巻上破閑集 卷上
左諫議大夫秘書監寶文閣學士知制誥李仁老撰
左諫議大夫・秘書監・宝文閣学士・知制誥、李仁老が著す。
晉陽古帝都 溪山勝致爲嶺南第一 有人作其圖獻李相國之氐 帖諸壁以觀之 軍府參謀榮陽與齡往謁 相國指之曰此圖是君桑梓鄕也 宜有一句 操筆立就云 數點靑山枕碧湖 公言此是晉陽圖 水邊艸屋知多少 中有吾廬畵也無 一座服其精敏
晋陽は古の帝王の都であり、川と山の勝景は嶺南で第一である。ある人がその図を描いて李相国の家に献じたので、壁に貼って眺めていた。
軍府参謀、栄陽の与齢が訪ねて拝謁すると、相国が図を指して言った。
「この絵はそなたの故郷だ。一句あってよかろう。」
与齢は筆を取り、その場で作りあげた。
数点の青い山が碧い湖を枕にして横たわるのに 公はこれが晋陽の図だと言われる 水辺の茅屋がいくつあるかご存じだろうか その中に私の家も描かれているだろうか
居合わせた人々は皆、その精緻さと速さに感服した。
讀惠弘冷齊夜話 十七八皆其作也 淸婉有出塵之想 恨不得見本集 近有以筠溪集示之者 大率多贈答篇 玩味之 皆不及前詩遠甚 惠弘雖奇才 亦未免瓦注也 古語云 見面不如聞名信矣 因見潘大臨寄謝臨川一句 今爲補之 滿城風雨近重陽 霜葉交飛菊半黃 爲有俗雰來敗矣 惟將一句寄秋光
恵洪の『冷斎夜話』を読むと、十のうち七、八は皆かれ自身の作である。清らかで美しく、俗塵を離れた思いがあったので、その文集を手に入れて見られないことを残念に思っていた。
近ごろ『筠渓集』を見せてくれる者があって見たところ、おおむね贈答の詩が多く、味わってみると皆、先の詩にはるかに及ばなかった。恵洪は非凡な才があるとはいえ、やはり心を物に奪われて腕が鈍ることを免れなかった。古語に「顔を見るのは名を聞くに及ばない」とあるが、まことにそのとおりだ。
潘大臨が臨川に寄せた一句を見て、いまその残りを補う。
城に満ちる風雨は重陽に近く 霜の葉が入り乱れて飛び、菊は半ば黄ばむ 俗の気が来て台無しにしてしまったので ただ一句を秋の光に寄せる
文房四寶 皆儒者所須 唯墨成之最艱 然京師萬寶所聚 求之易得 故人人皆不以爲貴焉 及僕出守孟城 承都督府符 造供御墨五千挺 趂春月首納之 乘遽到孔巖村 驅民採松烟百斛 聚良工躬自督役 彌兩月云畢 凡面目衣裳皆有烟煤之色 移就他所 洗浴良苦然後還城 是後見墨雖一寸 重若千金不敢忽也 因念世人所受用 如剡藤蘄竹蜀錦吳綾 皆類此 古人云憫農詩 誰知盤中飡 粒粒皆辛苦 誠仁者之語也 僕始得孟城作一絶云 稚川腰綬白雲邊 手採丹砂欲學仙 自笑驚蛇餘習在 左符猶管碧松烟
文房四宝はいずれも儒者に欠かせぬものだが、ただ墨だけは作るのが最も難しい。しかし都はあらゆる宝の集まる所なので、求めれば容易に手に入り、だれもこれを貴いものと思わない。
私が孟城の守に出て都督府の公文を受けたが、御用の墨五千挺を作り、春の初めの月に間に合わせて納めよというものであった。急ぎ孔巌村に至り、民を動かして松の煤を百斛採り、よい工人を集めて自ら作業を監督し、二月あまりかかってようやく終えた。顔も衣も皆煤の色に染まり、他所へ移ってひどく苦しい思いで洗い浴みてから城に帰った。これより後は、墨を見ればたとえ一寸でも千金のように重んじ、粗末に扱えなくなった。
これによって思うに、世の人が受け取って用いるもの、剡渓の紙、蘄州の竹、蜀の錦、呉の綾も、皆これと同じである。古人が農を憐れんだ詩に「誰が知ろう、盤の上の飯が一粒ごとに皆苦しみであることを」とあるのは、まことに仁者の言葉である。
私が初めて孟城を得たとき、絶句一首を作った。
稚川は印の紐を腰にして白雲のほとり 手ずから丹砂を採り、仙を学ぼうとした 自ら笑う、驚いた蛇のような書の癖が残って 左の符を持ちながら、なお青い松の煤を司るとは
鷄林人金生用筆如神 非草非行 迴出五十七種諸家體勢 本朝華嚴大士景赫 樞府金公立之 以草擅名 然未免仲翼周越之俗氣 毅王末年 大金使人蓋益 筆勢奇逸 淸河崔讜購得之 常掛壁以賞之 有人借觀 留其眞迹 而影寫還之 學士誦東山詩 畵地爲餠未必似 要令癡兒出饞水 笑而不問 僕聞之戱爲絶句 子雲春蚓謾成行 醉素驚蛇去渺茫 夢覺不知誰得鹿 路多空嘆竟亡羊
鶏林の人、金生は筆の運びが神のようで、草書でもなく行書でもなく、諸家の五十七種の書体をはるかに抜け出ていた。本朝の華厳大師景赫と枢府の金公立之が草書で名を馳せたが、仲翼・周越の俗気を免れなかった。
毅王の末年、大金の使者である蓋益の筆勢が奇抜ですぐれていたので、清河の崔讜がこれを買い求め、いつも壁に掛けて賞していた。ある人が借りて見たうえ、その真跡を留め、写し取ったものを返した。学士は東坡の詩「地に餅を描いても必ず似るわけではないが、愚かな子によだれを流させはする」を口ずさみ、笑って問わなかった。
