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巻八元朝秘史 卷08

元朝秘史(モンゴルの秘められた歴史) 元朝秘史 · 作者未詳 · 子年(1228年頃)成立 · 明初の漢文本 · 段落 12 · 漢字 3,600字 · 朗読 14.4分

元朝秘史(モンゴルの秘められた歴史) 全一巻 「はじめ元の人の祖先は、天が生んだ青い色の狼一匹であった」 — モンゴルの人が自らの手で記した最も古い書。テムジンが九歳で父を失って捨てられたところから始まり、オノン川の水に顔だけを出して夜を越え、羊毛の車に隠されて生き延び、ついに九本脚の白い旗を立てるまでが収められている。母ホエルンが両の乳を出して息子たちを叱り、ジャムカが「四匹の犬」を並べ立て、血を流さずに殺してほしいと請う場面は、正史が消した声である。元史高麗伝と対になる位置に置かれる。

1ケレイトを分ける — イバカとソルカクタニ

那遍將客列亦惕百姓屈下,各各分了。因孫勒都歹種的人塔孩把阿禿兒,太祖處有恩的上頭,與了一百只兒斤百姓。再王罕弟劄合敢不有二女,長女名亦巴合,太祖自娶了;次女名莎兒合黑塔泥,與了拖雷。為那般,將劄合敢不的百姓,不曾教虜了。

そのときケレイトの民を服させて、それぞれ分けた。スルドス氏の者タカイ・バアトルは太祖に恩を施したことがあったので、ジルギンの民一百を与えた。またオン・カンの弟ジャカ・ガンブに二人の娘があり、長女の名はイバカで太祖が自ら妻に迎え、次女の名はソルカクタニでトルイに与えた。そのため、ジャカ・ガンブの民は捕らえさせなかった。

2バダイとキシリクに金の幕屋を与える

太祖再於巴歹、乞失裏黑二人行,將王罕的金撒帳,並鋪陳金器皿及管器皿的人,盡數與了。又將客列亦惕汪豁真姓的人就與他兩個做宿衛的,教帶弓箭;飲酒時又許他喝盞,直至子孫行,教自在快活;廝殺時搶得財物,打獵時得的野獸,都不許人分,盡他要者。太祖又說:「一則是他二人救了我性命;一則是長生天護助的上頭,將客列亦惕種人屈下了,得至大位子裏坐。久後我的子孫,將這有恩的道理,常常知道者。」於是將客列亦惕諸姓每,都分與眾伴當。那冬就在阿不只阿闊叠格兒地面住了。

太祖はさらにバダイとキシリクの二人に、オン・カンの金の幕屋と敷物と金の器、そして器を預かる者たちをすべて与えた。またケレイトのオンゴジン姓の者たちをその二人の宿衛とし、弓矢を帯びさせ、酒を飲むときにも杯を受けさせて、子孫に至るまで思うままに楽しませた。戦いで奪った財物や狩りで得た獣も、人に分けさせず、思うままに取らせた。太祖がまた言った。「一つはこの二人がわが命を救ってくれたことであり、一つは長(とこしえ)に生きる天が助けてくれたため、ケレイト氏の者を服させ、大いなる座に就くことができたのだ。後の日にわが子孫が、この恩の道理を常に心得ておくようにせよ」。そうしてケレイトの諸姓をみな多くの伴に分け与えた。その冬は、アブジア・コデゲルの地で過ごした。

3水を飲もうとして死んだオン・カン — 捨てられたセングム

王罕桑昆父子二人,罄身走至的的克撒合勒地面涅坤水處,王罕行得渴了,將入去飲水,被乃蠻哨望的人豁裏速別赤拿住,自說我是王罕。哨望的人不信,將他殺了。桑昆此時在外,不曾入去,以此就往川勒地面裏去了。至川勒,桑昆與伴當闊闊出並其妻一同尋水吃,因見野馬被蠅蟲咬著,桑昆下馬,將馬教闊闊出拿了,潛往欲射中間,被闊闊出牽馬走了。其妻說:「在前好衣服、好茶飯,曾與你吃穿。如今正主上,如何那般棄了。」就立住不行。闊闊出說:「你不行,莫不要嫁桑昆?」其妻說:「人雖說婦人是狗面皮,你可將這金盂子與他,教尋水吃。」闊闊出遂將金孟子撇下了,與妻同來太祖處,將棄了桑昆的緣故都說了。太祖說:「這等人如何教他做伴?」遂將他妻賞賜,將闊闊出殺了。

