作戦 — 戦いにかかる費用作戰篇
編の冒頭の注 4
欲戰,必先算其費,務因糧於敵也。
戦おうとするなら、必ずまずその費用を計算し、糧食はできるだけ敵から得るように努めなければならない。
先定計,然後修戰具,是以《戰》次《計》之篇也。
計以知勝,然後興戰,而具軍費,猶不可以久也。
計算已定,然後完車馬、利器械、運糧草、約費用,以作戰備,故次《計》。
1一日に千金かかる
孫子曰:凡用兵之法,馳車千駟,革車千乘,帶甲十萬,千里饋糧,則内外之費,賓客之用,膠漆之材,車甲之奉,日費千金,然後十萬之師舉矣。
孫子は言う。
そもそも兵を用いる法はこうである。速い戦車が千駟、重い車が千乗、よろいを着た兵が十万で、千里の外へ糧食を運ぶ。すると内と外にかかる費用、使者をもてなす出費、にかわや漆といった材料の代、車とよろいを整える代で、一日に千金かかる。そうしてはじめて十万の軍が起こる。
注 16
馳車,輕車也,駕駟馬;革車,重車也,言萬騎之重。車駕四馬,率三萬軍。養二人,主炊;家子一人,主保固守衣裝。廐二人,主養馬。凡五人。步兵十人,重以大車駕牛。養二人,主炊;家子一人,主守衣裝,凡三人也。帶甲十萬,士卒數也。
馳車は軽い戦車で、四頭の馬が引く。革車は重い車で、一万騎の荷を言う。車一台に馬四頭をつけ、三万の軍を率いる。炊事を受け持つ者が二人、衣服と装備を守る家の者が一人、馬を飼う者が二人で、合わせて五人である。歩兵は十人で、重い荷は牛が引く大きな車に載せる。炊事を受け持つ者が二人、衣服と装備を守る家の者が一人で、合わせて三人である。よろいを着た兵十万とは、兵卒の数である。
馳車,戰車也;革車,輕車也;帶甲,步卒。車一兩,駕以駟馬,步卒七十人,計千駟之軍,帶甲七萬,馬四千匹。孫子約以軍資之數,以十萬爲率,則百萬可知也。
馳車は戦う車、革車は軽い車、帯甲は歩いて戦う兵である。車一台に四頭の馬をつけ、歩く兵七十人がつく。千駟の軍を計れば、よろいを着た兵が七万、馬が四千頭である。孫子は軍需の数をおおよそ十万として示したので、百万も推して知ることができる。
輕車,乃戰車也。古者車戰,革車,輜車,重車也,載器械、財貨、衣裝也。《司馬法》曰:「一車,甲士三人,步卒七十二人,炊家子十人,固守衣裝五人,廐養五人,樵汲五人,輕車七十五人,重車二十五人。」故二乘兼一百人爲一隊,舉十萬之衆,革車千乘,校其費用支計,則百萬之衆皆可知也。
軽い車が、すなわち戦う車である。昔は車で戦った。革車は荷車で、重い車であり、器械や財貨、衣類を載せる。《司馬法》に「車一台に、よろいを着た兵三人、歩く兵七十二人、炊事をする者十人、衣類を守る者五人、馬を飼う者五人、薪を取り水を汲む者五人で、軽い車に七十五人、重い車に二十五人である」とある。だから二台の車に百人を合わせて一隊とする。十万の人々を起こせば革車が千乗であり、そのかかる費用を比べ計れば、百万の人々についてもすべて推して知ることができる。
馳車,輕車也;革車,重車也。凡輕車一乘,甲士、步卒二十五人;重車一乘,甲士、步卒七十五人。舉二車各千乘,是帶甲者十萬人。
馳車は軽い車、革車は重い車である。そもそも軽い車一乗に、よろいを着た兵と歩く兵が二十五人、重い車一乗に七十五人である。二種の車をそれぞれ千乗ずつ起こせば、よろいを着た者が十万になる。
曹公曰:「輕車也,駕駟馬,凡千乘。」晳謂馳車,謂駕革車也。一乘四馬爲駟,千駟則革車千乘。曹公曰:「重車也。」晳謂革車,兵車也。有五戎千乘之賦,諸侯之大者。曹公曰:「帶甲十萬,步卒數也。」晳謂井田之法︰甸出兵車一乘,甲士三人,步卒七十二人,千乘總七萬五千人。此言帶甲十萬,豈當時權制歟?
曹操は「軽い車で、四頭の馬をつけ、合わせて千乗である」と言った。私は、馳車とは革車を引くことをいうのだと思う。一乗に馬四頭を駟というから、千駟なら革車千乗である。曹操は「重い車である」と言ったが、私は革車は戦う車だと思う。五種の武器を備えた千乗の賦は、諸侯のうち大きな国のものである。曹操は「よろいを着た十万は、歩く兵の数である」と言った。私はこう思う。井田の法では、甸一つが戦う車一乗を出し、よろいを着た兵三人、歩く兵七十二人だから、千乗なら合わせて七万五千人である。ここでよろいを着た者が十万だというのは、当時の臨時の制度なのだろうか。
十萬,舉成數也。張預曰:馳車,卽攻車也;革車,卽守車也。按曹公《新書》云:攻車一乘,前拒一隊,左右角二隊,共七十五人。守車一乘,炊子十人,守裝五人,廐飬五人,樵汲五人,共二十五人。攻守二乘,凡一百人。興師十萬,則用車二千,輕重各半,與此同矣。
十万は、切りのよい数を挙げたのである。張預は言う。馳車はすなわち攻める車であり、革車はすなわち守る車である。曹操の《新書》を見ると「攻める車一乗に、前を受け持つ一隊と左右の角の二隊、合わせて七十五人である。守る車一乗に、炊事をする者十人、装備を守る者五人、馬を飼う者五人、薪を取り水を汲む者五人、合わせて二十五人である」とある。攻める車と守る車の二台で、合わせて百人である。十万の軍を起こせば車二千を用い、軽いものと重いものが半分ずつだから、これと同じである。
越境千里。
国境を越えて千里を行くということである。
道理縣遠。
道が遠いという意味である。
謂購賞猶在外。
賞として与える分は、この外にさらにあるという意味である。
夫軍出於外,則帑藏竭於内。舉千金者,言多費也。千里之外贏糧,則二十人奉一人也。
軍が外へ出れば、内の蔵は尽きる。千金を挙げたのは、費用が多いという意味である。千里の外へ糧食を送れば、二十人で一人を支えることになる。
軍有諸侯交聘之禮,故曰「賓客」也。車甲器械完緝修繕,言膠漆者,舉其微細。千金者,言費用多也,猶贈賞在外也。
軍中には諸侯どうしで使者を取り交わす礼があるので「賓客」と言った。車やよろい、器械を縫い直し修繕することについて、にかわと漆を言ったのは、ごく細かいものまで挙げたのである。千金とは費用が多いという意味であり、贈り物や賞はこの外にある。
計費不足,未可以興師動衆,故李太尉曰:「三軍之門,必有賓客論議。」
