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形 — あらわれた形形篇

孫子兵法(兵法の書) 十一家註孫子 · 孫武、注釈者十一人 · 紀元前5世紀(注釈は3〜11世紀) · 段落 17 · 漢字 309字 · 朗読 1.2分

孫子兵法(兵法の書) 巻上 最も古い兵法書。本書は曹操をはじめ十一人が同じ句にそれぞれ注を付けた版本なので、意味の分かれる箇所が原典にそのまま残っている。
編の冒頭の注 5
曹操

軍之形也。我動彼應,兩敵相察情也。

軍の形である。我が動けば彼が応じるので、二つの敵が互いにその実情をうかがうのである。

李筌

形,謂主客、攻守、八陳、五營、陰陽、向背之形。

杜牧

因形見情。無形者情密,有形者情踈;密則勝,踈則敗也。

王晳

形者,定形也,謂兩敵強弱有定形也。善用兵者,能變化其形,因敵以制勝。

張預

兩軍攻守之形也。隱於中,則人不可得而知;見於外,則敵乘隙而至。形因攻守而顯,故次《謀攻》。

1勝たれないようにしてから待つ

孫子曰︰昔之善戰者,先爲不可勝,以待敵之可勝,不可勝在己,可勝在敵。

孫子が言う。

昔のよく戦った者は、まずみずからを勝たれないようにしておいて、敵が勝てるようになるのを待った。勝たれないようにすることはわれにかかっており、勝てるかどうかは敵にかかっている。

注 9
張預

所謂「知己」者也。

いわゆる「己を知る」ということである。

梅堯臣

藏形內治,伺其虛懈。

形を隠して内を治め、敵が虚になりゆるむ隙をうかがう。

張預

所謂「知彼」者也。

いわゆる「彼を知る」ということである。

曹操

守固備也。自修理,以待敵之虛懈也。

固く守り備えることである。みずからを整えながら、敵が虚になりゆるむのを待つ。

李筌

夫善用兵者,守則深壁,多具軍食,善其教練;攻其城,則尚橦棚、雲梯、土山、地道;陳,則左山川、右丘陵,背孤向虛,從疑擊間;善戰者,掎角勢連,首尾相應者,爲不可勝也。夫善戰者,能爲不可勝,不能使敵之必可勝,故曰︰「勝可知而不可爲,不可勝者守也,可勝者攻也。」此數者,以爲可勝也。

そもそも兵をよく用いる者は、守るときには壘を深くし、軍の食を十分に備え、教練をよくする。城を攻めるときには、橦棚(しょうほう、城を打つ車と遮り)・雲梯(うんてい、長い梯子)・土山・坑道を重んじる。陣を敷くときには、左に山川を置き右に丘陵を置き、孤立した地を背にして虚な方へ向かい、疑わしい所に従って隙を撃つ。よく戦う者は、前後から支え合って勢を連ね、首と尾が互いに応ずる。これが勝たれないということである。そもそもよく戦う者は、みずからを勝たれないようにすることはできるが、敵を必ず勝てる状態にさせることはできない。だから「勝ちは知ることはできるが、つくることはできない。勝たれないのは守りであり、勝てるのは攻めである」と言う。これらいくつかのことで、勝てるようにするのである。

杜牧

自整軍事,長有待敵之備;閉跡藏形,使敵人不能測度,因伺敵人有可乘之便,然後出而攻之。

みずから軍事を整えて、常に敵を待つ備えを置き、跡を閉ざし形を隠して敵に測らせないようにする。そうしておいて、敵に乗ずべき便があるのをうかがってから、出て攻めるのである。

杜佑

先咨之廟堂,慮其危難,然後高壘深溝,使兵士練習,以此守備之固,待敵之闕,則可勝之。言守備之固,制敵在外。守備之固自修理,以俟敵之虛懈;已見敵有闕漏之形,然後可勝。

まず廟堂で諮り、その危難を思い量ってから、壘を高くし溝を深くし、兵士を習練させる。これによって守備が固くなれば、敵の欠けを待って勝つことができる。守備が固ければ敵を外で制するという意味である。守備の固さはみずから修め整えて、敵が虚になりゆるむのを待つことであり、敵に欠けや漏れの形が見えてから、はじめて勝てる。

王晳

不可勝者,修道保法也;可勝者,有所隙耳。

勝たれないとは、道を修め法を保つことであり、勝てるとは、隙があるにすぎない。

張預

守之故在己,攻之故在彼。

守る理由はわれにあり、攻める理由は彼にある。

2敵に隙をつくらせることはできない

故善戰者,能爲不可勝,不能使敵之可勝。

だからよく戦う者は、みずからを勝たれないようにすることはできるが、敵を勝てる状態にさせることはできない。

注 8
杜牧

不可勝者,上文註解所謂修整軍事、閉形藏跡是也。此事在己,故曰「能爲」。

勝たれないとは、上の文の注解でいう軍事を修め整え、形を閉ざし跡を隠すということが、これである。この事はわれにかかっているので、だから「することができる」と言った。

張預

藏形晦跡,居常嚴備,則己能焉。

形を隠し跡をくらませ、常に厳重に備えていれば、自分としてはできる。

杜牧

敵若無形可窺,無虛懈可乘,則我雖操可勝之具,亦安能取勝敵乎?

敵にうかがえる形がなく、乗ずべき虚やゆるみがなければ、われが勝てる道具を手にしていても、どうして敵に勝ちを取れようか。

賈林

敵有智謀,深爲己備,不能強令不己備。

敵に智と謀りがあって自分の備えを深くしていれば、無理に備えさせないようにすることはできない。

杜佑

若敵曉練兵事,策與道合,深爲己備者,亦不可強勝之。

敵が軍事に通じ慣れ、その策が道にかなって自分の備えを深くしている者であれば、やはり無理に勝つことはできない。

梅堯臣

在己故能爲,在敵故無必。

われにかかっているのでつくることができ、敵にかかっているので必ずそうなるということがない。

王晳

在敵不在我也。

敵にかかっており、われにかかっているのではない。

張預

若敵強弱之形不顯於外,則我豈能必勝於彼?

