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巻下破閑集 卷下

破閑集(閑を破る書き留め) 破閑集 · 李仁老(イ・インノ) · 1220年頃に著す · 1260年に刊行 · 段落 30 · 漢字 6,064字 · 朗読 24.3分

破閑集(閑を破る書き留め) 破閑集 卷下 高麗の文人が残した最も古い詩話集。史書でも経典でもなく、人の暮らしの話である。詩の一句を得ようと夕べが尽きるまで苦しんで吟じたこと、妻の嫉妬を避けて妾を牛と取り替えた友、青鶴洞を求めて智異山に入ったがついに見つけられなかったこと、浮碧楼に登って二句だけを得て泣きながら下りてきた金黄元 — 短い条目七十六が次々と続く。金庾信が馬を斬った天官寺と、崔致遠が伽耶山で姿を消した話もここに収められている。

林舊俗 擇男子美風姿者 以珠翠飾之 名曰花郞 國人皆奉之 其徒至三千餘人 若原嘗春陵之養士 取其潁脫不羣者 爵之朝 惟四仙門徒最盛 得立碑 我太祖龍興 以爲古國遺風尙不贊矣 冬月設八關盛會 選良家子四人 被霓衣列舞于庭 郭待制東珣 代作賀表云 自伏羲氏之王天下 莫高太祖之三韓 邈姑射山之有神人 苑是月城之四子 又云 桃花流水杳然去 誰眞跡之難尋 古家遺俗猶有存 信皇天之未喪 又云 匪高之庭 得詣百獸率舞之列 凡周之士 皆歌小子有造之章 東珣卽郭處士猶子也 少有才名 時處士入處大內山呼亭 東珣往謁淸談從容 會日晩留宿焉 苔夜半月色如練 上步至山呼亭 處士命東珣出拜 上曰是何人耶 對曰臣兄子某 久不得面 今幸得叙契闊 及將還 而金鑰已下 死罪死罪 上曰朕亦聞之久矣 處士獻壽口占云 月影偏尋天子座 命東珣續之 卽跪奏云 露花還濕侍臣衣 上大加稱賞曰有才如是 雖明皇豈忍放耶 是夕入直金門

鶏林の旧い風俗では、男子で風采の美しい者を選び、珠と翠で飾って花郎と名づけ、国の人が皆これを奉じたので、その徒は三千余人に至った。ちょうど平原君・孟嘗君・春申君・信陵君が士を養ったようなもので、その中で抜きん出て群と異なる者を選んで朝廷に爵を与えた。ただ四人の仙の門徒が最も盛んで、碑を立てることができた。

我が太祖が竜のように興られると、旧い国の遺した風俗がまだ衰えていないとお考えになり、冬の月に八関の盛んな会を設け、良い家の子四人を選んで霓の衣を着せ、庭に列ねて舞わせられた。

郭待制東珣が代わって賀の表を作った。「伏羲氏が天下に王となってから、我が太祖の三韓より高い方はなく、遥かな姑射山に神人があるといいますが、この月城の四人の子がまことにそれです。」また「桃の花の流れる水が遥かに去ってしまったのに、誰が真の跡を尋ねがたいと言いましょう。古い家の遺した風俗がなお存るのですから、まことに皇天がまだ棄てておられないのです」とあり、また「高くもない庭で、百獣が率いられて舞う列に進むことを得、およそ周の士が皆『小子有造』の章を歌います」とあった。

東珣はすなわち郭処士の甥である。若くして才ある名があった。そのころ処士は大内の山呼亭に入っていたが、東珣が訪ねて拝し、清い談がしずかに続き、たまたま日が暮れて宿ることになった。夜半に月の光が練り絹のようであったので、上は歩いて山呼亭に至られた。処士が東珣に出て拝させると、上は「これは何者か」と言われた。答えた。

「臣の甥の某です。久しく顔を見られずにいましたが、いま幸いに離れていた思いを述べました。帰ろうとするとき、すでに金の鑰が下りていました。死罪です、死罪です。」

上は「朕もまたかれのことを聞いて久しい」と言われた。処士は寿を献じて口ずさんだ。「月の影が偏って天子の座を尋ねる。」東珣に継ぐよう命じられると、すぐに跪いて奏した。「露の花がかえって侍る臣の衣を湿らせる。」

上は大いに称え賞され、「才がこのようであれば、明皇でさえどうして放って帰すのに忍びようか」と言われた。この夕べ、金門に入って宿直した。

夾注 1

底本は「尙不贊」ですが、尚不替(まだ衰えていない)の誤りと見て改めて読みました。― 訳者

睿王尤重儒生 每間歲親策賢良 先閱所納卷子 以知其才 擧子高孝冲名士也 作四無益詩 以斥君非 雖聖主不能虛懷 及闢春闈 命侍臣林敬淸就試席 黜高孝冲然後放題 而學士胡宗旦詣闕上箚子 得叙其罪 後復應擧納卷子春官 其首題曰 寄語卷中詩部論 與君相別在明春 汝爲秘閣千年寶 我作靑雲第一人 果擢龍頭翶翔省闥 諤諤有諍臣風 所至人皆指之曰是嘗作四無益詩者

睿王は儒生をとりわけ重んじ、年を隔てるたびに自ら賢良を策し、まず納められた巻子を閲してその才を知られた。挙子の高孝冲は名ある士であったが、「四無益詩」を作って君の非を斥けた。聖なる主でさえ心を虚しくすることはできず、春の闈を開くとき、侍臣の林敬清に命じて試験の席に赴かせ、高孝冲を黜けてから題を出させられた。ところが学士の胡宗旦が闕に参って箚子を上り、その罪を解くことができた。

後にまた科挙に応じて巻子を春官に納めたが、その首の題はこうであった。

巻の中の詩部論に言葉を寄せる そなたと相い別れるのは明くる春にある そなたは秘閣の千年の宝となり 私は青雲の第一の人となろう

果たして竜頭に抜かれて省闥を翔り、諤々として諍う臣の風があった。至る所で人は皆これを指して「あれがかつて四無益詩を作った人だ」と言った。

士子朴元凱 少潁悟不群 年甫十一作啓事 上塚宰崔允儀 乞叙父官云 有一夫不被其澤 惟我父兮 使萬物咸得其宜 實惟公耳 相國讀之疑其倩人 欲面試之 今我欲飮茶一椀 飮未及盡 兒宜賦庭中芍藥 沈韻香王 卽應聲曰 芍藥留春色 軒前吐異香 牡丹如在側 應愧百花王 相國驚嘆不已曰 必爲後生袖領 及長赴司馬試 放題 國者至公之器詩 乃曰 高舜難傳子 商周得以功 使事精妙如此 果擢第 爲一時聞人 詩家作詩多使事 謂之點鬼薄 李商隱用事險僻 號西崑軆 此皆文章一病 近者蘇黃崛起 雖追尙其法 而造語益工 了無斧鑿之痕 可謂靑於藍矣 如東坡見設驥鯨遊汗漫 憶曾捫虱話悲辛 永夜思家在何處 殘年知爾爾來情 句法如造化生成 讀之者莫知用何事 山谷云 語言少味無阿堵 氷雪相看只此君 眼看人情如格五 心知世事等朝三 類多如此 吾友鱀之亦得其妙 如歲月屢驚羊胛熟 風騷重會鶴天寒 腹中早識精神滿 胸次都無鄙吝生 皆播在人口 眞不愧於古人

士子の朴元凱は若くして聡く悟り、群と異なっていた。年わずか十一で啓事を作り、冢宰の崔允儀に上って父の官を叙してくれるよう乞うた。「一人でもその沢を被らない者があるとすれば、ただ我が父です。万物をことごとくその宜しきを得させるのは、まことに公です。」

