いにしえの文 › 日本書紀(日本の編年史) › 人代

孝靈天皇

日本書紀(日本の編年史) 日本書紀 · 舎人親王ほか · 720年(養老4年) · 段落 9 · 漢字 269字 · 朗読 1.1分

日本書紀(日本の編年史) 人代 日本で最も古い正史。神々の時代から持統天皇までの三十巻。神代上・下は同じ神話の異なる伝えを「一書に曰く」として並べて載せ、食い違う話を隠していない。百済・新羅・高句麗・任那の記事が1,379箇所に現れ、韓国の史書と突き合わせる箇所が最も多い書でもある。

1孝靈天皇

大日本根子彦太瓊天皇。日本足彦押人天皇太子也。母曰押媛。蓋天足彦國押人命之女乎。

大日本根子彦太瓊天皇(おおやまとねこひこふとにのてんのう)は、日本足彦押人天皇の太子です。母は押媛といい、おそらく天足彦國押人命の娘でしょう。

2皇太子となる

天皇以日本足彦國押人天皇七十六年春正月。立爲皇太子。

天皇は、日本足彦國押人天皇の七十六年春正月に皇太子に立てられました。

3先の天皇が崩じる

百二年春正月。日本足彦押人天皇崩。

百二年春正月、日本足彦押人天皇が崩じました。

4先の天皇を葬る

秋九月甲午朔丙午。葬日本足彦國押人天皇于玉手丘上陵。

秋九月甲午の朔の丙午の日、日本足彦國押人天皇を玉手丘上陵(たまてのおかのえのみささぎ)に葬りました。

5廬戸宮に遷る

冬十二月癸亥朔丙寅。皇太子遷都於黒田。是謂廬戸宮。

冬十二月癸亥の朔の丙寅の日、皇太子が都を黒田(くろだ)に遷しました。これを廬戸宮(いおとのみや)といいます。

6位に即く

元年元年春正月壬辰朔癸卯。太子即天皇位。尊皇后曰皇太后。是年也太歳辛未。

元年春正月壬辰の朔の癸卯の日、太子が天皇の位に即きました。皇后を尊んで皇太后と申し上げました。この年は太歳辛未です。

7吉備臣の始祖が生まれる

二年春二月丙辰朔丙寅。立細媛命爲皇后。后生大日本根子彦國牽天皇。妃倭國香媛生倭迹迹日百襲姫命。彦五十狹芹彦命。倭迹迹稚屋姫命。亦妃■某弟生彦狹嶋命。稚武彦命。弟稚武彦命。是吉備臣之始祖也。

二年春二月丙辰の朔の丙寅の日、細媛命(ほそひめのみこと)を立てて皇后としました。皇后は大日本根子彦國牽天皇を生みました。

妃の倭國香媛(やまとのくにかひめ)は、倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)、彦五十狹芹彦命(ひこいさせりひこのみこと)、倭迹迹稚屋姫命(やまとととわかやひめのみこと)を生みました。また妃の□某弟(いろど)は、彦狹嶋命(ひこさしまのみこと)、稚武彦命(わかたけひこのみこと)を生みました。弟の稚武彦命は、吉備臣(きびのおみ)の始祖です。

夾注 3

一云。春日千乳早山香媛。一云。十市縣主等祖女眞舌媛也。

一説には、春日千乳早山香媛(かすがのちちはややまかひめ)といい、一説には、十市縣主(とおちのあがたぬし)たちの祖先の娘、眞舌媛(ましたひめ)といいます。

亦名□某姉。

□某姉(いろね)ともいいます。

亦名吉備津彦命。

吉備津彦命(きびつひこのみこと)ともいいます。

8皇太子を立てる

卅六年春正月己亥朔。立彦國牽尊爲皇太子。

三十六年春正月己亥の朔の日、彦國牽尊(ひこくにくるのみこと)を皇太子に立てました。

9崩じる

七十六年春二月丙午朔癸丑。天皇崩。

七十六年春二月丙午の朔の癸丑の日、天皇が崩じました。