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孝安天皇

日本書紀(日本の編年史) 日本書紀 · 舎人親王ほか · 720年(養老4年) · 段落 10 · 漢字 232字 · 朗読 0.9分

日本書紀(日本の編年史) 人代 日本で最も古い正史。神々の時代から持統天皇までの三十巻。神代上・下は同じ神話の異なる伝えを「一書に曰く」として並べて載せ、食い違う話を隠していない。百済・新羅・高句麗・任那の記事が1,379箇所に現れ、韓国の史書と突き合わせる箇所が最も多い書でもある。

1孝安天皇

日本足彦國押人天皇。觀松彦香殖稻天皇第二子也。母曰世襲足媛。尾張連遠祖瀛津世襲之妹也。

日本足彦國押人天皇(やまとたらしひこくにおしひとのてんのう)は、觀松彦香殖稻天皇の第二子です。母は世襲足媛といい、尾張連(おわりのむらじ)の遠い祖先である瀛津世襲(おきつよそ)の妹です。

2皇太子となる

天皇以觀松彦香殖稻天皇六十八年春正月。立爲皇太子。

天皇は、觀松彦香殖稻天皇の六十八年春正月に皇太子に立てられました。

3先の天皇が崩じる

八十三年秋八月。觀松彦香殖稻天皇崩。

八十三年秋八月、觀松彦香殖稻天皇が崩じました。

4位に即く

元年春正月乙酉朔辛卯。皇太子即天皇位。

元年春正月乙酉の朔の辛卯の日、皇太子が天皇の位に即きました。

5皇太后と尊ぶ

秋八月辛巳朔。尊皇后曰皇太后。是年也太歳己丑。

秋八月辛巳の朔の日、皇后を尊んで皇太后と申し上げました。この年は太歳己丑です。

6秋津嶋宮に遷る

二年冬十月。遷都於室地。是謂秋津嶋宮。

二年冬十月、都を室(むろ)の地に遷しました。これを秋津嶋宮(あきつしまのみや)といいます。

7姪を皇后とする

廿六年春二月己丑朔壬寅。立姪押媛爲皇后。后生大日本根子彦太瓊天皇。

二十六年春二月己丑の朔の壬寅の日、姪の押媛(おしひめ)を立てて皇后としました。皇后は大日本根子彦太瓊天皇を生みました。

夾注 1

一云。磯城縣主葉江女長媛。一云。十市縣主五十坂彦女五十坂媛也。

一説には、磯城縣主葉江(しきのあがたぬしはえ)の娘、長媛(ながひめ)といい、一説には、十市縣主五十坂彦(とおちのあがたぬしいさかひこ)の娘、五十坂媛(いさかひめ)といいます。

8先の天皇を葬る

卅八年秋八月丙子朔己丑。葬觀松彦香殖稻天皇于掖上博多山上陵。

三十八年秋八月丙子の朔の己丑の日、觀松彦香殖稻天皇を掖上(わきがみ)の博多山上陵(はかたのやまのえのみささぎ)に葬りました。

9皇太子を立てる

七十六年春正月己巳朔癸酉。立大日本根子彦太瓊尊爲皇太子。年廿六。

七十六年春正月己巳の朔の癸酉の日、大日本根子彦太瓊尊(おおやまとねこひこふとにのみこと)を皇太子に立てました。年は二十六歳でした。

10崩じる

百二年春正月戊戌朔丙午。天皇崩。

百二年春正月戊戌の朔の丙午の日、天皇が崩じました。