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九変 — 九つの変九變篇

孫子兵法(兵法の書) 十一家註孫子 · 孫武、注釈者十一人 · 紀元前5世紀(注釈は3〜11世紀) · 段落 10 · 漢字 248字 · 朗読 1.0分

孫子兵法(兵法の書) 巻中 最も古い兵法書。本書は曹操をはじめ十一人が同じ句にそれぞれ注を付けた版本なので、意味の分かれる箇所が原典にそのまま残っている。
編の冒頭の注 3
曹操

變其正,得其所用九也。

正を変じて、その用いるところを得るのが九である。

王晳

晳謂九者,數之極。用兵之法,當極其變耳。《逸詩》云︰「九變復貫。」不知曹公謂何爲九?或曰︰九地之變也。

張預

變者,不拘常法,臨事適變,從宜而行之之謂也。凡與人爭利,必知九地之變,故次《軍爭》。

1地に応じて違える

孫子曰︰凡用兵之法,將受命於君,合軍聚衆,圮地無舍,衢地交合,絶地無留,圍地則謀,死地則戰。

孫子は言う。

およそ軍を用いる法はこうである。将が君から命を受け、軍を合わせて衆を集めたなら、崩れる地には宿らず、四つ辻の地では隣と交わりを結び、絶たれた地には留まらず、囲まれた地では謀をめぐらし、死地では戦う。

注 32
張預

已解上文。

前の文ですでに解いた。

曹操

無所依也。水毁曰圮。

寄りかかる所がないのである。水に壊された所を圮という。

李筌

地下曰圮,行必水淹也。

地の低い所を圮といい、通れば必ず水に浸かる。

陳皥

圮,低下也。孔明謂之地獄。獄者,中下,四面高也。

圮とは低く窪んだ所である。孔明はこれを地獄と言った。獄とは、中が低く四面が高い所である。

孟氏

太下則爲敵所囚。

あまりに低ければ、敵に囚われることになる。

杜佑

擇地頓兵,當趨利而避害也。

地を選んで兵を留めるときは、利に向かい害を避けるべきである。

梅堯臣

山林、險阻、沮澤之地,不可舍止,無所依也。

山林、険阻、沼沢の地には宿り留まることができない。寄りかかる所がないからである。

何氏

下篇言「圮地則吾將進其塗」,謂少固之地,宜速去之也。

下の篇に「圮地ではわたしはその道を急いで進む」とある。堅固さに乏しい地は速やかに去るべきだ、という意味である。

張預

山林、險阻、沮澤,凡難行之道,爲圮地。以其無所依,故不可舍止。

山林、険阻、沼沢など、およそ行き難い道が圮地である。寄りかかる所がないから、宿り留まることができない。

曹操

結諸侯也。

諸侯と交わりを結ぶのである。

李筌

四通曰衢,結諸侯之交地也。

四方に通じる所を衢といい、諸侯と交わりを結ぶ地である。

賈林

結諸侯以爲援。

諸侯と結んで援けとする。

梅堯臣

夫四通之地,與旁國相通,當結其交也。

そもそも四方に通じる地は隣国と互いに通じているから、その交わりを結ぶべきである。

何氏

下篇云「衢地吾將固其結」,言交結諸侯,使牢固也。

下の篇に「衢地ではわたしはその結びを固くする」とある。諸侯と交わり結んで、固くすることを言う。

張預

四通之地,旁有鄰國,先往結之,以爲交援。

四方に通じる地は傍らに隣国があるから、先に行って結び、交わりと援けとする。

曹操

無久止也。

久しく止まらないのである。

李筌

地無泉井、畜牧、采樵之處,爲絶地,不可留也。

泉や井戸、家畜を飼う所、薪を採る所のない地が絶地であり、留まることができない。

賈林

谿谷坎險,前無通路,曰絶,當速去無留。

谷や窪みが険しく、前に通じる道のない所を絶という。速やかに去って留まるべきでない。

梅堯臣

始去國,始出境,猶不居輕地,是不可久留也。

国を出たばかり、境を越えたばかりの軽い地にさえ留まらないのだから、ここは久しく留まることができない。

張預

去國越境而師者,絶地也。危絶之地,過於重地,故不可淹留久止也。

国を去り境を越えて師を進めるのが絶地である。危うく絶たれた地は重地よりもまさるから、長く留まり久しく止まることはできない。

曹操

發奇謀也。

奇の謀を出すのである。

李筌

因地能通。

地に応じて通れるようにする。

賈林

居四險之中,曰圍地,敵可往來,我難出入。居此地者,可預設奇謀,使敵不爲我患,乃可濟也。

四方が険しい中にある所を囲地という。敵は行き来できるが、こちらは出入りしにくい。この地にある者は、あらかじめ奇の謀を用意して敵がこちらの害とならないようにしてこそ、渡ることができる。

梅堯臣

往返險迂,當出奇謀。

行き帰りが険しく曲がっているから、奇の謀を出すべきである。

何氏

下篇亦云「圍地則謀」。言在艱險之地,與敵相持,須用奇險詭譎之謀,不至於害也。

下の篇にも「囲地では謀をめぐらす」とある。艱難で険しい地で敵と相対するときは、奇で危うく詭りの謀を用いてこそ、害に至らない、という意味である。

張預

居前隘後固之地,當發奇謀,若漢高爲匈奴所圍,用陳平奇計得出,茲近之。

前が狭く後ろが塞がれた地にあれば、奇の謀を出すべきである。漢の高祖が匈奴に囲まれたとき、陳平の奇計で抜け出たのが、これに近い。

曹操

殊死戰也。

死を賭して戦うのである。

李筌

置兵於必死之地,人自爲私鬬,韓信破趙,此是也。

兵を必ず死ぬ地に置けば、人がみな自分のことのように闘う。韓信が趙を破ったのがこれである。

梅堯臣

前後有礙,決在死戰。此而上舉九地之大約也。

前後が塞がっているから、死を賭した戦いで決まる。ここまでは九つの地の大略を挙げたのである。

王晳

王晳《註》上之五地並同曹公。

王晳の注は、上の五つの地についてはいずれも曹公と同じ。

何氏

下篇亦云「死地則戰」者,此地速爲死戰則生;若緩而不戰,氣衰糧絶,不死何待也!

下の篇にも「死地では戦う」とある。この地では速やかに死を賭して戦えば生き、緩めて戦わなければ気が衰え糧が絶える。死なずに何を待とう。

張預

走無所往,當殊死戰,淮陰背水陳是也。從「圮地無舍」至此爲九變,止陳五事者,舉其大略也。《九地篇》中說九地之變,唯言六事,亦陳其大略也。凡地有勢有變,《九地篇》上所陳者,是其勢也,下所敘者,是其變也。何以知九變爲九地之變?下文云︰「將不通九變,雖知地形,不能得地利。」又,《九地篇》云︰「九地之變,屈伸之利,不可不察。」以此觀之,義可見也。下旣說「九地」,此復言「九變」者,孫子欲敘五利,故先陳九變,蓋九變、五利相須而用,故兼言之。

