いにしえの文 › 論衡(虚と実を秤にかける書)

宣漢篇

論衡(虚と実を秤にかける書) 論衡 · 王充 · 80年頃 · 段落 14 · 漢字 2,139字 · 朗読 8.6分

論衡(虚と実を秤にかける書) 後漢の人・王充が自ら明かしたこの書の意は四字である — 「疾虚妄」、虚しく妄りなものを憎む。天が人の事に応えて災いを下すとか、死ねば鬼神になって仇を返すとか、日を選ばなければ障りがあるとかいう、その時代の言い分を一つ一つ捕らえて論じる。 論じる肌合いが人とは違う。年長者の言葉だからといってそのままにしない — 孔子に問い(問孔)、孟子を刺し(刺孟)、韓非を否とする(非韓)。天が咎めて災いを下すという言い分には、それならば天はなぜ君主一人のために国中に旱を下すのかと問い返す。 「虚」の字が付いた九篇(書虚・変虚・異虚・感虚・福虚・禍虚・龍虚・雷虚・道虚)が一列に並び、古い書に記された不思議な話を順に捕らえる。「増」の字が付いた三篇(語増・儒増・芸増)は、言葉がどのように膨らんでいくのかを扱う。 吉験篇には、夫余の東明が弓をよく射たので王が殺そうとし、南へ逃れて掩淲水に至ったという話がある。今に残る東明の記録のうち最も早い形である。

儒者稱五帝、三王致天下太平,漢興已來,未有太平。彼謂五帝、三王致太平,漢未有太平者,見五帝、三王聖人也,聖人之德能致太平;謂漢不太平者,漢無聖帝也,賢者之化,不能太平。又見孔子言「鳳鳥不至,河不出圖,吾已矣夫」,方今無鳳鳥、《河圖》,瑞頗未至悉具,故謂未太平。此言妄也。

儒者は、五帝や三王は天下の太平を招いたが、漢が興って以来、太平はないと称える。彼らが五帝や三王は太平を招き漢には太平がないというのは、五帝や三王が聖人であるのを見て、聖人の徳が太平を招けるとするからである。漢が太平でないというのは、漢に聖なる帝がなく、賢者の化では太平になれないとするからである。また孔子が「鳳の鳥は至らず、河は図を出さない。わたしはもう終わりだ」と言ったのを見て、いま鳳の鳥も『河図』もなく、瑞がまだすべて揃って至っていないので、まだ太平でないというのである。この言はみだりである。

夫太平以治定為效,百姓以安樂為符。孔子曰:「修己以安百姓,堯、舜其猶病諸!」

太平は治めが定まることを効き目とし、民は安らぎ楽しむことを符(しるし)とする。孔子は言った。「みずからを修めて民を安んずることは、堯や舜でもなお難しいとした。」

百姓安者,太平之驗也。夫治人以人為主,百姓安而陰陽和,陰陽和則萬物育,萬物育則奇瑞出。視今天下,安乎?危乎?安則平矣,瑞雖未具,無害於平。故夫王道定事以驗,立實以效,效驗不彰,實誠不見。時或實然,証驗不具。是故王道立事以實,不必具驗。聖(主)〔王〕治世,期於平安,不須符瑞。

民が安らかであることが太平の徴である。人を治めるのは人を主とするのであって、民が安らかであれば陰陽が和らぎ、陰陽が和らげば万物が育ち、万物が育てば珍しい瑞が出る。いまの天下を見て、安らかなのか、危ういのか。安らかなら平らかなのであって、瑞がまだ揃っていなくても、平らかさに害はない。だから王の道は事を徴によって定め、実を効き目によって立てる。効き目や徴が明らかでなければ、実の誠は見えない。ときには実際にそうであっても、証や徴が揃わないことがある。だから王の道は事を実によって立て、必ず徴を揃えようとはしない。聖なる王が世を治めるのは、平らかさと安らぎを期するのであって、符や瑞を待つのではない。

且夫太平之瑞,猶聖(主)〔王〕之相也。聖王骨法未必同,太平之瑞何為當等?彼聞堯、舜之時,鳳皇、景星皆見,《河圖》、《洛書》皆出,以為後王治天下,當復若等之物,乃為太平。用心若此,猶謂堯當復比齒,舜當復八眉也。夫帝王聖相,前後不同,則得瑞古今不等。而今王無鳳鳥、《河圖》,(為)〔謂〕未太平,妄矣。孔子言鳳皇、《河圖》者,假前瑞以為語也,未必謂世當復有鳳皇與《河圖》也。夫帝王之瑞,眾多非一,或以鳳鳥、麒麟,或以《河圖》、《洛書》,或以甘露、醴泉,或以陰陽和調,或以百姓安。今瑞未必同於古,古應未必合於今,遭以所得,未必相襲。何以明之?以帝王興起,命(祜)〔佑〕不同也。

