行軍 — 軍を動かし敵を見る行軍篇
編の冒頭の注 3
擇便利而行也。
便利で有利なところを選んで進むのである。
行軍當據地便、察敵情也。
知九地之變,然後可以擇利而行軍,故次《九變》。
1山で
孫子曰︰凡處軍、相敵︰絶山依谷,視生處高,戰隆無登,此處山之軍也。
孫子は言う。
およそ軍を置き、敵を見るやり方はこうである。山を越えたなら谷に沿い、開けた側を見て高いところに陣を置く。高いところにいる敵と戦うときは、登っていかない。これが山で軍を置くやり方である。
注 26
處軍凡有四,相敵凡三十有一。
軍を置くことは全部で四つ、敵を見ることは全部で三十一ある。
自「絶山依谷」至「伏姦之所處」,則處軍之事也;自「敵近而靜」至「必謹察之」,則相敵之事也。相,猶察也,料也。
「山を越えて谷に沿う」から「伏せた間者のいるところである」までは軍を置くことであり、「敵が近くにいて静かである」から「必ず慎んで見る」までは敵を見ることである。「相」は見ることであり、推し量ることである。
近水草利便也。
水と草に近く、便利で有利である。
軍,我;敵,彼也。相其依止,則勝敗之數、彼我之勢可知也。絶山,守險也;依谷,近水草。夫列營壘,必先分卒守隘,縱畜牧,收樵採,而後寧。
「軍」はこちら、「敵」は向こうである。その寄りとどまるところを見れば、勝ち負けの数も、向こうとこちらの勢いも知れる。山を越えるのは険しいところを守ることであり、谷に沿うのは水と草を近くすることである。およそ陣営と塁を並べるときは、必ずまず兵を分けて狭い道筋を守らせ、家畜を放して飼い、薪と草を集めてから、はじめて安らかになる。
絶,過也;依,近也。言行軍經過山險,須近谷而有水草之利也。《吳子》曰︰「無當天竈大谷之口。」言不可當谷,但近谷而處可也。
「絶」は過ぎることであり、「依」は近づくことである。軍を進めて険しい山を通るときは、谷に近づいて水と草の利を得なければならない、という意味である。《呉子》に「天竈、すなわち大きな谷の口に向かい合ってはならない」とある。谷に向かい合うことはできず、ただ谷に近づいて陣を置けばよい、という意味である。
兩軍相當敵,宜擇利而動。絶山,跨山;依谷,傍谷也。跨山,無後患;依谷,有水草也。
二つの軍が互いに向かい合えば、有利なところを選んで動くべきである。「絶山」は山にまたがることであり、「依谷」は谷をかたわらに置くことである。山にまたがれば後ろの憂いがなく、谷をかたわらに置けば水と草がある。
前爲山所隔,則依谷以爲固。
前が山にさえぎられていれば、谷に沿って守りを固める。
絶,度也。依,謂附近耳。曹公曰︰「近水草便利也。」
「絶」は渡ることである。「依」は近く寄ることをいう。曹公は「水と草に近ければ便利で有利である」と言った。
絶,猶越也。凡行軍越過山險,必依附溪谷而居,一則利水草,一則負險固。後漢武都羌爲宼,馬援討之。羌在山上,援據便地,奪其水草,不與戰。羌窮困,悉降。羌不知依谷之利也。
「絶」は越えることである。およそ軍を進めて険しい山を越えるときは、必ず谷川に寄ってとどまらなければならない。一つは水と草が有利だからであり、一つは険しさを背にして固いからである。後漢のとき武都の羌が賊をはたらき、馬援がこれを討った。羌は山の上にいたので、馬援は便利な地を取ってその水と草を奪い、戦わなかった。羌は行き詰まり、ことごとく降った。羌は谷に沿うことの利を知らなかったのである。
生者,陽也。
「生」とは日の当たる側である。
向陽曰生,在山曰高。生高之地,可居也。
日に向かうのを「生」といい、山にあるのを「高」という。日当たりがよく高い地は、とどまるによい。
言須處高而面南也。
高いところにとどまって南を向くべきである、という意味である。
若地有東西,其法何如?答曰︰然則面東也。
地が東西に延びていれば、その法はどうなるか。答えて言う、それならば東を向く。
居陽曰生。視生,爲無蔽冒物也。處軍當在高。
日の当たるところにとどまるのを「生」という。「視生」とは、さえぎり覆うものがないようにすることである。軍を置くには高いところにあるべきである。
高,陽也。視,謂目前生地。處軍當在高。
「高」は日の当たることである。「視」は目の前の日当たりのよい地をいう。軍を置くには高いところにあるべきである。
若在陵之上,必向陽而居,處高乘便也。
丘の上にいるならば、必ず日に向かってとどまるべきであり、高いところにとどまって便利さに乗るのである。
視生,謂面陽也。處軍當在高阜。
「視生」は日に向かい合うことをいう。軍を置くには高い丘にあるべきである。
無迎高也。
高いところを迎え撃たない。
敵自高而下,我無登而取之。
敵が高いところから下ってくれば、こちらは登っていって討たない。
隆,高也。言敵人在高,我不可自下往高,迎敵人而接戰也。一作「戰降無登」,降,下也。
「隆」は高いことである。敵が高いところにいれば、こちらが下から高いところへ上がって敵を迎えて戦うことはできない、という意味である。「戦降無登」とある本もあり、「降」は下ることである。
戰宜乘下,不可迎高也。
戦いは下に向かって乗るべきであり、高いところを迎えることはできない。
無迎高也。降,下也,謂山下也。戰於山下,敵引之上山,無登逐也。
高いところを迎えないのである。「降」は下ることで、山の下をいう。山の下で戦っていて、敵が誘って山に上れば、登って追わない。
敵處地之高,不可登而戰。
敵が地の高いところにいれば、登って戦うことはできない。
敵處隆高之地,不可登迎與戰。一本作「戰降無登迎」,謂敵下山來戰,引我上山,則不可登迎。
敵が高くそびえた地にいれば、登って迎え、戦うことはできない。ある本には「戦降無登迎」とあり、敵が山を下って戦い、こちらを誘って山に上らせたなら、登って迎えてはならない、という意味である。
處山,當知此三者。
山にとどまるときは、この三つを知るべきである。
凡高而崇者,皆謂之山。處山拒敵,以上三事爲法。
およそ高くそびえたものを、みな山という。山にとどまって敵を防ぐときは、右の三つの事を法とする。
2水辺で
絶水必遠水;客絶水而來,勿迎之於水內,令半濟而擊之,利;欲戰者,無附於水而迎客;視生處高,無迎水流,此處水上之軍也。
水を渡ったなら、必ず水から遠く離れる。敵が水を渡って来たなら、水のなかで迎え撃たず、半ばまで渡らせてから討つのが有利である。戦おうとするなら、水に張りついて敵を迎えてはならない。開けた側を見て高いところに陣を置き、水の流れを迎えてはならない。これが水辺で軍を置くやり方である。
注 33
引敵使渡。
敵を引き入れて渡らせるのである。
魏將郭淮在漢中,蜀主劉備欲渡漢水來攻,諸將議衆寡不敵,欲依水爲陳以拒之。淮曰︰「此示弱而不足挫敵,不如遠水爲陳,引而致之,半濟而後擊,備可破也。」旣列陳,備疑,不敢渡。
魏の将の郭淮が漢中にいたとき、蜀の主の劉備が漢水を渡って攻めて来ようとした。諸将は、兵の多少が敵しないといって、水に沿って陣を張り、これを防ごうとした。郭淮は「これは弱さを示すもので、敵をくじくには足りない。水から遠く離れて陣を張り、誘って来させ、半ばまで渡ってから討てば、劉備を破ることができる」と言った。陣を並べ終えると、劉備は疑って、あえて渡らなかった。
前爲水所隔,則遠水以引敵。
前が水にさえぎられていれば、水から遠く離れて敵を誘う。
我絶水也。曹說是也。
こちらが水を渡るのである。曹操の説が正しい。
凡行軍過水,欲舍止者,必去水稍遠,一則引敵使渡,一則進退無礙。郭淮遠水爲陳,劉備悟之而不渡是也。
およそ軍を進めて水を過ぎ、宿営しようとするときは、必ず水から少し遠く離れなければならない。一つは敵を誘って渡らせるためであり、一つは進退に差し障りがないためである。郭淮が水から遠く離れて陣を張り、劉備がそれを察して渡らなかったのが、それである。
韓信殺龍且於濰水,夫槩敗楚子於清發是也。
韓信が濰水で龍且を殺し、夫槩が清発で楚の君を破ったのが、それである。
楚漢相持,項羽自擊彭越,令其大司馬曹咎守成臯。漢軍挑戰,咎涉汜水戰。漢軍候半涉,擊,大破之。「水內」,乃「汭」也,誤爲「內」耳。
楚と漢が互いに持ちこたえていたとき、項羽はみずから彭越を討ちに行き、その大司馬の曹咎に成皋を守らせた。漢軍が戦いを挑むと、曹咎は汜水を渡って戦った。漢軍は半ばまで渡るのを待って討ち、大いにこれを破った。「水内」は「汭(水のくま)」であり、誤って「内」となったのである。
敵之方來,迎於水濱,則不渡。
敵がまさに来るとき、水際で迎えれば、渡らない。
「內」當作「汭」。迎於水汭,則敵不敢濟;遠則趨利不及,當得其宜也。
「内」は「汭」と書くべきである。水のくまで迎えれば、敵はあえて渡らない。遠すぎれば利に駆けつけても間に合わない。その頃合いを得なければならない。
如春秋時宋公及楚人戰於泓,宋人既成列,楚人未旣濟。司馬曰︰「彼衆我寡,及其未旣濟也,請擊之。」公曰︰「不可。」旣濟而未成列,又以告,公曰︰「未可。」旣陳而後擊之,宋師敗績,公傷股,門官殲焉。宋公違之,故敗也。吳伐楚,楚師敗;及清發,將擊之,夫槩王曰︰「困獸猶鬬,況人乎?若知不免而致死,必敗我;若使先濟者知免,後者慕之,蔑有鬬心矣。半濟,而後可擊也。」從之,又敗之。魏將郭淮在漢中,蜀主劉備欲渡漢水來攻。時諸將等議曰︰「衆寡不敵。」欲依水爲陳以拒之。淮曰︰「此則示弱,而不足以挫敵,非算也。不如遠水爲陳,引而致之;半濟而後擊,備可破也。」旣陳,備疑,不敢渡。唐武德中,薛萬均與羅藝守幽燕,竇建德率衆十萬宼范陽,萬均謂藝曰︰「衆寡不敵,今若出鬬,百戰百敗,當以計取之。可令羸兵弱馬阻水背城爲陳以誘之。賊若渡水交兵,請公精騎百人伏於城側,待其半渡而擊之。」從之。建德渡水,萬均擊破之。
春秋のとき、宋の公が楚の人と泓で戦ったとき、宋の人はすでに列を成し、楚の人はまだ渡り終えていなかった。司馬が「彼は多くこちらは少ない。まだ渡り終えないうちに討つことをお願いします」と言った。公は「ならぬ」と言った。渡り終えてまだ列を成さないとき、また申し上げたが、公は「まだならぬ」と言った。陣を張ってから討ったので、宋の軍は敗れ、公は股を傷つけられ、門官はみな討ち死にした。宋の公がこれに背いたから敗れたのである。呉が楚を伐ち、楚の軍が敗れた。清発に至って討とうとすると、夫槩王が「追いつめられた獣でさえ闘う。まして人はなおさらである。逃れられないと知って死を賭して来れば、必ずこちらを破るだろう。先に渡った者が逃れたと知れば、後の者はそれを羨み、闘う心はなくなる。半ばまで渡ってから討つべきである」と言った。これに従い、また破った。魏の将の郭淮が漢中にいたとき、蜀の主の劉備が漢水を渡って攻めて来ようとした。そのとき諸将らは「兵の多少が敵しない」といって、水に沿って陣を張り、これを防ごうとした。郭淮は「それは弱さを示すもので、敵をくじくには足りず、よい策ではない。水から遠く離れて陣を張り、誘って来させ、半ばまで渡ってから討てば、劉備を破ることができる」と言った。陣を張り終えると、劉備は疑って、あえて渡らなかった。唐の武徳のとき、薛万均が羅芸とともに幽燕を守っていたが、竇建徳が十万の衆を率いて范陽を侵した。薛万均が羅芸に「兵の多少が敵しません。いま出て闘えば、百たび戦って百たび敗れます。策をもって取るべきです。弱い兵と弱い馬に、水をさえぎり城を背にして陣を張らせ、敵を誘わせてください。賊が水を渡って兵を交えたなら、公は精鋭の騎兵百人を城のわきに伏せておき、その半ばまで渡るのを待って討ってください」と言った。これに従った。竇建徳が水を渡ると、薛万均は討ってこれを破った。