敵の強弱の形が外に現れなければ、われはどうして彼に必ず勝てようか。

3勝ちは知ることはできるが、つくることはできない

故曰︰勝可知,而不可爲。

だから、こう言う。勝ちは知ることはできるが、つくることはできない。

注 10
曹操

見成形也。

すでに出来上がった形を見るのである。

杜牧

知者,但能知己之力,可以勝敵也。

知るとは、ただわが力で敵に勝てることを知りうるということである。

陳皥

取勝於形,勝可知也。

形において勝ちを得るのだから、勝ちは知ることができる。

曹操

敵有備故也。

敵に備えがあるからである。

杜牧

言我不能使敵人虛懈,爲我可勝之資。

われが敵を虚にしゆるませて、われが勝つための元手とすることはできないという意味である。

賈林

敵若隱而無形,不可強爲勝敗。

敵が隠れて形がなければ、無理に勝敗をつくることはできない。

杜佑

敵有備也。已料敵,見敵形者,則勝負可知;若敵密而無形,亦不可強使爲敗。故范蠡曰︰「時不至,不可強生;事不究,不可強成。」

敵に備えがあるのである。すでに敵を見積もって敵の形を見た者は、勝敗を知ることができる。敵が緻密で形がなければ、やはり無理に敗れさせることはできない。だから范蠡(はんれい)が「時が至らなければ無理に生じさせることはできず、事が熟さなければ無理に成すことはできない」と言った。

梅堯臣

敵有闕,則可知;敵無闕,則不可爲。

敵に欠けがあれば知ることができ、敵に欠けがなければつくることができない。

何氏

可知之勝在我,我有備也;不可爲之勝在敵,敵無形也。

知ることのできる勝ちはわれにある。われに備えがあるからである。つくることのできない勝ちは敵にある。敵に形がないからである。

張預

己有備,則勝可知;敵有備,則不可爲。

われに備えがあれば勝ちを知ることができ、敵に備えがあればつくることができない。

4勝てなければ守り、勝てるなら攻める

不可勝者,守也;可勝者,攻也。

勝てないときは守り、勝てるときは攻める。

注 13
曹操

藏形也。

形を隠すのである。

杜牧

言未見敵人有可勝之形,己則藏形,爲不可勝之備,以自守也。

敵に勝てる形がまだ見えなければ、われは形を隠し、勝たれない備えをつくって、みずからを守るという意味である。

杜佑

藏形也。若未見其形,彼衆我寡,則自守也。

形を隠すのである。その形がまだ見えず、彼が多くわれが少なければ、みずから守る。

梅堯臣

且有待也。

さらに待つところがあるのである。

何氏

未見敵人形勢虛實有可勝之理,則宜固守。

敵の形勢と虚実に勝てる理が見えなければ、固く守るのがよい。

張預

知己未可以勝,則守其氣而待之。

われがまだ勝てないことを知れば、その気を守って待つ。

曹操

敵攻己,乃可勝。

敵がわれを攻める。そのときはじめて勝てる。

李筌

夫善用兵者︰守,則高壘堅壁也;攻其城,則橦棚、雲梯、土山、地道;陳,左川澤,右丘陵,背孤向虛,從疑擊間,識辨五令以節衆,犄角勢連、首尾相應者,爲不可勝也。無此數者,以爲可勝也。

そもそも兵をよく用いる者は、守るときには壘を高くし壁を固くする。城を攻めるときには、橦棚・雲梯・土山・坑道を用いる。陣を敷くときには、左に川と沼を置き右に丘陵を置き、孤立した地を背にして虚な方へ向かい、疑わしい所に従って隙を撃ち、五つの令を見分けて衆を締める。前後から支え合って勢を連ね、首と尾が互いに応ずれば、勝たれないようになる。これらいくつかのことがなければ、勝てる状態となる。

杜牧

敵人有可勝之形,則當出而攻之。

敵に勝てる形があれば、出て攻めるのがよい。

杜佑

敵攻己,乃可勝也。已見其形,彼寡我衆,則可攻。

敵がわれを攻めれば、すぐに勝てる。その形がすでに見えて、彼が少なくわれが多ければ、攻めることができる。

梅堯臣

見其闕也。

その隙を見たのである。

王晳

守者,以於勝不足;攻者,以於勝有餘。

守るのは勝ちに足りないところがあるからであり、攻めるのは勝ちに余りがあるからである。

張預

知彼有可勝之理,則攻其心而取之。

彼に勝てる理があることを知れば、その心を攻めて取る。

5守りは足りなさから、攻めは余りから

守則不足,攻則有餘。

守るのは力が足りないからであり、攻めるのは力が余るからである。

注 4
曹操

吾所以守者,力不足也;所以攻者,力有餘也。

われが守るのは力が足りないからであり、攻めるのは力が余るからである。

李筌

力不足者,可以守;力有餘者,可以攻也。

力が足りない者は守ることができ、力が余る者は攻めることができる。

梅堯臣

守則知力不足,攻則知力有餘。

守れば力が足りないことがわかり、攻めれば力が余っていることがわかる。

張預

吾所以守者,謂取勝之道有所不足,故且待之;吾所以攻者,謂勝敵之事已有其餘,故出擊之。言非百勝不戰,非萬全不鬬也。後人謂「不足」爲「弱」,「有餘」爲「強」者,非也。

われが守る理由は、勝ちを得る道に足りないところがあるので、なお待つということであり、われが攻める理由は、敵に勝つ事にすでに余りがあるので、出て撃つということである。百たび勝てるのでなければ戦わず、万に一つも誤りがないのでなければ争わないという意味である。後の人が「足りない」を「弱い」、「余りがある」を「強い」と解したのは誤りである。

6九重の地の下に隠れ、九重の天の上で動く

善守者,藏於九地之下;善攻者,動於九天之上,故能自保而全勝也。

よく守る者は九重の地の下に隠れ、よく攻める者は九重の天の上で動く。そうしてこそ、みずからを保ちながら全く勝つことができる。

注 9
曹操

因山川、丘陵之固者,藏於九地之下;因天時之變者,動於九天之上。

山川や丘陵の固さに拠るのが九重の地の下に隠れることであり、天の時の変化に拠るのが九重の天の上で動くことである。

李筌

《天一遁甲經》云︰「九天之上可以陳兵,九地之下可以伏藏。」常以直符加時干,後一所臨宮爲九天,後二所臨宮爲九地。地者,靜而利藏;天者,運而利動。故魏武不明二遁,以九地爲山川,九天爲天時也。夫以天一、太一之遁幽微,知而用之,故全也。《經》云︰「知三避五,魁然獨處;能知三五,橫行天下。」以此法出,不拘諸咎,則其義也。

『天一遁甲経』に「九天の上には兵を布くことができ、九地の下には伏せ隠れることができる」とある。常に直符をそのときの天干に加え、その後の一つ目が臨む宮を九天とし、後の二つ目が臨む宮を九地とする。地は静かで隠れるのに利があり、天は運(めぐ)って動くのに利がある。だから魏の武帝は二つの遁甲に明るくなく、九地を山川とし、九天を天の時とした。そもそも天一・太一の遁甲は幽かで微かであり、知って用いるからこそ全きを得る。『経』に「三を知り五を避ければ、抜きんでて独り立ち、三と五を知ることができれば、天下を思うままに行ける」とある。この法によって出れば、もろもろの咎に引っかからない。すなわち、その意である。