また太平の瑞は、聖なる王の相と同じである。聖なる王の骨の法が必ず同じでないのに、太平の瑞がどうして等しいべきだろうか。彼らは堯や舜の時に鳳皇も景星もどちらも現れ、『河図』『洛書』がどちらも出たと聞いて、後の王が天下を治めるには、また同じような物があってはじめて太平だと考える。そんな心の使いかたは、堯はまた歯が並び合っているはずだ、舜はまた眉が八つの色であるはずだというのと同じである。帝王の聖なる相が前と後で同じでないのなら、瑞を得るのも古今で等しくない。それなのに、いまの王に鳳の鳥も『河図』もないからまだ太平でないというのは、みだりである。孔子が鳳皇や『河図』を言ったのは、前の瑞を借りて言葉としたのであって、必ず世にまた鳳皇や『河図』があるべきだというのではない。帝王の瑞は数多く一つではない。あるときは鳳の鳥や麒麟によって、あるときは『河図』『洛書』によって、あるときは甘露や醴泉によって、あるときは陰陽が和らぎ調うことによって、あるときは民が安らかであることによる。いまの瑞は必ず古と同じではなく、古の応は必ず今に合わない。出あって得たものが、必ず互いに受け継がれるのではない。何によってそれを明らかにするか。帝王が興り起こるとき、命と佑(たすけ)が同じでないことによる。

周則烏、魚,漢斬大蛇。推論唐、虞,猶周、漢也,初興始起,事效物氣,無相襲者。太平瑞應,何故當鈞?以已至之瑞,效方來之應,猶守株待兔之蹊,藏身破之路也。

周では烏と魚、漢では大蛇を斬った。唐や虞を推して論ずれば、やはり周や漢と同じで、初めに興り起こるときの事の効き目や物の気には、互いに受け継ぐものがない。太平の瑞の応が、どうして等しいべきだろうか。すでに至った瑞によってこれから来る応を確かめようとするのは、株を守って兎を待つような小道であり、身を隠して破(わなかご)を仕掛ける道である。

天下太平,瑞應各異,猶家人富殖,物不同也:或積米谷,或藏布帛,或畜牛馬,或長田宅。夫樂米谷不愛布帛,歡牛馬不美田宅,則謂米谷愈布帛,牛馬勝田宅矣。今百姓安矣,符瑞至矣,終謂古瑞《河圖》、鳳皇不至,謂之未安,是猶食稻之人入飯稷之鄉,不見稻米,謂稷為非谷也。實者,天下已太平矣,未有聖人何以致之,未見鳳皇何以效實!問世儒不知聖,何以知今無聖人也?世人見鳳皇,何以知之?既無以知之,何以知今無鳳皇也?委不能知有聖與無,又不能別鳳皇是鳳與非,則必不能定今太平與未平也。

天下が太平であるとき、瑞の応がそれぞれ異なるのは、家の人が富み増やすのに、その物が同じでないのと同じである。米や穀を積む者もあり、布や帛を蔵う者もあり、牛や馬を飼う者もあり、田や宅を増やす者もある。米や穀を楽しんで布や帛を好まず、牛や馬を喜んで田や宅を美しいと思わなければ、米や穀が布や帛より勝り、牛や馬が田や宅より勝るというようなものである。いま民は安らかで符や瑞も至っているのに、とうとう古の瑞である『河図』や鳳皇が至らないからといって、まだ安らかでないというのは、稲を食べる人が稷(きび)の飯を食べる郷に入って、稲の米を見ないので稷を穀物ではないというのと同じである。実のところ、天下はすでに太平である。聖人がいないのなら何によってそれを招いたのか。鳳皇を見ていないのなら何によって実を確かめるのか。世の儒者が聖を知らないのに、何によっていま聖人がいないと分かるのかと問いたい。世の人が鳳皇を見ても、何によってそれと分かるのか。もう分かるすべがないのなら、何によっていま鳳皇がいないと分かるのか。聖人がいるかいないかも知ることができず、また鳳皇が鳳であるかないかも見分けられないのなら、いまが太平なのかまだ平らかでないのかを定めることなど、必ずできないはずである。

