用間 — 間者を用いる用間篇
編の冒頭の注 2
戰者,必用間諜,以知敵之情實也。
戦う者は必ず間諜を用いて、敵の実情を知る。
欲素知敵情者,非間不可也。然用間之道,尤須微密,故次《火攻》也。
1一日に千金、七十万戸が手を止める
孫子曰︰凡興師十萬,出征千里,百姓之費,公家之奉,日費千金;內外騷動,怠於道路,不得操事者七十萬家。
孫子は言う。
およそ兵十万を起こして千里の彼方へ出征すれば、民が費やすものと国家が出すものは、一日に千金である。内も外も騒がしく、道中で疲れ果てて自分の仕事につけない家が七十万戸にのぼる。
注 5
古者,八家爲鄰,一家從軍,七家奉之。言十萬之師舉,不事耕稼者七十萬家。
昔は八戸で隣組をなし、一戸が軍に従えば七戸がこれを支えた。十万の軍を起こせば、耕作のできない家が七十万戸になるという意味である。
古者,發一家之兵,則鄰里三族共資之,是以不得耕作者七十萬家,而資十萬之衆矣。
昔は一戸から兵を出せば、隣里と三族がともにその費えを負担したので、耕作のできない家が七十万戸にもなって、十万の軍勢を支えたのである。
古者,一夫田一頃。夫九頃之地,中心一頃,鑿井樹廬,八家居之,是爲井田。怠,疲也。言七十萬家奉十萬之師,轉輸疲於道路也。
昔は一人が田一頃を耕した。九頃の地のうち中央の一頃に井戸を掘り小屋を建て、八戸がここに住む。これが井田である。「怠」とは疲れることである。七十万戸が十万の軍を支えるために、運送で道中疲れ果てるという意味である。
輸糧供用,公私煩役,疲於道路,廢於耒耜也。曹說是也。
食糧を運び用度を供えるため、公も私も煩わしい役に追われ、道中で疲れ果て、鋤や鍬を手放すのである。曹操の説が正しい。
井田之法︰八家爲鄰,一家從軍,七家奉之。興兵十萬,則輟耕作者七十萬家也。或問曰︰重地則掠,疲於道路而轉輸,何也?曰︰非止運糧,亦供器用也。且兵貴掠敵者,謂深踐敵境,則當備其乏,故須掠以繼食,非專館穀於敵也。亦有磧鹵之地,無糧可因,得不餉乎?
井田の法では、八戸が隣組をなし、一戸が軍に出れば七戸がこれを支える。兵十万を起こせば、耕作をやめる家が七十万戸になる。ある人が問うた。「重地では奪い取るとあるのに、道中で疲れながら運送するのはなぜか。」答えて言う。食糧を運ぶだけでなく、器物や用具も供えるからである。また兵が敵から奪うことを重んじるというのは、敵の領内深く踏み込めばその不足に備えなければならないから、奪って食をつながなければならないという意味で、もっぱら敵の地だけで食べるということではない。また砂と塩気ばかりの地では頼れる食糧がないのだから、運んで食わせないわけにはいくまい。
2官位と俸禄を惜しむこと
相守數年,以爭一日之勝,而愛爵禄百金,不知敵之情者,不仁之至也,非人之將也,非主之佐也,非勝之主也。
何年も互いに持ちこたえながら一日の勝ちを争うというのに、官位や俸禄や百金を惜しんで敵の実情を知らないのは、不仁のきわみである。兵の将ではなく、君主の助けではなく、勝ちの主でもない。
注 10
惜爵賞,不與間諜,令窺敵之動靜,是爲不仁之至也。
官位や賞を惜しんで間者に与えず、敵の動静をうかがわせないこと、これが不仁のきわみである。
言不能以厚利使間也。
厚い利によって間者を使うことができないという意味である。
相守數年,則七十萬家所費多矣;而乃惜爵禄百金之微,不以遺間釣情取勝,是不仁之極也。
何年も互いに持ちこたえれば、七十万戸の費えは多い。それなのに官位や俸禄や百金というわずかなものを惜しみ、間者に与えて実情を釣り寄せて勝ちを取ろうとしないのは、不仁のきわみである。
恡財賞,不用間也。
財や賞を惜しんで、間者を用いないことである。
相持且久,七十萬家財力一困;不知恤此,而反靳惜爵賞之細,不以啗間求索知敵情者,不仁之甚也。
対峙が長く続けば、七十万戸の財力はすっかり窮する。これを気の毒に思うことも知らず、かえって官位や賞のわずかなものを惜しみ、間者を養って敵の実情を探り知ろうとしないのは、不仁のはなはだしいものである。
非將人成功者也。
人を率いて功を成す者ではない。
一本作「非仁之佐」也。
ある本では「仁の助けではない」となっている。
非以仁佐國者也。
仁によって国を助ける者ではない。
非致勝主利者也。
勝ちをもたらして君主を利する者ではない。
不可以將人,不可以佐主,不可以主勝。勤勤而言者,嘆惜之也。
人を率いることができず、君主を助けることができず、勝ちを主導することができない。くり返し言ったのは、惜しんで嘆いたのである。
3先に知ること
故明君賢將,所以動而勝人,成功出於衆者,先知也。
だから賢明な君主と賢い将が、動けば人に勝ち、功を成すことが人並みを超えるのは、先に知るからである。
注 6
爲間也。
間者を用いるからである。
知敵情也。
敵の実情を知ることである。
主不妄動,動必勝人;將不苟功,功必出衆。所以者何也?在預知敵情也。
君主はみだりに動かないから、動けば必ず人に勝つ。将は功をいいかげんに求めないから、功は必ず人並みを超える。その理由は何か。敵の実情をあらかじめ知ることにある。
先知敵情,制勝如神也。
敵の実情を先に知って、勝ちを作り出すことが神のようである。
《周官》「士師掌邦諜」,蓋異國間伺之謂也。故兵家之有四機、二權,曰事機,曰智權,皆善用間諜者也。故能敵人動靜,我預知矣。韋孝寬爲驃騎大將軍,鎮玉壁。孝寬善於撫御,能得人心。所遣間諜入齊者,皆爲盡力;亦有齊人得孝寬金貨,遙通書疏。故齊之動靜,朝廷皆先知之。時有主帥許盆,孝寬委以心膂,令守一戍。盆乃以城東入。孝寬怒,遣諜取之。俄而斬首而還。其能致物情如此。又,李達爲都督義州、弘農等二十一防諸軍事,每厚撫境外之人,使爲間諜,敵中動靜,必先知之。至有事泄被誅戮者,亦不以爲悔,其得人心也如此。
『周官』に「士師が国の間諜をつかさどる」とあるのは、他国をうかがう仕事を言ったものである。だから兵法家に四つの機と二つの権があり、事機といい智権というが、いずれも間諜をよく用いることである。それで敵の動静をこちらがあらかじめ知ることができる。韋孝寛が驃騎大将軍となって玉壁を守った。孝寛は人をよく率いて人心を得た。彼が斉へ送った間者はみな力を尽くし、斉の人の中にも孝寛の金や財を受けて遠くから書を通じる者があった。それで斉の動静を朝廷はみな先に知った。そのころ主帥の許盆という者があり、孝寛は彼を腹心として一つの守りを任せたが、許盆は城を持って東へ寝返った。孝寛は怒って間者を遣わしてこれを捕らえさせ、ほどなく首を斬って帰ってきた。彼が人の心をつかむことはこのようであった。また李達が義州・弘農など二十一の防の諸軍事を任される都督となり、つねに境外の人を厚くいつくしんで間者とし、敵中の動静を必ず先に知った。事が漏れて殺される者があっても悔いとはしなかった。彼が人心を得ることはこのようであった。
先知敵情,故動則勝人,功業卓然,超絶羣衆。
敵の実情を先に知るから、動けば人に勝ち、功業はきわだって人々を大きく超える。
4人から得る
先知者,不可取於鬼神,不可象於事,不可驗於度,必取於人,知敵之情者也。
先に知るとは、鬼神から得られるものではなく、似た事柄になぞらえて分かるものでもなく、計算で測って分かるものでもない。必ず人から得るのであり、敵の実情を知っている人から得るのである。
注 14
視之不見,聽之不聞,不可以禱祀而取。
見ても見えず、聞いても聞こえないのだから、祈りや祭りによって得ることはできない。
不可以禱祀而求,亦不可以事類而求也。
祈りや祭りによって求めることはできず、似た事柄になぞらえて求めることもできない。
不可取於鬼神象類,唯間者能知敵之情。
鬼神や似た事柄から得ることはできず、ただ間者だけが敵の実情を知ることができる。
象者,類也。言不可以他事比類而求。
