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仲哀天皇

日本書紀(日本の編年史) 日本書紀 · 舎人親王ほか · 720年(養老4年) · 段落 19 · 漢字 1,585字 · 朗読 6.3分

日本書紀(日本の編年史) 人代 日本で最も古い正史。神々の時代から持統天皇までの三十巻。神代上・下は同じ神話の異なる伝えを「一書に曰く」として並べて載せ、食い違う話を隠していない。百済・新羅・高句麗・任那の記事が1,379箇所に現れ、韓国の史書と突き合わせる箇所が最も多い書でもある。

1仲哀天皇

足仲彦天皇。日本武尊第二子也。母皇后曰兩道入姫命。活目入彦五十狹茅天皇之女也。天皇容姿端正。身長十尺。稚足彦天皇四十八年立爲太子。稚足彦天皇無男。故立爲嗣。六十年。天皇崩。明年秋九月壬辰朔丁酉。葬于倭國狹城盾列陵。

足仲彦天皇は、日本武尊の第二子です。母の皇后は両道入姫命といい、活目入彦五十狭茅天皇の娘です。

天皇は姿が整っていて、身の丈は十尺でした。稚足彦天皇の四十八年に太子に立てられました。稚足彦天皇に男子がなかったので、立てて後継ぎとされたのです。

六十年に天皇が亡くなりました。その翌年の秋九月、壬辰が朔で丁酉の日に、倭国の狭城の盾列の陵に葬りました。

夾注 2

時年卅一

その時の年は三十一歳でした。

盾列。此云多多那美。

盾列は、多多那美と読みます。

2位に即く

元年春正月庚寅朔庚子。太子即天皇位。

元年の春正月、庚寅が朔で庚子の日に、太子が天皇の位に即きました。

3皇太后と尊ぶ

秋九月丙戌朔。尊母皇后曰皇太后。

秋九月、丙戌が朔の日に、母の皇后を尊んで皇太后と称しました。

4白鳥を献上させる

冬十一月乙酉朔。詔群臣曰。朕未逮于弱冠。而父王既崩之。乃神靈化白鳥而上天。仰望之情。一日勿息。是以冀獲白鳥。養之於陵域之池。因以覩其鳥欲慰顧情。則令諸國。俾貢白鳥。

冬十一月、乙酉が朔の日に、群臣に詔を下しました。「朕がまだ二十歳に達しないうちに、父の王はすでに亡くなりました。そのとき神霊は白鳥となって天に上りました。仰ぎ慕う思いは、一日も休むことがありません。そこで、願って白鳥を手に入れ、陵のうちの池で養い、その鳥を見ることで慕う心を慰めたいと思います。」そして諸国に命じて、白鳥を献上させました。

5白鳥を奪った弟を誅する

閏十一月乙卯朔戊午。越國貢白鳥四隻。於是。送鳥使人宿菟道河邊。時蘆髮蒲見別王視其白鳥而問之曰。何處將去白鳥也。越人答曰。天皇戀父王而將養狎。故貢之。則蒲見別王謂越人曰。雖白鳥而燒之則爲黒鳥。仍強之奪白鳥而將去。爰越人參赴之請焉。天皇於是惡蒲見別王無禮於先王。乃遣兵卒而誅矣。蒲見別王。則天皇之異母弟也。時人曰。父是天也。兄亦君也。其慢天違君。何得兔誅耶。是年也大歳壬申。