相国はこれを読んで人に借りたのではないかと疑い、面と向かって試そうとした。

「いま私が茶を一椀飲もう。飲み終わらないうちに、おまえは庭の中の芍薬を詠め。韻は香と王とする。」

すぐに声に応じた。

芍薬が春の色を留めて 軒の前で異なる香を吐く 牧丹がもしそばにあったら きっと百花の王であるのを恥じるだろう

相国は驚き感嘆してやまず、「必ず後生の袖領となろう」と言った。

成長して司馬の試に赴いたが、「国は至公の器である」という題が出ると「堯と舜も子に伝えがたく、商と周は功によって得た」と言った。事を用いることの精緻で妙なことはこのようであった。果たして及第して一時の聞こえた人となった。

詩人が詩を作るとき事を多く用いるのを「鬼の簿に点を打つ」という。李商隠は事の用い方が険しく僻であって西崑体と呼ばれたが、これはいずれも文章の一つの病である。近ごろ蘇軾と黄庭堅が崛起して、その法を追い尚んだとはいえ、語の造り方がいよいよ巧みで斧や鑿の跡が少しもないのだから、藍より出て藍より青いと言ってよい。

東坡の「驥と鯨が汗漫に遊ぶのを見て、かつて虱を捫りながら悲しく辛いことを語ったのを憶う」や「長い夜に家を思うがどこにあるのか、残りの年にそなたの情を知る」のような句は、法が造化が生み成したようで、読む者は何の事を用いたのか分からない。

山谷は「語言に味が少なくて阿堵がなく、氷と雪が相い看るのはただこの君だけ」と言い、「眼で人の情を看れば格五のようで、心で世の事を知れば朝に三つのようだ」と言った。この類が多い。

わが友の耆之もまたその妙を得た。「歳月はたびたび驚いて羊の胛が熟し、風騒が重ねて会して鶴の天が寒い」や「腹の中には早くから精神が満ちるのを識り、胸のうちにはまるで鄙吝が生じない」のようなものが皆、人の口に広まったのだから、まことに古人に恥じない。

僕爲兒時 登京城北天磨山 探奇摘異無遺 見一蕭寺壁上留詩云 誰號天磨嶺 凌空積翠浮 去天纔一握 掛月幾多秋 路險垂猿臂 詩偏側鶴頭 下一句漫滅不可讀 無作者之名 然此必巖谷間避世養道者所題其語淸而若

私が子どものころ、京城の北の天磨山に登り、奇しいものを探り異なるものを摘んで残すところがなかった。あるものさびしい寺の壁の上に残った詩を見た。

誰が天磨嶺と呼んだのか 空を凌いで積もった翠が浮かぶ 天との距離はわずかに一握り 月を掛けてから幾年になるのか 路は険しくて猿の臂を垂れ 詩は偏って鶴の頭を側ける

下の一句は消えて読めず、作者の名もなかった。しかしこれは必ず巌と谷の間で世を避けて道を養った者が書きつけたもので、その語は清くてそのようであった。

南州樂籍有倡 色藝俱絶 有一郡守忘其名 屬意甚厚 及爪將返愋 忽大醉謂傍人曰 若我去郡數步 輒爲他人所有 卽以蠟炬燒灼其兩脥 無完肌 後榮陽襲明杖節來過 見其妓悵怏不已 出二幅雲藍 手寫一絶贈之 百花叢裏淡丰容 忽被狂風减却紅 獺髓未能醫玉狹 五陵公子恨無窮 因囑云 若有使華來過 宜出此詩示之 妓謹依其敎 凡見者 輒加賙恤 欲使榮陽公聞之 因得其利 富倍於初

南州の楽籍に倡がいて、色も芸もともに絶れていた。ある郡守があって、その名は忘れたが、意を寄せることがはなはだ厚かった。任期が尽きて帰ろうとするとき、ふと大いに酔ってかたわらの人に言った。

「もし私が郡を数歩離れたら、たちまち他人のものになるだろう。」

そして蠟の炬でその両の頬を焼き、まともな肌がないようにした。

後に滎陽の襲明が節を杖いて通り、その妓を見てやるかたなく思った。雲藍の紙二幅を出して、手ずから絶句一首を書いて与えた。

百花の叢の裏に淡く丰かな容が ふと狂う風を被って紅が減ってしまった 獺の髓でも玉の頬は医せないので 五陵の公子たちの恨みは窮まりない

そして言い付けた。

「もし使いの方が通られたら、この詩を出して見せなさい。」

妓は謹んでその教えに従ったので、およそ見た者はすぐに助けを加えた。滎陽公に聞かせようとしたことであったが、それによってその利を得て、豊かさは初めの倍になった。

黃公純益有奇才 少遊太學讀書 患口焦 從人求建茶 以啓事謝之云 孟諫議之寄盧同 習習淸風生兩腋 王相國之贈平甫 團團碧月墮九天 又和人鶴詩 踏破逕苔松脚健 舞翻庭月雪衣凉 其俊逸如是 士林皆敬畏之 常謁樞府金存中 適有獻松芝者 相國請賦之 立書云 昨夜食指動 今朝異味嘗 元非培塿質 尙有伏岺香 嗜酒少檢東 低佪薄宦久不得遷轉 忽一夕天寒痛飮 憑机而睡 其隣人夢見先生張素盖 將返白頭山舊居及曉訪之 已寂矣 世號白頭精

黄公純益は奇しい才があった。若くして太学に遊んで書を読んだが、口の焦れる病に患い、人に建茶を求め、啓事で礼を述べた。

「孟諫議が盧同に寄せると、習々と清い風が両の腋に生じ、王相国が平甫に贈ると、団々と碧い月が九つの天から墜ちます。」

また人の鶴の詩に和した。「径の苔を踏み破って松の脚が健やかで、庭の月を舞い翻して雪の衣が涼しい。」その俊逸なことはこのようであったので、士林は皆これを敬い畏れた。

つねに枢府の金存中に謁していたが、たまたま松の芝を献じる者があって、相国が詠むよう請うた。その場で書いた。

昨夜、食指が動いたと思ったら 今朝、異なる味を嘗める もとより培塿の質ではなく いまも茯苓の香がある

酒を好んで身の慎みが少なく、薄い官に低く行き来して久しく遷ることができなかった。ふとある夕べ、天が寒くてひどく飲み、机に倚って眠った。その隣の人が夢に、先生が白い蓋を張って白頭山の旧い居に帰るのを見た。暁に訪ねると、すでに静まっていた。世では白頭の精と呼んだ。

夾注 1

底本は「伏岺」ですが、茯苓(松の根に生じるもの)の誤りと見て改めて読みました。― 訳者

西河耆之倦遊 僑泊星山郡 郡倅飽聞其名 送一妓薦枕 及晩逃歸 耆之悵然作詩曰 登樓未作吹簫伴 弄月空爲節藥仙 不把長官嚴號令 謾嗔生客惡因緣 其用事益精 此古人所謂戚金結雟 而無痕隲

西河の耆之が遊びに倦んで星山郡に寄り住んだ。郡の守はその名を聞き知っていて、妓一人を送って枕に侍らせたが、その妓は夜更けに逃げ帰った。耆之はやるかたなく思って詩を作った。

楼に登っても簫を吹く伴とはならず 月を弄んでいたずらに薬を搗く仙となった 長官の厳しい号令を把えられず いたずらに知らぬ客の悪い因縁を嗔る

その事の用い方はいよいよ精しく、これが古人のいわゆる、金を打って継ぎ目を結んで跡がないというものである。

白雲子神駿掛冠 神虎歸隱公州山莊 郡守遣其子受業有年 應擧京師 以一絶送之 信陵公子統精兵 遠赴邯鄲立大名 天下英雄皆法從 可憐揮涕老侯嬴

白雲子の神駿が冠を掛け、神虎から公州の山荘に帰って隠れた。郡守がその子を遣わして業を受けさせること数年であったが、京師に科挙を受けに行くので、絶句一首で送った。

信陵公子が精兵を統べて 遠く邯鄲に赴いて大いなる名を立てた 天下の英雄が皆、法として従ったが 憐れなのは涙を揮った老いた侯嬴だ

僕先祖 世以文章相繼 紅紙相傳今已八葉矣 僕以不才偶居多士之先 而長子裎第四人 次讓第三 次榲第二 雖嶄然露頭角 科級魏 而未有能卓然處狀頭 得與父同科者 高陽月師作詩賀曰 三子聯」珠繼父風 四枝仙桂一家中 連年雖占黃金榜 尙避龍頭讓老翁

