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明鬼下

墨子(墨翟の書) 墨子 · 墨翟とその門人たち · 紀元前4世紀頃 · 段落 18 · 漢字 3,639字 · 朗読 14.6分

墨子(墨翟の書) 戦国時代に儒家と並んで「二つの大きな群れ」に数えられた学派の文章である。一人の著述ではなく、墨翟とその門人たちが代を継いで加えたものなので、同じ主張を上・中・下の三通りに記した篇が多い。門派が分かれ、それぞれに写し取った跡と見られる。 十の主張が骨格である — 賢い者を高くし(尚賢)、上と義を同じくし(尚同)、あまねく愛し(兼愛)、攻めることを否とし(非攻)、用に節度を置き(節用)、葬に節度を置き(節葬)、天の意に従い(天志)、鬼神を明らかにし(明鬼)、音楽を否とし(非楽)、命を否とする(非命)。 「他人の家を見ることを自分の家のようにすれば、誰が盗むだろうか」が兼愛篇に、桃一つを盗めば罰しながら他国を攻めれば称えるという「非攻」の階段が、尺度なしに語れば「回る轆轤の上に日の出と日の入りの位置を立てるようなもの」だという三表が非命篇にある。 終わりの「公輸」の一篇は物語である。楚が雲梯を作って宋を攻めようとすると、墨子が十日十夜を歩いて行き、公輸盤と帯と木片で九度競って勝ち、帰る道で雨に遭い、よりによってその宋の村の門の内で雨を避けられない。

子墨子言曰:逮自昔三代聖王既沒,天下失義,諸侯力正,是以存夫爲人君臣上下者之不惠忠也,父子弟兄之不慈孝弟長貞良也,正長之不强於聽治,賤人之不强於從事也。民之爲淫暴寇亂盜賊,以兵刃毒藥水火,退無罪人乎道路率徑,奪人車馬衣裘以自利者,並作由此始,是以天下亂。此其故何以然也?則皆以疑惑鬼神之有與無之別,不明乎鬼神之能賞賢而罰暴也。今若使天下之人借若信鬼神之能賞賢而罰暴也,則夫天下豈亂哉!

墨子先生が言った。「昔の三代の聖王がすでに没してからは、天下は義を失い、諸侯は力で正した。これによって、人の君や臣や上下となった者が恵み深くなく忠でなく、父や子や弟や兄が慈しまず孝でなく恭しくなく年長らしくなく貞しく善くなく、正長が政を聴いて治めることに努めず、賤しい者が事に当たることに努めないようになった。

民がみだれ暴れ寇し乱し盗み、武器や刃や毒薬や水や火で道や近道で罪のない人を押しのけ、人の車や馬や衣や毛皮を奪って自分を利することがともに起こったのはここから始まった。これによって天下は乱れている。

これは何のゆえにそうなのか。みな鬼神があるかないかの分かれ目に疑い惑い、鬼神がよく賢者を賞し暴な者を罰することに明らかでないからである。いまもし天下の人に、鬼神がよく賢者を賞し暴な者を罰することを信じさせれば、そもそも天下がどうして乱れようか。」

今執無鬼者曰:「鬼神者,固無有。」旦暮以爲教誨乎天下,疑天下之衆,使天下之衆皆疑惑乎鬼神有無之別,是以天下亂。是故子墨子曰:今天下之王公大人士君子,實將欲求興天下之利,除天下之害,故當鬼神之有與無之別,以爲將不可不明察此者也。既以鬼神有無之別,以爲不可不察已,然則吾爲明察此,其說將柰何而可?子墨子曰:是與天下之所以察知有與無之道者,必以衆之耳目之實知有與亡爲儀者也。請惑聞之見之,則必以爲有;莫聞莫見,則必以爲無。若是何不嘗入一鄉一里而問之,自古以及今,生民以來者,亦有嘗見鬼神之物,聞鬼神之聲,則鬼神何謂無乎?若莫聞莫見,則鬼神可謂有乎?

