巻中破閑集 卷中
智者見於未形 愚者謂之無事 泰然不以爲憂 及乎患至 然後雖焦神勞力思欲救之 奚益於存亡成敗數哉 此扁鵲所以不得救桓侯之疾也 昔漢文時 海內理安 人民殷阜 而賈誼爲之痛哭 唐文皇自創業之後 日益戒懼未嘗少怠 而爲徵猶陳十漸 故傳曰 諫者救其源 不使得開 戒氷於霜 杜玉盃於漆器 昔毅王籍數十世豊平至理之業 居位日久 事無不擧皆以謂太平之業 安於泰山 莫敢有言之者 正言文克謙 直叩天扉 上皀襄一封 而所言皆中時病 人謂之鳳鳴朝陽 天聽未允 公脫朝衣還家作詩云 朱雲折欖非干譽 袁盎當車豈爲身 一片丹誠天未照 强鞭嬴馬退逡巡 及明王踐阼 擢居喉舌地 國家安危 人民利病 士大夫之賢不肖 盡達於天聰無一毫底滯 至今隣邦結好中外晏然無患 實公之力也 公位冢宰 薦僕入侍玉堂踰年 公卒作挽云 早從閶闔排雲呌 晩向虞淵取日廻 丹鳳久從池上浴 白鷄胡奈夢中催 時人以謂 公之立朝大節終始 無出此二句 雖謂之實錄可也 昨過公舊墅 草樹蒼然 有泉出於石縫 素所遊宴處也 悵然徘徊不能去 作詩留壁上 岩下冷冷水 沿洄若有思 誰知氷雪派 尙帶鳳凰池 東閣重窺處 西門欲暮時 題詩留半壁 略遣九泉知 摳府金富儀 侍中文烈公弟也 並以文章功業顯 嘗杖節中朝 眞宗愛其才 殊以禮遇之 忽有二客到舘小飮 令曰天上有三百六十度 星有牽牛 次曰碁中有三百六十舍 有馬無牛 公卽曰年中有三百六十日 立春日用土牛 合座皆服其敏 嘗侍宴方醉 皇帝以長句六韻示之 遣中人敦促令和進 公畧不構思 援筆立就 其畧云 沉香亭畔聞新曲 立禮門前賀太平 無路小酬天地德 唯將醉筆謝生成 帝嗟賞不已 賜與尤厚 及徽宗末年金人陷汴京 虜二帝北旋 康王襲寶位 遣使人楊應誠來聘 請假途往問二帝行在所 而朝議牢執不許 命公作表以答之 天地仁 各令萬物以咸遂 帝王之德 不責衆人之所難 又云彼衆我寡 旣難可以與爭 脣亡齒寒 又焉知其非福 又云率諸侯而尊周王 非敢期齊晉之古事 任闕土而作禹貢 庶勿失靑徐之舊儀 文烈公先入中書 以故在摳府十餘年 性嗜讀書 開別室常與士大夫討論文章 雖妻妾稀見其面 及寢疾 有朝士夢馬糞自雲間而下 問云今日金樞密賓天衣 世以謂天星之精 富貴家兒非生得而性好 則罕有工文章者 金樞密闡有蕭氏之八葉之貴 棄執綺舊習 竟日危坐看書 不好爲詞章 及其有所作 則必滌筆於氷甌中然後爲之 故篇什未得多傳於世 而所傳者 必警策也 如乘軺歷鹽州客舍題一絶云 鴦衾無夢夜厭厭 凉月多情照畵簷 喚作鹽州眞大誤 一州風物摠無鹽
智ある者は形を成す前に見るが、愚かな者は何事もないと言って泰然と憂いにしない。患いが至ってから、いかに精神を焦がし力を尽くして救おうと思っても、存亡成敗の運にどれほどの助けになろうか。これが扁鵲が桓侯の病を救えなかった理由である。
昔、漢の文帝のとき、国の内は治まって安らかで民は豊かであったが、それでも賈誼はこれを思って痛哭した。唐の文皇は業を開いてから日々いよいよ戒め恐れ、かつて少しも怠らなかったが、それでも魏徴はなお十の漸しを述べた。それゆえ伝に「諫める者はその源を塞いで開かせない」とあるのは、霜のうちに氷を戒め、漆の器のうちに玉の杯を防ぐことである。
昔、毅王は数十代の豊かで平らかな至治の業を継ぎ、位にあること久しく、事は成らぬものがなかったので、誰もが太平の業は泰山のように安らかだと言って、敢えて言う者がなかった。正言の文克謙がまっすぐ天の扉を叩いて封じた書一通を奉ったが、述べたところは皆その時の病に当たっていたので、人々は鳳が朝日に鳴くと言った。しかし上のお聞き入れがなかったので、公は朝衣を脱いで家に帰り、詩を作った。
朱雲が欄を折ったのは誉れを求めたのではなく 袁盎が車を遮ったのがどうして我が身のためであったろう 一片の丹なる誠をまだ天が照らさないので 無理に痩せた馬に鞭をあててためらいながら退く
明王が位に即くと抜き出して喉と舌の地に置いたので、国の安危、民の利と病、士大夫の賢と不肖がすべて上のお聞きに達して、毛筋ほどの滞りもなかった。いまに至るまで隣の国と好みを結び、内外が安らかで患いがないのは、まことに公の力である。
公は冢宰の位にあって私を薦め、玉堂に入って仕えさせたが、年を越えて公が亡くなったので挽歌を作った。
早くには閶闔の門で雲を押し分けて叫び 晩くには虞淵に向かって日を取って戻した 丹なる鳳が久しく池の上で浴していたのに 白い鶏がどうして夢の中で急かすのか
当時の人は「公が朝廷に立って守った大節の始めと終わりは、この二句を出ない」と言ったので、実録と言っても構わない。
昨日、公の旧い別業を通ると、草木が青々として、石の隙間から出る泉があった。もとは遊び宴した所であったから、やるかたなく行き来して去れず、詩を作って壁に残した。
岩の下の冷え冷えとした水が 巡り流れて思いがあるかのようだ 誰が知ろう、氷と雪の流れが いまも鳳凰の池を帯びていることを 東閣を重ねて覗った所 西門に日が暮れようとする時 詩を作って半ばの壁に残すのは おおよそ九泉に知らせようとしてである
枢府の金富儀は侍中の文烈公の弟である。あわせて文章と功業で名を現した。かつて節を杖いて中朝に赴いたが、真宗はその才を愛して、格別に礼をもって遇した。
あるとき二人の客が客館に来て少し酒を飲んだ。一人が「天の上には三百六十度があり、星には牽牛がある」と言い、次の者が「碁の中には三百六十の舎があるが、馬はあっても牛はない」と言った。公はすぐに「年の中には三百六十の日があり、立春の日には土の牛を用いる」と言ったので、居合わせた者は皆その機敏さに感服した。
かつて宴に侍ってまさに酔っていたとき、皇帝が七言六韻の詩を示し、中使を遣わして急かし、和して奉らせた。公は少しも思いを構えず、筆を引いてその場で作りあげた。その大略はこうである。
沈香亭のほとりで新しい曲を聞き 立礼門の前で太平を祝う 天地の徳に少しも報いる道がなく ただ酔った筆で生み育てられた恩に謝する
皇帝は感嘆して賞することをやめず、賜るものをいよいよ厚くした。
徽宗の末年に至って金の人が汴京を陥し、二帝を捕らえて北へ帰った。康王が宝の位を継ぎ、使人の楊応誠を遣わして聘問し、道を借りて二帝のおられる所に行って安否を問いたいと請うたが、朝廷の議は固く執って許さなかった。公に命じて表を作って答えさせた。
「天地の仁は万物をそれぞれに遂げさせ、帝王の徳は衆人に難きところを責めません。」また「彼は衆く我は寡なく、すでに争うことは難しく、唇が亡びれば歯が寒いのですから、またどうしてそれが福でないと分かりましょうか。」とあり、また「諸侯を率いて周王を尊ぶことは、敢えて斉と晋の古事を期すものではなく、欠けた土を任せて禹貢を作ることは、ほぼ青州・徐州の旧い儀を失わぬようにしようとするものです。」とあった。
