いにしえの文 › 論衡(虚と実を秤にかける書)

齊世篇

論衡(虚と実を秤にかける書) 論衡 · 王充 · 80年頃 · 段落 21 · 漢字 2,656字 · 朗読 10.6分

論衡(虚と実を秤にかける書) 後漢の人・王充が自ら明かしたこの書の意は四字である — 「疾虚妄」、虚しく妄りなものを憎む。天が人の事に応えて災いを下すとか、死ねば鬼神になって仇を返すとか、日を選ばなければ障りがあるとかいう、その時代の言い分を一つ一つ捕らえて論じる。 論じる肌合いが人とは違う。年長者の言葉だからといってそのままにしない — 孔子に問い(問孔)、孟子を刺し(刺孟)、韓非を否とする(非韓)。天が咎めて災いを下すという言い分には、それならば天はなぜ君主一人のために国中に旱を下すのかと問い返す。 「虚」の字が付いた九篇(書虚・変虚・異虚・感虚・福虚・禍虚・龍虚・雷虚・道虚)が一列に並び、古い書に記された不思議な話を順に捕らえる。「増」の字が付いた三篇(語増・儒増・芸増)は、言葉がどのように膨らんでいくのかを扱う。 吉験篇には、夫余の東明が弓をよく射たので王が殺そうとし、南へ逃れて掩淲水に至ったという話がある。今に残る東明の記録のうち最も早い形である。

語稱上世之人侗長佼好,堅強老壽,百歲左右;下世之人短小陋丑,夭折早死。何則?上世和氣純渥,婚姻以時,人民稟善氣而生,生又不傷,骨節堅定,故長大老壽,狀貌美好。下世反此,故短小夭折,形面丑惡。此言妄也。

言い伝えでは、上の世の人は背が高く姿がよく、堅く強くて長生きで、百歳前後だったが、下の世の人は小さく醜く、若くして折れ早く死ぬという。なぜか。上の世は和らいだ気が純(すなお)で厚く、婚姻を時に合わせたので、民は善い気を受けて生まれ、生まれてまた傷つかず、骨の節が堅く定まったので、大きく長生きで、姿も美しかった。下の世はこれと反対なので、小さく若くして折れ、体も顔も醜く悪い、というのである。この言はみだりである。

夫上世治者,聖人也;下世治者,亦聖人也。聖人之德,前後不殊,則其治世,古今不異。上世之天,下世之天也。天不變易,氣不改更。上世之民,下世之民也,俱稟元氣。元氣純和,古今不異,則稟以為形體者,何故不同?夫稟氣等則懷性均,懷性均則體同,形體同則丑好齊,丑好齊則夭壽適。一天一地,并生萬物。萬物之生,俱得一氣。氣之薄渥,萬世若一。帝王治世,百代同道。人民嫁娶,同時共禮。雖言男三十而娶,女二十而嫁,法制張設,未必奉行。何以效之?以今不奉行也。禮樂之制,存見於今,今之人民,肯行之乎?今人不肯行,古人亦不肯舉。以今之人民,知古之人民也。

上の世を治めた者は聖人であり、下の世を治めた者もまた聖人である。聖人の徳が前も後も違わないのなら、その世の治めも古今で異ならない。上の世の天は下の世の天である。天は変わり替わらず、気は改まり替わらない。上の世の民は下の世の民であって、どちらも元気(もとのき)を受けている。元気が純で和らいでいることが古今で異ならないのなら、それを受けて体となったものが、どうして同じでないのか。気を受けたのが等しければ懐(やど)した性も揃い、懐した性が揃えば体も同じで、体が同じなら醜さ美しさも揃い、醜さ美しさが揃えば若死にと長生きも釣りあう。一つの天と一つの地が、そろって万物を生む。万物が生まれるとき、どれも一つの気を得る。気の薄さ厚さは、万世にわたって一つのようである。帝王が世を治めるのに、百代が道を同じくする。民が嫁ぎ娶(めと)るのに、時を同じくし礼を共にする。男は三十で娶り、女は二十で嫁ぐというけれども、法や制を張り設けても、必ず奉じ行われるわけではない。何によってそれを確かめるか。いまそれが奉じ行われていないことによる。礼楽の制は今も残り見えているが、今の民がそれを進んで行うだろうか。今の人が行おうとしないのだから、昔の人もまた挙げて行おうとしなかった。今の民によって昔の民が分かる。

