火攻 — 火で攻める火攻篇
編の冒頭の注 3
以火攻人,當擇時日也。
火で人を攻めるには、まさに時と日を選ばなければならない。
助兵取勝,戒虛發也。
以火攻敵,當使姦細潛行;地里之遠近,途徑之險易,先熟知之,乃可往。故次《九地》。
1五つの火攻め
孫子曰︰凡火攻有五︰一曰火人,二曰火積,三曰火輜,四曰火庫,五曰火隊。
孫子は言う。
およそ火で攻める方法には五つある。第一は人を焼くこと、第二は蓄えを焼くこと、第三は輜重を焼くこと、第四は倉庫を焼くこと、第五は部隊を焼くことである。
注 21
焚其營,殺其士卒也。
その陣営を焼いて兵士を殺すことである。
焚其營栅,因燒兵士。吳起曰︰「凡軍居荒澤,草木幽穢,可焚而滅。」蜀先主伐吳,吳將陸遜拒之於夷陵。先攻一營不利,諸將曰︰「空殺兵耳。」遜曰︰「吾已曉破敵之術矣。」乃勑各持一把茅,以火攻拔之。一爾勢成,通率諸軍,同時俱攻。斬張南、馮習及胡王沙摩柯等,破四十餘營,死者萬數。備因夜遁,軍資器械略盡,遂歐血而殂。
陣営と柵を焼き、それによって兵士を焼くのである。呉起は言った。「軍が荒れた沢地におり、草木が深く茂っていれば、焼き払って滅ぼすことができる。」蜀の先主が呉を攻めると、呉の将の陸遜が夷陵でこれを防いだ。はじめに一つの陣営を攻めたが不利だったので、諸将は「むだに兵を死なせるだけです」と言った。陸遜は「私はすでに敵を破る手だてを知った」と言った。そこで一人ずつ茅の束を持たせ、火攻めでこれを抜いた。ひとたび勢いができると、諸軍を率いて同時にいっせいに攻めた。張南・馮習および胡王の沙摩柯らを斬り、四十余りの陣営を破って、死者は万を数えた。劉備は夜に逃げ、軍の物資と武具はほとんど尽き、ついに血を吐いて死んだ。
焚營栅荒穢,以助攻戰也。
陣営や柵、荒れ茂った所を焼いて、戦いを助けるのである。
魯桓公世,焚邾婁之咸丘,始以火攻也。後世兵家者流,故有五火之攻,以佐取勝之道也。如後漢班超使西域,到鄯善。初夜,將吏士奔虜營。會天大風,超令十人持鼓藏虜舍後,約曰︰「見火燃,皆當鳴鼓大呼。」餘人悉持兵弩,夾門而伏。超順風縱火,前後鼓譟,虜衆驚亂。超手格殺三人,餘衆悉燒死。又,皇甫嵩率兵討黃巾賊張角。嵩保長社,賊來圍城,嵩兵少,軍中皆恐。召軍吏謂曰︰「兵有奇變,不在衆寡。今賊依草結營,易爲風火;若因夜縱火,必大驚亂,吾出兵擊之,其功可成。」其夕,遂大風。嵩乃約勒軍士,皆束苣乘城,使銳士出圍外,縱火大呼,城上舉燎應之。嵩因鼓而奔其陳,賊驚亂奔走,大破之。又,五代梁太祖乾寧中,親領大軍,由鄆州東路北次於魚山。朱宣瑾覘知,卽以兵徑至,且圖速戰。帝整軍出砦。時宣瑾已陳於前。須臾,東南風大起,帝軍旌旗失次,甚有懼色。帝卽令騎士揚鞭呼嘯。俄而,西北風驟發。時兩軍皆在草莽中,帝因令縱火。旣而煙燄亘天,乘勢以攻賊陳。宣瑾大破,餘衆擁入清河。因築京觀於魚山之下。又,後唐伐蜀,工部任圜以大軍至漢州,康延孝來逆戰。圜命董璋以東川懦卒當其鋒,伏精兵於其後。延孝擊退東川之軍,急追之,遇伏兵。延孝敗,馳入漢州,閉壁不出。西川孟知祥以兵二萬,與圜合勢攻之。漢州四面樹竹木爲栅。三月,圜陳於金鴈橋,卽率諸軍鼓譟而進,四面縱火,風燄亘空。延孝危急,引騎出陳於金鴈橋,又大敗之。
魯の桓公の世に邾婁の咸丘を焼いたのが、火攻めのはじめである。後の世の兵法家の流れに五つの火攻めがあって、勝ちを取る道を助ける。後漢の班超が西域に使いして鄯善に至ったときのことである。宵のうちに官吏と兵士を率いて敵の陣営へ走った。ちょうど風が強く吹いたので、班超は十人に太鼓を持たせて敵の小屋の裏に隠し、「火が燃えるのを見たら、みな太鼓を鳴らして大声で叫べ」と言い合わせた。残りの者はみな武器と弩を持ち、門をはさんで伏せた。班超が風に順って火を放ち、前後で太鼓を打ち騒ぎ立てると、敵の群れは驚き乱れた。班超は自ら三人を討ち殺し、残りはみな焼け死んだ。また、皇甫嵩が兵を率いて黄巾の賊の張角を討った。皇甫嵩が長社を守っていると賊が来て城を囲んだ。皇甫嵩の兵は少なく、軍中はみな恐れた。軍の官吏を呼んで言った。「戦には思いがけない変化があり、多いか少ないかにはよらない。いま賊は草に拠って陣営を結んでいるから、風と火を使いやすい。夜に火を放てば必ず大いに驚き乱れるから、私が兵を出して撃てば、その功は成る。」その夕、ついに風が強く吹いた。