敵若引兵渡水來戰,不可迎之於水邊,俟其半濟,行列未定,首尾不接,擊之必勝。公孫瓚敗黃巾賊於東光,薛萬均破竇建德於范陽,皆用此術也。
敵が兵を率いて水を渡り戦いに来るなら、水際で迎えるべきではなく、半ばまで渡って隊列が定まらず、首と尾がつながらないのを待って討てば、必ず勝つ。公孫瓚が東光で黄巾の賊を破り、薛万均が范陽で竇建徳を破ったのは、みなこの術を用いたのである。
附,近也。
「附」は近いという意味である。
附水迎客,敵必不得渡而與我戰。
水に張りついて敵を迎えれば、敵は必ず渡れず、こちらと戦えない。
言我欲用戰,不可近水迎敵,恐敵人疑我不渡也。義與上同,但客主詞異耳。
こちらが戦おうとするなら、水に近づいて敵を迎えてはならない、という意味である。敵がこちらを疑って渡らないことを恐れるからである。意味は上と同じで、ただ客と主の言い方が違うだけである。
附,近也。近水待敵,不得渡也。
「附」は近づくことである。水に近づいて敵を待てば、渡らない。
必欲戰,亦莫若遠水。
必ず戦おうとするなら、やはり水から遠く離れるにこしたことはない。
我利在戰,則當差遠,使敵必渡而與之戰也。
こちらの利が戦いにあるなら、やや遠く離れて、敵が必ず渡ってきて戦うようにすべきである。
我欲必戰,勿近水迎敵,恐其不得渡;我不欲戰,則阻水拒之,使不能濟。晉將陽處父與楚將子上夾泜水而軍。陽子退舍,欲使楚人渡;子上亦退舍,欲令晉師渡。遂皆不戰而歸。
こちらが必ず戦おうとするなら、水に近づいて敵を迎えてはならない。彼が渡れないことを恐れるからである。こちらが戦おうとしないなら、水をさえぎって防ぎ、渡れないようにする。晋の将の陽処父と楚の将の子上が、泜水をはさんで軍を置いた。陽処父が退いて宿営し、楚の人を渡らせようとすると、子上もまた退いて宿営し、晋の軍を渡らせようとした。ついに双方とも戦わずに帰った。
水上亦當處其高也。前向水,後當依高而處之。
水辺でもやはりその高いところに陣を置くべきである。前は水に向かい、後ろは高いところに寄って陣を置く。
水上亦據高而向陽。
水辺でもやはり高いところを占めて日に向かう。
曹公曰︰「水上亦當處其高。」晳謂非謂近水之地。下曹《註》云︰「恐溉我也。」疑當在此下。
曹操は「水辺でもやはりその高いところにとどまるべきである」と言った。晳が思うに、水に近い地を言ったのではない。下の曹操の註に「こちらに水を注がれることを恐れる」とあるのは、この下にあるべきであろう。
視生,向陽,遠視也。軍處高,遠見敵勢,則敵人不得潛來出我不意也。
「視生」は日に向かって遠くを見ることである。軍が高いところにとどまって敵の勢いを遠くまで見れば、敵はひそかに来て思いがけないところを突くことができない。
或岸邊爲陳,或水上泊舟,皆須面陽而居高。
岸辺に陣を張るにも、水の上に舟を泊めるにも、みな日に向かって高いところにいなければならない。
恐溉我也。
敵が水を流してこちらを浸すことを恐れるのである。
恐溉我也。智伯灌趙襄子,光武潰王尋,迎水處高乃敗之。
こちらに水を注がれることを恐れるからである。智伯が趙襄子に水を注ぎ、光武が王尋を崩したのは、水に臨む高いところにとどまったので、彼らを破ったのである。
水流就下,不可於卑下處軍也,恐敵人開決,灌浸我也。上文云「視生處高」也。諸葛武侯曰︰「水上之陳,不逆其流。」此言我軍舟船亦不可泊於下流,言敵人得以乘流而薄我也。
水は流れて下へ行くから、低いところに軍を置いてはならない。敵が堤を切ってこちらを水に浸すことを恐れるからである。上の文に「開けた側を見て高いところにとどまる」とある。諸葛武侯は「水辺の陣は、その流れに逆らわない」と言った。これはこちらの軍の舟も下流に泊めてはならない、という意味である。敵が流れに乗ってこちらに迫ることができるからである。
水流之地,可以溉吾軍,可以流毒藥。迎,逆也。一云︰逆流而營軍,兵家所忌。
水の流れる地では、こちらの軍に水を注ぐことができ、毒薬を流すこともできる。「迎」は逆らうことである。こう言う本もある——流れに逆らって軍を張るのは、兵を知る者の忌むところである。
無軍下流,防其決灌。舳艫之戰,逆亦非便。
下流に軍を置かないのは、堤を切って水を注がれるのを防ぐためである。舟の戦いでも、逆らうのは便利ではない。
當乘上流。魏曹仁征吳,欲攻濡須洲中。蔣濟曰︰「賊據西岸,列船上流,而兵入洲中,是謂自內地獄,危亡之道也。」仁不從而敗。
まさに上流に乗るべきである。魏の曹仁が呉を征したとき、濡須の洲のなかを攻めようとした。蔣済が「賊は西岸を占め、上流に舟を並べています。それなのに兵が洲のなかに入るのは、みずから地獄に入るというもので、危うく滅びる道です」と言った。曹仁は従わずに敗れた。
順流而戰,則易爲力。
流れに従って戦えば、力を用いるのが容易である。
卑地勿居,恐決水溉我。舟戰亦不可處下流,以彼沿我泝戰不便也。兼慮敵人投毒於上流。楚令尹拒吳,卜戰不吉。司馬子魚曰︰「我得上流,何故不吉?」遂決戰,果勝。是軍須居上流也。
低い地にとどまってはならない。水を切ってこちらに注がれるのを恐れるからである。舟の戦いでも下流にとどまってはならない。向こうは流れに沿い、こちらは逆らって戦うので便利でないからである。あわせて敵が上流に毒を投げ入れることも考えておく。楚の令尹が呉を防いだとき、戦いを占うと吉でなかった。司馬の子魚が「われらは上流を得ている。なにゆえ吉でないのか」と言った。ついに決戦し、はたして勝った。これは軍が上流にとどまるべきだということである。
處水上,當知此五者。
水辺にとどまるときは、この五つを知るべきである。
凡近水爲陳,皆謂水上之軍。水上拒敵,以上五事爲法。
およそ水に近づいて陣を張るものを、みな水辺の軍という。水辺で敵を防ぐときは、右の五つの事を法とする。
3塩沼地で
絶斥澤,惟亟去無留;若交軍於斥澤之中,必依水草而背衆樹,此處斥澤之軍也。
塩沼地を過ぎるときは、ただ速く抜け出て、とどまってはならない。塩沼地のなかで敵と出会ったなら、必ず水と草に寄り、木立を背にしなければならない。これが塩沼地で軍を置くやり方である。
注 14
斥,鹹鹵之地,水草惡,漸洳不可處軍。《新訓》曰「地固斥澤,不生五穀」者是也。
「斥」は塩気のある地で、水と草が悪く、じめじめしていて軍を置くことができない。《新訓》に「地がもともと斥沢で、五穀が生えない」とあるのが、それである。
鹹鹵之地,多無水草,不可久留。
塩気のある地は、多くは水と草がないので、長くとどまることはできない。
斥,遠也。曠蕩難守,故不可留。
「斥」は遠いことである。広くひらけて守りにくいので、とどまることはできない。
斥,鹵也。地廣且下,而無所依。
「斥」は塩気のあることである。地が広く、また低くて、寄るところがない。
《刑法志》云︰「山川沈斥。」顔師古《註》曰︰「沈,深水之下;斥,鹹鹵之地。」然則「斥澤」謂瘠鹵漸洳之所也。以其地氣濕潤,水草薄惡,故宜急過。
《刑法志》に「山川沈斥」とある。顔師古の註に「沈は深い水の下、斥は塩気のある地である」とある。してみると「斥沢」は、やせて塩気があり、じめじめしたところをいう。その地の気が湿り、水と草が薄く悪いので、急いで過ぎるのがよい。
不得已與敵會於斥澤中。
やむをえず敵と塩沼地のなかで出会った場合である。
急過不得,戰必依水背樹。夫有水樹,其地無陷溺也。
急いで過ぎることができなければ、戦うときには必ず水に寄り、木を背にする。水と木があれば、その地は落ち込んで沈むことがない。
斥鹵之地,草木不生,謂之飛鋒。言於此忽遇敵,卽須擇有水草林木而止之。
塩気のある地は草木が生えないので、これを飛鋒という。ここで突然敵に出会ったなら、すぐに水と草と林木のあるところを選んでとどまらなければならない、という意味である。
一本作「背衆木」。言不得已與敵戰,而會斥澤之中,當背稠樹以爲固守,蓋地利,兵之助也。
ある本には「背衆木」とある。やむをえず敵と戦うことになり、塩沼地のなかで出会ったなら、まさに密な木を背にして固く守るべきである、という意味である。地の利は、兵の助けである。
不得已而會敵,則依近水草,背倚衆木。
やむをえず敵に出会ったなら、水と草を近くに寄せ、多くの木を背にして寄りかかる。
猝與敵遇於此,亦必就利而背固也。
突然ここで敵に出会っても、やはり必ず利のあるほうへ就き、固いところを背にする。
不得已而會兵於此地,必依近水草,以便樵汲;背倚林木,以爲險阻。
やむをえずこの地で兵を交えるなら、必ず水と草を近くに寄せて薪取りと水汲みを便利にし、林木を背にして寄りかかり、険しいさえぎりとする。
處斥澤,當知此二者。
塩沼地にとどまるときは、この二つを知るべきである。
處斥澤之地,以上二事爲法。
塩沼地にとどまるときは、右の二つの事を法とする。
4平地で
平陸處易,而右背高,前死後生,此處平陸之軍也。
平地では開けたところに陣を置き、右に高いところを背にする。前を死に地、後ろを生き地とする。これが平地で軍を置くやり方である。
注 14
車騎之利也。
車と騎兵に有利である。
言於平陸,必擇就其中坦易平穩之處以處軍,使我車騎得以馳逐。
平地では、必ずそのなかの平らでなめらかなところを選んで軍を置き、こちらの車と騎兵が駆けまわれるようにする、という意味である。
王晳同曹操《註》。
王晳の註は曹操の註と同じである。
何氏同杜牧《註》。
何氏の註は杜牧の註と同じである。
平原廣野,車騎之地,必擇其坦易無坎陷之處以居軍,所以利於馳突也。
平原や広い野は車と騎兵の地であり、必ず平らで落ち込んだところのないところを選んで軍を置くべきである。駆け出して突くのに有利だからである。
戰便也。
戦うのに便利である。
夫人利用,皆便於右,是以背之。前死,致敵之地;後生,我自處。
人が力を用いるには、みな右が便利であるから、右を背にする。前が死に地というのは敵を引き入れる地であり、後ろが生き地というのはこちらがみずから陣を置くところである。
太公曰︰「軍必左川澤而右丘陵。」死者,下也;生者,高也。下不可以禦高,故戰便於軍馬也。
太公は「軍は必ず川と沢を左にし、丘陵を右にする」と言った。死に地は低いところ、生き地は高いところである。低いところからは高いところを防げないので、だから軍馬が戦うのに便利なのである。
崗阜曰生,戰地曰死。後崗阜,處軍穩;前臨地,用兵便;高在右,回轉順也。
丘を生き地といい、戦う地を死に地という。丘を後ろにすれば軍の構えが落ちつき、低い地を前にすれば兵を用いるのに便利であり、高いところが右にあれば向きを変えて動くのが順である。
擇其坦易,車騎便利;右背丘陵,勢則有憑;前低後隆,戰者所便。
平らなところを選べば車と騎兵が便利であり、右に丘陵を背にすれば勢いに頼るところがあり、前が低く後ろが高ければ戦う者に便利である。
凡兵皆宜向陽。旣後背山,卽前生後死,疑文誤也。
およそ兵はみな日の当たるほうに向かうべきである。すでに後ろに山を背にしているなら、前が生き地で後ろが死に地であり、文が誤っているのではないかと思われる。