閏十一月、乙卯が朔で戊午の日に、越国が白鳥四羽を献上しました。そこで、鳥を送る使いの者が菟道の河辺に宿りました。

そのとき、蘆髪蒲見別王がその白鳥を見て問いました。「どこへ白鳥を持って行くのか。」

越の人が答えました。「天皇が父の王を慕われて、養い馴らそうとしておられます。それで献上するのです。」

すると蒲見別王が越の人に言いました。「白鳥といっても、焼けばすぐに黒い鳥になる。」そして強いて白鳥を奪い取り、持って行きました。

そこで越の人は参上して申し上げました。天皇はこれを聞き、蒲見別王が先の王に無礼であることを憎んで、兵を遣わして誅しました。蒲見別王は、天皇の異母弟です。

そのとき人々は言いました。「父は天であり、兄もまた君である。天を侮り君に背いたのだから、どうして誅を免れられようか。」

この年は大歳が壬申です。

6気長足姫を皇后とする

二年春正月甲寅朔甲子。立氣長足姫尊爲皇后。先是。娶叔父彦人大兄之女大中姫爲妃。生■坂皇子。忍熊皇子。次娶來熊田造祖大酒主之女弟媛。生子譽屋別皇子。

二年の春正月、甲寅が朔で甲子の日に、気長足姫尊を立てて皇后としました。

これより前、叔父の彦人大兄の娘である大中姫を娶って妃とし、□坂皇子と忍熊皇子を生みました。次に来熊田造の祖である大酒主の娘、弟媛を娶って、子の誉屋別皇子を生みました。

7笥飯宮

二月癸未朔戊子。幸角鹿。即興行宮而居之。是謂笥飯宮。

二月、癸未が朔で戊子の日に、角鹿に行きました。そこで行宮を建てて住みました。これを笥飯宮といいます。

8淡路の屯倉

即月。定淡路屯倉。

この月に、淡路の屯倉を定めました。

9熊襲を討ちに行く

三月癸丑朔丁卯。天皇巡狩南國。於是。留皇后及百寮。而從駕二三卿大夫。及官人數百而輕行之。至紀伊國而居于徳勒津宮。當是時。熊襲叛之不朝貢。天皇於是將討熊襲國。則自徳勒津發之。浮海而幸穴門。即日使遣角鹿。勅皇后曰。便從其津發之。逢於穴門。

三月、癸丑が朔で丁卯の日に、天皇は南の国を巡り見ました。そこで皇后と百寮を留め、二三人の卿や大夫、それに官人数百だけを従えて、身軽に出かけました。紀伊国に至って徳勒津宮に住みました。

このとき熊襲が背いて朝貢しませんでした。天皇はそこで熊襲国を討とうとして、徳勒津から出発し、海に船を浮かべて穴門に向かいました。

その日に使いを角鹿に遣わし、皇后に勅しました。「すぐにその津から出発して、穴門で会おう。」

10鰤が酔う

夏六月辛巳朔庚寅。天皇泊于豐浦津。且皇后從角鹿發而行之。到渟田門。食於船上。時海鰤魚多聚船傍。皇后以酒灑鰤魚。々々即醉而浮之。時海人多獲其魚而歡曰。聖王所賞之魚焉。故其處之魚。至于六月常傾浮如醉。其是之縁也。

夏六月、辛巳が朔で庚寅の日に、天皇は豊浦津に泊まりました。

また皇后は角鹿から出発して渟田門に至り、船の上で食事をしました。そのとき海の鰤が船の傍らに多く集まりました。皇后が酒を鰤に注ぐと、鰤はすぐに酔って浮かび上がりました。そのとき海人はその魚を多く獲って喜び、こう言いました。「聖なる王が賜った魚だ。」

そのため、その所の魚が六月になるといつも傾いて浮かび、酔ったようになるのは、これがその由縁です。

11如意珠を得る

秋七月辛亥朔乙卯。皇后泊豐浦津。是日。皇后得如意珠於海中。

秋七月、辛亥が朔で乙卯の日に、皇后は豊浦津に泊まりました。この日、皇后は海の中で如意珠を得ました。

12穴門の豊浦宮

九月。興宮室于穴門而居之。是謂穴門豐浦宮。

九月に、穴門に宮室を建てて住みました。これを穴門の豊浦宮といいます。

13熊鰐が迎える

八年春正月己卯朔壬午。幸筑紫。時岡縣主祖熊鰐。聞天皇之車駕。豫拔取五百枝賢木。以立九尋船之舳。而上枝掛白銅鏡。中枝掛十握釼。下枝掛八尺瓊。參迎于周芳沙麼之浦而獻魚鹽地。因以奏言。自穴門至向津野大濟爲東門。以名篭屋大濟爲西門。限沒利嶋。阿閇嶋爲御筥。株柴嶋爲御■。以逆見海爲鹽地。既而導海路。自山鹿岬。廻之入崗浦。到水門御船不得進。則問熊鰐曰。朕聞。汝能鰐者有明心以參來。何船不進。熊鰐奏之曰。御船所以不得進者。非臣罪。是浦口有男女二神。男神曰大倉主。女神曰菟夫羅媛。必是神之心歟。天皇則祷祈之。以挾抄者倭國菟田人伊賀彦爲祝令祭。則船得進。皇后別船自洞海入之。潮涸不得進。時熊鰐更還之。自洞奉迎皇后。則見御船不進。惶懼之。忽作魚沼。鳥池悉聚魚鳥。皇后看是魚鳥之遊而忿心稍解。