〔人,物也;〕物,亦物也。人生一世,壽至一百歲。生為十歲兒時,所見地上之物,生死改易者多。至於百歲,臨且死時,所見諸物,與年十歲時所見,無以異也。使上世下世,民人無有異,則百歲之間,足以卜筮。六畜長短,五谷大小,昆蟲、草木、金石、珠玉、蜚、蠕動、行、喙息,無有異者,此形不異也。古之水火,今之水火也。今氣為水火也,使氣有異,則古之水清火熱,而今水濁火寒乎?

人は物であり、物もまた物である。人は一つの世を生きて、寿(よわい)が百歳に至る。生まれて十歳の子であったとき見た地の上の物は、生き死にして改まり替わったものが多い。百歳に至ってまさに死ぬときに見るあらゆる物は、年十歳のときに見たものと変わるところがない。上の世と下の世とで民に違いがないのなら、百年の間で占ってみるに足りる。六畜の長短、五穀の大小、昆虫・草木・金石・珠玉、飛ぶもの、蠕(うごめ)くもの、歩くもの、嘴(くちばし)で息するものに、違うものはない。これは形が違わないということである。昔の水と火は、今の水と火である。いまは気が水や火となるのだから、気に違いがあるというのなら、昔の水は清く火は熱くて、今の水は濁り火は寒いというのか。

人生長六七尺,大三四圍,面有五色,壽至於百,萬世不異。如以上世人民侗長佼好,堅強老壽,下世反此;則天地初立,始為人時,長可如防風之君,色如宋朝,壽如彭祖乎?從當今至千世之後,人可長如莢英,色如嫫母,壽如朝生乎?王莽之時,長人生長一丈,名曰霸出。建武年中,穎川張仲師長一丈二寸,張湯八尺有餘,其父不滿五尺,俱在今世,或長或短。儒者之言,竟(非)〔大〕誤也。語稱上世使民以宜,傴者抱關,侏儒俳優。

人は生まれ育って六、七尺、太さ三、四囲、顔に五つの色があり、寿が百に至る。これは万世にわたって異ならない。上の世の民が背が高く姿がよく堅く強くて長生きで、下の世はこれと反対だというのなら、天と地が初めて立ち、はじめて人となったころは、背丈は防風の君のようで、色は宋朝のようで、寿は彭祖のようでありえたのか。いまから千世の後に至れば、人は背丈が莢英のようで、色は嫫母のようで、寿は朝生のようでありえるのか。王莽のとき、背の高い人が生まれて背丈一丈、名を霸出といった。建武の年中、穎川の張仲師は背丈一丈二寸、張湯は八尺あまりで、その父は五尺に満たなかった。どちらも今の世にいながら、高いものもあり低いものもある。儒者の言は結局大いに誤っている。言い伝えでは、上の世は民を宜しきに応じて使い、傴(せぐくま)った者は関を守り、侏儒(こびと)は俳優となったという。

如皆侗長佼好,安得傴侏之人乎?