費用を計って足りなければ、軍を起こして人々を動かすことはできない。だから李太尉は「三軍の門には、必ず賓客の論議がある」と言った。
舉師十萬,饋糧千里,日費如此,師久之戒也。
十万の軍を起こして千里へ糧食を運べば、一日にかかるものはこのとおりである。軍を長引かせるなという戒めである。
内,謂國中;外,謂軍所也。賓客,若諸侯之使及軍中宴饗吏士也。膠漆、車甲,舉細與大也。
「内」は国の中、「外」は軍のいる所である。「賓客」は、諸侯の使者や、軍中で役人や兵を宴でもてなすことといったものである。にかわと漆、車とよろいは、小さいものと大きいものを挙げたのである。
老師費財,智者慮之。
軍を老いさせ財を費やすことは、知恵のある者が前もって気にかける。
去國千里,卽當因糧;若須供餉,則内外騷動,疲困於路、蠹耗無極也。賓客者,使命與遊士也。膠漆者,修飾器械之物也。車甲者,膏轄金革之類也。約其所費,日用千金,然後能興十萬之師。千金,言重費也,購賞猶在外。
国を離れて千里に至れば、当然敵から糧食を得なければならない。わざわざ送って食わせようとすれば、内と外が騒ぎ立ち、道中で疲れ、削られ失われるものが果てしない。「賓客」は使者と遊説の士である。にかわと漆は、器械を修め整える物である。車とよろいは、車軸に塗る油や金物・革といったものである。そのかかるものをおおよそ見れば、一日に千金を使ってはじめて十万の軍を起こせる。千金とは費用が重いという意味であり、買い上げや賞はこの外にある。
2長引けば刃が鈍る
其用戰也勝,久則鈍兵挫銳,攻城則力屈,久暴師則國用不足。
戦いを行うには勝たなければならない。長引けば兵が鈍り、鋭さが折れる。城を攻めれば力が尽き、軍を長く野に置けば国の費えが足りなくなる。
注 9
鈍,弊也;屈,盡也。
鈍とはすり切れること、屈とは使い尽くすことである。
勝久,謂淹久而後能勝也。言與敵相持,久而後勝,則甲兵鈍弊,銳氣挫衂,攻城則人力殫盡屈折也。
「勝つのに長引く」とは、長引いてからやっと勝つことをいう。敵と向かい合って持ちこたえ、長引いてから勝てば、よろいと武器が鈍って古び、鋭い気が折れ、城を攻めれば人の力がすっかり尽きて折れるという意味である。
戰雖勝人,久則無利。兵貴全勝,鈍兵挫銳,士傷馬疲,則屈。
戦って人に勝ったとしても、長引けば利がない。軍は完全に勝つことを貴ぶ。兵が鈍り鋭さが折れ、兵が傷つき馬が疲れれば、力が尽きる。
雖勝且久,則必兵仗鈍弊,而軍氣挫銳;攻城而久,則力必殫屈。
勝ったとしても長引けば、必ず武器が鈍って古び、軍の気が折れる。城を攻めて長引けば、力は必ず底をついて折れる。
屈,窮也。求勝以久,則鈍弊折挫,攻城則益甚也。
「屈」とは尽きることである。長引かせて勝ちを求めれば、鈍って古び折れる。城を攻めればいっそう甚だしい。
及交兵合戰也,久而後能勝,則兵疲氣沮矣。千里攻城,力必困屈。
兵を交えて戦うとき、長引いてからやっと勝てば、兵は疲れ気は折れる。千里の外で城を攻めれば、力は必ず疲れ尽きる。
久暴師露衆千里之外,則軍國費用不足相供。
千里の外に軍を長くさらしておけば、軍と国の費えを互いに回し合うことができない。
師久暴於外,則輸用不給。
軍を長く外にさらしておけば、送り届けるものが足りなくなる。
日費千金,師久暴,則國用豈能給?若漢武帝窮征深討,久而不解,及其國用空虛,乃下哀痛之詔是也。
一日に千金かかるのに、軍を長くさらしておけば、国の費えがどうして足りようか。漢の武帝が徹底して討ち深く攻め入り、長いあいだ収まらず、国の費えが空になってから哀痛の詔を下したのがこれである。
3他の諸侯がその隙に乗る
夫鈍兵挫銳,屈力殫貨,則諸侯乘其弊而起,雖有智者,不能善其後矣。
そもそも兵が鈍り鋭さが折れ、力が尽き財貨が底をつけば、他の諸侯がその疲れた隙に乗じて立ち上がる。そのときには、どれほど知恵のある者がいても、後始末をうまくつけることはできない。
注 8
十萬衆舉,日費千金,非唯頓挫於外,亦財殫於内,是以聖人無暴師也。隋大業初,煬帝重兵好征,力屈鴈門之下,兵挫遼水之上,疏河引淮,轉輸彌廣,出師萬里,國用不足。於是楊玄感、李密乘其弊而起,縱蘇威、高熲,豈能爲之謀也?
十万の人々を起こせば一日に千金かかるので、外で折れるだけでなく、内でも財貨が底をつく。だから聖人は軍をさらしておかない。隋の大業の初め、煬帝は軍事を重んじて討つことを好み、鴈門の下で力が尽き、遼水の上で軍が折れた。黄河を開き淮水を引いて輸送の道はいっそう広がり、万里へ軍を出したので、国の費えが足りなくなった。そこで楊玄感と李密がその疲れた隙に乗じて立ち上がった。蘇威や高熲を置いておいたとしても、どうして計を立てられたであろうか。
蓋以師久不勝,財力俱困,諸侯乘之而起,雖有智能之士,亦不能於此之後,善爲謀畫也。
軍が長引いて勝てず、財と力がともに疲れれば、諸侯がこれに乗じて立ち上がる。知恵と才のある士がいても、そのあとでよい計画を立てることはできない。
人離財竭,雖伊、呂復生,亦不能救此亡敗也。
人が離れ財が尽きれば、伊尹と呂尚が生き返ったとしても、この滅びと敗北を救うことはできない。
雖當時有用兵之術,不能防其後患。
そのとき兵を用いる術があったとしても、後の患いを防ぐことはできない。
取勝攻城,暴師且久,則諸侯乘此弊而起襲我;我雖有智將,不能制也。
勝ちを得ようと城を攻め、軍を長くさらしておけば、諸侯がこの疲れた隙に乗じて立ち上がり、自分を襲う。自分に知恵のある将がいても、抑えることはできない。
以其弊甚,必有危亡之憂。
疲れがひどいから、必ず危うく滅びる憂いがある。
其後,謂兵不勝而敵乘其危殆,雖智者不能盡其善計而保全。
「その後」とは、軍が勝てずに敵がその危うさに乗ずることをいう。知恵のある者でも、よい計を尽くして全うすることはできない。
兵已疲矣,力已困矣,財已匱矣,隣國因其罷弊,起兵以襲之,則縱有智能之人,亦不能防其後患。若吳伐楚入郢,久而不歸,越兵遂入吳。當是時,雖有伍員、孫武之徒,何嘗能爲善謀於後乎?