八年の春正月、己卯が朔で壬午の日に、筑紫に行きました。

そのとき岡県主の祖である熊鰐は、天皇の車駕が来ると聞いて、あらかじめ五百枝の賢木を抜き取って九尋の船の舳に立て、上の枝に白銅鏡を掛け、中の枝に十握剣を掛け、下の枝に八尺瓊を掛けました。周芳の沙麼の浦に参り迎えて、魚や塩の取れる地を献上しました。

そして申し上げました。「穴門から向津野の大済までを東の門とし、名篭屋の大済を西の門とし、没利島と阿閇島を御筥とし、株柴島を御□とし、逆見の海を塩の地としてください。」

それから海路を導き、山鹿の岬から回って崗の浦に入りました。水門に至ると、御船が進めなくなりました。そこで熊鰐に問いました。「朕が聞くところ、お前、熊鰐は明らかな心があって参ったという。どうして船が進まないのか。」

熊鰐が申し上げました。「御船が進めないのは、臣の罪ではありません。この浦の口に男女二柱の神がいて、男神を大倉主といい、女神を菟夫羅媛といいます。きっとこの神の心でしょう。」

天皇はそこで祈り、挾抄者である倭国の菟田の人、伊賀彦を祝として祭らせました。すると船は進むことができました。

皇后は別の船で洞海から入りました。潮が涸れて進めませんでした。そのとき熊鰐はまた戻って、洞から皇后を迎えました。そして御船が進まないのを見て恐れ、たちまち魚の沼と鳥の池を作って、魚と鳥をことごとく集めました。皇后はこの魚や鳥の遊ぶのを見て、怒る心が次第に解けました。

夾注 2

御□。此云彌那陪。

御□は、彌那陪と読みます。

洞。此云久岐。

洞は、久岐と読みます。

14五十迹手が迎える

及潮滿即泊于崗津。又筑紫伊覩縣主祖五十迹手。聞天皇之行。拔取五百枝賢木。立于船之舳艫。上枝掛八尺瓊。中枝掛白銅鏡。下枝掛十握釼。參迎于穴門引嶋而獻之。因以奏言。臣敢所以獻是物者。天皇如八尺瓊之勾以曲妙御宇。且如白銅鏡以分明看行山川海原。乃提是十握釼平天下矣。天皇即美五十迹手曰伊蘇志。故時人號五十迹手之本土。曰伊蘇國。今謂伊覩者訛也。

潮が満ちると、すぐに崗津に泊まりました。

また筑紫の伊覩県主の祖である五十迹手は、天皇の行幸を聞いて、五百枝の賢木を抜き取って船の舳と艫に立て、上の枝に八尺瓊を掛け、中の枝に白銅鏡を掛け、下の枝に十握剣を掛けました。穴門の引島に参り迎えて献上しました。

そして申し上げました。「臣があえてこの物を献上する理由は、天皇が八尺瓊の勾のように、曲がりくねって妙なるさまで天下を治められ、また白銅鏡のように、山や川や海原を明らかに見て行かれ、この十握剣を提げて天下を平らげられることを願うからです。」

天皇はそこで五十迹手を褒めて、伊蘇志といいました。そのため当時の人は五十迹手の本土を伊蘇国と名づけました。今、伊覩というのは訛ったものです。

15橿日宮

己亥。到儺縣。因以居橿日宮。

己亥の日に、儺県に至りました。それによって橿日宮に住みました。

16新羅を討てという神託

秋九月乙亥朔己卯。詔群臣以議討熊襲。時有神託皇后而誨曰。天皇何憂熊襲之不服。是膂完之空國也。豈足擧兵伐乎。愈茲國而有寶國。譬如處女之■。有向津國。眼炎之金銀彩色多在其國。是謂栲衾新羅國焉。若能祭吾者。則曾不血刄。其國必自服矣。復熊襲爲服。其祭之。以天皇之御船及穴門直踐立所獻之水田名大田。是等物爲幣也。天皇聞神言。有疑之情。便登高岳遥望之。大海曠遠而不見國。於是。天皇對神曰。朕周望之。有海無國。豈於大虚有國乎。誰神徒誘朕。復我皇祖諸天皇等盡祭神祇。豈有遺神耶。時神亦託皇后曰。如天津水影押伏而我所見國。何謂無國。以誹謗我言。其汝王之。如此言而遂不信者。汝不得其國唯今皇后始之有胎。其子有獲焉。然天皇猶不信。以強撃熊襲。不得勝而還之。