オン・カンとセングムの父子二人は身一つで逃げ、ディディク・サカルの地のネクンの水のほとりに至った。オン・カンは道中で渇いて、水を飲みに入ったところ、ナイマンの物見の者コリ・スベチに捕らえられた。自ら「わたしはオン・カンだ」と言ったが、物見の者は信じず、殺してしまった。セングムはこのとき外にいて入らなかったので、そのままチュイの地へ行った。チュイに至って、セングムが伴のココチュとその妻とともに水を探して飲もうとしたとき、野馬が蠅(はえ)に刺されているのを見て、セングムは馬を下り、馬をココチュに持たせて、ひそかに近寄って射ようとした。その間に、ココチュが馬を引いて逃げた。その妻が言った。「昔、良い衣と良い食べ物をあなたに着せ、食べさせてくださった。いままさにその主を、どうしてそのように捨てるのですか」。そうして立ち止まって行かなかった。ココチュが言った。「おまえが行かないのは、セングムに嫁ごうというのではないか」。その妻が言った。「人は女を犬の面(つら)の皮と言いますが、あなたはこの金の鉢でも彼に与えて、水を汲んで飲ませなさい」。ココチュはついに金の鉢を投げ置き、妻とともに太祖のもとへ来て、セングムを捨てた経緯をすべて申し上げた。太祖が言った。「このような者をどうして伴にできよう」。そうしてその妻には褒美を与え、ココチュは殺した。

4グルベスがオン・カンの首を祭る

乃蠻皇帝塔陽的母古兒別速說:「王罕是在前的老皇帝。取他頭來看,認得果然是呵,祭祀他。」遂差人往豁裏速別赤處,割將頭來,認得是王罕,於是動著樂器,祭祀他。祭時,王罕頭笑了。塔陽見笑,以為不祥,就踏踐碎了。有可克薛兀撒卜剌名字的人說:「死人的頭,您割將來,卻踏碎了,如今狗吠的聲又不好了。在前您亦難察必勒格皇帝曾說:『我老了,這婦人年少,兒子塔陽又柔弱,是我禱神生來的,久後恐將我多百姓守不得。』這般說有來。況而今狗吠,有將敗的聲音。夫人古兒別速行的法度嚴峻,我塔陽皇帝又柔弱,除飛放打獵之外,別無技能心性。」說了,再後塔陽說:「這東邊有些達達將在前老王罕,教筒箭諕得走出來,死了。看來他敢要做皇帝麽道?天上只有一個日月,地上如何有兩個主人?如今咱去將那達達取了。」其母古兒別速說:「那達達百姓歹氣息,衣服黑暗,取將來要做甚麽?教遠有者。若有生得好婦女,將來教洗浴了,擠牛羊乳呵中有。」塔陽說:「那般呵,有甚難?咱去將他每弓箭奪來。」

