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勢篇 — 勢い勢篇

孫子兵法(兵法の書) 十一家註孫子 · 孫武、注釈者十一人 · 紀元前5世紀(注釈は3〜11世紀) · 段落 19 · 漢字 337字 · 朗読 1.3分

孫子兵法(兵法の書) 巻中 最も古い兵法書。本書は曹操をはじめ十一人が同じ句にそれぞれ注を付けた版本なので、意味の分かれる箇所が原典にそのまま残っている。
編の冒頭の注 4
曹操

用兵任勢也。

軍を用いるにあたって勢に任せるのである。

李筌

陳以形成,如決建瓴之勢,故以是篇次之。

王晳

勢者,積勢之變也。善戰者,能任勢以取勝,不勞力也。

張預

兵勢已成,然後任勢以取勝,故次《形》。

1多くの兵を少ない兵のように扱う

孫子曰:凡治衆如治寡,分數是也;鬬衆如鬬寡,形名是也;三軍之衆,可使必受敵而無敗者,奇正是也;兵之所加,如以碬投卵者,虛實是也。

孫子は言う。

およそ多くの兵を少ない兵のように治めるのは、分けて数えること(分数)がそうさせる。多くの兵を少ない兵のように戦わせるのは、旗と鼓(形名)がそうさせる。三軍の衆が敵に当たっても敗れないようにするのは、奇襲と正攻(奇正)がそうさせる。兵を打ち込むことが砥石で卵を打つようであるのは、虚と実(虚実)がそうさせる。

注 29
曹操

部曲爲分,什伍爲數。

部曲が分であり、什伍が数である。

李筌

善用兵者,將鳴一金,舉一旌,而三軍盡應;號令既定,如寡焉。

兵をよく用いる者は、将が金一つを鳴らし旗一つを挙げれば、三軍がことごとく応ずる。号令が定まっていれば、少ない兵を治めるのと同じである。

杜牧

分者,分別也;數者,人數也。言部曲行伍,皆分別其人數多少,各任偏裨長伍,訓練昇降,皆責成之,故我所治者寡也,韓信曰「多多益辦」是也。

分とは分け別けることであり、数とは人の数である。部曲(部曲、軍の編制)や行伍ごとにその人数の多少を分け別け、それぞれに偏裨や伍長を任せ、訓練も昇降もみな彼らに責任を負わせる。だから自分が治めるものは少なくなる。韓信が「多ければ多いほどよく扱える」と言ったのがこれである。

陳皥

若聚兵既衆,卽須多爲部伍。部伍之內,各有小吏以主之。故分其人數,使之訓齊決斷;遇敵臨陳,授以方略,則我統之雖衆,治之益寡。

集めた兵が多ければ、すぐに部伍を多く分けなければならない。部伍の内にはそれぞれ小吏を置いて主らせる。だからその人数を分け、訓練して整え決断させ、敵に遇って陣に臨めば方略を授ける。そうすれば自分が統べるものは多くとも、治めるものはいよいよ少なくなる。

孟氏

分,隊伍也;數,兵之大數也。分數多少,制置先定。

分は隊伍であり、数は兵の大きな数である。分と数の多少は、仕組みを先に定めておく。

梅堯臣

部伍、奇正之分數,各有所統。

部伍と奇正の分数には、それぞれ統べる者がある。

王晳

分數,謂部曲也。偏裨各有部,分與其人數,若師、旅、卒、兩之屬。

分数とは部曲をいう。偏裨にはそれぞれ部があり、その人数を分け与える。師・旅・卒・両といったものである。

張預

統衆既多,必先分偏裨之任,定行伍之數,使不相亂,然後可用。故治兵之法:一人曰獨,二人曰比,三人曰參,比參爲伍,五人爲列,二列爲火,五火爲隊,二隊爲官,二官爲曲,二曲爲部,二部爲校,二校爲裨,二裨爲軍。遞相統屬,各加訓練,雖治百萬之衆,如治寡也。

統べる衆が多ければ、必ずまず偏裨の任を分け、行伍の数を定めて互いに乱れないようにした後に用いることができる。ゆえに兵を治める法はこうである。一人を独、二人を比、三人を参といい、比と参を合わせて伍とし、五人を列、二列を火、五火を隊、二隊を官、二官を曲、二曲を部、二部を校、二校を裨、二裨を軍とする。順に互いに統べさせ、それぞれ訓練を加えれば、百万の衆を治めても少ない兵を治めるのと同じである。

曹操

旌旗曰形,金鼓曰名。

旗が形であり、鐘と鼓が名である。

杜牧

旌旗、鐘鼓,敵亦有之,我安得獨爲形名?鬬衆如鬬寡也。夫形者,陳形也;名者,旌旗也。戰法曰:「陳間容陳,足曳白刃。」故大陳之中,復有小陳,各占地分,皆有陳形。旗者,各依方色,或認以鳥獸,某將某陳,自有名號。形名已定,志專勢孤,人自爲戰,敗則自敗,勝則自勝,戰百萬之兵,如戰一夫,此之是也。

旗や鐘鼓は敵にもある。どうして自分だけが形名を持って、多くの兵を少ない兵のように戦わせられようか。形とは陣の形であり、名とは旗である。戦いの法に「陣の間に陣が入り、足が白刃に触れる」とある。だから大きな陣の中にまた小さな陣があり、それぞれ地を分けて占め、みな陣の形を備える。旗はそれぞれ方位の色に従い、あるいは鳥や獣で見分けさせるので、どの将のどの陣という名号が自然にある。形と名が定まれば、志は一つに集まり勢いは独り立ち、人は自ら戦うので、負ければ自ら負け、勝てば自ら勝つ。百万の兵で戦うのが一人で戦うのと同じだというのが、これである。

陳皥

夫軍士既衆,分布必廣,臨陳對敵,遞不相知,故設旌旗之形,使各認之。進退遲速,又不相聞,故設金鼓以節之。所以令之曰:「聞鼓則進,聞金則止。」曹說是也。

兵士が多ければ、分かれ布く場は必ず広くなり、陣に臨んで敵に対しても互いに見分けられない。だから旗の形を設けてそれぞれ見分けさせる。進退の遅速もまた互いに聞こえないので、金と鼓を設けて節を取る。そこで命じて「鼓を聞けば進み、金を聞けば止まる」という。曹操の説がこれである。

梅堯臣

形以旌旗,名以采章;指麾應速,無有後先。

形は旗で示し、名は色と文様で示す。指揮に速やかに応じ、先立つことも遅れることもない。

王晳

曹公曰:「旌旗曰形,金鼓曰名。」晳謂:形者,旌旗、金鼓之制度;名者,各有其名號也。

曹公は「旗を形といい、鐘鼓を名という」と言った。私が思うに、形とは旗や鐘鼓の制度であり、名とはそれぞれが持つ名号である。

張預

《軍政》曰:「言不相聞,故爲鼓鐸;視不相見,故爲旌旗。」今用兵旣衆,相去必遠,耳目之力,所不聞見。故令士卒望旌旗之形而前却,聽金鼓之號而行止,則勇者不得獨進,怯者不得獨退,故曰:「此用衆之法也。」

《軍政》に「言葉が互いに聞こえないので鼓や鐸を用い、見ても互いに見えないので旗を用いる」とある。いま用いる兵が多ければ、互いの隔たりは必ず遠く、耳と目の力では聞くことも見ることもできない。そこで士卒には旗の形を見て進退させ、鐘鼓の合図を聞いて行き止まらせる。そうすれば勇ある者も独り進むことができず、臆する者も独り退くことができない。だから「これが多くの兵を用いる法である」と言ったのである。

曹操

先出合戰爲正,後出爲奇。

先に出て合い戦うのが正であり、後から出るのが奇である。

李筌

當敵爲正,傍出爲奇。將三軍,無奇兵,未可與人爭利。漢吳王濞擁兵入大梁,吳將田伯禄說吳王曰:「兵屯聚而西,無他奇道,難以立功。臣願得五萬人,別循江淮而上,收淮南、長沙,入武關,與大王會。此亦一奇也。」不從。遂爲周亞夫所敗。此則有正無奇。

敵を正面から受けるのが正攻であり、傍から出るのが奇襲である。三軍を率いていても奇襲の兵がなければ、人と利を争うことはできない。漢の呉王濞が兵を率いて大梁に入ったとき、呉の将の田伯禄が呉王に「兵を一つに集めて西へ向かうだけで、ほかに奇襲の道がなければ、功を立てるのは難しい。私に五万人をお与えくだされば、別に長江と淮水に沿って上り、淮南と長沙を収め、武関から入って大王とお会いしましょう。これもまた一つの奇襲です」と言ったが、従わなかった。そしてついに周亜夫に敗れた。これは正攻だけがあって奇襲がなかったのである。

杜牧

解在下文。

解釈は下の文にある。

賈林

當敵以正陳,取勝以奇兵,前後左右俱能相應,則常勝而不敗也。

敵を受けるときは正攻の陣で受け、勝ちを取るときは奇襲の兵で取る。前後と左右がみな互いに応じれば、常に勝って敗れることがない。

梅堯臣

動爲奇,靜爲正;靜以待之,動以勝之。

動くのが奇襲であり、静かにしているのが正攻である。静かに待ち、動いて勝つ。

王晳

「必」當作「畢」,字誤也。奇正還相生,故畢受敵而無敗也。

「必」は「畢(ことごとく)」と書くべきで、字の誤りである。奇と正が交互に生み合うので、ことごとく敵を受けても敗れないのである。

何氏

兵體萬變,紛紜混沌,無不是正,無不是奇。若兵以義舉者,正也;臨敵合變者,奇也。我之正,使敵視之爲奇;我之奇,使敵視之爲正。正亦爲奇,奇亦爲正。大抵用兵皆有奇正;無奇正而勝者,幸勝也,浪戰也。如韓信背水而陳,以兵循山,而拔趙幟,以破其國,則背水正也,循山奇也。信又盛兵臨晉,而以木罌從夏陽襲安邑,而虜魏王豹,則臨晉正也,夏陽奇也。由是觀之,受敵無敗者,奇正之謂也。《尉繚子》曰:「今以鏌鎁之利、犀兕之堅,三軍之衆有所奇正,則天下莫當其戰矣。」