「象」とは似ていることである。ほかの事柄になぞらえて求めることはできないという意味である。
不可以卜筮知也,不可以象類求也。
占いによって知ることはできず、似た事柄になぞらえて求めることもできない。
不可以事之相類者,擬象而求。
互いに似た事柄になぞらえ、推し量って求めることはできない。
不可以事數度也。
事柄の数で測ることはできない。
度,數也。夫長短、闊狹、遠近、小大,卽可驗之於度數;人之情僞,度不能知也。
「度」とは数である。長短・広狭・遠近・大小は数で測ることができるが、人の真偽は数では知ることができない。
不可以度數驗也,言先知之難也。
数で測ることはできない。先に知ることの難しさを言ったのである。
不可以度數推驗而知。
数で推し測って知ることはできない。
因人也。
人を通して得るのである。
因間人也。
間者を通して得るのである。
鬼神之情,可以卜筮知;形氣之物,可以象類求;天地之理,可以度數驗。唯敵之情,必由間者而後知也。
鬼神のことは占いで知ることができ、形と気のあるものは似た事柄になぞらえて求めることができ、天地の理は数で測ることができる。ただ敵の実情だけは、必ず間者を経てはじめて知ることができる。
鬼神、象類、度數,皆不可以求,先知必因人而後知敵情也。
鬼神も、似た事柄も、数も、どれも求める手だてにはならないのだから、先に知るとは、必ず人を通してはじめて敵の実情を知ることである。
5五種の間者
故用間有五︰有因間,有內間,有反間,有死間,有生間。
だから間者の用い方には五つある。因間、内間、反間、死間、生間である。
注 2
五間之名也。
五つの間者の名である。
此五間之名。「因間」當爲「鄉間」,故下文云「鄉間可得而使」。
これが五つの間者の名である。「因間」は「郷間」とするのが正しい。後の文に「郷間は得て使うことができる」とあるからである。
6五種がともに働く
五間俱起,莫知其道,是謂神紀,人君之寶也。
五種の間者がともに働いても、だれもその仕組みを知らない。これを神妙な綱といい、君主の宝である。
注 7
同時任用五間也。
五つの間者を同時に用いるのである。
五間者,因五人用之。
五つの間者とは、五種の人を通して用いることである。
五間俱起者,敵人不知其情泄形露之道,乃神鬼之綱紀,人君之重寶也。
五種の間者がともに働けば、敵は自分の実情が漏れ形が現れる道筋を知らない。まさに鬼神のような綱であり、君主の重い宝である。
五間俱起以間敵,而莫知我用之之道,是曰神妙之綱紀,人君之所貴也。
五種の間者がともに働いて敵をうかがっても、こちらの用い方をだれも知らない。これを神妙な綱といい、君主が貴ぶものである。
五間俱起,人不之測,是用兵神妙之大紀,人主之重寶也。
五種の間者がともに働けば、人には測れない。これが兵を用いる神妙な大綱であり、君主の重い宝である。
紀,理也。言敵人但莫知我以何道,如通神理也。
「紀」とは理である。敵はただこちらがどの道によっているのかを知ることができず、神の理に通じているかのようだという意味である。
五間循環而用,人莫能測其理,茲乃神妙之綱紀,人君之重寶也。
五種の間者を順々に回して用いれば、人はその理を測ることができない。これこそ神妙な綱であり、君主の重い宝である。
7郷間
因間者,因其鄉人而用之。
郷間とは、その土地の人を通して用いるものである。
注 6
因敵鄉國之人而厚撫之,使爲間也。晉豫州刺史祖逖之鎮雍丘,愛人下士,雖踈交賤隸,皆恩禮而遇之。河上堡因先有任子在胡者,皆聽兩屬;時遣游軍僞抄之,明其未附。諸塢主感戴,胡有異圖,輒密以聞,前後剋獲,蓋由於此。西魏韋孝寬使齊人斬許盆而來,猶其義也。
敵の土地の人を厚くいつくしんで間者とするのである。晋の豫州刺史の祖逖が雍丘を守ったとき、人を愛し士に身を低くして、交わりの薄い者や身分の低い召使いにまで、みな恩と礼をもって接した。黄河のほとりの砦には以前から子を人質として胡に送っていた者がおり、どちらにも属することを許してやった。ときには遊軍を遣わして彼らを襲うふりをさせ、まだこちらに属していないように見せてやった。諸々の砦の主は感謝して慕い、胡に異なる企てがあればすぐひそかに知らせてきた。前後に勝ちを得たのは、みなこれによる。西魏の韋孝寛が斉の人を使って許盆を斬らせたのも、同じ意味である。
讀「因間」爲「鄉間」。
「因間」を「郷間」と読む。
因敵鄉人知敵表裏虛實之情,故就而用之,可使伺候也。
敵の土地の人は敵の内外や虚実の実情を知っているので、近づいてこれを用い、うかがわせることができる。
因其國人,利而使之。
その国の人を通して、利によってこれを使う。
如春秋時,楚師伐宋,九月不服,將去宋,楚大夫申叔時曰︰「築室反耕者,宋必聽命。」楚子從之。宋人懼,使華元夜入楚師,登子反之牀,起之曰︰「寡君使元以病告,曰︰弊邑易子而食,析骸而爨;雖然,城下之盟有以國斃,不能從也。去我三十里,唯命是聽。」子反懼,與之盟,而告楚子,退三十里,宋及楚平。
春秋のとき、楚の軍が宋を攻めて九か月たっても降伏しないので、宋から引き揚げようとした。楚の大夫の申叔時が「小屋を建て、兵を耕作に戻すようにすれば、宋は必ず命に従います」と言ったので、楚子はそのとおりにした。宋の人は恐れ、華元を夜のうちに楚の陣中へ入れた。華元は子反の寝床に上がって彼を起こし、「わが君は私を遣わして苦しみを告げさせました。わが町では子を取り替えて食い、骨を割って炊いています。それでも、城下で結ぶ盟いは、国が滅びようとも従うことはできません。わたしどもから三十里退いてくだされば、ただ命に従います」と言った。子反は恐れて彼と盟いを結び、楚子に告げて三十里退いたので、宋と楚は和平した。
因敵國人知其底裏,就而用之,可使伺候也。韋孝寬以金帛啗齊人,而齊人遙通書疏是也。
敵国の人はその内情を知っているので、近づいてこれを用い、うかがわせることができる。韋孝寛が金や絹で斉の人を養い、斉の人が遠くから書を通じたのがそれである。
8内間
內間者,因其官人而用之。
内間とは、敵の官吏を通して用いるものである。
注 6
因敵人失職之官,魏用許攸也。
敵の官職を失った役人を通すのであり、魏が許攸を用いたのがそれである。
敵之官人,有賢而失職者,有過而被刑者,亦有寵嬖而貪財者,有屈在下位者,有不得任使者,有欲因敗喪以求展己之材能者,有翻覆變詐、常持兩端之心者。如此之官,皆可以潛通問遺,厚貺金帛而結之,因求其國中之情,察其謀我之事,復間其君臣,使不和同也。
敵の官吏のうちには、賢いのに職を失った者、過ちで罰を受けた者、寵愛されながら財を貪る者、低い地位に屈している者、仕事を任されない者、国が崩れる機に乗じて自分の才能を広げようとする者、裏返り欺きつねに二心を抱く者がある。このような官吏にはみな、ひそかに文を通じ贈り物を送り、金や絹を厚く与えて結ぶことができる。それによってその国内の実情を得、こちらを謀る動きを察し、さらにその君臣の間を裂いて和合させないようにする。
因在其官失職者,若刑戮之子孫與受罰之家也,因其有隙,就而用之。
その官職にあって職を失った者、たとえば殺された者の子孫や罰を受けた家を通すのであり、その隙があることに乗じて、近づいて用いる。
因其官屬,結而用之。
その官吏の仲間を通して、結んで用いる。