私はこれを聞いて、戯れに絶句を作った。
子雲の春の蚯蚓はいたずらに行を成すばかり 酔った懐素の驚いた蛇は遥かに去ってしまった 夢から覚めても誰が鹿を得たのか分からず 道が多くて、いたずらに羊を失ったことを嘆く
恒陽子眞出倅關東 夫人閔氏悍妬無比 有女隸頗姿色 勿令近之 子眞曰此甚易耳 乃與邑人換牛蓄之 僕聞之戱成一絶 湖上鶯飛杳不還 江皐佩冷欲尋難 園桃巷柳今何在 只有欄邊黑牧丹 然道阻不得附郵筒 其後二十餘年 子眞新僦屋紅桃井里 與僕連墻接巷旦夕相從 請觀僕詩藁 以一
恒陽の子真が関東の副使として出たが、夫人の閔氏は気が荒く妬みは比べるものもなかった。女の召使に美しい者がいたので、近づけさせなかった。子真が言った。
「それはいとも易しいことだ。」
そこで村の人と牛に換えて飼った。私はこれを聞いて、戯れに絶句一首を作った。
湖の上の鶯は飛び去って遥かに帰らず 川岸の佩玉は冷えて尋ねがたい 園の桃も巷の柳もいまどこにあるのか ただ欄干のそばに黒い牡丹があるばかり
しかし道が隔たって郵便に付すことができなかった。その後二十年あまりして、子真は紅桃井の里に新しく家を借り、私と垣を連ね路地を向かい合わせて朝夕行き来したが、私の詩稿を見たいと請うた。
通出示之 讀之半有題云 聞友人爲郡君所迫 以妾換牛 子眞愕然 徐曰是誰耶 僕笑曰公是已 子眞曰有是哉 然閨閫間一時戱耳 雖勿嘲評可也 不如是何以助先生萬古詩名 閔氏先子眞死 鰥居八載猶不邇色 可謂篤行君子
一通を取り出して見せた。読んで半ばに至ると「友人が妻に迫られ、妾を牛に換えたことを聞いて」という題があった。子真は愕然とし、ゆっくりと言った。
「これは誰のことか。」
私は笑って言った。
「公がまさにその人だ。」
子真が言った。
「そんなことがあったか。しかし閨の内の一時の戯れに過ぎないのだから、嘲って評さなくてもよかったろう。とはいえ、こうしなければ何によって先生の万古に残る詩名を助けられようか。」
閔氏は子真より先に死んだが、子真は男やもめで八年を過ごしながら女を近づけなかったのだから、行いの篤い君子と言えよう。
黃壯元彬然 中秋直玉堂 長空無雲 月華如晝 作詩示同局吳公世文 季孟中間朔 炎凉一樣天 春宵何闃寂
黄壮元の彬然が中秋に玉堂で宿直した。広い空に雲がなく、月の光が昼のようであったので、詩を作って同じ役所の呉世文公に示した。
季と孟との間の月であって 暑さも涼しさも同じような空なのに 春の宵はなぜあれほど静かで
秋夕獨喧闐 月色應同爾 人心所使然 知君能決事此景果誰先 玩味之深有理趣 不見和篇 今用其意答之 月輪當一歲十有二回圓 底事秋將半 流天影自偏 金風收掩翳 玉露洗嬋硏故與春宵異 憑詩子細傳
秋の夕べは独りにぎわうのか 月の光はそなたの所と同じはずだが 人の心がそうさせるのだろう そなたが物事をよく決することを知っている この景色はいったいどちらが勝るのか
味わってみると深く理と趣があった。和した篇を見なかったので、いまその意を用いて答える。
月の輪は一年に十二たび円くなるのに どうして秋が半ばに至ると 天を流れる影が自ずから傾くのか 金の風が覆いを取り払い 玉の露が美しさを洗うので ことさら春の宵とは異なるのだ 詩に寄せて細やかに伝える
湍州北仰岩寺 距皇都不遠 山奇水異窅然有幽奇之致 僕與隴西湛之嘗讀書於此 每日暮憑欄縱目 漁火明滅 雲沆烟澹 茅茨聯屬 如在武陵源上 將還 主老挽裾請留 一字勤懇 因題壁上云 前壓滄波後翠岩 蕭蕭蘆葦半松杉 謝公遊興唯雙屐 張翰歸心滿一帆 只要緱山鞭皓鶴 不須湓浦泣靑衫 十洲三島遊遨遍 自愧飄然骨換凡 其後二十年 子眞出按 南州 倦行入憩於是寺 其詩壁半毁 塵侵苔蝕 幾不可讀字 謂傍人 雖不以杪籠護之 不加堊焉幸矣 卽設詩板親自跋之 囑三剛勿令墮失
湍州の北の仰岩寺は都から遠くなく、山は奇しく水は異なって、奥深く奇なる趣が遥かに広がっている。私は隴西の湛之とかつてここで書を読んだ。日が暮れるたびに欄干にもたれて目を遊ばせたが、漁り火が明滅し、雲が浮かび煙が淡く、茅屋が連なって、まるで武陵の桃源の上にいるようであった。
帰ろうとすると、寺の主の老人が衣の裾を取って一字でも残してほしいと切に請うたので、壁に書きつけた。
前は碧い波を抑え、後ろは青い岩 ものさびしい葦に半ばは松と杉 謝公の遊ぶ興はただ一対の木履 張翰の帰る心は一帆に満ちる ただ緱山で白い鶴に鞭をあてようとするばかり 湓浦で青い衫を濡らすことはない 十洲三島をあまねく遊び巡ったのだから 自ら恥ずかしい、飄然として骨が凡を脱したというのが
その後二十年して、子真が南の州を巡察に出たが、歩き疲れてこの寺に入って休んだ。その詩を書いた壁は半ば崩れ、塵がつき苔が食んで、字はほとんど読めなかった。かたわらの人に「簾で覆って守れなかったとしても、白土を塗らなかっただけでも幸いだ」と言い、すぐに詩板を作って自ら跋を書き、寺の三つの役の者に託して落として失わぬようにさせた。
