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孝昭天皇

日本書紀(日本の編年史) 日本書紀 · 舎人親王ほか · 720年(養老4年) · 段落 10 · 漢字 246字 · 朗読 1.0分

日本書紀(日本の編年史) 人代 日本で最も古い正史。神々の時代から持統天皇までの三十巻。神代上・下は同じ神話の異なる伝えを「一書に曰く」として並べて載せ、食い違う話を隠していない。百済・新羅・高句麗・任那の記事が1,379箇所に現れ、韓国の史書と突き合わせる箇所が最も多い書でもある。

1孝昭天皇

觀松彦香殖稻天皇。大日本彦耜友天皇太子也。母皇后天豐津媛命。息石耳命之女也。

觀松彦香殖稻天皇(みまつひこかえしねのてんのう)は、大日本彦耜友天皇の太子です。母の皇后天豐津媛命は、息石耳命(おきそみみのみこと)の娘です。

2皇太子となる

天皇以大日本彦耜友天皇廿二年春二月丁未。立爲皇太子。

天皇は、大日本彦耜友天皇の二十二年春二月丁未の日に皇太子に立てられました。

3先の天皇が崩じる

卅四年秋九月。大日本彦耜友天皇崩。

三十四年秋九月、大日本彦耜友天皇が崩じました。

4先の天皇を葬る

明年冬十月戊午庚午。葬大日本彦耜友天皇於畝傍山南纎沙谿上陵。

翌年冬十月戊午の庚午の日、大日本彦耜友天皇を畝傍山の南の纎沙谿上陵(まさごのたにのえのみささぎ)に葬りました。

5位に即く

元年春正月丙戌朔甲午。皇太子即天皇位。

元年春正月丙戌の朔の甲午の日、皇太子が天皇の位に即きました。

6皇太后と尊ぶ

夏四月乙卯朔己未。尊皇后曰皇太后。

夏四月乙卯の朔の己未の日、皇后を尊んで皇太后と申し上げました。

7池心宮に遷る

秋七月。遷都於掖上。是謂池心宮。是年也太歳丙寅。

秋七月、都を掖上(わきがみ)に遷しました。これを池心宮(いけごころのみや)といいます。この年は太歳丙寅です。

8皇后と二人の子

廿九年春正月甲辰朔丙午。立世襲足媛。爲皇后。后生天足彦國押人命。日本足彦國押人天皇。

二十九年春正月甲辰の朔の丙午の日、世襲足媛(よそたらしひめ)を立てて皇后としました。皇后は天足彦國押人命(あめたらしひこくにおしひとのみこと)と日本足彦國押人天皇を生みました。

夾注 1

一云。磯城縣主葉江女渟名城津媛。一云。倭國豐秋狹太雄女大井媛也。

一説には、磯城縣主葉江(しきのあがたぬしはえ)の娘、渟名城津媛(ぬなきつひめ)といい、一説には、倭国の豐秋狹太雄(とよあきさだお)の娘、大井媛(おおいひめ)といいます。

9和珥臣の始祖

六十八年春正月丁亥朔庚子。立日本足彦國押人尊皇太子。年廿。天足彦國押人命此和珥臣等始祖也。

六十八年春正月丁亥の朔の庚子の日、日本足彦國押人尊(やまとたらしひこくにおしひとのみこと)を皇太子に立てました。年は二十歳でした。天足彦國押人命は、この和珥臣(わにのおみ)たちの始祖です。

10崩じる

八十三年秋八月丁巳朔辛酉。天皇崩。

八十三年秋八月丁巳の朔の辛酉の日、天皇が崩じました。