我が先祖は代々文章で相い継ぎ、紅い紙を相い伝えてもう八葉になる。私は才もないのにたまたま多くの士の先に立ち、長子の裎は第四の人、次の譲は第三、次の榲は第二であった。頭角を抜きん出て現して科の等級は高かったが、卓然として状頭の座にあって父と同じ科を得た者はまだいない。高陽の月師が詩を作って祝った。

三人の子が珠を連ねて父の風を継ぎ 四枝の仙の桂が一つの家の中にある 年を連ねて黄金の榜を占めてはいるが いまも竜頭を避けて老いた翁に譲る

京城西十里許 有安流慢波 澄碧澈底 遙岑遠岫相與際天 實與蘇黃集中所說西興秀氣無異 士子盧永綏有才調 嘗日暮泛一葉 泝流而行 欲抵宿湖邊寺 中流長嘯 怳若有得云 風蕭蕭兮易水寒 孤舟獨往 放聲吟諷 恨未有續之者 忽於蘆葦間 烟霏掩昧中 卽應聲曰 靄沉沉兮楚天濶 遊子何之 盧公聞之驚愕不自定 乃曰此 間無人居 是必仙眞也 停棹不得去 夜將午四顧無人聲 惟殘星缺月倒影霜濤間 遂還 明日都下喧傳 有天仙降西湖 後踰月聞之 乃及第柳脩 寄宿於漁舟

京城の西十里ばかりに、静かに流れる緩い波があって、澄んで碧く底まで徹る。遠い峰と遠い岫が相い与に天に際するので、まことに蘇軾と黄庭堅の集の中で説く西興の秀でた気と変わらない。

士子の盧永綏は才と調べがあった。かつて日が暮れて一葉の舟を泛べ、流れを溯って行き、湖のほとりの寺に宿ろうとした。流れの中で長く嘯き、ふと得るところがあったかのように「風が蕭々として易水が寒い、孤り舟で独り往く」と言い、声を放って吟じたが、継いでくれる者のないのを恨んだ。

ふと蘆と葦の間、烟と霏が掩い昧ますうちから、すぐに声に応じた。「靄が沉々として楚の天が濶い、遊子よどこへ行くのか。」

盧公はこれを聞いて驚愕し、自ら定まらずに言った。「この辺りに人の住む所はない。これは必ず仙真だ。」棹を停めて去ることができなかった。夜が午に近づき、四方を顧みても人の声はなく、ただ残った星と欠けた月が霜の濤の間に影を倒すばかりであったので、ついに帰った。

翌日、都の下に「天の仙が西湖に降りた」と喧しく伝わった。後に月を越えて聞くと、すなわち及第した柳脩が漁の舟に宿を寄せていたのであった。

朴君公襲居貧嗜酒 客至無以飮 求酒於靈通寺僧 用皤腹山罇 盛以泉水 封纏甚牢固送之 朴公初見喜曰 此器可受二斗許昔陳王 斗酒十千宴於平樂 杜子美亦曰還須相就飮一斗 恰有三百靑銅錢 今吾二人不費一錢 而得美酒 各飮一斗 則酣適之興不减於古人 開視之乃水也 恨眼目不長 落老胡計中 作詩寄之曰 有客來相過 囊中欠一錢 分爲廬岳酒 浪得惠山泉 似虎林中石 如蛇壁上弦 屠門猶大嚼 何况對樽前 僧見詩 更以美酒酬之

朴君公襲は貧しく暮らしながら酒を好んだ。客が来ても飲ませるものがなく、霊通寺の僧に酒を求めた。僧は腹の膨れた山の罇に泉の水を盛り、はなはだ牢く封じ纏って送った。

朴公は初め見て喜んで言った。

「この器は二斗ばかり入るだろう。昔、陳王は斗酒十千で平楽に宴し、杜子美も『やはり相い就いて一斗飲むべきだ、ちょうど三百の青銅の銭がある』と言った。いま我ら二人が一銭も費やさずに美い酒を得て、それぞれ一斗飲めば、酣い適う興は古人に劣るまい。」

開けて見ると水であった。眼目の長くないことを、老いた胡の計に落ちたことを恨んで、詩を作って寄せた。

客があって相い過ぎたのに 囊の中には一銭が欠けている 廬岳の酒になるかと思ったら いたずらに恵山の泉を得た 虎に似た林の中の石 蛇のような壁の上の弦 屠の門でさえなお大きく噛むのに まして樽の前に対するとなれば

僧は詩を見て、改めて美い酒で酬いた。

學士彭祖逖有貪書之癖 茅茨數椽風雨四至 買桂炊玉常晏如也 爲文章必有根柢 讀書者至於難句 毅王末年相國李光縉 謙恭謹愼不及於難 公在綸菀作誥云 險阻艱難備嘗矣 亦曰殆哉 溫良恭儉以得之 終無咎也 明王初 宗伯韓彦國 引新榜諸生謁恩門崔相國作詩謝之 公和其詩引云 君子人君子 繼得英才 門生下門生 共陳謝禮 又云 師子窟中師子 同一吼音 桂枝林下桂枝 無二熏氣 其奇險如是 晩年尤嗜內典與華嚴 師壯觀學法界觀 作百韻謝之 世號祖逖菩薩頌

学士の彭祖逖は書を貪る癖があった。茅の屋根の数椽に風雨が四方から至っても、桂を買い玉を炊くような暮らしでつねに晏如としていた。文を作れば必ず根柢があって、書を読む者を難しい句に至らせた。

毅王の末年、相国の李光縉は謙り恭しく謹んで難に及ばなかった。公は綸菀にあって誥を作った。「険阻と艱難をあまねく嘗めたが、それもまた殆いことだと言った。温良恭倹によってこれを得たのだから、終に咎がない。」

明王の初め、宗伯の韓彦国が新しい榜の諸生を率いて恩門の崔相国に謁し、詩を作って礼を述べた。公はその詩に和して引いて言った。「君子の人が君子を継いで英才を得、門生の下の門生がともに謝の礼を陳べた。」また「師子の窟の中の師子だから同じ一つの吼える音であり、桂の枝の下の桂の枝だから二つの薫る気がない」と言った。その奇しく険しいことはこのようであった。

晩年には内典をいよいよ好み、華厳の師の壮観とともに法界観を学び、百韻を作って礼を述べた。世では「祖逖菩薩頌」と呼ぶ。

學士金黃元拜大諫 屢陳藥石 未得回天之力 出守星山 路出分行驛 適會天院李載 自南國還朝 邂逅於是驛 以詩贈之 分行樓上豈無詩 留與皇華寄所思 蘆葦蕭蕭秋水國 江山杳杳夕陽時 古人不見今空歎 往事難追只自悲 誰信長沙左遷客 職卑年老鬂毛衰 縉紳皆屬和幾一百首 目之曰分行集 學士朴昇冲爲序 皇大弟大原公鏤板以傳之 公平生作詩必使夕陽二字 金相國富儀 誌於墓 以爲晩登淸要之讖

学士の金黄元が大諫に拝され、たびたび薬や石のような言を陳べたが、天を回らす力を得られず、星山の守に出た。路が分行駅に出たが、たまたま天院の李載が南国から朝廷に帰る途中、この駅で行き会ったので、詩を贈った。

分行楼の上にどうして詩がないことがあろう 皇華に残して思うところを寄せる 蘆と葦が蕭々とした秋の水の国 江と山が杳々とした夕べの陽の時 古人に見えないのでいま空しく歎き 往った事は追いがたくてただ自ら悲しむ 誰が信じよう、長沙に左遷された客が 職は卑しく年は老いて髪が衰えたことを

