萬章 下萬章下
1孔子は聖人のうち時を知られた方 ― 集大成
孟子曰:「伯夷目不視惡色,耳不聽惡聲。非其君不事,非其民不使。治則進,亂則退。橫政之所出,橫民之所止,不忍居也。思與鄉人處,如以朝衣朝冠坐於涂炭也。當紂之時,居北海之濱,以待天下之清也。故聞伯夷之風者,頑夫廉,懦夫有立志。」 「伊尹曰:『何事非君?何使非民?』治亦進,亂亦進。曰:『天之生斯民也,使先知覺後知,使先覺覺後覺。予,天民之先覺者也;予將以此道覺此民也。』思天下之民匹夫匹婦有不與被堯舜之澤者,如己推而內之溝中。其自任以天下之重也。」 「柳下惠,不羞污君,不辭小官;進不隱賢,必以其道;遺佚而不怨,厄窮而不憫。與鄉人處,由由然不忍去也。『爾為爾,我為我,雖袒裼裸裎於我側,爾焉能浼我哉?』故聞柳下惠之風者,鄙夫寬,薄夫敦。」 「孔子之去齊,接淅而行;去魯,曰:『遲遲吾行也。』去父母國之道也。可以速而速,可以久而久,可以處而處,可以仕而仕,孔子也。」 孟子曰:「伯夷,聖之清者也;伊尹,聖之任者也;柳下惠,聖之和者也;孔子,聖之時者也。孔子之謂集大成。集大成也者,金聲而玉振之也。金聲也者,始條理也;玉振之也者,終條理也。始條理者,智之事也;終條理者,聖之事也。智,譬則巧也;聖,譬則力也。由射於百步之外也;其至,爾力也;其中,非爾力也。」
孟子が言った。「伯夷は目で悪い色を見ず、耳で悪い声を聞かなかった。自分の君でなければ仕えず、自分の民でなければ使わず、治まれば進み乱れれば退いた。乱れた政治の出るところ、乱れた民の留まるところには、住むに堪えなかった。里の人とともにいることを、朝服と朝冠の姿で泥と炭に座るように思った。紂の時に当たって北の海辺に住み、天下が清らかになるのを待った。だから伯夷の風を聞いた者は、頑(かたくな)な男が清廉になり、弱い男が志を立てるようになる。」
「伊尹は『どの君にも仕えられよう、どの民も使えよう』と言って、治まっても進み乱れても進んだ。そして『天がこの民を生むとき、先に知る者に後から知る者を覚らせ、先に覚った者に後から覚る者を覚らせられた。わたしは天の民のうち先に覚った者だ。わたしはこれからこの道でこの民を覚らせよう』と言った。天下の民のうち一人の男、一人の女でも堯舜の恵みをともに受けない者があれば、自分が押して溝に入れたように思った。天下の重さを自分の負いめとすることがこのようであった。」
「柳下恵は汚れた君を恥じず、小さな官を辞さなかった。進んでは賢さを隠さず必ず自分の道によって行い、捨て置かれても恨まず、行き詰まって苦しくても悩まなかった。里の人とともにいても、ゆったりと去るに堪えなかった。『おまえはおまえ、わたしはわたしだ。たとえわたしのそばで肌をあらわし裸になったとしても、おまえがどうしてわたしを汚せよう』と言った。だから柳下恵の風を聞いた者は、狭い男が寛(ゆる)やかになり、薄い男が篤(あつ)くなる。」
「孔子が斉を去られるときは、研(と)いでいた米をすくい取って出られ、魯を去られるときは『遅いことよ、わが歩みは』と言われたが、父母の国を去る道である。早く去るべきなら早く去り、長くいるべきなら長くいて、留まるべきなら留まり、仕えるべきなら仕えられたのが孔子である。」
孟子が言った。「伯夷は聖人のうち清らかな方であり、伊尹は聖人のうち自ら担われた方であり、柳下恵は聖人のうち和された方であり、孔子は聖人のうち時を知られた方である。
孔子を集大成という。集大成とは、鐘で声を出し玉で収めることだ。鐘で声を出すのは調べをはじめることであり、玉で収めるのは調べを終えることである。調べをはじめることは知の事であり、調べを終えることは聖の事である。
知はたとえれば巧(たくみ)さであり、聖はたとえれば力である。百歩の外から弓を射るようなもので、そこまで届くのはあなたの力だが、当てるのはあなたの力ではない。」