秋九月、乙亥が朔で己卯の日に、群臣に詔を下して、熊襲を討つことを議りました。

そのとき神が皇后に憑いて教えました。「天皇はどうして熊襲が服さないことを憂えるのか。これは身の肉のない空しい国である。どうして兵を挙げて討つに足るだろうか。この国にまさる宝の国がある。たとえば処女の眉のように、津を隔てて向かい合って見える国があり、目に輝く金や銀や美しい色が、その国に多くある。これを栲衾新羅国という。

もしよく私を祭るなら、かつて刃に血を塗ることもなく、その国は必ずおのずから服すだろう。また熊襲も服すだろう。その祭りには、天皇の御船と、穴門直践立が献上した水田で大田という名のもの、こうした物を幣としなさい。」

天皇は神の言葉を聞いて、疑う心を持ちました。そこで高い岳に登って遥かに望みましたが、大海は広く遠く、国は見えませんでした。

そこで天皇は神に答えました。「朕があまねく望んだところ、海はあっても国はない。どうして大きな虚空に国があろうか。どの神がいたずらに朕を誘うのか。また我が皇祖の諸々の天皇たちは、神々をことごとく祭られた。どうして遺された神があろうか。」

そのとき神はまた皇后に憑いて言いました。「天つ水に映る影のように、押し伏せて私に見える国を、どうして国がないと言って、私の言葉を誹るのか。しかしお前が王である。このように言って、ついに信じないのなら、お前はその国を得られない。ただ今、皇后が初めて身ごもった。その子が得ることがあるだろう。」

それでも天皇は信じず、強いて熊襲を撃ちましたが、勝つことができずに帰りました。

夾注 1

□。此云麻用弭枳。

□は、麻用弭枳と読みます。

17神の言葉を用いず早く亡くなる

九年春二月癸卯朔丁未。天皇忽有痛身。而明日崩。時年五十二。即知。不用神言而早崩。於是皇后及大臣武内宿禰。匿天皇之喪。不令知天下。則皇后詔大臣及中臣烏賊津連。大三輪大友主君。物部膽咋連。大伴武以連曰。今天下未知天皇之崩。若百姓知之有懈怠者乎。則命四大夫。領百寮令守宮中。竊收天皇之屍。付武内宿禰。以從海路遷冗門。而殯于豐浦宮。爲无火殯斂。

九年の春二月、癸卯が朔で丁未の日に、天皇は突然身に痛みを覚え、その翌日に亡くなりました。その時の年は五十二歳でした。神の言葉を用いなかったために早く亡くなったのだと知られました。

そこで皇后と大臣の武内宿禰は、天皇の喪を隠して、天下に知らせませんでした。

そして皇后は、大臣と中臣烏賊津連、大三輪大友主君、物部胆咋連、大伴武以連に詔しました。「今、天下はまだ天皇が亡くなったことを知りません。もし民がこれを知れば、怠る者が出るのではないでしょうか。」

そこで四人の大夫に命じて、百寮を率いて宮の中を守らせました。ひそかに天皇の屍を収めて武内宿禰に託し、海路から穴門に移して、豊浦宮で殯をしました。火を用いない无火殯斂としました。

夾注 2

一云。天皇親伐熊襲中賊矢而崩也。

一説には、天皇はみずから熊襲を討ち、賊の矢に当たって亡くなったといいます。

无火殯斂。此謂褒那之阿餓利。

无火殯斂は、褒那之阿餓利といいます。

18武内宿禰が帰って申し上げる

甲子。大臣武内宿禰自穴門還之。復奏於皇后。

甲子の日に、大臣の武内宿禰が穴門から帰り、皇后に復命して申し上げました。

19新羅の役で葬れない

是年。由新羅役。以不得葬天皇也。

この年は、新羅の役のために天皇を葬ることができませんでした。