縉紳が皆、相い継いで和したものが百首に近く、名づけて『分行集』とした。学士の朴昇冲が序を作り、皇太弟の大原公が板に鏤めて伝えた。

公は生涯、詩を作れば必ず「夕陽」の二字を用いた。金相国富儀が墓に誌して、晩くに清要に登る讖であるとした。

草堂秋七月 桐雨夜三更 欹枕客無夢 隔窓虫有聲 淺莎翻亂滴 寒葉洒餘淸 自我有幽趣 知君今夜情 此學士印份作也 學士之名雷震海東者 實由此篇 僕昔佐桂陽府 一日棹舟 自孔巖縣至幸州南湖 見斷岸如苽 松衫八九株森立於側 而遺垣壞堵猶在 過者皆指之曰此印公草堂舊墟也 僕艤舟不能去 徘徊長嘯想見其人 便尋小徑登小華寺南樓 見壁上有詩 莓苔暗淡墨痕僅存 迫而視之 乃印公所題也 蕉鳴箔外知山雨 帆出峰頭見海風 可謂名下無虛士矣

草堂の秋七月 桐に雨の降る夜三更 枕に倚る客は夢がなく 窓を隔てて虫は声がある 浅い莎に乱れた滴が翻り 寒い葉に残りの清さが洒ぐ 我に幽なる趣があるので そなたの今夜の情を知る

これは学士の印份が作ったものである。学士の名が海東に雷のように震ったのは、まことにこの篇によっている。

私が昔、桂陽府の佐であったとき、ある日舟を棹して孔巌県から幸州の南湖に至った。断たれた岸が瓜のようで、松と杉が八、九株そばに森と立ち、遺された垣と壊れた堵がなお存っていた。通る者は皆これを指して「これが印公の草堂の旧い址だ」と言った。

私は舟を艤して去ることができず、行き来して長く嘯きながらその人を思った。そこで小さな径を尋ねて小華寺の南の楼に登ると、壁の上に詩があるのを見たが、苔が暗く淡んで墨の跡がやっと残っていた。近づいて見ると、すなわち印公が書きつけたものであった。

蕉が箔の外で鳴れば山の雨を知り 帆が峰の頭に出れば海の風を見る

名の下に虚しい士はない、と言ってよい。

皆骨關東名山也 峰巒洞壑無非石 望之如潑墨 岩棲者 皆以客土塡罅隙然後得種蒔苽菓以食之 玉堂田致儒 杖節經是山 卽題云 草木微生禿首髮 烟霞半卷袒肩衣 兀然皆骨獨孤潔 應笑肉山都大肥

皆骨は関東の名ある山である。峰も巒も洞も壑も石でないものがなく、眺めると墨を潑いたようだ。巌に棲む者は皆、他から運んだ土で罅や隙を填めてから、瓜や菓を種え蒔いて食べることができる。

玉堂の田致儒が節を杖いてこの山を経て、すぐに書きつけた。

草木は微かに生えて禿げた首の髪のようで 烟と霞は半ば巻かれて肩を袒いだ衣のようだ 兀然として皆骨は独り孤り潔く きっと肉の山がすべて大いに肥えたのを笑うだろう

東館是蓬萊山 玉堂號虌頂 皆神仙之職 本朝舊制 雖天子莫得擅其升黜 苟有缺 必須禁署諸儒薦引 然後用之 非有三多之譽 七步之才 則世皆謂之處 必未免血指汗顔之誚 睿王時 江南措大鄭襲明 抱奇才偉量涉世無津 嘗賦石竹花 世愛牡丹紅 栽培滿院中 誰知荒草也 亦有好花叢 色透村塘月 香傳隴樹風 地偏公子少 嬌態屬田翁 時有大閽 誦此詩達宸聰 上曰 非狗監何以知相如之尙在耶 卽令補玉堂 毅王初 賢良皇甫倬十擧擢上第 會上遊上林賞樂藥 遂成一什 侍臣莫賡載 賢良亦進一篇 誰導花無主 龍顔日賜親也應迎早夏 獨自殿餘春 午睡風吹覺 晨粧雨洗新 宮娥莫相妬 雖似竟非眞 上大加稱賞 其後選部進擬補館職老 上觀姓名曰莫是嘗進應制芍藥者耶 卽以黰翰點之 直東館 鄭公後入樞掖居喉舌 受遺輔主謇蹇有王臣風 皇甫公亦掌綸誥 出入臺閣十餘年 噫風雲際會 古人謂之千載 今觀二公 唯以一篇見知 不煩夢卜 自然而合 明良相値豈偶然哉

東館は蓬莱山、玉堂は鼈の頂と号するから、いずれも神仙の職である。本朝の旧い制では、天子でさえその昇り黜けを擅にすることができず、まことに欠けがあれば、必ず禁署の諸儒が薦め引いてから用いた。三つが多いという誉れと七歩の才がなければ、世は皆これを処だと言って、必ず指に血を出し顔に汗する誚りを免れなかった。

睿王のとき、江南の貧しい士、鄭襲明は奇しい才と偉い量を抱いていたが、世を渉る津がなかった。かつて石竹の花を詠んだ。

世は牧丹の紅を愛して 院の中に満ちるほど栽え培う 誰が知ろう、荒れた草にも また好い花の叢があることを 色は村の塘の月に透り 香は隴の樹の風に伝わる 地が偏って公子が少ないので 嬌やかな態は田の翁に属する

そのころ大いなる閽があって、この詩を誦して上のお聞きに達した。上は「狗監でなければ何によって相如がなお在るのを知ろうか」と言われ、すぐに玉堂に補わせられた。

毅王の初め、賢良の皇甫倬が十たび挙に応じて上の第に抜かれた。たまたま上が上林に遊んで芍薬を賞され、ついに一什を成されたが、侍臣は賡いで載せられなかった。賢良もまた一篇を奉った。

誰が花に主がないと言うのか 竜の顔が日ごとに親しみを賜る これもまさに早い夏を迎え 独り自ら残りの春を送るのだろう 午の睡りは風が吹いて覚まし 晨の粧いは雨が洗って新しい 宮の娥たちよ、互いに妬むな 似てはいても結局は真ではない

上は大いに称え賞された。その後、選部が館の職に補う者を擬して進めたとき、上は姓名を観て「これはかつて応制の芍薬を進めた者ではないか」と言われ、すぐに黰い翰で点じて東館に直させられた。

鄭公は後に枢掖に入って喉と舌の地にあり、遺命を受けて主を輔け、謇々として王の臣の風があった。皇甫公もまた綸誥を掌り、台閣を出入りすること十年あまりであった。

ああ、風と雲が際い会うことを古人は千載と言った。いま二公を観れば、ただ一篇で知られることを得て、夢や卜を煩わさず、自ずからにして合ったのだから、明なる主と良なる臣が相い値うのは、どうして偶然であろうか。

白雲子葉儒冠學浮屠氏敎 包腰遍遊名山 途中聞鶯感成一絶 自矜降觜黃衣麗 宜向紅檣緣樹鳴 何事荒村寥落地 隔林時送兩三腥 吾友耆之失意遊江南 聞鶯亦作詩云 田家闞熟麥將鐰 緣樹初聞黃粟留 似識洛陽花下客 殷勤百轉未曾休 古今詩人托物寓意 多類此 二公之作初物與之相期 吐縰悽惋若出一人之口 其有才不見用 流落全涯羈遊旅迫之狀 了了然皆見於數字間 則所謂詩源乎心者信哉

白雲子が儒の冠を棄てて浮屠氏の教えを学び、腰に包みを負って名ある山をあまねく遊んだ。路の中で鶯を聞き、感じて絶句一首を成した。

自ら誇る黄い觜に黄い衣が麗しいのだから まさに紅い檣と緑の樹に向かって鳴くべきなのに どうして荒れた村の寥落とした地で 林を隔ててときどき二声三声を送るのか

わが友の耆之が意を失って江南に遊んだとき、鶯を聞いてやはり詩を作った。

田の家の陽が熟して麦を刈ろうとするころ 緑の樹で初めて黄粟留の声を聞く 洛陽の花の下の客を識っているかのように 殷勤に百たび転じてかつて休まない

古今の詩人が物に托して意を寓せるのは、多くこの類である。二公の作は初め物と相い期したものなのに、縰を吐くように悽しく惋しくて、まるで一人の口から出たようだ。才があっても用いられず、流れ落ちて生涯を羈て遊び旅に迫られる有様が、了々としてすべて数字の間に現れているのだから、いわゆる詩は心に源するという言葉は、まことにそのとおりだ。

