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反正天皇

日本書紀(日本の編年史) 日本書紀 · 舎人親王ほか · 720年(養老4年) · 段落 5 · 漢字 229字 · 朗読 0.9分

日本書紀(日本の編年史) 人代 日本で最も古い正史。神々の時代から持統天皇までの三十巻。神代上・下は同じ神話の異なる伝えを「一書に曰く」として並べて載せ、食い違う話を隠していない。百済・新羅・高句麗・任那の記事が1,379箇所に現れ、韓国の史書と突き合わせる箇所が最も多い書でもある。

1反正天皇

瑞齒別天皇。去來穗別天皇同母弟也。去來穗別天皇二年立爲立爲皇太子。天皇初生干淡路宮。生而齒如一骨。容姿美麗。於是有井。曰瑞井。則汲之洗太子。時多遲花落有干井中。因爲太子名也。多遲花者今虎杖花也。故稱謂多遲比瑞齒別天皇。六年春三月。去來穗別天皇崩。

瑞齒別天皇(みずはわけのてんのう)は、去來穗別天皇(いざほわけのてんのう)の同母弟です。去來穗別天皇の二年に皇太子に立てられました。

天皇は初め淡路宮でお生まれになりました。生まれながらに歯が一つの骨のようで、容姿が美しくありました。そこに井がありました。瑞井(みずのい)といいます。そこでその水を汲んで太子を洗いました。そのとき多遲(たじ)の花が落ちて井の中にありました。これによって太子の名としました。多遲の花は、いまの虎杖(いたどり)の花です。だから多遲比瑞齒別天皇(たじひのみずはわけのてんのう)と称します。

六年春三月、去來穗別天皇が崩じました。

2位に即く

元年春正月丁丑朔戊寅。儲君即天皇位。

元年春正月丁丑の朔の戊寅の日、儲君(もうけのきみ)が天皇の位に即きました。

3夫人と子たち

秋八月甲辰朔己酉。立大宅臣祖木事之女津野媛爲皇夫人。生香火姫皇女。圓皇女。又納夫人弟弟媛。生財皇女與高部皇子。

秋八月甲辰の朔の己酉の日、大宅臣(おおやけのおみ)の祖である木事(こごと)の娘、津野媛(つのひめ)を立てて皇夫人としました。香火姫皇女(かひのひめみこ)、圓皇女(つぶらのひめみこ)を生みました。

また夫人の妹の弟媛(おとひめ)を納れ、財皇女(たからのひめみこ)と高部皇子(たかべのみこ)を生みました。

4柴籬宮

冬十月。都於河内丹比。是謂柴籬宮。當是時。風雨順時五穀成熟。人民富饒。天下太平。是年也太歳丙午。

冬十月、河内の丹比(たじひ)に都しました。これを柴籬宮(しばかきのみや)といいます。

このとき、風雨は時に順い、五穀は実り、人民は富み饒かで、天下は太平でした。

この年は太歳丙午です。

5天皇が崩じる

五年春正月甲申朔丙午。天皇崩干正寢。

五年春正月甲申の朔の丙午の日、天皇は正寢(おおとの)で崩じました。