雖是平陸,須有高阜,必右背之,所以恃爲形勢者也。前低後高,所以便乎奔擊也。
平地であっても高い丘があれば、必ず右にそれを背にすべきである。それに頼って形勢とするからである。前が低く後ろが高ければ、駆け出して討つのに便利である。
處平陸,當知此二者。
平地に陣を置くときは、この二つを知るべきである。
居平陸之地,以上二事爲法。
平地に陣を置くときは、右の二つの事を法とする。
5黄帝が四人の帝に勝った理由
凡此四軍之利,黃帝之所以勝四帝也。
およそこの四つの軍の置きかたの利が、黄帝が四人の帝に勝った理由である。
注 8
四者,山、水、斥澤、平陸也。
四つとは、山・水・塩沼地・平地である。
山、水、斥澤、平陸之四軍也。諸葛亮曰︰「山陸之戰,不升其高;水上之戰,不逆其流;草上之戰,不涉其深;平地之戰,不逆其虛,此兵之利也。」
山・水・塩沼地・平地の四つの軍の置きかたである。諸葛亮は「山と陸の戦いではその高みに登らず、水上の戦いではその流れに逆らわず、草地の戦いではその深みを渡らず、平地の戦いではその虚に逆らわない。これが兵の利である」と言った。
黃帝始立,四方諸侯無不稱帝,以此四地勝之也。
黄帝が初めて立ったとき、四方の諸侯は帝と称さない者がなかったが、この四つの地によってこれに勝ったのである。
黃帝始受兵法於風后,而滅四方,故曰「勝四帝」也。
黄帝は初めて風后から兵法を受け、四方を滅ぼした。だから「四人の帝に勝った」と言うのである。
「四帝」當爲「四軍」,字之誤歟?言黃帝得四者之利,處山則勝山,處水上則勝水上,處斥澤則勝斥澤,處平陸則勝平陸也。
「四帝」はまさに「四軍」とすべきで、字の誤りであろうか。黄帝がこの四つの利を得て、山に陣を置けば山で勝ち、水辺に陣を置けば水辺で勝ち、塩沼地に陣を置けば塩沼地で勝ち、平地に陣を置けば平地で勝った、という意味である。
「四帝」,或曰當作「四軍」。曹公曰︰「黃帝始立,四方諸侯無不稱帝,以此四地勝之也。」一本「無」作「亦」。
「四帝」は「四軍」とすべきだと言う者もいる。曹公は「黄帝が初めて立ったとき、四方の諸侯は帝と称さない者がなかったので、この四つの地によってこれに勝った」と言った。ある本では「無」が「亦」となっている。
梅氏之說得之。
梅氏の説が正しい。
黃帝始立,四方諸侯亦稱帝,以此四地勝之。按︰《史記‧黃帝紀》云︰「與炎帝戰於阪泉,與蚩尤戰於涿鹿,北逐葷粥。」又,太公《六韜》言黃帝七十戰而定天下。此卽是有四方諸侯戰也。兵家之法,皆始於黃帝,故云然也。
黄帝が初めて立ったとき、四方の諸侯もまた帝と称したので、この四つの地によってこれに勝った。按ずるに、《史記》黄帝紀に「炎帝と阪泉で戦い、蚩尤と涿鹿で戦い、北に葷粥を追いやった」とある。また太公の《六韜》には、黄帝が七十たび戦って天下を定めたという。これがすなわち四方の諸侯と戦ったことである。兵家の法はみな黄帝に始まるので、だからそう言うのである。
6高く日の当たるところ
凡軍,好高而惡下,貴陽而賤陰,養生而處實,軍無百疾,是謂必勝。
およそ軍は高いところを好んで低いところを嫌い、日の当たる側を貴んで陰の側を卑しむ。生活を養い、充実したところに陣を置けば、軍にもろもろの病がない。これを必ず勝つというのである。
注 14
高則爽塏,所以安和,亦以便勢;下則卑濕,所以生疾,亦以難戰。
高ければさわやかで乾いており、安らかで和らぐうえ、勢いにも便利である。低ければ低く湿っており、病を生じるうえ、戦いにくい。
有降無登,且遠水患也。
下ることだけがあって登ることがなく、そのうえ水の害から遠い。
居高則便於覘望,利於馳逐;處下則難以爲固,易以生疾。
高いところにいれば見張るのに便利で、駆け回るのに有利である。低いところにいれば固く守りにくく、病を生じやすい。
處陽則明順,處陰則晦逆。
日の当たる側にいれば明るく順であり、陰の側にいれば暗く逆である。
久處陰濕之地,則生憂疾,且弊軍器也。
陰で湿った地に長くいれば、憂いと病が生じ、そのうえ軍の器具も痛む。
東南爲陽,西北爲陰。
東南が陽であり、西北が陰である。
恃滿實也。養生,向水草,可放牧,養畜乘。實,猶高也。
満ち足りて充実したところに頼るのである。「養生」とは、水と草のほうへ行って放し飼いにし、家畜と乗り物を養うことである。「実」は高いというのと同じである。
養生,便水草;處實,利糧道。
生活を養うとは水と草を近くすることであり、充実したところに陣を置くとは兵糧の道に有利にすることである。
養生,謂水草糧糒之屬;處實者,倚固之謂。
「養生」は水・草・兵糧などの類をいい、「処実」とは固いところに寄ることをいう。
養生,謂就善水草放牧也;處實,謂倚隆高之地以居也。
「養生」は水と草のよいところへ行って放牧することをいい、「処実」は高くそびえた地に寄ってとどまることをいう。
夫人處卑下必癘疾,惟高陽之地可居也。
人は低く湿ったところにいれば必ず疫病にかかる。高く日の当たる地だけがとどまるによい。
生者,陽也;實者,高也。言養之於高,則無卑濕陰翳,故百疾不生,然後必可勝也。
「生」は日の当たる側であり、「実」は高いところである。高いところで養えば、低く湿って陰るところがないので、もろもろの病が生じず、そうしてはじめて必ず勝つことができる、という意味である。
能知上三者,則勢勝可必,疾氣不生。
右の三つを知ることができれば、勢いによる勝ちを期すことができ、病の気が生じない。
居高面陽,養生處厚,可以必勝。地氣乾熯,故疾癘不作。
高いところにいて日に向かい、生活を養って手厚いところに陣を置けば、必ず勝つことができる。地の気が乾いているので、疫病が起こらない。
7丘陵と堤
丘陵隄防,必處其陽,而右背之。
丘陵や堤では、必ずその日の当たる側に陣を置き、右にそれを背にする。
注 4
凡遇丘陵隄防之地,常居其東南也。
丘陵や堤のある地に出会ったなら、つねにその東南に陣を置く。
雖非至高,亦當前向明而右依實。
きわめて高くはなくても、やはり前は明るいほうに向かい、右は充実したところに寄るべきである。
處陽則人舒以和,器健以利也。
日の当たる側にいれば、人はのびのびと和らぎ、器具も丈夫で使いやすい。
面陽所以貴明顯,背高所以爲險固。
日に向かうのは明るく開けたことを貴ぶからであり、高いところを背にするのは険しく固いところとするからである。
8地が助ける
此兵之利,地之助也。
これが兵の利であり、地が助けるのである。
注 2
兵所利者,得形勢以爲助。
兵が利を得るとは、形勢を得てそれを助けとすることである。
用兵之利,得地之助。
兵を用いる利は、地の助けを得ることである。
9上流に雨が降れば
上雨,水沫至,欲涉者,待其定也。
上流で雨が降り、水の泡が流れて来たなら、渡ろうとする者は、それが落ちつくのを待つ。
注 7
恐半涉而水遽漲也。
半ばまで渡ったところで水が急に増すことを恐れるのである。
恐水暴漲。
水が急に増すことを恐れるのである。
言過溪澗,見上流有沫,此乃上源有雨,待其沫盡水定,乃可涉;不爾,半涉恐有瀑水卒至也。
谷川を渡るとき、上流に泡が見えれば、これは水源に雨が降ったのであるから、泡が尽きて水が落ちつくのを待ってはじめて渡ることができる。そうしなければ、半ばまで渡ったところで激しい水が突然来るのを恐れる、という意味である。
恐半渡水而遂漲。上雨,水當清,而反濁沫至,此敵人上遏水之占也,欲以中絶軍。凡地有水欲漲,沫先至,皆爲絶軍,當待其定也。
半ばまで渡ったところで水が増すことを恐れるのである。上流で雨が降れば水は清いはずなのに、かえって濁って泡が流れて来るなら、これは敵が上流で水をせき止めた兆しであり、こちらの軍を中途で断ち切ろうとするのである。およそ地に水が増そうとするときは泡が先に来るが、みな軍を断つものであるから、まさにその落ちつくのを待つべきである。
流沫未定,恐有暴漲。
流れてくる泡が落ちつかないうちは、急に水が増すことを恐れる。
水漲則沫。涉,步濟也。曹說是也。
水が増せば泡が立つ。「渉」は歩いて渡ることである。曹操の説が正しい。
渡未及畢濟,而大水忽至也。沫,謂水上泡漚。
渡り終えないうちに、大水が突然来るのである。「沫」は水の上に立つ泡をいう。
10六つの害のある地
凡地,有絶澗、天井、天牢、天羅、天陷、天隙,必亟去之,勿近也;吾遠之,敵近之;吾迎之,敵背之。
およそ地には、絶澗(切れ落ちた谷)・天井(天の井)・天牢(天の牢)・天羅(天の網)・天陥(天の落とし穴)・天隙(天の隙間)がある。必ず速くそこを離れ、近づいてはならない。こちらはこれを遠ざけ、敵には近づかせる。こちらはこれに向かい合い、敵にはこれを背にさせる。
注 17
前後嶮峻,水橫其中。
前後が険しく切り立ち、水がその中を横切るところである。
四面峻坂,澗壑所歸。
四面が切り立った坂で、谷の水が集まってくるところである。
三面環絶,易入難出。
三面が囲まれて切れ落ち、入りやすく出にくいところである。
草木蒙密,鋒鏑莫施。
草木が生い茂って密で、刃や矢を使えないところである。
卑下汙濘,車騎不通。
低くて泥深く、車と騎兵が通れないところである。
兩山相向,洞道狹惡。六害皆梅堯臣《注》。
二つの山が向かい合い、通り道が狭く険しいところである。この六つの害のある地の解釈は、すべて梅堯臣の註である。
山深水大者,爲絶澗;四方高、中央下者,爲天井;深山所過,若蒙籠者,爲天牢;可以羅絶人者,爲天羅;地形陷者,爲天陷;山澗道迫狹,地形深數尺、長數丈者,爲天隙。
山が深く水が大きいものが絶澗である。四方が高く中央が低いものが天井である。深い山を通るところで、おおい茂って暗いところが天牢である。人を網のように閉じこめて断ち切ることができるところが天羅である。地が落ち込んだところが天陥である。山あいの道が狭く、地の深さが数尺、長さが数丈のところが天隙である。
《軍讖》曰︰「地形坳下,大水所及,謂之天井;山澗迫狹,可以絶人,謂之天牢;澗水澄闊,不測淺深,道路泥濘,人馬不通,謂之天陷;地多溝坑、坎陷、木石,謂之天隙;林木隱蔽,蒹葭深遠,謂之天羅。」
《軍讖》に「地の形がくぼんで大水の及ぶところを天井といい、山あいが狭くて人を断ち切ることができるところを天牢といい、谷の水が澄んで広く、浅さ深さが測れず、道が泥深くて人馬が通れないところを天陥といい、地に溝や穴、木や石の多いところを天隙といい、林木が隠しおおい、葦が深く遠くまで続くところを天羅という」とある。
兩岸深闊,斷人行,爲絶澗;下中之下,爲天井;四邊澗險,水草相兼,中央傾側,出入皆難,爲天牢;道路崎嶇,或寬或狹,細澀難行,爲天羅;地多沮洳,爲天陷;兩邊險絶,形狹長而數里,中間難通人行,可以絶塞出入,爲天隙。此六害之地,不可近背也。
両岸が深く広くて人の行き来を断つところが絶澗であり、低いなかでもさらに低いところが天井である。四辺が谷で険しく、水と草が入りまじり、中央が傾いて出入りがどちらも難しいところが天牢であり、道がでこぼこで、広くなり狭くなり、ざらついて行きにくいところが天羅である。地に泥深いところが多いのが天陥であり、両辺が険しく切れ落ち、形が狭く長くて数里にわたり、中を人が行きにくく、出入りをさえぎって断つことができるところが天隙である。この六つの害のある地は、近づくことも背にすることもできない。
六害尚不可近,況可留乎?