いま鬼神がないと執る者が言う。「鬼神とは、もともと存在しない。」朝夕これを天下に教え、天下の人々を疑わせ、天下の人々をみな鬼神があるかないかの分かれ目に疑い惑わせるので、これによって天下は乱れている。

だから墨子先生が言った。「いま天下の王公や大人や士や君子が、まことに天下の利を興し天下の害を除くことを求めようとするなら、まさに鬼神があるかないかの分かれ目を明らかに察しないわけにはいかない。

すでに鬼神があるかないかの分かれ目を察しないわけにはいかないと言った。それでは、私がこれを明らかに察するには、その言い方はいったいどうすればよいのか。」

墨子先生が言った。「これは天下があるかないかを察して知る道として、必ず多くの人の耳目の実際によってあるかないかを知ることを基準とするのである。まことにもし聞き見たなら必ずあるとし、誰も聞かず誰も見なかったなら必ずないとする。

そうであるなら、どうして一つの郷、一つの里に入って問うてみないのか。昔から今まで、人が生まれて以来、かつて鬼神の物を見、鬼神の声を聞いた者がいるなら、鬼神をどうしてないといえようか。もし誰も聞かず誰も見なかったなら、鬼神をあるといえようか。」

今執無鬼者言曰:夫天下之爲聞見鬼神之物者,不可勝計也。亦孰爲聞見鬼神有無之物哉?子墨子言曰:若以衆之所同見,與衆之所同聞,則若昔者杜伯是也。周宣王殺其臣杜伯而不辜,杜伯曰:「吾君殺我而不辜,若以死者爲無知,則止矣;若死而有知,不出三年,必使吾君知之。」其三年,周宣王合諸侯而田於圃田,車數百乘,從數千,人滿野。日中,杜伯乘白馬素車,朱衣冠,執朱弓,挾朱矢,追周宣王,射之車上,中心折脊,殪車中,伏弢而死。當是之時,周人從者莫不見,遠者莫不聞,著在周之《春秋》。爲君者以教其臣,爲父者以䜘其子,曰:「戒之慎之,凡殺不辜者,其得不祥,鬼神之誅,若此之憯遫也!」以若書之說觀之,則鬼神之有,豈可疑哉?

いま鬼神がないと執る者が言う。「そもそも天下で鬼神の物を聞き見た者は数えきれない。いったい誰が、鬼神があるかないかの物を聞き見たというのか。」

墨子先生が言った。「もし多くの人がともに見たところ、多くの人がともに聞いたところによるなら、昔の杜伯がそれである。

周の宣王がその臣の杜伯を罪なく殺した。杜伯が言った、『わが君が私を罪なく殺す。もし死んだ者に知がないならそれまでだが、もし死んで知があるなら、三年を過ぎないうちに必ずわが君に知らせてやろう』と。

その三年目に、周の宣王が諸侯を集めて圃田で狩りをしたが、車は数百乗、従う者は数千で、人が野に満ちた。日中、杜伯は白い馬と白い車に乗り、朱の衣と冠をつけ、朱の弓を執り、朱の矢をはさんで周の宣王を追い、車の上で射たので、心臓を射当てられ背骨が折れて車の中に倒れ、弓袋に伏して死んだ。

このとき、周の人で従っていた者は見なかった者がなく、遠くにいた者は聞かなかった者がなく、周の『春秋』に記された。君となった者はこれでその臣を教え、父となった者はこれでその子を諭してこう言った。『戒めよ、慎めよ。およそ罪のない者を殺した者はその不吉を得る。鬼神の誅はこのように痛ましく速いのだ。』

この書の説によって見れば、鬼神があることをどうして疑えようか。」

非惟若書之說爲然也,昔者鄭穆公當晝日中處乎廟,有神入門而左,鳥身,素服三絕,面狀正方。鄭穆公見之,乃恐懼,奔。神曰:「無奔,帝享女明德,使予錫女壽十年有九,使若國家蕃昌,子孫茂,毋失。」鄭穆公再拜稽首,曰:「敢問神名。」曰:「予爲句芒。」若以鄭穆公之所身見爲儀,則鬼神之有,豈可疑哉?

この書の説だけがそうなのではない。昔、鄭の穆公が日中に廟にいたところ、神が門に入って左へ行ったが、鳥の体に白い衣を三ひら垂らし、顔のかたちは四角く整っていた。鄭の穆公はこれを見て、そこで恐れて走った。

神が言った、「走るな。帝がおまえの明らかな徳を享け、私におまえの寿命十九年を授けさせ、おまえの国家を増し栄えさせ、子孫を茂らせて失わせないようにする」と。鄭の穆公は再拝して頭を下げ、「あえて神のお名を伺います」と言うと、「私は句芒である」と言った。

鄭の穆公が自ら見たことを基準とするなら、鬼神があることをどうして疑えようか。

非惟若書之說爲然也,昔者燕簡公殺其臣莊子儀而不辜,莊子儀曰:「吾君王殺我而不辜,死人毋知亦已,死人有知,不出三年,必使吾君知之。」期年,燕將馳祖,燕之有祖,當齊之社稷,宋之有桑林,楚之有雲夢也,此男女之所屬而觀也。日中,燕簡公方將馳於祖塗,莊子儀荷朱杖而擊之,殪之車上。當是時,燕人從者莫不見,遠者莫不聞,著在燕之《春秋》。諸侯傳而語之曰:「凡殺不辜者,其得不祥,鬼神之誅,若此其憯遫也!」以若書之說觀之,則鬼神之有,豈可疑哉?

