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跋 — 李世佐跋
筆苑雑記(筆の苑の雑記) 跋 徐居正が暇な折に筆の進むまま書き留め、1487年に義城で板に刻んだ雑記。朝鮮の開国から成宗の代までの百年のあいだの朝廷と在野の話177段落が収められている。傘で漏る屋根を遮った柳寛、子どもの召使いが文書に小便をしても怒らなかった黄喜、虎を射ておきながら何の獣か分からなかった崔潤徳、一晩で蔵書閣の書を読み尽くした成侃のように、人の姿がそのまま残り、世祖の前で四柱の数が五十一万八千四百しかないので禄命の書は信じられないと申し上げた箇所、山水の説と諡号の法を論じた箇所のように、著者自身の考えを明らかにした文章も併せてある。中国の使者の人柄を一人ずつ採点し、『三国史記』について「信じて伝えられる書ではない」と言った箇所もここにある。彭召・表沿沫・曹偉の序文三つと李世佐の跋文を併せて訳した。
1李世佐の跋 — 国史の翼
右筆苑雜記。吾座主四佳徐相公閑中信筆所著也。丁未春。弘文校理兪侯好仁。出守義城來也。公付以手抄一本。俾鏤諸梓。遂走書於余以勖之。僕聞命以來。凡鳩工供費之事。一皆移諸傍邑。因堅囑兪以壽其傳焉。吁是書皆吾東方國家之典攷。賢臣之事蹟。該而備。博而卞。實羽翼於國乘者。非滑稽小說之比也。況公之德業文章。固將冠一世而聳百代。奚待此書之傳而後益顯耶。然後之人觀是編。亦足以知公學問之博。而祖宗制作之盛。賢士大夫嘉言懿行。亦將爲法於後世。夫豈小補哉。成化紀元二十三年九月日。門人觀察使漢原李世佐謹跋。
右の『筆苑雑記』は、我が座主である四佳の徐相公が、閑かなうちに筆の進むにまかせて著されたものである。丁未の年の春、弘文館校理の兪好仁侯が義城の守として出るとき、公は自ら書き写した一本を与えて版に刻ませ、ついで私に書を送って励まされた。私が命を受けて以来、およそ職人を集め費用を出す事はすべて近隣の邑に移し、さらに兪侯に固く頼んで、その伝わることを永くさせた。ああ、この書はすべて我が東方の国家の典故であり、賢臣の事跡である。備わって行き渡り、広くて弁別がある。まことに国史の翼であって、滑稽の小説に比べられるものではない。まして公の徳業と文章は、まことに一世に冠たるものであり百代に聳えるであろうから、どうしてこの書が伝わってから後に、いっそう顕れるのを待つ必要があろうか。しかし後の人がこの書を見れば、やはり公の学問の広さを知るに足り、祖宗の制作の盛んなことや、賢い士大夫の美しい言葉と立派な行いも、また後世の法となるであろう。どうして小さな助けであろうか。成化紀元二十三年九月のある日、門人、観察使、漢原の李世佐が謹んで跋を記す。