杜牧

守者,韜聲滅跡,幽比鬼神,在於地下,不可得而見之;攻者,勢迅聲烈,疾若雷電,如來天上,不可得而備也。九者,高深,數之極。

守る者は声を包み跡を消し、幽かさは鬼神に比べられるほどで、地の下にあるので、見ることができない。攻める者は勢が速く声が激しく、雷電のように疾く、天の上から来るようなので、備えることができない。九とは、高さと深さが数の極みだという意味である。

陳皥

春三月,寅功曹爲九天之上,申傳送爲九地之下;夏三月,午勝先爲九天之上,子神后爲九地之下;秋三月,申傳送爲九天之上,寅功曹爲九地之下;冬三月,子神后爲九天之上,午勝先爲九地之下也。

春の三か月は、寅の功曹が九天の上となり、申の伝送が九地の下となる。夏の三か月は、午の勝先が九天の上となり、子の神后が九地の下となる。秋の三か月は、申の伝送が九天の上となり、寅の功曹が九地の下となる。冬の三か月は、子の神后が九天の上となり、午の勝先が九地の下となる。

杜佑

善守備者,務因其山川之阻,丘陵之固,使不知所攻,言其深密,藏於九地之下;善攻者,務因天時、地利,爲水火之變,使敵不知所備,言其雷震發動,若動於九天之上也。

守備をよくする者は、その山川の険しさ、丘陵の固さに拠ることに努めて、敵に攻める所をわからせない。その深く密やかなことを、九重の地の下に隠れると言ったのである。攻めをよくする者は、天の時と地の利に拠ることに努めて、水と火の変化をつくり、敵に備える所をわからせない。その雷のように震い起こることを、九重の天の上で動くようだと言ったのである。

梅堯臣

九地,言深不可知;九天,言高不可測。蓋守備密,而攻取迅也。

九地は深くて知りえないことを言い、九天は高くて測りえないことを言う。おおよそ、守備は密やかで、攻め取るのは速いということである。

王晳

守者,爲未見可攻之利,當潛藏其形,沉靜幽默,不使敵人窺測之也;攻者,爲見可攻之利,當高遠神速,乘其不意,懼敵人覺我而爲之備也。九者,極言之耳。

守るのは、まだ攻めてよい利が見えないので、その形を深く隠し、沈み静まって黙し、敵にうかがい測らせないようにすることであり、攻めるのは、攻めてよい利が見えたので、高く遠く神のように速く、その不意に乗ずることである。敵がわれに気づいて備えるのを恐れるからである。九とは、極まりを言ったにすぎない。

何氏

九地、九天,言其深微。《尉繚子》曰︰「治兵者,若祕於地,若邃於天。」言其祕密邃遠之甚也。後漢,涼州賊王國圍陳倉,左將軍皇甫嵩督前軍董卓救之。卓欲速進赴陳倉,嵩不聽。卓曰︰「智者不後時,勇者不留決。速救則城全,不救則城滅。全、滅之勢,在於此也。」嵩曰︰「不然。百戰百勝,不如不戰而屈人之兵。是以先爲不可勝,以待敵之可勝。不可勝在我,可勝在彼。彼守不足,我攻有餘。有餘者,動於九天之上;不足者,陷於九地之下。今陳倉雖小,城守固備,非九地之陷也。王國雖強,而攻我之所不救,非九天之勢也。夫勢非九天,攻者受害;陷非九地,守者不拔。國今已陷受害之地,而陳倉保不拔之城,我可不煩兵動衆,而取全勝之功,將何救焉?」遂不聽。王國圍陳倉,自冬迄春,八十餘日,城堅守固,竟不能拔。賊衆疲弊,果自解去。

九地・九天は、その深く微かなことを言う。『尉繚子』に「兵を治める者は、地に秘めるようであり、天のように奥深いようである」とあり、その秘密と奥深さがきわまっていることを言う。後漢のとき、涼州の賊の王国が陳倉(ちんそう)を囲むと、左将軍の皇甫嵩(こうほすう)が前軍を督し、董卓とともに救った。董卓は速く進んで陳倉に着こうとしたが、皇甫嵩は聞き入れなかった。董卓は「智者は時を逸さず、勇者は決断を引き延ばしません。速く救えば城は全く、救わなければ城は滅びます。全きと滅びの勢は、ここにかかっています」と言った。皇甫嵩は言った。「そうではない。百たび戦って百たび勝つのは、戦わずに人の兵を屈服させるのに及ばない。だからまず勝たれないようにしておいて、敵が勝てるようになるのを待つのだ。勝たれないことはわれにあり、勝てることは彼にある。彼は守りが足りず、われは攻めに余りがある。余りがある者は九重の天の上で動き、足りない者は九重の地の下に陥る。いま陳倉は小さいとはいえ、城の守りは固く備わっており、九重の地に陥ってはいない。王国は強いとはいえ、われが救わない所を攻めており、九重の天の勢ではない。そもそも勢が九重の天でなければ攻める者が害を受け、陥った所が九重の地でなければ守る者は抜かれない。王国はすでに害を受ける地に陥り、陳倉は抜かれない城を保っている。われは兵を煩わせ衆を動かさずに、全く勝つ功を得られるのだ。何を救うことがあろうか。」こうしてついに聞き入れなかった。王国は陳倉を囲み、冬から春まで八十余日攻めたが、城は堅く守りは固く、ついに抜けなかった。賊の衆は疲れ弱り、果たしてみずから囲みを解いて去った。

張預

藏於九地之下,喻幽而不可知也;動於九天之上,喻來而不可備也。《尉繚子》曰「若祕於地,若邃於天」是也。守則固,是自保也;攻則取,是全勝也。

九重の地の下に隠れるとは、幽かで知りえないことをたとえたのであり、九重の天の上で動くとは、来ても備えられないことをたとえたのである。『尉繚子』に「地に秘めるようであり、天のように奥深いようである」とあるのが、これである。守れば固いので、みずからを保つことであり、攻めれば取れるので、全く勝つことである。

7みんなが知っている勝ちは、善ではない

見勝不過衆人之所知,非善之善者也;戰勝而天下曰善,非善之善者也;故舉秋毫不爲多力,見日月不爲明目,聞雷霆不爲聰耳。

勝ちを見ることが衆人の知る程度を越えなければ、善の中の善ではない。戦って勝った後に天下が善いと言うのも、善の中の善ではない。秋の毛を持ち上げたからといって力が強いとは言わず、日と月を見たからといって目が明るいとは言わず、雷の音を聞いたからといって耳が聡いとは言わないのと同じである。

