崇峻天皇
1崇峻天皇
泊瀬部天皇。天國排開廣庭天皇第十二子也。母曰小姉君。
泊瀬部天皇(はつせべのてんのう)は、天國排開廣庭天皇の第十二子です。母は小姉君と申します。
夾注 1
稻目宿禰女也。已見上文。
稻目宿禰の娘です。すでに上の文に見えます。
2先の天皇が崩じる
二年夏四月。橘豐日天皇崩。
二年の夏四月、橘豐日天皇が崩じました。
3守屋が穴穗部を立てようとする
五月。物部大連軍衆三度驚駭。大連元欲去餘皇子等。而立穴穗部皇子爲天皇。及至於今望因遊獵而謀替立。密使人於穴穗部皇子曰。願與皇子將馳獵於淡路。謀泄。
五月、物部大連の軍衆が三度驚き駭きました。大連はもともと餘の皇子たちを去けて、穴穗部皇子を立てて天皇としようと思っていました。今に至って、遊獵に因って替え立てることを謀りました。ひそかに人を穴穗部皇子に使わして申しました。「願わくは皇子とともに淡路で馳せ獵りたいと思います。」謀りごとが洩れました。
4穴穗部皇子を殺す
六月甲辰朔庚戌。蘇我馬子宿禰等奉炊屋姫尊。詔佐伯連丹經手。土師連磐村。的臣眞噛曰。汝等嚴兵。速往誅殺穴穗部皇子與宅部皇子。是日夜半。佐伯連丹經手等圍穴穗部皇子宮。於是衛士先登樓上。撃穴穗部皇肩。皇子落於樓下走入偏室。衞士等擧燭而誅。
六月甲辰の朔の庚戌の日、蘇我馬子宿禰たちが炊屋姫尊を奉って、佐伯連丹經手(さえきのむらじにふて)・土師連磐村(はじのむらじいわむら)・的臣眞噛(いくはのおみまくい)に詔しました。「お前たちは兵を嚴しくし、速やかに往って穴穗部皇子と宅部皇子を誅し殺せ。」
この日の夜半、佐伯連丹經手たちが穴穗部皇子の宮を圍みました。そこで衛士がまず樓の上に登り、穴穗部皇子の肩を撃ちました。皇子は樓の下に落ちて偏室に走り入りました。衞士たちは燭を擧げて誅しました。
5宅部皇子を誅す
六月辛亥。誅宅部皇子。善穴穗部皇子。故誅。
六月辛亥の日、宅部皇子を誅しました。穴穗部皇子と善かったので、誅したのです。
夾注 1
宅部皇子。桧隈天皇之子。上女王之父也。未詳。
宅部皇子は、桧隈天皇の子で、上女王の父です。詳らかではありません。
6善信尼が戒法を學ぶことを請う
甲子。善信阿尼等謂大臣曰。出家之途以戒爲本。願向百濟學受戒法。
甲子の日、善信阿尼(ぜんしんあに)たちが大臣に申しました。「出家の途は戒を本とします。願わくは百濟に向かって戒を受ける法を學びたいと思います。」
7百濟の使に頼む
是月。百濟調使來朝。大臣謂使人曰。率此尼等將渡汝國令學戒法。了時發遣。使人答曰。臣等歸蕃先道國王。而後發遣。亦不遲也。
この月、百濟の調の使が來朝しました。大臣が使人に申しました。「この尼たちを率いてそなたの國に渡り、戒法を學ばせよ。了えたときに發ち遣わせ。」
使人が答えました。「臣たちが蕃に歸って、まず國王に道べ、その後に發ち遣わしても、遲くはありません。」
8守屋を討つ
秋七月。蘇我馬子宿禰大臣勸諸皇子與群臣。謀滅物部守屋大連。泊瀬部皇子。竹田皇子。廐戸皇子。難波皇子。春日皇子。蘇我馬子宿禰大臣。紀男麻呂宿禰。巨勢臣比良夫。膳臣賀施夫。葛城臣烏那羅。倶率軍旅進討大連。大伴連噛。阿倍臣人。平群臣神手。坂本臣糠手。春日臣。倶率軍兵從志紀郡到澁河家。大連親率子弟與奴軍。築稻城而戰。於是大連昇衣揩朴枝間臨射如雨。其軍強盛。填家溢野。皇子等軍與群臣衆怯弱恐怖。三廻却還。是時廐戸皇子束髮於額。而隨軍後。自忖度口。將無見敗。非願難成。乃■取白膠木。疾作四天皇像。置於頂髮。而發誓言。今若使我勝敵。必當奉爲護世四王起立寺塔。蘇我馬子大臣又發誓言。凡諸天王大神王等助衛於我。使獲利益。願當奉爲諸天與大神王。