走っても行く所がないから、死を賭して戦うべきである。淮陰侯が水を背にして陣を張ったのがこれである。「圮地には宿らない」からここまでが九変であり、五つの事だけを並べたのは、その大略を挙げたからである。九地篇で九つの地の変を説くときも六つの事だけを言ったのも、やはりその大略を並べたのである。およそ地には勢があり変がある。九地篇の前に並べたものはその勢であり、後に述べたものはその変である。九変が九つの地の変であると、どうして分かるのか。下の文に「将が九変に通じなければ、地形を知っても地の利を得られない」とあり、また九地篇に「九地の変、屈伸の利は、察しないわけにはいかない」とある。これで見れば、その意味が分かる。下にすでに九地を説いておきながら、ここでまた九変を言うのは、孫子が五つの利を述べようとして、まず九変を並べたのである。九変と五利は互いに寄り合って用いられるから、あわせて言ったのである。

2しないことの五つ

塗有所不由,軍有所不擊,城有所不攻,地有所不爭,君命有所不受。

道にも通らない道があり、軍にも撃たない軍があり、城にも攻めない城があり、地にも争わない地があり、君の命にも受けない命がある。

注 34
曹操

隘難之地,所不當從;不得已從之,故爲變。

狭く険しい地は、従って入るべき所ではない。やむを得ず従うなら、それが変である。

李筌

道有險狹,懼其邀伏,不可由也。

道に険しく狭い所があれば、待ち受ける伏兵を恐れて、通ってはならない。

杜牧

後漢光武遣將軍馬援、耿舒討武陵五谿蠻,軍次下雋,今辰州也,有兩道可入︰從壺頭則路近而水險,從充道則路夷而運遠。帝初以爲疑,及軍至,耿舒欲從充道,援以爲棄日費糧,不如進壺頭,搤其咽喉,則賊自破。以事上之帝,從援策,乃進營壺頭。賊乘高守隘,水疾,船不得上。會暑濕,士卒多疫死,援亦中病卒。耿舒與兄好畤侯書曰︰「舒前上言,當先擊充,糧雖難運,而兵馬得用。軍人數萬,爭欲先奮。今壺頭竟不得進,大衆怫鬱行死,誠可痛惜!」

後漢の光武帝が将軍の馬援と耿舒を遣わして武陵の五谿の蛮を討たせた。軍が下雋 — いまの辰州である — に宿ると、入る道が二つあった。壺頭から行けば道は近いが水が険しく、充道から行けば道は平らだが運ぶ道が遠い。帝は初め迷っていたが、軍が着くと耿舒は充道から行こうとした。馬援は、日を捨て糧を費やすよりは壺頭へ進んでその喉を押さえれば賊は自ずと破れると考えた。この事を帝に上げると、帝は馬援の策に従い、そこで壺頭へ営を進めた。賊は高い所に乗って狭い所を守り、水が速くて船が上れなかった。ちょうど暑く湿っていて、兵士が疫病で多く死に、馬援も病にかかって死んだ。耿舒は兄の好畤侯に手紙を送って「わたしは先に、まず充を撃つべきだと申し上げました。糧を運ぶのは難しくとも、兵馬は使えました。軍の人数万が争って先に奮い立とうとしていました。いま壺頭ではついに進めず、大衆がふさぎ込みながら死んでゆきます。まことに痛ましく惜しいことです」と言った。

賈林

由,從也。途且不利,雖近不從。

由とは、従って行くことである。道がやはり不利であれば、近くても従わない。

杜佑

阨難之地,所不當從也;不得已從之,故爲變也。道雖近而中不利,則不從也。

狭く難しい地は、従うべきでない所である。やむを得ず従うから、変というのである。道が近くても途中が不利であれば、従わない。

梅堯臣

避其險阨也。

その険しく狭い所を避けるのである。

王晳

途雖可從而有所不從,慮奇伏也。若趙涉說周亞夫,避殽黽阸陿之間,慮置伏兵,請走藍田,出武關,抵洛陽,間不過差一二日是也。

道が従えるものであっても従わないことがあるのは、奇の伏兵を気にかけるからである。趙渉が周亜夫に、殽山と黽池の狭い間を避けるよう説き、伏兵を置かれるのを気にかけて、藍田へ走り武関を出て洛陽に至ることを願ったが、その差は一日か二日に過ぎなかった、というのがこれである。

張預

險阨之地,車不得方軌,騎不得成列,故不可由也;不得已而行之,必爲權變。韓信知陳餘不用李左車計,乃敢入井陘口是也。

険しく狭い地は、車が並んで通れず、騎兵が列をなせないから、通ることができない。やむを得ず通るときは、必ず臨機の変を用いる。韓信が陳餘が李左車の計を用いなかったと知ってから、はじめて敢えて井陘の口に入ったのがこれである。

曹操

軍雖可擊,以地險難久,留之失前利,若得之,則利薄。困窮之兵,必死戰也。

軍は撃てるとしても、地が険しくて長びけば、留まる間に前の利を失い、勝っても得るものは薄い。追い詰められた兵は必ず死を賭して戦う。

杜牧

蓋以銳卒勿攻,歸師勿遏,窮宼勿迫,死地不可攻。或我彊敵弱,敵前軍先至,亦不可擊,恐驚之退走也。言有如此之軍,皆不可擊。斯統言爲將須知有此不可擊之軍,卽須不擊,益爲知變也。故列於《九變》篇中。

鋭い兵は攻めず、帰る軍は遮らず、追い詰められた敵は迫らず、死地にいる敵は攻められない、ということである。また、こちらが強く敵が弱いのに、敵の前軍が先に着いたなら、これもまた撃ってはならない。驚いて退き走るのを気にかけるからである。このような軍はみな撃つことができない、という意味である。これは将たる者が、こうした撃つべきでない軍があることを知って、すぐに撃たないようにすべきことを総じて言ったのであり、いよいよ変を知ることになる。だから九変篇の中に並べたのである。

陳皥

見小利不能傾敵,則勿擊之,恐重勞人也。

小さな利しか見えず敵を傾けられないなら、撃ってはならない。重ねて人を疲らせるのを気にかけるからである。

賈林

軍可威懷,勢將降伏,則不擊。宼窮據險,擊則死戰,可自固守,待其心惰,取之。

敵の軍を威で懐けられ、勢からみてまさに降ろうとしているなら、撃たない。敵が窮まって険に拠っていれば、撃てば死を賭して戦うから、自ら堅く守り、その心が怠るのを待って取る。

杜佑

軍雖可擊,以地險難久,留之失前利,若得之,利薄也。窮困之卒,隘陷之軍,不可攻,爲死戰也;當固守之,以待隙也。

軍は撃てるとしても、地が険しくて長びきにくく、留まれば先の利を失い、得てもその利が薄いなら、撃たない。窮まり困った軍、狭い所に落ち込んだ軍は攻められない。死を賭して戦うからである。堅く守って隙を待つべきである。

梅堯臣

往無利也。

行っても利がないからである。

王晳

曹公曰︰「軍雖可擊,以地險難久,留之失前利,若得之,則利薄。」晳謂餌兵、銳卒、正正之旗、堂堂之陳,亦是也。

曹公は「軍は撃てるとしても、地が険しくて長びきにくく、留まれば先の利を失い、得てもその利は薄い」と言った。晳が思うに、餌兵や鋭い兵、整った旗や堂々とした陣も、またこれである。

張預

縱之而無所損,克之而無所利,則不須擊也。又若我弱彼彊,我曲彼直,亦不可擊。如晉楚相持,士會曰︰「楚人德刑、政事、典禮不易,不可敵也,不爲是征。」義相近也。

放っておいても失うものがなく、勝っても利するものがないなら、撃つ必要はない。また、こちらが弱くあちらが強く、こちらに理がなくあちらに理があるなら、これもまた撃てない。晋と楚が相対したとき、士会が「楚の人は徳と刑、政事と典礼が乱れていないから、敵とすることはできない。こういう相手は討たない」と言ったのが、意味が近い。