兵の姿は万に変わり、入り乱れて定めがたく、正でないものもなく、奇でないものもない。兵を義によって起こすのは正であり、敵に臨んで変化に合わせるのは奇である。自分の正を敵には奇と見せ、自分の奇を敵には正と見せる。正もまた奇となり、奇もまた正となる。およそ兵を用いるには奇と正がともにある。奇と正なしに勝つのは、まぎれの勝ちであり、出たとこ勝負である。韓信が水を背にして陣を張り、兵を山に沿って行かせて趙の旗を抜き、その国を破ったのは、水を背にしたのが正、山に沿ったのが奇である。韓信はまた臨晋に兵を盛んに並べ、木の甕で夏陽から安邑を襲い、魏王豹を捕らえた。これは臨晋が正、夏陽が奇である。これで見れば、敵を受けても敗れないとは、奇と正をいうのである。《尉繚子》に「いま、鏌鎁の鋭さと犀兕の堅さをもって、三軍の衆に奇と正があれば、天下にその戦いに当たる者はない」とある。

張預

三軍雖衆,使人人皆受敵而不敗者,在乎奇正也。奇正之說,諸家不同。《尉繚子》則曰:「正兵貴先,奇兵貴後。」曹公則曰:「先出合戰爲正,後出爲奇。」李衞公則曰:「兵以前向爲正,後却爲奇。」此皆以正爲正,以奇爲奇,曾不說相變循環之義。唯唐太宗曰:「以奇爲正,使敵視以爲正,則吾以奇擊之;以正爲奇,使敵視以爲奇,則吾以正擊之。混爲一法,使敵莫測。」茲最詳矣。

三軍が多くとも、人ごとにみな敵を受けて敗れないようにするのは、奇と正にある。奇正についての説は、諸家で同じでない。《尉繚子》は「正の兵は先んずるのを貴び、奇の兵は後れるのを貴ぶ」と言う。曹公は「先に出て合い戦うのが正、後から出るのが奇である」と言う。李衛公は「兵が前へ向かうのが正、後ろへ退くのが奇である」と言う。これらはみな正を正とし奇を奇とするだけで、互いに変わり巡る意味は説いていない。ただ唐の太宗が「奇を正とし、敵に正と見させれば、私は奇で撃つ。正を奇とし、敵に奇と見させれば、私は正で撃つ。混ぜて一つの法とし、敵に測らせない」と言った。これが最も詳しい。

曹操

以至實擊至虛。

極めて実なるものをもって、極めて虚なるところを撃つ。

李筌

碬實卵虛,以實擊虛,其勢易也。

砥石は実で卵は虚である。実で虚を撃てば、その勢いは易しい。

孟氏

碬,石也。兵若訓練至整,部領分明,更能審料敵情,委知虛實,後以兵而加之,實同以碬石投卵也。

碬は石である。兵が訓練されて極めて整い、統率が明らかで、さらに敵の実情を審らかに料り、虚と実をよく知ってから兵を加えれば、実に砥石で卵を打つのと同じである。

梅堯臣

碬,石也,音遐。以實擊虛,猶以堅破脆也。

碬は石で、音は「カ」である。実で虚を撃つのは、堅いもので脆いものを破るのと同じである。

王晳

碬,治鐵也。

碬は鉄を研ぐ石である。

何氏

用兵識虛實之勢,則無不勝。

兵を用いて虚と実の勢いを知れば、勝てないことはない。

張預

下篇曰「善戰者,致人而不致於人」,此虛實彼我之法也。引致敵來,則彼勢常虛;不往赴彼,則我勢常實。以實擊虛,如舉石投卵,其破之必矣。夫合軍聚衆,先定分數;分數明,然後習形名;形名正,然後分奇正;奇正審,然後虛實可見矣。四事所以次序也。

下の篇に「よく戦う者は人を引き寄せて人に引き寄せられない」とある。これが相手と自分の虚実の法である。敵を引き寄せれば相手の勢いは常に虚となり、相手のところへ行かなければ自分の勢いは常に実となる。実で虚を撃つのは、石を挙げて卵に投げるようなもので、必ずこれを破る。軍を合わせ衆を集めれば、まず分数を定める。分数が明らかになってから形名を習い、形名が正されてから奇と正を分け、奇と正が審らかになってから虚と実が見える。四つの事に順序があるのはこのためである。

2正攻で合い、奇襲で勝つ

凡戰者,以正合,以奇勝。

およそ戦いとは、正攻で合い、奇襲で勝つ。

注 6
曹操

正者當敵,奇兵從傍擊不備也。

正は敵に向かい合い、奇の兵は傍から備えのないところを撃つ。

李筌

戰無其詐,難以勝敵。

戦いに偽りがなければ、敵に勝つのは難しい。

杜佑

正者當敵,奇者從傍擊不備。以正道合戰,以奇變取勝也。

正は敵を正面から受け、奇は傍から備えのないところを撃つ。正しい道で合い戦い、奇なる変化で勝ちを取るのである。

梅堯臣

用正合戰,用奇勝敵。

正攻で合い戦い、奇襲で敵に勝つ。

何氏

如戰國廉頗爲趙將,秦使間曰:「秦獨畏趙括耳,廉頗易與,且降矣。」會頗軍多亡失,數敗,堅壁不戰。又聞秦反間之言,使括代頗。至,則出軍擊秦。秦軍佯敗而走,張二奇兵以刼之。趙軍逐勝,追造秦壁,壁堅拒不得入。而秦奇兵二萬五千絶趙軍後,又五千騎絶趙壁間。趙兵分爲二,糧道絶,括卒敗。又,隋突厥犯塞,煬帝令唐高祖與馬邑太守王仁恭率衆備邊。會虜宼馬邑,仁恭以衆寡不敵,有懼色。高祖曰:「今主上遐遠,孤城絶援,若不死戰,難以圖全。」於是親選精騎四千,出爲遊軍,居處飲食,隨逐水草,一同於突厥。見虜候騎,但馳騁獵耳,若輕之。及與虜相遇,則掎角置陳,選善射者爲別隊,持滿以待之。虜莫能測,不敢決戰。因縱奇兵擊走之,獲其特勒所乘駿馬,斬首千餘級。又,太宗選精銳千餘騎爲奇兵,皆黑衣玄甲,分爲左右隊,建大旗,令騎將秦叔寶、程䶧金等分統之。每臨宼,太宗躬被玄甲,先鋒率之,候機而進,所向摧殄,常以少擊衆,賊徒氣懾。又,五代漢高祖在晉陽,郭進往依之,漢祖壯其材。會北虜屠安陽城,因遣進攻拔之,戎人遁去,授坊州刺史。虜主道斃,高祖出奇兵井陘,進以間道先入洺北,因定河北。此皆以奇勝之迹也。

戦国のころ、廉頗が趙の将となると、秦は間者を遣わして「秦が恐れているのは趙括だけだ。廉頗は相手にしやすく、今にも降るだろう」と言わせた。そのとき廉頗の軍は多くを失い、幾度も敗れて、城壁を固く守り戦わなかった。また秦が流した偽りの言葉を聞いて、趙括を廉頗と代えた。趙括が着くと、軍を出して秦を撃った。秦の軍は偽って敗れて走りながら、奇襲の兵を二手に張って襲いかかった。趙の軍は勝ちに乗じて秦の城壁まで追ったが、城壁が固く拒んで入れなかった。その間に秦の奇襲の兵二万五千が趙の軍の後ろを断ち、さらに騎兵五千が趙の城壁との間を断った。趙の兵は二つに分かれ、糧道も断たれ、趙括はついに敗れた。また隋のとき突厥が辺境を侵したので、煬帝は唐の高祖と馬邑の太守の王仁恭に衆を率いて辺を備えさせた。胡が馬邑を侵すと、王仁恭は兵が少なくて敵し得ないとして恐れの色があった。高祖は「いま主上は遥かに遠く、孤立した城には援けが絶えている。死を覚悟して戦わなければ、無事を図るのは難しい」と言った。そこで自ら精鋭の騎兵四千を選んで遊軍として出し、居所も飲み食いも水と草に従わせて、突厥とまったく同じにした。胡の物見の騎兵を見ても、ただ馬を駆って狩りをするだけで、軽く見ているかのようにした。胡と向かい合うことになると、角のように互いに掛け合わせて陣を置き、射の上手な者を選んで別の隊とし、弓を引き絞って待った。胡は測ることができず、決戦ができなかった。その隙に奇襲の兵を放って撃ち、走らせ、その特勒が乗っていた駿馬を得て、千余の首を斬った。また太宗は精鋭の騎兵千余騎を選んで奇襲の兵とし、みな黒い衣と黒い甲を着せ、左右の二隊に分けて大きな旗を立て、騎将の秦叔宝や程䶧金らに分けて率いさせた。敵に臨むたびに太宗は自ら黒い甲を着て先鋒としてこれを率い、機を待って進み、向かうところをことごとく砕き尽くした。常に少ない数で多い数を撃ち、賊の徒は気を奪われた。また五代のとき、漢の高祖が晋陽にいたころ、郭進が行って頼ると、漢の高祖はその才を頼もしく思った。北の胡が安陽城を屠ると、郭進を遣わして攻め取らせ、胡の人は逃げ去り、坊州の刺史を授けられた。胡の主が道で死ぬと、高祖は井陘から奇襲の兵を出し、郭進は間道から洺州の北へ先に入って、河北を定めた。これはみな奇襲で勝った跡である。

張預

兩軍相臨,先以正兵與之合戰,徐發奇兵或擣其旁、或擊其後以勝之,若鄭伯禦燕師,以三軍軍其前,以潛軍軍其後是也。

二つの軍が向かい合えば、まず正攻の兵で合い戦い、ゆっくりと奇襲の兵を出してその傍を突くか、その後ろを撃って勝つ。鄭伯が燕の軍を防いだとき、三軍でその前に陣し、潜ませた軍でその後ろに陣したのがこれである。

3奇襲をよく出す者

故善出奇者,無窮如天地,不竭如江河。

だから奇襲をよく出す者は、天と地のように尽きることがなく、大河のように涸れることがない。

注 4
李筌

動靜也。

動くことと静かにしていることである。

李筌

通流不絶。

流れ通って絶えることがない。

杜佑

言應變出奇無窮竭。

変化に応じて奇襲を出すことに、尽き涸れることがないのを言う。

張預

言應變出奇,無有窮竭。

変化に応じて奇襲を出すのに、尽きることがないのを言う。

4終わってまた始まる

終而復始,日月是也;死而復生,四時是也。

終わってまた始まるのは日と月がそうであり、死んでまた生きるのは四季がそうである。

注 3
李筌

奇變如日月、四時,虧盈、寒暑不停。

奇の変化は日や月、四季のようで、欠けることと満ちること、寒さと暑さが止まらない。

杜佑

日月運行,入而復出;四時更王,興而復廢。言奇正變化,或若日月之進退,四時之盛衰也。

日と月は運り行って、入ってまた出る。四季は交代で盛んになり、起こってまた廃れる。奇と正の変化が、日や月の進退、四季の盛衰のようであるのを言う。

張預

日月運行,入而復出;四時更王,盛而復衰。喻奇正相變,紛紜渾沌,終始無窮也。

日と月は運り行って、入ってまた出る。四季は交代で盛んになり、盛んになってまた衰える。奇と正が互いに変わり、入り乱れて定めがたく、終わりと始まりに尽きることがないのをたとえた言葉である。