雞林人金生筆法奇妙 非晉魏時人所跂望 至本朝 唯大鑑國師 學士洪灌擅其名 凡寶殿花樓額題 及屛障銘戒 皆二公筆也 淸平眞樂公卒 西湖僧惠素撰祭文 而國士書之 尤盡力刻石以傳 世謂之三絶 固非崔楊輩 豐肌脆骨者之所及 當有評者曰 引鐵爲筯 摧山作骨 力可伏輈 利堪穿札 宋人有以精嬚妙墨 求國師筆跡者 請學士權廸作二絶 寫以附之 蘇子文章海外聞 宋朝天子火其文 文章可使爲灰燼 落落雄名安可焚 亡其一篇

鶏林の人、金生の筆法は奇しく妙で、晋や魏の時の人でも跂んで望めるものではない。本朝に至っては、ただ大鑑国師と学士の洪灌がその名を擅にした。およそ宝殿や花楼の額の題、屛風や障りの銘と戒めは、皆この二公の筆である。

清平の真楽公が亡くなると、西湖の僧の恵素が祭文を撰し、国師がこれを書いたが、いよいよ力を尽くして石に刻んで伝えたので、世ではこれを三絶という。まことに崔や楊の輩のように肌が豊かで骨の脆い者たちの及ぶところではない。評する者があって「鉄を引いて筯とし、山を摧いて骨と作したので、力は輈を伏すに足り、利さは札を穿つに堪える」と言った。

宋の人で精い嬚と妙い墨をもって国師の筆跡を求める者があり、学士の権廸に絶句二首を作らせ、書いて付した。

蘇氏の文章は海の外にまで聞こえたが 宋の朝の天子はその文を火にかけた 文章は灰燼にさせることができても 落々とした雄々しい名をどうして焚けよう

その一篇は失われてしまった。

堂弟尙書惟卿 相門子 少以風流自命 與之遊者 若近玉山行 嘗中酒入賞春亭 吟賞木芍藥 樞府李陽實從傍見之 愛其風韻贈詩云 一片隴西月 飛來照洛城 別時如久雨 逢處若新晴 韻多不載 昔山谷論詩 以謂不易古人之意 而造其語 謂之換骨 規模古人之意 而形容之 謂之奪胎 此雖與夫活剝生呑者 相去如天淵 然未免剽掠潛窃以爲之工 豈所謂出新意於古人所不到者之爲妙哉 僕得是詩 以謂此古人得意句 昨雙明齋見李樞密論詩 語及此詩 李相俊昌愀然變容曰此先公贈某詩也 僕驚嘆不已 謂座客曰若以此詩編小杜集中 孰知其非

従弟の尚書惟卿は宰相の家の子である。若くして風流を自ら任じ、かれとともに遊ぶ者は玉山に行くようであった。かつて酒に中って賞春亭に入り、木芍薬を吟じ賞した。枢府の李陽実がかたわらから見て、その風韻を愛して詩を贈った。

一片の隴西の月が 飛んで来て洛城を照らす 別れる時は久しい雨のようで 逢う処は新たに晴れたようだ

韻が多いので載せない。

昔、山谷が詩を論じて「古人の意を易えずにその語を造るのを換骨といい、古人の意を規模って形容するのを奪胎という」と言った。これは生のまま剥ぎ丸ごと呑む者たちとは天と淵ほど隔たってはいるが、それでも剽り掠め潜かに窃んで巧みとすることを免れないのだから、どうしていわゆる古人の至らなかった所に新しい意を出すことの妙であろうか。

私はこの詩を得て「これは古人が意を得た句だ」と言った。昨日、双明斎で李枢密が詩を論ずるのを聞いていたところ、語がこの詩に及んだ。李相の俊昌が愀然として容を変え、「これは亡き父が某に贈った詩です」と言った。私は驚き感嘆してやまず、座の客に言った。

「もしこの詩を小杜の集の中に編み入れたら、誰がそれが違うと分かろうか。」

石鼓在岐陽孔子廟中 自周至唐幾二千載 詩書所傳 及諸史百子中固無所傳 且韋韓二公皆博古者 何以卽謂周宣王鼓 著於歌詞剖析無遺 歐陽子亦以爲有三疑焉 昨在書樓 偶讀其文 有會於余心者 吟成二十韻 以待後世君子云 木履傳爲萬世珍 壁經亦鼓諸儒舌 窮隆石鼓古稱奇 況是夫子玄宮物 周宣昔日啓中興 方召聯翩揮將鉞 戎車三千若準飛 北征玁狁南羈越 拓境已復文虎基 盛業宜將播琴瑟 振旅闐闐歌來芑 愼微亦得陳吉日 應念當時將帥勤 幾年刀韣生蟣虱 山河作誓可無亡 粉壁圖形亦不滅 豈如月斧墜雲根 科斗奇文勒勳伐 其辭渾芳簡而淳 奧理宜當載風什 胡奈詩官見不收 滄海側畔遺明月 嗟哉去周千載餘 雨打風催多壞缺 所留一行十數字 蛇龍片甲誰復惜 我車旣攻馬亦同 此語乃與詩相涉 韓公固亦深於詩 一讀卽認周宣烈 風雲入筆騁雄詞 剖析不肯遺毫髮 不然斯文成寒灰 豈與崇高得幷列 有如夢中遊帝所 暫聽鈞天悉淸越 我今吟哦欲補之 毛錐已鈍難緝綴 染指雖知九鼎味 飛鳥豈補一字脫

石鼓は岐陽の孔子の廟の中にある。周から唐まで二千年近いが、詩と書が伝えたところ、諸々の史や百家の中に、まことに伝えるところがない。また韋応物と韓愈の二公はいずれも古に博い人であるのに、何によってすぐに周の宣王の鼓だとして、歌の詞に著し、剖き析つことを残すところなくしたのか。欧陽子もまた三つの疑いがあるとした。

昨日、書楼でたまたまその文を読み、我が心に会うところがあったので、二十韻を吟じ成して後の世の君子を待つ。

木の履が伝わって万世の珍となり 壁の経もまた諸儒の舌を鼓った 窮隆たる石鼓を古くから奇しと称えるが ましてこれが夫子の玄なる宮の物であれば 周の宣王が昔、中興を啓くと 方叔と召虎が聯翩として将の鉞を揮った 戎の車三千が準って飛ぶようで 北に玁狁を征し南に越を羈した 境を拓いてすでに文王と武王の基を復したので 盛んな業をまさに琴と瑟に播くべきだった 旅を振るって闐々と「来芑」を歌い 微かなるを慎んでまた「吉日」を陳べられた まさに当時の将帥の勤めを念うべきで 幾年、刀の韣に蟣と虱が生じたことか 山と河に誓いを作せば亡ぶことはなく 粉の壁に形を図いたものもまた滅びない どうして月の斧が雲の根に墜ちて 科斗の奇しい文で勲と伐を勒したのに及ぼう その辞は渾く芳しく簡にして淳く 奥なる理はまさに風や什に載せるべきだ どうして詩の官は見ても収めず 滄い海のほとりに明るい月を遺したのか 嗟しいことだ、周を去って千載あまり 雨が打ち風が催して壊れ欠けたところが多い 残った一行の十数字は 蛇と竜の片の甲だが、誰がまた惜しもう 「我が車は既に攻められ馬もまた同じ」 この語がすなわち詩と相い渉る 韓公はまことにまた詩に深かったので 一読してすぐに周の宣王の烈であると認めた 風と雲を筆に入れて雄々しい詞を騁せ 剖き析つことに毫髪も遺そうとしなかった そうでなければこの文は寒い灰となり どうして崇く高いものと並び列ぶことを得ただろう まるで夢の中で帝の所に遊び しばし鈞天の清く越えた音をことごとく聴いたようだ 私はいま吟じ哦って補おうとするが 毛の錐はもう鈍くて緝ぎ綴じがたい 指を染めて九鼎の味を知るとはいえ 飛ぶ鳥がどうして脱けた一字を補えよう