この書の説だけがそうなのではない。昔、燕の簡公がその臣の荘子儀を罪なく殺した。荘子儀が言った、「わが君王が私を罪なく殺す。死んだ人に知がないならそれまでだが、死んだ人に知があるなら、三年を過ぎないうちに必ずわが君に知らせてやろう」と。

一年が過ぎて、燕は祖で車を駆けさせようとした。燕に祖があるのは、斉に社稷があり、宋に桑林があり、楚に雲夢があるのと同じで、ここは男女が集まって見物する所である。

日中、燕の簡公がまさに祖の道で駆けさせようとしたとき、荘子儀が朱の杖をかついで打ち、車の上に倒した。このとき、燕の人で従っていた者は見なかった者がなく、遠くにいた者は聞かなかった者がなく、燕の『春秋』に記された。

諸侯は伝えてこう言った、「およそ罪のない者を殺した者はその不吉を得る。鬼神の誅はこのように痛ましく速いのだ」と。この書の説によって見れば、鬼神があることをどうして疑えようか。

非惟若書之說爲然也,昔者宋文君鮑之時,有臣曰𥙐觀辜固嘗從事於厲,祩子杖楫出,與言曰:「觀辜,是何珪璧之不滿度量,酒醴粢盛之不淨潔也,犧牲之不全肥,春秋冬夏選失時,豈女爲之與?意鮑爲之與?」觀辜曰:「鮑幼弱,在荷繈之中,鮑何與識焉?官臣觀辜特爲之。」祩子舉楫而槀之,殪之壇上。當是時,宋人從者莫不見,遠者莫不聞,著在宋之《春秋》。諸侯傳而語之曰:「諸不敬慎祭祀者,鬼神之誅,至若此其憯遫也!」以若書之說觀之,鬼神之有,豈可疑哉?

この書の説だけがそうなのではない。昔、宋の文君鮑の時に、臣で観辜という者がいて、もともとかつて祭りの事を務めていた。祩子が杖をついて出てきて、ともに語ってこう言った、「観辜よ、これはどうして玉が度量に満たず、酒や供え物の穀物が清らかでなく、犠牲が完全に肥えておらず、春秋冬夏の択び方が時を失っているのか。おまえがそうしたのか、それとも鮑がそうしたのか」と。

観辜が言った、「鮑は幼く弱く、産着の中にいます。鮑がどうして知るでしょうか。官に仕える臣の観辜がひとりそうしました」と。祩子は杖を挙げてこれを打ち、壇の上に倒した。

このとき、宋の人で従っていた者は見なかった者がなく、遠くにいた者は聞かなかった者がなく、宋の『春秋』に記された。諸侯は伝えてこう言った、「およそ祭祀をうやまい慎まない者に鬼神の誅が至るのは、このように痛ましく速いのだ」と。この書の説によって見れば、鬼神があることをどうして疑えようか。

夾注 1

祩子杖楫出

底本の楫は舟の櫓だが、廟の祭りの場なので杖と読んだ。― 訳者

非惟若書之說爲然也,昔者齊莊君之臣有所謂王里國、中里徼者。此二子者,訟三年而獄不斷。齊君由謙殺之,恐不辜;猶謙釋之,恐失有罪。乃使二人共一羊,盟齊之神社。二子許諾。於是泏洫,𢵣羊而漉其血,讀王里國之辭既已終矣,讀中里徼之辭未半也,羊起而觸之,折其腳,祧神之而槀之,殪之盟所。當是時,齊人從者莫不見,遠者莫不聞,著在齊之《春秋》。諸侯傳而語之曰:「諸盟矢不以其請者,鬼神之誅,至若此其憯遫也!」以若書之說觀之,鬼神之有,豈可疑哉?是故子墨子言曰:雖有深谿、博林、幽澗毋人之所,施行不可以不董,見有鬼神視之。