5五つの音

聲不過五,五聲之變,不可勝聽也。

音は五つを超えないが、五つの音の変化は聞き尽くすことができない。

注 2
李筌

宮、商、角、徵、羽也。

宮・商・角・徴・羽である。

李筌

變入八音,奏樂之曲,不可盡聽。

変わって八つの楽器の音に入るので、楽の曲は聞き尽くすことができない。

6五つの色と五つの味

色不過五,五色之變,不可勝觀也。味不過五,五味之變,不可勝嘗也。

色は五つを超えないが、五つの色の変化は見尽くすことができない。味は五つを超えないが、五つの味の変化は味わい尽くすことができない。

注 6
李筌

青、黃、赤、白、黑也。

青・黄・赤・白・黒である。

李筌

酸、辛、醎、甘、苦也。

酸い・辛い・鹹い・甘い・苦いである。

曹操

自「無窮如天地」已下,皆以喻奇正之無窮也。

「天と地のように尽きることがない」というところから以下は、みな奇と正に尽きることがないのをたとえたものである。

李筌

五味之變,庖宰鼎飪也。

五つの味の変化は、厨で鼎に煮炊きする仕事である。

杜牧

自「無窮如天地」已下,皆喻八陳奇正也。

「天と地のように尽きることがない」から以下は、みな八つの陣の奇と正をたとえた言葉である。

張預

引五聲、五色、五味之變,以喻奇正相生之無窮。

五つの音、五つの色、五つの味の変化を引いて、奇と正が互いに生まれて尽きることがないのをたとえたものである。

7戦いの勢いは奇と正を超えない

戰勢不過奇正,奇正之變,不可勝窮也。

戦いの勢いは奇と正を超えないが、奇と正の変化は窮め尽くすことができない。

注 5
李筌

邀截掩襲,萬途之勢,不可窮盡也。

迎え撃って断ち、覆いかぶさって襲う、万の道の勢いは、窮め尽くすことができない。

梅堯臣

奇正之變,猶五聲、五色、五味之變,無盡也。

奇と正の変化は、五つの音、五つの色、五つの味の変化と同じで、尽きることがない。

王晳

奇正者,用兵之鈐鍵,制勝之樞機也。臨敵運變,循環不窮,窮則敗也。

奇と正は、兵を用いる鍵であり、勝ちを収める要である。敵に臨んで変化を運らせ、巡り続けて尽きることがない。尽きれば敗れる。

孟氏

《六韜》云:「奇正發於無窮之源。」

《六韜》に「奇と正は尽きることのない源から出る」とある。

張預

戰陳之勢,止於奇正一事而已;及其變而用之,則萬途千轍,烏可窮盡?

陣を張って戦う勢いは、奇と正の一事にとどまるだけである。しかしそれを変えて用いれば、万の道、千の轍となる。どうして窮め尽くせようか。

8互いに生まれて端がない

奇正相生,如循環之無端,孰能窮之?

奇と正は互いに生まれ、輪を巡るように端がない。誰がこれを窮め尽くせようか。

注 5
李筌

奇正相依而生,如環團圓,不可窮端倪也。

奇と正は互いに寄りかかって生まれる。輪が丸くつながっているようなもので、初めと終わりを窮めることができない。

梅堯臣

變動周旋之不極。

変わり動き、巡り回ることに極まりがない。

王晳

敵不能窮我也。

敵は私を窮め尽くすことができない。

何氏

奇正生而轉相爲變,如循歷其環,求首尾之莫窮也。

奇と正が生まれて、交互に互いに変わる。輪に沿って巡り、頭と尾を求めても尽きることがないのと同じである。

張預

奇亦爲正,正亦爲奇,變化相生,若循環之無本末,誰能窮詰?

奇もまた正となり、正もまた奇となって、変化が互いに生まれる。輪を巡るのに初めも終わりもないようなものである。誰がこれを問い窮められようか。

9勢と節

激水之疾,至於漂石者,勢也;鷙鳥之疾,至於毁折者,節也。

激しい水が速く、石を押し流すまでになるのが勢であり、猛鳥が速く、獲物をうち砕くまでになるのが節である。

注 11
孟氏

勢峻,則巨石雖重,不能止。

勢いが険しければ、大きな石が重くても止めることができない。

杜佑

言水性柔弱,石性剛重,至於漂轉大石,投之洿下,皆由急疾之流,激得其勢。

水の性は柔らかく弱く、石の性は堅く重い。それでも大きな石を押し流し転がして低いところへ投げ入れるのは、みな急な速い流れが激しくなってその勢いを得たことによる。

張預

水性柔弱,險徑要路,激之疾流,則其勢可以轉巨石也。

水の性は柔らかく弱いが、険しい細道や狭い路で激しく速く流れれば、その勢いで大きな石を転がすことができる。

曹操

發起擊敵。

奮い起こって敵を撃つことである。

李筌

柔勢可以轉剛,況於兵者乎?彈射之所以中飛鳥者,善於疾而有節制。

柔らかな勢いが堅いものを転がすことができるのだから、兵ならなおさらである。弾き放ったものが飛ぶ鳥に当たるのは、速さに長けていながら節度があるからである。

杜牧

勢者,自高注下,得險疾之勢,故能漂石也。節者,節量遠近則搏之,故能毁折物也。

勢とは、高いところから低いところへ注いで、険しく速い勢いを得ることである。だから石を押し流すことができる。節とは、遠さ近さを量って打つことである。だから物をうち砕くことができる。

杜佑

發起討敵,如鷹鸇之攫撮也,必能挫折禽獸者,皆由伺候之明,邀得屈折之節也。王子曰:「鷹隼一擊,百鳥無以爭其勢;猛虎一奮,萬獸無以爭其威。」

兵を起こして敵を討つのは、鷹や隼が掴み取るのと同じである。必ず鳥や獣をうち砕けるのは、みな窺うことが明らかで、折り伏せる節を迎え得たことによる。王子は「鷹や隼がひと撃ちすれば、あらゆる鳥がその勢いを争えない。猛虎がひと奮いすれば、万の獣がその威を争えない」と言った。

梅堯臣

水雖柔,勢迅則漂石;鷙雖微,節勁則折物。

水は柔らかいが、勢いが速ければ石を押し流す。猛鳥は小さいが、節が強ければ物をうち砕く。

王晳

鷙鳥之疾,亦勢也,由勢然後有搏擊之節。下要云險,故先取漂石以喻也。

猛鳥の速さも勢である。勢があってはじめて打ちかかる節がある。下で険しさを言おうとするので、まず石を押し流すことを挙げてたとえたのである。

何氏

水能動石,高下之勢也;鷙能搏物,能節其遠近也。

水が石を動かすのは高さと低さの勢であり、猛鳥が物を打てるのは、その遠さ近さを節として量れるからである。

張預

鷹鸇之擒鳥雀,必節量遠近,伺候審而後擊,故能折物。《尉繚子》曰:「便吾器用,養吾武勇,發之如鳥擊。」李靖曰:「鷙鳥將擊,卑飛歛翼。」皆言待之而後發也。

鷹や隼が鳥や雀を捕るときは、必ず遠さ近さを量り、窺うことを審らかにしてから撃つ。だから物をうち砕くことができる。《尉繚子》に「わが道具を使いやすくし、わが武勇を養い、放つことを鳥が撃つようにする」とある。李靖は「猛鳥が撃とうとするときは、低く飛んで翼を収める」と言った。みな待ってから放つという言葉である。

10勢は険しく、節は短い

是故善戰者,其勢險,其節短。

だからよく戦う者は、その勢が険しく、その節が短い。

注 10
曹操、李筌

險,猶疾也。

険は速いということと同じである。

杜牧

險者,言戰爭之勢,發則殺人,故下文喻如彍弩。

険しいとは、戦いの勢いはひとたび放てば人を殺すということである。だから下の文で引き絞った弩にたとえた。

王晳

險者,折以致其疾也,如水得險隘而成勢。

険しいとは、折り曲げてその速さに至らせることである。水が険しく狭いところを得て勢いを成すのと同じである。

曹操、李筌

短,近也。

短は近いという意味である。

杜牧

言以近節也。如鷙鳥之發,近則搏之,力全志專,則必獲也。

近いところで節を量るという言葉である。猛鳥が飛びかかるとき、近づけば打つ。力が全く、志が一つに集まれば、必ず得る。

杜佑

短,近也;節,斷也。短近,言能因危取勝,以卒擊近也。

短いとは近いことであり、節は断つことである。短く近いとは、危うさに乗じて勝ちを取り、兵で近いところを撃つのを言う。

梅堯臣

險則迅,短則勁,故戰之勢,當險疾而短近也。

険しければ速く、短ければ強い。だから戦いの勢いは、まさに険しく速く、短く近いのがよい。

王晳

鷙之能搏者,發必中,來勢遠,而所搏之節至短也。兵之乘機,當如是耳。曹公曰:「短者,近也。」

猛鳥が打てるのは、放てば必ず当てるからである。来る勢いは遠くても、打つ節は極めて短い。兵が機に乗るのも、まさにこうあるべきである。曹公は「短いとは近いことである」と言った。

孟氏

孟氏同杜牧《註》。

孟氏の注は杜牧のものと同じである。

張預

險,疾;短,近也。言善戰者,先度地之遠近,形之廣狹,然後立陳,使部伍行列相去不遠。其進擊,則以五十步爲節,不可過遠,故勢迅則難禦,節近則易勝。

険は速さであり、短は近さである。よく戦う者は、まず地の遠さ近さと形の広さ狭さを量り、それから陣を立てて、部伍や行列が互いに遠く離れないようにするのを言う。進んで撃つときは五十歩を節として、遠くなりすぎないようにする。だから勢いが速ければ防ぎがたく、節が近ければ勝ちやすい。

11引き絞った弩と、はじく引き金

勢如彍弩,節如發機。

勢は引き絞った弩のようであり、節は引き金をはじくようである。

注 9
曹操

在度不遠,發則中也。

量る距離が遠くないので、放てば当たる。

李筌

弩不疾,則不遠;矢不近,則不中。勢尚疾,節務速。

弩が速くなければ遠くへ届かず、矢が近くなければ当たらない。勢は速さを尊び、節は迅さに努める。

杜牧

彍,張也。如弩已張,發則殺人,故上文云「其勢險」也。機者,固須以近節量之,然後必能中,故上文云「其節短」。短,乃近也。此言戰陳不可遠逐敵人,恐有隊伍離散斷絶,反爲敵所乘也,故《牧野誓》曰「六步、七步,四伐、五伐」,是以近也。

