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安閑天皇

日本書紀(日本の編年史) 日本書紀 · 舎人親王ほか · 720年(養老4年) · 段落 17 · 漢字 1,503字 · 朗読 6.0分

日本書紀(日本の編年史) 人代 日本で最も古い正史。神々の時代から持統天皇までの三十巻。神代上・下は同じ神話の異なる伝えを「一書に曰く」として並べて載せ、食い違う話を隠していない。百済・新羅・高句麗・任那の記事が1,379箇所に現れ、韓国の史書と突き合わせる箇所が最も多い書でもある。

1安閑天皇

勾大兄廣國押武金日天皇。男大迹天皇長子也。母曰目子媛。是天皇爲人墻宇凝峻不可得窺。桓桓寛大。有人君之量。廿五年春二月辛丑朔丁未。男大迹天皇立大兄爲天皇。即日男大迹天皇崩。◎是月。以大伴金村大連爲大連。物部麁鹿火大連爲大連並如故。

勾大兄廣國押武金日天皇(まがりのおおえひろくにおしたけかなひのてんのう)は、男大迹天皇の長子です。母は目子媛と申します。

この天皇は人となりが、墻や宇が凝り峻しくて窺うことができないほどで、桓々として寛く大きく、人の君の量がありました。

二十五年の春二月辛丑の朔の丁未の日、男大迹天皇が大兄を立てて天皇としました。その日に男大迹天皇が崩じました。

この月、大伴金村大連を大連とし、物部麁鹿火大連を大連とし、いずれももとのままでした。

2勾金橋に遷る

元年春正月。遷都于大倭國勾金橋。因爲宮號。

元年の春正月、都を大倭国の勾金橋(まがりのかなはし)に遷しました。これによって宮の号としました。

3皇后と三人の妃

三月癸未朔戊子。有司爲天皇納采億計天皇女春日山田皇女爲皇后。別立三妃。立許勢男人大臣女紗手媛。紗手媛弟香香有媛。物部木蓮子大蓮女宅媛。

三月癸未の朔の戊子の日、有司が天皇のために納采して、億計天皇の娘である春日山田皇女を皇后としました。

別に三人の妃を立てました。許勢男人大臣の娘である紗手媛(さてひめ)、紗手媛の妹である香香有媛(かかりひめ)、物部木蓮子大連の娘である宅媛(やかひめ)を立てました。

夾注 2

更名山田赤見皇女。

別の名は山田赤見皇女(やまだのあかみのひめみこ)です。

木蓮子。此云伊施寐。

木蓮子は「いたび」と読みます。

4伊甚の屯倉

夏四月癸丑朔。内膳卿膳臣大麻呂。奉勅。遣使求珠伊甚。伊甚國造等詣京遲晩。踰時不進。膳臣大麻呂大怒收縛國造等。推問所由。國造稚子直等恐懼。逃匿後宮内寢。春日皇后不知直入。驚駭而顛。慚愧無已。稚子直等兼坐闌入罪當科重。謹專爲皇后獻伊甚屯倉請贖闌入之罪。因定伊甚屯倉。今分爲郡屬上總國。

夏四月癸丑の朔の日、内膳卿の膳臣大麻呂(かしわでのおみおおまろ)が勅を奉じ、使いを遣わして伊甚(いじみ)に珠を求めました。

伊甚国造たちは京に詣るのを遅らせ、時を踰えても進みませんでした。膳臣大麻呂は大いに怒り、国造たちを収え縛って、その由を推し問いました。

国造の稚子直(わくごのあたい)たちは恐れ懼れて、後宮の内の寢所に逃げ匿れました。春日皇后は知らずに直ちに入り、驚き駭いて顛れました。慚じ愧じることが已みませんでした。

稚子直たちはあわせて闌りに入った罪に坐して、罰は重く科せられるはずでした。謹んでもっぱら皇后のために伊甚の屯倉を献じ、闌りに入った罪を贖うことを請いました。これによって伊甚の屯倉を定めました。今は分かれて郡となり、上總国に属しています。

5百済が調を貢る

五月。百濟遣下部脩徳嫡徳孫。上部都徳己州己婁等。來貢常調。別上表。

五月、百済が下部の脩徳である嫡徳孫と、上部の都徳である己州己婁らを遣わして、来て常の調を貢りました。別に表を上りました。

6良い田を惜しむ

秋七月辛巳朔。詔曰。皇后雖體同天子。而内外之名殊隔。亦可以死屯倉之地。式樹椒庭後代遺迹。逎差勅使簡擇良田。勅使奉勅。宣於大河内直味張曰。今汝宜奉進膏腴雌雉田。味張忽然悋惜。欺誑勅使曰。此田者。天旱難漑。水潦易浸費功極多。収獲甚少。勅使依言服命無隱。

