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安寧天皇

日本書紀(日本の編年史) 日本書紀 · 舎人親王ほか · 720年(養老4年) · 段落 9 · 漢字 239字 · 朗読 1.0分

日本書紀(日本の編年史) 人代 日本で最も古い正史。神々の時代から持統天皇までの三十巻。神代上・下は同じ神話の異なる伝えを「一書に曰く」として並べて載せ、食い違う話を隠していない。百済・新羅・高句麗・任那の記事が1,379箇所に現れ、韓国の史書と突き合わせる箇所が最も多い書でもある。

1安寧天皇

磯城津彦玉手看天皇。神渟名川耳天皇太子也。母曰五十鈴依媛命。事代主神之少女也。

磯城津彦玉手看天皇(しきつひこたまてみのすめらみこと)は、神渟名川耳天皇の太子です。母は五十鈴依媛命と申し、事代主神の末の娘です。

2二十一歳で皇太子となる

天皇以神渟名川耳天皇廿五年立爲皇太子。年廿一。

天皇は神渟名川耳天皇の二十五年に皇太子に立てられました。年は二十一でした。

3位に即く

卅三年夏五月。神渟名川耳天皇崩。其年七月癸亥朔乙丑。太子即天皇位。

三十三年の夏五月、神渟名川耳天皇が崩れました。その年の七月癸亥の朔の乙丑の日、太子が天皇の位に即かれました。

4先の天皇を葬る

元年冬十月丙戌朔丙申。葬神渟名川耳天皇於倭桃花鳥田丘上陵。尊皇后曰皇太后。

元年の冬十月丙戌の朔の丙申の日、神渟名川耳天皇を倭の桃花鳥田(つきた)の丘の上の陵に葬りました。皇后を尊んで皇太后と申しました。

5太歳

是年也太歳癸丑。

この年は太歳癸丑です。

6浮孔宮に移る

二年遷都於片鹽。是謂浮孔宮。

二年、都を片鹽(かたしお)に遷されました。これを浮孔宮(うきあなのみや)と申します。

7皇后と二人の皇子

三年春正月戊寅朔壬午。立渟名底仲媛命爲皇后。先是后生二皇子。第一曰息石耳命。第二曰大日本彦耜友天皇。

三年の春正月戊寅の朔の壬午の日、渟名底仲媛命(ぬなそこなかつひめのみこと)を立てて皇后とされました。これより先、后は二人の皇子を生まれました。第一は息石耳命(おきそみみのみこと)、第二は大日本彦耜友天皇(おおやまとひこすきとものすめらみこと)です。

夾注 3

亦曰渟名襲媛。

渟名襲媛(ぬなそひめ)とも申します。

一書云。磯城縣主葉江女川津媛。一書云。大間宿禰女糸井媛。

一書には磯城県主葉江(しきのあがたぬしはえ)の娘の川津媛(かわつひめ)と言い、一書には大間宿禰(おおまのすくね)の娘の糸井媛(いといひめ)と言います。

一云。生三皇子。第一曰常津彦某兄。第二曰大日本彦耜友天皇。第三曰磯城津彦命。

一説には三人の皇子を生んだと言います。第一は常津彦某兄(とこつひこいろね)、第二は大日本彦耜友天皇、第三は磯城津彦命(しきつひこのみこと)です。

8皇太子を立てる

十一年春正月壬戌朔。立大日本彦耜友尊爲皇太子也。弟磯城津彦命。是猪使連之始祖也。

十一年の春正月壬戌の朔、大日本彦耜友尊を皇太子に立てられました。弟の磯城津彦命は、猪使連(いつかいのむらじ)の始祖です。

9五十七歳で崩れる

卅八年冬十二月庚戌朔乙卯。天皇崩。時年五十七。

三十八年の冬十二月庚戌の朔の乙卯の日、天皇が崩れました。そのとき年は五十七でした。