秋七月、蘇我馬子宿禰大臣が諸々の皇子と群臣に勸めて、物部守屋大連を滅ぼすことを謀りました。
泊瀬部皇子・竹田皇子・廐戸皇子・難波皇子・春日皇子・蘇我馬子宿禰大臣・紀男麻呂宿禰・巨勢臣比良夫・膳臣賀施夫・葛城臣烏那羅が、ともに軍旅を率いて進み、大連を討ちました。
大伴連噛・阿倍臣人・平群臣神手・坂本臣糠手・春日臣が、ともに軍兵を率いて志紀郡から澁河の家に到りました。
大連は親ら子弟と奴の軍を率いて、稻の城を築いて戰いました。そこで大連は衣を揩める朴の枝の間に昇り、臨んで雨のように射ました。その軍は強く盛んで、家を填め野に溢れました。
皇子たちの軍と群臣の衆は怯え弱って恐れ怖れ、三たび却き還りました。
このとき廐戸皇子は髮を額で束ねて、軍の後に随いました。自ら忖り度って口に申しました。「このままでは敗れを見るのではないか。願わなければ成し難い。」
そこで白膠木を取って、急ぎ四天皇の像を作り、頂の髮に置いて誓いの言を發しました。「今もし私を敵に勝たせてくださるなら、必ずまさに世を護る四王のために寺塔を起こし立て奉ります。」
蘇我馬子大臣もまた誓いの言を發しました。「およそ諸々の天王・大神王たちが私を助け衞って、利益を獲させてくださるなら、願わくはまさに諸々の天と大神王のために
夾注 3
闕名字。
名字が闕けています。
古俗年少兒年十五六間。束髮於額。十七八間。分爲角子。今亦爲之。
古い俗では、年少の兒は十五六の間は髮を額で束ね、十七八の間は分けて角子としました。今もそのようにします。
白膠木。此云農利泥。
白膠木は、ぬりでと読みます。
9守屋が死に萬が逃げる
起立寺塔流通三寶。誓已嚴種種兵而進討伐。爰有迹見首赤梼。射墮大連於枝下。而誅大連并其子等。由是。大連之軍忽然自敗。合軍悉被皀衣。馳獵廣瀬勾原而散之。是役大連兒息與眷屬。或有逃匿葦原改姓換名者。或有逃亡不知所向者。時人相謂曰。蘇我大臣之妻。是物部守屋大連之妹也。大臣妄用妻計而殺大連矣。平亂之後。於攝津國造四天王寺。分大連奴半與宅。爲大寺奴田庄。以田一萬頃賜迹見首赤梼。蘇我大臣亦依本願於飛鳥地起法興寺。物部守屋大連資人捕鳥部萬將一百人守難波宅。而聞大連滅。騎馬夜逃向茅渟縣有眞香邑。仍過婦宅而遂匿山。朝庭議曰。萬懷逆。故隱此山中。早須滅族。可不怠歟。萬衣裳幣垢。形色憔悴。持弓帶釼。獨自出來。有司遣數百衛士圍萬。萬即驚匿篁聚。以繩繋竹。引動令他惑己所入。衛士等被詐指搖竹馳言。
寺塔を起こし立てて三寶を流し通わせます。」
誓いを已えて、種種の兵を嚴しくして進み討ち伐ちました。ここに迹見首赤梼がいて、大連を枝の下に射落とし、大連とその子たちを誅しました。
これによって大連の軍は忽然として自ら敗れました。合わさった軍はことごとく皀い衣を被て、廣瀬の勾原で馳せ獵るふりをして散りました。
この役で、大連の兒息と眷屬は、或いは葦原に逃げ匿れて姓を改め名を換えた者があり、或いは逃げ亡せて向かうところを知らない者がありました。
そのとき人々は相い申しました。「蘇我大臣の妻は、物部守屋大連の妹である。大臣は妄りに妻の計を用いて大連を殺したのだ。」
亂を平らげた後、攝津國に四天王寺を造りました。大連の奴の半ばと宅を分けて、大きな寺の奴と田庄としました。田一萬頃を迹見首赤梼に賜わりました。蘇我大臣もまた本の願に依って、飛鳥の地に法興寺を起こしました。