文烈公が先に中書に入っていたので、公は枢府に十年あまりいた。性として書を読むのを好み、別の室を開いていつも士大夫と文章を論じ合ったので、妻や妾でさえその顔を見ることは稀であった。病に臥したとき、ある朝士が夢に馬の糞が雲の間から下りて来るのを見て問うと「今日、金枢密が天に上る衣だ」と言った。世では天の星の精だと言った。
豊かで貴い家の子は、生まれつき性として好むのでなければ、文章に巧みな者は稀である。金枢密の闡は蕭氏の八葉のような貴さがあったが、綺羅をまとう旧い習いを捨て、終日きちんと座って書を読んだ。詩や文を作るのを好まず、作るべきことがあれば必ず氷の鉢に筆を洗ってから作った。それゆえ詩篇は世に多く伝わらなかったが、伝わるものは必ず人を驚かす句である。軺に乗って塩州の客舎を過ぎ、絶句一首を書きつけたものがある。
鴛鴦の衾に夢がなく夜はうつうつとして 涼しい月は情が多くて絵の軒を照らす 塩州と名づけたのはまことに大きな誤りだ 一州の風物はすべて塩がない
夾注 1
塩州(鹽州)の「塩」が塩であることから、一州の風物がすべて「無塩(無鹽)」、つまり塩がないと受けた言葉遊びです。― 訳者
仁王幼臨大寶 元舅朝鮮公擅朝 醫官崔思全遊談平勃間 卒安漢祚 由是畵形麒麟 驟登宰輔 其時誥院金存中作誥云 莽何羅之觸寶瑟 變起蒼黃 夏毋且之抵藥囊 意存忠義 時人謂之切理 恩顧尤厚 賞賜以百萬計 有兩子曰弁曰烈 公以金罍二具與之 及公捐舘 愛姬竊其一 兄怒欲鞭之 弟曰此先公寵妾也 當傾倒家貲以賑恤之宜矣 况此物耶 吾所得金罍尙存 請以遺之 毋困此妾也 仁王聞之曰 可謂孝此仁矣 卽以御筆賜名曰孝仁 其立朝大節可見於是 嘗辭閣門祗候應擧 欲遂先公遺令而未果 常以怏怏不已 其友金尙書莘尹 作六字詩贈之 骰子選中得失 黃梁夢裡 升沉 汲汲百年能幾 如何以此傷心
仁王が幼くして大いなる位に臨むと、母方の伯父の朝鮮公が朝廷を思うままにした。医官の崔思全が平勃の間に出入りして談じ、ついに漢の祚を安らかにした。これによって麒麟閣に姿が描かれ、たちまち宰輔に登った。
そのとき誥院の金存中が誥を作り「莽何羅が宝の瑟に触れて変は蒼黄のうちに起こり、夏毋且が薬の嚢を投げたのは意が忠義にあった」と言ったので、当時の人は理に適うと言った。恩顧はいよいよ厚く、賞賜は百万をもって数えた。
二人の子があって弁と烈といった。公は金の罍二具を与えたが、公が世を去ると愛していた姫がその一つを盗んだ。兄が怒って鞭打とうとすると、弟が言った。
「これは亡き父上が寵愛された妾だ。まさに家の財を傾けて救うのが当然であるのに、まして品物ぐらいのことか。私が得た金の罍がまだあるから、どうかこれを与えて、この妾を苦しめないでほしい。」
仁王はこれを聞いて「孝であり仁であると言えよう」と言い、すぐに御筆で名を賜って「孝仁」とした。かれが朝廷に立って守った大節はここに見える。
かつて閣門祗候を辞して科挙に応じ、亡き父の遺した命を遂げようとしたが果たせず、いつも心残りに思ってやまなかった。その友の金尚書莘尹が六字の詩を作って贈った。
骰子を選んで得たり失ったり 黄粱の夢の裡で昇ったり沈んだり あくせくする百年がどれほどであろう どうしてこれで心を傷めるのか
自雅缺風亡 詩人皆推杜子美爲獨步 豈唯立語精硬 括盡天地菁華而已 雖在一飯 未嘗忘君 毅然忠義之節 根於中而發於外 句句無非稷契口中流出 讀之足以使懦夫有立志 玲瓏其聲其質玉乎盖是也 昨見金相國永夫 有感詩云 近聞隣國勢將危 拓地開疆在此時 素髮飄飄霜雪落 丹心耿耿鬼神知 廉頗能飯非無意 去病辭家亦有爲 黙黙此懷無處說 每逢樽酒醉如泥 其拳拳憂國之誠 老而益壯 凜然與泰華爭高 眞可仰也 公平生使酒狂氣 雖王公大人皆憚之 幼時夢遊大內出毬庭 有酒饔數百森列 而兩三甕始傾 問之云 此進士金永夫所飮酒也 張公三十六爐之錢 信矣
雅が欠け風が亡んでから、詩人は皆、杜子美を独歩と推す。どうして語の立て方が精しく硬く、天地の精華をすべて括り取ったというだけであろうか。一飯のあいだでさえかつて君を忘れず、毅然とした忠義の節が内に根ざして外に発したので、句ごとに稷と契の口から流れ出ないものがない。読めば弱い男にも志を立てさせるに足るのだから、玲瓏たるその声、その質は玉かというのは、おおむねこれである。
昨日、金相国永夫の「感有り」という詩を見た。
近ごろ聞けば隣国の勢いがまさに危うくなろうとしている 地を広げ疆を開く事はこの時にある 白い髪は飄々として霜と雪が落ち 丹なる心は耿々として鬼神が知る 廉頗がよく飯を食べたのは意がないのではなく 去病が家を辞したのにもまた為すところがあった 黙々としてこの思いを語る所がなく 樽の酒に逢うたびに泥のように酔う
その切に国を憂える誠は老いていよいよ壮んで、凜然として泰山・華山と高さを争うのだから、まことに仰ぐに足る。
公は生涯、酒にまかせて狂う気があり、王公大人でさえ皆これを憚った。幼いとき、夢に大内に遊んで毬庭に出ると、酒の甕が数百も立ち並んでいるのに、二、三の甕がやっと傾けられているだけであった。問うと「これは進士の金永夫が飲む酒だ」と言った。張公の三十六の炉の銭という話も、まことにそのとおりだ。
仁王卜得中興大華之勢於西都 新開龍堰閣 鳳輦西巡置群臣宴 命學士李之氐作口號 其略云 帝出震以乘乾 雖曰應時之數 王在鎬而飮酒 固當與衆而同 又云 室家相慶 徯我后其來蘇 管籥初聞 曰吾王能鼔樂 又云遊豫爲諸侯度 旣符夏諺之稱 飮食盡忠臣心 允協周人之詠 對偶精切 固無斧鑿之痕 文烈公見之嘆曰非近代詞臣騈四儷六 以組織爲工者所比也 公侍中公壽之子 十八擢龍頭高選 指日躡台鼎 容貌如畵 不妄顧視 雖新學後生 相對如大賓 忠言嘉謀 足以與伊傳訓命爲表裡 眞古所謂大臣者 至今號其居爲政堂里 嘗奉使東都 戱題詩云 大醉惛惛曉夢顚 不和帳下玉人眠 傍人莫笑風情薄 解賦西江月一篇
仁王が西都に中興大華の勢いを卜して得て、竜堰閣を新たに開いた。鳳の輦で西を巡り、群臣を置いて宴を設け、学士の李之氐に命じて口号を作らせた。
その大略に「帝が震より出て乾に乗られるのは、時に応じた数とはいえ、王が鎬にあって酒を飲まれるのは、まことに衆とともにすべきである」とあり、また「家々が互いに慶び、我が后が来て蘇らせてくださるのを待ち、管と籥を初めて聞いて、我が王はよく楽を奏されると言う」とあり、また「遊び楽しむのが諸侯の法度となるのは、すでに夏の諺の称に符い、飲み食いに忠臣の心を尽くすのは、まことに周の人の詠に協う」とあった。
対の取り方が精しく的確で、まことに斧や鑿の跡がなかった。文烈公はこれを見て感嘆し「近ごろの詞臣が四字六字を織り組むのを巧みとする者たちの比ではない」と言った。