曹操

城小而固,糧饒,不可攻也。操所以置華、費而深入徐州,得十四縣也。

城が小さくても堅く、糧が豊かなら、攻めるべきではない。わたしが華と費を置いたままにして徐州へ深く入り、十四県を得たのがそれである。

杜牧

操捨華、費不攻,故能兵力完全,深入徐州,得十四縣也。蓋言敵於要害之地,深峻城隍,多積糧食,欲留我師;若攻拔之,未足爲利,不拔,則挫我兵勢,故不可攻也。宋順帝時,荊州守沈攸之反,素蓄士馬,資用豐積,戰士十萬,甲馬二千。軍至郢城,功曹臧寅以爲︰攻守異勢,非旬日所拔;若不時舉,挫銳損威。今順流長驅,計日可捷;旣傾根本,則郢城豈能自固?故兵法曰「城有所不攻」是也。攸之不從。郢郡守柳世隆拒攸之,攸之盡銳攻之,不克,衆潰走,入林自縊。後周武帝欲出兵於河陽以伐齊,吏部字文㢸進曰︰「今用兵須擇地。河陽要衝,精兵所聚,盡力攻之,恐難得志。如臣所見,彼汾之曲,戍小山平,攻之易拔。用武之地,莫過於此。」帝不納,師竟無功。復大舉伐齊,卒用㢸計以滅齊。國家自元和三年至于今,三十年間,凡四攻宼。魏薄攻宼之南宮縣,上黨攻宼之臨城縣,太原攻宼之河星鎮。是宼三城池浚壁堅,蒭粟米石、金炭麻膏,凡城守之資,常爲不可勝之計以備。官軍擊虜,攻旣不拔,兵頓力疲。宼以勁兵來救,故百戰百敗。故三十年間,困天下之功力,攻數萬之宼,四圍其境,通計十歲,竟無尺寸之功者,蓋常墜宼計中,不能知變也。

曹操が華と費を捨てて攻めなかったので、兵力を全うして徐州へ深く入り、十四県を得た。敵が要害の地で城と堀を深く高くし、糧食を多く蓄えてこちらの軍を留めようとするとき、攻め抜いても利とならず、抜けなければこちらの兵の勢をくじくから、攻めてはならない、という意味である。宋の順帝のとき、荊州を守っていた沈攸之が反いたが、平素から兵馬を蓄え、物資が豊かに積まれ、戦う兵が十万、甲を着けた馬が二千であった。軍が郢城に至ると、功曹の臧寅は「攻める側と守る側では勢が異なり、十日で抜けるものではありません。時を得て挙げられなければ、鋭をくじき威を損じます。いま流れに乗って遠く駆ければ、日を数えて勝てます。根本がすでに傾けば、郢城がどうして自ら固く守れましょう。だから兵法に「城には攻めない城がある」とあるのがこれです」と言った。沈攸之は従わなかった。郢郡の太守の柳世隆が沈攸之を防ぎ、沈攸之は鋭を尽くして攻めたが勝てず、衆が崩れて走ると、林に入って自ら首を吊った。後周の武帝が河陽に兵を出して斉を討とうとすると、吏部の宇文弼が進み出て「いま兵を用いるには、地を選ばねばなりません。河陽は要衝で精兵の集まる所ですから、力を尽くして攻めても志を得るのは難しいでしょう。臣の見るところ、あの汾水の曲がりは戍が小さく山が平らで、攻めれば抜きやすい。武を用いる地として、ここに越えるものはありません」と言った。帝は受け入れず、軍はついに功がなかった。再び大挙して斉を討つとき、ついに宇文弼の計を用いて斉を滅ぼした。国家は元和三年から今までの三十年の間に、全部で四たび賊を攻めた。魏薄は賊の南宮県を攻め、上党は賊の臨城県を攻め、太原は賊の河星鎮を攻めた。この賊の三つの城は堀が深く壁が堅く、まぐさ・粟・米、鉄・炭・麻・油など、およそ城を守る物資を、常に勝てないほどに備えていた。官軍は賊を撃ったが、攻めても抜けず、兵は止まり力は疲れた。賊が強い兵で救いに来るので、だから百たび戦って百たび敗れた。こうして三十年の間、天下の力を傾けて数万の賊を攻め、その境を四重に囲むことを通算十年もしながら、ついに一尺一寸の功もなかったのは、常に賊の計に落ちて、変を知ることができなかったからである。

賈林

臣忠義重禀命堅守者,亦不可攻也。

臣が忠義を重んじ、命を奉じて堅く守る城も、また攻めることはできない。

梅堯臣

有所害也。

害となるところがあるからである。

王晳

城非控要,雖可攻,然懼於鈍兵挫銳,或非堅實,而得士死力;又剋雖有期,而救兵至,吾雖得之,利不勝其所害也。

城が要所を押さえる地でなければ、攻められるとしても、兵を鈍らせ鋭をくじくのが恐ろしい。あるいは城が堅く実でなくとも、守る者が死力を尽くすこともあり、また勝つ日を数えられるとしても、救いの兵が至れば、こちらが得たとしても、その利は害に勝たない。

張預

拔之而不能守,委之而不爲患,則不須攻也。又若深溝高壘,卒不能下,亦不可攻。如士匄請伐偪陽,荀罃曰「城小而固,勝之不武,弗服爲笑」是也。

抜いても守れず、放っておいても憂いとならないなら、攻める必要はない。また、溝が深く塁が高くて、ついに落とせない城なら、これもまた攻められない。士匄が偪陽を討つことを願うと、荀罃が「城は小さいが堅い。勝っても武ではなく、屈服させられなければ笑いものになる」と言ったのがこれである。

曹操

小利之地,方爭得而失之,則不爭也。

利の小さい地は、争って得たとたんに失うから、争わない。

杜牧

言得之難守,失之無害。伍子胥諫夫差曰︰「今我伐齊,獲其地,猶石田也。」東晉陶侃鎮武昌,議者以武昌北岸有邾城,宜分兵鎮之。侃每不答,而言者不已。侃乃渡水獵,引諸將佐語之曰︰「我所以設險而禦宼,正以長江耳。邾城隔在江北,內無所倚,外接羣夷;夷中利深,晉人貪利,夷不堪命,必引宼虜,乃致禍之由,非禦宼也。且今縱有兵守之,亦無益於江南;若羯虜有可乘之會,此又非所資也。」後庾亮戍之,果大敗也。

得ても守りにくく、失っても害がないことを言う。伍子胥は夫差に諫めて「いまわれらが斉を討ってその地を得ても、石ばかりの田のようなものです」と言った。東晋の陶侃が武昌を鎮めていたとき、議する者たちが、武昌の北岸に邾城があるから兵を分けて鎮めるべきだと言った。陶侃はいつも答えなかったが、言う者はやまなかった。陶侃はそこで水を渡って狩りをし、諸将や幕僚を引き寄せて「わたしが険を設けて敵を防いでいるのは、まさに長江によるのだ。邾城は江の北に隔たっていて、内に寄りかかる所がなく、外は諸々の夷と接している。夷の地には利が多く、晋の人はその利を貪り、夷はその命に耐えられず、必ず敵を引き入れる。これは禍を招くもとであって、敵を防ぐことではない。また、いま兵を置いて守ったとしても江南の益にはならず、羯の敵に乗ずべき機会があったとしても、これはまた頼みになるものでもない」と言った。後に庾亮がそこを守って、果たして大敗した。