天下之事 不以貴賤貧富爲之高下者 惟文章耳 盖文章之作 如日月之麗天也 雲烟聚散於大虛也 有目者無不得覩 不可以掩蔽 是以布葛之士 有足以垂光虹霓 而趙孟之貴 其勢豈不足以富國豊家 至於文章 則蔑稱焉 由是言之 文章自有一定之價 富不爲之減 故歐陽永叔云 後世苟不公 至今無聖賢 濮陽世材才士也 累擧不得第 忽病目作詩 老與病相隨 窮年一布衣 玄華多掩映 紫石少光輝 怯照燈前字 羞看雪後暉 待看金榜罷 閉目坐忘機 三娶輒棄去 無兒息托錐之地 簞瓢不繼 年至五十得一第 客有東都以歿 至其文章 豈以窮躓而廢之

天下の事で、貴賤や貧富によって高下をつけないものは、ただ文章だけである。おおむね文章の作は、日と月が天に麗るようで、雲と烟が大いなる虚に聚まり散るようであって、目のある者は覩ないことがなく、掩い蔽うことができない。それゆえ布や葛の士でも虹霓に光を垂れるに足り、趙孟の貴さでその勢いがどうして国を富ませ家を豊かにするに足りないことがあろうが、文章に至っては称えるものがない。

これによって言えば、文章には自ずから一定の価があって、富んでいてもそれを減らせない。それゆえ欧陽永叔は「後の世がまことに公でなければ、いまに至るまで聖賢はなかったろう」と言った。

濮陽の世材は才ある士である。たびたび挙に応じたが第を得られなかった。ふと目を病んで詩を作った。

老いと病が相い随うので 年が尽きるまで一枚の布の衣だ 玄い華が多く掩い映し 紫の石は光と輝きが少ない 灯の前の字を照らすのは怯ろしく 雪の後の暉を看るのは羞ずかしい 金の榜が罷むのを看るのを待って 目を閉じて坐り機を忘れよう

三たび娶ったがそのたびに棄てて去られ、子もなく錐を托す地もなく、簞と瓢が続かなかった。年が五十に至って一たび第を得たが、客として東都で歿した。その文章に至っては、どうして窮まり躓いたからといって廃てられよう。

世以科第取士尙矣 自漢魏而下 緜歷六朝至唐宋最盛 本朝亦遵其法三年一比 上下數千載以文拾靑紫者 不可勝紀 然先多士而後大拜者甚鮮 盖文章得於天性 而爵祿人之所有也 苟求之以道 則可謂易矣 然天地之於萬物也 使不得專其美 故角者去齒 翼則兩其足 名花無實 彩雲易山 至於人亦然 畀之以奇才茂藝 則革功名而不與 理則然矣 是以自孔孟荀楊 以至韓柳李杜 雖文章德譽足以聳動千古 而位不登於卿相矣 能以龍頭之高選 得躡台衡者 實古人所謂楊州駕鶴也 豈可以多得哉 本朝以狀頭入相者 十有八人 今崔洪胤琴克儀 相繼已到黃扉 而僕與金侍郞君綏 幷遊誥苑 其餘得列於淸華亦十五人 何其盛也 今上卽阼六年己巳 金公出守南州 諸公會于檜里以餞之 世謂之龍頭會 望之若登仙 僕作一篇記之 龍飛位九五 下有羣龍聚 呑土明月珠 騰躍靑雲路 旣登李膺門 當霈殷相雨 但貴華歆頭 腰尾奚足數 詞語雖蕪拙 庶幾使後世 皆得知本朝得人之盛 雖唐虞莫能及也

世が科第で士を取ることは久しい。漢と魏から下って六朝を緜々と歴て、唐と宋に至って最も盛んであり、本朝もまたその法に遵って三年に一たび比べた。上下数千年に文で青や紫の紐を拾った者は、ことごとく紀すことができない。しかし多くの士の先に立ち、後に大いに拝する位に至った者ははなはだ鮮い。

おおむね文章は天の性から得るもので、爵と禄は人の有するものである。まことに道をもってこれを求めれば、易いと言ってよい。しかし天と地は万物に対して、その美を専らにさせない。それゆえ角のあるものは歯を去り、翼があれば足を両つにし、名ある花は実がなく、彩る雲は散りやすい。人に至ってもまたそうで、奇しい才と茂んだ芸を畀えれば功名を革めて与えないのだから、理はすなわちそのとおりだ。

それゆえ孔子・孟子・荀子・楊雄から韓愈・柳宗元・李白・杜甫に至るまで、文章と徳の誉れは千古を聳え動かすに足ったが、位は卿相に登らなかった。竜頭の高い選で台衡を躡むことができるのは、まことに古人のいわゆる楊州で鶴に駕することだから、どうして多く得られよう。

本朝で状頭から相に入った者は十八人である。いま崔洪胤と琴克儀が相い継いですでに黄扉に到り、私と金侍郎君綏があわせて誥苑に遊び、その他に清華の列に加わった者もまた十五人なのだから、何と盛んなことか。

今上が位に即かれて六年の己巳、金公が南州の守に出るので、諸公が檜里に会して送ったが、世ではこれを竜頭会といい、眺める者は仙に登るかのようであった。私が一篇を作って記す。

竜が九五の位に飛ぶと 下に群れなす竜が聚まった 土を呑み明るい月の珠を含んで 青い雲の路に騰り躍った すでに李膺の門に登ったのだから まさに殷の相の雨を霈らせよう ただ華歆の頭を貴ぶばかりで 腰や尾をどうして数えるに足ろう

詞も語も蕪く拙いが、ほぼ後の世に、本朝が人を得たことの盛んさを皆に知らせたいのである。唐虞の世でさえ及べまい。

傳曰在南爲橘 在北爲棖 盖草木非其土莫遂其性 昨出金閨至御花苑 見橘樹高一丈 結實甚多 問苑吏云 南州人所獻 旦旦以鹽水沃其根 故得盛茂 噫草樹固無知物也 猶資灌漑栽培之力 得致於斯 況人主之用人 毋論遠近踈戚 結之以恩愛 養之以祿秩 則安有不盡忠竭誠 以補國家哉 因書十二韻 庶幾採詩者 用塵乙覽 誰把炎州種 移栽禁御傍 脫身辭瘴海 托地近宮墻 玉瘦叢多刺 雲繁葉有芒 春葩渾帶白 秋實漸含黃 浩露凝爲腦 生綃用隔瓢 摘宜煩素手 熟必待淸霜 噀霧沾衣袖 飛泉沃肺膓 縱經淮水遠 不減洞庭香 氣味含仙界 音塵隔古鄕 雖云非土性 只爲被恩光 耻與千奴幷 惟容四皓藏 君看圯上老 去楚佐高皇

伝に「南にあれば橘となり、北にあれば棖となる」とあるのは、おおむね草木はその土でなければその性を遂げられないからである。

昨日、金閨を出て御花苑に至ると、橘の樹が高さ一丈で実の結び方がはなはだ多かった。苑の吏に問うと「南州の人が献じたものですが、朝ごとに塩の水でその根を沃ぐので、盛んに茂ることを得ました」と言った。

ああ、草と樹はまことに知ることのない物であるのに、それでも灌ぎ漑ぎ栽え培う力に資って、ここに至ることができた。まして人の主が人を用いるのに、遠い近い疎い親しいを論ぜず、恩と愛で結び、禄と秩で養うなら、どうして忠を尽くし誠を竭くして国家を補わない者があろう。そこで十二韻を書くので、ほぼ詩を採る者が乙覧に塵ほどでも供してくれればと思う。