2周の爵と禄の等級
北宫𨪆問曰:「周室班爵祿也,如之何?」 孟子曰:「其詳不可得聞也,諸侯惡其害己也,而皆去其籍。然而軻也嘗聞其略也。天子一位,公一位,侯一位,伯一位,子、男同一位,凡五等也。君一位,卿一位,大夫一位,上士一位,中士一位,下士一位,凡六等。天子之制,地方千里,公侯皆方百里,伯七十里,子、男五十里,凡四等。不能五十里,不達於天子,附於諸侯,曰附庸。天子之卿受地視侯,大夫受地視伯,元士受地視子、男。大國地方百里,君十卿祿,卿祿四大夫,大夫倍上士,上士倍中士,中士倍下士,下士與庶人在官者同祿,祿足以代其耕也。次國地方七十里,君十卿祿,卿祿三大夫,大夫倍上士,上士倍中士,中士倍下士,下士與庶人在官者同祿,祿足以代其耕也。小國地方五十里,君十卿祿,卿祿二大夫,大夫倍上士,上士倍中士,中士倍下士,下士與庶人在官者同祿,祿足以代其耕也。耕者之所獲,一夫百畝;百畝之糞,上農夫食九人,上次食八人,中食七人,中次食六人,下食五人。庶人在官者,其祿以是為差。
北宮錡(ほっきゅうき)が尋ねた。「周の王室が爵と禄を分けたのは、どのようであったのですか。」
孟子が言った。「その詳しいことは聞けない。諸侯が自分に害があると嫌って、みなその記録を捨てた。しかし、わたし軻(か)はかつてその大すじを聞いた。
天子が一つの位、公が一つの位、侯が一つの位、伯が一つの位、子と男が同じ一つの位で、合わせて五等である。君が一つの位、卿が一つの位、大夫が一つの位、上士が一つの位、中士が一つの位、下士が一つの位で、合わせて六等である。
天子の制では土地が四方千里、公と侯はみな四方百里、伯は七十里、子と男は五十里で、合わせて四等である。五十里に足りなければ天子に直接つながらず諸侯に付くので、附庸(ふよう)という。
天子の卿は侯に準じて土地を受け、大夫は伯に準じて受け、元士は子と男に準じて受ける。
大国は土地が四方百里で、君は卿の禄の十倍、卿の禄は大夫の四倍、大夫は上士の倍、上士は中士の倍、中士は下士の倍であり、下士は官にある庶人と禄が同じで、その禄が耕すことに代わるに足りる。
その次の国は土地が四方七十里で、君は卿の禄の十倍、卿の禄は大夫の三倍、大夫は上士の倍、上士は中士の倍、中士は下士の倍であり、下士は官にある庶人と禄が同じで、その禄が耕すことに代わるに足りる。
小国は土地が四方五十里で、君は卿の禄の十倍、卿の禄は大夫の二倍、大夫は上士の倍、上士は中士の倍、中士は下士の倍であり、下士は官にある庶人と禄が同じで、その禄が耕すことに代わるに足りる。
耕す者が得るのは、一人につき百畝である。百畝に肥やしを与えれば、上の農夫は九人を養い、その次は八人、中の農夫は七人、その次は六人、下の農夫は五人を養う。官にある庶人は、その禄をこれによって差をつける。」
3友とするとは、その徳を友とすること
萬章問曰:「敢問友。」 孟子曰:「不挾長,不挾貴,不挾兄弟而友。友也者,友其德也,不可以有挾也。孟獻子,百乘之家也,有友五人焉:樂正裘、牧仲,其三人則予忘之矣。獻子之與此五人者友也,無獻子之家者也。此五人者亦有獻子之家,則不與之友矣。非惟百乘之家為然也,雖小國之君亦有之。費惠公曰:『吾於子思則師之矣,吾於顏般則友之矣,王順、長息,則事我者也。』非惟小國之君為然也,雖大國之君亦有之。晉平公之於亥唐也,入云則入,坐云則坐,食云則食。雖疏食菜羹,未嘗不飽,蓋不敢不飽也。然終於此而已矣,弗與共天位也,弗與治天職也,弗與食天祿也。士之尊賢者也,非王公之尊賢也。舜尚見帝,帝館甥于貳室,亦饗舜,迭為賓主,是天子而友匹夫也。用下敬上,謂之貴貴;用上敬下,謂之尊賢。貴貴、尊賢,其義一也。」
万章が尋ねた。「あえて友とすることをお尋ねします。」
孟子が言った。「年を振りかざさず、貴さを振りかざさず、兄弟を振りかざさずに友とする。友とするとは、その徳を友とすることだから、振りかざすものがあってはならない。