秋七月辛巳の朔の日、詔して申されました。「皇后は体は天子と同じであるとはいえ、内と外の名は殊に隔たっている。また死した後の屯倉の地によって、椒の庭に樹を樹てるように後の代に遺る迹とすることができよう。」

そこで勅使を差し向けて良い田を簡び択ばせました。勅使は勅を奉じて、大河内直味張(おおしこうちのあたいあじはり)に宣べて申しました。「今、汝は膏え腴えた雌雉の田を奉り進めるべきである。」

味張は忽然と悋み惜しんで、勅使を欺き誑かして申しました。「この田は、天が旱れば漑ぎ難く、水潦が出れば浸りやすく、費える功は極めて多く、収め獲るものは甚だ少ないのです。」

勅使はその言のとおりに命を服し、隠すことがありませんでした。

夾注 1

更名黒梭。

別の名は黒梭(くろくわ)です。

7妃たちに屯倉を与える

冬十月庚戌朔甲子。天皇勅大伴大連金村曰。朕納四妻。至今無嗣。萬歳之後朕名絶矣。大伴伯父今作何計。毎念於茲。憂慮何已。大伴大連金村奏曰。亦臣所憂也。夫我國家之王天下者。不論有嗣無嗣。要須因物爲名。請爲皇后次妃。建立屯倉之地。使留後代令顯前迹。詔曰。可矣。宜早安置。大伴大連金村奏稱。宜以小墾田屯倉。與毎國田部。給■紗手媛。以櫻井屯倉。與毎國田部、給賜香香有媛。以難波屯倉。與毎郡钁丁。給■宅媛。以示於後。式觀乎菖。詔曰。依奏施行。

冬十月庚戌の朔の甲子の日、天皇が大伴大連金村に勅して申されました。「朕は四人の妻を納れたが、今に至って嗣がない。万歳の後、朕の名は絶えてしまう。大伴の伯父よ、今、何の計を作るか。これを念うたびに、憂い慮ることがどうして已もうか。」

大伴大連金村が奏して申しました。「それもまた臣の憂えるところです。そもそも我が国家の天下に王たる者は、嗣のある無しを論ぜず、要するに物によって名を為さなければなりません。どうか皇后と次の妃たちのために、屯倉の地を建て立てて、後の代に留め、前の迹を顯させてください。」

詔して申されました。「よろしい。早く安置するがよい。」

大伴大連金村が奏して称えました。「宜しく小墾田(おはりだ)の屯倉と国ごとの田部を紗手媛に給い、櫻井の屯倉と国ごとの田部を香香有媛に給い賜り、難波の屯倉と郡ごとの钁丁(くわち)を宅媛に給いまして、後の人に示し、明らかな迹として観させてください。」

詔して申されました。「奏のとおりに施し行え。」

夾注 1

一本云。加□茅渟山屯倉。

ある本には、茅渟(ちぬ)の山の屯倉を加え賜ったと申します。

8味張が悔いる

閏十二月己卯朔壬午。行幸於三嶋。大伴大連金村從焉。天皇使大伴大連問良田於縣主飯粒。縣主飯粒慶悦無限。謹敬盡誠。仍奉獻上御野。下御野。上桑原。下桑原。并竹村之地。凡合肆拾町。大伴大連奉勅宣曰。率土之上莫匪王封。普天之下莫匪王域。故先天皇建顯號。垂鴻名。廣大配乎乾坤。光華象乎日月長駕遠撫。横逸乎都外。瑩鏡區域。充塞乎無垠。上冠九垓。旁濟八表。制禮以告成功。作樂以彰治定。福應允臻。祥慶荷合於往歳矣。今汝味張。率土幽微百姓。忽爾奉惜王地。輕背使乎宣旨。味張自今以後。勿預郡司。於是縣主飯粒喜懼交懷。廼以其子鳥樹。送大連爲僮竪焉。於是大河内直味張恐畏永悔。伏地汗流。啓大連曰。愚蒙百姓。罪當萬死。伏願毎郡以钁丁。春時五百丁。秋時五百丁。奉獻天皇。子孫不絶。藉此祈生。永爲鑒戒。別以狭井田六町賂大伴大連。盖三嶋竹村屯倉者。以河内縣部曲。爲田部之元。於是乎起。