孔子曰:「如有王者,必世然後仁。」

孔子は言った。「王者があっても、必ず一世を経てはじめて仁(いつく)しみに至る。」

三十年而天下平〔也〕。

三十年で天下が平らかになるというのである。

漢興,至文帝時二十餘年,賈誼創議以為天下洽和,當改正朔、服色、制度,定官名,興禮樂。文帝初即位,謙讓未遑。夫如賈生之議,文帝時已太平矣。漢興二十餘年,應孔子之言「必世然後仁」也。漢一(代)〔世〕之年數已滿,太平立矣,賈生知之。況至今且三百年,謂未太平,誤也。且孔子所謂一世,三十年也;漢家三百歲,十帝耀德,未平,如何?夫文帝之時,固已平矣,歷世(持)〔治〕平矣。至平帝時,前漢已滅,光武中興,復致太平。

漢が興り、文帝の時に至って二十年あまりのとき、賈誼が議を起こして、天下は洽(あまね)く和らいだので、正朔・服色・制度を改め、官の名を定め、礼楽を興すべきだとした。文帝は即位したばかりで、謙り譲ってその暇がなかった。賈生の議のとおりなら、文帝の時にはすでに太平であった。漢が興って二十年あまりであり、孔子の「必ず一世を経てはじめて仁しみに至る」という言に応ずる。漢の一世の年数はすでに満ちて太平が立っており、賈生はそれを知っていた。まして今に至って三百年にもなろうというのに、まだ太平でないというのは誤りである。また孔子の言う一世は三十年である。漢の家は三百年、十人の帝が徳を輝かせたのに、平らかでないというのは、どういうことか。文帝の時にもともとすでに平らかであり、世を経て治まり平らかであった。平帝の時に至って前漢はすでに滅び、光武が中興して、ふたたび太平を招いた。

問曰:「文帝有瑞,可名太平;光武無瑞,謂之太平,如何?」

問う。「文帝には瑞があったので太平と名づけられるが、光武には瑞がなかったのに、それを太平というのは、どういうことか。」

曰:夫帝王瑞應,前後不同。雖無物瑞,百姓宁集,風氣調和,是亦瑞也。何以明之?帝王治平,升封太山,告安也。秦始皇升封太山,遭雷雨之變,治未平,氣未和。光武皇帝升封,天晏然無雲,太平之應也,治平氣應。光武之時,氣和人安,物瑞等至,人氣已驗,論者猶疑。孝宣皇帝元康二年,鳳皇集於太山,後又集於新平。四年,神雀集於長樂宮,或集於上林,九真獻麟。神雀二年,鳳皇、甘露降集京師。

答える。帝王の瑞の応は、前と後で同じでない。物の瑞がなくても、民が安らかに集まり、風や気が調い和らげば、それもまた瑞である。何によってそれを明らかにするか。帝王は治めが平らかであれば、太山に升って封じ、安らかであることを告げる。秦の始皇は太山に升って封じたとき、雷雨の変異に遭った。治めがまだ平らかでなく、気がまだ和らいでいなかったのである。光武皇帝が升って封じたときは、天が晴れやかで雲もなかった。太平の応であり、治めが平らかで気が応じたのである。光武の時には気が和らぎ人が安らかで、物の瑞も等しく至り、人も気もすでに確かめられているのに、論ずる者はそれでも疑う。孝宣皇帝の元康二年、鳳皇が太山に集まり、後にまた新平に集まった。四年、神雀が長楽宮に集まり、あるいは上林に集まり、九真が麟を献じた。神雀二年、鳳皇と甘露が京師に降り集まった。

四年,鳳皇下杜陵及上林。五鳳三年,帝祭南郊,神光并見,或興(子)〔於〕谷,燭耀齋宮,十有餘(日)〔刻〕。明年,祭後土,靈光復至,至如南郊之時;甘露、神雀降集延壽萬歲宮。其年三月,鸞鳳集長樂宮東門中樹上。甘露元年,黃龍至,見於新丰,醴泉滂流。彼鳳皇雖五六至,或時一鳥而數來,或時異鳥而各至。麒麟、神雀、黃龍、鸞鳥、甘露、醴泉,祭後土、天地之時,神光靈耀,可謂繁盛累積矣。孝明時雖無鳳皇,亦致〔麒〕麟、甘露、醴泉、神雀、白雉、紫芝、嘉禾,金出鼎見,離木復合。五帝、三王,經傳所載瑞應,莫盛孝明。如以瑞應效太平,宣、明之年倍五帝、三王也。夫如是,孝宣、孝明可謂太平矣。