誰が炎い州の種を把って 禁じられた御の傍らに移し栽えたのか 身を脱して瘴る海を辞し 地を托して宮の墻に近くある 玉が瘦せて叢に刺が多く 雲が繁って葉に芒がある 春の葩は渾べて白を帯び 秋の実は漸く黄を含む 浩い露が凝って腦となり 生の綃で瓢を隔てて用いる 摘むには素い手を煩わすのが宜しく 熟すには必ず清い霜を待つ 霧を噀いて衣の袖を沾し 飛ぶ泉が肺と膓を沃ぐ 淮水の遠さを経てはいても 洞庭の香は減らない 気と味は仙の界を含み 音と塵は古い郷と隔たる 土の性ではないとはいうが ただ恩の光を被ったからである 千の奴と並ぶのを耻じ ただ四皓の蔵れるのを容れる そなたは看よ、圯の上の老人が 楚を去って高皇を佐けたのを

耆之避地江南幾十餘載 携病妻還京師 無托錐之地 偶遊一蕭寺 岸幅巾兀坐長嘯 僧問君是何人放傲如是 卽書二十八字 早把文章動帝京 乾坤一介老書生 如今始覺空門味 滿院無人識姓名

耆之が地を避けて江南に十余年いたが、病んだ妻を携えて京師に帰ったが、錐を托す地もなかった。たまたまあるものさびしい寺に遊び、幅巾を岸げて兀と坐して長く嘯いた。僧が問うた。

「そなたは何者で、傲りを放つことがこのようなのか。」

すぐに二十八字を書いた。

早くに文章をもって帝の京を動かしたが 乾と坤に一介の老いた書生だ いまようやく空門の味を覚えたのに 院に満ちる人は誰も姓名を識らない

白學士光臣 掌貢籍 及解鏁 新牓諸生共設齋筳 祝壽祺 便謁學士於玉筍亭 設小飮 以一絶示之 壽夭由來稟自天 不因祈禱更延年 醉眠昨夜有奇夢 知是叢誠所感然

白学士光臣が貢の籍を掌った。鏁を解くと、新しい榜の諸生がともに斎の筳を設け、寿と祺を祝った。そのまま玉筍亭で学士に謁し、小さな飲みを設けると、絶句一首を示した。

寿いか夭いかは本来、天から稟けるもので 祈り禱ることで更に年を延べるのではない 昨夜、酔って眠ったときに奇しい夢があった これは叢まった誠が感じさせたものだと知る

昔元曉大聖 混迹屠沽中 嘗撫玩曲項葫蘆 歌舞於市 名之曰無㝵 是後好事者 綴金鈴於上 垂彩帛於下以爲飾 拊擊進退皆中音節 乃摘取經論偈頌 號曰無㝵歌 至於田翁亦效之以爲戱 無㝵智國嘗題云 此物久將無用用 昔人還以不名名 近有山人貫休作偈云 揮雙袖所以斷二障 三擧足所以越三界 皆以眞理比之 僕亦見其舞作讚 復若秋蟬 頸如夏鼈 其曲可以從人 其虛可以容物 不見窒於密石 勿見笑於葵壺 韓湘以之藏世界 莊叟以之泛江湖 孰爲之名 小性居士 孰爲之讚 隴西駝李

昔、元暁大聖が屠や酒売りの中に跡を混じえた。かつて項の曲がった葫蘆を撫で玩び、市で歌い舞って、これを「無㝵」と名づけた。これより後、事を好む者が上に金の鈴を綴け、下に彩る帛を垂れて飾りとし、拊ち撃って進み退くのが皆、音と節に中った。そこで経と論の偈と頌を摘み取って「無㝵歌」と名づけた。田の翁に至ってもまたこれを效って戯れとした。

無㝵智国がかつて書きつけた。「この物は久しく用なきを用とし、昔の人はかえって名づけぬことを名とした。」

近ごろ山人の貫休が偈を作った。「双つの袖を揮うのは二つの障りを断つゆえであり、三たび足を挙げるのは三つの界を越えるゆえである。」いずれも真なる理をこれに比べたのである。

私もまたその舞を見て讃を作った。「腹は秋の蟬のようで、頸は夏の鼈のようだ。その曲がりは人に従うに足り、その虚さは物を容れるに足る。密い石に窒まるのを見せず、葵や壺に笑われるのを見せるな。韓湘子はこれで世界を蔵し、荘叟はこれで江と湖に泛べた。誰が名づけたのか、小性居士だ。誰が讃を作ったのか、隴西の駝李だ。」

僕八九歲 隨一老儒習讀書 嘗敎讀古人警句云 花笑檻前聲未聽 鳥啼林下淚難看 僕曰終不若柳嚬門外意難知 詞甚的語意俱妙 老儒愕然 毅王詔五道及東西兩界 分遣吏 悉錄諸院字郵置所題詩 悉納御府 察其風謠 及民物利病 因擇名章俊語編上 以爲詩選 有措大題驛壁云 終日曝背耕 而無一斗粟 換使坐廟堂 食穀至萬斛 金尙書莘尹出鎭龍灣幕 亦作詩 割民媚上成風久 擧國滔滔盡詭隨 厚祿高官雖可戀 靑天白日固難欺 齊王疾病如能瘳 摯烹醢豈敢辭 寄語友朋莫相笑 正而不足是男兒 及是吏錄此兩篇進呈 上閱詩 悵讀至此黙然久之 左右咸懼不測 及秋命公移鎭東藩 又明年還赴龍灣幕 三受擁旄之命 朝紳罕比 西都古高句麗所都也 控帶山河 氣像秀異 自古奇人異士多出焉 睿王時 有俊才姓鄭者 忘其名 垂髫時 送友人詩云 雨歇長堤草色多 送君千里動悲歌 大同江水何時盡 別淚年年添作波 又作詩云 桃李無言兮 蝶自徘徊 梧桐蕭洒兮 鳳凰來儀 無情物引有情物 况是人不交相親 君自遠方來此邑 不期相會是良因 七月八月天氣凉 同衾共枕未盈旬 我若陳雷膠漆信 君今棄我如敗茵 父母在兮不遠遊 欲從不得心悠悠 簷前巢燕有雌雄 池上鴛鴦成雙浮 何人驅此鳥 使我解離愁 其後赴上都擢高第 出入省闥 謇謇有古諍臣風 嘗扈從長源亭題詩云 風送客帆雲片片 露凝宮瓦玉鱗鱗 綠楊閉戶八九屋 明月倚樓三兩人 其語飄逸出塵皆類此 及作東山齋眞靜先生祭文 上亦命作東山齋記 作表云 鶴背登眞 乘白雲於杳漠 螭頭紀事 披紫詔之丁寧 又云 年踰七十 不離中壽之徒 功滿三千 必被上淸之召 又云 而出入先生之門 其來久矣 况對揚天子之命 無所辭焉 至今皆膾炙不已焉

私が八つか九つのころ、ある老いた儒に従って書を読むのを習った。かつて古人の警句を教えて読ませた。「花が檻の前で笑っても声は聴けず、鳥が林の下で啼いても涙は看がたい。」私が「やはり『柳が門の外で嚬めても意は知りがたい』に及びません」と言うと、語がはなはだ的を射て、言葉も意もともに妙であったので、老いた儒は愕然とした。

毅王が五道と東西の両界に詔して吏を分け遣わし、諸々の院や郵置に題された詩をことごとく録して御府に納めさせ、その風謡と民や物の利と病を察せられた。これによって名ある章と俊れた語を択び編んで奉り、『詩選』とした。

ある貧しい士が駅の壁に書きつけた。

終日、背を曝して耕しても 一斗の粟もない 換えてあの廟堂に坐る者は 穀を食らうことが万斛に至る

金尚書莘尹が竜湾の幕に出て鎮め、やはり詩を作った。

民を割いて上に媚びるのが風を成して久しく 国を挙げて滔々とすべて詭いて随う 厚い禄と高い官はたしかに恋うべきものだが 青い天と白い日はまことに欺きがたい 斉の王の疾病をもし瘳せるものなら 烹られ醢にされることをどうして敢えて辞そう 友や朋に言葉を寄せる、互いに笑うな 正しくて足らないのが男児なのだ

