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成務天皇

日本書紀(日本の編年史) 日本書紀 · 舎人親王ほか · 720年(養老4年) · 段落 8 · 漢字 393字 · 朗読 1.6分

日本書紀(日本の編年史) 人代 日本で最も古い正史。神々の時代から持統天皇までの三十巻。神代上・下は同じ神話の異なる伝えを「一書に曰く」として並べて載せ、食い違う話を隠していない。百済・新羅・高句麗・任那の記事が1,379箇所に現れ、韓国の史書と突き合わせる箇所が最も多い書でもある。

1成務天皇

稚足彦天皇。大足彦忍代別天皇第四子也。母皇后曰八坂入姫命。八坂入彦皇子之女也。大足彦天皇四十六年。立爲太子。年廿四。六十年冬十一月。大足彦天皇崩。

稚足彦天皇は、大足彦忍代別天皇の第四子です。母の皇后は八坂入姫命といい、八坂入彦皇子の娘です。大足彦天皇の四十六年に太子に立てられ、年は二十四歳でした。六十年の冬十一月に、大足彦天皇が亡くなりました。

2位に即く

元年春正月甲申朔戊子。皇太子即位。是年也。太歳辛未。

元年の春正月、甲申が朔で戊子の日に、皇太子が位に即きました。この年は太歳が辛未です。

3先の君を葬る

二年冬十一月癸酉朔壬午。葬大足彦天皇於倭國之山邊道上陵。尊皇后曰皇太后。

二年の冬十一月、癸酉が朔で壬午の日に、大足彦天皇を倭国の山辺の道上の陵に葬りました。皇后を尊んで皇太后と称しました。

4武内宿禰を大臣とする

三年春正月癸酉朔己卯。以武内宿禰爲大臣也。初天皇與武内宿禰同日生之。故有異寵焉。

三年の春正月、癸酉が朔で己卯の日に、武内宿禰を大臣としました。はじめ、天皇と武内宿禰は同じ日に生まれました。そのため、ほかに類のない寵愛がありました。

5国と郡に首長を立てる

四年春二月丙寅朔。詔之曰。我先皇大足彦天皇。聰明神武。膺受■圖。洽天順人。撥賊反正。徳■覆■。道協造化。是以。普天率土莫不王臣。稟氣懷靈。何非得處。今朕嗣踐寶祚。夙夜兢■。然黎元蠢爾。不悛野心。是國郡無君長。縣邑無首渠者焉。自今以後。國郡立長。縣邑置首。即取當國之幹了者任其國郡之首長。是爲中區之蕃屏也。

四年の春二月、丙寅が朔の日に、詔を下しました。

「わが先の君、大足彦天皇は聡明で神のように武く、□の図を受けられ、天にかない人に順い、賊を討って正しきに返されました。徳は□を覆い、道は造化にかないました。このため、広い天の下、あまねく地のはてまで王の臣でない者はなく、気を受け霊を宿すもののうち、どうしてその所を得ないものがあったでしょうか。

今、朕は宝の位を継いで踏み、朝早くから夜まで慎み□しています。しかし民は愚かで、荒れた心を改めません。これは国や郡に君や長がなく、県や邑に首長がいないからです。

今より後は、国や郡に長を立て、県や邑に首を置きなさい。すなわちその国の才ある者を取って、その国や郡の首長としなさい。これが国の内の垣根となる道です。」

6境を分け、名を定める

五年秋九月。令諸國。以國郡立造長。縣邑置稻置。並賜楯矛以爲表。則隔山河而分國縣。隨阡陌以定邑里。因以東西爲日縱。南北爲日横。山陽曰影面山陰曰背面。是以百姓安居。天下無事焉。

五年の秋九月に、諸国に命じて、国や郡に造と長を立て、県や邑に稲置を置かせました。あわせて楯と矛を賜り、しるしとしました。

そして山や川を隔てて国と県を分け、田の畔に沿って邑と里を定めました。これによって東西を日縦といい、南北を日横といい、山の南を影面といい、山の北を背面といいました。このため民は安らかに暮らし、天下に事がありませんでした。

7甥を皇太子に立てる

四十八年春三月庚辰朔。立甥足仲彦尊爲皇太子。

四十八年の春三月、庚辰が朔の日に、甥の足仲彦尊を立てて皇太子としました。

8百七歳で亡くなる

六十年夏六月己巳朔己卯。天皇崩。時年一百七歳。

六十年の夏六月、己巳が朔で己卯の日に、天皇が亡くなりました。その時の年は百七歳でした。