公は侍中公寿の子である。十八で竜頭の高い選に抜かれ、日を数えて台鼎に登った。顔かたちは絵のようで、みだりに見回さず、新しく学ぶ後生に対してさえ大いなる賓客のように向かい合った。忠なる言と善き謀は伊尹と傅説の訓命と表裏をなすに足るものだったので、まことに古のいわゆる大臣である。いまもかれの住んだ所を政堂里と呼ぶ。
かつて命を奉じて東都に行き、戯れに詩を書きつけた。
大いに酔ってぼんやりと暁の夢が転び 帳の下の玉人とともに眠れなかった かたわらの人よ、風情が薄いと笑わないでくれ 「西江月」の一篇は作れるのだ
金侍中緣 平章上琦子也 少以文章顯 年未三十乘軺出塞 與大遼使人孟初伴行 初見年少頗易之 及幷轡出郊 雪始霽 四顧茫然無所見 惟馬蹄觸地作聲 初垂袖微吟卽唱云 馬蹄踏雪乾雷動 公卽應聲曰 旗尾飜風烈火飛 初愕然曰 眞天才也 由是情好日篤 恨相知之晩 及返轅 解所佩通天犀以贈之 公在諫垣 所陳皆經國遠猷猷 初若迂踈 利在千百載下 仁廟時權臣擅朝 聞童謠托疾引歸 及返正徵爲冢宰 其行止多神異 世莫能測 三子皆以文墨位宰相 時以比江左王謝云 嘗出鎭龍灣 作詩示門生云 十年臺閣掌絲綸 此日翻爲閫外臣 諫掖未能陳讜議 塞垣聊欲掃胡塵 鬢毛早白緣憂國 涕淚難禁爲戀親 多謝丘門諸子弟 百壺淸酒餞行人
侍中の金縁は平章上琦の子である。若くして文章で名を現し、年が三十にならぬうちに軺に乗って塞に出た。大遼の使人の孟初と連れ立って行ったが、孟初は年の若いのを見てかなり侮った。
手綱を並べて郊に出ると、雪がようやく晴れ、四方を見渡しても茫々として見えるものがなく、ただ馬の蹄が地に触れて音を立てるばかりであった。孟初は袖を垂れて低く吟じ、すぐに「馬の蹄が雪を踏んで乾いた雷が動く」と唱えた。公はすぐに声に応じて「旗の尾が風に翻って烈しい火が飛ぶ」と言った。孟初は愕然として「まことの天才だ」と言った。これによって情好は日に日に篤くなり、知り合うのが遅かったことを悔やんだ。車を返すとき、帯びていた通天犀を解いて贈った。
公が諫垣にあって述べたところは皆、国を治める遠い謀であって、初めは遠回りで粗いようでも、利は千百年の後にあった。仁廟のとき権臣が朝廷を思うままにしたので、童謡を聞いて病を口実に引き退き、正に返るや召されて冢宰となった。その進退には神異なところが多く、世は測ることができなかった。三人の子が皆、文墨で宰相の位についたので、当時の人は江左の王氏・謝氏に比べた。
かつて竜湾に出て鎮め、門生に示した詩がある。
十年、台閣で糸のような詔を司ったが この日かえって閫の外の臣となった 諫めの官にあって正しい議を述べられなかったので 塞の垣でなりとも胡の塵を掃こうと思う 髪が早く白んだのは国を憂えたゆえ 涙を禁じがたいのは親を恋うゆえ 丘門の諸子弟に深く謝する 百壺の清い酒で行く人を送ってくれたことを
尙書金子儀 骯髒有奇節 嘗戰藝春官 上夢見有人擢第 名曰昌 及開糊封 公在第二人 名晶 上駭異之 立朝勁諤有諍臣風 性嗜酒 醉則起舞 輒唱四海之歌 其所言皆國朝網紀也 當時語曰 寧逢虎兇 不逢金公醉 方出按江南 上臨軒戒之曰 卿文章志節不愧古人 伹飮酒多過差耳 三杯之後愼勿屬口 由是歷遍所轄州郡 嘗惺惺然不飮 行過山中精藍 訪舊知老衲 握手話懷 及別貫酒欲餞之 出門踞苔石上 乃曰頃出都有朝旨 禁臣飮酒不過三爵 宜持爾應供鐵鉢來 三酌而去 其鉢可受一斗餘 豪邁皆類此 嘗悲拓相國南遷一絶 龍虎雄姿鐵石腸 欲將忠義輔君王 只緣鳥盡弓藏耳 不是淮陰背漢皇
尚書の金子儀は骨柄が高く、奇なる節があった。かつて春官で芸を競ったが、上は夢にある人が及第するのを見られ、その名が昌であった。糊で封じたものを開くと、公は第二の人にあって名は晶であったので、上は驚いて不思議に思われた。
朝廷に立っては強く直く、諍う臣の風があった。性として酒を好み、酔えば起って舞い、やがて「四海の歌」を歌ったが、その言うところは皆、国の綱紀であった。当時の言葉に「むしろ荒い虎に逢っても、酔った金公には逢うな」とあった。
まさに江南を巡察に出るとき、上は軒に臨んで戒められた。
「卿の文章と志と節は古人に恥じない。ただ酒を飲むのに過ぎることが多いだけだ。三杯の後は慎んで口にするな。」
これによって管する州郡をあまねく巡りながら、いつもしゃんと醒めて飲まなかった。道中、山中の寺を過ぎて旧知の老僧を訪ね、手を握って思いを語った。別れるとき酒を買って送ろうとして、門を出て苔の石の上に腰を下ろして言った。
「この前、都を出るとき朝廷の旨があって、臣が酒を飲むのは三爵を越えてはならぬとされた。そなたの供養する鉄の鉢を持って来るのがよい。」
三杯飲んで去った。その鉢は一斗あまり入るほどであった。豪邁さはどれもこのようであった。
かつて拓相国が南に流されるのを悲しんで絶句一首を作った。
竜虎の雄々しい姿に鉄石の腸をもって 忠義を抱いて君王を輔けようとした ただ鳥が尽きて弓が蔵われたゆえであって 淮陰侯が漢の皇に背いたのではない
眞樂公資玄 起自相門 雖寓跡簪組 常有紫霞逸想 少遊金閨 從術士殷元忠 密訪溪山勝地可以卜隱 殷公云 楊子江上有靑山一曲 眞避世之境 聞之常掛於心 年二十七仕至大樂暑令 忽致叩盆之患 拂衣長往 入淸平山葺文殊院以居之 尤嗜禪說 學者至則輒與之人幽室 竟日危坐忘言 時時擧古德宗旨商論 由是心法流布於海東 惠照大鑑兩國師 皆遊其門 乃於洞中幽絶處作息庵 團圓如鵠卵 只得盤兩膝 而黙坐其中數日猶不出 其同年友郭璵 持節出關東見訪 贈詩云 淸平山水似湘濱邂逅相逢見故人 三十年前同得第 一千里外各捷身 浮雲入洞曾無事 明月當溪不染塵 目擊無言良久處 淡然相照舊精神 公次韶云 暖逼溪山暗換春 忽紆仙杖訪幽人 夷霽遁世惟全性 稷契勤邦不爲身 奉詔此時鏘玉佩 掛冠何日拂衣塵 何當此地同棲隱 養得從來不死神 睿王渴仰眞風 累詔徵之 對使者曰 臣始出都門 有不復踐京華之誓 不敢奉詔 遂附表云 唐虞之代 堯舜之臣 虁龍陳廓廟之謨 巢許抗山林之志 以鳥養鳥 庶無鍾鼔之憂 觀魚知魚 俾遂江湖之性 上知其不可屈致 特幸南都召見 問以修身養性之要 對曰古人云 養性莫善於寡欲 惟陛下留意焉 上嗟賞不已曰言可聞 而道不可傳 身可見 而志不可屈 眞潁陽之亞流也 賜茶藥還山 及卒諡眞樂公 其餘事迹 見金相國重刱記
真楽公資玄は宰相の家から起こった。跡を官に寓せてはいたが、つねに紫の霞のような世を離れた思いがあった。若くして金閨に遊んだとき、術士の殷元忠に従い、ひそかに渓と山の勝れた地で隠れ住めそうな所を尋ねた。殷公が「楊子江の上に青い山の一曲がある。まことに世を避ける境だ」と言ったので、これを聞いていつも心にかけていた。