四年、鳳皇が杜陵と上林に降りた。五鳳三年、帝が南郊を祭ると、神(くしび)な光がそろって現れ、あるいは谷から起こって斎宮を照らし輝かすこと十余刻であった。翌年、後土を祭ると、霊(くしび)な光がまた至り、南郊の時と同じであった。甘露と神雀が延寿宮・万歳宮に降り集まった。その年の三月、鸞と鳳が長楽宮の東門の中の樹の上に集まった。甘露元年、黄龍が至って新豊に現れ、醴泉が溢れ流れた。あの鳳皇は五、六たび至ったとはいえ、ときに一羽の鳥が何度も来たのであり、ときに別の鳥がそれぞれ至ったのである。麒麟・神雀・黄龍・鸞鳥・甘露・醴泉、そして後土や天地を祭った時の神な光が霊に輝いたことは、繁(しげ)く盛んに積み重なったといえる。孝明の時には鳳皇はなかったが、やはり麒麟・甘露・醴泉・神雀・白い雉・紫の芝・嘉禾を招き、金が出、鼎が現れ、離れた木がまた合わさった。五帝・三王について経伝が載せる瑞の応で、孝明より盛んなものはない。瑞の応で太平を確かめるのなら、宣帝・明帝の年は五帝・三王の倍である。さてこのようであれば、孝宣・孝明は太平といえる。

能致太平者,聖人也,世儒何以謂世未有聖人?天之稟氣,豈為前世者渥,後世者泊哉!周有三聖,文王、武王、周公并時猥出。漢亦一代也,何以當少於周?周之聖王,何以當多於漢?漢之高祖、光武,周之文、武也。文帝、武帝、宣帝、孝明、今上,過周之成、康、宣王。非以身生漢世,可褒增頌嘆,以求媚稱也;核事理之情,定說者之實也。俗好褒遠稱古,講瑞〔則〕上世為美,論治則古王為賢,睹奇於今,終不信然。使堯、舜更生,恐無聖名。獵者獲禽,觀者樂獵,不見漁者,(之)心不顧也。是故觀於齊不虞魯,游於楚不歡宋。唐、虞、夏、殷同載在二尺四寸,儒者(推)〔抽〕讀,朝夕講習,不見漢書,謂漢劣不若,亦觀獵不見漁,游齊、楚不願宋、魯也。使漢有弘文之人,經傳漢事,則《尚書》、《春秋》也,儒者宗之,學者習之,將襲舊六為七,今上、上王至高祖皆為聖帝矣。觀杜撫、班固等所上《漢頌》,頌功德符瑞,汪深廣,滂沛無量,逾唐、虞,入皇域,三代隘辟,厥深沮也。殷監不遠,在夏后之世。且舍唐、虞、夏、殷,近與周家斷量功德,實商優劣,周不如漢。

太平を招けるのは聖人であるのに、世の儒者は何によって世にまだ聖人がないというのか。天が気を授けるのに、どうして前の世には厚く後の世には薄いということがあろうか。周には三人の聖があり、文王・武王・周公が同じ時にまとめて出た。漢もまた一つの代である。どうして周より少ないはずがあろうか。周の聖なる王が、どうして漢より多いはずがあろうか。漢の高祖や光武は、周の文王や武王である。文帝・武帝・宣帝・孝明・いまの上は、周の成王・康王・宣王に勝る。身が漢の世に生まれたからといって、褒め足し頌(ほ)め嘆じて媚びた称えを求めるのではない。事と理の実情を核(しら)べ、説く者の実を定めるのである。俗は遠いものを褒め古を称えるのを好み、瑞を講ずれば上の世を美しいとし、治めを論ずれば古の王を賢いとし、今に奇(すぐ)れたものを見ても、とうとうそうだとは信じない。堯や舜がよみがえっても、おそらく聖の名はないだろう。猟をする者が禽を獲れば見る者は猟を楽しみ、漁をする者を見なければ心はそれを顧みない。だから斉で見物すれば魯を思わず、楚に遊べば宋を喜ばない。唐・虞・夏・殷はそろって二尺四寸の書に載っていて、儒者は抜き出して読み、朝夕講じ習うが、漢の書を見ないので、漢が劣って及ばないという。これもまた猟を見て漁を見ず、斉や楚に遊んで宋や魯を願わないのと同じである。漢に文を広める人があって、漢の事を経伝にすれば、それが『尚書』や『春秋』となり、儒者がそれを宗(あが)め、学ぶ者がそれを習い、やがて旧い六つを継いで七つとなり、いまの上から先代の王、高祖に至るまでみな聖なる帝となるだろう。杜撫や班固らが上(たてまつ)った『漢頌』を見れば、功徳と符瑞を頌めることが汪(ひろ)く深く広く、溢れて量りがたく、唐や虞を越えて皇の域に入り、三代は狭く偏って、その深さも崩れてしまう。殷の鑑(かがみ)は遠くなく、夏后の世にある。また唐・虞・夏・殷をさしおいて、近く周の家と功徳を切り分けて量り、実のところの優劣をはかれば、周は漢に及ばない。