梅堯臣

得之無益者。

得ても益のない所である。

王晳

謂地雖要害,敵已據之,或得之無所用,若難守者。

地が要害であっても敵がすでに拠っている所、あるいは得ても使い所がない所や守りにくい所を言う。

張預

得之不便於戰,失之無害於己,則不須爭也。又若遼遠之地,雖得之,終非己有,亦不可爭,如吳子伐齊,伍員諫曰︰「得地於齊,猶獲石田也。不如早從事於越。」不聽,爲越所滅是也。

得ても戦いに都合よくなく、失っても自分に害がないなら、争う必要はない。また、遠く隔たった地は、得てもついに自分のものにならないから、これもまた争えない。呉子が斉を討ったとき、伍員が「斉で地を得ても、石ばかりの田を得るようなものです。早く越に取りかかるに越したことはありません」と諫めたが、聞かずに越に滅ぼされたのがこれである。

曹操

苟便於事,不拘於君命也。

まことに事に都合がよいなら、君の命に縛られない。

李筌

苟便於事,不拘君命。穰苴斬莊賈,魏絳戮楊干是也。

まことに事に都合がよいなら、君の命に縛られない。穰苴が荘賈を斬り、魏絳が楊干を罰したのがこれである。

杜牧

《尉繚子》曰︰「兵者,凶器也;爭者,逆德也;將者,死官也。無天於上,無地於下,無敵於前,無主於後。」

『尉繚子』に「兵とは凶なる器であり、争いとは徳に逆らう事であり、将とは死を司る官である。上に天なく、下に地なく、前に敵なく、後ろに主なし」とある。

賈林

決必勝之機,不可推於君命;苟利社稷,專之可也。

必ず勝つ機を決することは、君の命に委ねることができない。まことに社稷の利になるなら、自分で決めてよい。

孟氏

無敵於前,無君於後,閫外之事,將軍制之。

前に敵なく、後ろに君なし。敷居の外の事は、将軍が裁く。

梅堯臣

從宜而行也。此而上,五利也。

ふさわしきに従って行う。ここまでが五つの利である。

張預

苟便於事,不從君命。夫槩王曰「見義而行,不待命」是也。自「塗有所不由」至此,爲五利。或曰︰自「圮地無舍」至「地有所不爭」爲九變,謂此九事皆不從中覆,但臨時制宜,故統之以「君命有所不受」。

まことに事に都合がよいなら、君の命に従わない。夫槩王が「義を見れば行い、命を待たない」と言ったのがこれである。「道には通らない道がある」からここまでが五つの利である。ある人は「圮地には宿らない」から「地には争わない地がある」までを九変といい、この九つの事はみな朝廷に問い返して従うのではなく、ただその場でふさわしきを裁くから、「君命には受けない命がある」でまとめたのだと言う。

3九つの変に通じていなければならない

故將通於九變之地利者,知用兵矣;將不通於九變之利者,雖知地形,不能得地之利矣;治兵不知九變之術,雖知五利,不能得人之用矣。

だから将が九つの変の地の利に通じていれば、兵を用いることを知っているのである。将が九つの変の利に通じていなければ、地形を知っていても地の利を得られない。兵を治めるのに九つの変の術を知らなければ、五つの利を知っていても人の用を得られない。

注 16
李筌

謂上之九事也。

上に言った九つの事を言う。

杜佑

九事之變,皆臨時制宜,不由常道,故言變也。

九つの事の変は、いずれもその時に合わせてふさわしきを定め、常の道によらないから、変というのである。

賈林

九變,上九事。將帥之任機權,遇勢則變,因利則制,不拘常道,然後得其通變之利。變之則九,數之則十,故君命不在常變例也。

九変とは、上の九つの事である。将帥は機と権を任され、勢に遭えば変じ、利に応じて裁き、常の道に縛られない。そうしてはじめて変通の利を得る。変として数えれば九、一つずつ数えれば十であるから、君の命を受けないというのは、常の変の例には入らない。

梅堯臣

達九地之勢,變而爲利也。

九つの地の勢に達して、変じて利とするのである。

王晳

非賢智,不能盡事理之變也。

賢く智がなければ、事の理の変わるところを尽くすことはできない。

何氏

孫子以《九變》名篇,解者十有餘家,皆不條其九變之目者何也?蓋自「圮地無舍」而下,至「君命有所不受」,其數十矣,使人不得不惑。愚熟觀文意,上下止述其地之利害爾;且十事之中,「君命有所不受」且非地事,昭然不類矣。蓋孫子之意,言凡受命之將,合聚軍衆,如經此九地,有害而無利,則當變之,雖君命使之舍、留、攻、爭,亦不受也。況下文言「將不通於九變之利者,雖知地形,不能得地之利矣」,其君命豈得與地形而同算也?況下之《地形篇》云︰「戰道必勝,主曰無戰,必戰可也;戰道不勝,主曰必戰,無戰可也。」厥旨盡在此矣。

孫子が九変を篇の名としたのに、解いた者が十数人もありながら、みなその九変の項目を分けないのはなぜか。「圮地には宿らない」から下、「君命には受けない命がある」まで、その数は十であり、人を惑わせずにはおかない。わたしが文意をよく見るに、前後はただその地の利害を述べているだけである。しかも十の事のうち「君命には受けない命がある」は地の事ではなく、明らかに類が違う。孫子の意は、命を受けた将が軍衆を集め、この九つの地を経るときに、害があって利がなければ変ずべきであり、君が宿れ・留まれ・攻めよ・争えと命じても受けない、という意味である。しかも下の文に「将が九つの変の利に通じていなければ、地形を知っていても地の利を得られない」とあるのだから、君の命をどうして地形と同じに数えられよう。しかも後の地形篇に「戦いの道が必ず勝つなら、主が戦うなと言っても戦ってよい。戦いの道が勝てないなら、主が必ず戦えと言っても戦わなくてよい」とある。その趣旨はすべてここにある。

張預

更變常道而得其利者,知用兵之道矣。

常の道を変えてその利を得る者は、兵を用いる道を知っているのである。

賈林

雖知地形,心無通變,豈惟不得其利,亦恐反受害也。將貴適變也。

地形を知っていても心に変通がなければ、その利を得られないばかりか、かえって害を受けるのが恐ろしい。将は変にかなうことを貴ぶ。

梅堯臣

知地不知變,安得地之利?

地を知って変を知らなければ、どうして地の利を得られよう。

張預

凡地有形有變,知形而不曉變,豈能得地之利?