ナイマンの皇帝タヤンの母グルベスが言った。「オン・カンは昔の老いた皇帝だ。その首を取って来て見て、まことに彼だと分かれば、祭ろう」。そこで人をコリ・スベチのもとへ遣わして首を斬って来させ、見るとオン・カンに違いなかったので、楽器を鳴らして祭った。祭るとき、オン・カンの首が笑った。タヤンは笑うのを見て、不祥(ふしょう)だとして踏み砕いてしまった。ココセウ・サブラクという名の者が言った。「死んだ人の首を、あなたたちは斬って来ておいて、かえって踏み砕いた。いまは犬の吠(ほ)える声までよくない。昔、あなたたちのイナンチャ・ビルゲ皇帝がこう言われた。『わたしは老いたが、この婦人は年が若く、子のタヤンもまた柔弱だ。わたしが神に祈って生まれた子だから、後の日にわが多くの民を守りきれぬのではないかと怖れる』。このように言われたことがある。しかもいま犬の吠える声に、崩れる気配がある。夫人グルベスの行う法度は厳しく、わがタヤン皇帝はまた柔弱で、鷹を放って狩りをすること以外に、別の技(わざ)も心構えもない」。こう言った。その後、タヤンが言った。「この東に韃靼が少しいて、昔の老いたオン・カンを鳴り矢で驚かせて逃げ出させ、死なせたという。見たところ、彼らは皇帝になろうというのではないか。天には日と月が一つしかないのに、地にどうして主が二人あろう。いまわれらが行って、あの韃靼を取って来よう」。その母グルベスが言った。「あの韃靼の民は匂いが悪く、衣が薄暗い。連れて来て何に使おう。遠くに置くがよい。ただ、見目の良い女がいれば、連れて来て洗わせ、牛や羊の乳を搾らせればよいだろう」。タヤンが言った。「それならば何が難しいことがあろう。われらが行って彼らの弓矢を奪って来よう」。

5タヤンが弓矢を奪うと言う

可克薛兀撒卜剌黑聽了塔陽的言語,嘆息著說:「你不可說大話,這話你再休說!」塔陽不聽,遂差脫兒必塔失做使臣,去對汪古惕種的主阿剌忽失的吉惕忽裏說:「這東邊有些達達每,你做右手。我自這裏起程,可將他弓箭奪了。」阿剌忽失的吉惕忽裏回說:「我做不得你右手。」卻使人去對太祖說:「乃蠻的塔陽,要來奪你弓箭,教我做右手,我不曾肯從。我如今提省你,若不提防,恐來奪你弓箭。」此時太祖正在帖蔑延客額兒地面圍獵,知了這話,就圍獵處與眾人商量。多說:「馬瘦,如何可好?」斡惕赤斤說:「您如何推辭馬瘦?我的馬卻肥。既聽了這等說,如何坐得住?」別勒古臺又說:「若生時被人將弓箭奪了呵,濟甚事?男子死呵,與弓箭一處,豈不好!如今乃蠻恃其國大民眾,敢發大言,我可乘此奪他弓箭何難?咱去呵,他多馬群,必安然撇下,房屋空了,百姓必皆逃入山林。咱如今便可上馬。」

ココセウ・サブラクはタヤンの言葉を聞いてため息をつき、言った。「あなたは大言を吐いてはならぬ。そんな言葉は二度と言われるな」。タヤンは聞かず、ついにトルビ・タシを使いとして、オングド氏の主アラクシ・ディギト・クリのもとへ遣わして言わせた。「この東に韃靼が少しいる。あなたは右手となられよ。わたしはここから道を進み、彼らの弓矢を奪おう」。アラクシ・ディギト・クリが答えた。「わたしはあなたの右手にはなれない」。そして人を遣わして太祖に伝えた。「ナイマンのタヤンが、あなたの弓矢を奪いに来ようとして、わたしに右手となれと言ったが、わたしは従わなかった。わたしはいまあなたに知らせておく。あらかじめ備えなければ、来てあなたの弓矢を奪うのではないかと怖れる」。このとき太祖はちょうどテメエン・ケエルの地で巻き狩りをしていた。この話を知って、狩りをしていた場所で多くの者と相談した。たいていは「馬が痩せていますが、どうすればよいでしょう」と言った。オトチギンが言った。「あなたたちはどうして馬が痩せたことを言い立てて渋るのか。わたしの馬は肥えている。こんな話を聞いて、どうして座っていられよう」。ベルグテイがまた言った。「生きているうちに人に弓矢を奪われたら、何の役に立ちましょう。男が死ぬとき、弓矢とともにあればよいではありませんか。いまナイマンは国が大きく民が多いことを頼みにして、大言を吐くのです。われらがこの機に乗じてその弓矢を奪うのに、何の難しいことがありましょう。われらが行けば、彼らは馬の群れが多いので、必ずそのまま置き捨てて、家は空になり、民はみな山の林へ逃げるでしょう。われらは、いますぐ馬に乗れます」。