孟献子(もうけんし)は車百台の家であったが、友が五人あった。楽正裘(がくせいきゅう)と牧仲(ぼくちゅう)で、残りの三人はわたしは忘れた。献子がこの五人と友としたのは、献子の家を意識しなかったからだ。この五人もまた献子の家を意識していたなら、その人と友とはならなかったであろう。
車百台の家だけがそうなのではなく、小国の君にもそういうことがある。費(ひ)の恵公は『わたしは子思には師として接し、顔般(がんはん)には友として接し、王順(おうじゅん)と長息はわたしに仕える者たちだ』と言った。
小国の君だけがそうなのではなく、大国の君にもそういうことがある。晋の平公は亥唐(がいとう)に対して、入れと言われれば入り、座れと言われれば座り、食べよと言われれば食べた。たとえ粗い飯と菜の汁でも、腹いっぱいにならなかったことがない。あえて腹いっぱいにしないわけにいかなかったからだ。しかしここで止まっただけで、その人と天の位をともにせず、その人と天の職を治めず、その人と天の禄を食べなかった。これは士が賢い者を尊んだのであって、王公が賢い者を尊んだのではない。
舜が堯に会いに上られると、堯は婿を別の館に泊まらせ、また舜に宴を開いて、交互に客と主となられた。これは天子でありながら匹夫を友としたのだ。
下の者が上の者を敬うのを貴いものを貴ぶ(貴貴)といい、上の者が下の者を敬うのを賢い者を尊ぶ(尊賢)という。貴いものを貴ぶことと賢い者を尊ぶことは、その義が一つである。」
4交わりの礼 ― 退けない理由
萬章曰:「敢問交際何心也?」 孟子曰:「恭也。」 曰:「卻之卻之為不恭,何哉?」 曰:「尊者賜之,曰:『其所取之者,義乎不義乎?』而後受之,以是為不恭,故弗卻也。」 曰:「請無以辭卻之,以心卻之,曰:『其取諸民之不義也。』而以他辭無受,不可乎?」 曰:「其交也以道,其接也以禮,斯孔子受之矣。」 萬章曰:「今有御人於國門之外者,其交也以道,其饋也以禮,斯可受御與?」 曰:「不可。《康誥》曰:『殺越人于貨,閔不畏死,凡民罔不譈』是不待教而誅者也。殷受夏,周受殷,所不辭也,於今為烈,如之何其受之?」 曰:「今之諸侯取之於民也,猶御也。『茍善其禮際矣,斯君子受之』,敢問何說也?」 曰:「子以為有王者作,將比今之諸侯而誅之乎?其教之不改而後誅之乎?夫謂非其有而取之者盜也,充類至義之盡也。孔子之仕於魯也,魯人獵較,孔子亦獵較。獵較猶可,而況受其賜乎?」 曰:「然則孔子之仕也,非事道與?」 曰:「事道也。」 「事道奚獵較也?」 曰:「孔子先簿正祭器,不以四方之食供簿正。」 曰:「奚不去也?」 曰:「為之兆也,兆足以行矣,而不行,而後去;是以未嘗有所終三年淹也。孔子有見行可之仕,有際可之仕,有公養之仕。於季桓子,見行可之仕也;於衛靈公,際可之仕也;於衛孝公,公養之仕也。」
万章が言った。「あえてお尋ねしますが、交わりはどういう心でするのですか。」
孟子が言った。「恭しさである。」
「退け退けするのが恭しくないというのは、どうしてですか。」
「高い人が下さるのに『その人が取ったものは義か義でないか』と問い詰めてから受けるのを、恭しくないとする。だから退けないのだ。」
「どうか言葉で退けずに心で退け、『その人が民から取ったものは義でない』としながら、別の言葉で受けないのは、いけませんか。」
「その人が交わりを道でし、もてなしを礼でするなら、孔子も受けられた。」
万章が言った。「今、城門の外で人を遮って物を奪う者があって、その交わりを道でし、その贈りを礼でするなら、その奪ったものを受けてよいのですか。」
「いけない。『康誥(こうこう)』に『人を殺して財を奪い、強(こわ)くて死を畏れない者を、民のうちに憎まない者はない』とあるが、これは教えを待たずに罰する者だ。殷が夏から受け、周が殷から受けたことを辞さなかったが、今ではいっそうひどいのに、どうしてそれを受けよう。」