注 20
曹操

當見未萌。

まだ芽生えていないものを見るべきである。

李筌

知不出衆知,非善也。韓信破趙,未餐而出井陘,曰︰「破趙會食。」時諸將嘸然,佯應曰︰「諾。」乃背水陳。趙乘壁望見,皆大笑,言漢將不便兵也。乃破趙,食,斬成安君。此則衆所不知也。

知が衆人の知を越えなければ、善ではない。韓信が趙を破るとき、食事もとらずに井陘を出て「趙を破ってから集まって食べよう」と言った。そのとき諸将はぽかんとして、うわべだけ「はい」と応じた。そこで水を背にして陣を敷いた。趙が壘に登って望み見て、みな大笑いし、漢の将は兵を使えないと言った。しかしついに趙を破って食事をし、成安君を斬った。これがすなわち衆人の知らないところである。

杜牧

衆人之所見,破軍殺將,然後知勝;我之所見,廟堂之上,罇俎之間,已知勝負者矣。

衆人が見るのは、軍を破り将を殺してからはじめて勝ちを知ることであり、われが見るのは、廟堂の上、樽と俎(まないた)の間ですでに勝敗を知ることである。

賈林

守必固,攻必克,能自保全,而常不失勝;見未然之勝,善知將然之敗,謂實微妙通玄,非衆人之所見也。

守れば必ず固く、攻めれば必ず勝ち、みずからを全く保って、常に勝ちを失わない。まだそうなっていない勝ちを見、これからそうなる敗れをよく知るのであり、まことに微妙で玄に通じているのであって、衆人の見るところではない。

孟氏

當見未萌。言兩軍已交,雖料見勝負,策不能過絶於人,但見近形非遠。太公曰︰「智與衆同,非國師也。」

芽生える前に見るべきである。二つの軍がすでに組み合ってから、勝敗を見積もってみても、その策は人より抜きんでて越えることがなく、ただ近い形を見るだけで遠くは見えないという意味である。太公が「智が衆人と同じであれば、国の師ではない」と言った。

梅堯臣

人所見而見,故非善。

人が見るものを見るのだから、だから善ではない。

王晳

衆常之人,見所以勝,而不知制勝之形。

並みの衆人は、勝った理由は見ても、勝ちをつくる形は知らない。

張預

衆人所知,已成已著也;我之所見,未形未萌也。

衆人が知るのは、すでに成り、すでに現れたものであり、われが見るのは、まだ形をとらず、まだ芽生えていないものである。

曹操

爭鋒也。

鋒(きっさき)を争ったのである。

李筌

爭鋒力戰,天下易見,故非善也。

鋒を争って力で戦うのは、天下が容易に見るのだから、だから善ではない。

杜牧

天下,猶上文言衆也。言天下人皆稱戰勝者,故破軍殺將者也;我之善者,陰謀潛運,攻必伐謀,勝敵之日,曾不血刃。

天下とは、上の文で言った衆人と同じである。天下の人がみな戦って勝ったと称えるのは、軍を破り将を殺したことであり、われの言う善は、謀りをひそかに運らせて攻め、必ず敵の謀りを伐つことであって、敵に勝つその日に、刃に血を付けることさえない。

陳皥

潛運其智,專伐其謀,未戰而屈人之兵,乃是善之善者也。

その智をひそかに運らせ、専らその謀りを伐ち、戦わずに人の兵を屈服させる。これがすなわち善の中の善である。

梅堯臣

見不過衆,戰雖勝,天下稱之,猶不曰善。

見ることが衆人を越えなければ、戦って勝って天下が称えても、なお善とは言わない。

王晳

以謀屈人,則善矣。

謀りで人を屈服させれば、善である。

張預

戰而後能勝,衆人稱之曰善,是有智名、勇功也,故云「非善」;若見微察隱,取勝於無形,則真善者也。

戦ってはじめて勝てて、衆人が善いと称えるのは、智の名と勇の功があることであり、だから「善ではない」と言った。もし微かなものを見、隠れたものを察して、形のないうちに勝ちを得れば、まことの善である。

曹操

易見聞也。

見聞きしやすいものである。

李筌

易見聞也。以爲攻戰勝,而天下不曰善也。夫智能之將,人所莫測,爲之深謀,故孫武曰「難知如陰」也。

見聞きしやすいものである。攻め戦って勝っても、天下は善いと言わないとしたのである。そもそも智と能のある将は、人が測りえない。深い謀りをなすからである。だから孫武が「知りがたいことは陰のようだ」と言った。

王晳

衆人之所知,不爲智;力戰而勝人,不爲善。

衆人が知るところは、智とはならず、力で戦って人に勝つのは、善とはならない。

何氏

此言衆人之所見所聞,不足爲異也。昔烏獲舉千鈞之鼎爲力,離朱百步覩繊芥之物爲明,師曠聽蚊行螘步爲聰也。兵之成形而見之,誰不能也?故勝於未形,乃爲知兵矣。

これは衆人が見聞きするところが、格別とするには足りないことを言う。昔、烏獲(うかく)が千鈞の鼎を持ち上げたのを力といい、離朱(りしゅ)が百歩先の細かな塵を見たのを明るさといい、師曠(しこう)が蚊の飛ぶ音や蟻の歩く音を聞いたのを聡さといった。兵が形を成してから見ることなど、誰ができないだろうか。だから形をとる前に勝ってこそ、はじめて兵を知るというのである。

張預

人皆能也。引此以喻衆人之見勝也。秋毫,謂兔毛至秋而勁細,言至輕也。

人がみなできることである。これを引いて、衆人が勝ちを見ることにたとえたのである。秋毫とは、兎の毛が秋になると硬く細くなることを言い、きわめて軽いことを言う。

8勝ちやすいところで勝つ

古之所謂善戰者,勝於易勝者也。

昔のいわゆるよく戦った者とは、勝ちやすいところで勝った者である。

注 5
曹操

原微易勝,攻其可勝,不攻其不可勝也。

微かなうちに勝ちやすさを見極め、勝てる所を攻めて、勝てない所は攻めない。

杜牧

敵人之謀,初有萌兆,我則潛運以能攻之,用力旣少,制勝旣微,故曰「易勝」也。

敵の謀りがちょうど芽生える兆しがあるときに、われがひそかに運らせて攻めることができるので、力を使うことが少なく、勝ちをつくることが目立たない。だから「勝ちやすい」と言ったのである。

梅堯臣

力舉秋毫,明見日月,聰聞雷霆,不出衆人之所能也。故見於著則勝於艱,見於微則勝於易。

力で秋の毛を持ち上げ、目で日と月を見、耳で雷の音を聞くのは、衆人のできることを越えない。だから現れたところで見れば、難しいところで勝つことになり、微かなところで見れば、易しいところで勝つことになる。