如益州牧羅尚遣將隗伯攻蜀賊李雄於郫城,互有勝負。雄乃募武都人朴泰,鞭之見血,使譎羅尚,欲爲內應,以火爲期。尚信之,悉出精兵,遣隗伯等率兵從泰擊雄。雄將李驤於道設伏,泰以長梯倚城而舉火。伯軍見火起,而爭緣梯,泰又以繩汲上尚軍百餘人,皆斬之。雄因放兵,內外擊之,大破尚軍。此用內間之勢也。又,隋陰壽爲幽州總管,高寶寧舉兵反,壽討之。寶寧奔於磧北。壽班師,留開府成道昂鎮之。寶寧遣其子僧伽率輕騎掠城下而去,尋引契丹、靺鞨之衆來攻。道昂苦戰連月,乃退。壽患之,於是重購寶寧,又遣人陰間其所親任者趙世模、王威等。月餘,世模率其衆降。寶寧復走契丹,爲其麾下趙修羅所殺,北邊遂安。又,唐太宗討竇建德,入武牢,進薄其營,多所傷殺。凌敬進說曰︰「宜悉兵濟河,攻取懷州河陽,使重將居守;更率衆鳴鼓建旗,踰太行,入上黨,先聲後實,傳檄而定;漸趨壺口,稍駭蒲津,收河東之地,此策之上也。行必有三利︰一則入無人之境,師有萬全;二則拓土得兵;三則鄭圍自解。」建德將從之,王世充之使長孫安世陰齎金玉,啗其諸將,以亂其謀。衆咸進諫曰︰「凌敬書生耳,豈可與言戰乎?」建德從之,退而謝敬曰︰「今衆心甚銳,此天贊我矣!因此決戰,必然大捷,已依衆議,不得從公言也。」敬固爭,建德怒,扶出焉。於是悉衆進逼武牢。太宗按甲,挫其銳,建德中槍,竄於牛口渚,車騎將軍白士讓、楊武威生獲之。又,王翦爲秦將攻趙,趙使李牧、司馬尚禦之。李牧數破走秦軍,殺秦將桓齮。翦惡之,乃多與趙王寵臣郭開等金,使爲反間,曰︰「李牧、司馬尚欲與秦反趙,以多取封於秦。」趙王疑之,使趙葱及顔聚代將,斬李牧,廢司馬尚。後三月,翦因急擊趙,大破,殺趙葱,虜趙王遷及其將顔聚也。
益州牧の羅尚が将の隗伯を遣わして蜀の賊の李雄を郫城で攻め、互いに勝ち負けがあった。李雄はそこで武都の人の朴泰を雇い、鞭打って血を見せたうえで羅尚をだまさせ、内から応じるように見せかけ、火を合図とすることにした。羅尚は信じて精兵をすべて出し、隗伯らに兵を率いて朴泰に従い李雄を攻めさせた。李雄の将の李驤が道に伏兵を置き、朴泰は長い梯子を城に掛けて火を挙げた。隗伯の軍は火が起こるのを見て争って梯子を登ったが、朴泰はさらに縄で羅尚の軍百余人を引き上げ、みな斬った。李雄はそこで兵を放ち、内と外から撃って、羅尚の軍を大いに破った。これが内間を用いた形勢である。また、隋の陰寿が幽州総管となったとき、高宝寧が兵を挙げて反いたので、陰寿がこれを討った。宝寧が砂漠の北へ逃げたので陰寿は軍を返し、開府の成道昂を残して守らせた。宝寧はその子の僧伽を遣わし、身軽な騎兵を率いて城下を荒らして去らせ、ついで契丹・靺鞨の軍勢を引き入れて攻めて来た。道昂が月を重ねて苦しく戦うと、彼らは退いた。陰寿はこれを憂え、そこで宝寧に重い賞金を懸け、さらに人を遣わして彼が親しく信任していた趙世模・王威らの間をひそかに裂いた。一月あまりで世模はその軍勢を率いて降った。宝寧はまた契丹へ走ったが、手下の趙修羅に殺され、北の辺境はついに安らかになった。また、唐の太宗が竇建徳を討ったとき、武牢に入ってその陣営に迫り、多くを傷つけ殺した。凌敬が進み出て説いた。「兵をすべて挙げて黄河を渡り、懐州と河陽を攻め取って重い将を置いて守らせるべきです。さらに軍勢を率いて太鼓を鳴らし旗を立て、太行を越えて上党に入り、まず声を上げて実を後にすれば、檄文を回すだけで定まります。次第に壺口へ進み、少しずつ蒲津を驚かせて河東の地を収めるのが、最上の策です。そうすれば必ず三つの利があります。一つは人のいない地に入るので軍が万全であること、二つは土地を広げ兵を得ること、三つは鄭の囲みがおのずと解けることです。」建徳は従おうとしたが、王世充の使いの長孫安世がひそかに金や玉を持ってきてその諸将を養い、その謀りごとを乱した。一同はみな進んで諫め、「凌敬は書生にすぎません。どうして彼と戦いを論じられましょう」と言った。建徳はその言に従い、退いて凌敬に謝して言った。「いま人々の心はたいへん鋭い。これは天が私を助けるのだ。これによって決戦すれば必ず大勝する。すでに衆議に従ったので、あなたの言には従えない。」凌敬がなお強く争ったので、建徳は怒って彼を抱え出させた。そこで全軍を挙げて武牢に迫った。太宗は兵を静めてその鋭さを挫き、建徳は槍に当たって牛口渚に隠れ、車騎将軍の白士譲と楊武威が彼を生け捕りにした。また、王翦が秦の将となって趙を攻めると、趙は李牧と司馬尚にこれを防がせた。李牧は何度も秦の軍を破って追い、秦の将の桓齮を殺した。王翦はこれを憎み、趙王の寵臣の郭開らに多くの金を与えて反間とし、「李牧と司馬尚は秦とともに趙を裏切り、秦から大きな封地を得ようとしている」と言わせた。趙王は彼らを疑い、趙葱と顔聚を将に代え、李牧を斬り、司馬尚を退けた。三か月後、王翦はこれに乗じて趙を急襲し、大いに破って趙葱を殺し、趙王の遷とその将の顔聚を捕らえた。
因其失意之官,或刑戮之子弟,凡有隙者,厚利使之。晉任析公,吳納子胥,皆近之。
意を失った官吏や、殺された者の子弟のように、およそ隙のある者を厚い利によって使う。晋が析公を任用し、呉が子胥を受け入れたのが、みなこれに近い。
9反間
反間者,因其敵間而用之。
反間とは、敵の間者を通して用いるものである。
注 6
敵有間來窺我得失,我厚賂之,而令反爲我間也。
敵の間者が来てこちらの得失をうかがえば、こちらは厚く賄賂を与えて、返ってこちらの間者にさせるのである。
敵有間來窺我,我必先知之,或厚賂誘之,反爲我用,或佯爲不覺,示以僞情而縱之,則敵人之間反爲我用也。陳平初爲漢王護軍尉,項羽圍於滎陽城,漢王患之,請割滎陽以西和,項王弗聽。平曰︰「顧楚有可亂者,彼項王骨鯁之臣亞父、鍾離昩、龍且、周殷之屬,不過數人耳。大王能出捐數萬斤金,行反間間其君臣,以疑其心;項王爲人意忌信讒,必內相誅。漢因舉兵而攻之,破楚必矣。」漢王以爲然,乃出黃金四萬斤與平,恣所爲,不問出入。平旣多以金縱反間於楚軍,宣言︰諸將鍾離昧等爲項王將,功多矣,然終不得列地而王,欲與漢爲一,以滅項氏,分王其地。項王果疑之,使使至漢。漢爲太牢之具,舉進,見楚使,卽陽驚曰︰「吾以爲亞父使,乃項王使也!」復持去,以惡草具進楚使。使歸,具以報,項王果大疑亞父。亞父欲急擊下滎陽城,項王不信,不肯聽亞父。亞父聞項王疑之,乃大怒,疽發而死。卒用陳平之計滅楚也。
敵の間者が来てこちらをうかがえば、こちらは必ず先にそれを知って、厚く賄賂を与えて誘い、返ってこちらのために用いるか、あるいは気づかないふりをして偽りの実情を見せて帰してやる。そうすれば敵の間者が返ってこちらのために用いられることになる。陳平がはじめ漢王の護軍尉となったとき、項羽が滎陽城を囲んだ。漢王はこれを憂え、滎陽から西を割いて和を請うたが、項王は聞かなかった。陳平が言った。「楚には乱せるところがあります。あの項王の骨のある臣は亜父・鍾離昧・龍且・周殷の類で、数人にすぎません。大王が金数万斤を出して反間を行い、その君臣の間を裂いて心を疑わせれば、項王は人柄として人を忌み、そしり言を信じますから、必ず内で互いに殺し合います。漢がそのとき兵を挙げて攻めれば、楚を破るのは間違いありません。」漢王はそのとおりだと思い、黄金四万斤を出して陳平に与え、思うままに任せて出し入れを問わなかった。陳平は多くの金を使って楚の軍中に反間を放ち、諸将の鍾離昧らは項王の将として功が多いのに、ついに土地を分け与えられて王となれないので、漢と一つになって項氏を滅ぼし、その地を分けて王になろうとしていると言い広めた。項王ははたして彼らを疑い、使者を漢に遣わした。漢は盛大な宴の膳を整えて運び入れたが、楚の使者を見るとわざと驚いて「私は亜父の使者と思っていたのに、項王の使者だったか」と言い、膳を持ち去って、粗末な食事で楚の使者をもてなした。使者が帰ってすべてを報告すると、項王ははたして亜父を大いに疑った。亜父は急いで滎陽城を攻め落とそうとしたが、項王は信じず、亜父の言を聞こうとしなかった。亜父は項王が自分を疑っていると聞いて大いに怒り、悪性の腫れものが出て死んだ。ついに陳平の計を用いて楚を滅ぼしたのである。
或以僞事紿之,或以厚利啗之。
偽りの事でだますこともあり、厚い利で養うこともある。
反間,反爲我間也。或留之使言其情,又或示以詭形而遣之。