6千戸・百戸を立て、護衛を置く

別勒古臺說了,成吉思說:「是。」自圍獵處回來,從阿卜只合闊帖兒格地面起去,至合勒合河斡兒訥兀地的客勒帖該合答地行,下了。將自己軍馬數了,立千、百戶牌子頭,設六等扯兒必官,都委付了;又設八十個做宿衛的人,七十個做散班。其選護衛時,於千、百戶並白身人內子弟,有技能身材好者充之;又教阿兒孩合撒兒選一千勇土管著,如廝殺則教在前,平時則做護衛。斡歌列扯兒必與忽都思合勒潺將七十個散班,一同管了。

ベルグテイがこう言うと、チンギスが言った。「そのとおりだ」。狩りをしていた場所から帰り、アブジカ・コテゲルの地から立って、カルカ川のオルヌウの地のケルテゲイ・カダに至って下りた。自分の軍馬を数え、千戸と百戸の頭を立て、六等のチェルビ官を設けて、すべてを預けた。また八十人を宿衛とし、七十人を散班とした。その護衛を選ぶときは、千戸と百戸、および無位の者の子弟のうち、技(わざ)があって体つきの良い者を充てた。またアルカイ・カサルに勇士一千を選んで率いさせ、戦うときは前に立たせ、平時には護衛をさせた。オゲレ・チェルビがクドゥス・カルチャンとともに七十人の散班を預かった。

7昼は八つの班、夜は宿衛

成吉思再說:「帶弓箭的人並散班、護衛、廚子、把門人等,教日裏八班來;至日落時,將管的事物,交付與宿衛的,出去宿者。若管馬的守著馬,宿衛的房子周圍宿,守門的輪著門口立;至次日擡湯時,卻入來,管自己的事物。每三日一次交換。」那管的千百戶扯兒必等,也各委付了。

チンギスがさらに言った。「弓矢を帯びる者、および散班・護衛・料理人・門番らは、昼は八つの班で出ていよ。日が落ちるときには、預かっている物を宿衛に引き渡し、出て寝よ。馬を預かる者は馬を守り、宿衛は家の周りで寝、門を守る者は交代で門口に立て。翌日、汁(しる)を供するときに、また入って自分の役を預かれ。三日に一度ずつ交代せよ」。その預かる千戸・百戸・チェルビらも、それぞれ任を与えた。

8星のように多い火を焚く

鼠兒年,四月十六日,成吉思祭了旗纛,去征乃蠻,逆著客魯連河行了。教者別、忽必來二人做頭哨,至撒阿裏客額兒地面,遇著乃蠻在康合兒合山頭哨望的。往來相逐間,被乃蠻人將這裏騎破鞍子白馬的人拿了,共說:「原來達達的馬瘦。」隨後太祖大軍至撒阿裏客額兒地面下了,朵歹扯兒必對成吉思說:「咱人少遠來,可只於此牧馬,多設疑兵,將這撒阿裏客額兒地面布滿,夜令人各燒火五處。彼人雖多,其主軟弱,不曾出外,必是驚疑。如此則我馬已飽,然後追彼哨望的,直抵大營,擊其不整,必然可勝。」成吉思從其言。乃蠻哨望的,果自山頭看見,說只道達達每少,如何燒的火如星般多?就將先拿住得人馬送去,對塔陽說:「達達軍馬已塞滿了撒阿裏客額兒地面了,想是每日增添。只見夜間燒的火,一如星般多了。」