何氏

言敵人之謀,初有萌兆,我則潛運己能攻之,用力旣少,制敵甚微,故曰「易勝」也。

敵の謀りがちょうど芽生える兆しがあるときに、われがひそかに自分の力を運らせて攻めることができるので、力を使うことが少なく、敵を制することがきわめて目立たない。だから「勝ちやすい」と言ったのである。

張預

交鋒接刃,而後能制敵者,是其勝難也;見微察隱,而破於未形者,是其勝易也。故善戰者,常攻其易勝,而不攻其難勝也。

鋒を交え刃を接してからはじめて敵を制するのは、その勝ちが難しいのであり、微かなものを見、隠れたものを察して、形をとる前に破るのは、その勝ちが易しいのである。だからよく戦う者は、常に勝ちやすい方を攻めて、勝ちにくい方を攻めない。

9智の名も勇の功もない

故善戰者之勝也,無智名,無勇功。

だからよく戦う者の勝ちには、智の名もなく、勇の功もない。

注 6
曹操

敵兵形未成,勝之無赫赫之功也。

敵の兵がまだ形を成さないうちに勝ったのだから、輝かしい功といえるものがない。

李筌

勝敵而天下不知,何智名之有?

敵に勝っても天下が知らないのだから、どんな智の名があろうか。

杜牧

勝於未萌,天下不知,故無智名;曾不血刃,敵國已服,故無勇功也。

芽生える前に勝って天下が知らないので、だから智の名がなく、刃に血を付けることさえないのに敵国がすでに服するので、だから勇の功がない。

梅堯臣

大智不彰,大功不揚,見微勝易,何勇何智?

大きな智は際立たず、大きな功は鳴り響かない。微かなものを見て易しく勝つのだから、何の勇、何の智であろうか。

何氏

患銷未形,人誰稱智?不戰而服,人誰言勇?漢之子房、唐之裴度能之。

患いを形をとる前に溶かすのだから、誰が智と称えようか。戦わずに屈服させるのだから、誰が勇と言おうか。漢の子房(しぼう)、唐の裴度がこれをなした。

張預

陰謀潛運,取勝於無形,天下不聞料敵制勝之智,不見搴旗斬將之功,若留侯未嘗有戰鬬功是也。

謀りをひそかに運らせ、形のないうちに勝ちを得るので、天下は敵を見積もって勝ちをつくる智を聞かず、旗を抜き将を斬る功を見ない。留侯(りゅうこう)にかつて戦って得た功がないのと同じである。

10狂いがない

故其戰勝不忒,不忒者,其所措必勝,勝已敗者也。

だからその戦いと勝ちに狂いがない。狂いがないとは、その打つ手が必ず勝つことであり、すでに敗れている者に勝つことである。

注 10
李筌

百戰百勝,有何疑貳也?此筌以「忒」字爲「貳」也。

百たび戦って百たび勝つのだから、どんな疑いや二心があろうか。これは李筌が「忒」の字を「貳」と解したのである。

陳皥

籌不虛運,策不徒發。

算を空しく回らせず、策をむだに出さない。

張預

力戰而求勝,雖善者亦有敗時;旣見於未形,察於未成,則百戰百勝,而無一差忒矣。

力で戦って勝ちを求めれば、巧みな者でも敗れるときがある。すでに形をとる前に見、成る前に察すれば、百たび戦って百たび勝ち、一つの狂いもない。

曹操

察敵必可敗,不差忒也。

敵が必ず敗れるしかないことを察したのだから、狂わない。

李筌

置勝於已敗之師,何忒焉?師老卒惰,法令不一,謂「已敗」也。

すでに敗れている軍に勝ちを置くのだから、どんな狂いがあろうか。軍が老い兵が怠り、法令が一つでないことを「すでに敗れている」という。

杜牧

措,猶置也。忒,差忒也。我能置勝不忒者何也?蓋先見敵人已敗之形,然後攻之,故能致必勝之功,不差忒也。

措とは置くことであり、忒とは狂うことである。われが勝ちを置いて狂わないでいられるのはなぜか。おおよそ、敵にすでに敗れている形があるのを先に見てから攻めるので、だから必ず勝つ功を成して狂わないのである。

賈林

讀「措」爲「錯」,錯雜也。取敵之勝,理非一途,故雜而料之也。常於勝未形,已見敵之敗。

「措」を「錯」と読み、錯とは混ぜることである。敵から勝ちを得るのに、理は一つの道ではないので、だから混ぜて見積もるのである。常に勝ちが形をとる前に、すでに敵の敗れを見ている。

梅堯臣

睹其可敗,勝則不差。

その敗れうることを見て勝つので、狂わない。

何氏

善料也。

見積もりをよくするのである。

張預

所以能勝而不差者,蓋察知敵人有必可敗之形,然後措兵以勝之云耳。

勝ちながら狂わないでいられる理由は、おおよそ、敵に必ず敗れうる形があることを察して知ってから、兵を置いて勝つからだという意味である。

11敗れようのない地に立つ

故善戰者,立於不敗之地,而不失敵之敗也。

だからよく戦う者は、敗れようのない地に立って、敵が敗れるときを逸しない。

注 8
李筌

兵得地者昌,失地者亡。地者,要害之地。秦軍敗趙,先據北山者勝;宋師伐燕,過大峴而勝,皆得其地也。

兵は地を得れば栄え、地を失えば滅びる。地とは、要害の地である。秦の軍が趙を破ったのは、北山を先に占めた側が勝ったのであり、宋の軍が燕を伐つとき、大峴(たいけん)を越えてから勝ったのは、どちらもその地を得たのである。

杜牧

不敗之地者,爲不可勝之計,使敵人必不能敗我也。不失敵人之敗者,言窺伺敵人可敗之形,不失毫髮也。

敗れようのない地とは、勝たれようのない計を立てて、敵が必ずわれを敗れさせられないようにすることである。敵の敗れるときを逸しないとは、敵が敗れうる形をうかがって、毛筋ほども逸さないことを言う。

陳皥

陳皥《註》同李筌。

陳皥の注は李筌と同じ。

杜佑

杜佑《註》同杜牧。

杜佑の注は杜牧と同じ。

梅堯臣

善候敵隙,我則常勝。

敵の隙をよく待てば、われは常に勝つ。

王晳

常爲不可勝,待敵可勝,不失其機。

常に勝たれようのない構えを保って、敵が勝てるようになるのを待ち、その機を逸さない。

何氏

自恃有備,則無患;常伺敵隙,則勝之不失也。立於不敗之地利也,言我常爲勝所。

備えがあることを恃めば患いがなく、常に敵の隙をうかがえば勝ちを逸さない。敗れようのない地に立つとは地の利であり、われが常に勝つ場所を占めることを言う。

張預

審吾法令,明吾賞罰,便吾器用,養吾武勇,是立於不敗之地也。我有節制,則彼將自衂,是不失敵之敗也。

わが法令を見極め、わが賞罰を明らかにし、わが器具を使いやすくし、わが武勇を養っておくのが、敗れようのない地に立つことである。われに節制があれば、あちらがおのずから挫けるので、これが敵の敗れるときを逸さないことである。