彍は引き絞ることである。弩をすでに引き絞っておいて、ひとたび放てば人を殺すのと同じである。だから上の文に「その勢は険しい」とある。引き金は、必ず近いところで節を量ってこそ必ず当てられる。だから上の文に「その節は短い」とある。短いとはすなわち近いことである。これは陣を張って戦うとき、敵を遠くまで追ってはならないという言葉である。部伍が離れ散り断たれて、かえって敵に乗じられることを恐れるのである。だから《牧野誓》に「六歩、七歩、四たび伐ち、五たび伐つ」とあるのは、近いところで行うからである。

陳皥

弩之發機,近則易中;戰之遇敵,疾則易捷。若趨馳不速,奮擊不近,則不能克敵而全勝。

弩の引き金は、近ければ当てやすい。戦いで敵に遇えば、速ければ勝ちやすい。駆けるのが迅くなく、奮い撃つのが近くなければ、敵を砕いて完全に勝つことはできない。

賈林

戰之勢,如弩之張;兵之勢,如機之發。

戦いの勢は弩を引き絞ったようであり、兵の勢は引き金をはじくようである。

梅堯臣

彍,音霍,彍張也。如弩之張,勢不逡巡;如機之發,節近易中也。

彍は音が「カク」で、引き絞ることである。弩を引き絞ったようなので勢がためらわず、引き金をはじくようなので節が近くて当てやすい。

王晳

戰勢如弩之張者,所以有待也;待其有可乘之勢,如發其機。

戦いの勢が弩を引き絞ったようであるのは、待つことがあるからである。乗じられる勢いが生じるのを待って、その引き金をはじくようにする。

何氏

險,疾也;短,近也。此言擊戰得形便,如張弩發機,勢宜疾速,仍利於便近,不得追擊過差也。故太公曰:「擊如發機者,所以破精微也。」

険は速さであり、短は近さである。これは戦い撃つときに形の便を得ることが、弩を引き絞って引き金をはじくのと同じだという言葉である。勢はまさに速く迅くあるべきで、しかも近く便であるのが利である。追い撃つのが行き過ぎてはならない。だから太公は「撃つことを引き金をはじくようにするのは、極めて微細なものまで破る道である」と言った。

張預

如弩之張,勢不可緩;如機之發,節不可遠。言趨利尚疾,奮擊貴近也。故太公曰:「擊如發機者,所以破精微也。」

弩を引き絞ったようなので勢を緩めることができず、引き金をはじくようなので節を遠くすることができない。利を追うときは速さを尊び、奮い撃つときは近さを貴ぶのを言う。だから太公は「撃つことを引き金をはじくようにするのは、極めて微細なものまで破る道である」と言った。

12乱れの中にあって乱れない

紛紛紜紜,鬬亂而不可亂也;渾渾沌沌,形圓而不可敗也。

乱れ入り交じる中で戦いながら、実は乱れることがない。おぼろに入り混じる中で陣が丸く回りながら、崩れることがない。

注 8
曹操

旌旗亂也;示敵若亂,以金鼓齊之。車騎轉而形圓者,出入有道,齊整也。

旗が乱れているのである。敵には乱れているように見せながら、鐘鼓で整える。車と騎が回って陣が丸くなるのは、出入りに道があって整っているからである。

李筌

紛紜而鬬,示如可亂;建旌有部,鳴金有節,是以不可亂也。渾沌,合雜也。形圓,無向背也。示敵可敗而不可敗者,號令齊整也。

乱れ入り交じって戦い、乱せそうに見せるが、旗を立てるのに受け持つ部があり、金を鳴らすのに節があるので、乱すことができない。渾沌とは入り混じっていることである。形が丸いとは、前も後ろもないということである。敵には破れそうに見せながら破れないのは、号令が整っているからである。

杜牧

此言陳法也。《風后握奇文》曰:「四爲正,四爲奇,餘奇爲握。奇音機,或總稱之。先出游軍定兩端。」此之是也。奇者,零也。陳數有九,中心有零者,大將握之不動,以制四面八陳,而取準則焉。其人之列,面面相向,背背相承也。《周禮》︰「蒐苗獮狩,車驟徒趨,及表乃止;進退疾徐,疏密之節,一如戰陳。」表,乃旗也。旗者,蓋與民期於下也。《握奇文》曰:「先出游軍定兩端。」蓋游軍執本方旗,先定地界,然後軍士赴之,兵於旗下,乃出奇正,變爲陳也。《周禮》「蒐苗獮狩,車驟徒趨,及表乃止」,此則八陳遺制。《握奇》之文,止此而已;其餘之詞,乃後之作者增加之,以重難其事耳。夫五兵之利,無如弧矢之利,以威天下。五兵同致,天獨有弧矢星。聖人獨言弧矢能威天下,不言他兵,何也?蓋戰法利於弧矢者,非得陳不見其利。故黃帝勝於蚩尤,以中夏車徒制夷虜騎士,此乃弧矢之利也。在於近代,可以驗之者,晉武時,羌陷涼州,司馬督馬隆請募勇士三千平之,募腰引弩三十六鈞,弓四鈞,立標簡試。軍西渡溫水,虜樹機能以衆萬計遏隆。隆依八陳法,且戰且前,弓矢所及,人皆應弦而倒,誅殺萬計,涼州遂平。隋時,突厥入宼,楊素擊之。先是諸將與虜戰,每虞胡騎奔突,皆戎車徒步相參,舁鹿角爲方陳,騎在其內。素至,悉除舊法,令諸軍各爲步騎。突厥聞之,以手加額,仰天曰:「天賜我也。」大率精騎十餘萬而至,素一戰大破之。此乃以徒步制騎士,若非有陳法,知開闔首尾之道,安能致勝也?《曲禮》曰:「行前朱雀而後玄武,左青龍而右白虎,招搖在上,急繕其怒。」鄭司農云:「以四獸爲軍陳,象天也。」孔《疏》曰:「此言軍行象天文而作陳法,但不知作之何如耳。」何徹云:「畫此四獸於旌旗上,以標前後左右之陳也。『急繕其怒』,言其卒之勁利威怒如天之怒也。『招搖』,北斗杓第七星也。舉此,則六星可知也。陳象天文,卽北斗也。」復曰:「進退有度。」鄭司農《註》曰:「度,謂伐與步數也。」孔《疏》曰:「如《牧野誓》云『六步、七步,四伐、五伐』是也。」復曰:「左右有局。」鄭司農《註》曰:「局是步分。」孔《疏》曰:「言軍之左右各有部分,進則就敵,退則就列,不相差濫也。」下文復曰:「父之讎,弗與共戴天;兄弟之讎,不返兵;交遊之讎,不同國。四郊多壘,此卿大夫之辱也。」此言讎辱至於戰爭,期在必勝,固不可不知陳法也。其文故相次而言,乃聖賢之深旨矣。《軍志》曰:「陳間容陳,足曳白刃;隊間容隊,可與敵對。前禦其前,後當其後;左防其左,右防其右。行必魚貫,立必鴈行;長以參短,短以參長。回軍轉陳,以前爲後,以後爲前。進無奔迸,退無違走。四頭八尾,觸處爲首;敵衝其中,兩頭俱救。」此亦與《曲禮》之說同。數起於五,而終於八。今夔州州前,諸葛武侯以石縱橫八行,布爲方陳,奇正之出,皆生於此。奇亦爲正之正,正亦爲奇之奇,彼此相用,循環無窮也。諸葛出斜谷,以兵少,但能正用六數。今盩厔司竹園乃有舊壘。司馬懿以十萬步騎不敢決戰,蓋知其能也。