兵はすでに疲れ、力はすでに尽き、財はすでに乏しいのに、隣の国がその疲れに乗じて兵を起こして襲えば、知恵と才のある人がいても後の患いを防げない。呉が楚を討って郢に入り、長く帰らなかったので越の兵がついに呉に入ってきたのと同じである。そのとき伍員や孫武のような者がいたとしても、どうして後によい計を立てられたであろうか。
4拙くても速いほうがよい
故兵聞拙速,未睹巧之久也。
だから兵を用いるのに、拙くても速いという話は聞いたが、巧みでありながら長引いたという例は見たことがない。
注 9
雖拙,有以速勝。未睹者,言其無也。
拙くても、速く勝つやり方がある。見たことがないとは、そんなことはないという意味である。
攻取之間,雖拙於機智,然以神速爲上,蓋無老師、費財、鈍兵之患,則爲巧矣。
攻め取るあいだに、計と才が拙くても、神のように速いことを第一とする。軍を老いさせ、財を費やし、兵を鈍らせる患いがなければ、それが巧みなのである。
雖拙,有以速勝。
拙くても、速さで勝つことができる。
所謂疾雷不及掩耳,卒電不及瞬目。
いわゆる、激しい雷に耳をふさぐ間もなく、突然の電に目をまたたく間もないということである。
杜佑《註》同孟氏。
杜佑の註は孟氏と同じである。
拙尚以速勝,未見工而久可也。
拙くてもなお速さで勝つのだから、巧みでありながら長引いてもよいというのは見たことがない。
晳謂久則師老財費,國虛人困,巧者保無斯患也。
私はこう思う。長引けば軍が老い財が費え、国が空になり人が疲れる。巧みだという者が、こうした患いがないと保証できるだろうか。
速雖拙,不費財力也;久雖巧,恐生後患也。後秦姚萇與符登相持,萇將苟曜據逆萬堡,密引符登。萇與登戰,敗於馬頭原,收衆復戰。姚碩德謂諸將曰:「上慎於輕戰,每欲以計取之;今戰旣失利,而更逼賊,必有由也。」萇聞而謂碩德曰:「登用兵遲緩,不識虛實;今輕兵直進,徑據吾東,必苟曜與之連結也。事久變成,其禍難測。所以速戰者,欲使苟曜竪子謀之未就,好之未深耳。」果大敗之。武后初,徐敬業舉兵於江都,稱匡復皇家。以盩厔尉魏思恭爲謀主,問計於思恭。對曰:「明公旣以太后幽縶少主,志在匡復,兵貴拙速,宜早渡淮北,親率大衆,直入東都。山東將士知公有勤王之舉,必以死從,此則指日刻期,天下必定。」敬業欲從其策,薛璋又說曰:「金陵之地,王氣已見,宜早應之。兼有大江設險,足可以自固,請且攻取常、潤等州,以爲王霸之業,然後率兵北上,鼓行而前,此則退有所歸,進無不利,實良策也。」敬業以爲然,乃自率兵四千人,南渡以擊潤州。思恭密謂杜求仁曰:「兵勢宜合,不可分。今敬業不知并力渡淮,率山東之衆以合洛陽,必無能成事。」果敗。
速ければ拙くても財と力を費やさない。長引けば巧みでも後の患いが生じるのが心配である。後秦の姚萇が符登と向かい合って持ちこたえていたとき、姚萇の将の苟曜が逆万堡を占め、ひそかに符登を引き入れた。姚萇は符登と戦って馬頭原で負け、人々を集めて再び戦った。姚碩徳が諸将に言った。「上は軽々しく戦うことを慎んで、常に計で取ろうとしてこられた。今、戦ってすでに利を失ったのに、さらに敵を押し迫るのは、必ず理由がある。」姚萇はこれを聞いて姚碩徳に言った。「符登は兵を用いるのが遅く、虚と実を見分けられない。今、軽装の兵でまっすぐ進んで我が東をそのまま占めたのは、必ず苟曜が彼と結んだのだ。事が長引いて変が成れば、その禍は測りがたい。速く戦おうとするのは、苟曜という若造の計がまだ成らず、親しみがまだ深くないうちにしたいだけである。」果たして大いに破った。武后の初め、徐敬業が江都で兵を起こし、皇室を立て直して取り戻すと称した。盩厔の尉の魏思恭を計の主とし、彼に計を問うた。魏思恭は答えた。「明公は、太后が幼い主を幽閉したからと、立て直して取り戻すことに志を置かれました。兵は拙くても速いことを貴びますから、早く淮水の北を渡り、自ら大軍を率いてまっすぐ東都へ入るべきです。山東の将兵が公に王のために尽くす挙があると知れば、必ず死をもって従うでしょう。これなら日を指し時を刻むほどで、天下は必ず定まります。」徐敬業がその策に従おうとすると、薛璋がまた説いて言った。「金陵の地に王の気がすでに現れていますから、早くこれに応じるべきです。しかも大江が険しさを成しているので、自ら固めるに足ります。まず常州・潤州などを攻め取って王業・覇業の基とし、そのあとで兵を率いて北へ上り、太鼓を打って前へ進んでください。これなら退いても帰る所があり、進んでも利でないことがありません。まことによい策です。」徐敬業はそうだと思い、自ら兵四千を率いて南へ渡って潤州を攻めた。魏思恭はひそかに杜求仁に言った。「兵の勢は合わせるべきで、分けてはならない。今、徐敬業は力を合わせて淮水を渡り、山東の人々を率いて洛陽に集まることを知らないから、必ず事を成せないだろう。」果たして敗れた。
但能取勝,則寧拙速,而無巧久。若司馬宣王伐上庸,以一月圖一年,不計死傷,與糧競者,斯可謂欲拙速也。
ただ勝てるのであれば、むしろ拙くても速いほうがよく、巧みでありながら長引かせはしない。司馬宣王が上庸を攻めたとき、一月で一年分を図り、死傷を計算せず糧食と競ったのは、拙くても速いことを望んだといえる。
5長引いて得をした国はない
夫兵久而國利者,未之有也。
そもそも戦いを長引かせて国の利になったことは、まだない。
注 5
《春秋》曰:「兵猶火也,弗戢將自焚。」
《春秋》に「兵は火のようなもので、収めなければ自ら焼かれることになる」とある。
兵久無功,諸侯生心。
軍を長引かせても功がなければ、諸侯が心を起こす。
兵者凶器,久則生變。若智伯圍趙,逾年不歸,卒爲襄子所擒,身死國分。故《新序傳》曰:「好戰窮武,未有不亡者也。」
軍は不吉な道具であるから、長引けば変事が生じる。智伯が趙を囲み、年を越えても帰らず、ついに襄子に捕らえられて身は死に国は分かたれたのと同じである。だから《新序》に「戦いを好み武力を使い尽くして、滅びなかった者はいない」とある。
力屈貨殫,何利之有?
力が尽き財貨が底をつくのに、何の利があろうか。
師老財竭,於國何利?
軍が老い財が尽きるのに、国に何の利があろうか。
6害を知ってこそ利を知る
故不盡知用兵之害者,則不能盡知用兵之利也。
だから兵を用いる害を知り尽くしていない者は、兵を用いる利も知り尽くせない。
注 7
利害相依之所生,先知其害,然後知其利也。
利と害は互いに寄りかかって生まれるから、まずその害を知ってはじめてその利を知る。
害之者,勞人費財;利之者,吞敵拓境。苟不顧己之患,則舟中之人盡爲敵國,安能取利於敵人哉?
害とは人を苦労させ財を費やすことであり、利とは敵を呑んで領地を広げることである。もし自分の患いを顧みなければ、同じ舟に乗る人までみな敵国となる。どうして敵から利を得られようか。
將驕卒惰,貪利忘變,此害最甚也。
将が驕り兵がだらけ、利を貪って変化を忘れること、この害が最も甚だしい。
言謀國、動軍、行師,不先慮危亡之禍,則不足取利也。若秦伯見襲鄭之利,不顧崤函之敗;吳王矜伐齊之功,而忘姑蘇之禍也。
国を図り軍を動かし兵を進めるときに、危うく滅びる禍をまず考えなければ、利を得られないという意味である。秦伯が鄭を襲う利だけを見て崤函で負けることを顧みなかったこと、呉王が斉を討った功を誇って姑蘇の禍を忘れたことと同じである。
不再籍,不三載,利也;百姓虛,公家費,害也。苟不知害,又安知利?