年二十七で官は大楽署令に至ったが、ふと盆を叩く患い(妻を失う悲しみ)に遭い、衣を払って遠く去り、清平山に入って文殊院を葺いて住んだ。いよいよ禅の説を好み、学ぶ者が来ればすぐにともに奥深い室に入り、終日きちんと座って言葉を忘れ、ときどき古の徳の宗旨を挙げて論じ合った。これによって心の法が海東に広まり、恵照・大鑑の両国師も皆その門に遊んだ。
そこで洞の中の奥深く隔たった所に息庵を作ったが、鵠の卵のように円く、ただ両膝を折り入れられるほどであった。その中に黙って座り、数日たっても出て来なかった。
同じ年に及第した友の郭璵が、節を杖いて関東に出たとき訪ねて来て、詩を贈った。
清平の山水は湘の濱に似ているが たまたま行き会って旧い人に見える 三十年前にともに第を得て 一千里の外にそれぞれ身を隠した 浮かぶ雲が洞に入ってもかつて事なく 明るい月が渓に臨んでも塵に染まらない 目を合わせて言葉なく、しばらくいる所に 淡々として互いに照らすのは昔の精神だ
公は和して言った。
暖かさが渓と山に迫ってひそかに春を換え ふと仙の杖を巡らせて幽なる人を訪ねてくれた 伯夷・叔斉が世を遁れたのはただ性を全くするため 稷と契が邦に勤めたのは身のためではない 詔を奉じるこの時に玉の佩が鳴り 冠を掛ける日はいつ衣の塵を払うのか どうすればこの地にともに棲み隠れて 元来の死なぬ精神を養えるだろうか
睿王は真なる風を渇くほど仰ぎ、たびたび詔して召された。公は使者に答えた。
「臣は初めて都の門を出たとき、再び京華を踏まぬという誓いがありましたので、敢えて詔を奉じません。」
そして表を付した。
「唐虞の代、堯舜の臣として、虁と竜は廟堂の謀を述べ、巣父と許由は山林の志を張りました。鳥として鳥を養われるなら、ほぼ鐘と鼓の憂いがないでしょう。魚を観て魚を知られるなら、江湖の性を遂げさせてくださるでしょう。」
上はその屈して来させられないことを知られ、特に南都に行幸して召し見られ、身を修め性を養う要を問われた。公は答えた。
「古人が『性を養うには欲を寡くするより善いものはない』と言いました。ただ陛下が意をお留めください。」
上は感嘆して賞することをやめず、こう言われた。
「言は聞けるが道は伝えられず、身は見られるが志は屈せられない。まことに潁陽に次ぐ流れの人だ。」
茶と薬を賜って山に帰された。亡くなると諡して真楽公とした。その他の事跡は金相国の重刱記に見える。
郭處士璵 睿王在春宮時寮佐也 及上踐阼 掛冠長往 詔賜城東若頭山一峯 開別墅 名曰東山齋 常以烏巾鶴氅出入宮掖間 時人謂之金門羽客 嘗於內宴 上賜戴花一枝 卽令進詩云 誰剪紅羅作牧丹 芳心未展怯春寒 六宮粉黛皆相道 何事宮花上道 何事宮花上道冠 又隨駕 長源亭 上登樓晩眺 有野叟騎牛傍溪而歸者 卽令口占 太平容貌恣騎牛 半濕殘霏過壟頭 知有水邊家近在 從他落日傍溪流 豈惟仙風道韻 足以傾動人主意 至於文章亦勁敏絶倫 上眷顧尤異 非朝臣所及 上嘗從北門出 率黃門數十人 自稱宗室列侯 訪東山齋 處士適留城中不返 上徘徊數四 製何處難忘酒一篇 以宸翰題壁而還 時皆以謂漢帝白雲之詞 唐皇舞鳳之筆 實兼而有之 古今所無也 詞曰何處難忘酒 尋眞不遇廻 書窓明返照 玉氈掩殘灰 方丈無人守 仙扉盡日開 園鶯啼老樹 庭鸛睡蒼笞 道味誰同話 先生去不來 深思生感慨 回首重徘徊 把筆留題壁 攀欄懶下臺 助吟多態度 觸處絶塵埃 暑氣蠲林下 薰風入殿隈 此時無一盞 煩慮滌何哉 公應製 何處難忘酒 虛經寶輦廻 朱門追小宴 丹竈落寒灰 鄕飮通宵罷 天門待曉開 仗還蓬鳥徑 屐惹洛城笞 樹下靑童語 雲間玉帝來 鼈宮多寂寞 龍馭久徘徊 有意仍抽筆 無人獨上臺 未能瞻日月 却恨向塵埃 搔首立階下 含愁倚石隈 此時無一盞 豈慰寸心哉
処士の郭璵は、睿王が春宮におられたときの寮佐である。上が位に即くと冠を掛けて遠く去った。詔して城の東の若頭山の一峰を賜ったので、別業を開いて名を東山斎とした。いつも烏の巾と鶴の氅で宮の中を出入りしたので、当時の人は金門の羽客と言った。
かつて内の宴で、上は頭に挿す花一枝を賜り、すぐに詩を奉らせた。
誰が紅い羅を剪って牧丹を作ったのか 芳しい心が開かず春の寒さを怯れる 六宮の粉と黛の人が皆、互いに言う どうして宮の花が道士の冠に上ったのかと
また御輦に従って長源亭に行ったが、上が楼に登って夕べを眺められると、野の翁が牛に乗って渓に沿って帰るのがあった。すぐに口ずさませられた。
太平の容貌で心のままに牛に乗り 半ば湿った残りの霧で畦の頭を過ぎる 水辺に家が近くにあるのが知られる 落ちる日に従って渓の流れに沿う
どうして仙の風と道の韻が人主の意を傾け動かすに足ったというだけであろうか。文章に至ってもまた強く敏くて並ぶものがなかったので、上の眷顧はいよいよ格別で、朝臣の及ぶところではなかった。
上はかつて北門から出て黄門数十人を率い、自ら宗室の列侯と称して東山斎を訪ねられたが、処士はたまたま城の中に留まって帰っていなかった。上は三度四度行き来されたのち、「何処にして酒を忘れがたき」の一篇を作り、宸翰で壁に書きつけて帰られた。当時の人は皆「漢の帝の白雲の詞と、唐の皇の舞う鳳の筆を、まことに兼ねて持たれた。古今になかったことだ」と言った。その詞はこうである。
何処にして酒を忘れがたき 真なる人を尋ねて会えずに帰る時 書の窓には返る照りが明るく 玉の氈には残りの灰が覆う 方丈には守る人もなく 仙の扉は終日開いている 園の鶯は老いた樹で鳴き 庭の鸛は青い苔で眠る 道の味を誰とともに語ろう 先生が去って来ないので 深い思いに感慨が生じ 首を回して重ねて行き来する 筆を執って壁に書き残し 欄に攀って懶く台を下りる 吟ずるのを助けるものは多く 触れる所ごとに塵埃が絶えている 暑い気は林の下で除かれ 薫る風は殿の隈に入る この時に一盞がなくては 煩わしい慮りを何で洗い落とそう
公は応じて作った。
何処にして酒を忘れがたき 宝の輦が虚しく過ぎて帰られた時 朱の門で小さな宴を追い 丹の竈には寒い灰が落ちている 郷の飲みは宵を通して罷み 天の門は暁を待って開く 仗は蓬の島の径に還り 屐は洛城の苔を惹いた 樹の下で青い童が語る 雲の間から玉の帝が来られたと 鼈の宮はひどく寂寞として 竜の馭は久しく行き来された 意があって筆を抽いたが 人がなく独り台に上る 日と月を瞻ることができず かえって塵埃に向かうのを恨む 首を掻いて階の下に立ち 愁いを含んで石の隈に倚る この時に一盞がなくては どうして寸ばかりの心を慰めよう