子(ね)の年の四月十六日、チンギスは旗ざおを祭ってナイマンを討ちに行き、ケルレン川を遡って進んだ。ジェベとクビライの二人を先駆けとして、サアリ・ケエルの地に至り、ナイマンがカンカルカ山の頂で物見をしている者たちに出会った。行き来して追い合う間に、こちらの破れた鞍を置いた白い馬に乗った者がナイマンに捕らえられた。彼らがともに言った。「やはり韃靼の馬は痩せている」。続いて太祖の大軍がサアリ・ケエルの地に至って下りた。ドダイ・チェルビがチンギスに言った。「われらは人が少なく遠くから来ました。ここで馬を飼いながら、疑わせる兵を多く並べてこのサアリ・ケエルの地をいっぱいに満たし、夜には一人ずつ五か所に火を焚かせてください。彼らは人は多いが、その主が柔弱で外に出たことがないので、必ず驚き疑うでしょう。そうしてわれらの馬が腹いっぱいになった後に、彼らの物見の者を追って、まっすぐ大営に至り、整わぬところを撃てば、必ず勝てます」。チンギスはその言葉に従った。ナイマンの物見の者たちは、果たして山の頂から見て言った。「韃靼は少ないと言うのに、どうして焚いている火が星のように多いのか」。そして先に捕らえた人と馬を送って、タヤンに申し上げた。「韃靼の軍馬はもうサアリ・ケエルの地をいっぱいに塞いでいます。おそらく日ごとに増えているのでしょう。夜に焚いている火を見るだけでも、まるで星のように多いのです」。

9タヤンとクチュルクの父子が互いに責める

哨望的去時,塔陽正在康孩地面的合池兒水邊,聽了這言語,使人與他子古出魯克說:「達達每馬瘦,燒的火如星般多,其人必眾。人曾說達達每剛硬,眼上刺呵不轉睛,腮上刺呵不躲避。今若與他連兵,後必難解。見說達達的馬瘦,咱教百姓起了,越過金山,整搠軍馬,誘引著他行。比至金山,他瘦馬乏了,我肥馬正好,然後復回,與他廝殺,可勝麽道。」古出魯克聽了這話,說:「那婦人塔陽又是怕了,達達每多,從何處來?多半與劄木合一同在這裏有。我父塔陽於孕婦更衣處、牛犢吃草處,都不曾到。如今怕了,說這等話。」教使臣卻說將去,塔陽聽得兒子比他做婦人,說:「有力有勇的古出魯克,廝殺時,休將這等勇來弱了。」其臣豁裏速別赤說:「你的父亦難察必勒格在前於同等敵行,男子的脊背、馬的後胯不曾教見。如今你如何又早先怕了?早知你這般呵,你母古兒別速雖是婦人,教管軍呵,倒中。可惜可克薛兀撒卜剌黑老了,咱軍的法度,好生怠慢,莫不是達達的氣運來了。」嘆息說罷,於馬上打著箭筒另去了。

物見の者が行ったとき、タヤンはちょうどカンカイの地のカチルの水のほとりにいた。この言葉を聞いて、人を遣わしてその子クチュルクに伝えた。「韃靼は馬が痩せていると言うのに、焚いている火が星のように多いのだから、その人数は必ず多いのだ。人は、韃靼は剛(こわ)くて、目を刺しても瞳(ひとみ)を動かさず、頬を刺しても避けないと言う。いま彼らと兵を合わせれば、後で必ず解きにくい。韃靼の馬が痩せていると言うのだから、われらは民を移してアルタイ山を越え、軍馬を整えて彼らを誘い込もう。アルタイに至るころには、彼らの痩せた馬は疲れ、われらの肥えた馬はちょうどよい。その後に向き直って戦えば、勝てるというものだ」。クチュルクはこの言葉を聞いて言った。「あの婦人タヤンがまた怖れている。韃靼が多いといっても、どこから来たというのか。大半はジャムカとともにここにいるのだ。わが父タヤンは、身重の女が着替えるところや、仔牛が草を食むところにさえ行ったことがない。いま怖れて、こんなことを言うのだ」。使いにそのまま伝え返させた。タヤンは、子が自分を婦人に比べたと聞いて言った。「力があり勇(いさ)みのあるクチュルクよ、戦うとき、その勇みを弱めるな」。その臣コリ・スベチが言った。「あなたの父イナンチャ・ビルゲは、昔、対等の敵に向かって、男の背や馬の後ろ腿(もも)を見せたことがなかった。いまあなたはどうしてこれほど先に怖れるのか。あなたがこうだと早く知っていたら、あなたの母グルベスは婦人ではあっても、軍を預からせたほうがかえってよかった。惜しくもココセウ・サブラクは老い、われらの軍の法度はひどく緩んだ。韃靼の運が来たのではないか」。こうため息をついて言い終え、馬の上で矢筒を打ちながら、別に行ってしまった。