物部守屋大連の資人、捕鳥部萬(とりべのよろず)は、一百人を將いて難波の宅を守っていましたが、大連が滅びたと聞いて、馬に騎って夜に逃げ、茅渟縣の有眞香の邑に向かいました。そして婦の宅を過ぎて、ついに山に匿れました。
朝庭が議って申しました。「萬は逆らう心を懷いている。それゆえこの山の中に隱れたのだ。早く族を滅ぼさねばならない。怠ってよいものか。」
萬は衣裳が幣れ垢つき、形も色も憔れ悴えていましたが、弓を持ち釼を帶びて、独りで出て來ました。有司は数百の衛士を遣わして萬を圍みました。
萬はすぐに驚いて篁の聚まりに匿れ、繩を竹に繋いで引き動かし、他人に自分の入った所を惑わせました。衛士たちは詐られて、搖れる竹を指して馳せ、申しました。
夾注 1
萬。名也。
萬は名です。
10萬と白い犬
萬在此。萬即發箭一無不中。衛士等恐不敢近。萬便弛弓挾腋。向山走去。衛士等即夾河追射。皆不能中。於是有一衛士。疾馳先萬。而伏河側。擬射中膝。萬即拔箭。張弓發箭。伏地而號曰。萬爲天皇之楯將効其勇。而不推問。翻致逼迫於此窮矣。可共語者來。願聞殺虜之際。衛士等競馳射萬。萬便拂捍飛矢。殺卅餘人。仍以持釼三截其弓。還屈其釼投河水裏。別以刀子刺頚死焉。河内國司。以萬死状牒上朝庭。朝庭下苻稱。斬之八段散梟八國。河内國司即依苻旨。臨斬梟。時雷鳴大雨。爰有萬養白犬。俯仰廻吠於其屍側。遂噛擧頭收置古冢。横臥枕側飢死於前。河内國司尤異其犬。牒上朝庭。朝庭哀不忍聽。下苻稱曰。此犬世所希聞。可觀於後。須使萬族作墓而葬。由是萬族雙起墓於有眞香邑。葬萬與犬焉。河内國言。於餌香川原有被斬人。計將數百。頭身既爛。姓宇難知。但以衣色收取其身者。爰有櫻井田部連膽渟所養之犬。噛續身頭伏側固守。使收已至。乃起行之。
「萬はここにいる。」
萬はすぐに箭を發って、一つも中らないものがありませんでした。衛士たちは恐れて敢えて近づきませんでした。
萬はすぐに弓を弛めて腋に挾み、山に向かって走り去りました。衛士たちはすぐに河を夾んで追い射ましたが、みな中てることができませんでした。
そこで一人の衛士がいて、疾く馳せて萬より先に河の側に伏し、擬い射て膝に中てました。
萬はすぐに箭を拔き、弓を張って箭を發ちました。地に伏して號んで申しました。
「萬は天皇の楯となってその勇を効そうとしたのに、推し問うこともなく、かえって逼り迫られてこの窮まりに致った。共に語ることのできる者が來い。殺すのか虜にするのか、その際を聞きたい。」
衛士たちは競い馳せて萬を射ました。萬はすぐに飛ぶ矢を拂い捍ぎ、三十餘人を殺しました。
そして持った釼でその弓を三つに截り、更にその釼を屈げて河の水の裏に投げました。別に刀子で頚を刺して死にました。
河内の國司は、萬の死んだ状を朝庭に牒して上りました。朝庭は苻を下して稱しました。「これを八つの段に斬り、八つの國に散らして梟けよ。」
河内の國司はすぐに苻の旨に依って、斬って梟けようとしました。そのとき雷が鳴り大雨が降りました。
ここに萬が養っていた白い犬がいて、俯き仰ぎ、その屍の側を廻って吠えました。ついに頭を噛み擧げて古い冢に收め置き、側に横たわり臥して枕し、前で飢え死にました。
河内の國司はその犬をいたく異しんで、朝庭に牒して上りました。朝庭は哀れんで聽くに忍びず、苻を下して稱して申しました。「この犬は世に希に聞くものであり、後の世に觀せるに足る。萬の族に墓を作らせて葬らせよ。」
これによって萬の族は有眞香の邑に墓を雙べて起こし、萬と犬を葬りました。