太白山人戒𢉼 大覺國師適嗣也 幼時寓僧舍讀書 大覺隔墻聞其聲曰此眞法器也 勸令視髮在門下 日夕孜孜鑽仰 優入閭奧 繼大覺弘揚大法四十餘年 爲萬乘敬仰 常不離輦轂 累請歸太白山 手刱覺華寺 大開法施 四方學者輻湊 日不减千百人 號爲法海龍門 時興王寺有智勝者 嗜學詣帳下摳衣 請益踰年將還山 作詩送之云 好學今應少 忘形古亦稀 顧余何所有 而子乃來依 窮谷三冬共 春風一日歸 去留俱世外 不用淚霑衣 夫得道者之辭 優游閑淡 而理致深遠 雖禪月之高逸 參寥之淸婉 豈是過哉 此古人所謂如風吹水自然成文
太白山人の戒𢉼は大覚国師の嫡嗣である。幼いとき僧舎に寄って書を読んだが、大覚が垣を隔ててその声を聞き「これはまことに法の器だ」と言い、髪を剃って門下に置くよう勧めた。朝も夕もひたすらに穿ち仰いで、十分に奥深いところに入った。大覚を継いで大いなる法を弘め揚げること四十年あまり、万乗に敬い仰がれ、いつも輦のそばを離れなかった。
たびたび太白山に帰ることを請い、手ずから覚華寺を創めて法の施しを大いに開いたので、四方の学ぶ者が輻のように集まり、日に千百人を下らなかったから、法海竜門と呼ばれた。
そのころ興王寺に智勝という者があって、学ぶのを好み、帳の下に進んで衣を手繰り、さらに教えを請うた。年を越えて山に帰ろうとしたので、詩を作って送った。
学を好むのはいま少なく 形を忘れるのも古にまた稀だった 顧みれば私に何があって そなたはここに来て依ったのか 窮まった谷で三つの冬をともにし 春の風に一日で帰る 去るも留まるもともに世の外だから 涙で衣を濡らすことはない
そもそも道を得た者の辞は、ゆったりとして閑かで淡く、しかも理の致すところが深く遠い。禅月の高く逸したものや、参寥の清く婉やかなものでさえ、どうしてこれに勝ろうか。これが古人のいわゆる、風が水に吹けば自然に文を成すというものである。
西湖僧惠素 該內外典 尤工於詩 筆跡亦妙 常師事大覺國師爲高弟 國師勸令赴僧選 對曰我豈天廐馬也 試其步驟哉 常隨國師所在討論文章 國師歿 撰行錄十卷 金侍中摭取之以爲碑 住西湖見佛寺方丈闃然 唯畜靑石一葉如席大 時時揮灑以遣興 侍中納政後 騎驢數相訪 竟夕談道 上素聞其名 邀置內道場 講華嚴寶典 賜白金至多 師盡用買砂糖百餠 列于所居內外 人問其故 曰 是吾平生嗜好 儻明春商舶不來 則顧何以求之 聞者皆笑其眞率
西湖の僧、恵素は内外の典にあまねく明るく、詩にとりわけ巧みで、筆の跡もまた妙であった。つねに大覚国師を師として仕え、高弟となった。国師が僧の選に赴くよう勧めると、答えた。
「私がどうして天の厩の馬だというので、その歩みを試されるのでしょうか。」
つねに国師のいる所に従って文章を論じ合った。国師が亡くなると行録十巻を撰し、金侍中がこれを摭って碑とした。
西湖の見仏寺に住んだが、方丈は静まり返って、ただ席ほどの大きさの青い石一葉を置き、ときどき筆を振るって興を遣っていた。侍中が政を納めてから、驢に乗ってたびたび訪ね、夕べの尽きるまで道を語った。
上はもとよりその名を聞かれ、内の道場に迎え置いて華厳宝典を講じさせ、白金をはなはだ多く賜った。師はそれをすべて使って砂糖の餅を百買い、住む所の内外に並べ置いた。人がその理由を問うと言った。
「これは私が生涯好むものだ。もし来る春に商いの舶が来なければ、いったい何によって求めようか。」
聞いた者は皆、その真率さを笑った。
金蘭境有寒松亭 昔四仙所遊其徒三千各種一株 至今蒼蒼然拂雲 下有茶井 道兄戒膺國師留詩 在昔誰家子 三千種碧松 其人骨已朽 松葉尙茸容 和云 千古仙遊遠 蒼蒼獨有松 但餘泉底月 髣髴相形容 論者以爲 師組織雖工 未若前篇天趣自然
金蘭の境に寒松亭がある。昔、四人の仙が遊んだとき、その徒三千がそれぞれ一株を植えたのが、いまも青々として雲を払う。下に茶の井がある。道兄の戒膺国師が詩を残した。
その昔、誰の家の子らか 三千が碧い松を植えた その人の骨はもう朽ちたが 松の葉はいまも茂っている
和して言った。
千古に仙の遊びは遠く 青々として独り松だけがある ただ泉の底の月が残って ほのかに互いの姿を映している
論ずる者は「師の組み立ては巧みではあるが、前の篇の天の趣が自ずからであるのには及ばない」と言った。
碧蘿老人去非 與僕云 嘗於郵亭壁上見一絶云 秋陽融暖若春陽 竹葉芭蕉映粉墻 莫向此君誇葉大 此君應笑近經霜 又王輪光闡師 誦近詩 春慵所失與誰云 時或聞鶯謂誤聞 堪笑物情如我困 牧丹頭重牛風薰 此二篇俱無作者之名 然其語法與唐宋人無異 二師相從海東名賢遊 必有所受 故兩錄之以俊知者
碧蘿老人の去非が私に語った。
「かつて駅の亭の壁の上で絶句一首を見た。『秋の陽が和らいで暖かく春の陽のようで / 竹の葉と芭蕉が白い墻に映る / この君に葉が大きいと誇るな / この君はきっと霜を経る日が近いと笑うだろう。』」
また王輪寺の光闡師が近ごろの詩を口ずさんだ。
春の懶さに失ったものを誰に語ろう 時に鶯を聞けば聞き誤ったと言う 笑うべきだ、物の情が私のように困しいとは 牧丹が頭を重くして風の薫るのを牽く
この二篇はいずれも作者の名がない。しかしその語法は唐と宋の人と変わらない。二人の師は海東の名ある賢人に従って遊んだのだから、必ず受けたところがあろう。それゆえ両方を記して知る人を待つ。
芬皇宗光闡師夷曠 不護細行 嘗赴內道場 大醉頹然坐睡 涕淚垂胸 爲有司所紏竟斥去之 足蓭聞之乃曰 千鍾斯聖 百榼亦賢 積麴成封 猶不害於眞人 況浮圖人遊戱自在 固不可以得窮耶 乃作偈 具葉翻爲竹葉盃 天花落盡眼花開 醉鄕廣大人間窄 誰識佯狂老萬回
芬皇の宗、光闡師は大らかで広く、細かい行いを守らなかった。かつて内の道場に赴き、大いに酔って崩れるように座って眠り、涙が胸に垂れたので、有司に咎められてついに退けられ追い出された。
足庵がこれを聞いて言った。
「千鍾を飲めば聖であり、百榼もまた賢であるといい、麹を積んで封を成しても、なお真人に害はない。まして浮図の人が遊び戯れて自在であるのを、まことに窮まったと言えようか。」
そこで偈を作った。
貝の葉が翻って竹の葉の杯となり 天の花が落ち尽きて眼の花が開く 酔いの郷は広く大きいが人の世は狭い 誰が知ろう、狂いを装う老いた万回を
華嚴月師少從僕遊 自號高陽醉𩫴 作詩有賈島風骨 昨者携訪西河耆之 一見如舊識 乃謂曰師爲李公稱譽久矣 何必待握手論交 然後爲相知耶 卽於座上伸筆而贈之 昔有能詩釋惠勤 從遊長在醉翁門 如今眉叟眞奇士 誇我高陽得一𩫴 長恨聞名猶未見 相逢欲話却忘言 淸詩健筆何須問 且說相傳自狀元
華厳の月師は若くして私に従って遊び、自ら高陽酔𩫴と号した。詩を作れば賈島の風骨があった。
昨日、西河の耆之を連れて訪ねたが、一目見て旧知のようであった。そこで言った。