反間とは、返ってこちらの間者にさせることである。彼を留めて実情を言わせることもあり、偽りの姿を見せて帰すこともある。
如燕昭王以樂毅爲將,破齊七十餘城。及惠王立,與樂毅有隙。齊將田單乃縱反間於燕,宣言曰︰「齊王已死,城之不拔者二耳。樂毅畏誅而不敢歸,以伐齊爲名,實欲連兵南面而王齊;齊人未附,故且緩卽墨以待其事。齊人所懼,唯恐他將之來,卽墨殘矣!」燕王以爲然,使騎刼代樂毅。燕人士卒離心。單又縱反間曰︰「吾懼燕人掘吾城外冢墓,戮辱先人。」燕軍從之。卽墨人激怒,請戰,大破燕師,所亡七十餘城,悉復之。又,秦師圍趙閼與,趙將趙奢救之,去趙國都三十里不進。秦間來,奢善食遣之。間以報秦將,以爲奢師怯弱而止不行。奢隨而卷甲趨秦師,擊破之。又,范睢爲秦昭王相,使左庶長王齕攻韓,取上黨。上黨民走趙。趙軍長平。齕因攻趙,趙使廉頗將。廉頗堅壁以待秦。秦數挑戰,趙兵不出。趙王數以爲讓。而睢使人行千金於趙,爲反間曰︰「秦之所惡,獨畏趙括耳,廉頗軍易與,且降矣。」趙王旣怒廉頗軍多亡失數敗,又反堅壁不戰,又聞秦反間之言,因使括代頗。秦聞括將,以自起爲上將軍,射殺括及坑降卒四十萬。
燕の昭王が楽毅を将として斉の城七十余りを破った。恵王が立つと、楽毅との間に隙ができた。斉の将の田単はそこで燕に反間を放ち、「斉王はすでに死んで、落ちていない城は二つだけだ。楽毅は殺されるのを恐れて帰ることができず、斉を攻めるという名目を掲げているだけで、実は兵をつないで南に向かい斉の王になろうとしている。斉の人がまだ従っていないから、即墨を緩めておいてその時を待っているのだ。斉の人が恐れているのは、ただ他の将が来て即墨が滅びることだけだ」と言い広めた。燕王はそのとおりだと思い、騎劫を楽毅と代えた。燕の兵士の心は離れた。田単はまた反間を放ち、「われわれは燕の人がわが城の外の墓を掘って先祖を辱めることを恐れる」と言わせた。燕の軍がそのとおりにしたので、即墨の人々は激しく怒って戦いを願い、燕の軍を大いに破り、失った七十余りの城をすべて取り返した。また、秦の軍が趙の閼与を囲むと、趙の将の趙奢が救いに向かったが、趙の都から三十里のところで進まなかった。秦の間者が来ると、趙奢はよく食わせて帰した。間者が秦の将に報告し、趙奢の軍は怯えて弱く、止まって動かないと言った。趙奢はそのあとで鎧を巻いて秦の軍へ駆け、撃ち破った。また、范睢が秦の昭王の相となり、左庶長の王齕に韓を攻めさせて上党を取った。上党の民は趙へ走り、趙は長平に軍を置いた。王齕はそのまま趙を攻め、趙は廉頗を将とした。廉頗は塁を固く守って秦を待った。秦は何度も戦いを挑んだが、趙の兵は出なかった。趙王は何度もこれを責めた。そこで范睢は人を遣わして趙に千金をばらまき、反間として「秦が嫌い、ただ恐れているのは趙括だけだ。廉頗の軍は相手にしやすく、もう降るだろう」と言わせた。趙王はもともと廉頗の軍が多くを失い何度も敗れながら、かえって塁を固く守って戦わないことに怒っていたうえ、秦の反間の言を聞いて、趙括を廉頗と代えた。秦は趙括が将になったと聞いて白起を上将軍とし、趙括を射殺して降った兵四十万を生き埋めにした。
敵有間來,或重賂厚禮以結之,告以僞辭;或佯爲不知,踈而慢之,示以虛事,使之歸報,則反爲我利也。趙奢善食秦間,漢軍佯驚楚使是也。
敵の間者が来たら、重い賄賂と厚い礼で結んで偽りの言葉を教えることもあり、知らないふりをして遠ざけ、ぞんざいに扱い、中身のない事を見せて帰って報告させることもある。そうすれば返ってこちらの利になる。趙奢が秦の間者をよく食わせたこと、漢の軍が楚の使者を見てわざと驚いたことが、それである。
10死間
死間者,爲誑事於外,令吾間知之,而傳於敵間也。
死間とは、外で偽りの事をつくり、こちらの間者にそれを知らせて、彼が敵の間者に伝えるようにするものである。
注 7
情詐僞,不足信,吾知之,令吾動此間而待之。此筌以「待」字爲非「傳」也。
実情が偽りで信ずるに足りないことをこちらが知っていて、こちらの間者を動かして待たせるのである。これは李筌が「待」と読んで「伝」ではないとしたものである。
誑者,詐也。言吾間在敵,未知事情,我則詐立事跡,令吾間憑其詐迹,以輸誠於敵,而得敵信也。若我進取,與詐跡不同,間者不能脫,則爲敵所殺,故曰死間也。漢王使酈生說齊,下之;齊罷守備,韓信因而襲之;田橫怒,烹酈生。此事相近。
「誑」とは欺くことである。こちらの間者が敵にいて事の実情を知らないとき、こちらが偽って事の跡をつくり、こちらの間者がその偽りの跡に拠って敵に誠を尽くし、敵の信を得るようにするという意味である。こちらが進んで取る動きがその偽りの跡と違っていれば、間者は逃れることができず敵に殺されるから、死間というのである。漢王が酈生を遣わして斉を説いて降らせると、斉は守りの備えを解き、韓信がその隙に襲った。田横は怒って酈生を煮殺した。この事がそれに近い。
作誑詐之事於外,佯漏泄之,使吾間知之。吾間至敵中,爲敵所得,必以誑事輸敵,敵從而備之。吾所行不然,間則死矣。又云︰敵間來,聞我誑事以持歸,然皆非所圖也。二間皆不能知幽隱深密,故曰死間也。蕭世誠曰︰「所獲敵人及己叛亡軍士有重罪繫者,故爲貸免,相勑勿泄,佯不祕密,令敵間竊聞之。吾因縱之使亡,亡必歸,敵必信焉,往必死,故曰死間。」
偽りの事を外でつくり、わざと漏らして、こちらの間者に知らせる。こちらの間者が敵中に至って敵に捕らえられれば、必ずその偽りの事を敵に差し出し、敵はそれに従って備える。こちらの動きがそれと違えば、間者は死ぬ。またこうも言う。敵の間者が来てこちらの偽りの事を聞いて持ち帰るが、どれもこちらの本当の企てではない。二つの間者はどちらも深く隠された奥底を知ることができないから、死間というのである。蕭世誠は「捕らえた敵の者や、こちらから背いて逃げ重い罪で捕らわれている兵士を、わざと罪を許してやり、互いに漏らすなと戒めながら、秘密にしていないふりをして敵の間者にこっそり聞かせる。こちらが彼を放って逃げさせれば、逃げて必ず帰り、敵は必ず信じるので、行けば必ず死ぬ。だから死間という」と言った。
以誑告敵,事乖必殺。
偽りを敵に告げるので、事が食い違えば必ず殺される。
詐吾間,使敵得之;間以吾詐告敵,事決,必殺之也。
こちらの間者を欺いて、敵が彼を手に入れるようにする。間者がこちらの偽りを敵に告げ、事が決すれば、敵は必ず彼を殺す。
如戰國鄭武公欲伐胡,先以其子妻胡,因問羣臣曰︰「吾欲用兵,誰可伐者?」大夫關期思曰︰「胡可。」武公怒而戮之,曰︰「胡,兄弟之國;子言伐之,何也?」胡君聞之,以鄭爲親己,不備。鄭襲而取之。此用死間之勢也。又,班超發于闐諸國兵擊莎車、龜茲二國,揚言兵少不敵,罷散。乃陰緩生口,歸以告。龜茲王喜而不虞。超卽潛勒兵,馳赴莎車,大破降之。斯亦同死間之勢。又,李靖伐突厥頡利可汗,以唐儉先在突厥結和親,突厥不備,靖因掩擊,破之。
戦国のとき鄭の武公が胡を攻めようとして、まず自分の子を胡に嫁がせ、ついで群臣に「私は兵を用いたいが、だれを攻めるべきか」と問うた。大夫の関期思が「胡を攻めるべきです」と言うと、武公は怒って彼を殺し、「胡は兄弟の国だ。おまえがこれを攻めよと言うのは、どういうことか」と言った。胡の君はこれを聞き、鄭は自分に親しいと思って備えをしなかった。鄭は襲ってこれを取った。これが死間を用いた形勢である。また、班超が于闐など諸国の兵を出して莎車と亀茲の二国を攻めたとき、兵が少なくて敵しがたいと言い立てて、解散させた。そのうえでひそかに捕虜の見張りを緩めたので、彼は帰ってそのとおりに告げた。亀茲王は喜んで警戒しなかった。班超はただちにひそかに兵を率いて莎車へ駆け、大いに破って降らせた。これも死間の形勢と同じである。また、李靖が突厥の頡利可汗を攻めたとき、唐倹が先に突厥へ行って和親を結んでおいたので、突厥は備えをせず、李靖はその隙に不意に撃って破った。
