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尉繚子 — 攻權尉繚子 攻權

武経七書(七つの兵法書)— 孫子を除いた六つ 武經七書 · 姜太公に仮託・黄石公に仮託・尉繚・呉起・司馬穰苴・李靖 · 戦国時代〜唐(紀元前4世紀〜7世紀) · 段落 6 · 漢字 269字 · 朗読 1.1分

武経七書(七つの兵法書)— 孫子を除いた六つ 尉繚子 宋が武官を選ぶ教科書として定めた七つの兵書のうち、孫子兵法を除いた六つ。六韜は文王・武王が太公望に問う問答で、国の治めから車・騎兵・野戦・水渡りまで六十篇、三略は黄石公が張良に与えたという短い三篇、尉繚子は秦の前後の軍令と伍・什の編制を細かに記した二十四篇、呉子は呉起が魏の武侯に答えた六篇、司馬法は春秋以前の軍礼を伝える五篇、李衛公問対は唐の太宗と李靖が奇正・虚実・蕃漢・攻守をやり取りした三巻である。「兵は凶器である」、「人を至らせて人に引かれない」、「千章万句も、さまざまな方法で誤らせるというその一句を越えない」がここから出た。孫子兵法の次に読む兵家の残りの六つの流れを一か所に集めた。

1将は心、兵は手足

將帥者,心也;群下者,支節也。其心動以誠,則支節必力;其心動以疑,則支節必背。夫將不心制,卒不節動;雖勝,幸勝也,非攻權也。

将帥は心であり、多くの下の者は手足と節である。その心が誠によって動けば手足は必ず力を出し、その心が疑いによって動けば手足は必ず背く。将が心として制することができず、兵卒が節のように動かなければ、勝ったとしても僥倖の勝ちであって、攻権ではない。

2民に二つの畏れはない

夫民無兩畏也,畏我侮敵,畏敵侮我。見侮者敗,立威者勝。凡將能其道者,吏畏其將也;吏畏其將者,民畏其吏也;民畏其吏者,敵畏其民也。是故,知勝敗之道者,必先知畏侮之權。

民に二つの畏れはない。われを畏れれば敵を侮り、敵を畏れればわれを侮る。侮られる者は敗れ、威を立てる者は勝つ。およそ将がその道に能くあれば役人はその将を畏れ、役人がその将を畏れれば民はその役人を畏れ、民がその役人を畏れれば敵はその民を畏れる。だから勝敗の道を知る者は、必ずまず畏れと侮りの権を知る。

3よき将は愛と威のほかにない

夫不愛悅其心者,不我用也;不嚴畏其心者,不我舉也。愛在下順,威在上立;愛故不二,威故不犯。故善將者,愛與威而已。

その心を愛し悦ばせなければ、われに用いられない。その心を厳しく畏れさせなければ、われのために立ち上がらない。愛は下が順うところにあり、威は上が立てるところにある。愛するから二心がなく、威があるから犯さない。だからよき将は、愛と威のほかにない。

4必ず勝てないなら戦いを口にできない

戰不必勝,不可以言戰;攻不必拔,不可以言攻。不然,雖刑賞不足信也。信在期前,事在未兆,故眾已聚不虛散,兵已出不徒歸;求敵若求亡子,擊敵若救溺人。

戦って必ず勝てないなら戦いを口にすることはできず、攻めて必ず抜けないなら攻めを口にすることはできない。そうでなければ、刑と賞も信ずるに足りない。信は期日の前にあり、事は兆しの前にある。だから兵たちがすでに集まれば空しく散らず、兵がすでに出れば徒らに還らない。敵を求めるのは失った子を探すようにし、敵を撃つのは溺れる人を救うようにする。

5義を携えて戦うのはわが方から起こすことを貴ぶ

凡挾義而戰者,貴從我起;爭私結怨,貴以不得已。怨結難起,待之貴後。故爭必當待之,息必當備之。

およそ義を携えて戦うのは、わが方から起こすことを貴び、私を争って怨みを結ぶのは、やむを得ないことを貴ぶ。怨みが結ばれて難が起これば、待つのは後にすることを貴ぶ。だから争いは必ず待つべきであり、やむときは必ず備えるべきである。

6敵を量り将を審らかにしてから兵を挙げる

權敵審將,而後舉兵。

敵を量り将を審らかにして、そのうえで兵を挙げる。