「今の諸侯が民から取るのも奪うのと同じです。『まことにその礼の交わりをよくするなら君子は受ける』と言われますが、あえてお尋ねしますが、どういうことですか。」
「おまえは、王者が出れば今の諸侯をことごとく罰するだろうと思うのか、それとも教えても改めない者を罰するだろうと思うのか。そもそも自分のものでないものを取る者を盗(ぬすびと)というのは、同じ類を広げて義を言い尽くした言葉だ。
孔子が魯で仕えられたとき、魯の人々は狩った獣を争って取ったが、孔子もそうされた。狩った獣を争って取ることすらされたのに、まして贈られるものを受けることはどうであろう。」
「それでは孔子が仕えられたのは、道を事とされたのではないのですか。」
「道を事とされたのだ。」
「道を事とされたのに、どうして狩った獣を争って取られたのですか。」
「孔子は先に帳簿で祭りの器を正され、四方から来た食べ物でその帳簿に合わせた器を満たされなかったのだ。」
「どうして去られなかったのですか。」
「兆(しるし)とされたのだ。兆が行えるほどなのに行われないでから去られた。だから三年を満たして留まられたことがなかった。
孔子には道が行えると見てされた仕えがあり、もてなしがよいのでされた仕えがあり、国が養ってくれるのでされた仕えがある。季桓子(きかんし)には道が行えると見てされた仕えであり、衛の霊公にはもてなしがよいのでされた仕えであり、衛の孝公には国が養ってくれるのでされた仕えである。」
5仕えるのは貧しさのためではないが、時には貧しさのために
孟子曰:「仕非為貧也,而有時乎為貧;娶妻非為養也,而有時乎為養。為貧者,辭尊居卑,辭富居貧。辭尊居卑,辭富居貧,惡乎宜乎?抱關擊柝。孔子嘗為委吏矣,曰:『會計當而已矣。』嘗為乘田矣,曰:『牛羊茁壯,長而已矣。』位卑而言高,罪也。立乎人之本朝而道不行,恥也。」
孟子が言った。「仕えるのは貧しさのためにするのではないが、時には貧しさのためにし、妻を迎えるのは養いのためではないが、時には養いのためにする。
貧しさのためにする者は、高い位を辞して低いところにおり、豊かな位を辞して貧しいところにいる。高い位を辞して低いところにおり、豊かな位を辞して貧しいところにいるには、どこがふさわしいか。門番と夜回りである。
孔子はかつて蔵の番となられて『会計が合うだけだ』と言われ、かつて牧場の番となられて『牛と羊がよく育つだけだ』と言われた。
位が低いのに言葉が高いのは罪であり、人の朝廷に立って道が行われないのは恥である。」
6君が君子を養う道
萬章曰:「士之不托諸侯,何也?」 孟子曰:「不敢也。諸侯失國而後托於諸侯,禮也。士之托於諸侯,非禮也。」 萬章曰:「君饋之粟,則受之乎?」 曰:「受之。」 「受之何義也?」 曰:「君之於氓也,固周之。」 曰:「周之則受,賜之則不受,何也?」 曰:「不敢也。」 曰:「敢問其不敢何也?」 曰:「抱關擊柝者,皆有常職以食於上。無常職而賜於上者,以為不恭也。」 曰:「君饋之,則受之,不識可常繼乎?」 曰:「繆公之於子思也,亟問,亟饋鼎肉。子思不悅,於卒也標使者出諸大門之外,北面稽首再拜而不受,曰:『今而後知君之犬馬畜汲!』蓋自是臺無饋也。悅賢不能舉,又不能養也,可謂悅賢乎?」 曰:「敢問國君欲養君子,如何斯可謂養矣?」 曰:「以君命將之,再拜稽首而受;其後廩人繼粟,庖人繼肉,不以君命將之。子思以為鼎肉使己僕僕爾亟拜也,非養君子之道也。堯之於舜也,使其子九男事之,二女女焉,百官牛羊倉廩備,以養舜於畎畝之中,後舉而加諸上位。故曰王公之尊賢者也。」
万章が言った。「士が諸侯に身を寄せないのは、どうしてですか。」
孟子が言った。「あえてしないのだ。諸侯が国を失ってから諸侯に身を寄せるのは礼である。士が諸侯に身を寄せるのは礼でない。」
