いにしえの文 › 武経七書(七つの兵法書)— 孫子を除いた六つ › 六韜

六韜 犬韜 — 戰車六韜 戰車

武経七書(七つの兵法書)— 孫子を除いた六つ 武經七書 · 姜太公に仮託・黄石公に仮託・尉繚・呉起・司馬穰苴・李靖 · 戦国時代〜唐(紀元前4世紀〜7世紀) · 段落 1 · 漢字 375字 · 朗読 1.5分

武経七書(七つの兵法書)— 孫子を除いた六つ 六韜 宋が武官を選ぶ教科書として定めた七つの兵書のうち、孫子兵法を除いた六つ。六韜は文王・武王が太公望に問う問答で、国の治めから車・騎兵・野戦・水渡りまで六十篇、三略は黄石公が張良に与えたという短い三篇、尉繚子は秦の前後の軍令と伍・什の編制を細かに記した二十四篇、呉子は呉起が魏の武侯に答えた六篇、司馬法は春秋以前の軍礼を伝える五篇、李衛公問対は唐の太宗と李靖が奇正・虚実・蕃漢・攻守をやり取りした三巻である。「兵は凶器である」、「人を至らせて人に引かれない」、「千章万句も、さまざまな方法で誤らせるというその一句を越えない」がここから出た。孫子兵法の次に読む兵家の残りの六つの流れを一か所に集めた。

1戦車 — 十の死の地と八つの勝ちの地

武王問太公曰:「戰車奈何?」太公曰:「步貴知變動,車貴知地形,騎貴知別徑奇道,三軍同名而異用也。凡車之戰,死地有十,勝地有八。」武王曰:「十死之地奈何?」太公曰:「往而無以還者,車之死地也。越絕險阻,乘敵遠行者,車之竭地也。前易後險者,車之困地也。陷之險阻而難出者,車之絕地也。圮下漸澤,黑土黏埴者,車之勞地也。左險右易,上陵仰阪者,車之逆地也。殷草橫畝,犯歷浚澤者,車之拂地也。車少地易,與步不敵者,車之敗地也,後有溝瀆,左有深水,右有峻阪者。車之壞地也。日夜霖雨,旬日不止,道路潰陷,前不能進,後不能解者,車之陷地也。此十者,車之死地也。故拙將之所以見擒,明將之所以能避也。」武王曰:「八勝之地奈何?」太公曰:「敵之前後,行陣未定,即陷之。旌旂擾亂,人馬數動,即陷之。士卒或前或後,或左或右,即陷之。陣不堅固,士卒前後相顧,即陷之。前往而疑,後往而怯,即陷之。三軍猝驚,皆薄而起,即陷之。戰於易地,暮不能解,即陷之。遠行而暮舍,三軍恐懼,即陷之。此八者,車之勝地也。將明於十害八勝,敵雖圍周,千乘萬騎,前驅旁馳,萬戰必勝。」武王曰:「善哉!」

武王が太公に尋ねた。「戦車で戦うにはどうするのか。」太公が言った。「歩兵は変動を知ることを貴び、車は地形を知ることを貴び、騎は脇道や奇なる道を知ることを貴びます。三軍は名を同じくしても用いようが違います。およそ車の戦いには、死の地が十、勝ちの地が八あります。」武王が「十の死の地とはどのようなものか」と言うと、太公が言った。「行って還る手だてのない所は、車の死の地です。険阻を越えきって、敵の隙に乗じて遠く行くのは、車の尽きる地です。前は平らで後ろが険しい所は、車の困る地です。険阻に落ち込んで出にくい所は、車の絶たれる地です。崩れて低い湿地、黒い土が粘る所は、車の労れる地です。左が険しく右が平らで、丘に登り坂を見上げる所は、車の逆らう地です。草が茂り畝が横に走り、深い沢を踏み越える所は、車の障る地です。車が少なく地が平らで、歩兵に当たれない所は、車の敗れる地です。後ろに溝や堀があり、左に深い水があり、右に険しい坂がある所は、車の壊れる地です。夜も昼も長雨が十日のあいだ止まず、道が崩れ陥って、前に進めず後ろへも抜け出せない所は、車の陥る地です。この十が車の死の地です。ですから拙い将は捕らえられ、明らかな将は避けることができるのです。」武王が「八つの勝ちの地とはどのようなものか」と言うと、太公が言った。「敵の前後で行と陣がまだ定まっていなければ、すぐに陥れます。旗が騒ぎ乱れ、人も馬もたびたび動くなら、すぐに陥れます。士卒があるいは前にあるいは後ろに、あるいは左にあるいは右に動くなら、すぐに陥れます。陣が固まらず、士卒が前と後ろを互いに顧みるなら、すぐに陥れます。前へ行っては疑い、後ろへ行っては怯えるなら、すぐに陥れます。三軍が突然に驚き、みな慌ただしく立ち上がるなら、すぐに陥れます。平らな地で戦って、暮れても戦いを収められないなら、すぐに陥れます。遠く行って暮れに宿り、三軍が恐れているなら、すぐに陥れます。この八つが車の勝ちの地です。将が十の害と八つの勝ちに明らかであれば、敵がぐるりと囲み、千乗万騎が前を駆け脇を走っても、万度戦って必ず勝ちます。」武王は「よいことだ」と言った。