皇甫嵩は兵士を引き締め、みな松明を束ねて城に上らせ、精鋭を囲みの外に出して火を放ち大声で叫ばせ、城の上でもかがり火を挙げてこれに応じた。皇甫嵩は太鼓を打ってその陣に走り込み、賊は驚き乱れて逃げ走り、大いにこれを破った。また、五代の梁の太祖が乾寧のころ、自ら大軍を率いて鄆州の東の道から北へ進み、魚山にとどまった。朱宣瑾がうかがい知って、ただちに兵を率いてまっすぐに来て、速やかに戦おうとした。帝は軍を整えて砦を出た。そのとき宣瑾はすでに前に陣を敷いていた。しばらくして東南の風が強く起こり、帝の軍は旗の列が乱れ、ひどく恐れた色があった。帝はただちに騎兵に鞭を振り上げて呼び叫ばせた。やがて西北の風が急に起こった。そのとき両軍はともに草むらの中にいたので、帝は火を放たせた。やがて煙と炎が天にわたり、勢いに乗じて賊の陣を攻めた。宣瑾は大いに破れ、残りの群れは押されて清河に入った。そこで魚山の下に戦勝の塚を築いた。また、後唐が蜀を攻めたとき、工部の任圜が大軍を率いて漢州に至ると、康延孝が迎え撃ちに来た。任圜は東川の弱い兵を董璋に任せてその矛先に当たらせ、精兵をその後ろに伏せた。延孝は東川の軍を撃ち退け、急いで追ったところで伏兵に遭った。延孝は敗れ、漢州へ馳せ入って城壁を閉じ、出て来なかった。西川の孟知祥が兵二万をもって任圜と勢いを合わせてこれを攻めた。漢州は四方に竹や木を植えて柵としていた。三月、任圜は金鴈橋に陣を敷き、ただちに諸軍を率いて太鼓を打ち騒ぎ立てて進み、四方から火を放つと、風と炎が空にわたった。延孝は危急となり、騎兵を率いて出て金鴈橋に陣を敷いたが、また大いに敗れた。
焚彼營舍,以殺其士,火攻之先也。班超燒匈奴使者是也。
あちらの陣営や小屋を焼いてその兵を殺すのは、火攻めの第一である。班超が匈奴の使者を焼いたのがこれである。
焚積聚也。
蓄えを焼くことである。
積者,積蓄也,糧食薪蒭是也。高祖與項羽相持成皐,爲羽所敗,北渡河,得張耳、韓信軍,軍脩武,深溝高壘。使劉賈將二萬人、騎數百,渡白馬津,入楚地,燒其積聚,以破其業。楚軍乏食。隋文帝時,高熲獻取陳之策,曰︰「江南土薄,舍多茅竹,所有儲積,皆非地窖。可密遣行人,因風縱火;待彼修葺,復更燒之。不出數年,自可財力俱盡。」帝行其策,由是陳人益弊。
「積」とは蓄えであり、食糧・薪・まぐさがこれである。漢の高祖が項羽と成皐で対峙して項羽に敗れ、北へ黄河を渡り、張耳・韓信の軍を得て脩武に陣を敷き、濠を深く掘り塁を高く築いた。劉賈に二万人と騎兵数百を率いさせ、白馬津を渡って楚の地に入り、その蓄えを焼いてその基を破らせたので、楚の軍は食に乏しくなった。隋の文帝のとき、高熲が陳を取る策を献じて言った。「江南は土が薄く、家には茅や竹が多く、蓄えはどれも地下の穴倉にはありません。ひそかに人を遣わし、風に乗じて火を放ち、あちらが修繕するのを待ってまた焼くのです。数年とたたずに、おのずと財も力もともに尽きます。」帝はその策を行い、これによって陳の人々はいっそう疲弊した。
焚其委積,以困芻糧。
積み置いた蓄えを焼いて、まぐさと食糧に困らせる。
焚其積聚,使芻糧不足。故曰︰「軍無委積則亡。」劉賈燒楚積聚是也。
その蓄えを焼いて、まぐさと食糧が足りないようにする。だから「軍に蓄えがなければ滅びる」と言う。劉賈が楚の蓄えを焼いたのがこれである。
燒其輜重,焚其庫室。
輜重を焼き、倉庫を焼くことである。
器械、財貨及軍士衣裝,在車中上道未止曰輜,在城營壘已有止舍曰庫,其所藏二者皆同。後漢末,袁紹相許攸降曹公,曰︰「今袁氏輜重有萬餘輛車,屯軍不嚴;今以輕兵襲之,不意而至,焚其積聚,不過三日,袁氏自敗。」公大喜,選精騎五千,皆用袁氏旗幟,銜枚縛馬口,從間道出入,抱束薪。所歷道有問者,語之曰︰「袁公恐曹操抄略後軍,遣兵以益備。」聞者信以爲然,皆自若。旣至圍屯,大放火,營中驚亂,因大破之,輜重悉焚之矣。
武具・財貨および兵士の衣類や装備が、車に積まれて道に上りまだ止まっていないものを「輜」といい、城や陣営・塁にすでに止めて置く所があるものを「庫」という。その中に収めるものは二つともに同じである。後漢の末、袁紹の相の許攸が曹公に降って言った。「いま袁氏の輜重は一万余りの車があり、陣の守りは厳しくありません。身軽な兵で襲えば、思いがけず至ってその蓄えを焼けますから、三日とたたずに袁氏はおのずと敗れます。」曹公は大いに喜び、精騎五千を選び、みな袁氏の旗印を用い、枚をふくませて馬の口を縛り、間道を出入りして薪の束を抱えさせた。通る道で問う者があれば、「袁公が曹操に後軍を荒らされるのを恐れ、兵を遣わして備えを増させたのだ」と言わせた。聞く者はそうだと信じて、みな平然としていた。囲みの陣に至ると大いに火を放ち、陣営の中は驚き乱れ、これによって大いにこれを破り、輜重をすべて焼いた。