六つの害のある地は近づくことさえできないのに、まして留まることができようか。
晳謂「絶澗」當作「絶天澗」,脫「天」字耳。此六者,皆自然之形也。牢,謂如獄牢;羅,謂如網羅也;陷,謂溝坑淤濘之屬;隙,謂木石若隙罅之地。軍行,過此勿近;不然,則脫有不虞,智力無所施也。
晳が思うに「絶澗」はまさに「絶天澗」とすべきで、「天」の字が落ちたのである。この六つは、みな自然の形である。「牢」は獄の牢のようであることをいい、「羅」は網のようであることをいい、「陥」は溝や穴、泥のたまったところの類であり、「隙」は木や石が隙のように割れた地である。軍が進んでここを通るときは近づいてはならない。そうしなければ、思いがけないことが起こっても、知恵も力も用いるところがない。
谿谷深峻,莫可過者,爲絶澗;外高中下,衆水所歸者,爲天井;山險環繞,所入者隘,爲天牢;林木縱橫,葭葦隱蔽者,爲天羅;陂地泥濘,漸車凝騎者,爲天陷;道路迫狹,地多坑坎者,爲天隙。凡遇此地,宜遠過,不可近之。
谷が深く険しくて渡れないところが絶澗であり、外が高く中が低くて多くの水が集まるところが天井である。険しい山が取り巻き、入り口が狭いところが天牢であり、林木が入り乱れ、葦が隠しおおうところが天羅である。坂地が泥深く、車がはまり騎馬が止まるところが天陥であり、道が狭く、地に穴の多いところが天隙である。およそこうした地に出会ったなら、遠く迂回して通るべきで、近づいてはならない。
用兵常遠六害,令敵近背之,則我利敵凶。
兵を用いるときは、つねにこの六つの害を遠ざけ、敵にはこれに近づかせ、これを背にさせれば、こちらは有利で敵は凶である。
善用兵者,致敵之受害之地也。
兵をよく用いる者は、敵を害を受ける地に導き入れる。
迎,向也;背,倚也。言遇此六害之地,吾遠之、向之,則進止自由;敵人近之、倚之,則舉動有阻。故我利而敵凶也。
「迎」は向かうことであり、「背」は寄りかかることである。この六つの害のある地に出会って、こちらがこれを遠ざけ、これに向かえば、進むも止まるも思いのままであるが、敵がこれに近づき、これに寄りかかれば、動きに差し障りがある。だからこちらは有利で敵は凶である、という意味である。
言六害當使我遠而敵附,我向而敵倚,則我利敵凶。
六つの害のある地は、こちらは遠ざけて敵には付かせ、こちらは向かい合って敵には寄りかからせるべきで、そうすればこちらは有利で敵は凶である、という意味である。
六害之地,我旣遠之、向之,敵自近之、倚之;我則行止有利,彼則進退多凶也。
六つの害のある地を、こちらがすでに遠ざけ、これに向かえば、敵はおのずからこれに近づき、これに寄りかかる。こちらは進むも止まるも有利で、向こうは進退に凶が多い。
11伏兵の隠れるところ
軍行有險阻、潢井、葭葦、山林、蘙薈者,必謹覆索之,此伏姦之所處也。
軍が進む道に、険しくさえぎられたところ、水たまりや窪み、葦の茂み、山林、生い茂って身を隠せるところがあれば、必ず慎んで繰り返し捜さなければならない。こうしたところに伏兵と間者が隠れている。
注 4
險者,一高一下之地;阻者,多水也;潢者,池也;井者,下也;葭葦者,衆草所聚;山林者,衆木所居也;蘙薈者,可屏蔽之處也。此以上論地形也,以下相敵情也。
「険」とは一方が高く一方が低い地であり、「阻」とは水の多いところである。「潢」は池、「井」は低いところである。「葭葦」はもろもろの草が集まるところ、「山林」はもろもろの木があるところ、「蘙薈」は身を隠すことのできるところである。ここまでは地の形を論じたもので、以下は敵の情を見るものである。
以下恐敵之奇伏誘詐也。
以下は、敵の思いがけない伏兵と、誘いあざむくことを恐れたものである。
險阻,隘也,山林之所産;潢井,下也,葭葦之所生。皆蘙薈足以蒙蔽,當掩搜,恐有伏兵。
険しくさえぎられたところは狭いところで、山林の生ずるところである。水たまりや窪みは低いところで、葦の生えるところである。みな生い茂って身をおおうに足るので、まさに不意に襲って捜すべきである。伏兵がいることを恐れるからである。
險阻,丘阜之地,多生山林;潢井,卑下之處,多産葭葦。皆蘙薈可以蒙蔽,必降索之,恐兵伏其中,又慮姦細潛隱,覘我虛實,聽我號令。「伏」、「姦」,當爲兩事。
険しくさえぎられたところは丘の地で、山林が多く生える。水たまりや窪みは低いところで、葦が多く生える。みな生い茂って身をおおえるので、必ず下りて捜さなければならない。兵がそのなかに伏せていることを恐れ、また間者がひそみ隠れて、こちらの虚実をうかがい、こちらの号令を聞くことを心配するからである。「伏」と「姦」は、二つの事と見るべきである。
12近くにいて静かな敵
敵近而靜者,恃其險也;遠而挑戰者,欲人之進也;其所居易者,利也。
敵が近くにいて静かなのは、その険しさを頼みにしているからである。遠くにいて戦いを挑むのは、こちらが進んで来るのを望んでいるからである。敵が開けたところに陣を置いているのは、それが有利だからである。
注 15
近而不動,倚險故也。
近くにいて動かないのは、険しさに寄りかかっているからである。
恃險,故不恐也。
険しさを頼みにしているので、恐れないのである。
若近以挑我,則有相薄之勢,恐我不進,故遠也。
近くからこちらに挑めば、互いに迫り合う勢いになって、こちらが進んで来ないことを恐れる。だから遠くにいるのである。
敵人相近而不挑戰,恃其守險也;若遠而挑戰者,欲誘我使進,然後乘利而奮擊也。
敵が互いに近くにいながら戦いを挑まないのは、険しさを守っていることを頼みにしているからである。遠くにいて戦いを挑むのは、こちらを誘って進ませ、そのうえで有利に乗じて奮い立って討とうとするのである。
梅堯臣同陳皥《註》。
梅堯臣の註は陳皥の註と同じである。
欲致人也。挑,謂擿驍敵求戰。
人を引き寄せようとするのである。「挑」は、敵を突ついて立たせ、戦いを求めることをいう。
兩軍相近而終不動者,倚恃險固也;兩軍相遠而數挑戰者,欲誘我之進也。《尉繚子》曰︰「分險者,無戰心。」言敵人先分得險地,則我勿與之戰也。又曰︰「挑戰者,無全氣。」言相去遠,則挑戰而延誘我進,卽不可以全氣擊之,與此法同也。
二つの軍が互いに近くにいて、ついに動かないのは、険しく固いところに寄りかかって頼むからである。二つの軍が互いに遠くにいて、たびたび戦いを挑むのは、こちらを誘って進ませようとするのである。《尉繚子》に「険しさを分け取った者とは、戦う心をもたない」とある。敵が先に険しい地を分け取ったなら、こちらはこれと戦うな、という意味である。また「戦いを挑む者は、気が全うでない」とある。互いの距離が遠ければ、戦いを挑んでこちらを引き延ばし誘って進ませるだけなので、全うな気で討つことはできない、という意味である。この法と同じ趣旨である。
所居利也。
陣を置いたところが有利である。
居易之地,致人之利。
開けた地に陣を置くのは、人を引き寄せる利である。
言敵不居險阻,而居平易,必有以便利於事也。一本云「士爭其所居者,易利也」。
敵が険しくさえぎられたところに陣を置かず、平らで開けたところに陣を置くのは、必ず事に便利で有利なところがあるからである、という意味である。ある本には「兵がその陣地を争うのは、開けていて有利だからである」とある。
言敵人得其地利,則將士爭以居之也。
敵がその地の利を得れば、将も兵も争ってそこに陣を置く、という意味である。
敵之所居,地多便利,故挑我,使前就己之便,戰則易獲其利,慎勿從之也。
敵の陣を置いたところは便利で有利なところが多いので、こちらに戦いを挑み、前に進み出て自分に便利なところへ来させる。そうして戦えば敵はその利を得やすいから、慎んで従って行ってはならない。
所居易利,故來挑戰。
陣を置いたところが開けていて有利なので、来て戦いを挑むのである。
王晳同曹操《註》。
王晳の註は曹操の註と同じである。
敵人捨險而居易者,必有利也。或曰︰敵欲人之進,故處於平易,以示利而誘我也。
敵が険しさを捨てて開けたところに陣を置くのは、必ず利があるからである。あるいは、敵はこちらが進んで来ることを望むので、平らで開けたところに陣を置き、有利に見せてこちらを誘うのだという。
13木が動き草がさえぎられていれば
衆樹動者,來也;衆草多障者,疑也。
多くの木が動くのは、敵が来るのである。多くの草にさえぎりが多いのは、こちらを疑わせるのである。
注 8
斬伐樹木,除道進來,故動。
木を切り倒して道をあけて進んで来るので、動くのである。
梅堯臣同曹操《註》。
梅堯臣の註は曹操の註と同じである。
凡軍,必遣善視者登高覘敵,若見林木動搖者,是斬木除道而來也。或曰︰不止除道,亦將爲兵器也。若晉人伐木益兵是也。
およそ軍は、必ず目のよい者を遣わして高いところに登り敵をうかがわせる。林木が揺れるのが見えたなら、木を切って道をあけて来るのである。あるいは、道をあけるだけでなく、武器をつくろうとしているのだともいう。晋の人が木を切って兵器を増やしたのが、それである。
結草爲障,欲使我疑也。
草を結んでさえぎりをつくり、こちらを疑わせようとするのである。
言敵人或營壘未成,或拔軍潛去,恐我來追,或爲掩襲,故結草使往往相聚,如有人伏藏之狀,使我疑而不敢進也。
敵が、陣営や塁をまだつくり終えていないか、あるいは軍を引きあげてひそかに去るときに、こちらが追って来ることや、不意に襲って来ることを恐れ、草を結んで所々に集めておき、人が隠れているように見せて、こちらを疑わせ、あえて進ませないようにする、という意味である。
結草多爲障蔽者,欲使我疑之,於中兵必不實,欲別爲攻襲,宜審備之。
草を結んでさえぎり隠すところを多くつくるのは、こちらを疑わせようとするのであり、そのなかに兵が実際にいるのではなく、別に攻め襲おうとしているのである。まさに見きわめて備えるべきである。
結草爲障,欲使我疑。稠草中多障蔽者,敵必避去,恐追及。多作障蔽,使人疑有伏焉。
草を結んでさえぎりをつくるのは、こちらを疑わせようとするのである。密な草のなかにさえぎり隠すところが多ければ、敵は必ず避けて去ったのであり、追いつかれることを恐れたのである。さえぎり隠すところを多くつくって、人に伏兵があると疑わせるのである。
或敵欲追我,多爲障蔽,設留形而遁,以避其追;或欲襲我,叢聚草木,以爲人屯,使我備東而擊西。皆所以爲疑也。
敵がこちらに追われることを気にして、さえぎり隠すところを多くつくり、留まっているような形をしつらえて逃げ、その追撃を避けることもあり、こちらを襲おうとして、草木を群れ集めて人が屯しているように見せ、こちらに東を備えさせておいて西を討つこともある。みな疑いを起こさせるためである。
14鳥が飛び獣が驚けば
鳥起者,伏也;獸駭者,覆也。
鳥が飛び立つのは伏兵であり、獣が驚いて走るのは敵が襲いかかって来るのである。
注 10
鳥起其上,下有伏兵。
その上に鳥が飛び立てば、下に伏兵がいる。
藏兵曰伏。
兵を隠すことを「伏」という。
下有伏兵住藏,觸鳥而驚起也。
下に伏兵がひそんでいて、鳥に触れて驚き飛び立たせるのである。
鳥適平飛,至彼忽高起者,下有伏兵也。
鳥がちょうど低く飛んでいて、そこに至って急に高く上がるなら、その下に伏兵がいる。
敵廣陳張翼,來覆我也。
敵が陣を広く並べ、翼を張って、こちらを襲いに来るのである。
不意而至曰覆。
思いがけず至ることを「覆」という。
凡敵欲覆我,必由他道險阻林木之中,故驅起伏獸駭逸也。覆者,來襲我也。
およそ敵がこちらを襲おうとするなら、必ず別の道の険しくさえぎられた林木のなかを通るので、ひそんでいた獣を追い立てて驚き走らせる。「覆」とは、来てこちらを襲うことである。
覆者,謂隱於林木之內,潛來掩我;候兩軍戰酣,或出其左右,或出其前後,若驚駭伏獸也。