原宵黼座前 設縫紗燈籠 命翰林院製燈籠詩進呈 使工人用金薄剪字帖之 皆賦元宵景致 明王時 僕入侍玉堂 卽製進云 風細不敎金嬧落 更長漸見玉虫生 須知一片丹心在 欲助重瞳日月明 上大加稱賞 是後皆詠燈 自僕始
上元の夜、御座の前に縫った紗の灯籠を掛け、翰林院に灯籠の詩を作って奉らせ、工人に金箔を切って字を貼らせたが、皆が上元の景趣を詠んだ。
明王のとき、私は玉堂に入って仕え、すぐに作って奉った。
風が細いので金の花を落とさせず 夜が長いので次第に玉の虫の生じるのを見る 知ってほしい、一片の丹心があって 重い瞳の日月のような明るさを助けようとすることを
上は大いにお褒めになった。これより後は皆が灯を詠んだが、私から始まったのである。
昔仁王初 許平章洪材 以金榜首入侍玉堂 毅王卽祚 劉公羲 黃公彬然 相繼而入 明王在宥 李公純祐先鳴 僕以不才繼之於後 近有金公君綏 亦踵僕而入焉 僕以一絶賀之 十載含毫演帝綸 多君繼入玉堂春 如今始識花磚貴 共是龍門第一人
昔、仁王の初めに許平章洪材が科挙の首席として玉堂に入って仕え、毅王が位に即くと劉公羲と黄公彬然が相次いで入り、明王が治めたときに李公純祐が先に名を鳴らし、私が才もないままその後を継いだ。近ごろ金公君綏もまた私の後を踏んで入ったので、私は絶句一首で祝った。
十年、筆を含んで帝の詔を述べてきたが そなたが相次いで玉堂の春に入るとは いまこそ花の磚の貴さを知る ともに竜門の第一の人なのだ
樞府金立之 詞翰外尤工墨君 嘗以湘岸兩叢 獻大宗伯崔相國 作一絶謝之 先帝當年稱活竹 幾回相憶謾含情 兩叢忽向西軒立 只恐根株發地生 金壯元君綏卽其子也 得其家法甚妙 僕往與君綏同在察院 院中有素屛一張 諸公請寫一枝使僕跋之 卽題云 雪堂居士以詩鳴 墨戱風流亦寫生 遙想江南文笑笑 應分一派寄彭城
枢府の金立之は詩文や書のほかに、墨で描く竹にとりわけ巧みであった。かつて湘岸の二叢を大宗伯の崔相国に献じたので、相国は絶句一首を作って礼を述べた。
先帝はその年、生きた竹だと言われた 幾たび互いに思い、いたずらに情を含んだことか 二叢がふと西の軒に向かって立つ ただ根が地から生え出るのが恐ろしい
金壮元の君綏はすなわちその子である。その家の法を得てまことに妙であった。私は以前、君綏とともに察院にいたが、院の中に白い屛風が一帖あった。諸公が一枝を描かせ、私に跋を書かせたので、すぐに書きつけた。
雪堂居士は詩で名を鳴らし 墨の戯れの風流もまた生を写した 遥かに江南の文笑笑を思えば まさに一派を分けて彭城に寄せたのだろう
碧蘿老人 嘗以睡居士所畵墨竹小屛贈僕 題白傳詩一句於後云 管領好風烟 欺凌凡草木 筆跡尤奇妙 僕嘗學之 遇紙素屛幛無不揮灑 自以謂得其髣髴 故作詩云 餘波猶及碧琅玕 自恐前身文笑笑 然僕誠不工 僅得形似耳 堂兄千林堂頭 以紙屛求之 僕伹寫一枝 橫愕四幅 而不及葉 有一畵史見之曰 此枝節非庸流所能 有東山墨戱風骨 迴安八九葉於其間 便有蕭然氣勢 昔播岳得樂廣之旨 緝成名筆 鄭國之令東里 猶潤色之 今視竹也 亦彫啄之餘盤薄之巧 相資而成 脗然若出於鐪錘之一手 可謂凝神矣 有讚之者曰 乾坤一氣 胡越同心 衆妙之極 無跡可尋 僕嘗於貴家壁上 見草書二簇 烟薰屋漏 形色頗奇古 其詩云 紅葉題詩出鳳城 淚痕和墨尙分明 御遘流水渾無賴 漏洩宮娥一片情 座客皆聚首僕手痕也 客愕然曰 殘慊敗素寒 具留痕 似非近古物 僕曰佌僕詠史詩中一篇也 僕非自作 未嘗筆作草
碧蘿老人がかつて睡居士の描いた墨竹の小屛風を私に贈り、白楽天の詩の一句をその後ろに書きつけた。「よい風と煙を従え、凡の草木を見下す。」筆の跡がとりわけ奇しく妙であった。
私はかつてこれを学び、紙でも白い屛風でも筆を振るわないところがなく、自らその似姿を得たと思ったので詩を作った。「余波がなお碧い琅玕に及ぶ、自ら恐れる、前身が文笑笑であったかと。」しかし私はまことに巧みではなく、やっと形が似ているだけであった。
従兄の千林堂頭が紙の屛風に描いてほしいと請うたので、私はただ一枝を描いたが、四幅に斜めに伸ばしたばかりで葉には及ばなかった。一人の画史がこれを見て言った。
「この枝の節は並みの者にできることではない。東坡の墨の戯れの骨柄がある。」
そして八、九枚の葉をその間に置くと、たちまちものさびしい気勢が生じた。
昔、潘岳は楽広の意を得て名文を綴り、鄭国の辞令は東里の子産がさらに潤色した。いまこの竹を見ると、やはり彫り刻む働きと広く延ばす巧みさが助け合って成り、まるで一つの手の炉と槌から出たかのように継ぎ目がないのだから、精神が凝ったと言えよう。これを讃える者があって言った。「天と地は一つの気、胡と越は心を同じくする。衆妙の極みであって、跡をたどるべきところがない。」
