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尚同下

墨子(墨翟の書) 墨子 · 墨翟とその門人たち · 紀元前4世紀頃 · 段落 9 · 漢字 2,001字 · 朗読 8.0分

墨子(墨翟の書) 戦国時代に儒家と並んで「二つの大きな群れ」に数えられた学派の文章である。一人の著述ではなく、墨翟とその門人たちが代を継いで加えたものなので、同じ主張を上・中・下の三通りに記した篇が多い。門派が分かれ、それぞれに写し取った跡と見られる。 十の主張が骨格である — 賢い者を高くし(尚賢)、上と義を同じくし(尚同)、あまねく愛し(兼愛)、攻めることを否とし(非攻)、用に節度を置き(節用)、葬に節度を置き(節葬)、天の意に従い(天志)、鬼神を明らかにし(明鬼)、音楽を否とし(非楽)、命を否とする(非命)。 「他人の家を見ることを自分の家のようにすれば、誰が盗むだろうか」が兼愛篇に、桃一つを盗めば罰しながら他国を攻めれば称えるという「非攻」の階段が、尺度なしに語れば「回る轆轤の上に日の出と日の入りの位置を立てるようなもの」だという三表が非命篇にある。 終わりの「公輸」の一篇は物語である。楚が雲梯を作って宋を攻めようとすると、墨子が十日十夜を歩いて行き、公輸盤と帯と木片で九度競って勝ち、帰る道で雨に遭い、よりによってその宋の村の門の内で雨を避けられない。

子墨子言曰:知者之事,必計國家百姓所以治者而爲之,必計國家百姓之所以亂者而辟之。然計國家百姓之所以治者,何也?上之爲政,得下之情則治,不得下之情則亂。何以知其然也?上之爲政得下之情,則是明於民之善非也。若苟明於民之善非也,則得善人而賞之,得暴人而罰之也。善人賞而暴人罰,則國必治。上之爲政也,不得下之情,則是不明於民之善非也。若苟不明於民之善非,則是不得善人而賞之,不得暴人而罰之。善人不賞而暴人不罰,爲政若此,國衆必亂。故賞罰不得下之情,而不可不察者也。

墨子先生が言った。「賢い者の仕事は、必ず国家と百姓が治まる理由を数え上げてそれを行い、必ず国家と百姓が乱れる理由を数え上げてそれを避けることである。

それでは、国家と百姓が治まる理由を数え上げれば、何であろうか。上が政を執るのに下の実情を得れば治まり、下の実情を得なければ乱れる。

何によってそうだと知るのか。上が政を執るのに下の実情を得れば、これは民の善と非に明らかなのである。もし民の善と非に明らかであれば、善い人を得てこれを賞し、暴な人を得てこれを罰する。善い人が賞され暴な人が罰されれば、国は必ず治まる。

上が政を執るのに下の実情を得なければ、これは民の善と非に明らかでないのである。もし民の善と非に明らかでなければ、善い人を得て賞することができず、暴な人を得て罰することができない。善い人が賞されず暴な人が罰されないのに、政を執ることがこのようであれば、国と人々は必ず乱れる。

だから賞と罰が下の実情を得ないことは、察しないわけにはいかない。」

然計得下之情,將奈何可?故子墨子曰:唯能以尚同一義爲政,然後可矣。何以知尚同一義之可而爲政於天下也?然胡不審稽之古之治爲政之說乎?古者天之始生民,未有正長也,百姓爲人。若苟百姓爲人,是一人一義,十人十義,百人百義,千人千義,逮至人之衆不可勝計也,則其所謂義者亦不可勝計。此皆是其義而非人之義,是以厚者有鬬而薄者有爭。是故天下之欲同一天下之義也,是故選擇賢者立爲天子,天子以其知力爲未足獨治天下,是以選擇其次立爲三公。三公又以其知力爲未足獨左右天子也,是以分國建諸侯。諸侯又以其知力爲未足獨治其四境之內也,是以選擇其次立爲卿之宰。卿之宰又以其知力爲未足獨左右其君也,是以選擇其次立而爲鄉長家君。是故古者天子之立三公、諸侯、卿之宰、鄉長家君,非特富貴游佚而擇之也,將使助治亂刑政也。故古者建國設都,乃立后王君公,奉以卿士師長,此非欲用說也,唯辯而使助治天助明也。

それでは、下の実情を得ようとすれば、いったいどうすればよいのか。だから墨子先生が言った。「ただよく上を同じくして義を一つにすることで政を執って、はじめてできるのだ。」