二度召し集めず、三度運ばないのは利である。民が空になり国が費やすのは害である。害を知らなければ、どうして利を知れようか。
久而能勝,未免於害;速,則利斯盡也。
長引いて勝ったとしても害を免れない。速ければ、利はそこで尽くされる。
先知老師殫貨之害,然後能知擒敵制勝之利。
軍を老いさせ財貨を底をつかせる害をまず知ってはじめて、敵を捕らえて勝つ利を知ることができる。
7召し集めは二度、糧食は三度運ばない
善用兵者,役不再籍,糧不三載。
兵をよく用いる者は、人を二度召し集めず、糧食を三度運ばない。
注 7
籍,猶賦也。言初賦民而便取勝,不復歸國發兵也。始載糧,後遂因食於敵,還兵入國,不復以糧迎之也。
籍とは、労役を割り当てることと同じである。はじめに民を召し出してそのまま勝ち、ふたたび国に帰って兵を起こさないという意味である。糧食は最初だけ運び、そのあとは敵から得て食べ、兵を引いて国に入るときも、ふたたび糧食を出して迎えることはしない。
籍,書也;不再籍書,恐人勞怨生也。秦發關中之卒,是以有陳、吳之難也。軍出,度遠近饋之;軍入,載糧迎之,謂之三載。越境,則館榖於敵,無三載之義也。
「籍」とは帳簿に書き記すことである。二度書き記さないのは、人が苦労して怨みが生じるのを恐れるからである。秦が関中の兵を取り立てて用いたので、陳勝・呉広の乱があった。軍が出るとき遠近を測って食べ物を送り、軍が入るとき糧食を積んで迎えるのを、三度運ぶという。国境を越えれば敵の地で食べるから、三度運ぶことはない。
審敵可攻,審我可戰,然後起兵,便能勝敵而還。鄭司農《周禮註》曰:役,謂發兵起役;籍,乃伍籍也。比參爲伍,因内政寄軍令,以伍籍發軍起役也。
敵が攻められるかを調べ、自分が戦えるかを調べてから兵を起こせば、すぐに敵に勝って帰ることができる。鄭司農の《周礼》の註に「役とは兵を取り立てて労役を起こすことであり、籍とはすなわち伍籍である」とある。五人ずつ組ませて伍とし、国内の政に軍令を結びつけて、伍籍によって兵を取り立て労役を起こす。
籍,借也,不再借民而役也。糧者,往則載焉,歸則迎之,是不三載也。不困乎兵,不竭乎國,言速而利也。
「籍」とは借りるという意味で、民を二度借りて使わないことである。糧食は行くときに運び、帰るときに迎えるので、これが三度運ばないことである。兵を疲れさせず国を尽きさせないので、速くて利があるという意味である。
梅堯臣同陳皥《註》。
梅堯臣の註は陳皥と同じである。
王晳同曹操《註》。
王晳の註は曹操と同じである。
役,謂興兵動衆之役。故《師卦註》曰:「任大役重,無功則凶。」籍,謂調兵之符籍。故漢制有尺籍伍符,言一舉則勝,不可再籍兵役於國也。糧始出則載之,越境則掠之,歸國則迓之,是不三載也。此言兵不可久暴也。
「役」とは兵を起こして人々を動かす労役である。だから《易経》師卦の註に「担うものが大きく労役が重いので、功がなければ凶である」とある。「籍」とは兵を取り立てる符籍である。だから漢の制度に尺籍と伍符があった。一度起こして勝たなければならず、国で兵の労役を二度召し集めることはできないという意味である。糧食は最初に出るときに運び、国境を越えれば奪い、国に帰れば迎えるので、これが三度運ばないことである。これは軍を長くさらしておけないという意味である。
8装備は自国から、食は敵から
取用於國,因糧於敵,故軍食可足也。
装備は自分の国から取って用い、糧食は敵から得る。そうしてはじめて軍の食べ物が足りる。
注 6
兵甲戰具,取用國中,糧食因敵也。
武器とよろい、戦いの道具は国の中から取って用い、食べ物は敵から得る。
具我戎器,因敵之食,雖出師千里,無匱乏也。
自分の武器を整え、敵の食べ物に頼れば、千里に軍を出しても乏しいことはない。
兵甲戰具,取用國中,糧食因敵也。取資用於我國,因糧食於敵家也。晉師館穀於楚是也。
武器とよろい、戦いの器具は国の中から取って用い、食べ物は敵に頼る。使う物は自分の国から得て、食べ物は敵の家から得る。晋の軍が楚の地で食べたのがこれである。
軍之須用取於國,軍之糧餉因於敵。
軍が使う物は国から得て、軍の食べ物は敵に頼る。
因,謂兵出境,鈔聚掠野,至於克敵、拔城,得其儲積也。
「頼る」とは、軍が国境を出て集まった物を取り野を奪い、敵に勝ち城を落としてその蓄えを得ることをいう。
器用取於國者,以物輕而易致也;糧食因於敵者,以粟重而難運也。夫千里饋糧,則士有飢色,故因糧則食可足。
器具を国から得るのは、物が軽くて届けやすいからである。食べ物を敵に頼るのは、穀物が重くて運びにくいからである。そもそも千里に糧食を運べば兵に飢えた色が出るから、敵から糧食を得れば食べ物が足りる。
9遠くへ運べば民が貧しくなる
國之貧於師者遠輸,遠輸則百姓貧。
国が軍のために貧しくなるのは、遠くへ運ぶからである。遠くへ運べば民が貧しくなる。
注 5
兵役數起,而賦斂重。
軍の労役がたびたび起こるので、税が重くなる。
《管子》曰:「粟行三百里,則國無一年之積;粟行四百里,則國無二年之積;粟行五百里,則衆有飢色。」此言粟重物輕也,不可推移;推移之,則農夫耕牛俱失南畝,故百姓不得不貧也。
《管子》に「穀物が三百里を行けば国に一年分の蓄えがなくなり、四百里を行けば二年分の蓄えがなくなり、五百里を行けば人々に飢えた色が出る」とある。これは穀物が重く他の物が軽いので、移せないという意味である。無理に移せば、農夫と耕す牛がともに田畑を離れるから、民は貧しくならないわけにはいかない。
遠輸則財耗於道路,弊於轉運,百姓日貧。
遠くへ運べば財が道中で減り、運び送ることに疲れるので、民は日ごとに貧しくなる。
兵車轉運千里之外,財則費於道路,人有困窮者。
戦車で千里の外へ運び送れば、財は道中で費え、人の中には疲れ窮する者が出る。
以七十萬家之力,供餉十萬之師於千里之外,則百姓不得不貧。
七十万戸の力で、千里の外の十万の軍を食わせるのだから、民は貧しくならないわけにはいかない。
10軍のそばでは値が上がる
近於師者貴賣,貴賣則百姓財竭。
軍の近くでは物を高く売る。高く売れば、民の財が尽きる。
注 7
軍行已出界,近師者貪財,皆貴賣,則百姓虛竭也。
軍がすでに国境を出れば、そのそばにいる者は財を貪ってみな高く売る。そうして民は空になり尽きる。
夫近軍,必有貨易,百姓徇財殫産而從之,竭也。
そもそも軍の近くには必ず物を取り替えて売る商いがあり、民は財を追って家産を使い尽くしてこれに従うから、尽きるのである。