私はかつて貴い家の壁の上で草書二幅を見たが、煙に燻され屋根が漏れて、形も色もかなり奇しく古びていた。その詩にこうあった。
赤い葉に詩を書いて鳳城を出ると 涙の跡が墨と混じってなお明らかだ 御溝の流れる水はまるで頼りにならず 宮女の一片の情を漏らしてしまった
座の客は皆が頭を寄せた。私の手の跡であった。客は愕然として言った。
「破れた絹は冷えて跡だけが残っていますから、近ごろの物ではないようです。」
私は言った。
「これは私が史を詠んだ詩の中の一篇だ。私が自ら作ったものでもなく、筆で草書を書いたこともない。」
天水亦樂 將梁州倅 僕與子眞 冒曉到天壽寺門輚之 亦樂爲友人所牽挽 日午尙未到 二人者緩步訪一僧舍闃然無人 僕偶以淡墨題板鼻云 待客客未到 尋僧僧亦無 唯餘林外鳥 疑曲勸提壺 其後二十餘年 於子眞家見一僧 道貌魁然不凡 緝僕曰 曾蒙寵示佳篇 姑此奉謝 僕惘然不測 僧誦此詩云 我是當時主院者也 相與大噱 遂附家集云
天水の亦楽が梁州の副使になって行こうとしたので、私と子真は夜明けをついて天寿寺の門に至り、見送ろうとした。亦楽は友人に引き留められ、真昼になってもまだ来なかった。二人はゆっくり歩いて一つの僧坊を訪ねたが、静まり返って人がいなかった。私はたまたま薄い墨で板の端に書きつけた。
客を待つのに客は来ず 僧を尋ねるのに僧もいない ただ林の外の鳥だけが残って 酒壺を提げよと勧めるかのようだ
その後二十年あまりして、子真の家で一人の僧を見たが、道人の姿が堂々として非凡であった。かれは私を引き留めて言った。
「かつてよい詩篇をお示しいただきましたので、ここに謹んで礼を申します。」
私はぼんやりとして思い当たらなかったが、僧はこの詩を口ずさんで言った。
「私はあのときの寺の主です。」
互いに大いに笑った。そこで家の文集に付しておく。
智異山或名頭留 始自北朝白頭山而起 花峯蕈谷緜緜聯聯 至帶方郡 磻結數千里 環而居者十餘州 歷旬月可窮其際畔 古老相傳云 其間有靑鶴洞 路甚狹襝通人行 俯伏經數里許 乃得虛曠之境 四隅皆良田沃壤宣播植 唯靑鶴樓息其中 故以名焉 盍古之遁世者所居 頹垣壤蹔猶在荊棘之墟 昔僕與堂兄崔相國 有拂衣長往之意 乃相約尋此洞 將以竹籠盛牛犢兩三以入 則可以與世俗不相聞矣 遂自華嚴寺至花開縣 便宿神興寺 所過無非仙境 千嚴競秀 萬壑爭流 竹籬茅舍 桃杏掩映 殆非人間世也 而所謂靑鶴洞者 卒不得尋焉 因留詩嚴石云 頭留山迴暮雲低 萬壑千巖似會稽 策杖欲尋靑鶴洞 隔林空聽白猿啼 樓臺標緲三山遠 苔蘚微茫四字題 試問仙源何處是 落花流水使人迷 昨在書樓偶閱五柳先生集有桃源記 反復視之 盖秦人厭亂 携妻子幽深險僻之境 山迴水複樵蘇不可得到者以居之 及晉太元中 漁者幸一至 鮿忘其途不得復尋耳 後世丹靑以圖之 歌詠以傳之 莫不以桃源爲仙界 羽車飇輪長生久視者所都 盖讀其記未熟耳實與靑鶴洞無異 安得有高尙之士如劉子者 一往尋焉
智異山は頭留ともいう。北朝の白頭山から起こり、花の峰と茸の谷が連なり続いて帯方郡に至り、蟠り結んで数千里に及ぶ。周りに住む者は十州あまりで、十日か一月を経てやっとその果てを尽くすことができる。
古老が語り伝えて言った。
「その間に青鶴洞があって、道がはなはだ狭く、やっと人が通れるほどである。腹ばいで数里ばかり過ぎると、広く開けた地に出る。四隅はみな良い田の肥えた土で、種を蒔き植えるのに適している。ただ青い鶴だけがその中に棲むので、それによって名づけた。おおむね昔、世を遁れた者が住んだ所であって、崩れた垣と壊れた址がいまも茨の藪の中にある。」
昔、私は従兄の崔相国と衣を払って遠く去る志があり、互いに約してこの洞を尋ね、竹の籠に子牛を二、三頭入れて入れば、世俗と行き来を絶てるだろうと言った。そこで華厳寺から花開県に至り、神興寺に宿った。通る所はどこも仙境でないところがなく、千の岩が競ってそびえ、万の谷が争って流れ、竹の垣と茅屋に桃と杏が映って、ほとんど人の世ではなかった。しかし、いわゆる青鶴洞はついに尋ね当てられなかった。そこで岩に詩を残した。
頭留山は遥かで夕べの雲は低く 万の谷と千の岩は会稽のようだ 杖をついて青鶴洞を尋ねようとしたが 林を隔てていたずらに白い猿の鳴くのを聞くばかり 楼台はかすかで三山は遠く 苔はほのかで四つの字が記されている 問うてみよう、仙の源はどこにあるのか 散る花と流れる水が人を惑わせる
昨日、書楼でたまたま五柳先生集を開いて「桃源記」を見、繰り返し眺めた。おおむね秦の人が乱を厭い、妻子を連れて深く険しい僻地に入り、山が巡り水が重なって樵も至れない所に住みついたのである。晋の太元年間に至って漁師が幸いに一度たどり着いたが、ふとその道を忘れて再び尋ねられなかっただけのことだ。