「覆」とは、林木のなかに隠れ、ひそかに来てこちらを襲うことである。二つの軍の戦いがたけなわになるのを待って、その左右から出ることもあり、その前後から出ることもあるので、そのためにひそんでいた獣が驚いて走る。
獸驚而奔,旁有覆。
獣が驚いて走れば、かたわらに襲いかかる兵がいる。
凡欲掩覆人者,必由險阻草木中來,故驚起伏獸奔駭也。
およそ人を襲いおおおうとする者は、必ず険しくさえぎられた草木のなかを通って来るので、ひそんでいた獣が驚き立って走る。
15塵を見て知る
塵高而銳者,車來也;卑而廣者,徒來也;散而條達者,樵採也;少而往來者,營軍也。
塵が高く尖って立つのは車が来るのである。低く広がるのは歩兵が来るのである。散らばって筋を引いて延びるのは薪を取っているのである。少なくて行き来しているのは陣営を構えているのである。
注 16
車馬行疾,仍須魚貫,故塵高而尖。
車と馬は速く行きながら、やはり一列に連なって行かなければならないので、塵が高く尖る。
車馬行疾,塵相衝,故高也。
車と馬が速く行き、塵が互いに突き当たるので、高く上がる。
蹄輪勢重,塵必高銳。
蹄と車輪は勢いが重いので、塵は必ず高く尖る。
車馬行疾而勢重,又轍迹相次而進,故塵埃高起而銳直也。凡軍行,須有探候之人在前,若見敵塵,必馳報主將。如潘黨望晉塵,使騁而告是也。
車と馬は速く行き、勢いが重く、また轍の跡が次々と連なって進むので、塵が高く立ち上がり、尖ってまっすぐである。およそ軍が進むときは、前に探りうかがう者を置かなければならない。敵の塵を見たなら、必ず駆けて主将に報せる。潘党が晋の塵を望み見て、人を走らせて告げさせたのが、それである。
步人行遲,可以並列,故塵低而闊也。
歩く兵は進みが遅く、並んで列を作れるので、塵が低くて広い。
人步低輕,塵必卑廣。
人の歩みは低く軽いので、塵は必ず低く広い。
車馬起塵猛,步人則差緩也。
車と馬が立てる塵は激しく、歩く兵が立てる塵はそれよりゆるやかである。
徒步行緩而迹輕,又行列踈遠,故塵低而來。
歩く兵は進みが遅く跡が軽く、また隊列も間をあけて並ぶので、塵が低く立って来る。
煙塵之候,晉師伐齊,曳柴從之;齊人登山,望而畏其衆,乃夜遁。薪來卽其義也。此筌以「樵採」二字爲「薪來」字。
煙と塵の兆しである。晋の軍が斉を伐ったとき、柴を引きずって行かせたので、斉の人は山に登って望み見て、その数を恐れ、夜に逃げた。「薪が来る」というのが、その意味である。これは李筌が「樵採」の二字を「薪来」の字と見たのである。
樵採者,各隨所向,故塵埃散衍。條達,縱橫斷絶貌也。
薪を取る者はそれぞれ行くほうへ向かうので、塵が散らばって広がる。「条達」は、縦横に断ち切れた様である。
樵採隨處,塵必縱橫。
薪を取るのは所々なので、塵は必ず縦横に立つ。
條達,纖微斷續之貌。
「条達」は、細く途切れ途切れに続く様である。
分遣厮疫,隨處樵採,故塵埃散亂而成隧道。
人夫を分け遣わして所々で薪を取らせるので、塵が散り乱れて立ち、筋の道を成す。
欲立營壘,以輕兵往來爲斥候,故塵少也。
陣営と塁を立てようとして、軽い兵を行き来させて見張らせるので、塵が少ない。
輕兵定營,往來塵少。
軽い兵が陣営の地を定めるので、行き来しても塵が少ない。
凡分栅營者,必遣輕騎四面近視其地,欲周知險易廣狹之形,故塵微而來。
およそ陣営の柵を分けて立てるときは、必ず軽い騎兵を遣わして四面からその地を近く見させ、険しさ・開け・広さ・狭さの形をあまねく知ろうとするので、塵がわずかに立って来る。
16言葉が低ければ進もうとしている
辭卑而益備者,進也;辭彊而進驅者,退也。
言葉が低くて備えを増すのは、進もうとしているのである。言葉が強くて押し進んで来るのは、退こうとしているのである。
注 10
其使來辭卑,使間視之,敵人增備也。
その使者が来て言葉が低ければ、間者を遣わして見させる。敵は備えを増しているのである。
言敵人使來,言辭卑遜,復增壘塗壁,若懼我者,是欲驕我使懈怠,必來攻我也。趙奢救閼與,去邯鄲三十里,增壘不進。秦間來,必善食遣之。間以報秦將。秦將果大喜,曰︰「閼與非趙所有矣。」奢旣遣秦間,乃倍道兼行,掩秦不備,擊之,遂大破秦軍也。
敵の使者が来て、言葉が低く謙っており、そのうえ塁を増し壁を塗って、こちらを恐れているように見せるなら、これはこちらを驕らせてだらけさせ、必ず来てこちらを攻めようとするのである、という意味である。趙奢が閼与を救いに行くとき、邯鄲から三十里のところで塁を増すばかりで進まなかった。秦の間者が来れば、必ずよく食わせて帰した。間者が秦の将に報せると、秦の将ははたして大いに喜び、「閼与は趙のものではない」と言った。趙奢は秦の間者を帰したうえで、道を倍にして急ぎ行き、秦の備えのないところを襲って討ち、ついに秦の軍を大いに破った。
欲進者,外則卑辭,內則益備,款我也。
進もうとする者は、外には言葉を低くし、内には備えを増す。こちらを偽り欺くのである。
使來辭遜,敵復增備,欲驕我而後進也。田單守卽墨,燕將騎刼圍之。單身操版插,與士卒分功,使妻妾編行伍之間,散食饗士,乃使女子乘城,約降,燕大喜。又收民金千鎰,令富豪遣使遺燕將書曰︰「城卽降,願無虜妻妾。」燕人益懈。乃出兵擊,大破之。
使者が来て言葉が謙り、敵がさらに備えを増すのは、こちらを驕らせたうえで進もうとするのである。田単が即墨を守ったとき、燕の将の騎劫がこれを囲んだ。田単はみずから板と鋤を手にし、兵と仕事を分け合い、妻や妾を隊列のあいだに入れ、食べ物を分けて兵をもてなした。そして女たちを城に上らせ、降ることを約したので、燕は大いに喜んだ。また民の金千鎰を集め、富豪たちに使いを遣わして燕の将に書を贈らせ、「城はすぐに降ります。どうぞ妻や妾を捕らえないでください」と言わせた。燕の人はいよいよだらけた。そこで兵を出して討ち、大いにこれを破った。
詭詐也。
いつわりである。
吳王夫差北征,會晉定公於黃池,越王句踐伐吳。吳晉方爭長未定,吳王懼,乃合大夫而謀曰︰「無會而歸,與會而先晉,孰利?」王孫雒曰︰「必會而先之。」吳王曰︰「先之若何?」雒曰︰「今夕必挑戰,以廣民心,乃能至也。」於是,吳王以帶甲三萬人,去晉軍一里,聲動天地。晉使董褐視之,吳王親對曰︰「孤之事君在今日,不得事君亦在今日!」董褐曰︰「臣觀吳王之色,類有大憂;吳將毒我,不可與戰。」乃許先歃。吳王旣會,遂還焉。
呉王の夫差が北に向かい、黄池で晋の定公と会盟したとき、越王の句践が呉を伐った。呉と晋はまさに上座を争って定まらなかったが、呉王は恐れ、大夫を集めて謀り、「会わずに帰るのと、会って晋より先になるのと、どちらが有利か」と言った。王孫雒が「必ず会って先になるべきです」と言った。呉王が「先になるにはどうすればよいか」と言うと、雒は「今夕かならず戦いを挑み、人々の心を広くしてこそ、成し遂げられます」と言った。そこで呉王は甲をつけた三万の兵を率い、晋の軍から一里のところまで進むと、その声は天地を動かした。晋が董褐を遣わして見させると、呉王はみずから向かい合って「わたしが君に仕えるのも今日にあり、君に仕えられないのも今日にある」と言った。董褐は「臣が呉王の顔色を見ますに、大きな憂いがあるようです。呉はわれらを害そうとしています。これと戦ってはなりません」と言った。そこで呉が先に血をすすることを許した。呉王は会盟を終えると、すぐに帰った。
詭詐驅馳,示無所畏,是知欲退也。
いつわって馬を駆け走らせ、恐れるものがないように見せるなら、これは退こうとしているのだと知れる。
欲退者,使旣詞壯,兵又彊進,脅我也。
退こうとする者は、使者の言葉が強く、兵もまた強く進んで来る。こちらを脅すのである。
辭彊示進形,欲我不虞其去也。
言葉が強く、進む形を見せるのは、こちらにその去ることを察させないためである。
使來辭壯,軍又前進,欲脅我而求退也。秦行人夜戒晉師曰︰「兩軍之士,皆未憗也。來日請相見。」晉臾駢曰︰「使者目動而言肆,懼我也。」秦果宵遁。
使者が来て言葉が強く、軍もまた前に進んで来るのは、こちらを脅して退くことを求めるのである。秦の使者が夜に晋の軍に告げて「両軍の兵は、みなまだ傷んでいません。明日お目にかかりたい」と言った。晋の臾駢が「使者が目を動かして言葉が放埒である。われらを恐れているのだ」と言った。秦ははたして夜に逃げた。
17軽い車が側に並べば
輕車先出,居其側者,陳也。
軽い車が先に出て、その側に並ぶのは、陣を張っているのである。
注 4
陳兵欲戰也。
陣を張って戦おうとするのである。
出輕車,先定戰陳疆界也。
軽い車を出して、先に戦いの陣の境を定めるのである。
輕車前禦,欲結陳而來也。
軽い車で前を防ぐのは、陣を組んで来ようとするのである。
輕車,戰車也。出軍其旁,陳兵欲戰也。按︰魚麗之陳,先偏後伍,言以車居前,以伍次之;然則是欲戰者,車先出其側也。
軽い車は戦車である。軍のかたわらに出して、兵を並べて戦おうとするのである。按ずるに、魚麗の陣は偏(車)を先にし伍を後にするもので、車を前に置き、伍をその次に置くという意味である。してみると、戦おうとする者は、車を先にその側に出すのである。
18約束なしに和を請えば
無約而請和者,謀也。
約束もないのに和を請うのは、はかりごとがあるのである。
注 7
無質盟之約請和者,必有謀於人。田單詐騎劫,紀信誑項羽,卽其義也。
人質と誓いの約束もなく和を請う者は、必ず人にはかりごとを用いるのである。田単が騎劫を欺き、紀信が項羽をだましたのが、その意味である。
貞元三年,吐蕃首領尚結贊因侵掠河曲,遇疫厲,人馬死者太半,恐不得回,乃詐與侍中馬燧款懇,因奏請盟會。燧乃盟之。時河中節度使渾瑊奏曰︰「若國家勒兵境上,以謀伐爲計,蕃戎請盟,亦聽信之。今吐蕃無所求於國家,遽請盟會,必恐不實。」上不納。渾瑊率衆二萬,屯涇州平涼縣,盟壇在縣西三十里。五月十三日,瑊率三千人會壇所,吐蕃果衷甲劫盟焉。
貞元三年、吐蕃の首領の尚結賛が河曲を侵し掠めていたとき、疫病に遭って人馬の死んだ者が大半となり、帰れないことを恐れ、いつわって侍中の馬燧に懇ろに意を通じ、それによって会盟を願い出た。馬燧はこれと盟を結んだ。そのとき河中節度使の渾瑊が「もし国家が兵を境に並べて討伐を謀っているときであれば、蕃戎が盟を請うのも信じて聞き入れるべきです。いま吐蕃は国家に求めるものがないのに、急に会盟を請うのですから、必ず真でないことを恐れます」と上奏した。帝は受け入れなかった。渾瑊は二万の衆を率いて涇州平涼県に屯したが、盟の壇は県の西三十里にあった。五月十三日、渾瑊が三千人を率いて壇のところに会すると、吐蕃ははたして甲を内に着こんで盟の場を襲った。
因盟相劫,不獨國朝。晉楚會於宋,楚人衷甲欲襲晉,晉人知之,是以失信也。今言無約而請和,蓋總論兩國之師,或侵或伐,彼我皆未屈弱,而無故請和好者,此必敵人國內有憂危之事,欲爲苟且暫安之計;不然,則知我有可圖之勢,欲使不疑,先求和好,然後乘我不備而來取也。石勒之破王浚也,先密爲和好,又臣服於浚;知浚不疑,乃請修朝覲之禮。浚許之。及入,因誅浚而滅之。
盟に乗じて互いに襲ったのは、わが朝だけのことではない。晋と楚が宋で会したとき、楚の人が甲を内に着こんで晋を襲おうとし、晋の人がそれを知ったので、それで信を失ったのである。いま約束もないのに和を請うというのは、二国の軍が、侵すこともあり伐つこともあるなかで、向こうもこちらもまだ屈してもおらず弱ってもいないのに、理由なく和好を請うことを、ひととおり論じたのである。これは必ず敵の国内に憂え危ぶむ事があって、まにあわせの一時の安らぎを計ろうとするのである。そうでなければ、こちらに狙うべき勢いがあることを知り、こちらに疑わせないように、まず和好を求めたうえで、こちらの備えのないところに乗じて取りに来ようとするのである。石勒が王浚を破ったときは、先にひそかに和好を結び、また王浚に臣として服した。王浚が疑っていないことを知ると、朝覲の礼を行うことを請うた。王浚はこれを許した。入ってから、その機に王浚を誅して滅ぼした。