10ジャムカが四匹の犬を語る

塔陽聽了那話,怒著說:「人死的性命,辛苦的身軀,都一般。您那般說呵,咱迎去,與他廝殺。」遂順塔米兒河,渡斡兒豁水,至納忽山崖東邊,察乞兒馬兀惕地面。成吉思哨望的,望見乃蠻軍馬,成吉思整治軍馬排陣了,自做頭哨,教弟合撒兒主中軍,斡赤斤管從馬。於是乃蠻軍馬卻退至納忽山崖前,緣山立住。成吉思哨望的,隨即將乃蠻哨望的趕至山前。彼時劄木合亦在乃蠻處,塔陽問:「那趕來的如狼將群羊直趕至圈內,是甚麽人?」劄木合說:「是我帖木真安答用人肉養的四個狗,曾教鐵索拴著,那狗是銅額鑿齒、錐舌鐵心,用镮刀做馬鞭,飲露騎風,廝殺時,吃人肉。如今放了鐵索,垂涎著,喜歡來也。四狗是者別、忽必來、者勒蔑、速別額臺四人。」塔陽說:「似那般呵,離得這下等人遠者。」遂退去跨山立了,又問:「那後來的軍,如吃乳飽的馬駒,繞他母喜躍般來的是誰?劄木合說:「他是將有槍刀的男子殺了、剝脫衣服的兀魯兀惕、忙忽惕二種人。」塔陽說:「既如此,可離得這下等人遠者。」又令上山去立了,又問:「隨後如貪食的鷹般,當先來的是誰?」劄木合說:「是我帖木真安答,渾身穿著鐵甲,似貪食的鷹般來也。你見麽,您曾說若見達達時,如小段糲羔兒,蹄皮也不留。你如今試看。」塔陽但說可懼,又令上山去立了,又問:隨後多軍馬來的是誰?劄木合說:「是訶額侖母的一個兒子,用人肉養來,身有三度長,吃個三歲頭口,披三層鐵甲,三個強牛拽著來也。他將帶弓箭的人全咽呵,不礙著喉嚨;吞一個全人呵,不勾點心。怒時將昂忽阿的箭隔山射呵,十人二十人穿透;人若與他相鬥時,隔著空野,用客亦不兒名的箭射呵,將人連甲穿透。大拽弓射九百步,小拽弓射五百步。生得不似常人,如大蟒一般,名字喚做拙赤合撒兒。」塔陽說:「若那般呵,咱可共占高山上去立了。」又問:那後來的是誰?劄木合說:「是訶額侖最少的子,名斡赤斤。他性懶,好早眠遲起,多軍馬中,他也不曾落後了。」於是塔陽遂上山頂立了。