12勝つ軍は勝ってから戦う

是故勝兵先勝而後求戰,敗兵先戰而後求勝。

だから勝つ軍はまず勝っておいてから戦いを求め、敗れる軍はまず戦ってから勝ちを求める。

注 7
曹操

有謀與無慮也。

謀りがあることと、思慮がないことである。

李筌

計與不計也。是以薛公知黥布之必敗,田豐知魏武之必勝,是其義也。

計ったことと計らなかったことの違いである。だから薛公(せつこう)は黥布が必ず敗れることを知り、田豊(でんぽう)は魏武が必ず勝つことを知った。その意が、これである。

杜牧

《管子》曰︰「天時、地利,其數多少,其要必出於計數。故凡攻伐之道,計必先定於內,然後兵出乎境。不明敵人之政,不能加也;不明敵人之積,不能約也;不明敵人之將,不見先軍;不明敵人之士,不見先陳。故以衆擊寡,以治擊亂,以富擊貧,以能擊不能,以教士練卒擊毆衆白徒,故能百戰百勝。」此則先勝而後求戰之義也。衞公李靖曰︰「夫將之上務,在於明察而衆和,謀深而慮遠,審於天時,稽乎人理。若不料其能,不達權變,及臨機對敵,方始趑趄,左顧右盼,計無所出,信任過說,一彼一此,進退狐疑,部伍狼藉,何異趣蒼生而赴湯火,驅牛羊而啗狼虎者乎?」此則先戰而後求勝之義也。

『管子』に「天の時、地の利、その数の多少は、その要が必ず計数から出る。だからおよそ攻め伐つ道は、計を必ず内で先に定めてから、兵を境の外に出す。敵の政を明らかにしなければ攻めることはできず、敵の蓄えを明らかにしなければ縛ることはできず、敵の将を明らかにしなければ軍を先に出せず、敵の兵を明らかにしなければ陣を先に敷けない。だから多い数で少ない数を撃ち、整った軍で乱れた軍を撃ち、富で貧を撃ち、できるものでできないものを撃ち、教えた兵と慣れた卒で群れただけの素人を撃つので、百たび戦って百たび勝つ」とある。これがすなわち、先に勝っておいてから戦いを求める意である。衞公の李靖が「そもそも将の第一の務めは、明らかに察して衆を和し、謀りを深くして遠くを思い、天の時を見極め、人の理を考えることにある。もしその力を見積もれず、権変に通じていなければ、機に臨んで敵に対したときに、はじめてたじろぎ、左右を見回して計が出てこず、行き過ぎた言を信じてあちらこちらに揺れ、進退に迷って部隊の列が崩れる。これでは民を駆り立てて熱湯と火に飛び込ませ、牛と羊を追って狼と虎に食わせるのと、何が違おうか」と言った。これがすなわち、先に戦ってから勝ちを求める意である。

賈林

不知彼我之情,陳兵輕進,意雖求勝,而終自敗也。

彼とわれの実情を知らずに兵を並べて軽々しく進めば、意は勝ちを求めていても、ついにみずから敗れる。

梅堯臣

可勝而戰,戰則勝矣;未見可勝,勝可得乎?

勝てるから戦うのであれば、戦って勝つ。勝てることを見ていないのに、勝ちを得られようか。

何氏

凡用兵,先定必勝之計,而後出軍。若不先謀,唯欲恃強,勝未必也。

およそ兵を用いるときは、必ず勝つ計をまず定めてから軍を出す。もし先に謀らず、ただ強さを恃もうとするなら、勝ちは期しがたい。

張預

計謀先勝,然後興師,故以戰則克。《尉繚子》曰︰「兵不必勝,不可以言戰;攻不必拔,不可以言攻。」謂危事不可輕舉也。又曰︰「兵貴先勝於此,則勝彼矣;弗勝於此,則弗勝彼矣。」此之謂也。若趙充國常先計而後戰,亦是也。不謀而進,欲幸其成功,故以戰則敗。

計謀で先に勝っておいてから軍を起こすので、だから戦えば勝つ。『尉繚子』に「兵が必ず勝つのでなければ、戦いを語ることはできない。攻めて必ず抜けるのでなければ、攻めを語ることはできない」とあり、危うい事は軽々しく起こせないことを言う。また「兵はこちらで先に勝つことを貴ぶ。こちらで勝てばあちらでも勝ち、こちらで勝てなければあちらでも勝てない」とあり、これを言ったのである。趙充国が常に先に計ってから戦ったのも、これである。謀らずに進んで、まぐれで功を成そうとするので、だから戦えば敗れる。

13道を修め法を保つ

善用兵者,修道而保法,故能爲勝敗之政。

兵をよく用いる者は、道を修め法を保つ。だから勝敗を自分の手に置くことができる。

注 7
曹操

善用兵者,先自修治,爲不可勝之道,保法度,不失敵之敗亂也。

兵をよく用いる者は、まずみずからを修め整えて、勝たれようのない道をつくり、法度を保って、敵が敗れ乱れるときを逸さない。

李筌

以順討逆,不伐無罪之國;軍至,無虜掠,不伐樹木、污井竈;所過山川、城社、陵祠,必滌而除之,不習亡國之事,謂之道法也。軍嚴肅,有死無犯,賞罰信義,立將若此者,能勝敵之敗政也。

正しいもので逆らうものを討ち、罪のない国は伐たない。軍が到っても捕らえ奪わず、木を伐らず、井戸やかまどを汚さない。通り過ぎる山川、城の社、陵の祠は必ず清めて整え、国を滅ぼすような事は行わない。これを道と法という。軍が厳粛で、死んでも犯すことがなく、賞罰に信と義があるように将を立てれば、敵の誤った政に勝つことができる。

杜牧

道者,仁義也;法者,法制也。善用兵者,先修治仁義,保守法制,自爲不可勝之政;伺敵有可敗之隙,則攻能勝之。

道とは仁義であり、法とは法制である。兵をよく用いる者は、まず仁義を修め整え、法制を保ち守って、みずから勝たれようのない政をなし、敵に敗れうる隙があるのをうかがって攻めれば、勝つことができる。