これは陣を張る法を言う。《風后握奇文》に「四つが正となり、四つが奇となり、残りの一つが握りとなる。奇は音が「機」で、まとめて称することもある。まず遊軍を出して両端を定める」とある。これがそれである。奇とは余りの一つである。陣の数は九あり、その中心に余りの一つがある。大将がこれを握って動かず、四方の八つの陣を制してその基準とする。その人の列は、顔と顔が互いに向き合い、背と背が互いに連なる。《周礼》に「四季の狩りでは、車は駆け、歩く兵は走り、表に至って止まる。進退の速さ遅さ、疎さ密さの節は、戦いの陣とまったく同じである」とある。表とは旗である。旗とは、その下で人々と約束するものである。《握奇文》に「まず遊軍を出して両端を定める」とある。遊軍が自分の方位の旗を持って先に地の境を定め、それから軍士がそこへ赴いて旗の下に集まり、そこで奇と正を出して陣に変わるのである。《周礼》の「四季の狩りでは、車は駆け、歩く兵は走り、表に至って止まる」が、すなわち八つの陣の遺された制度である。《握奇》の文はここで止まるだけで、その他の言葉は後の作者が付け加えて、その事をことさら難しくしたものにすぎない。五つの兵器の利のうち、弓矢の利ほどのものはなく、それで天下を畏れさせる。五つの兵器がともに用いられるのに、天にはただ弧矢星がある。聖人がただ弓矢が天下を畏れさせると言い、他の兵器を言わなかったのはなぜか。戦いの法で弓矢が利であるのは、陣を得なければその利が現れないからである。だから黄帝が蚩尤に勝ったのは、中原の車と歩兵で夷狄の騎兵を制したのであって、これが弓矢の利である。近い世でこれを確かめられるものとしては、晋の武帝のとき、羌が涼州を陥落させると、司馬督の馬隆が勇士三千を募って平定することを願い、腰で引く弩の三十六鈞、弓の四鈞を引ける者を募り、標を立てて選び試した例がある。軍が西へ温水を渡ると、胡の樹機能が万を数える衆で馬隆を遮った。馬隆は八つの陣の法によって戦いながら前へ進み、弓矢が届くところでは人がみな弦の音に応じて倒れ、殺された者は万を数え、涼州はついに平定された。隋のとき突厥が侵入すると、楊素がこれを撃った。それ以前、諸将が胡と戦うときは、いつも胡の騎兵が突き入ることを恐れて、みな戦車と歩兵を互いに混ぜ、鹿角(枝のついた木の柵)を担いできて方陣を作り、騎兵をその内に置いていた。楊素が着くと、旧い法をすべて除き、諸軍にそれぞれ歩兵と騎兵を成させた。突厥はこれを聞いて手を額に当て、天を仰いで「天が我々に与えたのだ」と言い、精鋭の騎兵十余万を大いに率いて至ったが、楊素は一戦で大いにこれを破った。これは歩兵で騎兵を制したのである。陣の法があって、開き閉じ、頭と尾を使う道を知らなかったなら、どうして勝ちに至れたであろうか。《曲礼》に「行軍には前を朱雀、後ろを玄武、左を青竜、右を白虎とし、招揺は上に置いて、その怒りを急いで整える」とある。鄭司農は「四つの獣で軍の陣としたのは、天にかたどったのである」と言った。孔氏の疏に「これは軍の行進が天の文にかたどって陣の法を作ったという言葉であるが、どのように作ったかは分からない」とある。何徹は「この四つの獣を旗の上に描いて、前後左右の陣を示したのである。「その怒りを急いで整える」とは、その兵の強く鋭い威と怒りが天の怒りのようであることを言う。「招揺」は北斗の柄の第七星である。これを挙げたのなら、六つの星も分かる。陣が天の文にかたどるとは、すなわち北斗である」と言った。また「進退に度がある」とあり、鄭司農の注に「度とは、伐つ回数と歩数をいう」とあり、孔氏の疏に「《牧野誓》に「六歩、七歩、四たび伐ち、五たび伐つ」とあるのがこれである」とある。また「左右に局がある」とあり、鄭司農の注に「局とは歩の分けである」とあり、孔氏の疏に「軍の左右にそれぞれ受け持つ分があり、進めば敵に近づき、退けば列に戻って、互いに食い違ったり溢れたりしないのを言う」とある。下の文にまた「父の仇とは同じ天を戴いて生きず、兄弟の仇には兵を持ち帰らず、交友の仇とは同じ国に住まない。四方の郊に塁が多いのは、卿大夫の恥である」とある。これは仇と恥が戦いに至れば必ず勝つことを期するのだから、陣の法を知らないわけにはいかないのを言う。その文が順に続けて言われているのは、聖賢の深い意である。《軍志》に「陣の間に陣が入り、足が白刃に触れ、隊の間に隊が入って敵と向かい合える。前はその前を防ぎ、後ろはその後ろに当たり、左はその左を守り、右はその右を守る。行くときは必ず魚を貫くように連なり、立つときは必ず雁のように並ぶ。長いものは短いものと混ぜ、短いものは長いものと混ぜる。軍を回して陣を変えるときは、前を後ろとし、後ろを前とする。進むときに散り走ることがなく、退くときに背いて逃げることがない。四つの頭と八つの尾があって、触れたところが頭となり、敵がその中を突けば二つの頭がともに救う」とある。これもまた《曲礼》の説と同じである。数は五に起こり、八に終わる。いま夔州の州城の前に、諸葛武侯が石で縦横八行を置いて方陣を布いてある。奇と正が出るのは、みなここから生まれる。奇もまた正の正となり、正もまた奇の奇となって、あちらとこちらが互いに用いられ、巡り続けて尽きることがない。諸葛が斜谷に出たときは兵が少なく、ただ六の数だけを正しく用いることができた。いま盩厔の司竹園に古い塁がある。司馬懿が十万の歩兵と騎兵でも決戦をしなかったのは、その能を知っていたからである。

杜佑

旌旗亂也;示敵若亂,以金鼓齊之。紛紛,旌旗像;紜紜,士卒貌。言旌旗翻轉,一合一離。士卒進退,或往或來。視之若散,擾之若亂。然其法令素定,度職分明,各有分數,擾而不亂者也。車騎齊轉,形圓者,出入有道,齊整也。渾渾,車輪轉行;沌沌,步驟奔馳。視其行陳縱橫,圓而不方,然而指趨各有所應。故王子曰:「將欲內明而外暗,內治而外混,所以示敵之輕己者也。」

旗が乱れているのである。敵には乱れているように見せながら、鐘鼓で整える。紛紛は旗のさまであり、紜紜は兵のさまである。旗が翻り回って、一度は合い一度は離れ、兵が進退して、あるときは行きあるときは来るのを言う。見れば散っているようで、揺らせば乱れているようである。しかしその法令はもとから定まり、受け持ちは明らかで、それぞれに分数があるので、揺らいでも乱れないのである。車と騎が揃って回り、形が丸いとは、出入りに道があって整っていることである。渾渾は車輪が回って行くことであり、沌沌は歩みが駆け走ることである。その行軍と陣が縦横に丸く、四角でないのを見るが、指し示すところに従ってそれぞれ応ずるものがある。だから王子は「将は内で明らかでありながら外で暗く、内で治まりながら外で混じっているようにしたい。敵に自分を軽く見せる道である」と言った。

梅堯臣

分數已定,形名已立,離合散聚,似亂而不能亂。形無首尾,應無前後,陽旋陰轉,欲敗而不能敗。

分数がすでに定まり、形名がすでに立って、離れ合い散り集まるのが乱れているようであっても乱すことができない。形に頭も尾もなく、応ずるのに前も後ろもなく、陽が旋り陰が転じて、破ろうとしても破ることができない。

王晳

曹公曰:「施旗亂也;示敵若亂,以金鼓齊之矣。」晳謂紛紜,鬬亂之貌也;不可亂者,節制嚴明耳。又,曹公曰:「車騎轉而形圓者,出入有道,齊整也。」晳謂渾沌,形圓不測之貌也;不可敗者,無所隙缺,又不測故也。

曹公は「旗を並べたのが乱れているのである。敵には乱れているように見せながら、鐘鼓で整えるのだ」と言った。私が思うに、紛紜とは入り交じって戦うさまであり、乱すことができないとは、節制が厳しく明らかであるからにすぎない。また曹公は「車と騎が回って形が丸いとは、出入りに道があって整っていることである」と言った。私が思うに、渾沌とは形が丸くて測りがたいさまであり、破ることができないとは、隙も欠けもなく、しかも測りがたいからである。

何氏

此言鬬勢也。善將兵者,進退紛紛,似亂;然士馬素習,旌旗有節,非亂也。渾沌,形勢乍離乍合,人以爲敗;而號令素明,離合有勢,非可敗也。形圓,無行列也。

これは戦う勢いを言う。兵をよく率いる者は、進退が入り乱れて乱れているようであるが、兵と馬がもとから習っていて旗に節があるので、乱れているのではない。渾沌とは、形勢がふと離れふと合って、人が破れたと思うものであるが、号令がもとから明らかで、離れ合うのに勢いがあるので、破れるものではない。形が丸いとは、行列がないということである。

張預

此八陳法也。昔黃帝始立丘井之法,因以制兵。故井分四道,八家處之。「井」字之形,開方九焉,五爲陳法,四爲閑地,所謂「數起於五」也。虛其中,大將居之,環其四面,諸部連繞,所謂「終於八」也。及乎變化制敵,則紛紜聚散,鬬雖亂而法不亂;渾沌交錯,形雖圓而勢不散。所謂分而成八,復而爲一也。後世武侯之方陳,李靖之六花,唐太宗之破陳樂舞,皆其遺制也。

これは八つの陣の法である。昔、黄帝が初めて丘井の法を立て、それによって兵を編んだ。だから井は四つの道に分かれ、八つの家がそこに住む。「井」の字の形は方が九つに開き、五つが陣の法となり、四つが空き地となる。いわゆる「数は五に起こる」である。その中を空けて大将がそこに居り、四方を囲んで諸部が連なり巡る。いわゆる「八に終わる」である。変化して敵を制するときに至れば、入り乱れて集まり散り、戦いは乱れても法は乱れず、おぼろに入り交じって形は丸くても勢いは散らない。いわゆる分かれて八を成し、戻って一となるのである。後の世の武侯の方陣、李靖の六花、唐の太宗の破陣楽舞は、みなその遺された制度である。

13乱れは治まりから生まれる

亂生於治,怯生於勇,弱生於彊。

乱れは治まりから生まれ、臆するのは勇から生まれ、弱さは強さから生まれる。

注 8
曹操

皆毁形匿情也。

みな外形を崩し、内情を隠すのである。

李筌

恃治之整,不撫其下而多怨,其亂必生。秦并天下,銷兵焚書,以列國爲郡縣,而秦自稱始皇,都關中,以爲至萬代有之。至胡亥矜驕,陳勝、吳廣乘弊而起,所謂「亂生於冶」也。以勇陵人,爲敵所敗。秦王苻堅鼓行伐晉,勇也;及其敗,聞風聲鶴唳,以爲晉軍,是其怯也,所謂「怯生於勇」也。吳王夫差兵無敵於天下,陵齊於黃池,陵越於會稽,是其彊也;爲越所敗,城門不守,兵圍王宮,殺夫差而并其國,所謂「弱生於彊」也。

治まりが整っていることだけを頼みにして、下の者を労わらず怨みが多ければ、その乱れは必ず生じる。秦が天下を併せて兵器を鋳つぶし書物を焼き、諸国を郡県として、自ら始皇と称し関中に都して、万代まで保てると思った。胡亥に至って驕り高ぶると、陳勝と呉広がその疲弊に乗じて起こった。いわゆる「乱れは治まりから生じる」である。勇で人を見下せば、敵に敗れる。秦王の苻堅が鼓を打ち鳴らして晋を伐ったのは勇であったが、敗れた後は風の音や鶴の声を聞いても晋の軍と思った。これがその臆である。いわゆる「臆するのは勇から生じる」である。呉王夫差は兵が天下に敵する者なく、黄池で斉を抑え、会稽で越を抑えた。これがその強さであった。しかし越に敗れ、城門を守れず、兵が王宮を囲んで夫差を殺し、その国を併せた。いわゆる「弱さは強さから生じる」である。

杜牧

言欲僞爲亂形以誘敵人,先須至治,然後能爲僞亂也。欲僞爲怯形以伺敵人,先須至勇,然後能爲僞怯也。欲僞爲弱形以驕敵人,先須至彊,然後能爲僞弱也。

偽って乱れた形を作って敵を誘おうとするなら、まず極めて治まっていなければならず、そうしてはじめて偽りの乱れを作れるという言葉である。偽って臆した形を作って敵を窺おうとするなら、まず極めて勇でなければならず、そうしてはじめて偽りの臆を作れる。偽って弱い形を作って敵を驕らせようとするなら、まず極めて強くなければならず、そうしてはじめて偽りの弱さを作れる。