未有要約,而便來請和,有間諜也。
結んだ約束もないのに、すぐ来て和を請うのは、間諜がいるのである。
無約請和,必有姦謀。
約束もなく和を請うなら、必ずよこしまなはかりごとがある。
無故驟請和者,宜防他謀也。
理由なく急に和を請う者には、まさに別のはかりごとを防ぐべきである。
無故請和,必有姦謀。漢高祖欲擊秦軍,使酈食其持重寶啗其將賈竪,秦將果欲連和。高祖因其怠而擊之,秦師大敗。又,晉將李矩守滎陽,劉暢以三萬人討之。矩遣使奉牛酒請降,潛匿精兵,見其弱卒。暢大饗士卒,人皆醉飽。矩夜襲之,暢僅以身免。
理由なく和を請うなら、必ずよこしまなはかりごとがある。漢の高祖が秦の軍を討とうとしたとき、酈食其を遣わして重い宝を持たせ、その将の賈竪を誘わせると、秦の将ははたして和を結ぼうとした。高祖はそのだらけた機に乗じて討ち、秦の軍を大いに破った。また、晋の将の李矩が滎陽を守ったとき、劉暢が三万人でこれを討った。李矩は使いを遣わして牛と酒をささげ降ることを請い、精兵はひそかに隠して、弱い兵だけを見せた。劉暢が兵たちを大いにもてなしたので、人はみな酔い飽いた。李矩が夜にこれを襲うと、劉暢はかろうじて身だけを逃れた。
19走り出て車を並べれば
奔走而陳兵車者,期也;半進半退者,誘也。
走り出て兵車を並べるのは、時を定めているのである。半ばは進み半ばは退くのは、誘っているのである。
注 11
戰有期,及將用,是以奔走之。
戦う時を定めてあって、まさに用いるときになったので、走り出るのである。
上文「輕車先出,居其側者,陳也」,蓋先出車定戰場界,立旗爲表,奔走赴表,以爲陳也。旗者,期也,與民期於下也。《周禮》大蒐曰「車驟徒趨,及表乃止」是也。
上の文に「軽い車が先に出て、その側に並ぶのは、陣を張っているのである」とあるのは、先に車を出して戦場の境を定め、旗を立てて目印とし、走ってその目印に赴き、陣を成すのである。「旗」は時を定めることであり、人々とその下で時を約するのである。《周礼》の大蒐の条に「車は駆け、歩兵は走り、目印に至ってはじめて止まる」とあるのが、それである。
尋常之期,不合奔走,必有遠兵相應;有晷刻之期,必欲合勢同來攻我,宜速備之。
ふつうに時を定めたのであれば、走り出るはずはないから、必ず遠くの兵と呼応しているのである。時刻を定めてあるのは、必ず勢いを合わせてともに来てこちらを攻めようとするのである。まさに急いで備えるべきである。
立旗爲表,奔以赴列。
旗を立てて目印とし、走って列に入る。
陳而期民,將求戰也。
陣を張って人々と時を約するのは、戦いを求めようとするのである。
立旗爲表,與民期於下,故奔走以赴之。《周禮》曰「車驟徒趨,及表乃止」是也。刼
旗を立てて目印とし、人々とその下で時を約するので、走ってそこに赴く。《周礼》に「車は駆け、歩兵は走り、目印に至ってはじめて止まる」とあるのが、それである。
散於前。
前に散らばっているのである。
僞爲雜亂不整之狀,誘我使進也。
乱れて整わない様をいつわってつくり、こちらを誘って進ませるのである。
進退不一,欲以誘我。
進退が一様でないのは、それでこちらを誘おうとするのである。
詭亂形也。
乱れた形をいつわってつくったのである。
詐爲亂形,是誘我也。若吳子以囚徒示不整,以誘楚師之類也。
乱れた形をいつわってつくるのは、こちらを誘うのである。呉子が囚人を見せて整わないように見せかけ、楚の軍を誘ったような類である。
20杖にもたれて立てば飢えている
杖而立者,飢也;汲而先飲者,渴也;見利而不進者,勞也。
杖にもたれて立つのは飢えているのである。水を汲みながら先に飲むのは渇いているのである。利を見ても進まないのは疲れているのである。
注 16
困不能齊。
疲れて列をそろえられないのである。
不食必困,故杖也。一本從此「仗」字。
食べなければ必ず疲れるので、だから杖にもたれる。ある本はここで「仗」の字を用いる。
倚仗矛戟而立者,飢之意。
矛や戟に寄りかかって立つのは、飢えているという意味である。
倚兵而立者,足見飢弊之色。
武器に寄りかかって立っていれば、飢えて弱った顔色を十分に見ることができる。
倚仗者,困餒之相。
寄りかかってもたれているのは、疲れ飢えた様である。
凡人不食則困,故倚兵器而立,三軍飲食,上下同時,故一人飢,則三軍皆然。
およそ人は食べなければ疲れるので、武器に寄りかかって立つ。三軍の飲み食いは上も下も同じ時にするので、一人が飢えていれば、三軍もみなそうである。
汲未至,先飲者,士卒之渴。
汲んで戻るのも待たず先に飲むのは、兵が渇いているのである。
命之汲水,未及而先取者,渴也。覩一人,三軍可知也。
水を汲んで来いと命じたのに、戻るのも待たず先に汲んで飲むのは、渇いているのである。一人を見れば、三軍のことが知れる。
梅堯臣同杜牧《註》。
梅堯臣の註は杜牧の註と同じである。
以此見其衆行驅飢渴也。
これによって、その軍が駆り立てられて飢え渇いていることを見る。
汲者未及歸營,而先飲水,是三軍渴也。
汲みに行った者が陣営に戻るのも待たず先に水を飲めば、三軍が渇いているのである。
士卒疲勞也。
兵卒が疲れ切っているのである。
士卒難用也。
兵を用いがたいのである。
士疲勞也。敵人來,見我利而不能擊進者,疲勞也。
兵が疲れているのである。敵が来て、こちらを討つ利を見ても進んで討てないのは、疲れているのである。
人其困乏,何利之趨?
人がこれほど疲れ果てていて、どの利に赴けようか。
士卒疲勞,不可使戰,故雖見利,將不敢進也。
兵が疲れていて戦わせることができないので、利を見ても将はあえて進まないのである。
21鳥が集まれば空である
鳥集者,虛也;夜呼者,恐也。
鳥が集まるのは、陣が空だからである。夜に叫ぶのは、恐れているからである。
注 12
城上有鳥,師其遁也。
城の上に鳥がいれば、その軍は逃げたのである。
設留形而遁。齊與晉相持,叔向曰︰「鳥烏之聲樂,齊師其遁。」後周齊王憲伐高齊,將班師,乃以柏葉爲幕,燒糞壤去。高齊視之,二日乃知其空營,追之不及。此乃設留形而遁走也。
形だけ残しておいて逃げたのである。斉と晋が互いに持ちこたえていたとき、叔向は「鳥や烏の声が楽しげである。斉の軍は逃げたのだ」と言った。のち、後周の斉王の宇文憲が高斉を討ったとき、軍を引きあげようとして、柏の葉で幕をつくり、糞土を焼いて去った。高斉はそれを見ても、二日たってはじめて空の陣営だと気づき、追ったが及ばなかった。これがまさに形だけ残しておいて逃げたのである。
此言敵人若去,營幕必空;禽鳥旣無畏,乃鳴集其上。楚子元伐鄭,將奔,諜者告曰︰「楚幕有烏。」乃止。則知其是設留形而遁也。此篇蓋孫子辨敵之情僞也。
これは、敵が去れば陣営の幕は必ず空になり、鳥は恐れるものがなくなって、その上で鳴き集まる、という意味である。楚の子元が鄭を討ったとき、鄭は逃げようとしたが、間者が「楚の幕に烏が止まっています」と告げたので、やめた。してみれば、それが形だけ残しておいて逃げたのだと知れる。この篇は、おおむね孫子が敵の真と偽を見分けることを説いたものである。
敵大作營壘,示我衆;而鳥集止其中者,虛也。
敵が陣営と塁を大きくつくってこちらに兵が多いように見せているのに、鳥がそのなかに集まって止まるのは、空だからである。
敵人旣去,營壘空虛,鳥烏無猜,來集其上。
敵がすでに去って陣営と塁がからっぽになれば、鳥や烏は疑うこともなく、その上に来て集まる。
凡敵潛退,必存營幕;禽鳥見空,鳴集其上。楚伐鄭,鄭人將奔,諜告曰︰「楚幕有烏。」乃止。又,晉伐齊,叔向曰︰「城上有烏,齊師其遁。」此乃設留形而遁也。
およそ敵がひそかに退くときは、必ず陣営の幕を残しておく。鳥は空なのを見て、その上で鳴き集まる。楚が鄭を討ったとき、鄭の人は逃げようとしたが、間者が「楚の幕に烏が止まっています」と告げたので、やめた。また晋が斉を討ったとき、叔向は「城の上に烏が止まっている。斉の軍は逃げたのだ」と言った。これがまさに形だけ残しておいて逃げたのである。
軍士夜呼,將不勇也。
兵が夜に叫ぶのは、将が勇でないからである。
士卒怯而將懦,故驚恐相呼。
兵が怯え、将が弱いので、驚き恐れて互いに呼び合うのである。
恐懼不安,故夜呼以自壯也。
恐れて落ちつかないので、夜に叫んでみずから気を張るのである。
十人中一人有勇,雖九人怯懦,恃一人之勇亦可自安;今軍士夜呼,蓋是將無勇。曹說是也。
十人のうち一人に勇があれば、九人が怯えていても、その一人の勇に頼ってみずから安んじることができる。いま兵が夜に叫ぶのは、将に勇がないのである。曹操の説が正しい。
孟氏同陳皥《註》。
孟氏は陳皥の註と同じである。
三軍以將爲主,將無膽勇,不能安衆,故士卒恐懼而夜呼。若晉軍終夜有聲是也。
三軍は将を主とする。将に胆力と勇がなければ、衆を安んじることができないので、兵が恐れて夜に叫ぶ。晋の軍が夜どおし声を立てたのが、それである。
22陣営が騒がしければ
軍擾者,將不重也;旌旗動者,亂也;吏怒者,倦也。
陣営が騒がしいのは、将が重々しくないからである。旗が揺れるのは、乱れているからである。役人が怒るのは、疲れているからである。
注 14
將無威重,則軍擾。
将に威と重みがなければ、陣営が騒がしくなる。
言進退舉止輕佻率易,無威重,軍士亦擾亂也。
進退や振るまいが軽々しく粗略で、威も重みもなければ、兵たちもまた騒ぎ乱れる、という意味である。
將法令不嚴,威容不重,士因以擾亂也。
将の法令が厳しくなく、物腰が重くないので、兵たちがそのために騒ぎ乱れるのである。
梅堯臣同陳皥《註》。
梅堯臣は陳皥の註と同じである。
軍中多驚擾者,將不持重也。張遼屯長社,夜,軍中忽亂,一軍盡擾。遼謂左右勿動,是必有造變者,欲以動亂人耳。乃令軍士安坐,遼中陳而立,有頃卽定。此則能持重也。
陣営のなかに驚き騒ぐことが多いのは、将が重々しく構えていないのである。張遼が長社に屯したとき、夜中に陣営が急に乱れ、全軍がすべて騒いだ。張遼は側近に動くなと言い、これは必ず乱を企てた者がいて、人々を揺り乱そうとしているだけだと言った。そこで兵たちを静かに座らせ、張遼は陣の中に立っていたので、しばらくするとすぐに収まった。これがまさに重々しく構えられるということである。
魯莊公敗齊於長勺,曹劌請逐之。公曰︰「若何?」對曰︰「視其轍亂而旗靡,故逐之。」
魯の荘公が長勺で斉を破ったとき、曹劌が追撃を請うた。荘公が「どうしてわかるのか」と言うと、答えて「その轍の跡が乱れ、旗が倒れているのを見ました。追ってください」と言った。
旌旗謬動,抵東觸西傾倚者,亂也。
旗が狂ったように動き、東に当たり西に触れて傾くのは、乱れているのである。
旌旗輒動,偃亞不次,無紀律也。
旗が勝手に動き、倒れて並びに次第がないのは、紀律がないのである。
旌旗所以齊衆也,而動搖無定,是部伍雜亂也。
旗は衆をそろえるためのものなのに、揺れて定まるところがなければ、これは隊伍が入り乱れているのである。
衆悉倦弊,故吏不畏而忿怒也。
衆がみな疲れ弱っているので、役人が恐れられず、腹を立てるのである。
將興不急之役,故人人倦弊也。
将が急ぎもしない仕事を起こすので、人ごとに疲れ弱るのである。
人困則多怒。
人は疲れると怒ることが多くなる。
吏士倦煩,怒不畏避也。
役人も兵も疲れ煩わしくなり、怒って恐れ避けることをしないのである。
政令不一,則人情倦,故吏多怒也。晉楚相攻,晉裨將趙旃、魏錡怒而欲敗晉軍,皆奉命於楚。郤克曰「二憾往矣,弗備必敗」是也。
政令が一様でなければ人の心は疲れるので、役人が怒ることが多くなる。晋と楚が互いに攻めたとき、晋の副将の趙旃と魏錡は怒って晋の軍を敗らせようとし、ともに楚に命を奉じた。郤克が「恨みを抱いた二人が行った。備えなければ必ず敗れる」と言ったのが、それである。
23馬に食わせ肉を食べれば
