いにしえの文 › 日本書紀(日本の編年史) › 人代

孝元天皇

日本書紀(日本の編年史) 日本書紀 · 舎人親王ほか · 720年(養老4年) · 段落 9 · 漢字 340字 · 朗読 1.4分

日本書紀(日本の編年史) 人代 日本で最も古い正史。神々の時代から持統天皇までの三十巻。神代上・下は同じ神話の異なる伝えを「一書に曰く」として並べて載せ、食い違う話を隠していない。百済・新羅・高句麗・任那の記事が1,379箇所に現れ、韓国の史書と突き合わせる箇所が最も多い書でもある。

1孝元天皇

大日本根子彦國牽天皇。大日本根子彦太瓊天皇太子也。母曰細媛命。磯城縣主大目之女也。

大日本根子彦國牽天皇(おおやまとねこひこくにくるのてんのう)は、大日本根子彦太瓊天皇の太子です。母は細媛命といい、磯城縣主大目(しきのあがたぬしおおめ)の娘です。

2十九歳で皇太子となる

天皇以大日本根子彦太瓊天皇卅六年春正月。立爲皇太子。年十九。

天皇は、大日本根子彦太瓊天皇の三十六年春正月に皇太子に立てられました。年は十九歳でした。

3先の天皇が崩じる

七十六年春二月。大日本根子彦太瓊天皇崩。

七十六年春二月、大日本根子彦太瓊天皇が崩じました。

4位に即く

元年春正月辛未朔甲申。太子即天皇位。尊皇后曰皇太后。是年也太歳丁亥。

元年春正月辛未の朔の甲申の日、太子が天皇の位に即きました。皇后を尊んで皇太后と申し上げました。この年は太歳丁亥です。

5境原宮に遷る

四年春三月甲申朔甲午。遷都於輕地。是謂境原宮。

四年春三月甲申の朔の甲午の日、都を軽(かる)の地に遷しました。これを境原宮(さかいはらのみや)といいます。

6先の天皇を葬る

六年秋九月戊戌朔癸卯。葬大日本根子彦太瓊天皇于片丘馬坂陵。

六年秋九月戊戌の朔の癸卯の日、大日本根子彦太瓊天皇を片丘(かたおか)の馬坂陵(うまさかのみささぎ)に葬りました。

7七つの氏の始祖が生まれる

七年春二月丙寅朔丁卯。立欝色謎命爲皇后。后生二男一女。第一曰大彦命。第二曰稚日本根子彦大日日天皇。第三曰倭迹迹姫命。妃伊香色謎命生彦太忍信命。次妃河内青玉繋女埴安媛生武埴安彦命。兄大彦命。是阿倍臣。膳臣。阿閇臣。狹狹城山君。筑紫國造。越國造。伊賀臣。凡七族之始祖也。彦太忍信命。是武内宿禰之祖父也。

七年春二月丙寅の朔の丁卯の日、欝色謎命(うつしこめのみこと)を立てて皇后としました。皇后は二男一女を生みました。第一を大彦命(おおひこのみこと)、第二を稚日本根子彦大日日天皇、第三を倭迹迹姫命(やまとととひめのみこと)といいます。

妃の伊香色謎命(いかがしこめのみこと)は彦太忍信命(ひこふつおしのまことのみこと)を生みました。次の妃である河内青玉繋(かわちのあおたまかけ)の娘、埴安媛(はにやすひめ)は武埴安彦命(たけはにやすひこのみこと)を生みました。

兄の大彦命は、阿倍臣(あべのおみ)・膳臣(かしわでのおみ)・阿閇臣(あへのおみ)・狹狹城山君(ささきやまのきみ)・筑紫國造(つくしのくにのみやつこ)・越國造(こしのくにのみやつこ)・伊賀臣(いがのおみ)、すべて七つの氏の始祖です。彦太忍信命は、武内宿禰(たけうちのすくね)の祖父です。

夾注 1

一云。天皇母弟少彦男心命也。

一説には、天皇の同母弟、少彦男心命(すくなひこおごころのみこと)といいます。

8皇太子を立てる

廿二年春正月己巳朔壬午。立稚日本根子彦太日日尊爲皇太子。年十六。

二十二年春正月己巳の朔の壬午の日、稚日本根子彦太日日尊(わかやまとねこひこおひひのみこと)を皇太子に立てました。年は十六歳でした。

9崩じる

五十七年秋九月壬申朔癸酉。大日本根子彦牽天皇崩。

五十七年秋九月壬申の朔の癸酉の日、大日本根子彦國牽天皇が崩じました。