閏十二月己卯の朔の壬午の日、三嶋に行幸されました。大伴大連金村が従いました。

天皇は大伴大連を使わして、縣主飯粒(あがたぬしいいぼ)に良い田を問わせました。縣主飯粒は慶び悦ぶことに限りなく、謹み敬って誠を尽くしました。そして上御野・下御野・上桑原・下桑原、あわせて竹村の地、およそ合わせて四十町を奉り献じました。

大伴大連が勅を奉じて宣べて申しました。

「率土の上に王の封でないところはなく、普天の下に王の域でないところはない。ゆえに先の天皇は顯れた号を建て、鴻きな名を垂れ、広く大きいことは乾坤に配い、光り華やぐことは日月に象った。長く駕って遠く撫で、都の外に横に逸び、区域を瑩き鏡のようにして、垠りのないところまで充ち塞いだ。上は九垓を冠い、旁らは八表を済った。禮を制めて功の成ったことを告げ、楽を作って治まり定まったことを彰した。福の応えは允に臻り、祥しい慶びは往いし歳に荷い合わさった。

今、汝、味張は、率土の幽かに微かな百姓でありながら、忽ちに王の地を奉り惜しみ、使いの宣旨を軽く背いた。味張は今より後、郡司に預かるな。」

このとき縣主飯粒は喜びと懼れが交わり懷いて、すぐにその子の鳥樹(とりき)を大連に送って、僮竪とさせました。

このとき大河内直味張は恐れ畏れて永く悔い、地に伏して汗を流し、大連に啓して申しました。

「愚かに蒙い百姓で、罪は万死に当たります。伏してお願い申し上げます。郡ごとに钁丁を、春の時に五百丁、秋の時に五百丁、天皇に奉り献じて、子孫が絶えないようにいたします。これに藉って生きることを祈り、永く鑒め戒めといたします。」

別に狭井(さい)の田六町を大伴大連に賂として与えました。

おそらく三嶋の竹村の屯倉が、河内の縣の部曲を田部の元としたのは、ここから起こったのでしょう。

9武藏国造の争い

是月。廬城部連枳唹女幡媛。偸取物部大連尾輿瓔珞。獻春日皇后。事至發覺。枳■喩以女幡媛。獻采女丁。并獻安藝國過戸廬城部世倉。以贖女罪。物部大連尾輿恐事由己。不得自安。乃獻十市部。伊勢國來狭狭。登伊。贄土師部。筑紫國膽狭山部也。武藏國造笠原直使主與同族小杵相爭國造。經年難決也。小杵性阻有逆。心高無順。密就求授於上毛野君小熊、而謀殺使主。使主覺之走出。詣京言状朝庭。臨斷以使主爲國造。而誅小杵國造使主悚憙交懷。不能默已。謹爲國家奉置横渟。橘花多氷。倉樔。四處屯倉。是年也太歳甲寅。

この月、廬城部連枳唹(いおきべのむらじきう)の娘である幡媛(はたひめ)が、物部大連尾輿(もののべのおおむらじおこし)の瓔珞を偸み取って、春日皇后に献じました。事が発覚するに至って、枳唹は娘の幡媛を采女として献じ、あわせて安藝国の過戸(かべ)の廬城部世倉(いおきべのよくら)を献じて、娘の罪を贖いました。

物部大連尾輿は、事が己から由ることを恐れ、自ら安んじられませんでした。そこで十市部、伊勢国の來狭狭(くささ)と登伊(とい)、贄土師部(にえのはじべ)、筑紫国の膽狭山部(いさやまべ)を献じました。

武藏国造の笠原直使主(かさはらのあたいおみ)と同じ族の小杵(おき)が国造の地位を相い争い、年を経ても決し難いことでした。

小杵は性が阻しく逆らうところがあり、心が高くて順うことがありませんでした。密かに上毛野君小熊(かみつけののきみおぐま)に就いて授けを求め、使主を殺そうと謀りました。

使主はこれを覚って走り出で、京に詣って朝庭に状を言いました。臨み断じて、使主を国造とし、小杵を誅しました。

国造の使主は悚れと憙びが交わり懷いて、黙り已むことができませんでした。謹んで国家のために横渟(よこぬ)・橘花(たちばなのはな)・多氷(おひ)・倉樔(くらす)の四か所の屯倉を奉り置きました。