この書の説だけがそうなのではない。昔、斉の荘君の臣に、いわゆる王里国と中里徼という者がいた。この二人は三年争ったが、裁きが決まらなかった。

斉の君は、これらを殺そうとすれば罪がないことを恐れ、放免しようとすれば罪のある者を見逃すことを恐れた。そこで二人に羊一頭をともにさせ、斉の神社で盟わせたところ、二人は承知した。

そこで溝を掘り、羊を割いてその血を流させ、王里国の言葉を読み終えたが、中里徼の言葉を半分も読まないうちに、羊が起きて彼に突きかかり、その脚を折り、神が進み出てこれを打ち、盟いの場に倒した。

このとき、斉の人で従っていた者は見なかった者がなく、遠くにいた者は聞かなかった者がなく、斉の『春秋』に記された。諸侯は伝えてこう言った、「およそ盟い誓って、その真実によらない者に鬼神の誅が至るのは、このように痛ましく速いのだ」と。この書の説によって見れば、鬼神があることをどうして疑えようか。

だから墨子先生が言った。「たとえ深い谷や広い林や奥深い谷間の人のいない所であっても、行いを正さないわけにはいかない。鬼神が見ている。」

今執無鬼者曰:夫衆人耳目之請,豈足以斷疑哉?柰何其欲爲高士君子於天下,而有復信衆之耳目之請哉?子墨子曰:若以衆之耳目之請,以爲不足信也,不以斷疑。不識若昔者三代聖王堯舜禹湯文武者,足以爲法乎?故於此乎自中人以上皆曰:「若昔者三代聖王,足以爲法矣。」若苟昔者三代聖王足以爲法,然則姑嘗上觀聖王之事。昔者武王之攻殷誅紂也,使諸侯分其祭,曰:「使親者受內祀,疏者受外祀。」故武王必以鬼神爲有,是故攻殷誅紂,使諸侯分其祭。若鬼神無有,則武王何祭分哉?非惟武王之事爲然也,故聖王,其賞也必於祖,其僇也必於社。賞於祖者何也?告分之均也;僇於社者何也?告聽之中也。

いま鬼神がないと執る者が言う。「そもそも多くの人の耳目の実際が、どうして疑いを断つに足りようか。どうして天下で高い士や君子になろうとしながら、かえって多くの人の耳目の実際を信じるのか。」

墨子先生が言った。「もし多くの人の耳目の実際を信じるに足りないとして疑いを断たないなら、分からないが、昔の三代の聖王である堯・舜・禹・湯・文・武は法とするに足りるか。」

だからここで、並みの人より上はみな「昔の三代の聖王は法とするに足りる」という。

もしまことに昔の三代の聖王が法とするに足りるなら、それならしばらく試しに上は聖王の事を見てみよう。

昔、武王が殷を攻めて紂を誅したとき、諸侯にその祭りを分けさせてこう言った、「親しい者には内の祀りを受けさせ、疎い者には外の祀りを受けさせよ」と。だから武王は必ず鬼神があるとしたのであり、それゆえ殷を攻めて紂を誅し、諸侯にその祭りを分けさせたのである。もし鬼神が存在しないなら、武王は何の祭りを分けたというのか。

武王の事だけがそうなのではない。だから聖王はその賞することを必ず祖廟で行い、その殺すことを必ず社で行った。祖廟で賞するのはなぜか。分けることが均しいと告げるのである。社で殺すのはなぜか。聴くことが当たっていると告げるのである。

非惟若書之說爲然也,且惟昔者虞夏商周三代之聖王,其始建國營都,曰必擇國之正壇,置以爲宗廟;必擇木之脩茂者,立以爲菆位;必擇國之父兄慈孝貞良者,以爲祝宗;必擇六畜之腯肥倅毛,以爲犧牲;珪璧琮璜,稱財爲度;必擇五穀之芳黃,以爲酒醴粢盛,故酒醴粢盛,與歲上下也。故古聖王治天下也,故必先鬼神而後人者,此也。故曰:官府選効必先,祭器祭服畢藏於府,祝宗有司畢立於朝,犧牲不與昔聚羣。故古者聖王之爲政若此。

この書の説だけがそうなのではない。また昔、虞と夏と商と周の三代の聖王が、はじめて国を建て都を営むとき、必ず国の正しい壇を択んで宗廟を置き、必ず木のうち長く茂ったものを択んで神座を立て、必ず国の父や兄のうち慈しみ孝で貞しく善い者を択んで祝と宗とし、必ず六畜のうち肥えて毛並みの良いものを択んで犠牲とし、玉や璧や琮や璜は財に見合わせて度とし、必ず五穀のうち香り良く色づいたものを択んで酒や供え物の穀物とした。だから酒や供え物の穀物は、その年の出来に応じて上下した。