「師は李公に誉められて久しいのだから、どうして必ず手を握って交わりを論じてから互いに知るというのか。」
そしてその場で筆を伸べて贈った。
昔、詩の巧みな釈の恵勤があって 従い遊ぶことが長く酔翁の門にあった いま眉叟はまことに奇しい士で 私が高陽で一𩫴を得たと誇る 名を聞いて久しいのにまだ会えぬのを長く恨んでいたが 相い逢って語ろうとするとかえって言葉を忘れる 清い詩と強い筆を何で問う必要があろう ただ相い伝えて状元から来たと言おう
江夏黃彬然未第時 與兩三友讀書湍州紺岳寺 時金東閣莘尹名士也 醉發狂言忤當時貴倖 徒步出城歸紺岳 自云老兵將還鄕 請寄宿 彬然憫其老且困許焉 終日在床下無一言 偶取火筋晝灰成字 勢座皆指目 這老漢頗解文字也 詰朝公之子蘊琦 已登第也 率蒼頭兩三人 負酒壺往尋及門 問於人曰昨者 家公出都門抵此 今在否 答曰但有一老兵來宿 安有金東閣耶 蘊琦突入拜庭下 彬然伏地愧謝 公笑曰措大爾安得知范睢之已相秦耶 相與登北峯坐松下石 共飮極歡 命座客賦松風各一韻 斷送玄猿嘯 掀揚白鶴沖彬然厭喧欹枕客 怕冷拾枯童 宗昤冷然姑射吸 颯爾楚臺雄 無名鶴寒難得睡 僧定獨如聾 東閣也是夕劇飮而罷 彬然叩頭願受業 留數月讀前漢書畢 方還 士林至今以爲口實
江夏の黄彬然が及第する前、二、三人の友とともに湍州の紺岳寺で書を読んでいた。そのころ金東閣莘尹は名ある士であったが、酔って狂言を発して当時の貴く寵された者たちの意に逆らったので、徒歩で城を出て紺岳に帰った。自ら「老いた兵が郷に帰ろうとするので、宿を寄せてほしい」と言ったので、彬然はその老いてまた困しいのを憐れんで許した。
終日、床の下にいて一言もなかったが、たまたま火箸を取って灰に字を描くと、その勢いは居合わせた者みなの目を引いた。「この老人はかなり文字を解するぞ。」
翌朝、公の子の蘊琦はすでに及第した人であったが、蒼頭二、三人を率い、酒の壺を負って尋ねて来て、門に至って人に問うた。
「昨日、我が家の公が都の門を出てここに至られましたが、いまおられますか。」
答えた。
「ただ老いた兵が一人来て宿っただけで、どうして金東閣がおられようか。」
蘊琦が突き入って庭の下で拝すると、彬然は地に伏して恥じ入り謝した。公は笑って言った。
「書生がどうして范睢がすでに秦の相になっていたことを知ろうか。」
互いにともに北の峰に登り、松の下の石に座ってともに飲み、たいそう歓しんだ。居合わせた客に命じて「松の風」をそれぞれ一韻ずつ作らせた。
玄い猿の嘯くのを断ち送り 白い鶴の沖するのを掀げ揚げる
彬然が継いだ。
喧しさを厭って枕に倚る客 冷えを怕れて枯れた桐を拾う
宗昤が継いだ。
冷やかに姑射の山が息を吸い さっと楚の台が雄々しい
名のない者が継いだ。
鶴は寒くて眠りを得がたく 僧は定に入って独り聾のようだ
東閣もこの夕べはひどく飲んで罷めた。彬然は頭を叩いて業を受けたいと願い、数か月留まって『前漢書』を読み終えてから帰った。士林はいまもこれを語りの種にしている。
夾注 1
底本は「枯童」ですが、枯桐(枯れた桐)の誤りと見て改めて読みました。― 訳者
金學士黃元 李左司仲若 郭處士璵皆奇士 少以文章相友 號神交 二公嘗訪左司第 淸談亹亹 不覺日暮 須臾月出雲開碧天如水 相與登南樓小飮 點韻各成一聯 李率然曰 壯氣暗生天外劒 雄謀潛轉幄中籌 郭云座中氷雪三山客 稱上錙銖萬戶侯 次至於黃元曰異於三子者之撰 遂引滿朗吟曰 日暮鳥聲藏碧樹 月明人語上高樓 二公不覺屈膝曰雖古人何遠 遂罷 吾友湛之卽左司內孫 僕嘗見其眞跡 醉墨宛然 眞家寶也 昌華公李子淵 杖節南朝登潤州甘露寺 愛湖山勝致 謂從行三老曰爾宜審視山川樓觀形勢 具載胸臆間 毋失豪毛 舟師曰謹聞命矣 及還朝與三老約曰夫天地間凡有形者 無不相似 是以湘濱有九山相似 行者疑焉 河流九曲 而南海亦有九折灣 由是觀之 山形水勢之相賦也 如人面目 雖千殊萬異 其中必有相髣髴者 況我東國去蓬萊山不遠 山川淸秀甲於中朝萬萬 則其形勝豈無與京口相近者乎 汝宜以扁舟短棹 泛泛然與鳧雁相浮沉 無幽不至無遠不尋 爲我相收當以十年爲期 愼無欲速焉 三老曰唯 凡六涉寒暑 始得之於京城西湖邊 走報公曰旣得之矣 三飱可返 糞煩王趾一往觀焉 遂相與登臨之 喜見眉鬚曰且南朝甘露寺 雖奇麗無比 然但營構繪飾之工 特勝耳 至於天生地作自然之勢 與此相去眞九牛之一毛也 卽捐金帛庀材瓦 凡樓閣池臺之制度 一倣 中朝甘靈寺 及斷手 用題其額亦曰甘露 指晝經營旣得宜 萬像不鞭而自至 後詩僧惠素唱之 而金侍中富軾斷之 聞者皆和幾千餘篇 遂成鉅集
学士の金黄元、左司の李仲若、処士の郭璵は皆、奇しい士であった。若くして文章で互いに友となり、神交と呼ばれた。
二公がかつて左司の邸を訪ね、清い談がやむことなく続いて、日の暮れるのも気づかなかった。しばらくして月が出て雲が開け、碧い天が水のようであったので、ともに南の楼に登って少し飲み、韻を点じてそれぞれ一聯を成した。
李はさらりと言った。「壮んな気は天の外の剣から暗かに生じ / 雄々しい謀は幄の中の籌からひそかに転ずる。」
郭は言った。「座の中には氷と雪のような三山の客 / 秤の上には錙銖のような万戸侯。」
黄元の番に至ると「三人の撰とは異なる」と言い、ついに杯を満たして朗々と吟じた。「日が暮れて鳥の声が碧い樹に蔵れ / 月が明るくて人の語が高い楼に上る。」
二公は思わず膝を屈して「古人といえどもどうして遠かろう」と言い、そこで罷めた。わが友の湛之は左司の外孫である。私はかつてその真跡を見たが、酔った墨が宛然としていて、まことに家の宝である。
昌華公の李子淵が節を杖いて南朝に行き、潤州の甘露寺に登った。湖と山の勝れた趣を愛して、従って行った舟師に言った。
「そなたはよく山川と楼観の形勢を審らかに見て、胸のうちに具えて載せ、毛筋ほども失うな。」
舟師は「謹んで命を承りました」と言った。朝廷に帰ってから舟師と約した。
「そもそも天地の間に形あるものは、互いに似ていないものがない。それゆえ湘の濱には九つの山が互いに似て行く者が迷い、河の流れは九曲であるが、南海にもまた九折の湾がある。これによって見れば、山の形と水の勢いが互いに賦けられているのは人の顔のようで、千に異なり万に違っていても、その中に必ずほのかに似たものがある。まして我が東国は蓬莱山から遠くなく、山川の清く秀でたことは中朝よりはるかに勝るのだから、その形勝にどうして京口と近いものがないことがあろう。そなたは小さな舟と短い棹で、ゆらゆらと鳧や雁とともに浮き沈みし、幽なる所は至らぬ所なく、遠い所は尋ねぬ所なく、私のために見て取れ。まさに十年を期として、慎んで速やかにしようとするな。」
舟師は「はい」と言った。およそ六たび寒暑を過ごして、ようやく京城の西湖のほとりで見つけ、走って公に報じた。