欲使敵人殺其賢能,乃令死士持虛僞以赴之;吾間至敵,爲彼所得,彼以誑事爲實,必俱殺之。我朝曹太尉嘗貸人死,使僞爲僧,吞蠟彈入西夏。至,則爲其所囚。僧以彈告,卽下之。開讀,乃所遺彼謀臣書也。戎主怒,誅其臣,并殺間僧。此其義也。然死間之事非一,或使吾間詣敵約和,我反伐之,則間者立死。酈生烹於齊王,唐儉殺於突厥是也。
敵に自分の賢く有能な者を殺させようとするなら、死を覚悟した者に偽りのものを持たせて行かせる。こちらの間者が敵に至って彼らに捕らえられれば、彼らは偽りの事を本当だと思って、必ず二人ともに殺す。わが朝の曹太尉は、あるとき死罪の者を助命して僧に偽装させ、蝋の玉を飲み込ませて西夏に入れた。着くと彼らに捕らえられた。僧が蝋の玉のことを告げたので、ただちに下させた。開いて読むと、あちらの謀臣に送った書であった。戎の主は怒ってその臣を殺し、間者の僧まで殺した。これがその意味である。ただし死間の事は一つではない。こちらの間者を敵に遣わして和を約束させ、こちらが返って攻めれば、間者はその場で死ぬ。酈生が斉王に煮られ、唐倹が突厥で殺されたのがそれである。
11生間
生間者,反報也。
生間とは、戻って報告する者である。
注 7
往來之使。
行き来する使者である。
往來相通報也。生間者,必取內明外愚、形劣心壯,趫捷勁勇,閑於鄙事,能忍飢寒垢耻者爲之。
行き来して互いに知らせることである。生間には、必ず内は明るく外は愚かに見え、姿は見栄えがしないが心は強く、身軽で力強く、こまごました事に慣れ、飢えと寒さと汚れと恥を忍べる者を選んであてる。
身則公行,心乃私覘,往反報復,常無所害,故曰生間。
身は表立って行き、心ではひそかにうかがい、行き来してくり返し報告しながら、つねに害を受けない。だから生間という。
擇己有賢材智謀,能自開通於敵之親貴,察其動靜,知其事計,彼所爲已知其實,還以報我,故曰生間。
こちらの側で賢い才と知謀のある者を選び、自分で敵の親しく貴い者に通じられるようにして、その動静を察し、その事と計を知らせる。あちらのすることの実情をすべて知って、帰ってこちらに報告するから、生間という。
使智辨者往覘其情,而以歸報也。
知恵があり弁の立つ者を遣わしてその実情をうかがわせ、帰って報告させる。
如華元登子反之牀而歸。又如隋達奚武爲東秦刺史時,齊神武趣沙苑,太祖遣武覘之。武從三騎,皆衣敵人衣服,至日暮,去營數百步,下馬潛聽,得其軍號。因上馬歷營,若警夜者;有不如法者,往往撻之。具知敵之情狀,以告太祖,太祖深嘉焉,遂破之。
華元が子反の寝床に上がって帰ったのがそれである。また、隋の達奚武が東秦の刺史であったとき、斉の神武が沙苑へ向かったので、太祖は達奚武を遣わしてうかがわせた。達奚武は騎兵三人を連れ、みな敵の衣服を着て、日が暮れると陣営から数百歩のところまで行き、馬を降りてひそかに聞き、その軍の合い言葉を手に入れた。そのまま馬に乗って陣営を巡り、夜の警備をする者のようにふるまい、きまりどおりにしていない者があれば、ときおり打ちさえした。敵の様子をすべて知って太祖に告げたので、太祖は深く喜び、ついにこれを破った。
選智能之士,往視敵情,歸以報我。若婁敬知匈奴之強,以告高祖之類。然生間之事亦衆,或己欲退,告敵以戰;或己欲戰,告敵以退。若秦行人夜戒晉師曰︰「來日請相見。」臾駢曰︰「使者目動而言肆,懼我也。」秦果夜遁。又,呂延攻乞伏乾歸,大敗之。乾歸乃遣間稱東奔成紀。延信而追之。耿稚曰︰「告者視高而色動,必有姦計。」延不從,遂爲所敗是也。
知恵と才のある士を選び、行って敵の実情を見て帰り、こちらに報告させる。婁敬が匈奴の強さを知って高祖に告げた類がそれである。ただし生間の事もさまざまである。こちらが退こうとしながら敵には戦うと告げることもあり、こちらが戦おうとしながら敵には退くと告げることもある。秦の使者が夜に晋の軍に「明日お目にかかりたい」と言い置いたとき、臾駢は「使者の目が揺れ言葉が放縦だ。われわれを恐れているのだ」と言い、秦ははたして夜のうちに逃げた。また、呂延が乞伏乾帰を攻めて大いに破った。乾帰はそこで間者を遣わし、東の成紀へ逃げると言わせた。呂延は信じてこれを追った。耿稚が「告げに来た者は目を高く上げ顔色が揺れている。必ず奸計がある」と言ったが、呂延は従わず、ついに敗れた。
12間者より親しい者はない
故三軍之事,莫親於間,賞莫厚於間,事莫密於間。
だから三軍の事において、間者より親しい者はなく、賞は間者に与えるものより厚いものはなく、事は間者の事より密なものはない。
注 14
受辭指蹤,在於卧內。
言葉を受け、動く先を指示されるのが、寝所の内で行われる。
若不親撫,重以禄賞,則反爲敵用,洩我情實。
親しくいつくしみ、俸禄や賞を重くしなければ、返って敵に用いられ、こちらの実情を漏らす。
入幄受詞,最爲親近。
幕の中に入って言葉を受けるのだから、最も親しく近い。
以腹心親結之。
腹心として親しく結ぶ。
三軍之士,然皆親撫,獨於間者以腹心相委,是最爲親密也。
三軍の兵はみな親しくいつくしむものだが、間者にだけは腹の内を互いに預けるので、最も親しく密である。
以重賞賞之,而賴其用。
重い賞を与えて、その働きに頼る。
爵禄金帛,我無愛焉。
官位・俸禄・金・絹を、こちらは惜しまない。
軍功之賞,莫厚於此。
軍功に与える賞も、これより厚いものはない。
非高爵厚利,不能使間。陳平曰︰「願出黃金四十萬斤,間楚君臣。」
高い官位と厚い利でなければ、間者を使うことはできない。陳平は「黄金四十万斤を出して、楚の君臣の間を裂きたい」と言った。
出口入耳也。「密」一作「審」。
口から出て耳に入るだけである。「密」はある本では「審」となっている。
間事不密,則爲己害。
間者の事が密でなければ、自分の害となる。
幾事不密,則害成。
事の兆しが密でなければ、害が生じる。
獨將與謀。
将だけがともに謀る。
惟將與間得聞其事,非密與?
将と間者だけがその事を聞くのだから、密ではないか。
13聖人の知があってこそ用いる
非聖智不能用間,非仁義不能使間,非微妙不能得間之實。
聖人の知でなければ間者を用いることができず、仁義でなければ間者を使うことができず、細やかで微妙でなければ間者がもたらすものの真実をつかむことができない。
注 14
先量間者之性,誠實多智,然後可用之。厚貌深情,險於山川,非聖人莫能知。
まず間者の性質を量り、誠実で知恵が多いと見てはじめて用いることができる。顔つきを厚く飾り内心を深く隠すのは山川よりも険しく、聖人でなければ知ることはできない。
知其情僞,辨其邪正,則能用。
その実情と偽りを知り、その邪と正を見分ければ、用いることができる。
聖通而先識,智明於事。
聖とは通じて先に知ることであり、智とは事に明らかなことである。
聖,則事無不通;智,則洞照幾先,然後能爲間事。或曰︰聖智則能知人。
聖であれば事に通じないことがなく、智であれば兆しを先に見通すので、そのうえで間者の事を行うことができる。ある人は、聖智であれば人を見分けられるのだと言う。
仁者有恩以及人,義者得宜而制事。主將者,旣能仁結而義使,則間者盡心而覘察,樂爲我用也。
仁のある者は恩があって人に及び、義のある者は適切さを得て事を処理する。主将が仁によって結び義によって使えば、間者は心を尽くしてうかがい察し、こちらに用いられることを喜ぶ。
太公曰︰「仁義著,則賢者歸之。」賢者歸之,則其間可用也。
太公は「仁義が明らかであれば、賢者が帰してくる」と言った。賢者が帰してくれば、その間者を用いることができる。
撫之以仁,示之以義,則能使。
仁によっていつくしみ、義を示せば、使うことができる。
仁結其心,義激其節;仁義使人,有何不可?