師徒所聚,物皆暴貴。人貪非常之利,竭財物以賣之,初雖獲利殊多,終當力疲貨竭。又云:旣有非常之歛,故賣者求價無厭,百姓竭力買之,自然家國虛盡也。
軍が集まった所では物がみな急に高くなる。人々が思いがけない利を貪って財をすべて注ぎ込んで売るから、はじめは利をたいへん多く得ても、最後には力が疲れ財が尽きる。また、すでに思いがけない取り立てがあるので、売る者は値を求めて飽くことがなく、民は力を尽くして買い入れるから、おのずと家も国も空になり尽きる。
言近軍師,市多非常之賣,當時貪貴以趨末利,然後財貨殫盡,家國虛也。
軍の近くでは市に思いがけない売り買いが多いという意味である。そのとき高いものを貪って末の利を追い、やがて財貨がすっかり底をつき、家も国も空になる。
遠者供役以轉饋,近者貪利而貴賣,皆貧國匱民之道也。
遠い者は労役を負って運び送り、近い者は利を貪って高く売る。どちらも国を貧しくし民を乏しくする道である。
夫遠輸則人勞費,近市則物騰貴,是故久師則爲國患也。曹公曰:「軍行已出界,近於師者貪財,皆貴賣。」晳謂將出界也。
遠くへ運べば人が苦労し費用がかかり、近くに市が立てば物の値が跳ね上がる。だから軍を長引かせれば国の患いとなる。曹操は「軍がすでに国境を出れば、軍の近くの者が財を貪ってみな高く売る」と言った。私は、ちょうど国境を出ようとする時を言ったのだと思う。
近師之民,必貪利而貴貨其物於遠來輸餉之人,則財不得不竭。
軍の近くの民は、必ず利を貪って、遠くから糧食を運んで来た人にその物を高く売るから、財は尽きないわけにはいかない。
11労役が差し迫る
財竭則急於丘役。
財が尽きれば、郷里の労役が差し迫る。
注 1
財力殫竭,則丘井之役急迫而不易供也。或曰:丘役,謂如魯成公作丘甲也。國用急迫,乃使丘出甸賦,違常制也。丘,十六井;甸,六十四井。
財と力がすっかり尽きれば、丘井の労役が差し迫って応じにくくなる。ある人は、丘役とは魯の成公が丘甲を作ったようなことだという。国の費えが差し迫って、丘から甸の賦を出させたので、常の制度に背いたのである。丘は十六井、甸は六十四井である。
12民は十のうち七を失う
力屈、財殫,中原内虛於家。百姓之費,十去其七;公家之費,破車罷馬,甲胄矢弩,戟楯蔽櫓,丘牛大車,十去其六。
力が尽き財貨が底をつけば、国の中の家々が空になる。民の費えは十のうち七が消え、国の費えは、壊れた車と疲れた馬、よろいとかぶと、矢と弩、ほこと盾と大盾、労役で出した牛と大きな車で、十のうち六が消える。
注 13
丘,十六井也。百姓財殫盡而兵不解,則運糧盡力於原野也。十去其七者,所破費也。
丘は十六井である。民の財がすっかり尽きるまで戦いが解けなければ、野原で糧食を運ぶのに力を使い尽くす。十のうち七が消えるとは、壊れて失われる分である。
兵久不止,男女怨曠,困於輸輓丘役,力屈財殫,而百姓之費,十去其七。
軍が長引いてやまなければ、男と女が離れて怨み、運び引く丘役に疲れるので、力が尽き財貨が底をつき、民の費えは十のうち七が消える。
《司馬法》曰:「六尺爲步,步百爲畝,畝百爲夫,夫三爲屋,屋三爲井,四井爲邑,四邑爲丘,四丘爲甸。丘蓋十六井也。丘有戎馬一匹,牛四頭;甸有戎馬四匹,牛十六頭。丘車一乘,甲士三人,步卒七十二人。」今言兵不解,則丘役益急,百姓糧盡財竭,力盡於原野,家業十耗其七也。
《司馬法》に「六尺を一歩とし、歩百を一畝とし、畝百を一夫とし、夫三つを一屋とし、屋三つを一井とし、井四つを一邑とし、邑四つを一丘とし、丘四つを一甸とする。丘はおおむね十六井である。丘には軍馬一頭と牛四頭があり、甸には軍馬四頭と牛十六頭がある。丘の車一乗に、よろいを着た兵三人、歩く兵七十二人である」とある。今、軍を解かなければ丘役がいっそう差し迫り、民は糧食が尽き財貨が尽き、力は野原で尽きるので、家の暮らしが十のうち七減るという意味である。
丘,聚也。聚歛賦役,以應軍須,如此則財竭於人,人無不困也。
「丘」とは集めるという意味である。賦と労役を集めて取り立てて軍の必要に応じるから、こうなれば財が人から尽き、疲れない人はいない。
急者,暴於常賦也。若魯成公作丘甲是也。如此,則民費太半矣。要見公費差減,故云十七。曹公曰:「丘,十六井。兵不解,則運糧盡力於原野。」
「差し迫る」とは、常の賦より激しいという意味である。魯の成公が丘甲を作ったのがこれである。こうなれば民の費えは半分を越える。国の費えが少し軽いことを示そうとしたので、十のうち七と言った。曹操は「丘は十六井である。軍を解かなければ、糧食を運ぶのに野原で力を尽くす」と言った。
國以民爲本,民以食爲天。居人上者,宜乎重惜。
国は民を根本とし、民は食を天とする。人の上に立つ者は、これを重く大切にすべきである。
運糧則力屈,輸餉則財殫。原野之民,家産内虛,度其所費,十無其七也。
糧食を運べば力が尽き、食べ物を送れば財貨が底をつく。野原の民は家の暮らしが内から空になるので、そのかかるものを測れば、十のうち七が失われる。
一本作「十去其七」。
ある版本には「十のうち七が消える」とある。
丘牛,謂丘邑之牛;大車,乃長轂車也。
丘牛とは郷里で出した牛であり、大車とは車軸の長い車である。
丘,大也。此數器者,皆軍之所須。言遠近之費,公家之物,十損於七也。
「丘」とは大きいという意味である。これらいくつかの器具は、どれも軍が使うものである。遠近の費えで、国の物が十のうち七減るという意味である。
百姓以財糧力役奉軍之費,其資十損乎七;公家以牛馬器仗奉軍之費,其資十損乎六。是以竭賦窮兵,百姓弊矣;役急民貧,國家虛矣。
民が財と糧食、力と労役で軍を支える費えは、その元手が十のうち七減り、国が牛と馬、器具と武器で軍を支える費えは、その元手が十のうち六減る。だから賦をすべて取り立てて兵を使い尽くせば民が疲れ、労役が差し迫って民が貧しくなれば国が空になる。
楯,干也。蔽,可以屏蔽。櫓,大楯也。丘牛,古所謂匹馬丘牛也。大車,牛車也。《易》曰:「大車以載。」
「楯」とは盾である。「蔽」とは、さえぎって防げるものである。「櫓」とは大きな盾である。「丘牛」とは、昔いう一頭の馬と一丘の牛のそれである。「大車」とは牛車である。《易経》に「大車で載せる」とある。
兵以車馬爲本,故先言車馬。疲,敝也。蔽櫓,楯也,今謂之彭排。丘牛,大牛也。大車,必革車也。始言破車疲馬者,謂攻戰之馳車也;次言丘牛大車者,卽輜重之革車也。公家車馬器械,亦十損其六。