タヤンはその言葉を聞いて怒って言った。「人が死ぬ命と、苦しむ体は、みな同じだ。おまえたちがそう言うなら、われらは迎えに出て彼と戦おう」。そうしてタミル川に沿ってオルホンの水を渡り、ナクの崖の東側、チャキルマウドの地に至った。チンギスの物見の者がナイマンの軍馬を眺め見た。チンギスは軍馬を整えて陣を立て、自ら先駆けとなり、弟カサルに中軍を預け、オトチギンに連れの馬を預けた。そこでナイマンの軍馬はかえってナクの崖の前へ退き、山に沿って立った。チンギスの物見の者が、すぐにナイマンの物見の者たちを山の前まで追った。そのときジャムカもナイマンのもとにいた。タヤンが尋ねた。「あの追って来るさまは、狼が羊の群れを囲いの中までまっすぐ追い込むようだが、あれは何者か」。ジャムカが言った。「わがテムジン・アンダが人の肉で飼った四匹の犬です。かつて鉄の鎖で繋いでありました。その犬は、銅の額に鑿(のみ)のような歯、錐(きり)のような舌に鉄の心を持ち、環(かん)のついた刀を馬の鞭とし、露を飲み風に乗って歩き、戦うときには人の肉を食います。いま鉄の鎖を解いたので、涎(よだれ)を垂らして喜んで来るのです。四匹の犬とは、ジェベ・クビライ・ジェルメ・スベエテイの四人です」。タヤンが言った。「それならば、この下々の者から遠く離れよう」。そうして退いて山にまたがって立った。また尋ねた。「あの後ろから来る軍が、乳を飽きるほど飲んだ仔馬が母の周りを喜び跳ねるように来るのは誰か」。ジャムカが言った。「あれは、槍や刀を持つ男を殺して、その衣を剥(は)ぎ取るウルウドとマンクドの二つの氏の者です」。タヤンが言った。「それならば、この下々の者から遠く離れよう」。また山の上へ上って立たせ、さらに尋ねた。「続いて、餌(えさ)を貪(むさぼ)る鷹のように先頭に立って来るのは誰か」。ジャムカが言った。「わがテムジン・アンダです。全身に鉄の鎧(よろい)を着て、餌を貪る鷹のように来ます。ご覧になりますか。あなたたちはかつて、韃靼を見たら粗(あら)い仔羊のように蹄(ひづめ)の皮も残さぬと言われた。いま試しにご覧ください」。タヤンはただ怖ろしいと言って、また山の上へ上って立たせ、さらに尋ねた。「続いて多くの軍馬が来るのは誰か」。ジャムカが言った。「ホエルン母君の一人の子で、人の肉で育てられました。身の丈は三倍もあり、三歳の家畜を一頭食べ、三重の鉄の鎧を着て、力の強い牛三頭が引いて来ます。彼は弓矢を帯びた人を丸呑みしても喉(のど)に掛からず、人一人を丸ごと呑んでも腹の足しになりません。怒ってアンクアという矢を山越しに射れば、十人二十人を貫き、人が彼と向き合うとき、空(あ)いた野を隔ててケイブルという名の矢を射れば、人を鎧ごと貫きます。大きく引いて射れば九百歩、小さく引いて射れば五百歩飛びます。生まれつき常の人とは違い、大蛇のようで、名はジョチ・カサルといいます」。タヤンが言った。「それならば、われらはともに高い山に上って立とう」。また尋ねた。「あの後ろから来るのは誰か」。ジャムカが言った。「ホエルンの末の子で、名はオトチギンです。性(しょう)が怠(なま)けて、早く寝て遅く起きるのを好みますが、多くの軍馬の中でも遅れたことがありません」。そこでタヤンは、ついに山の頂に上って立った。

11ナクの崖で夜に自ら崩れる

劄木合復離了乃蠻,將對塔陽說的話,教對成吉思說:「塔陽如今聽了我說的話,已是驚得昏了,都爭上高山頂上去,並無廝殺的氣象。我已自離了他,安答,你謹慎者。」那日,太祖見日色晚,圍著納忽山宿了。其夜乃蠻欲遁,人馬墜於山崖,相壓死者甚眾。明日拿住塔陽,其子古出魯克因不在一處,得脫身,領些人每走出,見軍追及,就依塔米兒河要紥營,不定,又走了。襲至阿勒臺山前,勢愈窮促,遂將他百姓盡收捕了。此時與劄木合一同有的達達劄答闌、合塔斤等種,也都來投降了。那裏將塔陽母古兒別速來,成吉思說:「你說達達歹氣息,你卻如何來?」成吉思遂納了。