「もう見つけました。三度の食事で帰れますから、お手数ですが御自らひとたび行って御覧ください。」
そこでともに登って臨むと、喜びが眉と鬚に現れた。
「なるほど南朝の甘露寺は奇しく麗しいこと比べるものがないが、ただ構えを営み彩り飾る工が特に勝るだけだ。天が生み地が作った自然の勢いに至っては、これと隔たることまことに九牛の一毛である。」
そこで金と帛を出して材と瓦を備え、およそ楼閣・池・台の制度をことごとく中朝の甘露寺に倣った。手を離れてからその額を書いたが、これもまた甘露とした。指で画いて経営したのがすでに宜しきを得たので、万象が鞭打たずとも自ずから至った。後に詩僧の恵素が唱え、金侍中富軾が断じると、聞いた者が和したものが千余篇に近く、ついに大きな集を成した。
夾注 1
底本は「王趾」ですが、玉趾(貴人の歩み)の誤りと見て改めて読みました。― 訳者
鳳城北洞安和寺 本睿王所創也 盖睿王以神聖至德 事大宋無違禮 顯孝皇帝優加褒賞 別賜法書名畵珍奇異物不可勝計 聞其刱是寺 特遣使人以殿財像設送之 宸翰親題殿額 命蔡京榜於門 其丹靑營構之巧 甲於海東 出寺門至御花園 幾六七里 丹崖碧領橫張側展 有溪沿石徑而流 如環珮之鳴 四畔唯松栢叅天 雖盛夏常若早秋 往來者如在畵屛中 世以謂烟霞洞仙眞所居 昔相國彦頤齋宿於是 夢見學士胡宗旦 乘一葉泛泛而來 會紫翠門作一絶云 五雲深處是吾鄕 烟鏁樓臺日月長 回首昔年交伴者 如今役役夢魂場 寺有紫翠門
鳳城の北の洞の安和寺は、もと睿王が創めたものである。おおむね睿王は神聖至徳をもって大宋に仕え、礼に違うことがなかったので、顕孝皇帝は厚く褒め賞することを加え、別に法書・名画・珍奇で珍しい物を賜ったのは数え切れなかった。
この寺を創めると聞いて特に使人を遣わし、殿の財と像を設けて送り、宸翰で自ら殿の額を書き、蔡京に命じて門に榜を書かせた。その丹青と構えを営んだ巧みさは海東で第一である。
寺の門を出て御花園に至るまで六、七里ばかりで、丹い崖と碧い嶺が横に張り側に展び、石の径に沿って流れる渓があって、環や珮が鳴るようである。四方の畔にはただ松と栢が天を衝いて、盛夏でさえつねに早い秋のようなので、行き来する者は絵の屛風の中にいるかのようだ。世では烟霞洞の仙真の住む所だと言う。
昔、相国の彦頤がここで斎して宿ったとき、夢に学士の胡宗旦が一葉の舟に乗ってゆらゆらと来るのを見た。紫翠門に会して絶句一首を作った。
五色の雲の深い処がわが郷 烟が楼台を鎖して日月が長い 首を回して昔の年の交わりの伴を見れば いまはあくせくと夢の魂の場だ
寺に紫翠門がある。
京城東天壽寺 去都門一百步 連峯起於後 平川瀉於前 野桂數百株夾道成陰 自江南赴皇都者 必憩於其下 輪蹄闐咽 漁歌樵笛之聲不絶 而丹樓碧閣半出松杉烟靄之間 王孫公子携珠翠引笙歌 迎餞必寄於寺門 昔睿王時 畵局李寧尤工山水 爲其圖附宋商 久之上求名畵於宋商 以其圖獻焉 上召衆史示之 李寧進曰此臣所畵天壽寺南門圖也 折背觀之 題誌甚詳 然後知其爲名筆 神王七年 僕出守孟城 兒子阿大赴官珍洞 吾友湛之謂咸子眞曰李玉堂之子剖竹南州 而其儀遠在孟城 宜吾二人往餞焉 各携己子到天壽寺西峰 班荊語離酒八九巡 子眞呼兒梵郞 宜以一句贐行 卽云 歸程紅樹童童立 阿大續之曰 故國靑山點點遙 及日斜黯然而罷 阿大到官 叙始末甚詳 千里寄孟城 發書不覺失笑 雖家儅州吏無不忭聳爲怏 其京洛山川之態 故人親友之笑語 祖席盃觴之交錯 歷歷然無不在吾目前 羈愁旅況如湯沃雪 須鬢間有一莖還黑者 遂書日月以志喜
京城の東の天寿寺は都の門から百歩のところにある。連なる峰が後ろに起こり、平らな川が前に注ぐ。野の桂数百株が道を挟んで陰を成しているので、江南から皇都に赴く者は必ずその下で休む。輪と蹄がひしめき、漁の歌と樵の笛の声が絶えず、丹い楼と碧い閣が松や杉と烟靄の間に半ば現れる。王孫公子が珠と翠を連れ、笙と歌を引いて、迎えと送りを必ず寺の門に寄せる。
昔、睿王のとき、画局の李寧は山水にとりわけ巧みで、その図を描いて宋の商人に託した。久しくして上が宋の商人に名画を求められると、その図を献じた。上は衆々の画史を召して示されたが、李寧が進み出て「これは臣が描いた天寿寺南門図です」と言った。背を折って見ると、記したところがはなはだ詳しかった。そうしてから名ある筆であることを知った。
神王七年、私が孟城の守に出て、子の阿大は珍洞に任官して赴いた。わが友の湛之が咸子真に言った。
「李玉堂の子が南の州の守に出るのに、その父は遠く孟城にいる。われら二人が行って送るのがよい。」
それぞれ自分の子を連れて天寿寺の西の峰に至り、荊を敷いて別れを語り、酒が八、九巡した。子真は子の梵郎を呼んで「一句で行くのを送るのがよい」と言うと、すぐに「帰る路に紅い樹が童々と立つ」と言い、阿大が継いで「故国の青い山が点々と遥かだ」と言った。日が傾くと、やるかたなく罷めた。
阿大は任地に着いて、始めから終わりまでをはなはだ詳しく記し、千里の孟城に寄せた。書を開いて思わず笑いがこぼれた。家の者も州の吏までも、喜んで躍らない者がなかった。京洛の山川の様子、旧い友の笑いと語り、送別の席で杯が行き交うさまが、ありありとして目の前にないものがなかった。旅の愁いと旅の有様は、湯に雪を注いだように解け、髪のあいだに一筋また黒くなったものがあった。そこで日月を書いて喜びを記す。
西都永明寺南軒 天下絶景 本興上人所刱 南臨大江 江外曠野茫然不見際畔 惟東極一涯 遙岑出沒有無中 昔睿王西巡 與群臣宴飮唱酬 篇什尤多 無不鏤金石播絲竹 以傳樂府 吾祖平章李䫨 適在玉堂 扈從登臨 命名浮碧寮 作詩敍其始末甚備 山川氣勢 與中朝滌暑亭相甲乙 而秀麗過之 學士金黃元弭節西都 登其上 命吏悉取右今郡賢所留書板焚之 憑欄縱吟 至日斜其聲正苦 如叫月之猿 只得一聯 長城一面溶溶水 大野東頭點點山 意涸不復措辭痛哭而下 後數日足成一篇 至今以爲絶唱 時人語曰昔聞宋玉悲秋氣 今見黃元哭夕陽
西都の永明寺の南軒は天下の絶景である。もと興上人が創めたもので、南は大きな川に臨み、川の外は広い野が茫々として際が見えず、ただ東の果ての一つの涯に、遠い峰が有るとも無いともなく出没する。
昔、睿王が西を巡られたとき、群臣とともに宴し飲んで唱和した詩篇はとりわけ多く、金と石に鏤め、糸と竹に載せて楽府に伝えないものがなかった。わが祖、平章の李䫨がたまたま玉堂にあって扈従して登臨し、浮碧寮と名づけ、詩を作ってその始めと終わりをはなはだ具えて記した。山川の気勢は中朝の滌暑亭と甲乙を争うが、秀麗さはそれに勝る。