仁によってその心を結び、義によってその節を励ます。仁義で人を使うのに、何ができないことがあろうか。
仁則不愛爵賞,義則果決無疑。旣啗以厚利,又待以至誠,則間者竭力。
仁であれば官位や賞を惜しまず、義であれば思い切って決め、疑いがない。厚い利で養い、そのうえ至誠で接すれば、間者は力を尽くす。
間亦有利於財寶,不得敵之實情,但將虛辭以赴我約,此須用心淵妙,乃能酌其情僞虛實也。
間者のうちにも、財宝に目がくらんで敵の真の実情は得ず、ただ中身のない言葉を持ってきてこちらの約束に合わせようとする者がある。これには心の働かせ方が深く微妙でなければ、その真偽と虚実を見極めることはできない。
用意密而不漏。
心の働かせ方が密で、漏れないことである。
防間反爲敵所使,思慮故宜幾微臻妙。
間者が返って敵に使われることを防がなければならないから、思慮は当然、兆しに届き微妙さに至るべきである。
謂間者必性識微妙,乃能得所間之事實。
間者は必ず性質と見識が細やかで微妙でなければ、うかがった事の真実を得られないという意味である。
間以利害來告,須用心淵微精妙,乃能察其真僞。
間者が利害を告げに来たとき、心の働かせ方が深く細かく精妙でなければ、その真偽を見分けることはできない。
14微妙にして、また微妙
微哉微哉,無所不用間也!
微妙にして、また微妙である。間者を用いない所はない。
注 4
言每事皆須先知也。
事ごとにすべて先に知らなければならないという意味である。
微之又微,則何所不知?
微妙のうえにさらに微妙であれば、知りえないことが何があろうか。
丁寧之,當事事知敵之情也。
くり返し念を押したのである。事ごとに敵の実情を知るべきである。
密之又密,則事無巨細,皆先知也。
密のうえにさらに密であれば、事の大小を問わず、すべて先に知ることになる。
15漏れればともに死ぬ
間事未發而先聞者,間與所告者皆死。
間者の事がまだ現れないうちに先に耳に入ったなら、その間者と、それを告げた者とを、ともに殺す。
注 5
告者非誘間者,則不得知間者之情,殺之可也。
告げた者が間者を誘い出した者でなかったなら、間者の事情を知りえなかったはずだから、殺すのが正しい。
間者未發其事,有人來告,其聞者、所告者亦與間者俱殺以滅口,無令敵人知之。
間者がまだその事を現さないのに、告げに来る者があれば、聞いた者と告げた者も間者とともにみな殺して口を封じ、敵に知られないようにする。
殺間者,惡其泄;殺告者,滅其言。
間者を殺すのは漏らしたことを憎むからであり、告げた者を殺すのはその言葉を消すためである。
兵謀大事,泄者當誅;告人亦殺,恐傳諸衆。
兵の謀りごとは大事だから、漏らした者は斬るべきである。告げた人も殺すのは、人々に伝わるのを恐れるからである。
間敵之事,謀定而未發,忽有聞者來告,必與間俱殺之,一惡其泄,一滅其口。秦已間趙不用廉頗,秦乃以白起爲將,令軍中曰︰「有泄武安君將者,斬!」此是已發其事,尚不欲泄,況未發乎?
敵をうかがう事は、謀りごとが定まってもまだ現れていないものだから、不意に聞いた者が来て告げれば、必ず間者とともにこれを殺す。一つは漏らしたことを憎むからであり、一つはその口を封じるためである。秦はすでに間者を使って趙が廉頗を用いないようにしたうえ、白起を将として軍中に「武安君が将になったことを漏らす者は斬る」と令した。これはすでに事が現れているのに、なお漏らすまいとしたのである。まして、まだ現れていない事はなおさらではないか。
16まず名を知る
凡軍之所欲擊,城之所欲攻,人之所欲殺,必先知其守將、左右、謁者、門者、舍人之姓名,令吾間必索知之。
およそ撃とうとする軍、攻め取ろうとする城、殺そうとする人があれば、必ずまずその守る将、その左右の者、取り次ぎをする者、門を守る者、家事をあずかる者の名を知らなければならない。こちらの間者に、必ずそれを探り出して知らせる。
注 7
知其姓名,則易取也。
その名を知れば、取りやすい。
凡欲攻戰,先須知敵所用之人賢愚巧拙,則量材以應之。漢王遣韓信、曹參、灌嬰擊魏豹,問曰︰「魏大將誰也?」對曰︰「柏直。」漢王曰︰「是口尚乳臭,不能當韓信。騎將誰也?」曰︰「馮敬。」曰︰「是秦將馮無擇子也。雖賢,不能當灌嬰。步卒將誰也?」曰︰「項它。」曰︰「是不能當曹參。吾無患矣!」
およそ攻め戦おうとするなら、まず敵が用いる人物が賢いか愚かか、巧みか拙いかを知らなければならない。そうすれば才を量ってこれに当たることができる。漢王が韓信・曹参・灌嬰を遣わして魏豹を撃たせるとき、問うた。「魏の大将はだれか。」「柏直です。」漢王は言った。「あれは口にまだ乳の匂いがする。韓信には当たれない。騎兵の将はだれか。」「馮敬です。」「あれは秦の将の馮無択の子だ。賢いとはいえ灌嬰には当たれない。歩兵の将はだれか。」「項它です。」「あれは曹参には当たれない。私に心配はない。」
此言敵人左右姓名,必須我先知之。或敵使間來,我當使間去,若不知其左右姓名,則不能成間者之說。漢高伐秦,至嶢關,張良曰︰「吾聞其將賈竪爾,可以利啗之。」又曰︰「其將雖曰欲和,其軍士未肯,不如因其懈而擊之。」乃進兵擊破之。又,宋華元夜登子反之床,以告宋病,若非素知門人、舍人、左右姓名,先使間導之,又何由得登其床也?
これは敵の左右の者の名を、必ずこちらが先に知らなければならないという意味である。敵が間者を遣わしてくれば、こちらも間者を行かせるべきだが、その左右の名を知らなければ、間者の作り話は通らない。漢の高祖が秦を攻めて嶢関に至ったとき、張良が言った。「あの将は商人の子だと聞いています。利で釣ることができます。」また言った。「あの将は和を望んでいても、その兵士たちは従おうとしていません。その緩んだところに乗じて撃つのがよいでしょう。」そこで兵を進めて撃ち破った。また、宋の華元が夜に子反の寝床に上がって宋の苦しみを告げたが、門番や家事をあずかる者や左右の者の名を平素から知っており、先に間者に導かせていなかったなら、どうしてその寝床に上がることができただろうか。
守,謂官守職任者。謁,告也,主告事者也。門者,守門者也。舍人,守舍之人也。必先知之爲親舊,有急則呼之,則不可不知,亦因此知敵之情。
「守」とは官職を預かり任に当たる者をいう。「謁」とは告げることで、事を取り次ぐ役の者である。「門者」とは門を守る者である。「舎人」とは家を守る人である。必ず先に知って親しい間柄になっておけば、急ぎのときに呼ぶことができるから、知らずにいてはならず、またこれによって敵の実情も知れる。
凡敵之左右前後之姓名,皆須審省,而令吾間先知,則吾間可行矣。
およそ敵の左右・前後にいる者の名をすべて調べ、こちらの間者に先に知らせておけば、こちらの間者は動くことができる。
不可臨事求也。
事に臨んでから探すようなことではない。
守將,守官任職之將也。謁者,典賓客之官也。門者,閽吏也。舍人,守舍之人也。凡欲擊其軍,欲攻其城,欲殺其人,必先知此左右之姓名,則可也。欲潛入其軍,則呼其姓名而往,若華元夜登子反之床,以告宋病。杜元凱《註》引此文,謂元用此術,得以自通是也。又,漢高祖入韓信卧內,取其印,亦近之。
「守将」とは官職を預かり任に当たる将である。「謁者」とは賓客をつかさどる役である。「門者」とは門を守る役人である。「舎人」とは家を守る人である。およそその軍を撃とうとし、その城を攻めようとし、その人を殺そうとするなら、まずこの左右の者の名を知らなければならない。その軍中にひそかに入ろうとするなら、その名を呼びながら行くのであり、華元が夜に子反の寝床に上がって宋の苦しみを告げたのと同じである。杜元凱の注がこの文を引いて、華元はこの術によって自ら通ることができたと言ったのがそれである。また、漢の高祖が韓信の寝所に入ってその印を取り上げたのも、これに近い。
17反間を得る
必索敵人之間來間我者,因而利之,導而舍之,故反間可得而用也。
必ず、こちらをうかがいに来た敵の間者を探し出し、利で誘い、導いてとどめておく。そうすれば反間を得て用いることができる。
注 7
舍,居止也。令吾人遺以重利,復導而舍之,則可令詭其辭。
「舎」とはとどまり住むことである。こちらの者に重い利を与えさせ、さらに導いてとどめておけば、その言葉を偽らせることができる。
舍,居止也。
「舎」とはとどまり住むことである。
敵間之來,必誘以厚利而止舍之,使爲我反間也。
敵の間者が来れば、必ず厚い利で誘ってとどめ、こちらの反間とする。
故能取敵之間而用之。
だから敵の間者を得て用いることができる。
必探索知敵之來間者,因而利誘之,引而舍止之,然後可爲我反間也。
必ず敵が送ってきた間者を探り出して知り、そのうえで利で誘い、導いてとどめておく。そうしてはじめて、こちらの反間とすることができる。
此留敵間以詢其情者也。必謹舍之,曲爲辯說,深致情愛,然後啗以大利,威以大刑,自非至忠於其君王者,皆爲我用矣。
これは敵の間者をとどめてその実情を問い出すことである。必ず心を配ってとどめ、言葉を尽くして説き、情を深くかけたうえで、大きな利で誘い、重い刑で威せば、その君王によほど忠実な者でないかぎり、みなこちらに用いられるようになる。
索,求也。求敵間之來窺我者,因以厚利,誘導而館舍之,使反爲我間也。言舍之者,謂稽留其使也。淹延旣久,論事必多,我因得察敵之情。下文言四間皆因反間而知,非久留其人,極論其事,則何以悉知?