みな背が高く姿がよかったのなら、どこから傴った者や侏儒の人を得られようか。

語稱上世之人質朴易化,下世之人文薄難治,故《易》曰:「上古之時,結繩以治,後世易之以書契。」

言い伝えでは、上の世の人は質朴で化しやすく、下の世の人は文(かざ)り薄くて治めにくいという。だから『易』に「上古の時は、縄を結んで治め、後の世はそれを書契に替えた」とある。

先結繩,易化之故;後書契,難治之驗也。故夫宓犧之前,人民至質朴,臥者居居,坐者于于,群居聚處,知其母不識其父。至宓犧時,人民頗文,知欲詐愚,勇欲恐怯,強欲凌弱,眾欲暴寡,故宓犧作八卦以治之。至周之時,人民文薄,八卦難復因襲,故文王衍為六十四首,極其變使民不倦。

先に縄を結んだのは化しやすかったからで、後に書契にしたのは治めにくかったことの徴だというのである。だから宓犧より前は、民はきわめて質朴で、臥す者はゆったりし、坐る者はのんびりして、群れて住み寄り集まって暮らし、その母を知ってもその父を知らなかった。宓犧のときに至って、民はかなり文(かざ)り、知のある者は愚かな者を欺こうとし、勇ある者は怯(おく)する者を恐れさせようとし、強い者は弱い者を凌(しの)ごうとし、多い者は少ない者を暴(しいた)げようとしたので、宓犧は八卦を作ってこれを治めた。周のときに至って、民は文り薄くなり、八卦をそのまま踏襲するのは難しかったので、文王はそれを広げて六十四の首(かしら)とし、その変化を極めて民が倦(う)まないようにした。

至周之時,人民(久)〔文〕薄,故孔子作《春秋》,采毫毛之善,貶纖介之惡,稱曰:「周監于二代,郁郁乎文哉!吾從周。」孔子知世浸弊,文薄難治,故加密致之罔,設纖微之禁,檢(狎)〔押〕守持,備具悉極。此言妄也。

周のときに至って民は文り薄くなったので、孔子は『春秋』を作り、毛ほどの善を採り、わずかな介しほどの悪を貶し、称えて「周は二つの代を鑑(かがみ)としている。郁郁(いくいく)として文(あや)やかだ。わたしは周に従う」と言った。孔子は世が次第に弊(すさ)れ、文り薄くて治めにくくなったことを知ったので、密で細かい網を加え、こまやかな禁を設け、押さえ守り持つことを、備えつくし極めたというのである。この言はみだりである。

上世之人所懷五常也,下世之人亦所懷五常也。俱懷五常之道,共稟一氣而生,上世何以質朴,下世何以文薄?彼見上世之民飲血茹毛,無五谷之食,後世穿地為井,耕土種谷,飲井食粟,有水火之調;又見上古岩居穴處,衣禽獸之皮,後世易以宮室,有布帛之飾,則謂上世質朴,下世文薄矣。

上の世の人が懐いていたのは五常であり、下の世の人もまた懐いているのは五常である。どちらも五常の道を懐き、ともに一つの気を受けて生まれたのに、上の世は何によって質朴で、下の世は何によって文り薄いのか。彼らは、上の世の民が血を飲み毛のまま食べて五穀の食がなかったのに、後の世は地を穿(うが)って井を作り、土を耕して穀物を植え、井を飲み粟を食べて、水と火の調えがあるのを見、また上古は岩に住み穴に暮らし、禽獣の皮を着ていたのに、後の世はそれを宮室に替え、布や帛の飾りがあるのを見て、上の世は質朴で下の世は文り薄いと言ったのである。

夫器業變易,性行不異。然而有質朴文薄之語者,世有盛衰,衰極久有弊也。譬猶衣食之於人也,初成鮮完,始熟香潔,少久穿敗,連日臭茹矣。文質之法,古今所共。一質一文,一衰一盛,古而有之,非獨今也。何以效之?傳曰:「夏后氏之王教以忠。上教以忠,君子忠,其失也,小人野。救野莫如敬,殷〔之〕王(之)教以敬。上教用敬,君子敬,其失也,小人鬼。救鬼莫如文,故周之王教以文。上教以文,君子文,其失也,小人薄。救薄莫如忠,承周而王者,當教以忠。」