だから昔の聖王が天下を治めるとき、必ず鬼神を先にして人を後にしたのがこれである。だからいう、官府では択び努めることを必ず先にし、祭器と祭服はすべて府に蔵め、祝と宗と係の者はすべて朝廷に立ち、犠牲は以前の群れと混ぜない、と。だから昔の聖王が政を執ることはこのようであった。

古者聖王必以鬼神爲其務,其務鬼神厚矣。又恐後世子孫不能知也,故書之竹帛,傳遺後世子孫。咸恐其腐蠹絕滅,後世子孫不得而記,故琢之盤盂、鏤之金石以重之。有恐後世子孫不能敬莙以取羊,故先王之書,聖人,一尺之帛,一篇之書,語數鬼神之有也,重有重之。此其故何?則聖王務之。今執無鬼者曰:「鬼神者,固無有。」則此反聖王之務。反聖王之務,則非所以爲君子之道也。

昔の聖王は必ず鬼神をその務めとし、その鬼神に務めることは厚かった。また後の世の子孫が知ることができないことを恐れたので、竹や絹に書いて後の世の子孫に伝え遺した。

どれも、それが腐り虫に食われて絶え滅び、後の世の子孫が得て記憶できないことを恐れたので、盤や盂に彫り、金や石に刻んで重ねた。さらに後の世の子孫がうやまい慎んで善いものを取ることができないことを恐れたので、先王の書と聖人は、一尺の絹、一篇の書にも、鬼神があることを幾度も語り、重ねに重ねた。

これは何のゆえか。聖王がこれに務めたからである。いま鬼神がないと執る者が「鬼神とはもともと存在しない」という。つまりこれは聖王の務めに背くことである。聖王の務めに背けば、君子の道とするものではない。

今執無鬼者之言曰:先王之書,慎無一尺之帛,一篇之書,語數鬼神之有,重有重之,亦何書有之哉?子墨子曰:《周書‧大雅》有之。《大雅》曰:「文王在上,於昭於天。周雖舊邦,其命維新。有周不顯,帝命不時。文王陟降,在帝左右。穆穆文王,令聞不已。」若鬼神無有,則文王既死,彼豈能在帝之左右哉?此吾所以知《周書》之鬼也。

いま鬼神がないと執る者の言葉に、「先王の書に、一尺の絹、一篇の書にも鬼神があることを幾度も語り、重ねに重ねたというが、いったいどの書にそれがあるのか」とある。

墨子先生が言った。「『周書』の『大雅』にある。『大雅』にいう、『文王は上にいらして、ああ、天に明らかである。周は旧い邦であるが、その命は新しい。周が顕れないことがあろうか、帝の命が時にかなわないことがあろうか。文王は昇り降りして、帝の左右にいらす。穆やかな文王よ、善い評判がやまない』と。

もし鬼神が存在しないなら、文王はすでに亡くなったのに、あの方がどうして帝の左右にいられようか。これが、私が『周書』の鬼神を知る理由である。」

且《周書》獨鬼,而《商書》不鬼,則未足以爲法也。然則姑嘗上觀乎《商書》,曰:「嗚呼!古者有夏,方未有禍之時,百獸貞蟲,允及飛鳥,莫不比方。矧隹人面,胡敢異心?山川鬼神,亦莫敢不寧。若能共允,隹天下之合,下土之葆。」察山川鬼神之所以莫敢不寧者,以佐謀禹也。此吾所以知《商書》之鬼也。

また『周書』だけが鬼神を語って『商書』が鬼神を語らないなら、法とするに足りない。それならしばらく試しに上は『商書』を見てみよう。

いう、「ああ、昔、夏がまだ災いのなかった時には、あらゆる獣や虫、飛ぶ鳥に至るまで、並び従わないものはなかった。まして人の顔をした者が、どうしてあえて心を異にしようか。山川の鬼神も、またあえて安らかでないものはなかった。もしよくともに信があれば、ただ天下が合い、下の土が守られるであろう」と。