賈林

常修用兵之勝道,保賞罰之法度,如此則常爲勝,不能則敗,故曰「勝敗之政」也。

兵を用いて勝つ道を常に修め、賞罰の法度を保てば常に勝ち、そうできなければ敗れる。だから「勝敗の政」と言ったのである。

梅堯臣

攻守自修,法令自保,在我而已。

攻守をみずから修め、法令をみずから保つのであり、われにあるだけである。

王晳

法者,下之五事也。

法とは、以下の五つの事である。

張預

修治爲戰之道,保守制敵之法,故能必勝。或曰︰先修飾道義,以和其衆;後保守法令,以戢其下,使民愛而畏之,然後能爲勝敗。

戦いの道を修め整え、敵を制する法を保ち守るので、だから必ず勝つことができる。ある人は言う。まず道義を修めてその衆を和し、後に法令を保ち守って下の者を締め、民が愛しながらも畏れるようにしてから、勝敗を自分の手に置くことができる。

14五つ ― 測り、量り、数え、比べ、勝つ

兵法︰一曰度,二曰量,三曰數,四曰稱,五曰勝。

兵法に言う。一に測ること(度)、二に量ること(量)、三に数えること(数)、四に比べること(稱)、五に勝つこと(勝)である。

注 10
賈林

度土地也。

土地を測るのである。

王晳

丈尺也。

丈(じょう)や尺で測るのである。

賈林

量人力多少,倉廩虛實。

人の力の多少と、倉の虚実を量るのである。

王晳

㪷斛也。

斗(と)や斛(こく)で量るのである。

賈林

算數也,以數推之,則衆寡可知、虛實可見。

算え数えることである。数で推し量れば、多寡を知ることができ、虚実を見ることができる。

王晳

百千也。

百、千と数を数えることである。

賈林

旣知衆寡,兼知彼我之德業輕重、才能之長短。

多寡を知ってから、さらに彼とわれの徳と功業の軽重、才能の長短まで知ることである。

王晳

權衡也。

秤(はかり)で量ることである。

曹操

勝敗之政,用兵之法,當以此五事稱量,知敵之情。

勝敗を自分の手に置くこと、すなわち兵を用いる法とは、この五つで比べ量って、敵の実情を知ることである。

張預

此言安營布陳之法也。李衞公曰︰「教士猶布碁於盤,若無畫路,碁安用之?」

これは営を据え陣を布く法を言う。李衞公が「兵を教えるのは盤に碁石を置くようなものだ。引いた線がなければ、碁石をどこに使おうか」と言った。

15地から測ることが生まれる

地生度,度生量,量生數,數生稱,稱生勝。

地から測ることが生まれ、測ることから量ることが生まれ、量ることから数えることが生まれ、数えることから比べることが生まれ、比べることから勝ちが生まれる。

注 32
曹操

因地形勢而度之。

地の形勢に従って測る。

李筌

旣度有情,則量敵而禦之。

測って実情がわかったら、敵を量って防ぐ。

杜牧

度者,計也。言度我國土大小,人戶多少,征賦所入,兵車所籍,山河險易,道里迂直,自度此事與敵人如何,然後起兵。夫小不能謀大,弱不能擊強,近不能襲遠,夷不能攻險,此皆生於地,故先度也。

度とは、計ることである。わが国の土地の大小、人戸の多少、租税として入るもの、兵車に登録された数、山河の険しさと易しさ、道の迂回と直線を測り、この事が敵と比べてどうであるかをみずから見積もってから、兵を起こすという意味である。そもそも小さいものは大きいものを謀れず、弱いものは強いものを撃てず、近いものは遠いものを襲えず、平らな地の兵は険しい地を攻められない。これらはみな地から生じるので、だからまず測るのである。

梅堯臣

因地以度軍勢。

地に従って軍の勢を測る。

王晳

地,人所履也。舉兵攻戰,先本於地,由地故生度。度,所以度長短,知遠近也。凡行軍臨敵,先須知遠近之計。

地は人が踏む所である。兵を挙げて攻め戦うことは、まず地に基づくので、地から度が生まれる。度とは、長短を測って遠近を知ることである。およそ軍を行かせ敵に臨むときは、まず遠近の計を知らなければならない。

何氏

地者,遠近、險易也。度,計也。未出軍,先計敵國之險易,道路迂直,兵甲孰多,勇怯孰是,計度可伐,然後興師動衆,可以成功。

地とは、遠近と険しさ易しさである。度とは、計ることである。軍を出す前に、敵国の険しさ易しさ、道の迂回と直線、兵と甲はどちらが多いか、勇と怯はどちらかを先に計り、伐てると見積もってから、軍を起こし衆を動かせば、功を成すことができる。

杜牧

量者,酌量也。言度地已熟,然後能酌量彼我之強弱也。

量とは、酌み量ることである。地を測ることが十分になってから、はじめて彼とわれの強弱を酌み量れるという意味である。

梅堯臣

因度地以量敵情。

地を測ったことに従って敵の実情を量る。

王晳

謂量有大小。言旣知遠近之計,則須更量其敵之大小也。

量に大小があることを言う。遠近の計をすでに知ったなら、さらにその敵の大小を量らなければならないという意味である。

何氏

量酌彼己之形勢。

彼と己の形勢を酌み量る。

曹操

知其遠近、廣狹,知其人數也。

その遠近と広狭を知れば、その人数を知る。

李筌

量敵遠近、強弱,須備士卒、軍資之數而勝也。

敵の遠近と強弱を量り、兵と軍需の数を備えてこそ勝つ。

杜牧

數者,機數也。言強弱已定,然後能用機變數也。

数とは、機に乗ずる計である。強弱がすでに定まってから、はじめて機に応じて変わる計を用いられるという意味である。

賈林

量地遠近、廣狹,則知敵人人數多少也。

地の遠近と広狭を量れば、敵の人数の多少を知る。

梅堯臣

因量以得衆寡之數。

量ることに従って多寡の数を得る。

王晳

數,所以紀多少。言旣知敵之大小,則更計其精劣、多少之數。曹公曰︰「知其人數。」

数は多少を記すものである。敵の大小をすでに知ったなら、さらにその精鋭さと劣りの別、多少の数を計るという意味である。曹公が「その人数を知る」と言った。

何氏

數,機變也。先酌量彼我強弱、利害,然後爲機數。

数は、機に応じて変わることである。彼とわれの強弱と利害をまず酌み量ってから、機に乗ずる計を用いる。

張預

地有遠近、廣狹之形,必先度知之,然後量其容人多少之數也。

地には遠近、広狭の形があるので、必ずまず測って知ってから、人をどれだけ収められるか、その数を量る。

曹操

稱量己與敵孰愈也。

われと敵のどちらがまさるかを比べ量る。

李筌

分數旣定,賢智之多少,得賢者重,失賢者輕,如韓信之論楚漢也,須知輕重、別賢愚而稱之,錙銖則強。

分けることと数えることが定まれば、賢く智ある者の多少を見る。賢者を得た側は重く、賢者を失った側は軽い。韓信が楚と漢を比べて論じたようなものである。軽重を知り、賢と愚を見分けて量らなければならない。ごく細かなところまで量れば強くなる。