後の世の人は絵に描き歌に伝えて、桃源を仙界、羽の車や旋風の輪で長く生き久しく見る者たちの都する所としない者がない。おおむねその記をよく読まなかっただけであって、実は青鶴洞と変わらない。どうすれば劉子驥のような高く志ある士を得て、一度行って尋ねてもらえるだろうか。
門生之於宗伯也 以文章被鑑識 特達於靑雲 古人所謂期牙相遇 是以位雖至鈞衡 猶居子阯行 不敢與之抗禮 昔後唐斐魄在同光中 三知貢擧 門生馬聣孫掌試 引新榜諸生往謁 作一絶云 三主禮闡年八十 門生門下見門生 本朝光王時 始以詩賦取士 然未嘗有宗伯得見門生掌選者 至明王初 學士韓彦國 率門生謁崔相國惟淸 亦作詩云 綴行相訪我何榮 喜見門生門下生 此雖據斐公舊例 聞者皆以謂盛集 今上踐昨八年 趙司成冲 亦引門生詣任相國濡第陳謝 而公以冡宰尙在中書 古今所未有 奇哉 作詩以記卓異 十年黃閣佐昇平 三闢春闈獨繵盟 國士從來酬國士 門生今復得門生 風雲變化混棚擊 布葛繽紛鶘魯明 金掖一盃公萬壽 玉笙宣明喜遷鶯
門生が宗伯に対するのは、文章によって見識を受け、特に青雲に達したからであって、古人のいわゆる伯牙と鍾子期が出会ったようなものである。それゆえ位がたとえ宰相に至っても、なお子弟の列にあって、敢えて対等の礼を取らない。
昔、後唐の裴皞が同光年間に三たび科挙を司り、門生の馬裔孫が試験を司って新しく及第した諸生を率いて拝謁したところ、絶句一首を作った。
三たび礼闈を主って年は八十 門生の門下で門生を見るとは
本朝では光王のときに初めて詩と賦で士を取ったが、宗伯が門生の試験を司るのを見たことはいまだなかった。明王の初めに至って、学士の韓彦国が門生を率いて崔相国惟清に拝謁し、やはり詩を作った。
連れ立って訪ねてくるとは、私は何と栄えあることか 喜ばしい、門生の門下生を見るとは
これは裴公の古い例に拠ったものだが、聞く者は皆、盛んな集いだと言った。
今上が位に即かれて八年、趙司成冲もまた門生を率いて任相国濡の邸に進んで礼を述べたが、公は冢宰としてなお中書にいたのだから、古今いまだなかったことである。奇しいことだ。詩を作ってその際立ったさまを記す。
十年、黄閣にあって太平を助け 三たび春の科挙を開いて独り盟いを継がれた 国士は古来、国士に報いるもの 門生がいま再び門生を得たのだ 風と雲が変化して棚が入り混じってぶつかり 布と葛の衣が入り乱れて魯を明るくする 金掖の一杯で公の万寿を祈り 玉の笙が明るく鳴り、鶯の移るのを喜ぶ
回文詩起齊梁 盖文字中戱耳 昔竇稻妻織錦之後 杼袖猶存 而宋三賢亦皆工焉 南徐集中所載盤中禮 雖連環讀之可以分四十首 其韻尙諧 然血脈不相聯 本朝學士李知深 感秋作雙酌回文詩頗工 散暑知秋旱 悠悠稍感傷 亂松靑盖倒 流水碧蘿長 岑遠凝烟皜 樓高散吹涼 半天明月好 幽室照輝光 僕亦効其體獻時宰云 早學九遊宦 詩成謾苦辛 老懷春𠡐亂 衰鬢曉霜新 倒甑朝炊斷 饑腸夜孔藩 報恩心欸欸 誰是救枯鱗 夫回文者 順讀則和易 而逆讀之亦無聲牙艱澁之態 語意俱妙 然後謂之工
回文の詩は斉と梁に起こったもので、おおむね文字の中の戯れである。昔、竇滔の妻が錦を織って以来、その杼と袖はなお残り、宋の三賢もみなこれに巧みであった。南徐集に載る盤中の礼は、環のように連ねて読めば四十首に分けられ、その韻もまた調ってはいるが、血脈が互いに続いていない。
本朝の学士、李知深が秋に感じて作った双酌の回文詩はかなりよくできている。
暑さが散って秋の早く来たのを知り 遥かにいささか心が痛む 乱れた松は青い日傘を逆さに立て 流れる水には碧い蔦が長い 遠い峰には煙が凝って白く 高い楼には涼しい風が散る 天の半ばに明るい月がよく 奥深い室を照らして輝く
私もその体にならって当時の宰相に奉った。
早くから学んで九年、官に遊んだが 詩を成そうとしていたずらに苦しんだ 老いた思いは春が暮れて乱れ 衰えた髪は暁の霜に新しい 甑を伏せて朝の炊ぎは絶え 飢えた腸は夜にいっそう騒がしい 恩に報いる心は切なるが 誰が乾いた魚を救ってくれようか
そもそも回文とは、順に読めば調って易しく、逆に読んでもたどたどしく滞る様子がなく、言葉も意も共に妙であってこそ、よくできたというのである。
菊有品揮至多 誰不可數 須以黃爲正色 故古人云 五色中偏貴 千花後獨尊 昨詣崔齺府第 後庭黃花正盛 金色奪目 公指之曰遲公欲煩一吟 今已晩更卜他日 酒數酌而出 偶於馬上得長句 將以獻之 漢池瑞鴣禔初刷 洛妃歸去塵生襪 須知仙格老不枯 蕭蕭金風入花骨 餘姸挽得三春回 詩人喜見一枝折 泛泛金觴待後期 侯家不怕氷霜冽
菊は品種がきわめて多く、誰も数え尽くせないが、やはり黄色を正しい色とする。それゆえ古人は「五色の中で偏って貴く、千花の後に独り尊い」と言った。