河内國が申しました。「餌香の川原に斬られた人がいて、計れば数百になります。頭と身がすでに爛れて、姓や名が知り難うございます。ただ衣の色でその身を收め取りました。ここに櫻井田部連膽渟(さくらいのたべのむらじいぬ)が養っていた犬がいて、身と頭を噛んで續ぎ、側に伏して固く守っておりました。收める者が至ると、そこで起って行きました。」
11位に即く
八月癸卯朔甲辰。炊屋姫尊與群臣勸進天皇。即天皇之位。以蘇我馬子宿禰爲大臣如故。卿大夫之位亦如故。
八月癸卯の朔の甲辰の日、炊屋姫尊と群臣が天皇に勸め進めて、天皇の位に即きました。蘇我馬子宿禰を大臣とすることはもとのままで、卿大夫の位もまたもとのままでした。
12倉梯に宮する
是月。宮於倉梯。
この月、倉梯(くらはし)に宮しました。
13妃を立てる
元年春三月。立大伴糠手連女小手子爲妃。是生蜂子與錦代皇女。
元年の春三月、大伴糠手連の娘、小手子(おてこ)を立てて妃としました。この方が蜂子と錦代皇女を生みました。
14百濟が寺を造る人々を遣わす
是歳。百濟國遣使并僧惠總。令斤。惠寔等。獻佛舍利。百濟國遣恩率首信。徳率益文。那率福富味身等進調。并獻佛舍利。僧聆照律師。令威。惠衆。惠宿。道嚴。令開等。寺工太良未太。文賈古子。鑪盤博士將徳白昧淳。瓦博士麻奈文奴。陽貴文陵貴文。昔麻帝彌。畫工白加。蘇我馬子宿禰請百濟僧等。問受戒之法。以善信尼等付百濟國使恩率首信等。發遣學問。壤飛鳥衣縫造祖樹葉之家。始作法興寺。此地名飛鳥眞神原。亦名飛鳥苫田。是年也太歳戊申。
この歳、百濟國が使とあわせて僧の惠總・令斤・惠寔たちを遣わして、佛の舍利を獻りました。
百濟國が恩率首信・徳率益文・那率福富味身たちを遣わして調を進め、あわせて佛の舍利と、僧の聆照律師・令威・惠衆・惠宿・道嚴・令開たち、寺工の太良未太・文賈古子、鑪盤博士の將徳白昧淳、瓦博士の麻奈文奴・陽貴文・陵貴文・昔麻帝彌、畫工の白加を獻りました。
蘇我馬子宿禰は百濟の僧たちを請じて、戒を受ける法を問いました。善信尼たちを百濟國の使、恩率首信たちに付して發ち遣わし、學問させました。
飛鳥衣縫造の祖、樹葉(このは)の家を壤して、初めて法興寺を作りました。この地の名は飛鳥眞神原(あすかのまかみのはら)、また別の名は飛鳥苫田(あすかのとまだ)です。
この年は太歳戊申です。
15三つの道に使を遣わす
二年秋七月壬辰朔。遣近江臣滿於東山道使觀蝦夷國境遣完人臣鴈於東海道使觀東方濱海諸國境遣阿倍臣於北陸道使觀越等諸國境。
二年の秋七月壬辰の朔の日、近江臣滿(おうみのおみみつ)を東山道に遣わして蝦夷の國の境を觀させ、完人臣鴈(ししひとのおみかり)を東海道に遣わして東の方の濱の海の諸々の國の境を觀させ、阿倍臣を北陸道に遣わして越などの諸々の國の境を觀させました。
16善信尼たちが還る
三年春三月。學問尼善信等。自百濟還住櫻井寺。
三年の春三月、學問していた尼の善信たちが百濟から還って、櫻井寺に住みました。
17寺の材を取る
冬十月。入山取寺材。
冬十月、山に入って寺の材を取りました。
18多くの人が出家する
是歳。度尼大伴狭手彦連女善徳。大伴狛夫人。新羅媛善妙。百濟媛妙光。又漢人善聰。善通。妙徳。法定。照善。智聰。善智惠。善光等。鞍部司馬達等子多須奈。同時出家。名曰徳齊法師。
この歳、尼を度しました。大伴狭手彦連の娘、善徳、大伴狛夫人、新羅の媛、善妙、百濟の媛、妙光、また漢人の善聰・善通・妙徳・法定・照善・智聰・善智惠・善光たちです。
鞍部司馬達等の子、多須奈が同じ時に出家して、名を徳齊法師と申しました。
19先の天皇を葬る
四年夏四月壬子朔甲子。葬譯語田天皇於磯長陵是其妣皇后所葬之陵也。