ジャムカは再びナイマンを離れるとき、タヤンに言った話をチンギスに伝えさせた。「タヤンはいまわたしの言った話を聞いて、もう驚いて気も失うほどで、みな争って高い山の頂へ上り、戦う気配はまるでない。わたしはもう彼を離れた。アンダよ、用心されよ」。その日、太祖は日が暮れたのを見て、ナク山を囲んで寝た。その夜、ナイマンは逃げようとして、人馬が崖から落ち、互いに押し潰されて死んだ者がはなはだ多かった。翌日、タヤンを捕らえた。その子クチュルクは同じ場所にいなかったので身を抜け出し、わずかな者を率いて逃げたが、軍が追って来るのを見てタミル川のほとりに陣を張ろうとしたものの、落ち着けずにまた逃げた。アルタイ山の前まで追うと、形勢はいよいよ窮した。ついにその民をすべて取り収めた。このときジャムカとともにいた韃靼のジャダランやカタギンなどの諸氏も、みな来て降った。その場にタヤンの母グルベスを連れて来ると、チンギスが言った。「あなたは韃靼は匂いが悪いと言ったのに、どうして来たのか」。そうしてチンギスは彼女を納(い)れた。

12クランとナヤア — 三日留めた理由

那鼠兒年秋,太祖於合剌答勒忽劄兀剌地面,與蔑兒乞的脫黑脫阿對陣,將他殺退。追至撒阿裏客額兒地面,將他百姓虜了。脫黑脫阿同二子忽都、赤剌溫帶幾個伴當走了。初,虜蔑兒乞時,豁阿思蔑兒乞種的人答亦兒兀孫將他忽闌名字的女子,獻與成吉思,來時,路間被亂兵所阻當,遇著巴阿鄰種的官人納牙答亦兒兀孫,說:「這女子要獻於成吉思。」納牙說:「咱一同將你女子獻去。你若先去呵,亂軍將你也殺了,女子也亂了。」因留住三日,一同來獻與成吉思。成吉思因納牙留了三日,大怒著說:「仔細問了,號令他。」問間,其女子忽闌說:「納牙曾說:『我是皇帝的大官人,咱一同將這女子獻去。』路間因有亂兵,所以留住。若不遇著納牙留住呵,如今也不知如何?且不必問他。若皇帝恩賜呵,天命父母生得皮膚全有,問我皮膚便了。」納牙也說:「我只一心奉事主人,凡外邦得的美女、好馬,要獻與主人。除此之外,別有心呵,便死。」成吉思說:「忽闌的言語是。」就那日將忽闌試驗呵,果然不曾被汙,因此成吉思甚加寵愛。將納牙放了,說此人至誠,以後大勾當裏可以委付。

その子の年の秋、太祖はカラダル・クジャウラの地でメルキトのトクトアと陣を向かい合わせ、これを撃ち退けた。サアリ・ケエルの地まで追って、その民を捕らえた。トクトアは二人の子クトゥとチラウンと数人の伴を連れて逃げた。はじめ、メルキトを捕らえるとき、コアス・メルキト氏の者ダイル・ウスンが、自分のクランという名の娘をチンギスに献じようとして来る途中、道で乱れた兵に遮られた。バアリン氏の官人ナヤアに出会って、ダイル・ウスンが言った。「この娘をチンギスに献じようとしている」。ナヤアが言った。「わたしがともにあなたの娘を献じに行こう。あなたが先に行けば、乱れた軍があなたも殺し、娘も辱(はずか)しめるだろう」。そこで三日留めておいて、ともに来てチンギスに献じた。チンギスは、ナヤアが三日留めたことで大いに怒って言った。「詳しく問い、これを責めよ」。問う間に、その娘クランが言った。「ナヤアは『わたしは皇帝の大官人である。ともにこの娘を献じに行こう』と言い、道に乱れた兵がいたので留めたのです。もしナヤアに出会って留まっていなければ、いまどうなっていたか分かりません。彼を問われることはありません。皇帝が恵みを下されるなら、天が命じ父母が生んでくれた肌が全(まっと)うにありますから、わたしの肌をお調べになればよいのです」。ナヤアも言った。「わたしはただ一心に主に仕え、およそ外の国で得た美しい女や良い馬は主に献じようとします。それ以外に別の心があれば、死にましょう」。チンギスが言った。「クランの言葉が正しい」。そうしてその日クランを調べたところ、まことに汚(けが)されていなかったので、チンギスはひどく愛(いと)おしんだ。ナヤアを放して、この者はきわめて真(まこと)であるから、後に大きな務めを預けられると言った。