何によって、義を一つにして上を同じくすることが天下に政を執るに足ると知るのか。それなら、どうして昔の治め政を執った説を審らかに考え調べないのか。

昔、天がはじめて民を生んだとき、まだ正長がなく、百姓はそれぞれ勝手に人であった。もし百姓がそれぞれ勝手に人であれば、これは一人なら一つの義、十人なら十の義、百人なら百の義、千人なら千の義であり、人の数が数えきれないほどになれば、そのいわゆる義も数えきれない。これらはみな自分の義を是とし他人の義を非とするので、これによって重ければ闘いがあり、軽ければ争いがある。

だから天下は天下の義を一つに同じくしようとして、賢者を択び立てて天子とした。天子はその知と力では独りで天下を治めるに足りないとして、これによってその次の者を択び立てて三公とした。三公もまたその知と力では独りで天子を左右から助けるに足りないとして、これによって国を分けて諸侯を建てた。諸侯もまたその知と力では独りでその四境の内を治めるに足りないとして、これによってその次の者を択び立てて卿や宰とした。卿や宰もまたその知と力では独りでその君を左右から助けるに足りないとして、これによってその次の者を択び立てて郷長や家君とした。

だから昔、天子が三公・諸侯・卿や宰・郷長や家君を立てたのは、ただ富ませ貴くし遊び安逸にさせるために択んだのではなく、乱れと刑と政を治めるのを助けさせようとしてであった。

だから昔、国を建て都を設けて后王や君公を立て、卿や士や師や長をもって奉じたのは、楽しもうとしてではなく、ただ分けて治めるのを助け、天を助けて明らかにさせようとしてであった。

今此何爲人上而不能治其下,爲人下而不能事其上?則是上下相賊也。何故以然?則義不同也。若苟義不同者有黨,上以若人爲善,將賞之,百姓不刑,將毀之。若人唯使得上之賞,而辟百姓之毀,是以爲善者未必可使勸也。上以若人爲暴,將罰之,百姓姓付,將舉之。若人唯使得上之罰,而懷百姓之譽,是以爲暴者未必可使沮也。故計上之賞譽不足以勸善,計其毀罰不足以沮暴。此何故以然?則義不同也。

いま、どうして人の上となってその下を治められず、人の下となってその上に仕えられないのか。これは上下が互いに害し合うことである。何のゆえにそうなのか。義が同じでないからである。

もし義が同じでない者たちが党を組めば、上がある人を善として賞そうとするのに、百姓は罰せず謗ろうとする。その人はただ上の賞を得て百姓の謗りを避けようとするので、これによって善を行う者を必ず励ませるとはいえない。

上がある人を暴として罰そうとするのに、百姓は味方してその人を持ち上げる。その人はただ上の罰を得ながら百姓の誉れを抱くので、これによって暴を行う者を必ず阻めるとはいえない。

だから上の賞と誉れを数え上げても善を勧めるに足らず、その謗りと罰を数え上げても暴を阻むに足らない。これは何のゆえにそうなのか。義が同じでないからである。

然則欲同一天下之義,將柰何可?故子墨子言曰:然胡不賞使家君試用家君發憲布令其家,曰:「若見愛利家者必以告,若見惡賊家者亦必以告。」若見愛利家以告,亦猶愛利家者也,上得且賞之,衆聞則譽之;若見惡賊家不以告,亦猶惡賊家者也,上得且罰之,衆聞則非之。」是以徧若家之人,皆欲得其長上之賞譽,辟其毀罰。是以見善言之,見不善言之。家君得善人而賞之,得暴人而罰之。善人之賞而暴人之罰,則家必治矣。然計若家之所以治者,何也?唯以尚同一義爲政故也。

それでは、天下の義を一つに同じくしようとすれば、いったいどうすればよいのか。だから墨子先生が言った。

「それなら、どうして試みに家君に、その家に憲を発し令を布かせないのか。こう言わせる。『汝が家を愛し利する者を見たら必ず告げ、汝が家を憎み害する者を見たらまた必ず告げよ。汝が家を愛し利する者を見て告げれば、これもまた家を愛し利する者と同じであるから、上が知って賞し、人々が聞けば誉める。汝が家を憎み害する者を見て告げなければ、これもまた家を憎み害する者と同じであるから、上が知って罰し、人々が聞けば非とする』と。

これによってその家の人はあまねくみな、その長や上の賞と誉れを得て、その謗りと罰を避けようとする。これによって善を見れば言い、善くないことを見れば言う。家君は善い人を得て賞し、暴な人を得て罰する。善い人が賞され暴な人が罰されれば、家は必ず治まる。