賈林

恃治則亂生,恃勇彊則怯弱生。

治まりだけを頼みにすれば乱れが生じ、勇と強さだけを頼みにすれば臆と弱さが生じる。

梅堯臣

治則能僞爲亂,勇則能僞爲怯,彊則能僞爲弱。

治まっていれば偽って乱れたふりができ、勇であれば偽って臆したふりができ、強ければ偽って弱いふりができる。

王晳

王晳同梅堯臣《註》。

王晳の注は梅堯臣の《注》と同じである。

何氏

言戰時爲奇正形勢以破敵也,我兵素治矣,我士素勇矣,我勢素彊矣,若不匿治、勇、彊之勢,何以致敵?須張似亂、似怯、似弱之形,以誘敵人,彼惑我誘之之狀,破之必矣。

戦うときに奇と正の形勢を作って敵を破ることを言う。わが兵はもとから治まり、わが兵はもとから勇で、わが勢いはもとから強いのに、治まりと勇と強さの勢いを隠さなければ、何で敵を引き出せようか。乱れたよう、臆したよう、弱いような形を張って敵を誘わなければならない。相手が我々の誘う姿に惑わされれば、破るのは間違いない。

張預

能示敵以紛亂,必己之治也;能示敵以懦怯,必己之勇也;能示敵以羸弱,必己之強也。皆匿形以誤敵人。

敵に乱れを見せられるのは、必ず自分が治まっているからである。敵に弱腰と臆を見せられるのは、必ず自分が勇であるからである。敵に痩せ弱りを見せられるのは、必ず自分が強いからである。みな形を隠して敵を誤らせるのである。

14治まりと乱れは数である

治亂,數也;勇怯,勢也;彊弱,形也。

治まりと乱れは数であり、勇と臆は勢であり、強さと弱さは形である。

注 21
曹操

以部分名數爲之,故不可亂也。

分け、名づけ、数えることで扱うので、乱れることがない。

李筌

歷數也。百六之災,陰陽之數,不由人興,時所會也。

暦数である。百六(年が巡って訪れる災いの運)の災いは陰陽の数であり、人によって起こるものではなく、時が集まったものである。

杜牧

言行伍各有分畫,部曲皆有名數,故能爲治,然後能爲僞亂也。夫爲僞亂者,出入不時,樵採縱橫,刁斗不嚴是也。

行伍(兵の列)にそれぞれ分けがあり、部曲(兵の部隊)にみな名と数があるので治まることができ、そうしてはじめて偽りの乱れを作れるという言葉である。およそ偽りの乱れを作るとは、出入りが時に合わず、薪を取り草を刈ることが入り乱れ、刁斗(炊事や夜回りに使う道具)が厳しくないことである。

賈林

治亂之分,各有度數。

治まりと乱れの分かれには、それぞれ定まった数がある。

梅堯臣

以治爲亂,存之乎分數。

治まりをもって乱れを装うことは、分数(編制の分け)にかかっている。

王晳

治亂者,數之變。數,謂法制。

治まりと乱れは数の変化である。数とは法制をいう。

張預

實治而僞示以亂,明其部曲行伍之數也,上文所謂「治衆如治寡,分數是也」。

実際には治まっていながら偽って乱れを見せるのは、その部曲と行伍の数を明らかにしたものである。上の文にいう「多くの兵を治めるのを少ない兵を治めるようにするのは分数にかかっている」である。

李筌

夫兵,得其勢則怯者勇,失其勢則勇者怯。兵法無定,惟因勢而成也。

およそ兵は、その勢いを得れば臆する者も勇となり、勢いを失えば勇の者も臆する。兵法に定まったものはなく、ただ勢いに従って成るのである。

杜牧

言以勇爲怯者也。見有利之勢而不動,敵人以我爲實怯也。

勇をもって臆を装うことを言う。利のある勢いを見ても動かなければ、敵は我々が本当に臆していると思う。

陳皥

勇者,奮速也;怯者,淹緩也。敵人見我欲進不進,卽以我爲怯也,必有輕易之心。我因其懈惰,假勢以攻之。龍且輕韓信,鄭人誘我師是也。

勇とは奮って速いことであり、臆とは鈍くて遅いことである。敵が我々が進もうとして進まないのを見れば、すぐに我々を臆していると思い、必ず軽く見る心が生じる。我々はその怠りに乗じて勢いを借りて撃つ。龍且が韓信を軽く見たことと、鄭の人が我が軍を誘ったことがそれである。

孟氏

孟氏《註》同陳皥。

孟氏の《注》は陳皥と同じである。

梅堯臣

以勇爲怯,示之以不取。

勇をもって臆を装うのは、取らない姿を見せることである。

王晳

勇怯者,勢之變。

勇と臆は勢いの変化である。

張預

實勇而僞示以怯,因其勢也。魏將龐涓攻韓,齊將田忌救之。孫臏謂忌曰:「彼三晉之兵,素悍勇而輕齊,齊號爲怯。善戰者,因其勢而利導之,使齊軍入魏地,日減其竈。」涓聞之大喜,曰:「吾素知齊怯。」乃倍日并行逐之,遂敗於馬陵。

実際には勇でありながら偽って臆を見せるのは、その勢いに従うのである。魏の将の龐涓が韓を攻めると、斉の将の田忌が救った。孫臏が田忌に言った。「あの三晋の兵はもとから荒く勇ましく斉を軽く見ており、斉は臆病と呼ばれています。よく戦う者はその勢いに従って利へ導きます。斉の軍を魏の地に入れ、日ごとにその竈を減らしてください。」龐涓はこれを聞いて大いに喜び、「私はもとから斉が臆病だと知っていた」と言って、二日の道を一日で駆けて追い、ついに馬陵で敗れた。

曹操

形勢所宜。

形と勢いのふさわしいところである。

杜牧

以彊爲弱,須示其形。匈奴冒頓示婁敬以羸老是也。

強さをもって弱さを装うには、その形を見せなければならない。匈奴の冒頓が婁敬に痩せて老いたものを見せたのがそれである。

陳皥

楚王毁中軍以張隨人,用爲後圖,此類也。

楚王が中軍を崩して随の人の勢いを張らせておき、後の図りごとに用いたのが、この類である。

梅堯臣

以彊爲弱,形之以羸懦。

強さをもって弱さを装うのは、痩せて弱々しい形を見せることである。

王晳

彊弱者,形之變。

強さと弱さは形の変化である。

何氏

形勢暫變,以誘敵戰,非怯非弱也。示亂不亂,隊伍本整也。

形勢をしばらく変えて敵を誘って戦わせるのであり、本当に臆したり弱いのではない。乱れを見せても乱れないのは、隊伍がもとから整っているからである。

張預

實彊而僞示以弱,見其形也。漢高祖欲擊匈奴,遣使覘之。匈奴匿其壯士肥馬,見其弱兵羸畜。使者十輩,皆言可擊。惟婁敬曰:「兩國相攻,宜矜誇所長;今徒見老弱,必有奇兵,不可擊也。」帝不從,果有白登之圍。

実際には強くありながら偽って弱さを見せるのは、その形を現すのである。漢の高祖が匈奴を撃とうとして、使者を遣わして窺わせた。匈奴は壮士と肥えた馬を隠し、弱い兵と痩せた家畜だけを見せた。使者十組がみな撃てると言ったが、ただ婁敬だけがこう言った。「二つの国が互いに攻めるときは、まさに得意なところを誇るものです。いま老いて弱いものだけを見せるのは、必ず隠した兵があるので、撃ってはなりません。」帝は従わず、はたして白登の囲みがあった。

15敵を動かす法

故善動敵者,形之,敵必從之;予之,敵必取之。

だから敵をよく動かす者は、形を作って見せれば敵が必ずついてくるし、何かを与えれば敵が必ず取る。

注 12
曹操

見羸形也。

痩せた形を見せるのである。

李筌

善誘敵者,軍或彊,能進退其敵也。晉人伐齊,斥山澤之險,雖所不至,必旆而疏陳之,輿曳柴從之。齊人登山而望晉師,見旌旗揚塵,謂其衆而夜遁。則晉弱齊爲彊也。齊伐魏,將田忌用孫臏謀,減竈而趨大粱。魏將龐涓逐之,曰:「齊虜何其怯也!入吾境,亡者半矣。」及馬陵,爲齊人所敗,殺龐涓,虜魏太子而旋。形以弱,而敵從之也。

敵をよく誘う者は、軍が強いときでも、その敵を進ませることも退かせることもできる。晋の人が斉を撃つとき、山や沼の険しいところを調べ、たとえ行かないところにも必ず旗を立てて疎らに陣を並べ、車で薪を引いて後に従わせた。斉の人が山に登って晋の軍を望み、旗と舞い上がる塵を見て、その衆が多いと思い、夜に逃げた。これは晋が弱いのに斉には強く見せたのである。斉が魏を撃つとき、将の田忌が孫臏の謀を用いて、竈を減らしながら大梁へ駆けた。魏の将の龐涓が追いながら「斉の奴らはなんと臆病なことか。わが境に入って、逃げた者が半分だ」と言った。馬陵に至って斉の人に敗れ、斉は龐涓を殺し、魏の太子を捕らえて帰った。弱さで形を作ったので、敵がついてきたのである。

杜牧

非止於羸弱也。言我彊敵弱,則示以羸形,動之使來;我弱敵彊,則示之以彊形,動之使去。敵之動作,皆須從我。孫臏曰:「齊國號怯,三晉輕之。令入魏境爲十萬竈,明日爲五萬竈。」魏龐涓逐之,曰:「齊虜何怯也!入吾境土,亡者太半。」因急追之。至馬陵,道狹,臏乃斫木書之曰:「龐涓死此樹下。」伏弩於側,令曰:「見火始發。」涓至,鑽燧讀之;萬弩齊發,龐涓死。此乃示以羸形,能動龐涓,遂來從我而殺之也。隋煬帝於鴈門爲突厥始畢可汗所圍,太宗應募救援,隸將軍雲定興營。將行,謂定興曰:「必多齎旗鼓,以設疑兵。且始畢可汗敢圍天子,必以我倉卒無援;我張吾軍容,令數十里,晝則旌旗相續,夜則鉦鼓相應,虜必以爲救兵雲集,覩塵而遁。不然,彼衆我寡,不能久矣。」定興從之。師次崞縣,始畢遁去。此乃我弱敵彊,示之以彊,動之令去。故敵之來去,一皆從我之形也。