杜牧

稱,校也。機權之數已行,然後可以稱校彼我之勝負也。

稱とは、照らし合わせることである。機と権の計がすでに行われてから、はじめて彼とわれの勝敗を量り照らし合わせることができる。

梅堯臣

因數以權輕重。

数に従って軽重を量る。

王晳

稱所以知重輕,喻強弱之形勢也。能盡知遠近之計,大小之舉,多少之數,以與敵相形,則知重輕所在。

稱は軽重を知るものであり、強弱の形勢をたとえた言葉である。遠近の計、大小の動き、多少の数をすべて知って敵と比べ合わせれば、軽重がどこにあるかを知る。

何氏

何氏同杜牧《註》。

何氏の注は杜牧と同じ。

曹操

稱量之,故知其勝負所在。

比べ量るので、だからその勝敗がどこにあるかを知る。

李筌

稱知輕重,勝敗之數可知也。

量って軽重を知れば、勝敗の数を知ることができる。

杜牧

稱校旣熟,我勝敵敗,分明見也。

量り照らし合わせることが十分になれば、われが勝ち敵が敗れることが、はっきりと見える。

梅堯臣

因輕重以知勝負。

軽重に従って勝敗を知る。

王晳

重勝輕也。

重いものが軽いものに勝つ。

陳皥、杜佑

陳皥、杜佑同杜牧上「五事」《註》。

陳皥と杜佑の注は、上の「五事」についての杜牧の注と同じ。

何氏

上五事,未戰先計必勝之法,故孫子引古法,以疏勝敗之要也。

上の五つの事は、戦う前に必ず勝つ法をまず計ることである。だから孫子が古い法を引いて、勝敗の要を説き明かしたのである。

張預

稱,宜也。地形與人數相稱,則踈密得宜,故可勝也。《尉繚子》曰︰「無過在於度數。」度謂尺寸,數謂什伍。度以量地,數以量兵;地與兵相稱則勝。五者皆因地形而得,故自地而生之也。李靖「五陳」,隨地形而變是也。

稱とは、ふさわしさである。地の形と人の数が互いにかなえば、疎と密がちょうどよくなるので、だから勝つことができる。『尉繚子』に「過ちがないのは度と数にある」とある。度は尺と寸を言い、数は什(じゅう)と伍の隊列を言う。度で地を量り、数で兵を量って、地と兵が互いにかなえば勝つ。五つはみな地の形に従って得られるので、だから地から生まれるのである。李靖の「五陣」が地の形に従って変わるのが、これである。

16鎰(いつ)で銖(しゅ)を量るようなもの

故勝兵若以鎰稱銖,敗兵若以銖稱鎰。

だから勝つ軍は鎰で銖を量るようなものであり、敗れる軍は銖で鎰を量るようなものである。

注 6
梅堯臣

力易舉也。

力で持ち上げやすい。

曹操

輕不能舉重也。

軽いものは重いものを持ち上げられない。

李筌

二十兩爲鎰。銖之於鎰,輕重異位,勝敗之數,亦復如之。

二十両が一鎰である。銖と鎰では軽重の位が違う。勝敗の数もまた、これと同じである。

梅堯臣

力難制也。

力で制しがたい。

王晳

言銖鎰者,以明輕重之至也。

銖と鎰を言ったのは、軽重の極まりを明らかにしたのである。

張預

二十兩爲鎰,二十四銖爲兩。此言有制之兵對無制之兵,輕重不侔也。

二十両が一鎰、二十四銖が一両である。これは、節制のある兵が節制のない兵に対すれば、軽重が比べものにならないことを言う。

17千仞の谷に水を切って落とす

勝者之戰民也,若決積水於千仞之谿者,形也。

勝つ者が民を戦わせるのは、千仞の谷に溜めた水を切って落とすようなものである。これが形である。

注 6
曹操

八尺曰仞。決水千仞,其勢疾也。

八尺を仞という。千仞から水を切って落とせば、その勢は激しい。

李筌

八尺曰仞,言其勢也。杜預伐吳,言兵如破竹,數節之後,皆迎刃自解,則其義也。

八尺を一仞といい、その勢を言ったのである。杜預が呉を伐つとき、兵を竹を割ることにたとえて、数節を割った後はすべて刃を迎えておのずから裂けると言った。その意が、これである。

杜牧

夫積水在千仞之谿,不可測量,如我之守不見形也。及決水下,湍𣵡奔注,如我之攻,不可禦也。

千仞の谷に溜めた水は深さを測りえない。われが守るときに形を現さないのと同じである。水を切って下へ流せば、激しく奔り注ぐ。われが攻めるときに防げないのと同じである。

梅堯臣

水決千仞之谿,莫測其迅;兵動九天之上,莫見其跡,此軍之形也。

千仞の谷から水を切って落とせば、その速さを測りえず、兵が遥かな天の上で動けば、その跡を見られない。これが軍の形である。

王晳

千仞之谿,至陗絶也。喻不可勝對可勝之形,乘機攻之,決水是也。

千仞の谷は、きわめて切り立って断ち切れた所である。勝たれようのない側が勝てる形に対して、機に乗じて攻めることをたとえた言葉であり、水を切って落とすのが、これである。

張預

水之性避高而趨下,決之赴深谿,固湍浚而莫之禦也。兵之形象水,乘敵之不備,掩敵之不意,避實而擊虛,亦莫之制也。或曰︰千仞之谿,謂不測之淵,人莫能量其淺深。及決而下之,則其勢莫之能禦。如善守者匿形晦跡,藏於九地之下,敵莫能測其強弱;及乘虛而出,則其鋒莫之能當也。

水の性は高い所を避けて低い所へ下るので、切って深い谷へ落とせば、激しく深くて防ぐことができない。兵の形は水に似ており、敵が備えていないときに乗じ、敵が思いもよらない所を襲い、実を避けて虚を撃つので、やはり制することができない。ある人は言う。千仞の谷とは測りえない淵のことで、人はその深さを量れず、切って下へ落とせば、その勢を防ぐことができない。よく守る者が形を隠し跡をくらませて地の底深くに隠れれば、敵はその強弱を測れず、虚に乗じて出てくれば、その鋒を当たりえないのと同じである。