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兼愛上

墨子(墨翟の書) 墨子 · 墨翟とその門人たち · 紀元前4世紀頃 · 段落 4 · 漢字 609字 · 朗読 2.4分

墨子(墨翟の書) 戦国時代に儒家と並んで「二つの大きな群れ」に数えられた学派の文章である。一人の著述ではなく、墨翟とその門人たちが代を継いで加えたものなので、同じ主張を上・中・下の三通りに記した篇が多い。門派が分かれ、それぞれに写し取った跡と見られる。 十の主張が骨格である — 賢い者を高くし(尚賢)、上と義を同じくし(尚同)、あまねく愛し(兼愛)、攻めることを否とし(非攻)、用に節度を置き(節用)、葬に節度を置き(節葬)、天の意に従い(天志)、鬼神を明らかにし(明鬼)、音楽を否とし(非楽)、命を否とする(非命)。 「他人の家を見ることを自分の家のようにすれば、誰が盗むだろうか」が兼愛篇に、桃一つを盗めば罰しながら他国を攻めれば称えるという「非攻」の階段が、尺度なしに語れば「回る轆轤の上に日の出と日の入りの位置を立てるようなもの」だという三表が非命篇にある。 終わりの「公輸」の一篇は物語である。楚が雲梯を作って宋を攻めようとすると、墨子が十日十夜を歩いて行き、公輸盤と帯と木片で九度競って勝ち、帰る道で雨に遭い、よりによってその宋の村の門の内で雨を避けられない。

聖人以治天下爲事者也,必知亂之所自起,焉能治之;不知亂之所自起,則不能治。譬之如醫之攻人之疾者然,必知疾之所自起,焉能攻之;不知疾之所自起,則弗能攻。治亂者何獨不然,必知亂之所自起,焉能治之;不知亂之所自起,則弗能治。

聖人は天下を治めることを仕事とする者である。必ず乱れがどこから起こるかを知って、はじめてこれを治めることができ、乱れがどこから起こるかを知らなければ、治めることができない。

たとえば医者が人の病を治すのと同じである。必ず病がどこから起こるかを知って、はじめてこれを治めることができ、病がどこから起こるかを知らなければ、治めることができない。乱れを治めることが、どうしてひとりそうでないことがあろうか。必ず乱れがどこから起こるかを知って、はじめてこれを治めることができ、乱れがどこから起こるかを知らなければ、治めることができない。

聖人以治天下爲事者也,不可不察亂之所自起。當察亂何自起?起不相愛。臣子之不孝君父,所謂亂也。子自愛不愛父,故虧父而自利;弟自愛不愛兄,故虧兄而自利;臣自愛不愛君,故虧君而自利。此所謂亂也。雖父之不慈子,兄之不慈弟,君之不慈臣,此亦天下之所謂亂也。父自愛也,不愛子,故虧子而自利;兄自愛也,不愛弟,故虧弟而自利;君自愛也,不愛臣,故虧臣而自利。是何也?皆起不相愛。雖至天下之爲盜賊者亦然。盜愛其室,不愛異室,故竊異室以利其室;賊愛其身,不愛人,故賊人以利其身。此何也?皆起不相愛。雖至大夫之相亂家、諸侯之相攻國者亦然。大夫各愛其家,不愛異家,故亂異家以利其家;諸侯各愛其國,不愛異國,故攻異國以利其國。天下之亂物,具此而已矣。

聖人は天下を治めることを仕事とする者であるから、乱れがどこから起こるかを察しないわけにはいかない。

まさに乱れがどこから起こるかを察すれば、互いに愛さないところから起こる。

臣や子が君や父に孝でないことを、乱れという。子が自分を愛して父を愛さないので、父を損なって自分を利し、弟が自分を愛して兄を愛さないので、兄を損なって自分を利し、臣が自分を愛して君を愛さないので、君を損なって自分を利する。これを乱れという。

父が子を慈しまず、兄が弟を慈しまず、君が臣を慈しまないことも、また天下がいう乱れである。父が自分を愛して子を愛さないので、子を損なって自分を利し、兄が自分を愛して弟を愛さないので、弟を損なって自分を利し、君が自分を愛して臣を愛さないので、臣を損なって自分を利する。これはなぜか。みな互いに愛さないところから起こる。

天下で盗みや害をなす者に至っても、やはり同じである。盗む者は自分の家を愛して他人の家を愛さないので、他人の家から盗んで自分の家を利し、害をなす者は自分の身を愛して他人を愛さないので、他人を害して自分の身を利する。これはなぜか。みな互いに愛さないところから起こる。

大夫が互いに他人の家を乱し、諸侯が互いに他人の国を攻めるに至っても、やはり同じである。大夫はそれぞれ自分の家を愛して他人の家を愛さないので、他人の家を乱して自分の家を利し、諸侯はそれぞれ自分の国を愛して他人の国を愛さないので、他人の国を攻めて自分の国を利する。天下の乱れた事柄は、これで尽きるだけである。

察此何自起?皆起不相愛。若使天下兼相愛,愛人若愛其身,猶有不孝者乎?視父兄與君若其身,惡施不孝?猶有不慈者乎?視弟子與臣若其身,惡施不慈?故不慈不孝亡。猶有盜賊乎?視人之室若其室,誰竊?視人身若其身,誰賊?故盜賊有亡。猶有大夫之相亂家、諸侯之相攻國者乎?視人家若其家,誰亂?視人國若其國,誰攻?故大夫之相亂家、諸侯之相攻國者有亡。若使天下兼相愛,國與國不相攻,家與家不相亂,盜賊無有,君臣父子皆能孝慈,若此則天下治。

これがどこから起こるかを察すれば、みな互いに愛さないところから起こる。

もし天下にあまねく互いに愛させ、人を愛することを自分の身を愛するようにさせれば、なお孝でない者がいようか。父や兄や君を見ることを自分の身のようにすれば、どこに孝でないことを施そうか。なお慈しまない者がいようか。弟や子や臣を見ることを自分の身のようにすれば、どこに慈しまないことを施そうか。だから慈しまないことと孝でないことはなくなる。

なお盗みや害をなす者がいようか。他人の家を見ることを自分の家のようにすれば、誰が盗もうか。他人の身を見ることを自分の身のようにすれば、誰が害そうか。だから盗みや害をなす者はなくなる。

なお大夫が互いに他人の家を乱し、諸侯が互いに他人の国を攻めることがあろうか。他人の家を見ることを自分の家のようにすれば、誰が乱そうか。他人の国を見ることを自分の国のようにすれば、誰が攻めようか。だから大夫が互いに他人の家を乱し、諸侯が互いに他人の国を攻めることはなくなる。

もし天下にあまねく互いに愛させれば、国と国は互いに攻めず、家と家は互いに乱さず、盗みや害をなす者はおらず、君と臣と父と子はみなよく孝であり慈しむであろう。このようであれば天下は治まる。

故聖人以治天下爲事者,惡得不禁惡而勸愛?故天下兼相愛則治,交相惡則亂。故子墨子曰不可以不勸愛人者,此也。

だから聖人が天下を治めることを仕事とする者であれば、どうして憎むことを禁じて愛することを勧めずにいられようか。だから天下があまねく互いに愛せば治まり、互いに憎み合えば乱れる。だから墨子先生が「人を愛することを勧めないわけにはいかない」と言ったのは、これである。