万章が言った。「君が穀物を贈れば、受けるのですか。」
「受ける。」
「受けるのはどういう義ですか。」
「君は流れて来た民に、もともと行き渡るように助けるものだ。」
「行き渡るように助ければ受け、下し与えれば受けないのは、どうしてですか。」
「あえてしないのだ。」
「あえてお尋ねしますが、あえてしないとは、どうしてですか。」
「門番や夜回りも、みな定まった職があって上から食べる。定まった職がないのに上から下されるものを受けるのは、恭しくないとするからだ。」
「君が贈れば受けると言われますが、常に続けて受けられるのかどうか分かりません。」
「繆公は子思にたびたび見舞いを出し、たびたび煮た肉を贈った。子思は不快に思い、ついに使者を大門の外へ押し出し、北に向いて頭を下げ二度拝して受けず、『今になって君がわたし伋(きゅう)を犬や馬のように飼っていることが分かった』と言った。おそらくこのときから贈ることがなくなったのであろう。賢い者を喜びながら挙げて用いることもできず、また養うこともできないなら、賢い者を喜ぶといえようか。」
「あえてお尋ねしますが、国の君が君子を養おうとするなら、どうすれば養うといえるのですか。」
「君の命で贈れば、二度拝して頭を下げて受ける。その後は蔵の番が穀物を継いで送り、台所の番が肉を継いで送るが、君の命で贈らない。
子思は、煮た肉が自分に煩わしくたびたび拝させるのだから、君子を養う道ではないと考えたのだ。
堯が舜に対しては、その子九人で仕えさせ二人の娘を嫁がせ、百官と牛と羊と蔵を備えて畑の中で舜を養われ、後に挙げて上の位に就けられた。だから王公が賢い者を尊んだことだというのだ。」
7自分にふさわしい呼びでなければ行かない
萬章曰:「敢問不見諸侯,何義也?」 孟子曰:「在國曰市井之臣,在野曰草莽之臣,皆謂庶人。庶人不傳質為臣,不敢見於諸侯,禮也。」 萬章曰:「庶人,召之役,則往役;君欲見之,召之,則不往見之,何也?」 曰:「往役,義也;往見,不義也。且君之欲見之也,何為也哉?」 曰:「為其多聞也,為其賢也。」 曰:「為其多聞也,則天子不召師,而況諸侯乎?為其賢也,則吾未聞欲見賢而召之也。繆公亟見於子思,曰:『古千乘之國以友士,何如?』子思不悅,曰:『古之人有言曰:「事之云乎」,豈曰友之云乎?』子思之不悅也,豈不曰:『以位,則子,君也,我,臣也,何敢與君友也?以德,則子事我者也,奚可以與我友?』千乘之君求與之友,而不可得也,而況可召與?齊景公田,招虞人以旌;不至,將殺之。『志士不忘在溝壑,勇士不忘喪其元。』孔子奚取焉?取非其招不往也。」 曰:「敢問招虞人何以?」 曰:「以皮冠。庶人以旃,士以旗,大夫以旌。以大夫之招招虞人,虞人死不敢往;以士之招招庶人,庶人豈敢往哉?況乎以不賢人之招招賢人乎?欲見賢人而不以其道,猶欲其入而閉之門也。夫義,路也;禮,門也。惟君子能由是路,出入是門也。《詩》云:『周道如底,其直如矢;君子所履,小人所視。』」 萬章曰:「孔子『君命召,不俟駕而行』。然則孔子非與?」 曰:「孔子當仕有官職,而以其官召之也。」
万章が言った。「あえてお尋ねしますが、諸侯に会われないのは、どういう義ですか。」
孟子が言った。「町の中にいれば市井の臣といい、野にいれば草莽(そうもう)の臣というが、どちらも庶人を指す。庶人は贈り物を捧げて臣とならなければ、あえて諸侯に会わないのが礼である。」
万章が言った。「庶人は呼んで役に就かせれば行って役に就くのに、君が会おうとして呼んでも行って会わないのは、どうしてですか。」
「行って役に就くのは義であり、行って会うのは義でない。また、君がその人に会おうとするのは何のためか。」
「多くを聞いているからであり、賢いからです。」