器(うつわ)や業(なりわい)は変わり替わるが、性や行いは異ならない。それでも質朴だ文り薄いという言葉があるのは、世に盛んと衰えがあって、衰えが極まって久しければ弊(やつ)れがあるからである。たとえば衣や食が人にあって、出来あがったばかりは新しく完(まった)く、煮えたばかりは香ばしく清いが、少し久しくなれば穿(あな)があき破れ、日が重なれば臭くなり饐(す)えるのと同じである。文と質の法は古今が共にするところである。一たび質となり一たび文となり、一たび衰え一たび盛んになることは、昔からあったのであって、今だけのことではない。何によってそれを確かめるか。伝に言う。「夏后氏の王は忠で教えた。上が忠で教えれば、君子は忠であるが、その失いとして小人は野(あら)くなる。野さを救うには敬に及ぶものがないので、殷の王は敬で教えた。上が敬を用いれば、君子は敬であるが、その失いとして小人は鬼(かみ)に走る。鬼に走るのを救うには文に及ぶものがないので、周の王は文で教えた。上が文で教えれば、君子は文やかであるが、その失いとして小人は薄くなる。薄さを救うには忠に及ぶものがないので、周を承けて王となる者は、忠で教えるべきである。」

夏所承唐、虞之教薄,故教以忠;唐、虞以文教,則其所承有鬼失矣。世人見當今之文薄也,狎侮非之,則謂上世朴質,下世文薄。猶家人子弟不謹,則謂他家子弟謹良矣。

夏が承けた唐や虞の教えが薄かったので忠で教えたのであり、唐や虞が文で教えたのなら、その承けたところに鬼に走る失いがあったことになる。世の人は今の文り薄いのを見て、侮り非(わる)しとして、上の世は朴で質、下の世は文り薄いという。家の子弟が慎まないと、他家の子弟は慎んでよいと言うのと同じである。

語稱上世之人重義輕身,遭忠義之事,得己所當赴死之分明也,則必赴湯趨鋒,死不顧恨。故弘演之節,陳不占之義,行事比類,書籍所載,亡命捐身,眾多非一。今世趨利苟生,棄義妄得,不相勉以義,不相激以行,義廢身不以為累,行隳事不以相畏。此言妄也。

言い伝えでは、上の世の人は義を重んじ身を軽んじ、忠義の事に遭って、自分が死に赴くべき分がはっきりすれば、必ず湯に赴き鋒(ほこさき)へ走り、死んでも恨みを顧みなかったという。だから弘演の節、陳不占の義のように、行った事に似た類があり、書籍に載っているところでは、命を亡ぼし身を捨てた者は数多く一人ではない。いまの世は利に走って苟(かりそめ)に生き、義を捨ててみだりに得ようとし、互いに義で励ましあわず、互いに行いで激しあわず、義が廃れても身がそれを累(わずらい)とせず、行いが崩れても事がそれで互いに畏れることをしない、というのである。この言はみだりである。

夫上世之士,今世之士也,俱含仁義之性,則其遭事并有奮身之節。古有無義之人,今有建節之士。善惡雜廁,何世無有。述事者好高古而下今,貴所聞而賤所見。辨士則談其久者,文人則著其遠者。近有奇而辨不稱,今有異而筆不記。若夫琅邪兒子明,歲敗之時,兄為飢人所食,自縛叩頭,代兄為食,餓人美其義,兩舍不食。

上の世の士は今の世の士である。どちらも仁義の性を含んでいるのなら、その事に遭ったときにも、そろって身を奮う節がある。昔にも義のない人があり、今にも節を立てる士がある。善と悪が入りまじっていることは、どの世にもないことがない。事を述べる者は、古を高くし今を低くするのを好み、聞いたことを貴び、見たことを賤しむ。弁の士はその久しいことを談じ、文の人はその遠いことを著(しる)す。近くに珍しいことがあっても弁は称えず、今に異なることがあっても筆は記さない。あの琅邪の兒子明は、年の実りが敗れたとき、兄が飢えた人に食われようとしたので、みずから縛って頭を叩き、兄に代わって食われようとした。飢えた人はその義を美しいとして、二人とも放して食わなかった。

