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開化天皇

日本書紀(日本の編年史) 日本書紀 · 舎人親王ほか · 720年(養老4年) · 段落 8 · 漢字 299字 · 朗読 1.2分

日本書紀(日本の編年史) 人代 日本で最も古い正史。神々の時代から持統天皇までの三十巻。神代上・下は同じ神話の異なる伝えを「一書に曰く」として並べて載せ、食い違う話を隠していない。百済・新羅・高句麗・任那の記事が1,379箇所に現れ、韓国の史書と突き合わせる箇所が最も多い書でもある。

1開化天皇

稚日本根子彦大日日天皇。大日本根子彦國牽天皇第二子也。母曰欝色謎命。穗積臣達祖欝色雄命之妹也。天皇以大日本根子彦國牽天皇廿二年春正月。立爲皇太子。年十六。五十七年秋九月。大日本根子彦國牽天皇崩。冬十一月辛未朔壬午。太子即天皇位。

稚日本根子彦大日日天皇(わかやまとねこひこおひひのてんのう)は、大日本根子彦國牽天皇の第二子です。母は欝色謎命といい、穗積臣(ほづみのおみ)の遠い祖先である欝色雄命(うつしこおのみこと)の妹です。

天皇は、大日本根子彦國牽天皇の二十二年春正月に皇太子に立てられました。年は十六歳でした。五十七年秋九月、大日本根子彦國牽天皇が崩じました。冬十一月辛未の朔の壬午の日、太子が天皇の位に即きました。

2皇太后と尊ぶ

元年春正月庚午朔癸酉。尊皇后曰皇太后。

元年春正月庚午の朔の癸酉の日、皇后を尊んで皇太后と申し上げました。

3率川宮に遷る

冬十月丙申朔戊申。遷都于春日之地。是謂率川宮。是年也太歳甲申。

冬十月丙申の朔の戊申の日、都を春日(かすが)の地に遷しました。これを率川宮(いざかわのみや)といいます。この年は太歳甲申です。

夾注 2

春日。此云箇酒鵝。

春日は、かすがと読みます。

率川。此云伊社箇波。

率川は、いざかわと読みます。

4先の天皇を葬る

五年春二月丁未朔壬子。葬大日本根子彦國牽天皇于劒池嶋上陵。

五年春二月丁未の朔の壬子の日、大日本根子彦國牽天皇を劒池(つるぎのいけ)の嶋上陵(しまのえのみささぎ)に葬りました。

5庶母を皇后とする

六年春正月辛丑朔甲寅。立伊香色謎命爲皇后。后生御間城入彦五十瓊殖天皇。先是天皇納丹波竹野媛爲妃。生彦湯産隅命。次妃和珥臣達祖姥津命之妹姥津媛生彦坐王。

六年春正月辛丑の朔の甲寅の日、伊香色謎命(いかがしこめのみこと)を立てて皇后としました。皇后は御間城入彦五十瓊殖天皇を生みました。

これより先、天皇は丹波竹野媛(たにわのたかのひめ)を入れて妃とし、彦湯産隅命(ひこゆむすみのみこと)を生みました。次の妃である和珥臣(わにのおみ)たちの祖先、姥津命(ははつのみこと)の妹の姥津媛(ははつひめ)は彦坐王(ひこいますのみこ)を生みました。

夾注 2

是庶母也。

これは庶母です。

亦名彦蒋簀命。

彦蒋簀命(ひこつくすのみこと)ともいいます。

6皇太子を立てる

廿八年春正月癸巳朔丁酉。立御間城入彦尊爲皇太子。年十九。

二十八年春正月癸巳の朔の丁酉の日、御間城入彦尊(みまきいりびこのみこと)を皇太子に立てました。年は十九歳でした。

7崩じる

六十年夏四月丙辰朔甲子。天皇崩。

六十年夏四月丙辰の朔の甲子の日、天皇が崩じました。

8葬る

冬十月癸丑朔乙卯。葬于春日率川坂本陵。

冬十月癸丑の朔の乙卯の日、春日(かすが)の率川坂本陵(いざかわのさかもとのみささぎ)に葬りました。

夾注 1

一云。坂上陵。時年百十五。

一説には、坂上陵(さかのえのみささぎ)といいます。そのとき年は百十五歳でした。