山川の鬼神があえて安らかでないものがなかった理由を察すれば、禹を助けて謀ったからである。これが、私が『商書』の鬼神を知る理由である。

且《商書》獨鬼,而《夏書》不鬼,則未足以爲法也。然則姑嘗上觀乎《夏書》,《禹誓》曰:「大戰於甘,王乃命左右六人,下聽誓于中軍,曰:有扈氏威侮五行,怠棄三正,天用𠞰絕其命。有曰:日中,今予與有扈氏爭一日之命,且爾卿大夫庶人,予非爾田野葆士之欲也,予共行天之罰也。左不共於左,右不共於右,若不共命。御非爾馬之政,若不共命。是以賞于祖,而僇于社。」賞於祖者何也?言分命之均也;僇於社者何也?言聽獄之事也。故古聖王必以鬼神爲賞賢而罰暴,是故賞必於祖,而僇必於社。此吾所以知《夏書》之鬼也。故尚書《夏書》,其次商周之書,語數鬼神之有也,重有重之。此其故何也?則聖王務之。以若書之說觀之,則鬼神之有,豈可疑哉?於古曰:吉日丁卯,周代祝社方,歲于社考,以延年壽。若無鬼神,彼豈有所延年壽哉?

また『商書』だけが鬼神を語って『夏書』が鬼神を語らないなら、法とするに足りない。それならしばらく試しに上は『夏書』を見てみよう。

『禹誓』にいう、「甘で大いに戦うとき、王はそこで左右の六人に命じ、中軍に下って誓いを聴かせてこう言った。『有扈氏は五行を侮り、三正を怠り棄てたので、天はその命を断ち絶った。』また言った、『日中である。いま私は有扈氏と一日の命を争う。さあ、おまえたち卿や大夫や庶人よ、私はおまえたちの田野や宝の土を欲しがるのではない。私はともに天の罰を行うのだ。左が左で力を合わせなければ、おまえは命に力を合わせないのであり、右が右で力を合わせなければ、おまえは命に力を合わせないのである。御する者がおまえの馬を正しく御さなければ、おまえは命に力を合わせないのである。』これによって祖廟で賞し、社で殺した」と。

祖廟で賞するのはなぜか。命を分けることが均しいことを言うのである。社で殺すのはなぜか。訴えを聴く事を言うのである。

だから昔の聖王は、必ず鬼神を賢者に賞し暴な者を罰するものとしたので、それゆえ賞を必ず祖廟で行い、殺すことを必ず社で行った。これが、私が『夏書』の鬼神を知る理由である。

だから上は『夏書』、その次に商と周の書が、鬼神があることを幾度も語り、重ねに重ねた。これは何のゆえか。聖王がこれに務めたからである。

この書の説によって見れば、鬼神があることをどうして疑えようか。古い言葉にいう、「吉い日の丁卯に、周は四方の社に祝い、年ごとに社で考え、寿命を延ばした」と。もし鬼神がないなら、あの者がどうして寿命を延ばす所があったろうか。

是故子墨子曰:嘗若鬼神之能賞賢如罰暴也,蓋本施之國家,施之萬民,實所以治國家、利萬民之道也。若以爲不然,是以吏治官府之不絜廉,男女之爲無別者,鬼神見之。民之爲淫暴寇亂盜賊,以兵刃毒藥水火退無罪人乎道路,奪人車馬衣裘以自利者,有鬼神見之。是以吏治官府不敢不絜廉,見善不敢不賞,見暴不敢不罪。民之爲淫暴寇亂盜賊,以兵刃毒藥水火退無罪人乎道路,奪人車馬衣裘以自利者,由此止,是以莫放。幽閒,擬乎鬼神之明;顯明,有一人畏上誅罰,是以天下治。

だから墨子先生が言った。「かりに鬼神がよく賢者を賞し暴な者を罰するとして、おおよそこれを国家に根本として施し、万民に施せば、まことに国家を治め万民を利する道である。

もしそうでないとするなら、これによって、吏が官府を治めるのに清く廉でないことや、男女が分けなく振る舞うことを、鬼神が見ている。民がみだれ暴れ寇し乱し盗み、武器や刃や毒薬や水や火で道で罪のない人を押しのけ、人の車や馬や衣や毛皮を奪って自分を利することを、鬼神が見ている。

これによって吏は官府を治めるのにあえて清く廉でないことはなく、善を見てあえて賞さないことはなく、暴を見てあえて罪さないことはない。民がみだれ暴れ寇し乱し盗み、武器や刃や毒薬や水や火で道で罪のない人を押しのけ、人の車や馬や衣や毛皮を奪って自分を利することは、ここからやんで、誰も勝手に振る舞わない。