粟馬肉食,軍無懸缻,不返其舍者,窮宼也。
馬に穀物を食わせ、肉を食べ、陣営に水甕を掛けておかず、小屋に帰らないのは、追いつめられた敵である。
注 6
一云「殺馬肉食者,軍無糧也;軍無懸缻,不返其舍者,窮宼也」。
ある本には「馬を殺して肉を食べるのは、軍に糧がないのである。陣営に水甕を掛けておかず、小屋に帰らないのは、追いつめられた敵である」とある。
殺其馬而食肉,故曰軍無糧也;不返舍者,窮迫不及竈也。
その馬を殺して肉を食べるので、軍に糧がないと言うのである。小屋に帰らないのは、差し迫ってかまどにまで手が回らないのである。
粟馬,言以糧穀秣馬也。肉食者,殺牛馬饗士也。軍無懸缻者,悉破之,示不復炊也。不返其舍者,晝夜結部伍也。如此皆是窮宼,必欲決一戰爾。缻音府,炊器也。
「粟馬」とは、穀物で馬を飼うことをいう。「肉食」とは、牛や馬を殺して兵をもてなすことである。陣営に水甕を掛けておかないのは、すべて壊して、もう炊かないと示すのである。小屋に帰らないのは、昼も夜も隊伍を組ませておくことである。このようなものはみな追いつめられた敵であり、必ず一戦で決しようとしているだけである。「缻」は音は府で、炊く器である。
給糧以秣乎馬,殺畜以饗乎士,棄缻不復炊,暴露不返舍,是欲決戰而求勝也。
糧を出して馬を飼い、家畜を殺して兵をもてなし、水甕を捨てて二度と炊かず、野ざらしのまま小屋に帰らないのは、決戦して勝ちを求めようとするのである。
粟馬肉食,所以爲力且久也。軍無缻,不復飲食也。不返舍,無回心也。皆謂以死決戰耳。敵如此者,當堅守以待其弊也。
穀物を馬に食わせ肉を食べるのは、力をつけてしかも長く持たせるためである。陣営に甕がないのは、もう飲み食いしないということである。小屋に帰らないのは、引き返す心がないということである。みな死を賭して決戦するというだけのことである。敵がこのようなときは、まさに固く守ってその弱るのを待つべきである。
捐糧穀以秣馬,殺牛畜以饗士,破釜及缻不復炊爨,暴露兵衆不復反舍,茲窮宼也。孟明焚舟,楚軍破釜之類是也。
糧を割いて馬を飼い、牛や家畜を殺して兵をもてなし、釜や甕を壊して二度と炊かず、兵たちを野ざらしにして二度と小屋に帰らせない。これが追いつめられた敵である。孟明が舟を焼き、楚の軍が釜を壊したような類が、それである。
24ゆっくりと語り合えば
諄諄翕翕,徐與人言者,失衆也。
くどくどと声をひそめ、ゆっくり人と語り合うのは、衆を失っているのである。
注 8
諄諄,語貌;翕翕,失志貌。
「諄諄」は語る様、「翕翕」は志を失った様である。
諄諄翕翕,竊語貌。士卒之心恐,上則私語而言,是失衆也。
「諄諄翕翕」はひそかに語る様である。兵の心が恐れ、上の者をめぐってひそひそ私語するのは、衆を失っているのである。
諄諄者,乏氣聲促也;翕翕者,顛倒失次貌。如此者,憂在內,是自失其衆心也。
「諄諄」とは気が足らず声が急なことであり、「翕翕」とは順序が転倒して次第を失った様である。このようなものは憂いが内にあり、みずからその衆の心を失っているのである。
諄諄,竊議貌;翕翕,不安貌;徐與人言,遞相問貌。如此者,必散失部曲也。
「諄諄」はひそかに議する様、「翕翕」は落ちつかない様、ゆっくり人と語るのは互いに代わる代わる尋ね合う様である。このようであれば、必ず部隊は散り失われる。
諄諄,吐誠懇也;翕翕,曠職事也。緩言彊安,恐衆離也。
「諄諄」は誠を懇ろに打ち明けることであり、「翕翕」は職務をうち捨てておくことである。言葉をゆるめて無理に安んじさせるのは、衆が離れることを恐れているのである。
諄諄,語誠懇之貌;翕翕者,患其上也。將失人心,則衆相與語,誠懇而患其上也。
「諄諄」は言葉が懇ろな様であり、「翕翕」はその上の者を気に病むことである。将が人の心を失えば、衆は互いに語り合い、懇ろにその上の者を気に病む。
兩人竊語,誹議主將者也。
二人がひそかに語り合い、主将をそしり論じているのである。
諄諄,語也;翕翕,聚也;徐,緩也。言士卒相聚私語,低緩而言,以非其上,是不得衆心也。
「諄諄」は語ること、「翕翕」は集まること、「徐」はゆるやかなことである。兵が互いに集まってひそひそ語り、低くゆるやかに話してその上の者を非とするのは、衆の心を得ていないのである、という意味である。
25しきりに賞し、しきりに罰すれば
數賞者,窘也;數罰者,困也;先暴而後畏其衆者,不精之至也;來委謝者,欲休息也。
しきりに賞を与えるのは、行きづまっているのである。しきりに罰するのは、困っているのである。先に荒々しくしておいて後からその衆を恐れるのは、精しくないことの極みである。人を遣わして謝ってくるのは、休みたいのである。
注 26
窘則數賞以勸進。
行きづまれば、しきりに賞を与えて進むように励ます。
勢力窮窘,恐衆爲叛,數賞以悅之。
力と勢いが尽きて行きづまり、衆が背くことを恐れ、しきりに賞を与えて喜ばせるのである。
軍實窘也,恐士卒心怠,故別行小惠也。
軍のたくわえが乏しく、兵の心がだらけることを恐れ、別に小さな恵みを施すのである。
勢窮憂叛離,屢賞以悅衆。
勢いが尽きて離れ背くことを憂い、たびたび賞を与えて衆を喜ばせるのである。
衆窘而不和裕,則數賞以悅之。
衆が行きづまって和やかでも豊かでもなければ、しきりに賞を与えて喜ばせる。
勢窘則易離,故屢賞以撫士。
勢いが行きづまれば離れやすいので、たびたび賞を与えて兵を慰めるのである。
困則數罰以勵士。
困れば、しきりに罰して兵を励ます。
人力困弊,不畏刑罰,故數罰以懼之。
人の力が疲れ弱って刑罰を恐れないので、しきりに罰して怖がらせるのである。
人弊不堪命,屢罰以立威。
人が弱って命令に堪えられないので、たびたび罰して威を立てるのである。
衆困而不精勤,則數罰以脅之也。
衆が困って念入りに励まなければ、しきりに罰して責め立てるのである。
力困則難用,故頻罰以畏衆。
力が尽きれば用いにくいので、しきりに罰して衆を恐れさせるのである。
先輕敵,後聞其衆,則心惡之也。
先に敵を軽んじておいて、後からその衆の多いことを聞き、心のうちでこれを嫌がるのである。
先輕後畏,是勇而無剛者,不精之甚也。
先に軽んじておいて後から恐れるのは、勇があるだけで剛さがないのであり、精しくないことの甚だしいものである。
料敵不精之甚。
敵を計るのに精しくないことの甚だしいものである。
教令不能分明,士卒又非精練,如此之將,先欲彊暴伐人,衆悖則懼也,至懦之極也。
教えと命令がはっきりせず、兵もよく習っていないのに、このような将が、先に強く荒々しく人を討とうとし、衆が背けば恐れる。弱さの極みである。
先行乎嚴暴,後畏其衆離,訓罰不精之極也。
先に厳しく荒々しくふるまい、後からその衆が離れることを恐れるのは、訓え罰することに精しくないことの極みである。
敵先行刻暴,後畏其衆離,爲將不精之甚也。
敵が先に酷く荒々しくふるまい、後からその衆が離れることを恐れるのは、将としての精しくないことの甚だしいものである。
寬猛相濟,精於將事也。
寛さと厳しさが互いに助け合うのが、将の事に精しいということである。
先輕敵,後畏人。或曰︰先刻暴御下,後畏衆叛己,是用威行愛,不精之甚。故上文以數賞、數罰而言也。
先に敵を軽んじておいて、後から人を恐れるのである。あるいはこうも言う。先に酷く荒々しく下を治めておいて、後から衆が自分に背くことを恐れるのは、威を用いておいて愛を行うのであり、精しくないことの甚だしいものである。だから上の文で、しきりに賞し、しきりに罰することを挙げて言ったのである。
徐前而疾後,曰委謝。
前がゆるやかで後ろが速いのを「委謝」という。
所以委質來謝,此乃勢已窮,或有他故,必欲休息也。
贈り物をととのえて来て謝るのは、すなわち勢いがすでに尽きたか、あるいは別の事情があって、必ず休みたいのである。
氣委而言謝者,欲求兩解。
気がくじけて謝りの言葉を述べるのは、双方ともに解けることを求めているのである。
戰未相伏,而下意氣相委謝者,欲休息也。
戦って互いに屈していないのに、意気を低くして互いに謝るのは、休みたいのである。
力屈欲休兵,委質以來謝。
力が屈して兵を休めたいので、贈り物をととのえて来て謝るのである。
勢不能久。
勢いが長く持たないのである。
以所親愛委質來謝,是勢力窮極,欲休兵息戰也。
親しく愛する者を遣わし、贈り物をととのえて来て謝るのは、力と勢いが尽き果てて、兵を休め戦いをやめたいのである。
26怒って向かい合っても組み合わなければ
兵怒而相迎,久而不合,又不相去,必謹察之。
兵が怒って向かい合い、長いあいだ組み合わず、また互いに去りもしないなら、必ず慎んで見きわめなければならない。
注 6
備奇伏也。
不意の伏兵に備えるのである。
是軍必有奇伏,須謹察之。
その軍には必ず不意の伏兵がいるので、慎んで見きわめなければならない。
盛怒出陳,久不交刃,復不解去,有所待也,當謹伺察之,恐有奇伏旁起也。
大いに怒って陣を出しておきながら、長く刃を交えず、また解いて去りもしないのは、待つものがあるのである。まさに慎んでうかがい見きわめるべきで、不意の伏兵がかたわらから起こることを恐れる。
備有別應。
別に呼応する兵があることに備えるのである。
怒而來逆我,久而不接戰,且又不解去,必有奇伏以待我。此以上論敵情。
怒って来てこちらを迎えておきながら、長く戦いを交えず、また解いて去りもしないのは、必ず不意の伏兵を置いてこちらを待っているのである。ここまでは敵の情を論じたものである。
勇怒而來,旣不合戰,又不引退,當密伺之,必有奇伏也。
勇と怒りをもって来ておきながら、すでに戦いを組み合わせず、また退きもしないなら、まさにひそかにうかがうべきで、必ず不意の伏兵がいる。
27兵は多ければよいというものではない
兵非益多也,惟無武進,足以併力、料敵、取人而已。
兵は多ければよいというものではない。ただ力まかせに進むことなく、力を合わせ、敵を計り、人を取ることができれば、それで足りる。
注 16
權力均。一云「兵非貴益多」。
力の釣り合いが等しいのである。「兵は多きを益とは貴ばず」とある本もある。
不貴衆擊寡,所貴寡擊衆。
多い兵で少ない兵を討つことを貴ばず、少ない兵で多い兵を討つことを貴ぶ。
晳謂權力均足矣,不以多爲益。
晳が思うに、力の釣り合いが等しければ足りるのであり、多いことを益とはしない。
兵非增多於敵,謂權力均也。
兵が敵より多くなくても、力の釣り合いが等しいということである。
未見便也。
まだ都合のよい機を見ていないのである。
武不足專進,專進則暴。
武だけで一途に進むことはできない。一途に進めば荒々しくなる。
不可但恃武也,當以計智料敵而行。
ただ武だけを頼みにすることはできない。まさに計と知恵で敵を計ってから動くべきである。
武,剛也。未能用剛武以輕進,謂未見利也。
「武」は剛である。剛い武を用いて軽々しく進むことができないのは、利を見ていないということである。
厮養足也。
召使いや飼い方の者で足りるのである。
兵衆武,用力均,惟得人者勝也。
兵が多く武くて、力の用いかたが釣り合っているなら、ただ人を得た側が勝つ。
言我與敵人兵力皆均,惟未能用武前進者,蓋未得見其人也。但能於厮養之中揀擇其材,亦足并力料敵而取勝,不假求於他也。
こちらと敵の兵力がどちらも釣り合っているのに、武の力で前に進めないのは、おもうにその人を見つけていないからである、という意味である。ただ召使いや飼い方の者のなかからその才ある者を選び出すことができれば、それでも力を合わせ敵を計って勝つのに足り、他に求める必要はない。
言我兵力不多於敵,又無利便可進,不必他國乞師,但於厮養中併力取人,亦可破敵也。
こちらの兵力が敵より多くなく、また進めるだけの好都合もないとき、他国に兵を乞うまでもなく、ただ召使いや飼い方の者のなかから力を合わせ人を得れば、敵を破ることができる、という意味である。