兄死,收養其孤,受不異於己之子,歲敗谷盡,不能兩活,餓殺其子,活兄之子。臨淮許君叔亦養兄孤子,歲倉卒之時,餓其親子,活兄之子,與子明同義。會稽孟章父英為郡決曹掾,郡將撾殺非辜,事至覆考,英引罪自予,卒代將死。章后復為郡功曹,從役攻賊,兵卒北敗,為賊所射,以身代將,卒死不去。此弘演之節,陳不占之義,何以異?當今著文書者,肯引以為比喻乎?比喻之証,上則求虞、夏,下則索殷、周。秦、漢之際,功奇行殊,猶以為后。又況當今在百代下,言事者目親見之乎?

兄が死ぬと、その孤児を引き取って養い、受けることが自分の子と変わらなかった。年の実りが敗れて穀物が尽き、二人を活かせなくなったとき、自分の子を飢えさせて死なせ、兄の子を活かした。臨淮の許君叔もまた兄の孤児を養い、年のあわただしいときに、その親の子を飢えさせ、兄の子を活かした。子明と義を同じくする。会稽の孟章の父の英は郡の決曹掾となったが、郡の将が罪のない者を撾(う)ち殺し、事が再調査に至ると、英は罪を引き受けてみずから負い、ついに将に代わって死んだ。章は後にまた郡の功曹となり、役に従って賊を攻めたが、兵卒が敗れて逃げ、賊に射られたとき、身をもって将に代わり、ついに死ぬまで去らなかった。これは弘演の節、陳不占の義と、どこが違うのか。いま文や書を著す者が、これを引いて比喩としようとするだろうか。比喩の証は、上は虞や夏に求め、下は殷や周に探す。秦や漢のころの、功が珍しく行いが優れたものも、なお後(おくれ)たものと見なす。まして今、百代の下にいて、事を言う者が目で自ら見たものはなおさらである。

畫工好畫上代之人,秦、漢之士,功行譎奇,不肯圖。〔不肯圖〕今世之士者,尊古卑今也。貴鵠賤雞,鵠遠而雞近也。使當今說道深於孔、墨,名不得與之同;立行崇於曾、顏,聲不得與之鈞。何則?世俗之性,賤所見貴所聞也。有人於此,立義建節,實核其操,古無以過。為文書者,肯載於篇籍,表以為行事乎?作奇論,造新文,不損於前人,好事者肯舍久遠之書,而垂意觀讀之乎?揚子雲作《太玄》,造《法言》,張伯松不肯壹觀,與之并肩,故賤其言。使子云在伯松前,伯松以為金匱矣!

画工は上の代の人を描くのを好み、秦や漢の士は、功も行いも奇(すぐ)れて優れていても描こうとしない。今の世の士を描こうとしないのは、古を尊び今を卑しむからである。鵠(くぐい)を貴び鶏を賤しむのは、鵠が遠く鶏が近いからである。いま道を説くことが孔子や墨子より深くても、名を彼らと同じにはできず、行いを立てることが曾子や顔淵より崇(たか)くても、声(ほまれ)を彼らと等しくはできない。なぜか。世俗の性は、見たものを賤しみ聞いたものを貴ぶからである。ここに人があって、義を立て節を立て、その身の持ちようを実(たしか)に調べてみれば、古にも越える者はない。それでも文や書を作る者が、それを篇や籍に載せて、行った事として表そうとするだろうか。奇(すぐ)れた論を作り、新しい文を造って、前の人に劣らなくても、物好きな者が久しく遠い書を捨てて、意を向けてそれを読もうとするだろうか。揚子雲が『太玄』を作り『法言』を造ったが、張伯松は一度も見ようとしなかった。彼と肩を並べていたから、その言を賤しんだのである。子雲が伯松より前にいたなら、伯松はそれを金匱(かねのひつ)のように扱っただろう。