軍は車と馬を根本とするから、車と馬を先に言った。「疲」とは古びたという意味である。「蔽櫓」とは盾で、今は彭排という。「丘牛」とは大きな牛である。「大車」とは必ず革車である。はじめに壊れた車と疲れた馬と言ったのは、攻め戦う馳車である。次に丘牛と大車と言ったのは、すなわち荷を積む革車である。国の車と馬、器械も十のうち六減る。
13敵の一鍾は自分の二十鍾に当たる
故智將務食於敵,食敵一鍾,當吾二十鍾;𦮼秆一石,當吾二十石。
だから知恵のある将は敵から食べることに努める。敵の穀物一鍾を食べるのは自分の穀物二十鍾に当たり、敵の豆がらと稲わら一石は自分の二十石に当たる。
注 7
六斛四㪷爲鍾。𦮼,豆稭也。秆,禾藁也。石者,一百二十斤也。轉輸之法,費二十石得一石。一云:𦮼音忌,豆也。七十斤爲一石。當吾二十,言遠費也。
六斛四斗が一鍾である。𦮼は豆がら、秆は稲わらである。石は百二十斤である。運び送る法では、二十石を費やして一石が残る。一説には𦮼を「き」と読んで豆とし、七十斤を一石とする。自分の二十に当たるとは、遠くへ運ぶ費えを言ったのである。
六石四㪷爲一鍾。一石,一百二十斤。𦮼,豆稭也。秆,禾藁也。或言:𦮼,秆藁也。秦攻匈奴,使天下運糧,起於黄腄、瑯琊負海之郡,轉輸北河,率三十鍾而致一石。漢武建元中,通西南夷,作者數萬人,千里負擔饋糧,率十餘鍾致一石。今校《孫子》之言「食敵一鍾,當吾二十鍾」,蓋約平地千里轉輸之法,費二十石得一石,不約道里,蓋漏闕也。黄腄,音直瑞反,又音誰,在東萊。北河,卽今之朔方郡。
六石四斗が一鍾である。一石は百二十斤である。「𦮼」は豆がら、「秆」は稲わらである。ある人は「𦮼」はわらだともいう。秦が匈奴を攻めたとき、天下に糧食を運ばせ、黄腄と瑯琊の海に臨む郡から起こして北河へ送ったが、三十鍾でようやく一石が届く割であった。漢の武帝の建元のころ、西南の夷と道を通すのに働く者が数万で、千里を担いで糧食を送ったが、十鍾あまりで一石が届く割であった。今、《孫子》が「敵の一鍾を食べるのは自分の二十鍾に当たる」と言った言葉を照らし合わせれば、平地千里を運び送る法をおおよそ見て、二十石を費やして一石を得るとしたのである。道の遠近を見積もっていないのは、抜け落ちである。「黄腄」の「腄」は直と瑞を合わせた音で、また「すい」とも読み、東萊にある。北河はすなわち今の朔方郡である。
遠師轉一鍾之粟,費二十鍾方可達軍。將之智也,務食於敵,以省己之費也。
遠く出た軍に穀物一鍾を送るには、二十鍾を費やしてはじめて軍に届く。将の知恵とは、敵から食べることに努めて自分の費えを省くことである。
十斛爲鍾。計千里轉運,道路耗費,二十鍾可致一鍾於軍中矣。
十斛が一鍾である。千里を運び送ることを計れば、道中で減って、二十鍾で軍中に一鍾を届けられる。
梅堯臣《註》同曹操。
梅堯臣の註は曹操と同じである。
曹公曰:「𦮼,豆稭也。秆,藁也。石者,百二十斤也。轉輸之法,費二十乃得一。」晳謂上文「千里饋糧」,則轉輸之法,謂千里耳。𦮼,今作「萁」。秆,故書爲「芉」,當作「秆」。
曹操は「𦮼は豆がら、秆はわらである。石は百二十斤である。運び送る法は、二十を費やして一を得る」と言った。私はこう思う。上の文に「千里に糧食を運ぶ」とあるから、運び送る法とは千里を言ったにすぎない。「𦮼」は今「萁」と書く。「秆」は古い書では「芉」となっているが、「秆」と書くべきである。
六石四𣁳爲鍾。一百二十斤爲石。𦮼,豆稭也。秆,禾藁也。千里饋糧,則費二十鍾、石,而得一鍾、石到軍所。若越險阻,則猶不啻。故秦征匈奴,率三十鍾而致一石。此言能將必因糧於敵也。
六石四斗が一鍾である。百二十斤が一石である。「𦮼」は豆がら、「秆」は稲わらである。千里に糧食を運べば、二十鍾または二十石を費やして、一鍾または一石が軍のいる所に届く。険しい所を越えれば、それ以上である。だから秦が匈奴を攻めたときは、三十鍾で一石が届く割であった。これは、できる将は必ず敵から糧食を得るという意味である。
14怒りが殺させ、財貨が奪わせる
故殺敵者,怒也;取敵之利者,貨也。
敵を殺させるのは怒りであり、敵の物を奪わせるのは財貨である。
注 15
威怒以致敵。
威と怒りで敵に迫る。
怒者,軍威也。
怒りとは軍の威である。
萬人非能同心皆怒,在我激之以勢使然也。田單守卽墨,使燕人劓降者,掘城中人墳墓之類是也。
万人がみな心を一つにして怒れるわけではないから、自分が勢いで駆り立ててそうさせることにかかっている。田単が即墨を守ったとき、燕の人に降った者の鼻を切らせ、城中の人の墓を掘らせたようなことがこれである。
人之無怒,則不肯殺。
人が怒らなければ、殺そうとしない。
兵主威怒。
軍は威と怒りを主とする。
燕圍齊之卽墨,齊之降者盡劓。齊人皆怒,愈堅守。田單又縱反間曰:「吾懼燕人掘吾城外冢墓,戮辱先人,可爲寒心。」燕軍盡掘壠墓,燒死人。卽墨人從城上望見,皆泣涕,其欲出戰,怒自十倍。單知士卒可用,遂破燕師。後漢班超使西域,到鄯善,會其吏士三十六人,與共飲。酒酣,因激怒之曰:「今俱在絶域,欲立大功,以求富貴。虜使到裁數日,而王禮貌卽廢。如收吾屬送匈奴,骸骨長爲犲狼食矣。」官屬皆曰:「今在危亡之地,死生從司馬。」超曰:「不入虎穴,不得虎子。當今之計,獨有因夜以火攻虜,使彼不知我多少,必大震怖,可殄盡也。滅此虜,則功成事立矣。」衆曰:「善。」。初夜,將吏士奔虜營。會天大風,超令十人持鼓,藏虜舍後,約曰:「見火燃,皆當鳴鼓大呼。」餘人悉持弓弩,夾門而伏。超順風縱火,虜衆驚亂,衆悉燒死。蜀龐統勸劉備襲益州牧劉璋,備曰:「此大事,不可倉卒。」及璋使備擊張魯,乃從璋求萬兵及資寳,欲以東行。璋但許兵四千,其餘皆給半。備因激怒其衆曰:「吾爲益州征强敵,師徒勤瘁,不遑寧居。今積帑藏之財,而恡於賞功,望士大夫爲出死力戰,其可得乎!」由是相與破璋。