「索」とは求めることである。こちらをうかがいに来た敵の間者を求め、厚い利で誘い導いて宿舎にとどめ、返ってこちらの間者とするのである。とどめるというのは、その使者を引き留めておくという意味である。長く引き延ばせば、やりとりする話も必ず多くなるから、こちらはそれによって敵の実情を察することができる。後の文に四種の間者はみな反間によって知るとあるのは、その人を長く引き留めてその事を問いつめなければ、どうしてすべてを知れようかということである。
18郷間と内間
因是而知之,故鄉間、內間可得而使也。
これによって知ることができるから、郷間と内間を得て使うことができる。
注 5
若敵間,以利導之,尚可使爲我反間,因此乃知,厚利亦可使鄉間、內間也。此言使間非利不可。故上文云︰「相守數年,爭一日之勝,而愛爵禄百金,不知敵情者,不仁之至也。」下文皆同其義也。
敵の間者でさえ、利で導けばこちらの反間とすることができるのだから、これによって、厚い利があれば郷間や内間も使えることが分かる。これは間者を使うには利がなければならないという意味である。だから前の文に「何年も互いに持ちこたえながら一日の勝ちを争うというのに、官位や俸禄や百金を惜しんで敵の実情を知らないのは、不仁のきわみである」とある。後の文もみな同じ意味である。
此說踈也。言敵使間來,以利啗之,誘令止舍,因得敵之情,因間、內間可使反間誘而使之。
この解釈は粗い。敵が間者を送ってきたら利で養い、誘ってとどめ、それによって敵の実情を得て、因間と内間は反間に誘わせて使うことができるという意味である。
因反敵間而知敵情,鄉間、內間者皆可得使。
敵の間者を返してこちらのものとし、敵の実情を知るから、郷間も内間もみな得て使うことができる。
其國人之可使者,其官人之可用者,皆因反間而知之。
その国の人で使える者、その官吏で用いられる者を、みな反間によって知る。
因是反間,知彼鄉人之貪利者,官人之有隙者,誘而使之。
この反間によって、あちらの土地の人で利を貪る者、官吏で隙のある者を知り、誘って使う。
19死間
因是而知之,故死間爲誑事,可使告敵。
これによって知ることができるから、死間に偽りの事をつくらせ、敵に告げさせることができる。
注 1
因是反間,知彼可誑之事,使死間往告之。
この反間によって、あちらをだませる事柄を知り、死間を遣わしてこれを告げさせる。
20生間
因是而知之,故生間可使如期。
これによって知ることができるから、生間を期限どおりに戻らせることができる。
注 5
可使往來如期。
行き来を期限どおりにさせることができる。
言五間皆循環相因,惟生間可使如期。
五種の間者はみな順々に回って互いに因となるが、ただ生間だけは期限どおりにさせることができるという意味である。
因誑事而知敵情。生間往返,可使知其敵之腹心所在。
偽りの事によって敵の実情を知る。生間が行き来すれば、敵の腹の内がどこにあるかを知らせることができる。
令吾間以誑告敵者,須因反間而知敵之可誑也。生間以利害覘敵情,須因反間而知其踈密,則可往得實而歸如期也。
こちらの間者に偽りを敵に告げさせるには、反間によって敵をだませるかどうかを知らなければならない。生間が利害によって敵の実情をうかがうには、反間によって敵の手薄さと厳重さを知らなければならない。そうすれば、行って本当のものを得て期限どおりに帰ることができる。
因是反間,知彼之情,故生間可往復如期也。
この反間によってあちらの実情を知るから、生間は期限どおりに行き来することができる。
21反間を厚く扱う
五間之事,主必知之,知之必在於反間,故反間不可不厚也。
五種の間者の事は、君主が必ず知らなければならない。それを知ることは必ず反間にかかっているから、反間を厚く扱わないわけにはいかない。
注 5
孫子殷勤於五間,主切知之。
孫子が五種の間者についてこれほど念入りに説いたのだから、君主はこれを切実に知らなければならない。
鄉間、內間、死間、生間,四間者,皆因反間知敵情而能用之,故反間最切,不可不厚也。
郷間・内間・死間・生間、この四つの間者は、みな反間によって敵の実情を知ってはじめて用いることができる。だから反間が最も切実であり、厚く扱わないわけにはいかない。
人主當知五間之用,厚其禄,豐其財。而反間者,又五間之本,事之要也,故當在厚待。
君主は五種の間者の働きを知り、その俸禄を厚くし、その財を豊かにするべきである。反間はさらに五種の間者の土台であり、事の要であるから、当然厚く待遇すべきである。
五間之始,皆因緣於反間,故當厚遇之。
五種の間者のはじまりは、どれも反間に由来するのだから、当然これを厚く遇するべきである。
人主當用五間以知敵情,然五間皆因反間而用,則是反間者,豈可不厚待之耶?
君主は五種の間者を用いて敵の実情を知るべきである。しかも五種の間者はみな反間によって用いられるのだから、その反間を、どうして厚く待遇しないでいられようか。
22伊摯と呂牙
昔殷之興也,伊摯在夏;周之興也,呂牙在殷。
昔、殷が興ったとき、伊摯は夏にいた。周が興ったとき、呂牙は殷にいた。
注 5
伊摯,伊尹也。
伊摯とは伊尹である。
呂牙,太公也。
呂牙とは太公である。
伊尹、呂牙,非叛於國也,夏不能任而殷任之,殷不能用而周用之,其成大功者,爲民也。
伊尹と呂牙は、国を裏切ったのではない。夏が任用できなかったので殷が任用し、殷が用いることができなかったので周が用いた。彼らが大きな功を成したのは、民のためであった。
伊、呂,聖人之耦,豈爲人間哉?今孫子引之者,言五間之用,須上智之人如伊、呂之才智者,可以用間,蓋重之之辭耳。
伊尹と呂牙は聖人の相手役であり、どうして人の間者になろうか。いま孫子がこれを引いたのは、五種の間者を用いるには、伊尹や呂牙のような才知を備えた最上の知恵の人であってはじめて間者を用いることができるという意味で、この事を重く見た言葉にすぎない。
伊尹,夏臣也,後歸于殷;呂望,殷臣也,後歸于周。伊、呂相湯、武,以兵定天下者,順乎天而應乎人也,非同伯州犁之奔楚,苗賁皇之適晉,狐庸之在吳,士會之居秦也。
伊尹は夏の臣であったが、のちに殷に帰した。呂望は殷の臣であったが、のちに周に帰した。伊尹と呂望が湯王と武王を助け、兵によって天下を定めたのは、天に順い人に応じたのであって、伯州犁が楚へ走り、苗賁皇が晋へ行き、狐庸が呉にいて、士会が秦にとどまったのと同じではない。
23最上の知恵の人を間者とする
故惟明君賢將,能以上智爲間者,必成大功。此兵之要,三軍之所恃而動也。
だから、ただ賢明な君主と賢い将だけが、最上の知恵の人を間者とすることができ、必ず大きな功を成す。これが兵の要であり、三軍が頼みとして動くところである。
注 6
孫子論兵,始於計而終於間者,蓋不以攻爲主,爲將者可不慎之哉?