昨日、崔枢府の邸に参ったところ、裏庭の黄の花が真っ盛りで、金の色が目を奪った。公が指して言った。
「公を待って一度詠んでいただこうと思っていました。もう暮れてしまったので、改めて別の日にしましょう。」
酒を二、三杯飲んで出た。たまたま馬の上で長句を得たので、これから奉ろうと思う。
漢の池の瑞かな鴨が初めて羽を洗い 洛水の妃が帰って襪に塵が立つ 知ってほしい、仙の格は老いても枯れず ものさびしい金の風が花の骨に入ることを 残った美しさを引いて三春を呼び戻すので 詩人は一枝の折られるのを喜んで見る ゆらゆらと金の杯で後の約束を待つ 侯の家は氷と霜の厳しさを恐れない
睿王天性好學尊尙儒雅 特開靑宴閣 日與學士討論墳典 嘗御莏樓 前有木芍藥盛開 命禁署諸儒 刻燭賦七言六韻詩 東宮寮佐安寶麟爲之魁隨科級恩列尤厚 時康先生日用 詩名動天下 上心佇觀其作 燭垂盡欃得一聯 袖其紙伏御褠中 上命小黃門遽取之 題云 頭白醉翁看殿後 眼明儒老倚欄邊 其用事精妙如此 上歎賞不已曰此古人所謂 臼頭花鈿滿面 不若西施半粧 慰諭遣之 今擬補亡一朶桃紅直萬錢 輕陰正値養花天 仙粧不借臙脂染 春信先憑羯鼓傳 楚俗芳辰臨百五 漢宮新寵冠三千 朝因日照先廻醉 夜怕風寒不肯眠 頭白云云 燭華漸盡吟彌苦 擷得餘姸入一聯 詩之巧拙不在於遲速先後 然唱者在前 和之者 常在於後 唱者 優遊閑暇 而無所迫 和之者 未免牽强墮險 是以繼人之韻 雖名才往往有所不及 理固然矣 楚老見眉山賦雪叉字韻詩 愛其能用韻也 先作一篇和之 其心猶未快 復以五篇繼之 雖用事愈奇 吐詞愈險 欲以奇險壓之 然未免如前之累 兵法曰 寧我迫人 無人迫我 信哉 今朝登書樓雪始霽 因憶兩老詩 和成二篇 僕亦未免於牽强 觀者宜恕之 千林欲瞑己棲鴉 燦燦明珠尙照車 仙骨共驚如處子 春風無計管狂花 聲迷細雨鳴窓紙 寒引羈愁到酒家 萬里都盧銀作界 渾敎路口沒三叉 霽色稜稜欲曉鴉 雷聲陣陣逐香車 寒侵綠酒難生暈 威逼紅燈未放花 一棹去時知客興 孤烟起處認山家 閉門高臥無人到 留得銅錢任畵叉
睿王は生まれつき学を好み、儒雅を尊んで、特に清宴閣を開き、日々学士とともに古の典籍を論じ合った。
かつて莏楼に出御したが、前に木芍薬が真っ盛りに咲いていたので、禁署の諸儒に命じ、蝋燭に刻みを入れて七言六韻の詩を作らせた。東宮寮佐の安宝麟が首席となり、等級に従って恩賞の列もいっそう厚かった。
そのころ康先生日用は詩名が天下を動かしていたので、上の御心はその作を見ようと待っておられた。蝋燭が尽きようとするころ、ようやく一聯を得て、その紙を袖に入れて御座の中に伏した。上が小黄門に命じて急ぎ取り寄せられると、こう書かれていた。
頭の白い酔った翁が殿の後ろを見て 目の明るい儒の老人が欄干のそばにもたれる
その事を用いる精緻さと妙さはこのようであった。上は感嘆して賞することをやめず、こう言われた。
「これが古人のいわゆる『臼のような頭に花の簪が顔いっぱいなのは、西施の半ば化粧したのに及ばない』ということだ。」
慰めの言葉をかけて帰された。いまその欠けたところを補ってみる。
一朶の桃の紅は万銭に値し 薄い陰がまさに花を育てる空に当たる 仙の化粧は紅を借りて染めず 春の信はまず羯鼓に頼って伝わる 楚の風俗の芳しい時は百五に臨み 漢の宮の新しい寵は三千に冠たり 朝は日が照って先に酔いが回り 夜は風の寒さを恐れて眠ろうとしない (頭の白い……欄干のそばにもたれる) 蝋燭の光が次第に尽きて吟ずるのはいっそう苦しく 残った美しさを摘んで一聯に入れた
詩の巧拙は遅速や先後にあるのではない。しかし唱える者が先にあり、和する者はつねに後にある。唱える者はゆったりと暇があって追われるところがなく、和する者は無理に引かれて険しきに落ちることを免れない。それゆえ人の韻を継ぐのは、たとえ名ある才でも時として及ばないところがある。理はまことにそのとおりだ。
楚老は眉山の「雪」の叉字韻の詩を見て、その韻の用い方を愛し、まず一篇を作って和したが、その心はなお晴れず、さらに五篇を継いだ。事を用いるのはいよいよ奇しく、言葉を吐くのはいよいよ険しく、奇と険で圧しようとしたが、やはり先のような難を免れなかった。兵法に「むしろ我が人を迫るとも、人に我を迫らせるな」とあるが、まことにそのとおりだ。
今朝、書楼に上ると雪がようやく晴れた。そこで二人の老人の詩を思い、和して二篇を成した。私もまた無理に引かれることを免れなかったので、見る者はよろしく許してほしい。
千の林が暮れようとして烏はもう塒に入り 燦々と明るい珠がなお車を照らす 仙の骨がともに驚くとは処女のようで 春の風は狂う花を治める手だてがない 声は細い雨に紛れて窓の紙を鳴らし 寒さは旅の憂いを引いて酒家に至る 万里がすべて銀で境を成し どの辻からも三つの叉を消してしまった
