にまだ悪はなかった。それでも歳星が先に尾を守り、災いの気が天に署れ垂れて、その後に周や楚に禍があり、宋・衛・陳・鄭が同じ時にみなそうなったのである。

歲星之害周、楚,天氣災四國也。何知白虹貫日不致秦王,太白食昴〔不〕使長平計起也?

歳星が周や楚を害したのは、天の気が四つの国に災いしたのである。白い虹が日を貫いたことが秦王を致したのではなく、太白が昴を食したことが長平の計を起こさせたのではないと、どうして分かるのか。