雖無武勇之力而輕進,足以智謀料敵、併力而取敵人也。
武く勇ましい力で軽々しく進むことがなくても、知恵とはかりごとで敵を計り、力を合わせて敵を捕らえることができる。
武,繼也。兵雖不足以繼進,足以并給役厮養之力,量敵而取勝也。
「武」は継ぐことである。兵は継いで進むには足りなくても、召使いや飼い方として使われる者の力をあわせ用い、敵を量って勝つには足りる。
晳謂善分合之變者,足以併力乘敵間取勝人而已。故雖厮養之輩可也,況精兵乎?曹說是也。
晳が思うに、分けることと合わせることの変化をよくする者は、力を合わせ敵の隙に乗じて人を捕らえ勝つのに足りる。だから召使いや飼い方の輩でもよいのであり、まして選び抜いた兵ならなおさらである。曹操の説が正しい。
兵力旣均,又未見便,雖未足剛進,足以取人於厮養之中,以并兵合力,察敵而取勝,不必假他兵以助己。故《尉繚子》曰︰「天下助卒,名爲十萬,其實不過數萬。其兵來者,無不謂其將曰︰無爲天下先戰。」此言助卒無益,不如己有兵法也。
兵力がすでに釣り合い、また好都合も見えなければ、剛く進むには足りなくても、召使いや飼い方の者のなかから人を得て、兵を集め力を合わせ、敵を見きわめて勝つには足りるので、他の兵を借りて自分を助けさせる必要はない。だから《尉繚子》に「天下の助けの兵は、名は十万といっても、その実は数万に過ぎない。その兵が来るとき、その将に、天下に先んじて戦うなと言わない者はない」とある。これは、助けの兵は益がなく、自分に兵法があるのに及ばない、という意味である。
28考えもなく敵を軽んじれば
夫惟無慮而易敵者,必擒於人。
そもそも考えもなく敵を軽んじる者は、必ず人に捕らえられる。
注 4
無有深謀遠慮,但恃一夫之勇,輕易不顧者,必爲敵人所擒也。
深いはかりごとも遠い考えもなく、ただ一人の男の勇だけを頼みにして、軽んじて顧みない者は、必ず敵に捕らえられる。
惟,猶獨也。此言殊無遠慮,但輕敵者,必爲其所擒,不獨言其勇也。《左傳》曰︰「蜂蠆有毒,而況國乎?」則小敵亦不可輕。
「惟」は「独り」というのと同じである。これは、遠い考えがまったくなく、ただ敵を軽んじる者は必ずこれに捕らえられる、という意味であり、その勇だけを言ったのではない。《左伝》に「蜂やさそりにも毒がある。まして国であればなおさらだ」とある。小さな敵でも軽んじることはできない。
唯不能料敵,但以武進,則必爲敵所擒。明患不在於不多也。
ただ敵を計ることができず、武だけで進めば、必ず敵に捕らえられる。憂いは兵が多くないことにあるのではないことを明かしたのである。
不能料人,反輕敵以武進,必爲人所擒也。齊晉相攻,齊侯曰︰「吾姑滅此而朝食。」不介馬而馳之,爲晉所敗是也。
人を計ることができず、かえって敵を軽んじて武で進めば、必ず人に捕らえられる。斉と晋が互いに攻めたとき、斉の侯が「わたしはしばらくこれらを滅ぼしてから朝飯にしよう」と言い、馬に甲も着せずに駆け出して、晋に敗れたのが、それである。
29親しくなる前に罰すれば
卒未親附而罰之,則不服;不服,則難用也;卒已親附而罰不行,則不可用也。
兵がまだ親しくなつかないうちに罰すれば従わない。従わなければ用いがたい。兵がすでに親しくなついてから罰が行われなければ、これも用いることができない。
注 8
恩信未洽,不可以刑罰齊之。
恩と信がまだゆき渡っていないのだから、刑罰でそろえることはできない。
傅,至也。德以至之,恩以親之;恩德未敷,罰則不服,故怨而難使。
「傅」は至ることである。徳によって至らせ、恩によって親しませるのであるが、恩と徳がまだ広まっていないうちに罰すれば従わないので、怨んで使いにくい。
恩信非素浹洽於人,心未附也。
恩と信がふだんから人にゆき渡っていないので、心がまだなついていないのである。
驟居將帥之位,恩信未加於民,而遽以刑法齊之,則怒恚而難用。故田穰苴曰︰「臣素卑賤,士卒未附,百姓不信。」又,伍參曰「晉之從政者新,未能行令」是也。
急に将帥の位に就き、恩と信がまだ民に及んでいないのに、いきなり刑法でそろえようとすれば、怒って用いがたい。だから田穰苴は「臣はもともと卑しく賤しく、兵はまだなついておらず、民は信じていません」と言った。また、伍参が「晋の政を執る者は新しく、まだ令を行えない」と言ったのが、それである。
恩信已洽,若無刑罰,則驕惰難用也。
恩と信がすでにゆき渡っているのに、もし刑罰がなければ、驕り怠って用いがたい。
恩德旣洽,刑罰不行,則驕不可用。
恩と徳がすでにゆき渡っているのに、刑罰が行われなければ、驕って用いることができない。
所謂「若驕子」也。
いわゆる「甘やかされた子のようだ」ということである。
恩信素洽,士心已附,刑罰寬緩,則驕不可用也。
恩と信がふだんからゆき渡って兵の心がすでになついているのに、刑罰が寛くゆるければ、驕って用いることができない。
30文をもって命じ、武をもってそろえる
故令之以文,齊之以武,是謂必取。
だから仁をもって命じ、威をもってそろえる。これを必ず取るというのである。
注 7
文,仁也;武,法也。
「文」は仁であり、「武」は法である。
文,仁恩;武,威罰。
「文」は仁と恩であり、「武」は威と罰である。
晏子舉司馬穰苴「文能附衆,武能威敵」也。
晏子が司馬穰苴を挙げて「文は衆をなつかせることができ、武は敵を恐れさせることができる」と言ったことである。
吳起云︰「總文武者,軍之將;兼剛柔者,兵之事也。」
呉起は「文と武を兼ね備えるのが軍の将であり、剛と柔を併せ持つのが兵の事である」と言った。
文武旣行,必也取勝。
文と武がすでに行われれば、必ず勝ちを得る。
令以仁恩,齊以威刑;恩威並著,則能必勝。
仁と恩によって命じ、威と刑によってそろえ、恩と威がともに表れれば、必ず勝つことができる。
文恩以悅之,武威以肅之;畏愛相兼,故戰必勝,攻必取。或問曰︰《書》云︰「威克厥愛,允濟;愛克厥威,允罔功。」言先威也。孫武先愛,何也?曰︰《書》之所稱,仁人之兵也。王者之於民,恩德素厚,人心已附,及其用之,惟患乎寡威也。武之所陳,戰國之兵也。霸者之於民,法令素酷,人心易離,及其用之,惟患乎少恩也。
文の恩によって喜ばせ、武の威によって引き締め、恐れと慕いをともに備えるので、戦えば必ず勝ち、攻めれば必ず取る。ある人が問うた。《書》に「威がその愛に勝てば、まことに成る。愛がその威に勝てば、まことに功がない」とあり、威を先にすることを言っている。孫武は愛を先にしたが、どういうことか。答える。《書》の言うところは、仁ある人の兵である。王者は民に対して恩と徳がふだんから厚く、人の心はすでになついているので、これを用いるときには、ただ威が少ないことを憂えるのである。孫武が述べたのは、戦国の兵である。覇者は民に対して法令がふだんから酷く、人の心は離れやすいので、これを用いるときには、ただ恩が少ないことを憂えるのである。
31令はふだんから行われていなければならない
令素行以教其民,則民服;令不素行以教其民,則民不服。
令がふだんから行われているなかでその民を教えれば、民は従う。令がふだんから行われていないなかでその民を教えれば、民は従わない。
注 4
素,舊也。威令舊立,教乃聽服。
「素」はもとからということである。威と令がもとから立っていれば、教えればすぐに聞き従う。
將令素行,其民已信;教而用之,人人聽服。
将の令がふだんから行われていれば、その民はすでに信じているので、教えて用いれば、人ごとに聞き従う。
民不素教,難卒爲用。
民をふだんから教えていなければ、急には用いがたい。
人旣失訓,安得服教?
人がすでに訓えを失っているのに、どうして教えに従うことができようか。
32互いに得ている
令素行者,與衆相得也。
令がふだんから行われているとは、上と下が互いに得ているのである。
注 5
素,先也。言爲將,居常無事之時,須恩信威令先著於人,然後對敵之時,行令立法,人人信伏。韓信曰︰「我非素得拊循士大夫,所謂驅市人而戰也。所以使之背水,令其人人自戰。」以其非素受恩信,威令之從也。
「素」は先ということである。将となって、ふだん事のないときに、恩と信と威ある令がまず人に表れていなければならず、そうしてはじめて敵に向かうときに令を行い法を立てれば、人ごとに信じ伏す、という意味である。韓信は「わたしはもとから士大夫をいたわりなつかせたのではなく、いわゆる市の人を駆り立てて戦うのである。だから水を背にさせて、人ごとにみずから戦わせたのだ」と言った。これは、ふだんから恩と信を受けていたのではなく、威ある令に従わせられなかったからである。
晉文公始入國,教其民二年,欲用之。子犯曰︰「民未知義,未安其居。」此言欲令民不苟其生也。於是出定襄王。此言示以事君之大義,入務利民,民懷生矣。又將用之。子犯曰︰「民未知信,未宣其用。」於是伐原,以示之信。此言在往年伐原,不貪其利,而守其信,民易資者,不求豐焉。此言人無貪詐也,明徵其辭。公曰︰「可矣。」子犯曰︰「民未知禮,未生其恭。」於是大蒐,以示之禮。及戰之時,少長有禮,其可用也。此五者,教人之本也。夫令要在先申,使人聽之不惑;法要在必行,使人守之,無輕信者也。三令五申,示人不惑也。法令簡當,議在必行,然後可以與衆相得也。
晋の文公が初めて国に入り、その民を二年教えてから用いようとした。子犯が「民はまだ義を知らず、その住まいに安んじていません」と言った。これは、民が自分の命をかりそめのものとしないようにしたいという意味である。そこで出て襄王を位に定めた。これは、君に仕える大義を示し、国に入っては民を利することに努めたので、民が生きる心を抱いたという意味である。また用いようとすると、子犯が「民はまだ信を知らず、その用いかたが広まっていません」と言った。そこで原を伐って、民に信を示した。これは、先の年に原を伐ったとき、その利を貪らずその信を守ったので、民が物を取り替えるときにも多くを得ようと求めなかったという意味である。これは人に貪りも偽りもなく、その言葉がはっきりと表れたという意味である。文公が「よろしい」と言うと、子犯が「民はまだ礼を知らず、その恭しさが生じていません」と言った。そこで大きな狩りを行って、礼を示した。戦うときになると、若い者も年長者も礼があり、用いるに足った。この五つが、人を教える本である。そもそも令はまず述べ広めることが要であり、人が聞いて惑わないようにする。法は必ず行うことが要であり、人がこれを守って、軽々しく信じることがないようにする。三たび令し五たび繰り返すのは、人に惑いのないことを示すのである。法令が簡にして当を得、必ず行うと議が定まってはじめて、衆と互いに得ることができる。
信服已久,何事不從?
信じ従うことがすでに久しいのだから、どんな事に従わないことがあろうか。
知此者,始可言其并力勝敵矣。
これを知る者こそ、はじめて力を合わせて敵に勝つことを語れる。
上以信使民,民以信服上,是上下相得也。《尉繚子》曰︰「令之之法,小過無更,小疑無申。」言號令一出,不可反易;自非大過、大疑,則不須更改申明,所以使民信也。諸葛亮與魏軍戰,以寡對衆,卒有當代者,不留而遣之,曰︰「信不可失。」於是人人願留一戰,遂大敗魏兵是也。
上が信によって民を使い、民が信によって上に従う。これが上と下が互いに得ているということである。《尉繚子》に「令を下す法は、小さな過ちは改めず、小さな疑いは繰り返し述べない」とある。これは、号令がひとたび出れば引き返して変えることはできず、大きな過ちや大きな疑いでなければ、わざわざ改めたり繰り返し明かしたりする必要はない、という意味であり、それによって民を信じさせるのである。諸葛亮が魏の軍と戦ったとき、少ない兵で多い兵に当たったが、交代の順になった兵がいると、留めずに帰らせ、「信を失うことはできない」と言った。そこで人ごとに留まって一戦することを願い、ついに魏の兵を大いに破ったのが、それである。