それでは、その家が治まる理由を数え上げれば、何であろうか。ただ上を同じくして義を一つにすることで政を執ったからである。」

家既已治,國之道盡此已邪?則未也。國之爲家數也甚多,此皆是其家而非人之家,是以厚者有亂,而薄者有爭。故又使家君總其家之義,以尚同於國君。國君亦爲發憲布令於國之衆,曰:「若見愛利國者必以告,若見惡賊國者亦必以告。若見愛利國以告者,亦猶愛利國者也,上得且賞之,衆聞則譽之;若見惡賊國不以告者,亦猶惡賊國者也,上得且罰之,衆聞則非之。」是以徧若國之人,皆欲得其長上之賞譽,避其毀罰。是以民見善者言之,見不善者言之。國君得善人而賞之,得暴人而罰之。善人賞而暴人罰,則國必治矣。然計若國之所以治者,何也?唯能以尚同一義爲政故也。

家がすでに治まったとして、国の道はここで尽きるのか。まだである。

国には家の数がきわめて多く、これらがみな自分の家を是とし他人の家を非とするので、これによって重ければ乱れがあり、軽ければ争いがある。

だからまた家君に、その家の義を総べて国君と上を同じくさせる。国君もまた国の人々に憲を発し令を布いてこう言う。「汝が国を愛し利する者を見たら必ず告げ、汝が国を憎み害する者を見たらまた必ず告げよ。汝が国を愛し利する者を見て告げれば、これもまた国を愛し利する者と同じであるから、上が知って賞し、人々が聞けば誉める。汝が国を憎み害する者を見て告げなければ、これもまた国を憎み害する者と同じであるから、上が知って罰し、人々が聞けば非とする」と。

これによってその国の人はあまねくみな、その長や上の賞と誉れを得て、その謗りと罰を避けようとする。これによって民は善い者を見れば言い、善くない者を見れば言う。国君は善い人を得て賞し、暴な人を得て罰する。善い人が賞され暴な人が罰されれば、国は必ず治まる。

それでは、その国が治まる理由を数え上げれば、何であろうか。ただよく上を同じくして義を一つにすることで政を執ったからである。

國既已治矣,天下之道盡此已邪?則未也。天下之爲國數也甚多,此皆是其國而非人之國,是以厚者有戰,而薄者有爭。故又使國君選其國之義,以尚同於天子。天子亦爲發憲布令於天下之衆,曰:「若見愛利天下者必以告,若見惡賊天下者亦必以告。若見愛利天下以告者,亦猶愛利天下者也,上得則賞之,衆聞則譽之;若見惡賊天下不以告者,亦猶惡賊天下者也,上得且罰之,衆聞則非之。」是以徧天下之人,皆欲得其長上之賞譽,避其毀罰。是以見善者善之,見不善者告之。天子得善人而賞之,得暴人而罰之。善人賞而暴人罰,天下必治矣。然計天下之所以治者,何也?唯而以尚同一義爲政故也。

国がすでに治まったとして、天下の道はここで尽きるのか。まだである。

天下には国の数がきわめて多く、これらがみな自分の国を是とし他人の国を非とするので、これによって重ければ戦いがあり、軽ければ争いがある。

だからまた国君に、その国の義を択んで天子と上を同じくさせる。天子もまた天下の人々に憲を発し令を布いてこう言う。「汝が天下を愛し利する者を見たら必ず告げ、汝が天下を憎み害する者を見たらまた必ず告げよ。汝が天下を愛し利する者を見て告げれば、これもまた天下を愛し利する者と同じであるから、上が知れば賞し、人々が聞けば誉める。汝が天下を憎み害する者を見て告げなければ、これもまた天下を憎み害する者と同じであるから、上が知って罰し、人々が聞けば非とする」と。

これによって天下の人はあまねくみな、その長や上の賞と誉れを得て、その謗りと罰を避けようとする。これによって善い者を見れば善しとし、善くない者を見れば告げる。天子は善い人を得て賞し、暴な人を得て罰する。善い人が賞され暴な人が罰されれば、天下は必ず治まる。

それでは、天下が治まる理由を数え上げれば、何であろうか。ただ上を同じくして義を一つにすることで政を執ったからである。

天下既已治,天子又總天下之義,以尚同於天。故當尚同之爲說也,上用之天子,可以治天下矣;中用之諸侯,可而治其國矣;小用之家君,可而治其家矣。是故大用之治天下而不窕,小用之治一國一家而不橫者,若道之謂也。故曰:治天下之國若治一家,使天下之民若使一夫。意獨子墨子有此而先王無此,其有邪?則亦然也。聖王皆以尚同爲政,故天下治。何以知其然也?於先王之書也《大誓》之言然,曰:「小人見姦巧乃聞,不言也,發罪鈞。」此言見淫辟不以告者,其罪亦猶淫辟者也。