夫敵有愛惜之物,亦可以攻之;彼若出救,是我以火分其勢也。更遇其心神撓惑,自可破軍殺將也。
敵に大切にしている物があれば、それも攻めることができる。あちらが救いに出て来れば、こちらは火でその勢いを分けるのである。さらにその心が揺れ乱れた折に出あえば、おのずと軍を破り将を殺すことができる。
焚其輜重,以窘貨財;焚其庫室,以空蓄聚。
輜重を焼いて財貨に窮させ、倉庫を焼いて蓄えを空にする。
如前秦苻堅遣將王猛伐前燕幕容暐,師至潞川,燕將慕容評率兵四十萬禦之,以持久制之。猛遣將郭慶率步騎五千,夜從間道起火於晉山,燒評輜重,火見鄴中,因而滅之。
前秦の苻堅が将の王猛を遣わして前燕の慕容暐を攻めた。軍が潞川に至ると、燕の将の慕容評が兵四十万を率いて防ぎ、長く持ちこたえて抑えようとした。王猛は将の郭慶を遣わし、歩兵と騎兵五千を率いて夜に間道から晉山で火を起こし、慕容評の輜重を焼いた。その火が鄴の中からも見え、これによって滅ぼした。
焚其輜重,使器用不供。故曰︰「軍無輜重則亡。」曹操燒袁紹輜重是也。焚其府庫,使財貨不充。故曰︰「軍無財,則士不來。」
その輜重を焼いて、器物や用具が行き渡らないようにする。だから「軍に輜重がなければ滅びる」と言う。曹操が袁紹の輜重を焼いたのがこれである。その倉庫を焼いて、財貨が満ちないようにする。だから「軍に財がなければ、兵は来ない」と言う。
焚其隊仗兵器。
部隊の武器を焼くことである。
焚其行伍,因亂而擊之。
その隊列を焼き、乱れたところを撃つ。
焚其隊仗,以奪兵具。「隊」一作「隧」。
部隊の武器を焼いて、戦う道具を奪う。「隊」は、ある本では「隧」となっている。
隧,道也。燒絶糧道及轉運也。
「隧」とは道である。食糧の道と運搬を焼いて断つことである。
何氏同賈林《註》。
何氏の注は賈林の注と同じである。
焚其隊仗,使兵無戰具。故曰「器械不利,則難以應敵」也。
部隊の武器を焼いて、兵に戦う道具がないようにする。だから「武具が鋭くなければ、敵に当たりにくい」と言う。
2きっかけがあり、道具が備わっていること
行火必有因,煙火必素具。
火を放つには必ずきっかけがなければならず、火を放つ道具は必ず平素から備えておかなければならない。
注 10
因姦人。
内から通じる者をきっかけとする。
因姦人而內應也。
内で手を引く者を手がかりとして、内から応じさせるのである。
須得其便,不獨姦人。
その都合のよさを得なければならないので、内で手を引く者だけではない。
因風燥而焚之。
風と乾きを手がかりとして焼くのである。
凡火攻,皆因天時燥旱,營舍茅竹,積芻聚糧,居近草莽,因風而焚之。
およそ火攻めは、どれも天候が乾いて旱であるとき、陣営の小屋が茅や竹でできており、まぐさや食糧を積み置き、草むらの近くにあることを手がかりとして、風に乗じて焼くのである。
煙火,燒具也。
煙火とは火を放つ道具である。
幹蒭、蒿艾、糧糞之屬。
乾いたまぐさ、よもぎ、肥やしなどである。
艾蒿、荻葦、薪蒭、膏油之屬,先須修事以備用。兵法有火箭、火簾、火杏、火兵、火獸、火禽、火盜、火弩,凡此者皆可用也。
よもぎ・荻・葦・薪・まぐさ・油などを、まず手入れして使えるように備えておく。兵法に火箭(火矢)・火簾・火杏・火兵・火獣・火禽・火盗・火弩(火の弩)があり、これらはみな用いることができる。
潛姦伺隙,必有便也;秉秆持燧,必先備也。《傳》曰︰「惟事事有備,乃無患也。」
内で手を引く者をひそませて隙をうかがうのだから、必ず都合のよさがある。藁を握り火打ちを手にするのだから、必ずあらかじめ備えてある。『伝』に「事ごとに備えがあってこそ、憂いがない」と言う。
貯火之器,燃火之物,常須預備,伺便而發。
火を入れる器と火をつけるものを、つねに前もって備えておき、都合のよい折をうかがって放つ。
3時があり日がある
發火有時,起火有日。
火を放つには時があり、火を起こすには日がある。
注 2
不妄發也。
みだりに放たない。
