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流鬼

新唐書 東夷伝(新唐書に記された東夷の記録) 新唐書 東夷傳 · 欧陽脩・宋祁 · 1060年(北宋・嘉祐5年) · 段落 3 · 漢字 308字 · 朗読 1.2分

新唐書 東夷伝(新唐書に記された東夷の記録) 全一巻 旧唐書を百年後に書き改めた東夷伝。太宗の三つの計略と安市城の全容がより生々しく、新羅の条には骨品と和白、そして張保皋・鄭年の話に「誰が東夷に人がいないと言うのか」という賛が付けられた。日本の条は天皇の系譜を初めて備えて記した。

1流鬼の国

流鬼去京師萬五千里,直黑水靺鞨東北,少海之北,三面皆阻海,其北莫知所窮。人依嶼散居,多沮澤,有魚鹽之利。地蚤寒,多霜雪,以木廣六寸、長七尺系其上,以踐冰,逐走獸。土多狗,以皮爲裘。俗被發。粟似莠而小,無蔬蓏它穀。勝兵萬人。南與莫曳靺鞨鄰,東南航海十五日行,乃至。貞觀十四年,其王遣子可也余莫貂皮更三譯來朝。授騎都尉,遣之。

流鬼は京師から一万五千里のところにあり、黒水靺鞨の東北、少海の北に真っすぐ接し、三方はみな海に塞がれて、その北はどこまで続くのか分からない。人々は島に寄って散り散りに住み、沼沢が多く、魚と塩の利がある。土地は早く寒くなり、霜と雪が多いので、幅六寸・長さ七尺の木を足に結びつけ、それで氷を踏んで走る獣を追う。土地には犬が多く、その皮で皮衣を作る。風俗は髪を解き垂らす。粟は莠に似ているが小さく、野菜やほかの穀物はない。精兵は一万人である。南は莫曳靺鞨と隣り合い、東南へ海を渡って十五日行けば、そこに至る。貞観十四年、その王は子の可也余莫を遣わし、貂の皮を携えて三たび通訳を重ねて来朝させたので、騎都尉を授けて帰した。

2儋羅

龍朔初,有儋羅者,其王儒李都羅遣使入朝,國居新羅武州南島上,俗樸陋,衣大豕皮,夏居革屋,冬窟室。地生五穀,耕不知用牛,以鐵齒杷土。初附百濟。麟德中,酋長來朝,從帝至太山。後附新羅。

龍朔の初め、儋羅という国があり、その王の儒李都羅が使者を遣わして入朝した。国は新羅の武州の南の島の上にある。風俗は素朴で粗末であり、大きな豕の皮を着て、夏は革の家に住み、冬は穴の室に住む。土地には五穀が生えるが、耕すのに牛を用いることを知らず、鉄の歯で土をかき起こす。初めは百済に付いていた。麟徳年間に酋長が来朝し、帝に従って太山に至った。後には新羅に付いた。

夾注 1

儋羅

底本は儋羅であり、ここでもそのまま儋羅と記した。この島は耽羅として広く知られている。― 訳者

3達末婁と達姤

開元十一年,又有達末婁、達妒二部首領朝貢。達末婁自言北扶餘之裔,高麗滅其國,遺人度那河,因居之,或曰他漏河,東北流入黑水。達姤,室韋種也,在那河陰,凍末河之東,西接黃頭室韋,東北距達末婁云。

開元十一年、また達末婁・達姤の二部の首領が朝貢した。達末婁は自ら北扶余の後裔だと言う。高麗がその国を滅ぼすと、残った人々が那河を渡ってそこに住んだという。那河は他漏河ともいい、東北へ流れて黒水に入る。達姤は室韋の種で、那河の南、凍末河の東にあり、西は黄頭室韋に接し、東北は達末婁に達するという。