およそ地には形があり変がある。形を知って変を悟らなければ、どうして地の利を得られよう。

曹操

謂下五事也。

下の五つの事を言う。

「九變」一云「五變」。

「九変」を「五変」としているものもある。

賈林

五利、五變,亦在九變之中。遇勢能變則利,不變則害。在人,故無常體。能盡此理,乃得人之用也。五變謂︰途雖近,知有險阻、奇伏之變而不由;軍雖可擊,知有窮蹙、死鬬之變而不擊;城雖勢孤可攻,知有糧充、兵銳、將智、臣忠、不測之變而不攻;地雖可爭,知得之難守、得之無利、有反奪傷人之變而不爭;君命雖宜從之,知有內御不利之害而不受。此五變者,臨時制宜,不可預定。貪五利者︰途近則由,軍勢孤則擊,城勢危則攻,地可取則爭,軍可用則受命。貪此五利,不知其變,豈惟不得人用,抑亦敗軍傷士也。

五つの利と五つの変も、九変の中にある。勢に遭って変じられれば利となり、変じられなければ害となる。人にかかっているので、決まった形はない。この理を尽くせれば、人の用を得る。五つの変とは、道が近くても、険阻や奇の伏兵の変があると知れば通らず、敵の軍が撃てても、追い詰められて死を賭して闘う変があると知れば撃たず、城が孤立して攻められても、糧が充ち兵が鋭く将が智く臣が忠で測りがたい変があると知れば攻めず、地が争えても、得ても守りにくく得ても利がなく、かえって奪われ人を損ずる変があると知れば争わず、君の命が従えるものでも、内から操って不利となる害があると知れば受けない、ということである。この五つの変は、その時に合わせてふさわしきを定めるもので、あらかじめ定めることはできない。五つの利を貪る者は、道が近ければ通り、敵の勢が孤立すれば撃ち、城の勢が危うければ攻め、地が取れれば争い、軍が使えれば命を受ける。この五つの利を貪ってその変を知らなければ、人の用を得られないばかりか、軍を敗り兵を損ずることにもなる。

梅堯臣

知利不知變,安得人而用?

利を知って変を知らなければ、どうして人を得て用いられよう。

王晳

雖知五地之利,不通其變,如膠柱鼓瑟耳。

五つの地の利を知っていても、その変に通じなければ、柱を膠で固めて瑟を弾くようなものである。

張預

凡兵有利有變,知利而不識變,豈能得人之用?曹公言「下五事」爲五利者,謂「九變」之下五事也,非謂「雜於利害」已下五事也。

およそ兵には利があり変がある。利を知って変を知らなければ、どうして人の用を得られよう。曹操が「下の五つの事」を五つの利と言ったのは、九変の下の五つの事を言ったのであって、「利害を雑える」より下の五つの事を言ったのではない。

4利と害を雑えて思慮する

是故智者之慮,必雜於利害。

だから智ある者の思慮は、必ず利と害を雑える。

注 6
曹操

在利思害,在害思利,當難行權也。

利にあるときは害を思い、害にあるときは利を思う。難に当たれば権を用いるべきである。

李筌

害彼利此之慮。

あちらを害しこちらを利する思慮である。

賈林

雜一爲親,一爲難。言利害相參雜,智者能慮之慎之,乃得其利也。

「雑」を「親」としているものもあり、「難」としているものもある。利と害は互いに入り混じるから、智ある者はこれを思慮し慎むことができ、そうしてその利を得る、という意味である。

梅堯臣

梅堯臣同曹操《註》。

梅堯臣は曹操の注と同じ。

王晳

將通九變,則利害盡矣。

将が九つの変に通じれば、利害を知り尽くす。

張預

智者慮事,雖處利地,必思所以害;雖處害地,必思所以利。此亦通變之謂也。

智ある者は事を思慮するとき、利のある地にいても必ず害となるところを思い、害のある地にいても必ず利となるところを思う。これもまた変に通じるということである。

5務めが伸び、憂いが解ける

雜於利,而務可信也;雜於害,而患可解也。

利に害を雑えるから、務めることが伸ばせるのであり、害に利を雑えるから、憂いが解けるのである。

注 14
曹操

計敵不能依五地爲我害,所務可信也。

敵が五つの地に拠ってこちらを害することはできないと計るから、務めることを伸ばせるのである。

杜牧

信,申也。言我欲取利於敵人,不可但見取敵人之利,先須以敵人害我之事參雜而計量之,然後我所務之利,乃可申行也。

信とは、伸ばすことである。こちらが敵から利を取ろうとするなら、敵から利を取ることだけを見てはならず、まず敵がこちらを害する事を雑えて計り量らねばならない。そうしてはじめて、こちらが務める利を伸ばして行うことができる、という意味である。

賈林

在利之時,則思害以自慎。一云︰以害雜利行之,威令以臨之,刑法以戮之,己不二三,則衆務皆信,人不敢欺也。

利のあるときは害を思って自ら慎む。こう言うものもある — 害を利に雑えて行い、威ある令で臨み、刑法で誅し、自分が二つ三つに揺れなければ、諸々の務めはみな信となり、人は敢えて欺かない。

梅堯臣

以害參利,則事可行。

害を利に照らし合わせれば、事を行える。

王晳

曲盡其利,則可勝矣。

その利を隅々まで尽くせば、勝てる。

張預

以所害而參所利,可以伸己之事。鄭師克蔡,國人皆喜,惟子産懼,曰︰「小國無文德而有武功,禍莫大焉。」後楚果伐鄭。此是在利思害也。

害となるところを利となるところに照らし合わせれば、自分の事を伸ばせる。鄭の軍が蔡に勝つと、国の人はみな喜んだが、ただ子産だけが恐れて「小国が文の徳なく武の功だけあるのは、これより大きな禍はない」と言った。後に楚が果たして鄭を討った。これが利の中に害を思ったのである。

曹操

旣參於利,則亦計於害,雖有患可解也。

すでに利を併せて計ったのなら、害も計ることになるから、憂いがあっても解ける。

李筌

智者爲利害之事,必合於道,不至於極。

智ある者は利害の事を行うのに、必ず道にかなわせて、極まるところまでは行かない。

杜牧

我欲解敵人之患,不可但見敵能害我之事,亦須先以我能取敵人之利,參雜而計量之,然後有患乃可解釋也。故上文云「智者之慮,必雜於利害」也。譬如敵人圍我,我若但知突圍而去,志必懈怠,卽必爲追擊;未若勵士奮擊,因戰勝之利以解圍也。舉一可知也。

こちらが敵の憂いを解こうとするなら、敵がこちらを害しうる事だけを見てはならず、またまずこちらが敵から利を取りうるところを雑えて計り量らねばならない。そうしてはじめて憂いを解くことができる。だから前の文に「智ある者の思慮は、必ず利と害を雑える」とある。たとえば敵がこちらを囲んだとき、こちらが囲みを突いて去ることしか知らなければ、志は必ず緩んで、すぐに追い撃たれるであろう。兵士を励まし奮い撃って、戦い勝った利で囲みを解くに越したことはない。一つを挙げれば、ほかも分かる。

賈林

在害之時,則思利而免害。故措之死地則生,投之亡地則存,是其患解也。

害のあるときは利を思って害を免れる。だから死地に置けば生き、亡地に投ずれば存する。これがその憂いが解けることである。

梅堯臣

以利參害,則禍可脫。

利を害に照らし合わせれば、禍を脱せる。

王晳

周知其害,則不敗矣。

その害をあまねく知れば、敗れない。

何氏

利害相生,明者常慮。

利と害は互いに生じるから、明らかな者は常にこれを思慮する。

張預

以所利而參所害,可以解己之難。張方入洛陽,連戰皆敗。或勸方宵遁,方曰︰「兵之利鈍是常,貴因敗以爲成耳。」夜,潛進逼敵,遂致克捷。此是在害思利也。

利となるところを害となるところに照らし合わせれば、自分の難を解ける。張方が洛陽に入り、続けて戦ってみな敗れた。ある人が夜に逃げるよう勧めると、張方は「兵の鋭いも鈍いも常のことだ。敗れを因として成しとげることが貴いのだ」と言った。夜、ひそかに進んで敵に迫り、ついに勝ちを得た。これが害の中に利を思ったのである。