晴れた色は冷え冷えとして暁の烏を呼ぼうとし 雷の声は陣々として香る車を追う 寒さが緑の酒に染みて酔いは回りにくく 威が紅い灯を迫って花を咲かせない 一棹で去るときに客の興が知られ 孤り煙の立つ所に山の家を見分ける 門を閉じて高く臥せば訪れる人もなく 銅の銭を残して絵の叉に任せる
毅王初 靑郊驛吏養一靑牛 狀貌特異 獻諸朝 上命近署詞臣賦詩占韻 而韻險峭 莫不有難色 東館金孝純爲第一 玉堂愼應龍次之 金云鳳慚覽德來巢閣 馬愧儲精上應房 愼云 叩角昔嗟逢寗子 釁鍾今免過齊堂 上讀之數四曰 使事雖工 而語頗涉不恭 故以爲亞 因賜上尊酒 疋帛各有差 而西河林宗庇亦才士也 聞之歎曰 使我得預其席 當曰桃林春放踏紅房 竟未得其對今追續之 銀河水渚隨仙女 黑牧丹花到雪堂 函谷曉歸浮紫氣 桃林春放踏紅房
毅王の初め、青郊駅の吏が青い牛を一頭飼っていたが、姿が格別に異なっていたので朝廷に献じた。上は近い役所の文の臣に命じて詩を作らせ、韻を割り当てさせたが、韻が険しく尖っていて、難しい顔をしない者がなかった。
東館の金孝純が第一となり、玉堂の慎応竜がその次であった。金は「鳳は徳を見て来て閣に巣くうのを恥じ、馬は精を蓄えて上の房星に応ずるのを恥じる」と言い、慎は「角を叩いて昔は寗子に逢ったのを嘆き、鐘に血を塗る事はいま斉の堂を過ぎることで免れた」と言った。
上は三、四たび読んで言われた。
「事の用い方は巧みだが、言葉がかなり恭しくないところに触れている。それゆえ次位とする。」
そして上尊の酒と絹を差をつけて賜った。
西河の林宗庇もまた才ある士であったが、これを聞いて嘆いて言った。
「私にその席に加わらせてくれたなら、まさに『桃林に春が放たれて紅い房を踏む』と言ったであろうに。」
ついにその対を得られなかったので、いま継いで補う。
銀河の水辺で仙女に従い 黒い牡丹の花が雪堂に至る 函谷に暁に帰れば紫の気が浮かび 桃林に春が放たれて紅い房を踏む
琢句之法 唯少陵獨盡其妙 如日月籠中鳥 乾坤水上萍 十暑眠山葛三霜楚戶점之類是已 且人之才如器皿方圓 不可以該備 而天下奇觀異賞 可以悅心目者甚夥 苟能才不逮意 則譬如駑蹄臨燕越千里之途 鞭策雖勤 不可以致遠 是以古之人 雖有逸才 不敢妄下手 必加鍊琢之工 然後足以垂光虹蜺輝央千古 至若旬鍛季鍊朝吟夜諷 撚鬚難安於一字 彌年只賦於三篇 手作敲推 直犯京尹 吟成大瘦 行過飯山 意盡西峰 鍾撞半夜 如此不可縷擧 及至蘇黃 則使事益精 逸氣橫出 琢句之妙 可以與少陵幷駕 本朝學士黃元題郡齋云 山城雨惡還成雹 澤國陰多數放虹 李紫薇純祐出鎭關東云 細柳營中新上將 紫薇花下舊中書 吾友耆之贈僕云 風急溟鵬從北徙 月明驚鵲未安枝 榮陽補闕 偶遊天磨山八尺房 竟夕苦吟未能屬思 詰旦方廻 緩轡行吟 比至都門乃得一聯云 石頭松老一片月 天末雲低千點山 策蹇而返 手撼門鈕 直入院中 奮筆題于壁還 康先生日用 欲賦鷺鷥 每冒雨至天壽寺南溪上觀之 忽得一句云 飛割碧山腰 乃謂人曰今日始得到古人所不到處 後當有奇材能續之 僕以爲此句誠未能卓越前輩 而云爾者 盖由苦吟得就耳 僕爲之補云 占巢喬木頂 飛割碧山腰 夫如是一句置全篇中 其餘粗備可也 正如珠草不枯 玉川自美 牛後敎坊花原玉小字 色藝爲一時冠 黃壯元作牛後歌 其略云 應恨蛾眉馬前死 欲敎返是名牛後 劉壯元羲云 牛心只合供羲之 吾友耆之云 只應天上隨牽牛 故以牛後爲名字 請僕同賦 君不見石崇騎牛迅若飛 綠珠艶質芝蘭秀 又不見魏公騎牛行讀書 雪兒妙唱雲霄透 自古綺羅人 例合居牛後 持此問牛後 得稱汝意否 嫣然含笑微俛首 一曲千金爲我壽
句を琢く法は、ただ杜少陵だけが独りその妙を尽くした。「日と月は籠の中の鳥、乾と坤は水の上の萍」とか、「十たびの暑さに岷山の葛、三たびの霜に楚の家の砧」といったものがそれである。
また人の才は器の方と円のようで、すべてを備えることはできないのに、天下の奇しい眺めと異なる楽しみで心と目を喜ばせうるものは、はなはだ多い。まことに才が意に及ばなければ、たとえば鈍い馬の蹄で燕と越の千里の道に臨むようなもので、鞭打つことがいかに勤めでも遠くには至れない。
それゆえ古の人はたとえ逸した才があっても、敢えてみだりに手を下さず、必ず錬り琢く工を加えてこそ、光を虹にかけ千古に輝かせることができた。十日に鍛え季ごとに錬り、朝に吟じ夜に諷ずるに至っては、鬚を撚って一字に落ち着きがたく、年を越してもわずか三篇を賦するばかりであり、手で「敲くか推すか」を作っていてそのまま京尹を犯し、吟じて大いに痩せ、歩いて飯山を過ぎ、意が西の峰で尽きるや鐘が夜半に撞かれた。このようなことは一つ一つ挙げきれない。蘇軾と黄庭堅に至っては事の用い方がいよいよ精しく、逸した気が横に溢れて、句を琢く妙は杜少陵と並んで駆けるに足る。