この年は太歳甲寅です。

夾注 3

是春日部釆女也。

これは春日部の采女です。

検狭狭。登伊二邑名也。

來狭狭と登伊は二つの邑の名です。

使主。皆名小杵。也。

使主と小杵は、いずれも名です。

10五日間大いに哺う

二年春正月戊申朔壬子。詔曰。間者連年登穀。接境無虞。元元蒼生樂於稼穡業業黔首兔於飢饉。仁風暢乎宇宙。美聲塞乎乾坤。内外清通。國家殷富。朕甚欣焉。可大哺五日爲天下之歡。

二年の春正月戊申の朔の壬子の日、詔して申されました。「この間、連年穀が登り、境を接するところに虞がない。元々の蒼生は稼穡を楽しみ、業々の黔首は飢饉を兔れた。仁の風は宇宙に暢び、美しい声は乾坤に塞がった。内も外も清く通じ、国家は殷かに富んだ。朕は甚だ欣ばしい。五日のあいだ大いに哺うて、天下の歓びとするがよい。」

11勾舍人部

夏四月丁丑朔。置勾舍人部。勾靭部。

夏四月丁丑の朔の日、勾舍人部(まがりのとねりべ)と勾靭部(まがりのゆげいべ)を置きました。

12諸々の屯倉を置く

五月丙午朔甲寅。置筑紫穗波屯倉。鎌屯倉。豐國■碕屯倉。桑原屯倉。肝等屯倉。大拔屯倉。我鹿屯倉。火國春日部屯倉。播磨國越部屯倉。牛鹿屯倉。備後國後城屯倉。多禰屯倉。來履屯倉。葉稚屯倉。河音屯倉。婀娜國膽殖屯倉。膽年部屯倉。阿波國春日部屯倉。紀國經湍屯倉。河邊屯倉。丹波國蘇斯岐屯倉。近江國葦浦屯倉。尾張國間敷屯倉。入鹿屯倉。上毛野國緑野屯倉。駿河國稚贄屯倉。

五月丙午の朔の甲寅の日、筑紫の穗波(ほなみ)の屯倉と鎌(かま)の屯倉、豐国の■碕(みさき)の屯倉と桑原の屯倉と肝等(かんと)の屯倉と大拔(おおぬき)の屯倉と我鹿(あか)の屯倉、火国の春日部の屯倉、播磨国の越部(こしべ)の屯倉と牛鹿(うしか)の屯倉、備後国の後城(しつき)の屯倉と多禰(たね)の屯倉と來履(くくつ)の屯倉と葉稚(はわか)の屯倉と河音(かわと)の屯倉、婀娜国の膽殖(いくえ)の屯倉と膽年部(いとしべ)の屯倉、阿波国の春日部の屯倉、紀国の經湍(ふせ)の屯倉と河邊(かわのべ)の屯倉、丹波国の蘇斯岐(そしき)の屯倉、近江国の葦浦(あしうら)の屯倉、尾張国の間敷(ましき)の屯倉と入鹿(いるか)の屯倉、上毛野国の緑野(みどの)の屯倉、駿河国の稚贄(わかにえ)の屯倉を置きました。

夾注 4

取音讀。

肝等は音で読みます。

我鹿。此云阿柯。

我鹿は「あか」と読みます。

經此云湍。俯世。

經湍は「ふせ」と読みます。

皆取音。

すべて音を取ります。

13犬養部を置く

秋八月乙亥朔。詔置國國犬養部。

秋八月乙亥の朔の日、詔して国々に犬養部(いぬかいべ)を置きました。

14屯倉の税を掌らせる

九月甲辰朔丙午。詔櫻井田部連。縣犬養連。難波吉士等。主掌屯倉之税。

九月甲辰の朔の丙午の日、櫻井田部連・縣犬養連・難波吉士らに詔して、屯倉の税を主り掌らせました。

15牛を放ち飼う

丙辰。別勅大連云。宜放牛於難波大隅嶋與媛嶋松原。冀垂名於後。

丙辰の日、別に大連に勅して申されました。「難波の大隅嶋と媛嶋の松原に牛を放つがよい。願わくは後の世に名を垂れさせよ。」

16天皇が崩じる

冬十二月癸酉朔己丑。天皇崩于勾金橋宮。時年七十。

冬十二月癸酉の朔の己丑の日、天皇は勾金橋宮で崩じました。そのとき年は七十でした。

17高屋丘陵

是月。葬天皇于河内舊市高屋丘陵。以皇后春日山田皇女及天皇妹神前皇女合葬于是陵。

この月、天皇を河内の舊市(ふるいち)の高屋丘陵(たかやのおかのみささぎ)に葬りました。皇后春日山田皇女と、天皇の妹である神前皇女を、この陵に合葬しました。