6諸侯を屈し、使役し、駆けつけさせる

是故屈諸侯者以害,役諸侯者以業,趨諸侯者以利。

だから諸侯を屈するのは害によってし、諸侯を使役するのは仕事によってし、諸侯を駆けつけさせるのは利によってする。

注 21
曹操

害其所惡也。

その嫌うところで害するのである。

李筌

害其政也。

その政を害するのである。

杜牧

惡,音一路反。言敵人苟有其所惡之事,我能乘而害之,不失其機,則能屈敵也。

「悪」の音は、一と路の反である。敵に嫌う事があれば、こちらがそれに乗じて害し、その機を逃さなければ、敵を屈することができる、という意味である。

賈林

爲害之計,理非一途,或誘其賢智,令彼無臣;或遺以姦人,破其政令;或爲巧詐,間其君臣;或遺工巧,使其人疲財耗;惑饋淫樂,變其風俗;或與美人,惑亂其心。此數事,若能潛運陰謀,密行不泄,皆能害人,使之屈折也。

害する計は、その道が一つではない。その賢く智ある者を誘い出してあちらに臣がいないようにし、あるいは姦しい人を送ってその政令を破り、あるいは巧みな詐りで君臣を離間し、あるいは腕のよい工人を送ってその人を疲らせ財を減らし、あるいは淫らな楽しみを送ってその風俗を変え、あるいは美しい女を与えてその心を乱す。この幾つかの事を、ひそかに陰謀として運び、密かに行って漏らさなければ、みな人を害して屈し折ることができる。

梅堯臣

制之以害,則屈也。

害で制すれば、屈する。

王晳

窮屈於必害之地,勿使可解也。

必ず害となる地に追い込んで屈し、解けないようにする。

張預

致之於受害之地,則自屈服。或曰︰間之使君臣相疑,勞之使民失業,所以害之也。若韋孝寬間斛律光,高熲平陳之策是也。

害を受ける地に至らせれば、自ら屈服する。こう言う者もある — 離間して君臣が互いに疑うようにし、労わせて民が生業を失うようにするのが、害する道である。韋孝寛が斛律光を離間した事、高熲が陳を平定した計がそれである。

曹操

業,事也。使其煩勞,若彼入我出,彼出我入也。

業とは、仕事である。相手を煩わせ疲れさせることであり、あちらが入ればこちらが出、あちらが出ればこちらが入るというたぐいである。

李筌

煩其農也。

その農事を煩わせるのである。

杜牧

言勞役敵人,使不得休,我須先有事業,乃可爲也。事業者,兵衆、國富、人和、令行也。

敵を労役させて休ませないようにするには、こちらにまず為すべき事業がなければならず、そうしてはじめてできる、という意味である。事業とは、兵が多く、国が富み、人が和し、令が行われることである。

杜佑

能以事勞役諸侯之人,令不得安佚。韓人令秦鑿渠之類是也。或以奇技藝業、淫巧功能,令其耽之心目,內役諸侯,若此而勞。

仕事で諸侯の人を労役させ、安らかにさせないことができる。韓の人が秦に渠を掘らせたたぐいがそれである。あるいは奇抜な技芸や度を越した巧みな細工で、その心と目を溺れさせ、内から諸侯を使役して、このように労わせる。

梅堯臣

撓之以事,則勞。

仕事で揺さぶれば、労れる。

王晳

常若爲攻襲之業,以弊敵也。田常曰︰「吾兵業已加魯矣。」

常に攻め襲う事業を行っているかのようにして、敵を疲らせる。田常は「わが兵はすでに魯に及んだ」と言った。

張預

以事勞之,使不得休。或曰︰壓之以富彊之業,則可役使。若晉、楚國彊,鄭人以犧牲玉帛奔走以事之是也。

仕事で労わせて休めないようにする。こう言う者もある — 富み強い事業で圧すれば、使役できる。晋と楚が強く、鄭の人が犠牲や玉や絹を携えて駆けつけて仕えたのがそれである。

曹操

令自來也。

自ら来させるのである。

李筌

誘之以利。

利で誘う。

杜牧

言以利誘之,使自來至我也,墮吾畫中。

利で誘って自らこちらへ来させ、こちらの描いた図の中に落とす、という意味である。

孟氏

趨,速也。善示以利,令忘變而速至,我作變以制之,亦謂得人之用也。

趨とは、速いことである。利を上手に示して、変を忘れて速く来させ、こちらが変をつくって制する。これもまた人の用を得るということである。

梅堯臣

梅堯臣同杜牧《註》。

梅堯臣は杜牧の注と同じ。

王晳

趨敵之間,當周旋我利也。

敵を駆けつけさせる間に、こちらの利をあまねく回らせるべきである。

張預

動之以小利,使之必趨。

小さな利で動かして、必ず駆けつけさせる。

7来ないことを恃まず、自分の備えを恃む

故用兵之法︰無恃其不來,恃吾有以待也;無恃其不攻,恃吾有所不可攻也。

だから兵を用いる法はこうである。敵が来ないことを恃まず、こちらに待つ備えがあることを恃め。敵が攻めないことを恃まず、こちらが攻められないようになっていることを恃め。

注 8
梅堯臣

所恃者,不懈也。

恃むべきものは、怠らないことである。

曹操

安不忘危,常設備也。

安らかなときに危うさを忘れず、常に備えておく。

李筌

預備不可闕也。

あらかじめ備えることを欠かすことはできない。

杜佑

安則思危,存則思亡,常有備。

安らかなら危うさを思い、存するなら亡ぶことを思って、常に備えがなければならない。

梅堯臣

所賴者,有備也。

頼みとすべきものは、備えがあることである。

王晳

備者,實也。

備えとは、実していることである。

何氏

《吳略》曰︰「君子當安平之世,刀劒不離身。」古諸侯相見,兵衞不徹警,蓋雖有文事,必有武備,況守邊固圉,交刃之際歟?凡兵所以勝者,謂擊其空虛,襲其懈怠;苟嚴整終事,則敵人不至。《傳》曰︰「不備不虞,不可以師。」昔晉人禦秦,深壘固軍以待之,秦師不能久。楚爲陳,而吳人至,見有備而返。程不識將屯,正部曲行伍營陳,擊刁斗,吏治軍簿,虜不得犯。朱然爲軍師,雖世無事,每朝夕嚴鼓兵,在營者咸行裝就隊,使敵不知所備,故出輒有功。是謂能外禦其侮者乎!常能居安思危,在治思亂,戒之於無形,防之於未然,斯善之善者也。其次莫如險其走集,明其伍候,慎固其封守,繕完其溝隍,或多調軍食,或益修戰械。故曰︰物不素具,不可以應卒。又曰︰惟事事乃其有備,有備無患。常使彼勞我佚,彼老我壯,亦可謂「先人有奪人之心」、「不戰而屈人之師」也。若夫莒以恃陋而潰,齊以狎敵而殲,虢以易晉而亡,魯以果邾而敗,莫敖小羅而無次,吳子入巢而自輕,斯皆可以作鑒也。故「吾有以待」、「吾有所不可攻」者,能預備之之謂也。