不可偶然,當伺時日。
たまたまでやってはならず、時と日をうかがうべきである。
4乾いた時、風の吹く日
時者,天之燥也;日者,月在箕、壁、翼、軫也;凡此四宿者,風起之日也。
時とは天候が乾いていることであり、日とは月が箕・壁・翼・軫に入る日である。およそこの四つの星宿に入る日が、風の起こる日である。
注 7
燥者,旱也。
燥とは旱のことである。
旱熯易燎。
旱で乾いていれば燃えやすい。
天時旱燥,則火易燃。
天候が旱で乾いていれば、火はつきやすい。
《天文志》︰月宿此者多風。《玉經》云︰「常以月加日,從營室順數十五至翼,月在宿於此也。」
『天文志』に「月がこの星宿にとどまると風が多い」と言う。『玉経』に「つねに月を日に加え、営室から順に十五を数えて翼に至れば、月はこの星宿にとどまる」と言う。
宿者,月之所宿也。四宿者,風之使也。
「宿」とは月がとどまる所である。四つの星宿は風の使いである。
箕,龍尾也;壁,東壁也;翼、軫,鶉尾也。宿在者,謂月之所次也。四宿好風,月離必起。
箕は竜の尾、壁は東壁、翼と軫は鶉の尾である。「宿在」とは月がとどまる位置をいう。四つの星宿は風を好むので、月が通れば必ず風が起こる。
四星好風,月宿則起。當推步躔次,知所宿之日,則行火。一說︰春丙丁、夏戊己、秋壬癸、冬甲乙,此日有疾風猛雨。又占風法︰取雞羽,重八兩,掛於五丈竿上,以候風所從來。四宿,卽箕、壁、翼、軫也。
四つの星は風を好むので、月がとどまれば風が起こる。星の位置を推し測って、とどまる日を知ってから火を放つ。一説には、春の丙・丁の日、夏の戊・己の日、秋の壬・癸の日、冬の甲・乙の日に、速い風と激しい雨があるという。また風を見る法は、鶏の羽八両を五丈の竿の上に掛けて、風の来る方をうかがうのである。四つの星宿とは、すなわち箕・壁・翼・軫である。
5五つの火の変化に応じて動く
凡火攻,必因五火之變而應之。
およそ火で攻めるときは、必ず五つの火の変化に応じて動かなければならない。
注 2
因火爲變,以兵應之。
火で変事を起こし、兵でこれに応ずる。
因其火變,以兵應之。五火,卽人、積、輜、庫、隊也。
その火の変事に乗じて、兵でこれに応ずる。五つの火とは、すなわち人・蓄え・輜重・倉庫・部隊である。
6内から火が起これば
火發於內,則早應之於外。
火が内から起これば、外から早く応ずる。
注 6
以兵應之也。
兵でこれに応ずるのである。
乘火勢而應之也。
火の勢いに乗じて応ずるのである。
凡火,乃使敵人驚亂,因而擊之,非謂空以火敗敵人也。聞火初作卽攻之;若火闌衆定而攻之,當無益,故曰早也。
火とは敵を驚かせ乱させて、その隙に撃つためのものであり、火だけで敵を破るという意味ではない。火が起こったばかりだと聞けば、ただちに撃つ。火が衰えて人々が落ち着いてから撃っても益はないから、「早く」と言ったのである。
使間人縱火於敵營內,當速進以攻其外也。
間者に敵の陣営の中で火を放たせ、速やかに進んでその外を撃つべきである。
內若驚亂,外以兵擊。
内が驚き乱れれば、外から兵で撃つ。
火纔發於內,則兵急擊於外,表裏齊攻,敵易驚亂。
火が内で起こったばかりのときに兵が外から急いで撃ち、表と裏からそろって攻めれば、敵は驚き乱れやすい。
7火が起こっても敵が静かなとき
火發兵靜者,待而勿攻;極其火力,可從而從之,不可從而止。
火が起こっても敵の兵が静かであれば、待って攻めてはならない。火の勢いが尽きたあと、乗ずることができれば乗じ、できなければやめる。
注 13
火作不驚,敵素有備,不可遽攻,須待其變者也。
火が起こっても驚かないのは、敵が平素から備えているのだから、急に攻めてはならず、その変化を待たなければならない。
不驚撓者,必有備也。
驚き騒がないのは、必ず備えがあるのである。
以不變也。
変わらないからである。
火作而敵不驚呼者,有備也。我往攻,則反或受害。
火が起こっても敵が驚いて叫ばないのは、備えがあるのである。こちらが行って攻めれば、かえって害を受けることがある。
火雖發而兵不亂者,敵有備也;復防其變,故不可攻。
火が起こっても兵が乱れないのは、敵に備えがあるのである。さらにその変事まで防いでいるのだから、攻めてはならない。
見可而進,知難而退。
できると見れば進み、難しいと知れば退く。
夫火發兵不亂,不可攻。
火が起こっても兵が乱れなければ、攻めてはならない。