天下がすでに治まると、天子はまた天下の義を総べて天と上を同じくする。

だから、まさに上を同じくするという説は、上は天子が用いれば天下を治めることができ、中は諸侯が用いればその国を治めることができ、小は家君が用いればその家を治めることができる。だから大きく用いて天下を治めてもゆるみがなく、小さく用いて一国一家を治めてもあふれない。こういう道を言うのである。だからいう、天下の国を治めることを一家を治めるようにし、天下の民を使うことを一人を使うようにする、と。

もしや墨子だけにこれがあって先王にはこれがなかったのか、そうであろうか。やはりそうではない。聖王はみな上を同じくすることで政を執ったので、天下は治まった。

何によってそうだと知るのか。先王の書『大誓』の言葉にこうある。「小人が姦しく巧みなことを見聞きしても言わなければ、下す罪は等しい。」これは、みだれ偏ったことを見ても告げない者は、その罪がまたみだれ偏った者と同じであることを言うのである。

故古之聖王治天下也,其所差論以自左右羽翼者皆良,外爲之人助之視聽者衆。故與人謀事,先人得之;與人舉事,先人成之;光譽令聞,先人發之。唯信身而從事,故利若此。古者有語焉,曰:「一目之視也,不若二目之視也;一耳之聽也,不若二耳之聽也;一手之操也,不若二手之彊也。」唯能信身而從事,故利若此。是故古之聖王之治天下也,千里之外有賢人焉,其鄉里之人皆未之均聞見也,聖王得而賞之;千里之外有暴人焉,其鄉里之人未之均聞見也,聖王得而罰之。故唯毋以聖王爲聰耳明目與?豈能一視而通見千里之外哉,一聽而通聞千里之外哉?聖王不往而視也,不就而聽也。然而使天下之爲寇亂盜賊者,周流天下無所重足而立者,何也?其以尚同爲政善也。

だから昔の聖王が天下を治めたときは、択び論じて自分の左右や羽翼とした者がみな良く、外でその人のために見聞きを助ける人が多かった。だから人と事を謀れば人より先に得、人と事を起こせば人より先に成し、輝く誉れと善い評判が人より先に立った。ただ自分の身を信ずるに足るものとして事に当たったので、利はこのようであった。

昔、言葉があってこういう。「一つの目で見るのは、二つの目で見るのに及ばない。一つの耳で聴くのは、二つの耳で聴くのに及ばない。一つの手で取るのは、二つの手の強さに及ばない。」ただよく自分の身を信ずるに足るものとして事に当たったので、利はこのようであった。

だから昔の聖王が天下を治めたときは、千里の外に賢人がいて、その郷里の人がみなまだ等しく聞き見ていなくても、聖王は知ってこれを賞し、千里の外に暴な人がいて、その郷里の人がまだ等しく聞き見ていなくても、聖王は知ってこれを罰した。

だから、ただ聖王が耳が聡く目が明らかだったからだろうか。どうして一度見て千里の外をあまねく見、一度聴いて千里の外をあまねく聴けようか。聖王は行って見たのでも、近づいて聴いたのでもない。それなのに、天下で寇し乱し盗む者たちが、天下をめぐり流れても足を据えて立つ所がないようにできたのはなぜか。その上を同じくすることで政を執ることが善かったからである。

是故子墨子曰:凡使民尚同者,愛民不疾,民無可使。曰:必疾愛而使之,致信而持之,富貴以道其前,明罰以率其後。爲政若此,唯欲毋與我同,將不可得也。是以子墨子曰:今天下王公大人士君子,中情將欲爲仁義,求爲上士,上欲中聖王之道,下欲中國家百姓之利,故當尚同之說而不可不察。尚同,爲政之本,而治國之要也。

だから墨子先生が言った。「およそ民に上を同じくさせようとしながら、民を愛することが切実でなければ、民を使うことはできない。

いう、必ず切実に愛して使い、信を尽くして支え、富と貴さでその前を導き、明らかな罰でその後を率いなければならない。政を執ることがこのようであれば、ただ私と同じくしたくないと思っても、そうはできない。」

これによって墨子先生が言った。「いま天下の王公や大人や士や君子が、心の中から仁義を行い、上の士となることを求め、上は聖王の道にかない、下は国家と百姓の利にかなうことを望むなら、まさに上を同じくするという説を察しないわけにはいかない。上を同じくすることは、政を執る根本であり、国を治める要である。」