痩せて弱い形にとどまるのではない。自分が強く敵が弱ければ痩せた形を見せて動かして来させ、自分が弱く敵が強ければ強い形を見せて動かして去らせるという言葉である。敵の動きがすべて自分に従うようになる。孫臏はこう言った。「斉の国は臆病と呼ばれ、三晋が軽く見ています。魏の境に入ったら竈を十万とし、翌日は五万としてください。」魏の龐涓が追いながら「斉の奴らはなんと臆病なことか。わが境の地に入って、逃げた者が大半だ」と言い、急いで追った。馬陵に至ると道が狭かった。孫臏は木を削って「龐涓はこの木の下で死ぬ」と書いておき、弩を傍に伏せて「火が見えたら放て」と命じた。龐涓が至り、火打ち石を打ってその文を読むと、万の弩が一斉に放たれて龐涓は死んだ。これがまさに痩せた形を見せて龐涓を動かし、ついに自分のほうへ来させて殺したのである。隋の煬帝が鴈門で突厥の始畢可汗に囲まれたとき、太宗は募りに応じて救援に行き、将軍の雲定興の営に属した。出発しようとするとき、雲定興にこう言った。「必ず旗と鼓を多く持って行き、疑兵(敵を騙すために並べる偽りの軍)を並べるべきです。また始畢可汗が敢えて天子を囲んだのは、必ず我々が急なことで援けがないと思ったからです。我々が軍の構えを数十里に張り、昼は旗が続き、夜は鉦と鼓が互いに応じるようにすれば、胡は必ず救援の兵が雲のように集まったと思い、塵を見て逃げるでしょう。そうしなければ、相手は多く我々は少ないので、長くは持ちません。」雲定興はその言葉に従った。軍が崞県に宿ると、始畢は逃げ去った。これは自分が弱く敵が強いときに強い形を見せて、動かして去らせたのである。だから敵の来ることも去ることも、ひとつに自分の形に従うのである。

梅堯臣

形亂弱而必從。

乱れて弱い形を作れば、必ずついてくる。

王晳

誘敵使必從。

敵を誘って必ずついてこさせる。

何氏

移形變勢,誘動敵人;敵昧於戰,必落我計中而來,力足制之。

形を移し勢いを変えて、敵を誘って動かす。敵が戦いに暗ければ、必ず自分の謀に落ちて来るので、力は十分にこれを制することができる。

張預

形之以羸弱,敵必來從。晉楚相攻,苗賁皇謂晉侯曰:「若欒、范易行以誘之,中行、二郤必克二穆。」果敗楚師。又楚伐隨,羸師以張之。季良曰:「楚之羸,誘我也。」皆此二義也。

痩せて弱い形を作れば、敵は必ずついてくる。晋と楚が互いに攻めたとき、苗賁皇が晋侯にこう言った。「欒氏と范氏の列を入れ替えて敵を誘えば、中行氏と二人の郤氏が必ず二人の穆氏に勝つでしょう。」はたして楚の軍を敗らせた。また楚が随を伐つとき、軍を痩せた形に並べて見せた。季良は「楚の痩せた形は、我々を誘うものだ」と言った。みなこの二つの意である。

曹操

以利誘敵,敵遠離其壘,而以便勢擊其空虛孤特也。

利で敵を誘って、敵が自分の塁から遠く離れるようにしてから、便利な勢いでその空いて孤立したところを撃つ。

杜牧

曹公與袁紹相持官渡,曹公循河而西,紹於是渡河追公。公營南阪,下馬解鞍。時白馬輜重就道,諸將以爲敵騎多,不如還營。荀攸曰:「此所以餌敵也,安可去之?」紹將文醜與劉備將五六千騎,前後繼至,或分趨輜重。公曰:「可矣。」乃皆上馬。時騎不滿六百人,遂大破之,斬文醜。

曹公が袁紹と官渡で向かい合っていたが、黄河に沿って西へ行くと、袁紹はそこで黄河を渡って曹公を追った。曹公は南の坂に陣を張り、馬を下りて鞍を解いた。そのとき白馬の輜重(軍需の荷車)が道に出たので、諸将は敵の騎兵が多いから営に戻るほうがよいと言った。荀攸が「これは敵を誘う餌である。どうして捨てられようか」と言った。袁紹の将の文醜と劉備が五、六千の騎兵を率いて前後に続いて至り、一部は分かれて輜重へ走った。曹公は「よし」と言い、みな馬に乗った。そのとき騎兵は六百人にも満たなかったが、ついに大いにこれを破り、文醜を斬った。

梅堯臣

示畏怯而必取。

恐れ臆した姿を見せれば、敵は必ず取ろうとする。

王晳

餌敵使必取。「予」、「與」同。

敵に餌を投げて必ず取らせる。「予」と「与」は同じである。

張預

誘之以小利,敵必來取。吳以囚徒誘越,楚以樵者誘絞是也。

小さな利で誘えば、敵は必ず来て取る。呉が囚人で越を誘ったことと、楚が木を取る者で絞を誘ったことがそれである。

16利で動かし、兵で待つ

以利動之,以卒待之。

利で敵を動かし、兵を置いて待つ。

注 7
曹操

以利動敵也。

利で敵を動かすのである。

李筌

後漢大司馬鄧禹之攻赤眉也,赤眉佯北,棄輜重而遁,車皆載土,覆之以豆。禹軍乏食,競趨之,不爲行列。赤眉伏兵奄至,擊之,禹大敗。則其義也。

後漢の大司馬の鄧禹が赤眉を攻めたとき、赤眉は偽って敗れたふりをし、輜重(軍需の荷車)を捨てて逃げたが、車にはみな土を積み、その上を豆で覆っていた。鄧禹の軍は食が乏しく、競ってそこへ走り、列を保てなかった。赤眉の伏兵が不意に至ってこれを撃ち、鄧禹は大敗した。すなわちその意である。

杜牧

以利動敵,敵旣從我,則嚴兵以待之。上文所解是也。

利で敵を動かし、敵がすでに自分に従えば、兵を厳しくして待つ。上の文で解いたのがそれである。

梅堯臣

以上數事,動誘敵而從我,則以精卒待之。

上のいくつかの事で敵を動かし誘って自分に従わせれば、精鋭の兵で待つ。

王晳

或使之從,或使之取,必先嚴兵以待之也。

あるときは従わせ、あるときは取らせるが、必ずまず兵を厳しくして待つ。

何氏

敵貪我利,則失行列;利旣能動,則以所待之卒擊之,無不勝也。如曹公西征馬超,與超夾關爲軍。公急持之,而潛遣徐晃、朱靈等夜渡蒲坂津,據河西爲營。公自潼關北渡,未濟。超赴船急戰,公放牛馬以餌賊。賊亂取牛馬,公得渡,循河爲甬道而南。賊退距渭口。公乃多設疑兵,潛以舟載兵入渭,爲浮橋,夜分兵結營於渭南。賊夜攻營,伏兵奮擊,破之。十六國南涼禿髮傉檀守姑臧,後秦姚興遣將姚弼等至於城下,傉檀驅牛羊於野,弼衆採掠;傉檀分兵擊,大破之。後魏末,大將廣陽王元深伐北狄,使于謹單騎入賊中,示以恩信。於是西部鐵勒酋長乜列河等三萬餘戶並款附,相率南遷。廣陽欲與謹至折敷嶺迎接之,謹曰:「破六汗拔陵兵衆不少,聞乜列河等歸附,必來邀擊。彼若先據險要,則難與爭鋒。今以乜列河等餌之,當競來抄掠,然後設伏而待,必指掌破之。」廣陽然其計。拔陵果來邀擊,破乜列河於嶺上,部衆皆没。謹伏兵發,賊遂大敗,悉收得乜列河之衆。

敵が自分の見せる利を貪れば、列を失う。利ですでに動かせるなら、待たせていた兵で撃つので、勝てないことはない。曹公が西へ馬超を撃ったとき、馬超と関を挟んで軍を置いた。曹公は急いでこれを引きつけておき、密かに徐晃と朱霊らを遣わして夜に蒲坂津を渡らせ、黄河の西に営を据えさせた。曹公が潼関から北へ渡ろうとしてまだ渡れずにいると、馬超が船へ駆けつけて急に戦ったので、曹公は牛と馬を放って賊の餌とした。賊が乱れて牛馬を取る間に曹公は渡ることができ、黄河に沿って甬道(塀で囲った道)を作って南へ行った。賊は退いて渭口に拠った。曹公はそこで疑兵(敵を騙すために並べる偽りの軍)を多く並べ、密かに舟に兵を載せて渭水に入れ、浮橋を作り、夜に兵を分けて渭水の南に営を結んだ。賊が夜に営を攻めると、伏兵が奮い撃ってこれを破った。十六国のとき、南涼の禿髪傉檀が姑臧を守っていると、後秦の姚興が将の姚弼らを遣わして城下にまで至った。傉檀が牛と羊を野に追い出すと、姚弼の衆が拾い奪い、傉檀は兵を分けて撃ち、大いにこれを破った。後魏の末、大将の広陽王元深が北の狄を伐つとき、于謹を単騎で賊の中へ入れ、恩と信を示させた。そこで西部の鉄勒の酋長の乜列河ら三万余戸がみな帰順し、相連れて南へ移った。広陽王が于謹とともに折敷嶺に行って迎えようとすると、于謹はこう言った。「破六汗抜陵の兵は少なくありません。乜列河らが帰順したと聞けば、必ず来て待ち撃つでしょう。彼らが先に険しい要所を占めれば、刃を競うのは難しい。いま乜列河らを餌にすれば、競って来て掠めるはずです。そのうえで伏兵を置いて待てば、必ず手の内を指すように破れます。」広陽王はその謀を良しとした。抜陵ははたして来て待ち撃ち、乜列河を嶺の上で破って、その部衆はみな失われた。于謹の伏兵が起こると、賊はついに大敗し、乜列河の衆をすべて収め得た。

張預

形之旣從,予之又取,是能以利動之而來也,則以勁卒待之。李靖以「卒」爲「本」,「以本待之」者,謂正兵節制之師。

形を作ればすでに従い、与えればまた取る。これは利で動かして来させたのである。そうなれば強い兵で待つ。李靖は「卒」を「本」とし、「本で待つ」とは、正兵の節制された軍をいう。

17人を責めず勢いに求める

故善戰者,求之於勢,不責於人,故能擇人而任勢。

だからよく戦う者は勢いに求めて人を責めない。だから人を選んで用い、勢いに任せることができる。

注 12
杜佑

言勝負之道,自圖於中,不求之下,責怒師衆,彊使力進也,若秦穆悔過,不替孟明也。

勝ち負けの道は自ら内で図るべきもので、下に求めて兵たちを責め怒り、無理に力を出して進ませるものではないという言葉である。秦の穆公が過ちを悔いて孟明を替えなかったのと同じである。