俟火盡已來,若敵人擾亂,則攻之;若敵終靜不擾,則收兵而退也。
火が燃え尽きるのを待って、敵が騒ぎ乱れれば攻め、敵が最後まで静かで騒がなければ、兵を収めて退く。
見利則進,知難則退。極,盡也。盡火力,可則應,不可則止,無使敵知其所爲。
利を見れば進み、難しいと知れば退く。「極」とは尽きることである。火の力が尽きたなら、できれば応じ、できなければやめて、敵にこちらの動きを知らせない。
極其火勢,待其變則攻,不變則勿攻。
火の勢いが尽きるまでその変化を待ち、変われば攻め、変わらなければ攻めない。
伺其變亂,則乘之;終不變亂,則自治而蓄力。
変わって乱れるのをうかがって乗じ、最後まで乱れなければ、自ら体勢を整えて力を蓄える。
如魏滿寵征吳,敕諸將曰︰「今夕風甚猛,賊必來燒我營,宜爲之備。」諸軍皆警。夜半,果來燒營,寵掩擊破之者是也。
魏の満寵が呉を攻めたとき、諸将に言った。「今夕は風がはなはだ激しいので、賊は必ず来てわが陣営を焼くだろう。備えをしておくべきだ。」諸軍はみな警戒した。夜半、はたして来て陣営を焼こうとしたので、満寵が不意に撃ってこれを破った。これである。
盡其火勢,變亂則攻,安靜則退。
火の勢いが尽きたとき、乱れれば攻め、静かであれば退く。
8外からも放つことができる
火可發於外,無待於內,以時發之。
火は外からも放つことができる。内で起こるのを待たず、時を見て放つ。
注 6
魏武破袁紹於官渡,用許攸計,燒輜重萬餘,則其義也。
魏の武帝が官渡で袁紹を破ったとき、許攸の計を用いて輜重一万余りを焼いたのが、その意味である。
上文云五火變須發於內,若敵居荒澤草穢,或營栅可焚之地,卽須及時發火,不必更待內發作然後應之,恐敵人自燒野草,我起火無益。漢時李陵征匈奴,戰敗,爲單于所逐,及於大澤。匈奴於上風縱火,陵亦先放火燒斷兼葭,用絶火勢。
前の文では五つの火の変事は内から起こすべきだと言ったが、敵が荒れた沢地や草の茂った所にいたり、陣営や柵が焼ける土地にあるならば、時を逃さず火を放つべきで、内から起こってから応ずるのを待つ必要はない。敵が自ら野の草を焼いてしまえば、こちらが火を放っても益がないのを恐れるからである。漢のとき李陵が匈奴を攻めて戦いに敗れ、単于に追われて大きな沢に至った。匈奴が風上から火を放ったので、李陵も先に火を放って葦を焼き切り、火の勢いを断った。
以時發之,所謂天之燥,月之宿在四星也。
時を見て放つとは、いわゆる天候が乾いている時と、月が四つの星宿にとどまる時である。
火可發於外,不必待內應,得時卽應發,不可拘於常勢也。
火は外からも放つことができるので、内から応ずるのを待つ必要はない。時を得ればただちに放つべきで、いつものやり方にとらわれてはならない。
梅堯臣同杜牧《註》。
梅堯臣の注は杜牧の注と同じである。
火亦可發於外,不必須待作於內,但有便則應時而發。黃巾賊張角圍漢將皇甫嵩於長社,賊依草結營,嵩使銳士間出圍外,縱火大呼,城上舉燎應之,嵩因鼓而奔其陳,賊驚亂,遂敗走。
火は外からも放つことができるので、内で起こるのを待つ必要はなく、ただ都合がよければ時に応じて放つ。黄巾の賊の張角が漢の将の皇甫嵩を長社で囲んだとき、賊が草に拠って陣営を結んでいたので、皇甫嵩は精鋭をひそかに囲みの外に出して火を放ち大声で叫ばせ、城の上でもかがり火を挙げてこれに応じた。皇甫嵩は太鼓を打ってその陣に走り込み、賊は驚き乱れて、ついに敗れ走った。
9風上で放ったなら
火發上風,無攻下風。
火が風上で起こったなら、風下から攻めてはならない。
注 6
不便也。
都合が悪い。
隋江東賊劉元進攻王世充於延陵,令把草東方,因風縱火。俄而迴風,悉燒元進營,軍人多死者。
隋の江東の賊の劉元進が王世充を延陵で攻めたとき、東の方で草を握らせ、風に乗じて火を放った。やがて風が向きを変え、劉元進の陣営をすべて焼いて、兵の死者が多かった。
若是東,則焚敵之東,我亦隨以攻其東;若火發東面,攻其西,則與敵人同受也。故無攻下風,則順風也。若舉東,可知其他也。
風が東から吹くなら敵の東を焼き、こちらもそれに従ってその東を攻める。火を東面で放って西を攻めれば、敵とともに火を受けることになる。だから風下を攻めないとは、風に順うことである。東を例に挙げれば、ほかも分かる。
逆火勢,非便也,敵必死戰。
火の勢いに逆らうのは都合が悪く、敵は必ず死にものぐるいで戦う。