燕が斉の即墨を囲み、斉の降った者の鼻をすべて切った。斉の人はみな怒って、いっそう固く守った。田単はまた偽りの噂を流して言った。「私は燕の人が我が城外の墓を掘って、先祖を辱めるのではないかと恐れる。まことに身の冷えることだ。」燕の軍は墓をすべて掘って、死人を焼いた。即墨の人々は城の上から見渡して、みな涙を流し、出て戦おうとして、怒りが十倍になった。田単は兵が使えると知って、ついに燕の軍を破った。後漢の班超が西域に使いとして行き、鄯善に至って、その役人と兵三十六人を集めてともに酒を飲んだ。酒がまわると、彼らを駆り立てて怒らせて言った。「今、我々はみな遠く隔たった地にあって、大きな功を立てて富と貴を求めようとしている。夷狄の使者が来てわずか数日なのに、王の礼遇はもう失われた。もし我々の一行を捕らえて匈奴に送れば、骨は長く狼や山犬の餌になるだろう。」役人たちはみな言った。「今、危うく滅びる地にいますから、死ぬも生きるも司馬に従います。」班超は言った。「虎の穴に入らなければ虎の子は得られない。今の計は、夜に乗じて火で夷狄を攻めるほかない。彼らに我々が何人か分からないようにすれば、必ず大いに震え恐れて、すべて滅ぼせる。この夷狄を滅ぼせば、功が成り事が立つ。」人々は「よろしい」と言った。宵のうちに、役人と兵を率いて夷狄の陣営へ走った。ちょうど風が大きく吹いた。班超は十人に太鼓を持たせて夷狄の家の後ろに隠し、「火が燃えるのを見たら、みな太鼓を鳴らして大声で叫べ」と約束した。残りの人はみな弓と弩を持って、門をはさんで伏せた。班超が風に乗じて火を放つと、夷狄の人々は驚き乱れて、みな焼け死んだ。蜀の龐統が劉備に益州牧の劉璋を襲うよう勧めると、劉備は「これは大事だ。あわててはできない」と言った。劉璋が劉備に張魯を攻めさせると、劉備は劉璋に兵一万と財宝を求め、東へ行こうとした。劉璋は兵四千だけを許し、その他はみな半分だけ与えた。劉備はそこでその人々を駆り立てて怒らせて言った。「私は益州のために強い敵を討ち、兵は骨を折って疲れ、落ち着いて休む暇もない。今、蔵の財を積んでおきながら功に賞を与えるのを惜しんで、士大夫が死力を出して戦ってくれるのを望むとは、それが叶うことか。」こうして互いに力を合わせて劉璋を破った。
激吾士卒,使上下同怒,則敵可殺。《尉繚子》曰「民之所以戰者,氣也」,謂氣怒則人人自戰。
自分の兵を駆り立てて、上下がともに怒るようにすれば、敵を殺せる。《尉繚子》に「民が戦う土台は気である」とある。気が怒れば、人それぞれが自ら戦うという意味である。
軍無財,士不來;軍無賞,士不往。
軍に財がなければ兵は来ず、軍に賞がなければ兵は進まない。
利者,益軍實也。
利とは、軍の実りを増やすことである。
使士見取敵之利者,貨財也。謂得敵之貨財,必以賞之,使人皆有欲,各自爲戰。後漢荊州刺史度尚,討桂州賊帥卜陽、潘鴻等,入南海,破其三屯,多獲珍寳。而鴻等黨聚猶衆,士卒驕富,莫有鬬志。尚曰:「卜陽、潘鴻,作賊十年,皆習於攻守,當須諸郡併力,可攻之。今軍恣聽射獵。」兵士喜悅,大小相與從禽。尚乃密使人潛焚其營,珍積皆盡。獵者來還,莫不泣涕。尚曰:「卜陽等財貨足富數世,諸卿但不併力耳。所亡少少,何足介意!」衆聞,咸憤踴願戰。尚令秣馬蓐食,明晨徑赴賊屯。陽、鴻不設備,吏士乘銳,遂破之。此乃是也。
兵に敵の物を奪う利を見せるのは財貨である。敵の財貨を得たら必ずそれで賞を与えて、人それぞれが望むものを持って、各自が自ら戦うようにさせるという意味である。後漢の荊州刺史度尚が、桂州の賊の頭卜陽・潘鴻らを討ちに南海に入り、その三つの屯を破って宝を多く得た。ところが潘鴻らの一党はまだ多く、兵たちは豊かさに驕って戦う気がなかった。度尚は言った。「卜陽と潘鴻は賊を十年もしていて、攻めも守りも慣れている。諸郡が力を合わせてこそ攻められる。今は軍中で思いのまま狩りをさせよ。」兵士たちは喜んで、上下ともに鳥獣を追った。度尚はひそかに人を遣わしてその陣営を焼かせ、積んだ宝はすべて失われた。狩りに出ていた者たちが帰って来て、涙を流さない者はなかった。度尚は言った。「卜陽らの財貨は何代も富ますに足る。お前たちはただ力を合わせなかっただけだ。失ったものはごくわずかだ。何を気にすることがあるか。」人々はこれを聞いて、みな憤って躍り上がり戦いを望んだ。度尚は馬に飼料をやり、その場で食事をさせて、翌日の明け方にまっすぐ賊の屯へ駆けつけた。卜陽と潘鴻は備えをしていなかったので、役人と兵はその鋭さに乗じて、ついに破った。これがまさにそれである。
孟氏同杜牧《註》。
孟氏の註は杜牧と同じである。
人知勝敵有厚賞之利,則冒白刃、當矢石而樂以進戰者,皆貨財酬勳賞勞之誘也。
敵に勝てば厚い賞の利があると人が知れば、白刃をものともせず矢と石に当たりながらも喜んで進んで戦う。これはみな財貨で功に報い労に賞を与えて引きつけるからである。
殺敵,則激吾人以怒;取敵,則利吾人以貨。
敵を殺させるには自分の人を怒りで駆り立て、敵の物を奪わせるには自分の人を財貨で利する。
謂設厚賞耳。若使衆貪利自取,則或違節制耳。
厚い賞を設けることを言ったにすぎない。人々が利を貪って勝手に取るようにさせれば、ときに節制に背くことになる。
以貨啗士,使人自爲戰,則敵利可取。故曰:「重賞之下,必有勇夫。」皇朝太祖命將伐蜀,諭之曰:「所得州邑當與我,傾竭帑庫以饗士卒;國家所欲,惟土疆耳。」於是將吏死戰,所至皆下,遂平蜀。
財貨で兵を誘い、人それぞれが自ら戦うようにさせれば、敵の物を奪える。だから「重い賞の下には必ず勇ましい男がいる」という。我が朝の太祖が将に蜀を討つよう命じて、こう言い渡した。「得た州や邑は私に渡せ。ただし蔵をすべて傾けて兵をもてなせ。国が望むのは土地と境だけである。」こうして将と役人は死力を尽くして戦い、至る所をみな落として、ついに蜀を平定した。
15勝つほど強くなる
故車戰,得車十乘已上,賞其先得者,而更其旌旗,車雜而乘之,卒善而養之,是謂勝敵而益強。
車の戦いで車を十乗より多く得たら、先に得た者に賞を与え、その旗を取り替えて自分の車に混ぜて用いる。捕らえた兵はよく扱って養う。これを、敵に勝ってかえって強くなるという。
注 25
以車戰,能得敵車十乘已上,賞賜之。不言車戰得車十乘已上者賞之,而言賞得者何?言欲開示賞其所得車之卒也。陳車之法:五車爲隊,僕射一人;十車爲官,卒長一人;車滿十乘,將吏二人。因而用之,故别言賜之,欲使將恩下及也。或曰:言使自有車十乘已上與敵戰,但取其有功者賞之,其十乘已下,雖一乘獨得,餘九乘皆賞之,所以率進勵士也。
車の戦いで敵の車を十乗より多く得たら、賞を与える。「十乗より多く得た側に賞を与える」と言わず、「得た者に賞を与える」と言ったのはなぜか。その車を実際に得た兵に賞が渡るよう、はっきり示そうとしたのである。車を並べる法はこうである。五乗で一隊とし、僕射を一人置く。十乗で一官とし、卒長を一人置く。車が十乗に満ちれば、将吏を二人置く。そのまま用いるから、別に賞を与えて、将の恵みが下まで及ぶようにしようとしたのである。あるいはこうも言う。自分の車を十乗より多く持って敵と戦うときは、功を立てた者だけに賞を与える。だが十乗に足りなければ、一乗を一人で得たとしても、残りの九乗の側までみな賞を与える。それはみなが共に進むよう兵を励ますためだ、と。