一作「故能擇人而任之」。諸家作「任勢」者多矣。

ある版本では「故能擇人而任之」となっている。多くの注釈家が「任勢」と書いている。

曹操

求之於勢者,專任權也;不責於人者,權變明也。

勢いに求めるとは、もっぱら権りに任せることであり、人を責めないとは、権りと変化に明らかであることである。

李筌

得勢而戰,人怯者能勇,故能擇其所能任之。夫勇者可戰,謹慎者可守,智者可說,無棄物也。

勢いを得て戦えば、臆する人も勇になれる。だからその得意なところを選んで任せることができる。およそ勇の者は戦わせるに足り、慎む者は守らせるに足り、智の者は説かせるに足るので、捨てる人はない。

杜牧

言善戰者,先料兵勢,然後量人之材,隨短長以任之,不責成於不材者也。曹公征張魯於漢中,張遼、李典、樂進將七千餘人守合淝,教與護軍薛悌,署函邊曰:「賊至乃發。」俄而吳孫權十萬人衆圍合淝,乃共發教曰:「若孫權至者,張、李將軍出戰,樂將軍守,護軍勿得與戰。」諸將皆疑。遼曰:「公征在外,比救至,彼破我必矣。是以教及其未合逆擊之,折其威勢,以安衆心,然後可守。成敗之機,在此一舉。」典與遼同出,果大破孫權,吳人奪氣。還修守備,衆心乃安。權攻城,十日不拔,乃退。孫盛論曰:「夫兵,詭道也。至於合淝之守,懸弱無援,專任勇者,則好戰生患;專任怯者,則懼心難保。且彼衆我寡,衆者必懷貪惰;我以致命之師,擊貪惰之卒,其勢必勝。勝而後守,則必固矣。是以魏武雜選武力,參以異同,爲之密教,節宣其用,事至而應,若合符契也。」

よく戦う者は、まず兵の勢いを量り、それから人の才を量って、短いところ長いところに従って任せ、才のない者に成し遂げることを責めないという言葉である。曹公が漢中で張魯を撃つとき、張遼・李典・楽進が七千余人を率いて合淝を守った。曹公は護軍の薛悌に命令を与え、箱の縁に「賊が至ったら開けよ」と書いておいた。やがて呉の孫権が十万の衆で合淝を囲んだので、ともに命令を開いて見た。「孫権が至れば、張・李の両将軍は出て戦い、楽将軍は守り、護軍は戦ってはならない。」諸将はみな疑った。張遼はこう言った。「曹公は外で戦っておられ、救援が至るまでなら、相手が我々を破るのは間違いない。だから命令は、相手がまだ集まらないうちに迎え撃ってその威勢を折り、衆の心を落ち着かせてから守れるということである。成るか成らぬかの機は、この一挙にある。」李典が張遼とともに出て、はたして孫権を大いに破り、呉の人は気を奪われた。戻って守りの備えを整えると、衆の心はそこで落ち着いた。孫権は城を攻めたが、十日経っても抜けず、退いた。孫盛は論じてこう言った。「およそ兵は詭りの道である。合淝の守りに至っては、孤立して弱く援けもなかった。勇の者だけに任せれば戦いを好んで患いが生じ、臆する者だけに任せれば恐れる心を保ちがたい。しかも相手は多く我々は少ないのだから、多い側は必ず貪りと怠りを抱く。我々が命を懸けた軍で貪り怠る兵を撃てば、その勢いは必ず勝つ。勝ってから守れば、必ず固い。だから魏武は武力を取り混ぜて選び、異なるところ同じところを参酌して密かな命令を作り、その用い方を節して宣べさせたので、事が至って応ずるのが符契(合わせて確かめる割り札)を合わせるようであった。」

賈林

讀爲「擇人而任勢」,言示以必勝之勢,使人從之,豈更外責於人,求其勝敗?擇勇怯之人,任進退之勢。

「人を選んで勢いに任せる」と読む。必ず勝つ勢いを見せて人々にそれに従わせるという言葉である。どうしてさらに外へ人を責めて勝ち負けを求めようか。勇の人と臆の人を選び、進退の勢いに任せるのである。

陳皥

善戰者專求於勢,見利速進,不爲敵先,專任機權,不責成於人。苟不獲已而用人,卽須擇而任之。

よく戦う者はもっぱら勢いに求め、利を見れば速く進み、敵に先を譲らず、もっぱら機と権りに任せて、人に成し遂げることを責めない。もしやむを得ず人を用いるなら、すぐに選んで任せなければならない。

杜佑

權變之明,能簡置於人,任己之形勢也。

権りと変化に明らかであれば、人を選んで位に置くことができるので、自分の形勢に任せるのである。

梅堯臣

用人以勢則易,責人以力則難;能者,當在擇人而任勢。

人を勢いで用いれば易しく、人を力で責めれば難しい。長けた者は、まさに人を選んで勢いに任せるところにある。

何氏

得勢自勝,不專責人以力也。

勢いを得れば自ずと勝つので、もっぱら人を力で責めるだけにはしない。

王晳

謂將能擇人任勢以戰,則自然勝矣。人者,謂偏裨與?

将が人を選んで勢いに任せて戦えれば、自然に勝つという言葉である。人とは、偏裨(次将)をいうのであろうか。

張預

任人之法,使貪、使愚、使智、使勇,各任自然之勢,不責人之所不能,故隨材大小,擇而任之。《尉繚子》曰:「因其所長而用之。」言三軍之中,有長於步者,有長於騎者,因能而用,則人盡其材。又,晉侯類能而使之是也。

人を任せる法は、貪る者を使い、愚かな者を使い、智の者を使い、勇の者を使って、それぞれ自然の勢いに任せ、人のできないことを責めないことである。だから才の大きさ小ささに従って選んで任せる。《尉繚子》に「その長じたところに従って用いる」とある。三軍の中には歩みに長じた者もあり、馬に長じた者もあるので、長じたところに従って用いれば、人はその才を尽くすという言葉である。また晋侯が長じたところを選んで使ったのがそれである。

18木や石を転がすように

任勢者,其戰人也,如轉木石;木石之性,安則靜,危則動,方則止,圓則行。

勢いに任せる者が人を戦わせるのは、木や石を転がすのと同じである。木や石の性は、平らであれば静かにしており、傾けば動き、角があれば止まり、丸ければ転がって行く。

注 6
曹操

任自然勢也。

自然の勢いに任せるのである。

李筌

任勢御衆,當如此也。

勢いに任せて衆を率いるのは、まさにこうあるべきである。

杜佑

言投之安地則安,投之危地則危,不知有所回避也。任勢,自然也。方圓之形,猶兵勝負之形。

安らかな地に投げれば安らかであり、危うい地に投げれば危うくなって、回り避けるところを知らないという言葉である。勢いに任せるのは、自然のままである。角と丸の形は、兵の勝ち負けの形と同じである。

梅堯臣

木石,重物也,易以勢動,難以力移;三軍,至衆也,可以勢戰,不可以力使,自然之道也。

木や石は重い物なので、勢いでは動かしやすく、力では移しがたい。三軍は極めて多い衆なので、勢いでは戦わせられるが、力では使えない。自然の道である。

何氏

何氏同梅堯臣《註》。

何氏の注は梅堯臣の《注》と同じである。

張預

木石之性,置之安地則靜,置之危地則動,方正則止,圓斜則行,自然之勢也。三軍之衆,甚陷則不懼,無所往則固,不得已則鬬,亦自然之道。

木や石の性は、安らかな地に置けば静かで、危うい地に置けば動き、角があって正しければ止まり、丸くて傾けば転がって行く。自然の勢いである。三軍の衆も、深く陥れば恐れず、行くところがなければ固まり、やむを得なければ戦う。これもまた自然の道である。

19千仞の山から丸い石を転がすように

故善戰人之勢,如轉圓石於千仞之山者,勢也。

だから人をよく戦わせる勢いとは、千仞の山から丸い石を転がすのと同じである。これが勢である。

注 5
李筌

蒯通以爲坂上走丸,言其易也。

蒯通は坂の上で玉を転がすことだと言った。その易しさを言ったのである。

杜牧

轉石於千仞之山,不可止遏者,在山不在石也;戰人有百勝之勇,彊弱一貫者,在勢不在人也。杜公元凱曰:「昔樂毅藉濟西一戰,能并彊齊,今兵威已成,如破竹數節之後,迎刃自解,無復著手,此勢也。勢不可失。」乃東下建鄴,終滅吳。此篇大抵言兵貴任勢,以險迅疾速爲本,故能用力少而得功多也。

千仞の山で石を転がせば止めることができないのは、山にかかっていて石にかかっているのではない。人を戦わせるのに百たび勝つ勇があり、強さ弱さが一貫しているのは、勢いにかかっていて人にかかっているのではない。杜公元凱はこう言った。「昔、楽毅は済水の西の一戦に拠って強い斉を併せた。いま兵の威勢はすでに成っている。竹を数節割った後は、刃を迎えて自ら裂け、もう手を加えることがないのと同じである。これが勢である。勢は失ってはならない。」そこで東へ建鄴に下り、ついに呉を滅ぼした。この篇はおおむね、兵は勢いに任せることを貴び、険しさと速さを本とするので、力を少なく使って功を多く得られることを言ったのである。

梅堯臣

圓石在山,屹然其勢;一人推之,千人莫制也。

丸い石が山にあれば、その勢いはそびえ立っている。一人が押しても、千人が止められない。

王晳

石不能自轉,因山之勢而不可遏也;戰不能妄勝,因兵之勢而不可支也。

石は自ら転がれないが、山の勢いに従うので遮ることができない。戦いはそれ自体で勝てないが、兵の勢いに従うので支えきれない。

張預

石轉於山而不可止遏者,由勢使之也;兵在於險而不可制禦者,亦勢使之也。李靖曰:「兵有三勢:將輕敵,士樂戰,志勵青雲,氣等飄風,謂之氣勢;關山狹路,羊腸狗門,一夫守之,千人不過,謂之地勢;因敵怠慢,勞役飢渴,前營未舍,後軍半濟,謂之因勢。故用兵任勢,如峻坂走丸,用力至微,而成功甚博也。」

石が山で転がって止められないのは、勢いがそうさせるからであり、兵が険しいところにあって抑え防げないのも、勢いがそうさせるからである。李靖はこう言った。「兵には三つの勢がある。将が敵を軽く見、兵が戦いを楽しみ、志が青雲のように励まされ、気が旋風のようであるのを気勢という。関門や山の狭い路、羊の腸のように曲がった道や犬しか通れない門を、一人が守れば千人が通れないのを地勢という。敵が怠り緩み、役に疲れ飢え渇き、前の営はまだ落ち着かず、後ろの軍は半ばしか渡っていないのに乗じるのを因勢という。だから兵を用いて勢いに任せれば、険しい坂で玉を転がすようなもので、力は極めて少なく使って、功は非常に広く成る。」