『呉略』に「君子は安らかな世にあっても、刀剣を身から離さない」とある。昔の諸侯が互いに会うときも、護衛の兵は警戒を解かなかった。文の事があっても必ず武の備えがあったのである。まして辺りを守って囲いを固め、刃を交える場ではどうであろう。およそ兵が勝つ理由は、その空虚を撃ち、その怠りを襲うことを言う。厳しく整えて事を全うすれば、敵は来られない。『左伝』に「備えず慮らなければ、師を用いることはできない」とある。昔、晋の人が秦を防いだとき、塁を深くし軍を固めて待ったので、秦の軍は長く持ちこたえられなかった。楚が陣を張ったところへ呉の人が来たが、備えがあるのを見て帰った。程不識が屯を率いたときは、部曲・行伍・営陣を正し、刁斗(夜回りを知らせる器)を打ち、役人が軍の帳簿を整えたので、敵は犯せなかった。朱然が軍師となったときは、世に事がなくても朝夕ごとに鼓を打って兵を厳しくし、営にいる者はみな行装を整えて隊に就き、敵にどこを備えているか分からせなかったので、出れば常に功があった。これが外からの侮りを防げるということであろう。常に安らかにあって危うさを思い、治まっていて乱れを思い、形のないうちに戒め、まだ起こらぬうちに防ぐ。これが善の中の善である。その次は、その通り道を険しくし、その隊伍と見張りを明らかにし、その境の守りを慎んで固め、その溝や堀を修め整え、あるいは軍の食を多く運び、あるいは戦いの道具をさらに修めるに越したことはない。だから「物をあらかじめ備えなければ、急な事に応じられない」と言う。また「事ごとに事としてこそ備えがあり、備えがあれば憂いがない」と言う。常にあちらを労らせこちらを安らかにし、あちらを老いさせこちらを壮んにすれば、これもまた「人に先んじて人の心を奪う」「戦わずして人の師を屈する」と言えよう。莒がその粗末さを恃んで崩れ、斉が敵を侮って殲され、虢が晋を軽んじて亡び、魯が邾を見くびって敗れ、莫敖が羅を小さく見て隊伍を失い、呉子が巣に入って自ら軽んじたのは、みな鑑とするに足りる。だから「こちらに待つものがある」「こちらに攻められないものがある」とは、あらかじめ備えられることを言うのである。

張預

言須思患而預防之。《傳》曰︰「不備不虞,不可以師。」

憂いを思ってあらかじめ防ぐべきだ、という意味である。『左伝』に「備えず慮らなければ、師を用いることはできない」とある。

8将の五つの危うさ

故將有五危︰必死,可殺也;必生,可虜也;忿速,可侮也;廉潔,可辱也;愛民,可煩也。

だから将には五つの危うさがある。死をいとわなければ殺されうる。生きることばかり求めれば捕らえられうる。怒りやすく気短なら侮られうる。清くあろうとしすぎれば辱められうる。民を愛すれば煩わされうる。

注 36
李筌、張預

下五事也。

下の五つの事である。

曹操

勇而無慮,必欲死鬬,不可曲撓,可以奇伏中之。

勇ましいが思慮がなく、ひたすら死を賭して闘おうとし、曲げたり撓めたりできないから、奇の伏兵でこれを当てられる。

李筌

勇而無謀也。

勇ましいが謀がないのである。

杜牧

將愚而勇者,患也。黃石公曰︰「勇者好行其志,愚者不顧其死。」《吳子》曰︰「凡人之論將,常觀於勇;勇之於將,乃數分之一耳。夫勇者必輕合,輕合而不知利,未可將也。」

将が愚かで勇ましいだけなら、憂いである。黄石公は「勇ましい者はその志を行うのを好み、愚かな者はその死を顧みない」と言った。『呉子』に「およそ人が将を論ずるとき、常に勇ばかりを見る。しかし勇は将にとって幾つかのうちの一つに過ぎない。勇ましい者は必ず軽々しく戦を合わせる。軽々しく合わせて利を知らないのでは、将とすることはできない」とある。

梅堯臣

梅堯臣同李筌《註》。

梅堯臣は李筌の注と同じ。

何氏

《司馬法》曰︰「上死不勝。」言貴其謀勝也。

『司馬法』に「死を上とすれば勝たない」とある。謀で勝つことを貴ぶ、という意味である。

張預

勇而無謀,必欲死鬬,不可與力爭,當以奇伏誘致而殺之。故《司馬法》曰︰「上死不勝。」言將無策略,止能以死先士卒,則不勝也。

勇ましいが謀がなく、必ず死を賭して闘おうとするなら、力で争うべきではなく、奇の伏兵で誘い出して殺すべきである。だから『司馬法』に「死を上とすれば勝たない」とある。将に策略がなく、死をもって兵士に先立つことしかできなければ勝たない、という意味である。

曹操

見利畏怯不進也。

利を見ても臆して進まないのである。

李筌

疑怯可虜也。

疑い臆すれば、捕らえられる。

杜牧

晉將劉裕泝江追桓玄,戰於崢嶸洲。於時,義軍數千,玄兵甚盛;而玄懼有敗衂,常漾輕舸於舫側,故其衆莫有鬬心。義軍乘風縱火,盡銳爭先,玄衆是以大敗也。

晋の将の劉裕が川をさかのぼって桓玄を追い、崢嶸洲で戦った。そのとき義軍は数千、桓玄の兵ははなはだ多かった。しかし桓玄は敗れるのを恐れて、常に軽い小舟を大船の脇に浮かべていたので、その衆には闘う心がなかった。義軍は風に乗じて火を放ち、鋭を尽くして先を争ったので、桓玄の衆はこれによって大敗した。

孟氏

將之怯弱,志必生返,意不親戰,士卒不精,上下猶豫,可急擊而取之。《新訓》曰︰「爲將怯懦,見利而不能進。」太公曰︰「失利後時,反受其殃。」

将が臆し弱くて、必ず生きて帰る志を抱けば、自ら戦う気がなく、兵士は精鋭でなく、上下がためらうから、急に撃って取れる。『新訓』に「将が臆し怯めば、利を見ても進めない」とある。太公は「利を失い時に遅れれば、かえってその災いを受ける」と言った。

梅堯臣

怯而不果。

臆して決しきれない。

王晳

無鬬志。曹公曰︰「見利怯不進也。」晳謂見害亦輕走矣。

闘う志がない。曹操は「利を見ても臆して進まない」と言った。晳が思うに、害を見れば軽々しく走りもする。

何氏

《司馬法》曰︰「上生多疑。」疑爲大患也。

『司馬法』に「生を上とすれば疑いが多い」とある。疑いは大きな憂いである。

張預

臨陳畏怯,必欲生返,當鼓譟乘之,可以虜也。晉楚相攻,晉將趙嬰齊令其徒先具舟於河,欲敗而先濟是也。

陣に臨んで畏れ臆し、必ず生きて帰ろうとするなら、鼓を打ち喚声を上げて乗じるべきで、捕らえることができる。晋と楚が互いに攻めたとき、晋の将の趙嬰斉がその配下に先に黄河へ舟を用意させ、敗れたら先に渡ろうとしたのがそれである。

曹操

疾急之人,可忿怒侮而致之也。

気短な人は、怒らせ侮って誘い出せる。

李筌

急疾之人,性剛而可侮致也。太宗殺宋老生而平霍邑。

気の急な人は、性が剛いので侮って誘い出せる。太宗は宋老生を殺して霍邑を平定した。

杜牧

忿者,剛怒也。速者,褊急也,性不厚重也。若敵人如此,可以陵侮,使之輕進而敗之也。十六國姚襄攻黃落,前秦苻生遣苻黃眉、鄧羌討之。襄深溝高壘,固守不戰。鄧羌說黃眉曰︰「襄性剛很,易以剛動;若長驅鼓行,直壓其壘,必忿而出師,可一戰而擒也。」黃眉從之。襄怒出戰,黃眉等斬之。