重賞而勸進也。
重い賞で進むことを勧めるのである。
夫得車十乘已上者,蓋衆人用命之所致也。若徧賞之,則力不足。與其所獲之車,公家仍自以財貨賞其唱謀先登者,此所以勸勵士卒,故上文云:「取敵之利者,貨也。」言十乘者,舉其綱目也。
そもそも車を十乗より多く得たのは、多くの人が命を懸けて成したことである。全員に賞を与えようとすれば、力が足りない。得た車は与え、国はそれとは別に財貨で、はじめに計を出して先に乗り込んだ者に賞を与える。これが兵を勧め励ます道であるから、上の文に「敵の物を奪わせるのは財貨である」とある。十乗と言ったのは、その大筋を挙げたのである。
勸未得者,使自勉也。
まだ得ていない者を勧めて、自ら励むようにさせるのである。
徧賞則難周,故獎一而勸百也。
全員に賞を与えれば行き渡りにくいから、一人を讃えて百人を勧めるのである。
以財賞其所先得之卒。
先に得た兵に財貨で賞を与える。
車一乘,凡七十五人。以車與敵戰,吾士卒能獲敵車十乘已上者,吾士卒必不下千餘人也。以其人衆,故不能徧賞,但以厚利賞其陷陳先獲者,以勸餘衆。古人用兵,必使車奪車,騎奪騎,步奪步,故吳起與秦人戰,令三軍曰:「若車不得車,騎不得騎,徒不得徒,雖破軍,皆無功。」
車一乗に合わせて七十五人である。車で敵と戦って、自分の兵が敵の車を十乗より多く得たのなら、自分の兵は必ず千人余りを下らない。その人が多いので全員に賞を与えられず、ただ厚い利で陣を突き破って先に得た者に賞を与えて、残りの人々を勧める。昔の人が兵を用いるときは、必ず車で車を奪い、騎兵で騎兵を奪い、歩兵で歩兵を奪わせた。だから呉起が秦の人と戦うとき、三軍に令を下して言った。「車が車を得ず、騎兵が騎兵を得ず、歩兵が歩兵を得なければ、軍を破ったとしてもみな功はない。」
與吾同也。
自分のものと同じにするのである。
令色與吾同。
色を自分のものと同じにさせるのである。
令不識也。
見分けられないようにするのである。
變敵之色,令與己同。
敵の色を変えて、自分のものと同じにする。
不獨任也。
それだけに任せないということである。
夫降虜之旌旗,必更其色而雜其事,車乃可用也。
降った敵の旗は、必ずその色を変えてその使い方を混ぜてこそ、車を用いることができる。
士卒自獲敵車,任雜然自乘之,官不録也。
兵が自分で敵の車を得たら、混ざったまま自ら乗るに任せて、役所で書き留めない。
車許雜乘,旗無因故。
車は混ぜて乗ることを許すが、旗は古いままにしておかない。
謂得敵車,可與我車雜用之也。
敵の車を得たら、自分の車と混ぜて用いることができるという意味である。
己車與敵車參雜而用之,不可獨任也。
自分の車と敵の車を混ぜて用い、敵の車だけを別に任せてはならない。
所獲之卒,必以恩信撫養之,俾爲我用。
捕らえた兵は、必ず恵みと信でいたわり養って、自分の用に立つようにさせる。
益己之強。
自分の力を加えることである。
後漢光武破銅馬賊於南陽,虜衆數萬,各配部曲,然人心未安。光武令各歸本營,乃輕行其間以勞之。相謂曰:「蕭王推赤心置人腹中,安得不投死乎!」於是漢益振,則其義也。
後漢の光武帝が南陽で銅馬の賊を破り、数万を捕らえてそれぞれ部隊に分けて付けたが、人の心が落ち着かなかった。光武帝は各自もとの陣営に帰らせ、身軽に振る舞ってその間を回って慰めた。彼らは互いに言った。「蕭王は赤い心を押して人の腹の中に置かれる。どうして死を投げ出さないでいられようか。」こうして漢はいっそう勢いづいた。まさにこの意味である。
得敵卒也,因敵之資,益己之強。
敵の兵を得ることである。敵の元手に頼って、自分の強さを増す。
獲卒,則任其所長,養之以恩,必爲我用也。
捕らえた兵は、その得意なことを任せ、恵みで養えば、必ず自分の用に立つ。
得敵卒則養之,與吾卒同。善者,謂勿侵辱之也。若厚撫初附,或失人心。
敵の兵を得たら養って、自分の兵と同じに扱う。「よく扱う」とは、侵して辱めるなという意味である。付いたばかりの者を厚すぎるほどいたわれば、かえって人の心を失うことがある。
因敵以勝敵,何往不強?
敵に頼って敵に勝つのだから、どこへ行っても強くないことがあろうか。
勝其敵,而獲其車與卒,旣爲我用,則是増己之強。光武推赤心,人人投死之類也。
敵に勝ってその車と兵を得て、すでに自分の用に立っているなら、これは自分の強さを加えたのである。光武帝が赤い心を押して、人それぞれが死を投げ出したようなことである。
16勝ちを貴び、長引くことを貴ばない
故兵貴勝,不貴久。
だから軍は勝ちを貴び、長引くことを貴ばない。
注 5
久則不利。兵猶火也,不戢將自焚也。
長引けば利がない。軍は火のようなもので、収めなければ自分の身を焼く。
貴速勝疾還也。
速く勝って速く帰ることを貴ぶ。
上所言皆貴速也。速則省財用、息民力也。
上で言ったことはみな速さを貴んだのである。速ければ財の費えを省き、民の力を休ませる。
孫子首尾言兵久之理,蓋知兵不可玩、武不可黷之深也。
孫子が初めから終わりまで軍を長引かせることの理を言ったのは、軍をもてあそぶことはできず、武をみだりに使えないことを深く知っていたからである。
久則師老財竭,易以生變,故但貴其速勝疾歸。
長引けば軍が老い財が尽き、変事が生じやすいから、ただ速く勝って速く帰ることを貴ぶ。
17民の命を握る人
故知兵之將,生民之司命,國家安危之主也。
だから軍を知る将は、民の命を握る人であり、国の安危を分ける主である。
注 7
將賢則國安也。
将が優れていれば国は安らかである。
將有殺伐之權,威欲却敵,人命所繫,國家安危在於此矣。
将には殺し討つ権があり、威で敵を退けようとするから、人の命がここにかかり、国の安危がここにある。
民之性命,國之安危,皆由於將也。
民の命と国の安危が、どちらも将にかかっている。
此言任將之重。
これは将を任せることが重いという意味である。
將賢,則民保其生,而國家安矣;否,則民被毒殺,而國家危矣。明君任屬,可不精乎?
将が優れていれば民はその生を保ち国は安らかであり、そうでなければ民は害を受けて死に国は危うい。明らかな君が人を任せるのに、どうして精しくないでいられようか。
民之性命,國之治亂,皆主於將;將之材難,古今所患也。
民の命と国の治まり乱れが、どちらも将に主としてかかっている。将の器を得がたいことは、昔も今も憂いである。
民之死生,國之安危,繫乎將之賢否。
民の死生と国の安危は、将が優れているかどうかにかかっている。