或擊其左右可也。
その左右を撃つのはよい。
燒之必退,退而逆擊之,必死戰,故不便也。
焼けば敵は必ず退くが、退く敵に逆らって撃てば必ず死にものぐるいで戦うから、都合が悪い。
10昼の風と夜の風
晝風久,夜風止。
昼に吹く風は長く続き、夜に吹く風はやむ。
注 6
數當然也。
理として当然そうなるのである。
不終始也。
はじめから終わりまでは続かない。
《老子》曰︰「飄風不終朝。」
『老子』に「つむじ風は朝を越えて続かない」と言う。
凡晝風必夜止,夜風必晝止,數當然也。
およそ昼に起こった風は必ず夜にやみ、夜に起こった風は必ず昼にやむ。理として当然そうなるのである。
王晳同梅堯臣《註》。
王晳の注は梅堯臣の注と同じである。
晝起則夜息,數當然也。故《老子》曰︰「飄風不終朝。」
昼に起これば夜に静まる。理として当然そうなるのである。だから『老子』に「つむじ風は朝を越えて続かない」と言う。
11計算によって守る
凡軍必知有五火之變,以數守之。
およそ軍は、必ず五つの火の変化を知り、計算によってこれを守らなければならない。
注 4
須算星躔之數,守風起日,乃可發火,不可偶然而爲之。
星の運行の数を計り、風の起こる日を守ってはじめて火を放つことができるので、たまたま思いつきでやってはならない。
旣知起五火五變,當復以數消息其可否。
五つの火とその五つの変化を起こすことを知ったなら、さらに計算によってその可否を見極めなければならない。
數星之躔,以候風起之日,然而發火,亦當自防其變。
星の運行を数えて風の起こる日を待ってから火を放つが、同時にその変化を自ら防がなければならない。
不可止知以火攻人,亦當防人攻己。推四星之度數,知風起之日,則嚴備守之。
火で人を攻めることだけを知っていてはならず、人が自分を攻めることも防がなければならない。四つの星の度数を推し測って風の起こる日を知れば、厳重に備えてこれを守る。
12火は明らかで、水は強い
故以火佐攻者明,以水佐攻者強。
だから、火で攻めを助ける者は明らかであり、水で攻めを助ける者は強い。
注 5
明白易勝。
明らかではっきりしているので勝ちやすい。
用火助攻,灼然可以取勝。
火で攻めを助ければ、はっきりと勝ちを取ることができる。
水以爲衝,故強。
水で突き当たらせるから、それで強いのである。
勢之強也。
勢いが強いのである。
水能分敵之軍;彼勢分,則我勢強。
水は敵の軍を分けることができる。あちらの勢いが分かれれば、こちらの勢いは強くなる。
13水は断てても奪えない
水可以絶,不可以奪。
水は断つことはできても、奪うことはできない。
注 5
火佐者,取勝明也。水佐者,但可以絶敵道、分敵軍,不可以奪敵蓄積。
火で助けるのは、勝ちを取ることが明らかである。水で助けるのは、ただ敵の道を断ち敵の軍を分けることができるだけで、敵の蓄えを奪うことはできない。
軍者必守術數,而佐之水火,所以明強也。光武之敗王莽,魏武之擒呂布,皆其義也。以水絶敵人之軍,分爲二則可,難以奪敵人之蓄積。
軍は必ず術数を守り、水と火でこれを助けなければならない。だから明らかであり強いのである。光武帝が王莽を破り、魏の武帝が呂布を捕らえたのが、みなその意味である。水で敵の軍を断って二つに分けることはできるが、敵の蓄えを奪うのは難しい。
水可絶敵糧道,絶敵救援,絶敵奔逸,絶敵衝擊,不可以水奪險要蓄積也。
水では敵の食糧の道を断ち、敵の救援を断ち、敵の逃げ道を断ち、敵の突撃を断つことができるが、水で険しい要地や蓄えを奪うことはできない。
強者,取其決注之暴。
強いとは、水を切って注ぎ込む激しさを取ったものである。
水止能隔絶敵軍,使前後不相及,取其一時之勝,然不若火能焚奪敵之積聚,使之滅亡。若韓信決水斬楚將龍且,是一時之勝也。曹公焚袁紹輜重,紹因以敗,是使之滅亡也。水不若火,故詳於火而略於水。
水は敵の軍を隔てて断ち、前と後ろが互いに及ばないようにして、一時の勝ちを取るだけであり、火が敵の蓄えを焼き奪って滅亡させるのには及ばない。韓信が水を切って楚の将の龍且を斬ったのは、一時の勝ちである。曹公が袁紹の輜重を焼き、袁紹がそれによって敗れたのは、滅亡させたのである。水は火に及ばないから、火を詳しく述べて水を簡略にしたのである。
14費留
夫戰勝攻取,而不修其功者凶,命曰「費留」。