孫子が兵を論じて「計」篇から始めて「用間」篇で終えたのは、攻めることを第一としなかったからである。将たる者が、これを慎まないでいられようか。
不知敵情,軍不可動;知敵之情,非間不可。故曰「三軍所恃而動」。李靖曰︰「夫戰之取勝,此豈求於天地?在乎因人以成之。歷觀古人之用間,其妙非一,卽有間其君者,有間其親者,有間其賢者,有間其能者,有間其助者,有間其鄰好者,有間其左右者,有間其縱橫者,故子貢、史廖、陳軫、蘇秦、張儀、范睢等,皆憑此而成功也。且間之道有五焉︰有因其邑人,使潛伺察而致辭焉;有因其仕子,故洩虛假令告示焉;有因敵之使,矯其事而返之焉;有審擇賢能,使覘彼向背虛實而歸說之焉;有佯緩罪戾,微漏我僞情浮計使亡報之焉。凡此五間,皆須隱祕,重之以賞,密之又密,始可行焉。若敵有寵嬖,任以腹心者,我當使間遺其珍玩,恣其所欲,順而旁誘之。敵有重臣失勢,不滿其志者,我則啗以厚利,詭相親附,採其情實而致之。敵有親貴左右,多辭誇誕,好論利害者,我則使間曲情尊奉,厚遺珍寶,揣其所間而反間之。敵若使聘於我,我則稽留其使,令人與之共處,矯致慇懃,僞相親暱,朝夕慰諭,倍供珍味,觀其辭色而察之;仍朝夕令使獨與己伴居,我遣聰耳者,潛於複壁中聽之;使旣遲違,恐彼怪責,必是竊論心事。我知事計,遣使用之。且夫用間間人,人亦用間以間己;己以密往,人以密來。理須獨察於心,參會於事,則不失矣。若敵人來,欲候我虛實,察我動靜,覘知事計而行其間者,我當佯爲不覺,舍止而善飯之,微以我僞言誑事,示以前却期會,則我之所須爲彼之所失者,因其有間而反間之。彼若將我虛以爲實,我卽乘之而得志矣。夫水所以能濟舟,亦有因水而覆没者。間所以能成功,亦有憑間而傾敗者。若束髮事主,當朝正色,忠以盡節,信以竭誠,不詭伏以自容,不權宜以爲利,雖有善間,其可用乎?」
敵の実情を知らなければ軍を動かすことはできず、敵の実情を知るには間者でなければならない。だから「三軍が頼みとして動くところ」と言った。李靖は言った。「およそ戦いで勝ちを得ることが、どうして天地に求めることであろうか。人によって成すことにある。昔の人が間者を用いた跡をひととおり見ると、その妙は一つではない。その君主をうかがうものがあり、その親族をうかがうものがあり、その賢者をうかがうものがあり、その有能な者をうかがうものがあり、その助けとなる者をうかがうものがあり、その隣国との仲をうかがうものがあり、その左右をうかがうものがあり、その縦横に結んだ関係をうかがうものがある。だから子貢・史廖・陳軫・蘇秦・張儀・范睢らは、みなこれに拠って功を成した。また間者の道には五つある。その土地の人を通してひそかにうかがわせ、言葉を伝えさせるものがある。その仕官している者を通して、わざと虚偽を漏らして告げ知らせるものがある。敵の使者を通して、その事を偽って帰すものがある。賢く有能な者を選び、あちらの背くか従うか、虚か実かをうかがわせて、帰って報告させるものがある。罪の処分を緩めるふりをして、こちらの偽りの実情や中身のない計画を少し漏らし、逃げて報告させるものがある。およそこの五種の間者は、みな隠し秘めなければならず、賞を厚くし、密のうえにさらに密にして、はじめて行うことができる。敵に君主の寵愛する者があって腹心を任されているなら、こちらは間者を遣わして珍宝や玩具を与え、その望むままにさせ、意に順いながらわきから誘う。敵に権勢を失って志を満たせない重臣があるなら、こちらは厚い利で養い、偽って親しく寄り添い、その実情を採ってくる。敵に親しく貴い左右の者があって、口数が多く大げさで、利害を論じたがるなら、こちらは間者に意を低くして奉り、珍宝を厚く贈らせて、彼がうかがっているところを推し量って逆にうかがう。敵が使者を遣わしてこちらを訪ねてきたら、こちらはその使者を引き留め、人を遣わしてともに過ごさせ、わざと懇ろにふるまって偽って親しみ、朝夕に慰め、珍味を倍にして供え、その言葉と顔色を見て察する。さらに朝夕、使者を自分の連れとだけ二人でいさせ、こちらは耳のよい者を遣わして二重壁の中に隠れて聞かせる。使者はすでに帰る期日を過ぎているから、あちらの咎めを恐れて、必ず腹の内をひそかに語り合うはずである。こちらはその事と計を知り、使者を送り返してこれを用いる。また、間者を使って人をうかがえば、人も間者を使って自分をうかがう。こちらが密かに行けば、あちらも密かに来る。理としては、ひとり心で察し、事に照らし合わせなければならず、そうすれば誤らない。敵が来てこちらの虚実をうかがい、動静を察し、事と計を知って間者の働きをするなら、こちらはわざと気づかないふりをしてとどめ、よく食わせる。そして偽りの言葉と欺きの事を少し漏らし、進退の期日を見せてやる。そうすればこちらに必要なものがあちらの失うものとなり、彼がうかがうことを逆手に取ってうかがうことになる。あちらがこちらの虚を実と思い込めば、こちらはすぐそれに乗じて志を得る。水は舟を渡すものだが、水によって転覆し沈むこともある。間者は功を成させるものだが、間者に拠って傾き敗れることもある。髪を束ねて君主に仕える年から、朝廷で顔色を正し、忠によって節を尽くし、信によって誠を尽くし、偽り隠れて身をかばうことをせず、様子をうかがって利を得ようとしない者であれば、よい間者があっても、用いることができようか。」
晉伯州犁奔楚,楚苗賁皇奔晉,及晉、楚合戰於鄢陵,苗賁皇在晉侯之側,伯州犁侍於楚王,二人各言舊國長短之情。然則晉所以勝楚者,楚所以敗者,其故何也?二子則有優劣也。是知用間之道,間敵之情,得不慎擇其人,深究其說也?故上文云「非聖智莫能用間」者。夫聖智知人,人卽附之;賢者受知,則勠力爲效。非聖非智,必猜必忌。公道不啓,仁義不施,則義士賢人因而銜憤,此將上天不祐,幽有鬼神,設無人事之變,恐有陰誅之禍,豈上智之士爲其用哉!故上文云「非仁義莫能使間」。然則湯、武之聖,伊、呂宜用;伊、呂獲用,事宜必濟。聖賢一會,交泰時乘,道合乾坤,功格寰宇,當其耕夫於畎畝,釣叟於渭濱,知我者,誰能無念也?
晋の伯州犁は楚へ走り、楚の苗賁皇は晋へ走った。晋と楚が鄢陵で戦ったとき、苗賁皇は晋侯のかたわらにおり、伯州犁は楚王に侍して、二人はそれぞれ旧国の長所と短所の実情を語った。それなら、晋が楚に勝ち、楚が敗れた理由は何か。二人に優劣があったのである。これで分かるように、間者を用いる道、敵の実情をうかがう事において、その人を慎んで選び、その言葉を深く究めないでいられようか。だから前の文に「聖人の知でなければ間者を用いることはできない」とある。聖で知のある者は人を見分けるので、人はすぐに従い、賢者は認められれば力を合わせて報いる。聖でも知でもなければ、必ず妬み忌む。公正な道が開かれず、仁義が施されなければ、義士や賢人はそのために憤りを抱く。そうなれば上は天が助けず、陰には鬼神がいるので、人の世の事変がなくとも、ひそかに討たれる災いがあるのを恐れる。どうして最上の知恵の士がそのような者に用いられようか。だから前の文に「仁義でなければ間者を使うことはできない」とある。それゆえ湯王と武王の聖によって伊尹と呂望は当然用いられ、伊尹と呂望が用いられたので事は必ず成った。聖人と賢者がひとたび出会って太平の時に乗り、道は天地にかない、功は世界のすべてに至った。田のうねで耕していた者、渭水のほとりで釣っていた老人が、自分を認めてくれる人に対して、どうして思うところがなかろうか。
軍無五間,如人之無耳目也。
軍に五種の間者がなければ、人に耳と目がないのと同じである。
未知敵情者,不可動也。
敵の実情を知らないうちは、動いてはならない。
用師之本,在知敵情,故曰「此兵之要」也。未知敵情,則軍不可舉,故曰「三軍所恃而動」也。然處十三篇之末者,蓋用非兵之常也。若計、戰、攻、形、勢、虛實之類,兵動則用之;至於火攻與間,則有時而爲耳。
軍を用いる土台は敵の実情を知ることにあるから、「これが兵の要である」と言った。敵の実情を知らなければ軍を挙げることはできないから、「三軍が頼みとして動くところ」と言った。ところでこれを十三篇の末に置いたのは、その用いどころが兵の常のことではないからである。「計」「作戦」「謀攻」「形」「勢」「虚実」のようなものは、兵が動けばすぐ用いる。「火攻」と「用間」については、時があってはじめて行うにすぎない。