綏靖天皇
1綏靖天皇 — 庶兄が二人の弟を害そうとする
神渟名川耳天皇。神日本磐余彦天皇第三子也。母曰媛蹈■五十鈴媛命。事代主神之大女也。天皇風姿岐嶷。少有雄拔之氣。及壯容貎魁偉。武藝過人。而志尚沈毅。至四十八歳神日本磐余彦天皇崩。時神渟名川耳尊孝性純深。悲恭無已。特留心於喪葬之事焉。其庶兄手研耳命。行年已長。久歴朝機。故亦委事而親之。然其王立操■懷。本乖仁義。遂以諒闇之際威福自由。苞藏禍心。圖害二弟。于時太歳己卯。
神渟名川耳天皇(かむぬなかわみみのすめらみこと)は、神日本磐余彦天皇の第三子です。母は媛蹈■五十鈴媛命と申し、事代主神の長女です。
天皇は風姿が岐嶷(すぐれてたか)く、若くして雄しく抜きんでた気がありました。壮んになると容貌が魁偉で、武芸は人に過ぎ、志は沈んで毅かったのです。
四十八歳になって、神日本磐余彦天皇が崩れました。そのとき神渟名川耳尊は孝の性が純く深く、悲しみと恭しさが已むことなく、ことに喪葬の事に心を留められました。
その庶兄の手研耳命は、年がもう長じ、久しく朝の機(まつりごと)を歴ていました。そこでやはり事を委ねて親しくされました。しかしその王は操(みさお)を立てることが■く、もとより仁義に乖いていました。ついに諒闇(もがり)の際に威と福を自由にし、禍の心を苞み蔵して、二人の弟を害することを図りました。
このとき太歳は己卯です。
2兄が戦慄いて射られず、弓を掣り取る
冬十一月。神渟名川耳尊。與兄神八井耳命。陰知其志而善防之。於山陵事畢。乃使弓部稚彦造弓。倭鍛部天津眞浦造眞■鏃。矢部作箭。及弓矢既成神渟名川耳尊欲以射殺手研耳命。會有手研耳命於片丘大中獨臥于大牀。時渟名川耳尊謂神八井耳命曰。今適其時也。夫言貴密。事宜愼。故我之陰謀本無預者。今日之事唯吾與爾自行之耳。吾當先開戸。爾其射之。因相随進入。神渟名川耳尊突開其戸。神八井耳命則手脚戰慄不能放矢。時神渟名川耳尊。掣取其兄所持弓矢。而射手研耳命。一發中胸。再發中背。遂殺之。於是神八井耳命懣然自服。讓於神渟名川耳尊曰。吾是乃兄。而懦弱不能致果。今汝特挺神武。自誅元惡。宜哉乎。汝之光臨天位以承皇祖之業。吾當爲汝輔之奉典神祇者。是即多臣之始祖也。
冬十一月、神渟名川耳尊は兄の神八井耳命とともに、ひそかにその志を知って、よく防がれました。
山陵の事が畢わると、弓部稚彦(ゆげべのわかひこ)に弓を造らせ、倭鍛部天津真浦(やまとのかぬちべあまつまうら)に真■の鏃を造らせ、矢部(やはぎべ)に箭を作らせました。
弓矢ができあがると、神渟名川耳尊は手研耳命を射殺そうとされました。ちょうど手研耳命が片丘(かたおか)の大室(おおむろ)で独り大きな牀に臥せっていました。
そのとき渟名川耳尊は神八井耳命に言いました。「今がちょうどその時です。そもそも言は密かなるを貴び、事は慎むべきです。ですから私の陰謀には、もとより預かる者がありません。今日の事は、ただ私とあなたが自ら行うだけです。私がまず戸を開けますから、あなたがそれを射てください。」
そして互いに随って進み入りました。神渟名川耳尊がその戸を突き開けましたが、神八井耳命は手足が戦慄えて矢を放つことができませんでした。
そのとき神渟名川耳尊は、その兄が持っていた弓矢を掣り取って手研耳命を射ました。一発は胸に中り、再発は背に中って、ついに殺しました。
そこで神八井耳命は懣じて自ら服し、神渟名川耳尊に譲って言いました。「私は兄でありながら、懦弱で果たすことができなかった。今、あなたはことに神妙な武を挺して、自ら元の悪を誅した。まことに宜しいことだ。あなたが光らかに天の位に臨んで、皇祖の業を承けるがよい。私はあなたのために輔けて、神祇の典を奉ろう。」
これがすなわち多臣(おおのおみ)の始祖です。
3高丘宮で位に即く
元年春正月壬申朔己卯。神渟名川耳尊即天皇位。都葛城。是謂高丘宮。尊皇后曰皇太后。是年也太歳庚辰。
元年の春正月壬申の朔の己卯の日、神渟名川耳尊が天皇の位に即かれました。葛城に都され、これを高丘宮(たかおかのみや)と申します。皇后を尊んで皇太后と申しました。この年は太歳庚辰です。
4皇后を立てる
二年春正月。立五十鈴依媛爲皇后。即天皇之姨也。后生磯城津彦玉手看天皇。
二年の春正月、五十鈴依媛(いすずよりひめ)を立てて皇后とされました。すなわち天皇の姨です。后は磯城津彦玉手看天皇(しきつひこたまてみのすめらみこと)を生まれました。
夾注 1
一書云。磯城縣主女川派媛。一書云。春日縣主大日諸女織媛也。
一書には磯城県主の娘の川派媛(かわまたひめ)と言い、一書には春日県主大日諸(かすがのあがたぬしおおひもろ)の娘の織媛(おりひめ)と言います。
5神八井耳命が薨れる
四年夏四月。神八井耳命薨即葬于畝傍山北。
四年の夏四月、神八井耳命が薨れたので、すぐに畝傍山の北に葬りました。
6皇太子を立てる
廿五年春正月壬午朔戊子。立皇子磯城津彦玉手看尊爲皇太子。
二十五年の春正月壬午の朔の戊子の日、皇子の磯城津彦玉手看尊を皇太子に立てられました。
7天皇が不予になる
卅三年夏五月。天皇不豫。
三十三年の夏五月、天皇が不予(やまい)になられました。
8八十四歳で崩れる
癸酉崩。時年八十四。
癸酉の日に崩れました。そのとき年は八十四でした。