奥深く静かな所では鬼神の明らかさに照らし、顕れ明らかな所では人が上の誅と罰を畏れる。これによって天下は治まる。」

故鬼神之明,不可爲幽閒、廣澤、山林、深谷,鬼神之明必知之。鬼神之罰,不可爲富貴衆強、勇力強武、堅甲利兵,鬼神之罰必勝之。若以爲不然,昔者夏王桀貴爲天子,富有天下,上詬天侮鬼,下殃傲天下之萬民,祥上帝伐元山帝行,故於此乎天乃使湯至明罰焉。湯以車九兩,鳥陣鴈行,湯乘大賛,犯遂下衆人之𧎸遂,王乎禽推哆、大戲。故昔夏王桀貴爲天子,富有天下,有勇力之人推哆、大戲,生列兕虎,指畫殺人。人民之衆兆億,侯盈厥澤陵。然不能以此圉鬼神之誅。此吾所謂鬼神之罰,不可爲富貴衆強、勇力強武、堅甲利兵者,此也。

だから鬼神の明らかさは、奥深く静かな所や広い沢や山林や深い谷だからといってどうすることもできず、鬼神の明らかさが必ずこれを知る。鬼神の罰は、富み貴く数多く強いからといって、勇があり力があり強く武いからといって、堅い鎧と鋭い武器があるからといってどうすることもできず、鬼神の罰が必ずこれに勝つ。

もしそうでないとするなら、昔、夏の王桀は貴きこと天子であり、富むこと天下を持ちながら、上は天を罵り鬼神を侮り、下は天下の万民に災いをなし驕った。上帝を祥とし、元山帝行を伐った。だからここで天はそこで湯に明らかな罰を至らせた。

湯は車九両で鳥の陣と雁の列を組み、大きな車に乗り、下の人々の道を踏んで進み、王は推哆と大戲を捕らえた。だから昔、夏の王桀は貴きこと天子であり、富むこと天下を持ち、勇と力ある人の推哆と大戲がいて、生きた兕や虎を引き裂き、指さして人を殺し、人民の数は億兆でその沢や丘に満ちていた。それでもこれによって鬼神の誅を防ぐことはできなかった。

これが私のいう、鬼神の罰は、富み貴く数多く強いからといって、勇があり力があり強く武いからといって、堅い鎧と鋭い武器があるからといってどうすることもできないということである。

夾注 1

祥上帝伐元山帝行

底本が整っておらず、意味を立てにくい箇所である。空けずに字のまま訳しておいた。― 訳者

且不惟此爲然。昔者殷王紂貴爲天子,富有天下,上詬天侮鬼,下殃傲天下之萬民,播棄黎老,誅賊孩子,楚毒無罪,刳剔孕婦,庶舊鰥寡,號咷無告也。故於此乎天乃使武王至明罰焉。武王以擇車百兩,虎賁之卒四百人,先庶國節窺戎,與殷人戰乎牧之野。王乎禽費中、惡來,衆畔百走。武王逐𢍃入宮,萬年梓株,折紂而繫之赤環,載之白旗,以爲天下諸侯僇。故昔者殷王紂貴爲天子,富有天下,有勇力之人費中、惡來,生捕兕虎,指寡殺人。人民之衆兆億,侯盈厥澤陵。然不能以此圉鬼神之誅。此吾所謂鬼神之罰,不可爲富貴衆强、勇力强武、堅甲利兵者,此也。且《禽艾》之道之曰:「得璣無小,滅宗無大。」則此言鬼神之所賞,無小必賞之;鬼神之所罰,無大必罰之。

またこれだけがそうなのではない。昔、殷の王紂は貴きこと天子であり、富むこと天下を持ちながら、上は天を罵り鬼神を侮り、下は天下の万民に災いをなし驕った。老人を散らし棄て、子どもを殺し害し、罪のない者をひどく苦しめ、身重の女を割き、多くの老人ややもめやみなしごが泣き叫んでも訴える所がなかった。

だからここで天はそこで武王に明らかな罰を至らせた。武王は択び抜いた車百両と虎のような兵四百人で、多くの国を先に立て、節によって戎をうかがい、殷の人と牧野で戦った。王が費中と悪来を捕らえると、人々は背いてことごとく走った。