およそ戦いに勝ち攻め取っても、その功を整えないのは不吉であり、これを「費留」という。
注 7
若水之留,不復還也。或曰︰賞不以時,但費留也,賞善不踰日也。
水がたまって二度と流れ返らないのと同じである。あるいはこうも言う。賞を時を逃さず与えないのは、ただ費やしてとどめるだけだと。よくやった者に賞を与えるのは、一日を越さない。
賞不踰日,罰不踰時。若功立而不賞,有罪而不罰,則士卒疑惑,日有費也。
賞は一日を越さず、罰は時を越さない。功を立てたのに賞を与えず、罪があるのに罰しなければ、兵士は疑い惑い、日ごとに無駄が生じる。
修者,舉也。夫戰勝攻取,若不藉有功,舉而賞之,則三軍之士必不用命也;則有凶咎,徒留滯費耗,終不成事也。
「修」とは取り上げて用いることである。戦いに勝ち攻め取っても、功のある者を取り上げて賞を与えなければ、三軍の兵は必ず命に従わない。そうなれば不吉なとがめがあり、ただとどこおって費えばかりで、ついに事を成せない。
費留,惜費也。
費留とは、費えを惜しむことである。
欲戰必勝、攻必取者,在因利乘便,能作爲功也。作爲功者,修火攻、水攻之類,不可坐守其利也。坐守其利者,凶也。是謂費留矣。
戦えば必ず勝ち、攻めれば必ず取ろうとするのは、利に乗じ都合のよさに乗じて、功を作り出せるかどうかにある。功を作り出すとは、火攻めや水攻めの類を整えることであり、座ったままその利を守っていてはならない。座ったまま利を守るのが不吉であり、これを費留という。
戰勝攻取,而不修功賞之差,則人不勸;不勸,則費財老師,凶害也已。
戦いに勝ち攻め取っても、功に応じた賞の等級を整えなければ人は励まない。励まなければ財を費やし軍を疲れさせ、不吉で害があるばかりである。
戰攻所以能必勝必取者,水火之助也;水火所以能破軍敗敵者,士卒之用命也。不修舉有功而賞之,凶咎之道也。財竭師老而不得歸,費留之謂也。
戦い攻めて必ず勝ち必ず取れるのは、水と火の助けによる。水と火が軍を破り敵を敗れさせるのは、兵士が命に従うからである。功のある者を取り上げて賞を与えないのは、不吉なとがめへの道である。財が尽き軍が疲れて帰ることができないのを、費留というのである。
15利がなければ動かない
故曰︰明主慮之,良將修之,非利不動,非得不用,非危不戰。
だからこう言う。賢明な君主はこれを思い巡らし、よい将はこれを整える。利がなければ動かず、得るものがなければ兵を用いず、危急でなければ戦わない。
注 13
黃石公曰︰「夫霸者,制士以權,結士以信,使士以賞;信衰則士疏,賞虧則士不爲用。」
黄石公は「およそ覇者は、権勢で士を従え、信によって士を結び、賞によって士を使う。信が衰えれば士は離れ、賞が欠ければ士は役に立たない」と言った。
明主慮其事,良將修其功。
賢明な君主はその事を思い巡らし、よい将はその功を整える。
始則君發其慮,終則將修其功。
はじめには君主がその思案を出し、終わりには将がその功を整える。
君當謀慮攻戰之事,將當修舉剋捷之功。
君主は攻め戦う事を謀り思い巡らすべきであり、将は勝ち得た功を取り上げて整えるべきである。
明主賢將,非見利不起兵。
賢明な君主と賢い将は、利を見なければ兵を起こさない。
先見起兵之利,然後兵起。
まず兵を起こす利を見て、そのあとで兵を起こす。
凡兵非利於民,不興也。一作「非利不起」也。
およそ兵は民に利がなければ起こさない。ある本では「利がなければ起こさない」となっている。
先見敵人可得,然後用兵。
まず敵を取れることを見てから、兵を用いる。
非得其利,不用也。
その利を得られなければ、用いない。
不得已而用兵。
やむを得ずして兵を用いる。
非至危不戰。
この上なく危急でなければ戦わない。
凡用兵,非危急不戰也,所以重凶器也。
およそ兵を用いるとき、危急でなければ戦わない。不吉な道具を重んじるからである。
兵,凶器;戰,危事。須防禍敗,不可輕舉,不得已而後用。
兵は不吉な道具であり、戦いは危ない事である。災いと敗れを防がなければならないので、軽々しく起こしてはならず、やむを得なくなってから用いる。
16怒りによって軍を起こすな
主不可以怒而興師,將不可以愠而致戰;合於利而動,不合於利而止。
君主は怒りによって軍を起こしてはならず、将は腹立ちによって戦いを始めてはならない。利にかなえば動き、利にかなわなければやめる。
注 9
不可但以怒也,若息侯伐鄭。