何以驗之?周之受命者文、武也,漢則高祖、光武也。文、武受命之降怪,不及高祖、光武初起之佑;孝宣、〔孝〕明之瑞,美於周之成、康、宣王。孝宣、孝明符瑞,唐、虞以來,可謂盛矣。今上即命,奉成持滿,四海混一,天下定宁,物瑞已極,人應(訂)〔斯〕隆。唐世黎民雍熙,今亦天下修仁,歲遭運氣,谷頗不登,路無絕道之憂,深幽無屯聚之奸。周家越常獻白雉,方今匈奴、鄯善、哀牢貢獻牛馬。周時僅治五千里內,漢氏廓土收荒服之外。牛馬珍於白雉,近屬不若遠物。古之戎狄,今為中國;古之人,今被朝服;古之露首,今冠章甫;古之跣跗,今履(商)〔高〕舄。以盤石為沃田,以桀暴為良民,夷坎坷為平均,化不賓為齊民,非太平而何?夫實德化則周不能過漢,論符瑞則漢盛於周,度土境則周狹於漢,漢何以不如周?獨謂周多聖人,治致太平?儒者稱聖泰隆,使聖卓而無跡;稱治亦泰盛,使太平絕而無續也。

何によってそれを確かめるか。周の命を受けた者は文王と武王であり、漢では高祖と光武である。文王・武王が命を受けたときに降った怪(ふしぎ)は、高祖・光武が初めに起こったときの佑(たすけ)に及ばず、孝宣・孝明の瑞は周の成王・康王・宣王より美しい。孝宣・孝明の符瑞は、唐や虞以来、盛んであったといえる。いまの上が命に即(つ)いて、成ったものを奉じ満ちたものを保ち、四海は一つに混じり、天下は定まり安らぎ、物の瑞はすでに極まり、人の応もここに隆(さか)んである。唐の世には民が雍(なご)やかに熙(たのし)んだが、いまもまた天下は仁しみを修め、その年が運気に遭って穀物がかなり実らなくても、道に行き暮れる憂いはなく、深く奥まったところにも屯(たま)り集まる奸(わるもの)はない。周の家には越常が白い雉を献じたが、いまは匈奴・鄯善・哀牢が牛と馬を貢ぎ献ずる。周の時はわずかに五千里の内を治めたが、漢氏は土を広げて荒服の外まで収めた。牛や馬は白い雉より珍しく、近く属するものは遠い物に及ばない。昔の戎狄が今は中国となり、昔の髪を結ばぬ者が今は朝服を着け、昔の露(あら)わな頭が今は章甫の冠をかぶり、昔の裸足が今は高い舄(くつ)を履く。盤石を沃(こ)えた田とし、桀のように暴(あら)い者を良い民とし、坎坷(でこぼこ)を平らに均(なら)し、賓(したが)わない者を化して斉(ひとし)い民とする。これが太平でなくて何だろうか。実の徳と化では周は漢を越えられず、符瑞を論ずれば漢が周より盛んであり、土や境を度(はか)れば周が漢より狭い。漢がどうして周に及ばないというのか。周に聖人が多くて治めが太平を招いたと、ひとりそう言うだけなのか。儒者は聖を称えることがあまりに高く、聖を抜きんでて跡のないものにし、治めを称えることもあまりに盛んで、太平を絶えて続きのないものにしてしまう。