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懿徳天皇

日本書紀(日本の編年史) 日本書紀 · 舎人親王ほか · 720年(養老4年) · 段落 10 · 漢字 231字 · 朗読 0.9分

日本書紀(日本の編年史) 人代 日本で最も古い正史。神々の時代から持統天皇までの三十巻。神代上・下は同じ神話の異なる伝えを「一書に曰く」として並べて載せ、食い違う話を隠していない。百済・新羅・高句麗・任那の記事が1,379箇所に現れ、韓国の史書と突き合わせる箇所が最も多い書でもある。

1懿徳天皇

大日本彦耜友天皇。磯城津彦玉手看天皇第二子也。母曰渟名底仲媛命。事代主神孫鴨王女也。

大日本彦耜友天皇(おおやまとひこすきとものてんのう)は、磯城津彦玉手看天皇の第二子です。母は渟名底仲媛命といい、事代主神の孫である鴨王(かものきみ)の娘です。

2十六歳で皇太子となる

磯城津彦玉手看天皇十一年正春正月壬戌。立爲皇太子。年十六。

磯城津彦玉手看天皇の十一年春正月壬戌の日、皇太子に立てられました。年は十六歳でした。

3先の天皇が崩じる

卅八年冬十二月。磯城津彦玉手看天皇崩。

三十八年冬十二月、磯城津彦玉手看天皇が崩じました。

4位に即く

元年春二月己酉朔壬子。皇太子即天皇位。

元年春二月己酉の朔の壬子の日、皇太子が天皇の位に即きました。

5先の天皇を葬る

秋八月丙午朔。葬磯城津彦玉手看天皇於畝傍山南御陰井上陵。

秋八月丙午の朔の日、磯城津彦玉手看天皇を畝傍山の南の御陰井上陵(みほのいのえのみささぎ)に葬りました。

6皇太后と尊ぶ

九月丙子朔乙丑。尊皇后曰皇太后。是年也太歳辛卯。

九月丙子の朔の乙丑の日、皇后を尊んで皇太后と申し上げました。この年は太歳辛卯です。

7曲峽宮に遷る

二年春正月甲戌朔戊寅。遷都於輕地。是謂曲峽宮。

二年春正月甲戌の朔の戊寅の日、都を軽(かる)の地に遷しました。これを曲峽宮(まがりおのみや)といいます。

8皇后を立てる

二月癸卯朔癸丑。立天豐津媛命爲皇后。后生觀松彦香殖稻天皇。

二月癸卯の朔の癸丑の日、天豐津媛命(あまとよつひめのみこと)を立てて皇后としました。皇后は觀松彦香殖稻天皇を生みました。

夾注 2

一云。磯城縣主葉江男弟。猪手女泉媛。一云。磯城縣主太眞稚彦女飯日媛也。

一説には、磯城縣主葉江(しきのあがたぬしはえ)の弟の猪手(いて)の娘、泉媛(いずみひめ)といい、一説には、磯城縣主太眞稚彦(ふとまわかひこ)の娘、飯日媛(いいひひめ)といいます。

一云。天皇母弟武石彦奇友背命。

一説には、天皇の同母弟、武石彦奇友背命(たけしひこくしともせのみこと)といいます。

9皇太子を立てる

廿二年春二月丁未朔戊午。立觀松彦香殖稻尊爲皇太子。年十八。

二十二年春二月丁未の朔の戊午の日、觀松彦香殖稻尊(みまつひこかえしねのみこと)を皇太子に立てました。年は十八歳でした。

10崩じる

卅四年秋九月甲子朔辛未。天皇崩。

三十四年秋九月甲子の朔の辛未の日、天皇が崩じました。