語稱上世之時,聖人德優,而功治有奇。故孔子曰:「大哉,堯之為君也!唯天為大,唯堯則之。蕩蕩乎民無能名焉!巍巍乎其有成功也!煥乎其有文章也!」

言い伝えでは、上の世の時には聖人の徳が優れていて、功や治めに奇(すぐ)れたところがあったという。だから孔子は言った。「大きいことだ、堯の君としてのありようは。ただ天が大きいが、ただ堯がそれに則った。蕩々として広く、民はそれを名づけることができない。巍々として高く、その成した功があることよ。煥(かがや)かしく、その文章があることよ。」

舜承堯不墮洪業,禹襲舜不虧大功。其後至湯,舉兵代桀,武王把鉞討紂,無巍巍蕩蕩之文,而有動兵討伐之言。蓋其德劣而兵試,武用而化薄。化薄,不能相逮之明驗也。及至秦、漢,兵革云擾,戰力角勢,秦以得天下。既得在下,無嘉瑞之美,若協和萬國、鳳皇來儀之類,非德劣不及,功薄不若之徵乎?此言妄也。

舜は堯を承けて大きな業を堕とさず、禹は舜を襲(う)けて大きな功を欠かさなかった。その後、湯に至って兵を挙げて桀に代わり、武王は鉞を手に紂を討った。そこには巍々蕩々という文はなく、兵を動かして討伐したという言がある。おそらくその徳が劣っていて兵を試み、武を用いて化が薄かった。化が薄いことは、互いに及びえないことの明らかな徴である。秦や漢に至って、兵と甲が雲のように騒ぎ、力を戦わせ勢いを競って、秦が天下を得た。天下を得てからも、めでたい瑞の美しさ、たとえば万国を協(やわ)らげ和(なご)ませる、鳳皇が来て舞うというような類はなかった。それは徳が劣って及ばず、功が薄くて及ばないことの徴ではないか。この言はみだりである。

夫天地氣和,即生聖人。聖人之治,即立大功。和氣不獨在古先,則聖人何故獨優!世俗之性,好褒古而毀今,少所見而多所聞。又見經傳增賢聖之美,孔子尤大堯、舜之功。又聞堯、(禹)〔舜〕禪而相讓,湯、武伐而相奪。則謂古聖優於今,功化渥地後矣。夫經有褒增之文,世有空加之言,讀經覽書者所共見也。孔子曰:「紂之不善,不若是之甚也。是以君子惡居下流,天下之惡皆歸焉。」

天と地の気が和らげば、すなわち聖人が生まれる。聖人の治めは、すなわち大きな功を立てる。和らいだ気が古に先立つところだけにあるのでないなら、聖人がどうして古だけ優れていようか。世俗の性は、古を褒め今を毀(そし)るのを好み、見たものは少なく聞いたものが多い。また経伝が賢く聖なる者の美しさを足しているのを見、孔子がことさらに堯や舜の功を大きくしているのを見た。また堯と舜が禅(ゆず)って互いに譲り、湯と武が伐って互いに奪ったと聞いた。それで古の聖は今より優れ、功と化が厚いことは後より勝ると言うのである。経に褒めて足した文があり、世に空しく加えた言があることは、経を読み書を見る者がみな知るところである。孔子は言った。「紂の善くなさは、これほど甚だしくはなかった。だから君子は下の流れに居るのを嫌う。天下の悪がみなそこに帰するからだ。」