怒りだけでやってはならない。息侯が鄭を攻めたのがそれである。
因怒興師,不亡者鮮。若息侯與鄭伯有違言而伐鄭,君子是以知息之將亡。
怒りによって軍を起こして滅びなかった者はまれである。息侯が鄭伯と言い争いがあって鄭を攻めたので、君子はこれによって息が滅びるだろうと知った。
不可但以慍也,若晉趙穿。
腹立ちだけでやってはならない。晋の趙穿がそれである。
因忿而戰,罕有不敗。若姚襄怒符黃眉壓壘而陳,因出戰,爲黃眉所敗是也。怒大於慍,故以主言之;慍小於怒,故以將言之。君則可以興兵,將則止可言戰。
憤りによって戦って敗れなかったことはまれである。姚襄が、符黄眉が塁に迫って陣を敷いたことに腹を立てて出て戦い、黄眉に敗れたのがそれである。怒りは腹立ちより大きいので君主について言い、腹立ちは怒りより小さいので将について言った。君主は兵を起こすことができ、将は戦いを言うことしかできない。
不得以己之喜怒而用兵也。
自分の喜びや怒りによって兵を用いてはならない。
慍怒內作,不顧安危,固不可也。
腹立ちと怒りが内に起こって、安らかさと危うさを顧みないのは、もとよりしてはならないことである。
人主聚衆興軍,以道理勝負之計,不可以己之私怒。將舉兵,則以策,不可以慍恚之故而合戰也。
君主が人々を集めて軍を起こすのは、勝ち負けの計算を道理によって量るべきで、自分の私的な怒りによってはならない。将が兵を挙げるときは策によるべきで、腹が立ったという理由で戦いを始めてはならない。
兵以義動,無以怒興;戰以利勝,無以慍敗。
兵は義によって動くので、怒りによって起こしてはならない。戦いは利によって勝つので、腹立ちによって敗れてはならない。
不可因己之喜怒而用兵,當顧利害所在。《尉繚子》曰︰「兵起非可以忿也。見勝則興,不見勝則止。」
自分の喜びや怒りによって兵を用いてはならず、利と害がどこにあるかを顧みるべきである。『尉繚子』に「兵を起こすのは憤りによってできることではない。勝ちが見えれば起こし、勝ちが見えなければやめる」と言う。
17滅びた国は再び立たない
怒可以復喜,慍可以復悅,亡國不可以復存,死者不可以復生。
怒りはまた喜びに変わることができ、腹立ちはまた楽しみに変わることができるが、滅びた国は再び立つことができず、死んだ者は再び生きることができない。
注 6
見於色者,謂之喜;得於心者,謂之悅。
顔色に現れるものを喜びといい、心に得るものを楽しみという。
亡國者,非能亡人之國也,言不度德、不量力,因怒興師,因慍合戰,則其兵自死,其國自亡者也。
滅びた国とは、人の国を滅ぼすという意味ではない。徳を測らず力を量らずに、怒りによって軍を起こし、腹立ちによって戦いを始めれば、その兵は自ら死に、その国は自ら滅びるという意味である。
凡主怒興軍伐人,無素謀明計,則破亡矣。將慍怒而鬬,倉卒而合戰,所傷殺必多。怒慍復可以悅喜,言亡國不可復存、死者不可復生者,言當慎之。
およそ君主が怒って軍を起こして人を攻めるのに、あらかじめ立てた謀りごとと明らかな計算がなければ、破れ滅びる。将が腹を立てて戦い、慌ただしく組み合えば、傷つき殺される者は必ず多い。怒りや腹立ちはまた楽しみや喜びに変わることができるが、滅びた国は再び立つことができず、死んだ者は再び生きることができないと言ったのは、慎むべきだという意味である。
一時之怒,可返而喜也;一時之慍,可返而悅也。國亡軍死,不可復已。
一時の怒りは返って喜びになることができ、一時の腹立ちは返って楽しみになることができるが、国が滅び軍が死ねば、取り返すことはできない。
喜怒無常,則威信去矣。
喜びや怒りが一定しなければ、威厳と信は去ってしまう。
君因怒而興兵,則國必亡;將因慍而輕戰,則士必死。
君主が怒りによって兵を起こせば国は必ず滅び、将が腹立ちによって軽々しく戦えば兵は必ず死ぬ。
18国を安らかにし軍を保つ道
故明君慎之,良將警之,此安國全軍之道也。
だから賢明な君主はこれを慎み、よい将はこれを戒める。これが国を安らかにし軍を保つ道である。
注 3
警,言戒之也。
「警」とは戒めるという意味である。
主當慎重,將當警懼。
君主は慎んで重々しくあるべきで、将は戒め恐れるべきである。
君常慎於用兵,則可以安國;將常戒於輕戰,則可以全軍。
君主がつねに兵を用いることを慎めば国を安らかにできる。将がつねに軽々しく戦うことを戒めれば軍を保つことができる。