武王は追って宮に入り、万年の梓の切り株で紂の首を斬って赤い環に繋ぎ、白い旗に載せて、天下の諸侯に処刑を示した。

だから昔、殷の王紂は貴きこと天子であり、富むこと天下を持ち、勇と力ある人の費中と悪来がいて、生きた兕や虎を捕らえ、指さして人を殺し、人民の数は億兆でその沢や丘に満ちていた。それでもこれによって鬼神の誅を防ぐことはできなかった。

これが私のいう、鬼神の罰は、富み貴く数多く強いからといって、勇があり力があり強く武いからといって、堅い鎧と鋭い武器があるからといってどうすることもできないということである。

また『禽艾』の道にいう、「小さいからといって見逃すことはなく、大きいからといって宗を滅ぼさないことはない」と。つまりこれは、鬼神が賞するところは小さくても必ず賞し、鬼神が罰するところは大きくても必ず罰することを言うのである。

今執無鬼者曰:意不忠親之利,而害爲孝子乎?子墨子曰:古之今之爲鬼,非他也,有天鬼,亦有山水鬼神者,亦有人死而爲鬼者。今有子先其父死,弟先其兄死者矣。意雖使然,然而天下之陳物,曰先生者先死。若是,則先死者非父則母,非兄而姒也。今絜爲酒醴粢盛,以敬慎祭祀。若使鬼神請有,是得其父母姒兄而飲食之也,豈非厚利哉?若使鬼神請亡,是乃費其所爲酒醴粢盛之財耳。自夫費之,非特注之汙壑而棄之也,內者宗族,外者鄉里,皆得如具飲食之。雖使鬼神請亡,此猶可以合驩聚衆,取親於鄉里。今執無鬼者言曰:「鬼神者,固請無有,是以不共其酒醴粢盛犧牲之財。吾非乃今愛其酒醴粢盛犧牲之財乎,其所得者巨將何哉?」此上逆聖王之書,內逆民人孝子之行。而爲上士於天下,此非所以爲上士道。是故子墨子曰:今吾爲祭祀也,非直注之汙壑而棄之也,上以交鬼之福,下以合驩聚衆,取親乎鄉里。若神有,則是得吾父母姒兄而食之也,則此豈非天下利事也哉!

いま鬼神がないと執る者が言う。「それは親の利に忠でなく、孝子を害するのではないか。」

墨子先生が言った。「昔も今も鬼神というのは、他のものではない。天の鬼神があり、また山や水の鬼神があり、また人が死んで鬼神となったものもある。

いま子がその父より先に死に、弟がその兄より先に死ぬことがある。たとえそうであっても、天下に並び置かれた事柄にいう、先に生まれた者が先に死ぬと。そうであれば、先に死んだ者は父でなければ母であり、兄でなければ兄嫁である。

いま清めて酒や供え物の穀物を用意し、うやまい慎んで祭祀する。もし鬼神がまことにあるなら、これはその父や母や兄嫁や兄を得て飲み食いさせることであり、どうして厚い利でないことがあろうか。もし鬼神がまことにないなら、これはその酒や供え物の穀物にした財を費やすだけである。

そもそもこれを費やすのは、ただ汚れた溝に注いで棄てるのではなく、内では一族、外では郷里が、みな得てともに飲み食いする。たとえ鬼神がまことにないとしても、これはなお喜びを合わせ人々を集めて、郷里で親しみを取ることができる。

いま鬼神がないと執る者がこう言う。『鬼神とはもともとまことに存在しないので、だからその酒や供え物の穀物や犠牲の財を供えない。私がどうしていま、その酒や供え物の穀物や犠牲の財を惜しむからであろうか。その得るものは大きく何であろうか』と。これは上は聖王の書に逆らい、内は民や孝子の行いに逆らう。それで天下で上の士になるというのだから、これは上の士の道とするものではない。」

だから墨子先生が言った。「いま私が祭祀をするのは、ただ汚れた溝に注いで棄てるのではなく、上は鬼神の福に交わり、下は喜びを合わせ人々を集めて、郷里で親しみを取ることである。もし神があるなら、これはわが父や母や兄嫁や兄を得て食べさせることであり、つまりこれがどうして天下に利ある事でないことがあろうか。」

是故子墨子曰:今天下之王公大人士君子,中實將欲求興天下之利,除天下之害,當若鬼神之有也,將不可不尊明也,聖王之道也。

だから墨子先生が言った。「いま天下の王公や大人や士や君子が、まことに天下の利を興し天下の害を除くことを求めようとするなら、まさに鬼神があることを尊び明らかにしないわけにはいかない。これが聖王の道である。」