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敦賀

奥の細道(奥州へ向かう細道の記) 奥の細道 · 松尾芭蕉 · 元禄15年(1702年)刊 · 1689年の旅 · 段落 2 · 漢字 311字 · 朗読 0.8分

奥の細道(奥州へ向かう細道の記) 全一巻 「月日は百代の過客であり、行き交う年もまた旅人です」 — 芭蕉が四十六歳で江戸を離れ、奥州と北陸を五か月かけて歩いた紀行文。夏草に武士たちの夢を見、岩にしみ入る蝉の声を聞き、一つ屋根の下に眠る遊女を萩と月に見立てる。散文が終わるところごとに俳句が一句置かれる。法顕・玄奘・慧超の求法記と並ぶ、この書斎のもう一つの道である。

1敦賀へ — 初秋の雁を尋ねて

白根がだけかくれて比那か島顯はるあさむつの橋をわたりて玉江の芦は穗に出にけり鶯のせきを越え湯尾峠をこゆれば燧が城歸山に初雁を尋て十四日の夕ぐれつるがの津に宿を求む

白根が岳が隠れて比那が嵩が現れます。あさむつの橋を渡ると、玉江の芦は穂に出ていました。鶯の関を越え、湯尾峠を越えると燧が城、帰山で初雁を尋ねながら、十四日の夕暮れに敦賀の津に宿を求めました。

夾注 1

嵩ノ誤リナリ

「比那か島」の「島」は「嵩」の誤りです。

2遊行の砂持、そして十五夜の雨

その夜月晴たり明日の夜もかく有るべきにやといへば越路の習猶あすの夜の晴陰はかりがたしとあるじに酒すゝめられて氣比の明神に夜參す仲哀天皇の御廟なり社頭神さびて松の木の間に月のもり入たるおまへの白砂霜を敷るが如しそのかみ遊行二世の上人大願發起の事ありてみづから艸を刈り土石を荷へ泥濘をかはかせて參詣往來の煩なし古例今にたへず神前に眞砂を荷ひ給ふこれを遊行の砂持と申侍ると亭にて 月淸し遊行のもてる砂の上 十五日亭主のことばにたがはす雨降る 名月や北國日和さだめなき

その夜は月が晴れました。「明日の夜もこのようでしょうか」と言うと、「越路の習いで、明日の夜の晴れ曇りはやはり測りがたいものです」と、主人に酒を勧められました。

気比の明神に夜参りをしました。仲哀天皇の御廟です。社頭は神さびて、松の木の間に月が漏れ入り、御前の白砂が霜を敷いたようでした。

「その昔、遊行二世の上人が大願を発起されて、自ら草を刈り、土石を担い、泥濘を乾かして、参詣の往来の煩いをなくされました。その古例が今も絶えず、神前に真砂を担いで奉られます。これを遊行の砂持と申します」と、亭で聞きました。

月が清い / 遊行上人が運んだ砂の上

十五日、亭主の言葉と違わず雨が降りました。

名月よ / 北国の日和は定まらないものです

夾注 1

一本侍ると亭主の語りけるトアリ

異本には「侍ると亭主の語りける」とあります。