「多くを聞いているからなら、天子でさえ師を呼ばないのに、まして諸侯はどうであろう。賢いからなら、わたしは賢い者に会おうとして呼ぶということを聞いたことがない。
繆公はたびたび子思に会い、『昔、千乗の国が士を友としたそうですが、どうですか』と言った。子思は不快に思い、『昔の人の言葉に「仕える」とありましたが、どうして「友とする」と言いましょう』と言った。子思が不快に思われたのは、どうしてこういう意味でなかろう。『位でいえばあなたは君でわたしは臣なのに、どうしてあえて君と友となろう。徳でいえばあなたはわたしに仕える者なのに、どうしてわたしと友となれよう。』
千乗の君がその人と友となることを求めても得られないのに、まして呼べようか。
斉の景公が狩りをしたとき、狩り場の番人を旗で呼んだが来なかったので、殺そうとした。『志ある士は溝や谷に捨てられることを忘れず、勇ある士は自分の首を失うことを忘れない』とあるが、孔子は何を取られたであろう。自分にふさわしい呼びでなければ行かなかったことを取られたのだ。」
「あえてお尋ねしますが、狩り場の番人は何で呼ぶのですか。」
「皮の冠で呼ぶ。庶人は赤い旗で、士は模様の旗で、大夫は飾りのついた旗で呼ぶ。
大夫の呼びで狩り場の番人を呼べば、番人は死んでもあえて行かず、士の呼びで庶人を呼べば、庶人がどうしてあえて行こう。まして賢くない者の呼びで賢い者を呼ぶことはどうであろう。
賢い者に会おうとしながらその道でしないのは、その人が入ってくることを願いながら門を閉じるようなものだ。そもそも義は道であり、礼は門である。ただ君子だけがこの道によってこの門を出入りできる。
『詩』に『周の道は砥(と)のようで、その直(なお)さは矢のようだ。君子が踏むところ、小人が仰ぐところだ』とある。」
万章が言った。「孔子は『君が命じて呼べば、車に馬をつけるのを待たずに行かれた』と言いますが、それでは孔子は誤られたのですか。」
「孔子はそのとき仕えて官職があったので、その官職で呼んだのだ。」
8昔の人を友とする ― その世を論ずる
孟子謂萬章曰:「一鄉之善士,斯友一鄉之善士;一國之善士,斯友一國之善士;天下之善士,斯友天下之善士。以友天下之善士為未足,又尚論古之人。頌其詩,讀其書,不知其人,可乎?是以論其世也。是尚友也。」
孟子が万章に言った。「一つの里の善い士であってはじめて一つの里の善い士を友とし、一つの国の善い士であってはじめて一つの国の善い士を友とし、天下の善い士であってはじめて天下の善い士を友とする。
天下の善い士を友とすることでも足りないとして、さらに上って昔の人を論ずる。その詩を誦(そら)んじ、その書を読みながら、その人を知らないでよいであろうか。だからその世を論ずるのであって、これが上って友とすること(尚友)である。」
9貴戚の卿と異姓の卿
齊宣王問卿。孟子曰:「王何卿之問也?」 王曰:「卿不同乎?」 曰:「不同,有貴戚之卿,有異姓之卿。」 王曰:「請問貴戚之卿。」 曰:「君有大過則諫,反覆之而不聽,則易位。」 王勃然變乎色。 曰:「王勿異也。王問臣,臣不敢不以正對。」 王色定,然後請問異姓之卿。 曰:「君有過則諫,反覆之而不聽,則去。」 上一篇回目录下一篇
斉の宣王が卿について尋ねた。孟子が言った。「王はどの卿をお尋ねですか。」
王が言った。「卿は同じではないのですか。」
「同じではありません。貴戚(きせき)の卿があり、異姓の卿があります。」
王が言った。「貴戚の卿をお尋ねします。」
「君に大きな過ちがあれば諫め、繰り返しても聞かれなければ、位を替えます。」
王はかっと顔色を変えた。
「王はおかしなことと思われませぬよう。王がわたしにお尋ねになったので、わたしはあえて正しさでお答えしないわけにいかなかったのです。」
王の顔色が落ち着いてから、異姓の卿について尋ねた。
「君に過ちがあれば諫め、繰り返しても聞かれなければ、去ります。」