学士の金黄元が西都に節を弭めてその上に登り、吏に命じて古今の諸賢が残した書板をすべて取って焼かせた。欄に倚って心のままに吟じ、日が傾くまでその声はひどく苦しく、月に叫ぶ猿のようであった。やっと一聯を得た。
長い城の一面には溶々とした水 大きな野の東の頭には点々とした山
意が涸れて再び辞を措けず、痛哭して下りた。数日の後に一篇を成し終えたので、いまに至って絶唱とされる。当時の人は言った。
「昔は宋玉が秋の気を悲しんだと聞いたが、いまは黄元が夕べの陽に哭くのを見た。」
文昌公崔致遠字孤雲 以賓貢入中朝擢第 遊高騈幕府 時天下雲擾 簡檄皆出其手 及還鄕 同年顧雲賦孤雲篇以送之云 因風離海上 伴月到人間 徘徊不可住 寞寞又東還 公亦自敍云 巫峽重峯之歲 絲入中華 銀河列宿之年 錦還故國 豫知我太祖龍興 獻書自達 然灰心仕宦 卜隱伽倻山 一旦早起出戶 莫知其所歸 遺冠屨於林間 盖上賓也 寺僧以其日薦冥禧 公雲髥玉脥 常有白雲蔭其上 寫眞留讀書堂至今尙存 自讀書堂至洞口武陵樓 幾十里 丹崖碧嶺 松檜蒼蒼 風水相激 自然有金石之聲 公嘗題一絶 醉墨超逸 過者皆指之曰崔公題詩石 其詩曰狂噴疊石吼重巒 人語難分咫尺間 常恐是非聲到耳 故敎流水盡籠山
文昌公の崔致遠は字を孤雲という。賓貢として中朝に入って及第し、高騈の幕府に遊んだ。そのころ天下は雲のように擾れ、檄文は皆その手から出た。郷に帰るとき、同じ年に及第した顧雲が「孤雲篇」を作って送った。
風に因って海の上を離れ 月を伴として人の間に到った 行き来して住むことができず 寞々としてまた東に還る
公も自ら序して「巫峡の重なる峰の歳に糸として中華に入り、銀河の列なる宿の年に錦をもって故国に還った」と言った。
我が太祖が竜のように興られることを予め知り、書を献じて自ら達した。しかし官に仕えることに心が灰となり、伽倻山に隠れるべく卜した。ある朝、早く起きて戸を出たが、その帰った所を知る者がなく、冠と履を林の間に遺したのだから、おおむね上賓となったのである。寺の僧はその日をもって冥の福を薦めた。
公は雲のような鬚と玉のような頬で、つねに白い雲がその上に蔭した。真を写して読書堂に残し、いまもなお存る。読書堂から洞の口の武陵楼まで十里ばかりで、丹い崖と碧い嶺に松と檜が青々として、風と水が互いに激して自然に金石の声がある。
公はかつて絶句一首を書きつけたが、酔った墨が超えて逸しており、通る者は皆これを指して「崔公が詩を書きつけた石」と言う。その詩はこうである。
狂うように重なる石に噴いて重なる巒を吼えさせ 人の語は咫尺の間でも分けがたい つねに是非の声が耳に至るのを恐れて わざと流れる水に山をすべて籠めさせた
金庾信鷄林人 事業赫赫布在國史中 爲兒時母夫人日加嚴訓 不妄交遊 一日偶宿女隸家 其母面數之曰我已老 日夜望汝成長 立功名爲君親榮 今乃爾與屠沽小兒 遊戱淫 房酒肆耶 號泣不已 卽於母前自誓不復過其門 一日被酒還家 馬遵舊路 誤至倡家 且欣且怨 垂泣出迎 公旣悟 斬所乘馬棄鞍而返 女作怨詞一曲傳之 東都有天官寺 卽其家也 李相國公升嘗赴東都 管記作詩云 寺號天官昔有緣 忽聞經始一悽然 多情公子遊花下 含怨佳人泣馬前 紅鬣有情還識路 蒼頭何罪謾加鞭 惟餘一曲歌詞妙 蟾兎同眠萬古傳 天官卽其女號
金庾信は鶏林の人である。事業は赫々として国史の中に載っている。子どものころ、母である夫人が日ごとに厳しい訓えを加え、みだりに交わり遊ばせなかった。
ある日、たまたま女の召使の家に宿った。その母は面と向かって責めた。
「私はもう老いて、日夜おまえが成長して功名を立て、君と親の栄えとなるのを望んできた。それが今、屠や酒売りの子らと交わり、淫らな房や酒肆で遊び戯れるのか。」
声を上げて泣くことをやめなかった。そこで母の前で、再びその門を過ぎないと自ら誓った。
ある日、酒を帯びて家に帰るとき、馬が旧い路を辿って誤って娼の家に至った。女は喜びもし怨みもして、涙を垂れて出迎えた。公は悟って、乗っていた馬を斬り、鞍を棄てて帰った。女は怨みの詞一曲を作って伝えた。
東都に天官寺があるが、すなわちその家である。李相国公升がかつて東都に赴いたとき、管記が詩を作った。
寺の号が天官とは昔に縁があったからで ふと経始したことを聞いて一しきり悽然とする 情の多い公子は花の下に遊び 怨みを含んだ佳人は馬の前で泣いた 紅い鬣は情があってかえって路を識り 蒼い頭の僕は何の罪でいたずらに鞭を加えられたのか ただ残るのは一曲の歌詞の妙だけで 蟾と兎がともに眠って万古に伝わる
天官はすなわちその女の名である。
明皇時 大叔僧統寥一 出入禁宇間 不問左右二十餘年 常作乞退詩進呈云 五更殘夢寄松關 十載低徊紫禁間 早茗細含鶯鳳影 異香新屑鷓鴣斑 自憐瘦鶴翔丹漢 久使寒猿怨碧山 願把殘陽還舊隱 不敎嚴畔白雲閒 上大加稱賞 謂師曰昔人雲 莫訝杖藜歸去早 故山閒却一溪雲可謂先得師之奇趣 因和其詩以賜之曰 祖師心印製機關 卽悟眞空一瞬間 宴坐爐添沈水瓣 迎賓筑破紫苔班 好將經論傳緇侶 莫以行藏憶舊山 夕磬晨香勤禮念 願令愚俗得安閒 歷觀古今名緇秀衲 得被君王寵賜以篇章者多矣 未有特次其韻 叙其意如此款密 昨詣大叔丈室 示以御製此篇 宸翰飛動 蘭麝郁然 正冠肅容跪而讀之 若瞻天日於雲表 祥光瑞色爛溢目 誠可仰也
明皇のとき、大叔の僧統寥一が宮の中を出入りして左右を問わないこと二十年あまりであった。つねに退くことを乞う詩を作って奉った。
五更の残りの夢を松の関に寄せ 十年、紫の禁の間に低く行き来した 早い茗には鶯と鳳の影を細かに含み 異なる香には鷓鴣の斑を新たに屑く 自ら憐れむ、痩せた鶴が丹い漢を翔り 久しく寒い猿に碧い山を怨ませたことを 願わくは残りの陽を把って旧い隠れ処に還り 巌のほとりの白い雲を閒かにさせないでいたい
上は大いに称え賞され、師に言われた。
「昔の人が『杖藜で帰るのが早いのを訝るな、故の山が閒かに一渓の雲を却けた』と言ったのは、先に師の奇しい趣を得たと言えよう。」
そしてその詩に和して賜った。
祖師の心の印が機関を製するので すぐに真なる空を一瞬の間に悟る 宴に坐して炉に沈水の瓣を添え 賓を迎えて紫の苔の斑を筑き破る 経と論を緇の侶に伝えるのがよい 行くも蔵れるも旧い山を憶うな 夕べの磬と晨の香に勤めて礼し念じ 愚かな俗に安らかで閒かなるを得させよ
古今の名ある緇と秀でた衲をあまねく見るに、君王の寵しみで篇章を賜った者は多かったが、特にその韻を次いでその意を述べることを、これほど懇ろに密やかにした例はなかった。
昨日、大叔の丈室に参ったところ、御製のこの篇を示された。宸翰は飛び動き、蘭と麝が郁然としていたので、冠を正し容を肅して跪いて読むと、雲の表に天の日を瞻るようで、祥なる光と瑞なる色が目に爛れ溢れた。まことに仰ぐに足る。