本朝の学士、黄元は郡の斎に「山城は雨が荒くてかえって雹になり、沢の国は陰が多くてしばしば虹を放つ」と書き、李紫薇純祐は関東に出て鎮めることになり「細柳営の中の新しい上将、紫薇の花の下の旧い中書」と言った。わが友の耆之は私に贈って「風が急なので遥かな鵬は北から移り、月が明るいので驚いた鵲は枝に落ち着けない」と言った。
栄陽の補闕がたまたま天磨山の八尺房に遊び、夕べの尽きるまで苦しく吟じたが思いを継げず、朝になってやっと帰る道で手綱を緩め、歩きながら吟じた。都の門に至ってようやく一聯を得て「石の頭に松が老いて一片の月、天の果てに雲が低く千点の山」と言った。足の悪い馬に鞭をあてて戻り、手で門の鈕を揺らしてまっすぐ院の中に入り、筆を振るって壁に書きつけて帰った。
康先生日用は鷺を詠もうとして、雨をついて天寿寺の南の渓に至って見ることを重ね、ふと一句を得た。「飛んで碧い山の腰を割る。」そこで人々に言った。
「今日こそ初めて古人の至らなかった所に至った。後にきっと奇しい材があって継げるだろう。」
私はこの句がまことに先輩を越えてはいないと思うが、そう言ったのは、おおむね苦しく吟じて得たことから来るだけである。私はこれを補って「高い木の頂に巣を占め、飛んで碧い山の腰を割る」と言った。そもそもこのような一句を一篇の中に置けば、その残りは粗く備わっていてもよい。まさに珠の草が枯れず、玉川が自ずから美しいのと同じである。
牛後は教坊の花原玉の幼いころの名であるが、色も芸も一時の冠であった。黄壮元が「牛後の歌」を作り、その大略に「おそらく美しい眉が馬の前で死んだのを恨んで、かえって牛後という名を得させたのだろう」と言い、劉壮元羲は「牛の心はただ羲之に供えるのがふさわしい」と言い、わが友の耆之は「ただまさに天の上で牽牛に従うのだろう」と言った。それゆえ牛後を名としたのである。
私にもともに作ってほしいと請うたので作った。
そなたは見ないか、石崇が牛に乗って走るのが飛ぶように速く 緑珠の艶やかな姿が芝と蘭のように秀でていたのを また見ないか、魏公が牛に乗って行きながら書を読み 雪児の妙なる歌が雲の空を貫いたのを 古より綺羅をまとう人は 例として牛の後ろにいるもの これを持って牛後に問えば そなたの意に適うと言えるだろうか にっこりと笑みを含んでそっと首を垂れ 一曲を千金として私のために寿を祝う
昔僕出佐桂陽 承廉使符 到龍山宿韓相國彦國書齋 峰巒盤屈狀若蒼蛇 而齋正據其額 江流至其下分爲二派 江外有遙岑 望之如山字 僕朗吟而起 信筆題于壁云 二水溶溶分燕尾 三山杳杳駕鰲頭 他年若許陪鳩杖 共向蒼波狎白鷗 天水亦樂 則韓相國門生也 謁相國酒行誦此詩 相國停杯吟諷 乃曰漢陽之遊計今已五十年矣 聞此一句 其山光水色歷歷如在眼前 此古人所爲詩中畵也
昔、私が桂陽の佐に出たとき、廉使の公文を受けて竜山に至り、韓相国彦国の書斎に宿った。峰が蟠り曲がって姿は青い蛇のようで、斎はまさにその額を占めており、川の流れがその下に至って二つに分かれ、川の向こうに遠い峰があって眺めると山の字のようであった。私は朗々と吟じて立ち上がり、筆の運ぶままに壁に書きつけた。
二つの水が滔々と燕の尾に分かれ 三つの山が遥かに鼇の頭に乗る 後の年にもし鳩の杖にお供できたなら ともに碧い波に向かって白い鴎と親しもう
天水の亦楽は韓相国の門生である。相国に拝謁し、酒が回るときにこの詩を口ずさむと、相国は杯を止めて吟じ、こう言った。
「漢陽の遊びは数えてみればもう五十年になる。この一句を聞くと、その山の光と水の色がありありと目の前にあるかのようだ。これが古人のいわゆる詩の中の絵というものだ。」
皇統三年癸亥四月日 承宣金奉聖旨 令兩令公受命到日月寺樂聖齋學堂 與諸生講習 至閏四月初八日聯句 內侍崔山甫占溪字卽云 溪溜潺湲常學海 明宗夢魂驚越喜瞻天 金淑淸又占絲字卽云 絲直垂楊春陌上 明宗眉鮮新月暮雲端 金子稱溪水鳴林來遠洞 上令公山雲觸石藹高峰 今尙純峰巒點點森戈戟 上令公楊柳依依卦線絲 翌日入內御覽
皇統三年癸亥四月のある日、承宣の金が上の旨を奉じ、二人の令公に命を受けた日に日月寺の楽聖斎の学堂に至って、諸生とともに講習させた。閏四月八日に至って聯句を作った。
内侍の崔山甫が「渓」の字を取ってすぐに「渓の流れはさらさらといつも海を学ぶ」と言うと、明宗は「夢の魂が驚いて、越えて天を仰ぐのを喜ぶ」と言った。
金淑清がまた「糸」の字を取ってすぐに「糸のように直な垂れ柳が春の畔の上にある」と言うと、明宗は「眉のように鮮やかな新月が暮れの雲の端にある」と言った。
金子称が「渓の水が林を鳴らして遠い洞から来る」と言うと、上令公は「山の雲が石に触れて高い峰に茂る」と言った。
今尚純が「峰ごとに点々と戈と戟が茂る」と言うと、上令公は「柳が垂れて糸を掛けたようだ」と言った。
翌日、内に入れて上が御覧になった。