忿とは、剛く怒ることである。速とは、狭く急なことであり、性が厚く重くないことである。敵がこのようであれば、侮って軽々しく進ませ、破ることができる。十六国のとき姚襄が黄落を攻めると、前秦の苻生が苻黄眉と鄧羌を遣わして討った。姚襄は溝を深くし塁を高くして堅く守り、戦わなかった。鄧羌は苻黄眉に「姚襄は性が剛く頑なで、剛いことで動かしやすい。遠く駆け鼓を鳴らして進み、その塁をまっすぐ押せば、必ず怒って師を出しますから、一戦で捕らえられます」と言った。苻黄眉はその言に従った。姚襄は怒って出て戦い、苻黄眉らはこれを斬った。

杜佑

急疾之人,可忿怒而致死。忿速易怒者,狷戇疾急,不計其難,可動作欺侮。

気の急な人は、怒らせて死に至らせられる。怒りやすい者は、せっかちで愚かで、その難しさを計らないから、動かして欺き侮ることができる。

梅堯臣

狷急易動。

せっかちで動かしやすい。

王晳

將性貴持重,忿猖則易撓。

将の性は重きを持することを貴ぶ。怒り猛れば、揺さぶりやすい。

張預

剛愎褊急之人,可凌侮而致之。楚子玉剛忿,晉人執其使以怒之,果從晉師,遂爲所敗是也。

剛く頑なで狭く急な人は、侮って誘い出せる。楚の子玉が剛く怒りやすかったので、晋の人がその使者を捕らえて怒らせると、果たして晋の軍を追って、ついに敗れたのがそれである。

曹操

廉潔之人,可汙辱致之也。

清廉な人は、汚し辱めて誘い出せる。

李筌

矜疾之人,可辱也。

自ら誇り気の急な人は、辱めることができる。

杜牧

此言敵人若高壁固壘,欲老我師,我勢不可留,利在速戰。揣知其將多忿急,則輕侮而致之;性本廉潔,則汙辱之。如諸葛孔明遺司馬仲達以巾幗,欲使怒而出戰;仲達忿怒欲濟師,魏帝遣辛毗仗節以止之。仲達之才,猶不勝其忿,況常才之人乎!

これは、敵が壁を高くし塁を固めてこちらの軍を老いさせようとしているのに、こちらの勢は留まれず、利が速く戦うことにある場合を言う。その将が怒りやすく気短であることを推し量って知れば、侮って誘い出し、性がもともと清廉なら汚して辱める。諸葛孔明が司馬仲達に女の頭巾を送って、怒って出て戦わせようとしたのと同じである。司馬仲達は怒って師を出そうとしたが、魏の帝が辛毗を遣わし節を持たせてこれを止めた。司馬仲達の才でもその怒りに勝てなかったのだから、まして並みの才の人ではどうであろう。

梅堯臣

徇名不顧。

名を追って、ほかを顧みない。

王晳

王晳同曹操《註》。

王晳は曹操の注と同じ。

張預

清潔愛民之士,可垢辱以撓之,必可致也。

清らかで民を愛する士は、汚し辱めて揺さぶれば、必ず誘い出せる。

曹操

出其所必趨,愛民者,則必倍道兼行以救之,救之則煩勞也。

敵が必ず駆けつける所へ出れば、民を愛する者は必ず道を倍にして進んで救いに来る。救おうとすれば、煩わしく疲れることになる。

李筌

攻其所愛,必卷甲而救;愛其人,乃可以計疲。

その愛する所を攻めれば、必ず甲を巻いて救いに来る。その人を愛するからこそ、計で疲らせることができる。

杜牧

言仁人愛人者,惟恐殺傷,不能捨短從長,棄彼取此,不度遠近,不量事力,凡爲我攻,則必來救,如此可以煩之,令其勞頓,而後取之也。

仁があって人を愛する者は、ひたすら殺され傷つくことを恐れ、短を捨てて長に従うことも、あれを棄ててこれを取ることもできず、遠近を計らず、事と力を量らず、こちらが攻める所へは必ず救いに来る。こうして煩わせ、疲れ果てさせてから取る、という意味である。

陳皥

兵有須救、不必救者,項羽救趙,此須救也;亞夫委梁,不必救也。

兵には必ず救うべきものと、救う必要のないものがある。項羽が趙を救ったのは必ず救うべきものであり、亜夫が梁を放っておいたのは救う必要のないものである。

賈林

廉潔之人,不好侵掠;愛人之仁,不好鬬戰,辱而煩之,其動必敗。

清廉な人は侵し掠めるのを好まず、人を愛する仁ある者は闘い戦うのを好まないから、辱め煩わせれば、その動きは必ず敗れる。

梅堯臣

力疲則困。

力が疲れれば、苦しくなる。

王晳

以奇兵若將攻城邑者,彼愛民,必數救,則煩勞也。

奇兵でいまにも城や邑を攻めるかのようにすれば、あちらは民を愛するので必ずたびたび救いに来る。そうなれば煩わしく疲れる。

張預

民雖可愛,當審利害;若無微不救,無遠不援,則出其所必趨,使煩而閑也。

民が惜しくても、利害を審らかにすべきである。小さなことでも救わないことがなく、遠くでも援けないことがないようなら、相手が必ず駆けつける所へ出て、煩わせて隙を生じさせる。

9五つは将の過ちである

凡此五者,將之過也,用兵之災也。

およそこの五つは将の過ちであり、兵を用いるうえでの災いである。

注 4
陳皥

良將則不然。不必死,不必生,隨事而用;不忿速,不耻辱,見可如虎,否則閉戶。動靜以計,不可喜怒也。

よい将はそうではない。必ず死ぬとも必ず生きるとも決めず、事に応じて用いる。怒って急かず、辱めを恥とせず、できると見れば虎のように出、そうでなければ戸を閉じる。動くも静まるも計によるのであって、喜びや怒りによるものではない。

梅堯臣

皆將之失,爲兵之凶。

いずれも将の過ちであり、兵にとって凶となる。

何氏

將材古今難之,其性往往失於一偏爾。故孫子首篇言「將者,智、信、仁、勇、嚴」,貴其全也。

将の器は古今ともに得がたいとされる。その性がしばしば一方に偏って誤るからである。だから孫子が最初の篇で「将とは、智・信・仁・勇・厳である」と言ったのは、それが全きことを貴んだのである。

張預

庸常之將,守一而不知變,故取則於己,爲凶於兵。智者則不然,雖勇而不必死,雖怯而不必生,雖剛而不可侮,雖廉而不可辱,雖仁而不可煩也。

並みの将は一つを守って変を知らないから、自分の一つを則として、兵に凶をもたらす。智ある者はそうではなく、勇ましくても必ず死ぬとは決めず、臆しても必ず生きるとは決めず、剛くても侮られず、清廉でも辱められず、仁があっても煩わされない。

10軍が覆り将が殺される

覆軍殺將,必以五危,不可不察也。

軍が覆り将が殺されるのは、必ずこの五つの危うさによるのだから、察しないわけにはいかない。

注 3
賈林

此五種之人,不可任爲大將,用兵必敗也。

この五種の人は大将として任せられない。兵を用いれば必ず敗れる。

梅堯臣

當慎重焉。

慎み重んじるべきである。

張預

言須識權變,不可執一道也。

権と変を知らねばならず、一つの道に執してはならない、という意味である。