四年の夏四月壬子の朔の甲子の日、譯語田天皇を磯長の陵に葬りました。これはその妣の皇后を葬った陵です。
20任那を建てようとする
秋八月庚戌朔。天皇詔群臣曰。朕思欲建任那。卿等何如。羣臣奏言。可建任那官家。皆同陛下所詔。
秋八月庚戌の朔の日、天皇が群臣に詔しました。「朕は任那を建てたいと思うが、卿たちはどうか。」
羣臣が奏して申しました。「任那の官家を建てるのがよろしいでしょう。みな陛下が詔されたところと同じです。」
21二萬の軍を筑紫に置く
冬十一月己卯朔壬午。差紀男麻呂宿禰。巨勢巨比良夫。狹臣。大伴囓連。葛城烏奈良臣。爲大將軍率氏氏臣連爲裨將部隊。領二萬餘軍。出居筑紫。遣吉士金於新羅。遣吉士木蓮子於任那。問任那事。
冬十一月己卯の朔の壬午の日、紀男麻呂宿禰・巨勢臣比良夫・大伴囓連・葛城烏奈良臣を差して大將軍とし、氏氏の臣・連を率いて裨將と部隊とし、二萬餘の軍を領いて筑紫に出で居らせました。
吉士金(きしのかね)を新羅に遣わし、吉士木蓮子を任那に遣わして、任那の事を問わせました。
22山猪を指す
五年冬十月癸酉朔丙子。有獻山猪。天皇指猪詔曰。何時如斷此猪之頚。斷朕所嫌之人。多設兵仗有異於常。
五年の冬十月癸酉の朔の丙子の日、山猪を獻る者がありました。天皇は猪を指して詔しました。「いつの時か、この猪の頚を斷つように、朕が嫌うところの人を斷とうか。」
兵仗を多く設けて、常とは異なるところがありました。
23馬子が謀る
壬午。蘇我馬子宿禰聞天皇所詔。恐嫌於己招聚儻者謀弑天皇。
壬午の日、蘇我馬子宿禰は天皇が詔したところを聞いて、自分が嫌われているのを恐れ、儻の者を招き聚めて天皇を弑すことを謀りました。
24法興寺の佛堂
是月。起大法興寺佛堂與歩廊。
この月、大きな法興寺の佛堂と歩廊を起こしました。
25天皇が弑される
十一月癸卯朔乙巳。馬子宿禰詐於羣臣曰。今日進東國之調。乃使東漢直駒弑于天皇。是日。葬天皇于倉梯岡陵。
十一月癸卯の朔の乙巳の日、馬子宿禰が羣臣に詐って申しました。「今日、東の國の調を進める。」そして東漢直駒(やまとのあやのあたいこま)を使って天皇を弑しました。
この日、天皇を倉梯岡の陵に葬りました。
夾注 2
或本云。東漢直駒東漢直磐井子也。
或る本には、東漢直駒は東漢直磐井の子であると申します。
或本云。大伴嬪小手子恨寵之衰。使人於蘇我馬子宿禰曰。頃者有獻山猪。天皇指猪而詔曰。如斷猪頚何時斷朕思人。且於内裏。大作兵仗。於是馬子宿禰聽而驚之。
或る本にはこうあります。大伴の嬪、小手子が寵みの衰えたことを恨んで、人を蘇我馬子宿禰に使わして申しました。「このごろ山猪を獻る者がありました。天皇は猪を指して『猪の頚を斷つように、いつの時か朕が思う人を斷とうか』と詔されました。また内裏で兵仗を大いに作っています。」そこで馬子宿禰は聽いてこれに驚きました。
26筑紫に告げる
丁未。遣騨使於筑紫將軍所曰。依於内亂莫怠外事。
丁未の日、騨の使を筑紫の將軍のいる所に遣わして申しました。「内の亂れによって、外の事を怠ってはならない。」
27駒が殺される
是月。東漢直駒偸隱蘇我娘嬪河上娘爲妻。馬子宿禰忽不知河上娘爲駒所偸。而謂死去。駒奸嬪事顯。爲大臣所殺。
この月、東漢直駒が蘇我の娘嬪、河上娘(かわかみのいらつめ)を偸み隱して妻としました。馬子宿禰は忽ちには河上娘が駒に偸まれたことを知らず、死んだものと思っていました。駒が嬪を奸した事が顯れて、大臣に殺されました。
夾注 1
河上娘。蘇我馬子宿禰女也。
河上娘は、蘇我馬子宿禰の娘です。