世常以桀、紂與堯、舜相反,稱美則說堯、舜,言惡則舉紂、桀。孔子曰「紂之不善不若是之甚也」,則知堯、舜之德不若是其盛也。

世はいつも桀や紂と堯や舜を正反対のものとして、美しさを称えるときは堯や舜を説き、悪を言うときは紂や桀を挙げる。孔子が「紂の善くなさはこれほど甚だしくはなかった」と言ったのだから、堯や舜の徳もこれほど盛んではなかったと分かる。

堯、舜之禪,湯、武之誅,皆有天命,非優劣所能為,人事所能成也。使湯、武在唐、虞,亦禪而不伐;堯、舜在殷、周,亦誅而不讓。蓋有天命之實,而世空生優劣之語。經言協和萬國,時亦有丹朱;鳳皇來儀,時亦有有苗;兵皆動而并用,則知德亦何優劣而小大也!

堯や舜の禅譲、湯や武の誅伐は、どれも天の命があってのことで、優劣が為しうることではなく、人の事が成しうることではない。湯や武が唐や虞の世にあったなら、やはり禅って伐たなかっただろうし、堯や舜が殷や周の世にあったなら、やはり誅して譲らなかっただろう。おそらく天の命の実があるのに、世が空しく優劣の言を生んだのである。経は万国を協らげ和ませたと言うが、その時にもまた丹朱がおり、鳳皇が来て舞ったというが、その時にもまた有苗がいた。兵はどちらも動かされともに用いられたのだから、徳にまたどんな優劣や大小があるというのか。

世論桀、紂之惡,甚於亡秦。實事者謂亡秦惡甚於桀、紂。秦、漢善惡相反,猶堯、舜、桀、紂相違也。亡秦與漢皆在後世,亡秦惡甚於桀、紂,則亦知大漢之德不劣於唐、虞也。唐之萬國,固增而非實者也。有虞之鳳皇,宣帝貼已五致之矣。孝明帝符瑞并至。夫德優故有瑞,瑞鈞則功不相下。宣帝、孝明如劣不及堯、舜,何以能致堯、舜之瑞?光武皇帝龍興鳳舉,取天下若拾遺,何以不及殷湯、周武?世稱周之成、康不虧文王之隆,舜巍巍不虧堯之盛功也。方今聖朝承光武,襲孝明,有浸酆溢美之化,無細小毫髪之虧,上何以不逮舜、禹,下何以不若成、康!世見五帝、三王事在經傳之上,而漢之記故,尚為文書,則謂古聖優而功大,後世劣而化薄矣!

世は桀や紂の悪が亡んだ秦より甚だしいと論ずる。実の事を言う者は、亡んだ秦の悪が桀や紂より甚だしいという。秦と漢の善悪が正反対であるのは、堯舜と桀紂が互いに違うのと同じである。亡んだ秦も漢もどちらも後の世にあって、亡んだ秦の悪が桀や紂より甚だしいのなら、やはり大漢の徳が唐や虞に劣らないと分かる。唐の万国は、もともと足されたもので実ではない。有虞の鳳皇は、宣帝がすでに五たび招いた。孝明帝には符(しるし)と瑞がそろって至った。徳が優れているから瑞があるのであり、瑞が等しければ功も互いに下ではない。宣帝や孝明が劣っていて堯や舜に及ばないのなら、何によって堯や舜の瑞を招けたのか。光武皇帝が龍のように興り鳳のように挙がって、天下を取ることが落ちた物を拾うようであったのに、何によって殷の湯や周の武に及ばないというのか。世は、周の成王・康王が文王の隆(さかん)さを欠かさず、舜の巍々たることが堯の盛んな功を欠かさなかったと称える。いま聖なる朝廷は光武を承け、孝明を襲けて、潤い豊かに溢れるほど美しい化があり、細く小さな毛ほどの欠けもない。上はどうして舜や禹に及ばず、下はどうして成王・康王に及ばないというのか。世は五帝や三王の事が経伝の上にあり、漢の記録はまだ文書であるにすぎないのを見て、古の聖は優れて功が大きく、後の世は劣って化が薄いというのである。