このとき吏がこの二篇を録して進め奉った。上は詩を閲され、やるかたなく読んでここに至って黙然として久しくおられたので、左右は皆、測れずに懼れた。秋になって公に命じて東藩に鎮を移させ、また明くる年には竜湾の幕に戻らせられたので、三たび旄を擁する命を受けたことになり、朝廷の紳に比べる者は罕であった。

西都は古の高句麗が都した所である。山と河を控え帯び、気象が秀でて異なるので、古くから奇しい人と異なる士が多く出た。

睿王のとき、才の俊れた鄭という姓の者があったが、その名は忘れた。髫を垂れていたころ、友人を送る詩を作った。

雨が歇んだ長い堤に草の色が多く そなたを千里に送って悲しい歌が動く 大同江の水はいつ尽きるのか 別れの涙が年々に添わって波となるのに

また詩を作った。

桃と李は言わないのに 蝶が自ずから徘徊い 梧と桐が蕭やかに洒ぐと 鳳凰が来て儀う 情のない物も情のある物を引くのに まして人が交わり相い親しまないことがあろうか そなたは遠い方からこの邑に来た 相い会うのを期さなかったのが良い因だ 七月八月、天の気が涼しいころ 衾を同じくし枕を共にしたのが十日にも満たない 私が陳重と雷義のような膠と漆の信を持っているのに そなたはいま私を敗れた茵のように棄てるのか 父母がおられるので遠くには遊べず 従いたくても得られず心が悠々とする 簷の前の巣の燕には雌と雄があり 池の上の鴛鴦は双をなして浮かぶ 誰がこの鳥たちを駆って 私に離れの愁いを解かせてくれるのか

その後、上都に赴いて高い第に抜かれ、省闥を出入りして、謇々として古の諍う臣の風があった。かつて扈従して長源亭で詩を書きつけた。

風が客の帆を送って雲が片々とし 露が宮の瓦に凝って玉が鱗々とする 緑の楊に戸を閉じた家が八つ九つ 明るい月に楼に倚る人が三人二人

その語が飄い逸れて塵を出ているのは皆この類である。

東山斎の真静先生の祭文を作り、上はまた「東山斎記」を作らせられた。表を作って「鶴の背で真に登り、白い雲を杳かな漠に乗り、螭の頭で事を紀し、紫の詔の丁寧を披きました」と言い、また「年が七十を踰えて中寿の徒を離れず、功が三千に満ちて必ず上清の召しを被るでしょう」と言い、また「先生の門を出入りして、その来ること久しく、まして天子の命に対い揚げるのに辞するところがありません」と言った。いまに至るまで皆、膾炙してやまない。

紫薇雞林壽翁 文章峻秀獨步一時 素有人倫鑑識 常出按南州到完山 見一小吏名崔鉤 鐵面嚴冷 爲人沉黙木訥 有遠到器局 携至京師養之如己子 訓以書史及綴述之規 斐然有成 詞與筆俱遒勁 及冠應擧中丙第 遊石渠入金馬 嘗謇謇匪躬 欲以循國家之急 嘗和友人詠柳詩云 西子眉長工作黛 小蠻腰細不勝嬌 又未開牡丹倚墻窺 宋玉隔壁挑相如 詞語流麗皆此類

紫薇の鶏林の寿翁は、文章が峻しく秀でて一時に独り歩いた。もとより人倫を見分ける識があった。

かつて南州を按じに出て完山に至り、崔鉤という小さな吏を見たが、鉄のような面で厳しく冷たく、人柄は沈み黙して木訥であったが、遠くに到る器と局があった。京師に携えて来て自分の子のように養い、書と史および綴り述べる規で訓えたので、斐然として成るところがあり、詞も筆もともに遒く勁かった。冠して挙に応じて丙の第に中り、石渠に遊び金馬に入った。かつて謇々として身を顧みず、国家の急を循おうとした。

かつて友人の「柳を詠む」に和した。「西子の眉が長くて黛で描いたようで、小蠻の腰が細くて嬌やかさに勝えない。」また「開かない牧丹が墻に倚って窺い、宋玉が壁を隔てて相如を挑む」と言った。語の流れるように麗しいのは皆この類である。

士子徐文遠 與檀公惇惇禮自小相友愛 俱儒門子弟也 才與年相去伯仲間爾 屢以篇什相贈答 徐子作詩云 權子和我篇脫略三四聯中有何等語 思之空悵然 比如中秋十六夜 十分明月一分虧 光彩最可憐 又如太眞初罷溫泉浴 鬢亂釵橫 濃抹小損態度有餘娟 句句鏘鏘紙上動 却恐飛去爲雲烟 不然謂我久客易感傷 故令危辭苦語不盡傳云云 夫鍾天所賦生而有之 不可以因物而遷 故仲尼之生 戱以俎豆 文王之生 在師不勞 是皆因自然 本不待於韋弦 故曰非義襲而取之是也

士子の徐文遠と檀公の惇惇礼は幼いときから相い友として愛しんだので、いずれも儒門の子弟である。才と年が相い伯仲の間であるだけだった。たびたび詩篇で相い贈り答えた。徐子が詩を作った。

「権子が私の篇に和したが、三、四の聯を脱け落として略いたので、その中にどんな語があったのか。思えばいたずらにやるかたない。たとえば中秋十六夜に、十分に明るい月が一分欠けているのが、光彩が最も憐れむべきなのと同じで、また太真が初めて温泉の浴を罷めて、鬢が乱れ釵が横たわり、濃い化粧が少し損じても態度に娟しさが余るのと同じだ。句ごとに鏘々として紙の上で動くので、かえって飛び去って雲と烟になるのが恐ろしい。そうでなければ、私が長く客となって感じ傷みやすいのを知って、わざと危うい辞と苦い語をすべて伝えないようにしたのだろう。」

そもそも天から賦けられたものを鍾けて生まれながらに有つものは、物によって遷らせることができない。それゆえ仲尼は生まれながら俎と豆で戯れ、文王は生まれながら師が労しなかったのだから、これは皆、自ずからなるものによっており、もとより韋と弦を待たなかった。それゆえ「義が襲って取ったのではない」というのがこれである。

今司空某 皇大弟襄陽公之冑子也 自離乳臭 翩翩然嘗以書史爲樂 行吟坐諷 目不掛於餘事 及於壯 學無不窺 理無不通 浩浩乎若望江湖佛可涯涘 至於詞賦亦工 用筆精妙 若翹然而望場屋 爭甲乙之名者 世以爲宗室標的也 惜也 天不興年 奄然赴玉樓之召 山人觀悟嘗遊其邸 搜遺稿得近軆詩八九篇 嘉其有二美也 以示之 飄飄然有凌雲氣格 將鏤板以傳於後 故畧爲序云云 自古宗室之親 襲茅土於襁褓中 目耽珠翠 耳悅絲竹 罕有留意於文章者 今司空某 天性好學 自年未七八 尤嗜書史 雖臨飮食 諷詠之聲不絶於外云

いまの司空の某は皇太弟襄陽公の冑子である。乳の臭いを離れてからは翩々として、つねに書と史を楽しみとし、行きながら吟じ坐しては諷じ、目を余の事に掛けなかった。壮になると、学んで窺わないところがなく、理に通じないところがなく、浩々として江や湖を望むように涯や涘を知りがたかった。詞と賦に至ってもまた巧みで、筆の用い方は精しく妙であったので、もし翹然として場屋を望み甲乙の名を争ったなら、世は宗室の標的と言ったであろう。

惜しいことだ。天が年を興えず、奄然として玉楼の召しに赴いた。

山人の観悟がかつてその邸に遊び、遺された稿を搜して近体の詩八、九篇を得、その二つの美があることを嘉んで示してくれた。飄々として雲を凌ぐ気格があった。これから板に鏤めて後に伝えようというので、略して序を作る。

古より宗室の親は襁褓の中で茅と土を襲ぎ、目は珠と翠に耽り、耳は糸と竹に悦んで、文章に意を留める者は罕であった。いまの司空の某は天性として学を好み、年が七つ八つにもならないころから書と史をいよいよ嗜み、飲み食いに臨んでも諷じ詠う声が外に絶えなかったという。