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婆娑尼師今

三国史記(三国時代の正史) 三國史記 · 金富軾(キム・ブシク)ほか · 1145年(高麗・仁宗23年) · 段落 22 · 漢字 815字 · 朗読 3.3分

三国史記(三国時代の正史) 新羅本紀 現存する最も古い韓国の歴史書。新羅・高句麗・百済の本紀と、志・表・列伝から成る。金富軾が随所に「論曰」として自らの評を付けているので、編者が何を疑い何を責めたかがそのまま残っている。

1婆娑尼師今が即位する

婆娑尼師今立,儒理王第二子也。妃金氏史省夫人,許婁葛文王之女也。初,脫解薨,臣僚欲立儒理太子逸聖。或謂:「逸聖雖嫡嗣,而威明不及婆娑。」遂立之。婆娑節儉省用而愛民,國人嘉之。

婆娑尼師今が即位した。儒理王の第二子である。妃は金氏の史省夫人で、許婁葛文王の娘である。

はじめ脱解が亡くなると、臣下たちは儒理の太子の逸聖を立てようとした。ある者が言った。「逸聖は嫡子として継ぐ者ではあるが、威厳と明察が婆娑に及ばない。」そこでついに婆娑を立てた。婆娑は倹しく費えを減らして民を愛したので、国の人々はこれをよしとした。

夾注 1

或云:儒理弟奈老之子也。

儒理の弟の奈老の子ともいう。

2二年 — 倉を開き囚人を調べる

二年春二月,親祀始祖廟。三月,巡撫州郡,發倉賑給,慮獄囚,非二罪悉原之。

二年春二月、自ら始祖の廟に祭りを行った。三月、州や郡を巡って民をいたわり、倉を開いて分け与え、獄の囚人を調べて、二つの重い罪にあたらない者はすべて赦した。

3三年 — 農事と武具を備えさせる

三年春正月,下令曰:「今倉廩空匱,戎器頑鈍,儻有水旱之災,邊鄙之警,其何以禦之?宜令有司勸農桑,練兵革,以備不虞。」

三年春正月、令を下した。「いま倉は空で、武具は鈍っている。もし水害や干ばつの災いがあり、辺境に警報があれば、何をもって防ぐのか。担当の役人に命じて農事と養蚕を勧め、武具を手入れさせ、不意の事に備えさせよ。」

4五年 — 豊年になる

五年春二月,以明宣爲伊飡,允良爲波珍飡。夏五月,古陁抒郡主獻靑牛。南新縣麥連歧。大有年,行者不賷糧。

五年春二月、明宣を伊飡とし、允良を波珍飡とした。夏五月、古陀抒郡の郡主が青い牛を献じた。南新県の麦の穂が二つに分かれた。大きな豊年で、道を行く者が食糧を持たなかった。

5六年 — 百済が国境を侵す

六年春正月,百濟犯邊。二月,以吉元爲阿飡。夏四月,客星入紫微。

六年春正月、百済が国境を侵した。二月、吉元を阿飡とした。夏四月、客星が紫微に入った。

6八年 — 二つの城を築く

八年秋七月,下令曰:「朕以不德,有此國家,西鄰百濟,南接加耶,德不能綏,威不足畏。宜繕葺城壘,以待侵軼。」是月,築加召、馬頭二城。

八年秋七月、令を下した。「朕は徳がないままにこの国を保っている。西は百済と隣り、南は加耶と接しているが、徳は安んじさせることができず、威は恐れさせるに足りない。城と砦を修め築いて、侵略に備えよ。」この月、加召・馬頭の二つの城を築いた。

7十一年 — 怠けた役人を退ける

十一年秋七月,分遣使十人廉察州郡主不勤公事、致田野多荒者,貶黜之。

十一年秋七月、使者十人を分けて遣わし、州や郡の長で公の務めに励まず田畑を多く荒れさせた者を調べて、退けさせた。

8十四年 — 老人を見舞う

十四年,春正月,拜允良爲伊飡,啓其爲波珍飡。二月,巡幸古所夫里郡,親問高年,賜穀。冬十月京都地震。

十四年春正月、允良を伊飡とし、啓其を波珍飡とした。二月、古所夫里郡に出向いて自ら年長の者を見舞い、穀物を与えた。冬十月、都で地が揺れた。

9十五年 — 加耶が馬頭城を囲む

十五年春二月,加耶賊圍馬頭城,遣阿飡吉元將騎一千擊走之。秋八月,閱兵於閼川。

十五年春二月、加耶の賊が馬頭城を囲んだので、阿飡の吉元を遣わして騎兵一千を率いさせ、撃ち退けた。秋八月、閼川で兵を閲した。

10十七年 — 加耶が南の端を襲う

十七年秋七月,暴風自南,拔金城南大樹。九月,加耶人襲南鄙,遣加城主長世拒之,爲賊所殺。王怒,率勇士五千出戰,敗之,虜獲甚多。

十七年秋七月、南から激しい風が吹いて金城の南の大木が抜けた。九月、加耶の人が南の端を襲ったので、加城主の長世を遣わして防がせたが、賊に殺された。王は怒り、勇士五千を率いて出て戦い、これを破って、捕らえた者がきわめて多かった。

11十八年 — 加耶が罪を謝する

十八年春正月,擧兵欲伐加耶。其國主遣使請罪,乃止。

十八年春正月、兵を起こして加耶を討とうとした。その国の主が使いを送って罪を謝したので、そのまま止めた。

12十九年 — 干ばつ

十九年夏四月,京都旱。

十九年夏四月、都が干ばつに見舞われた。

13二十一年 — 雹と地震

二十一年秋七月,雨雹,飛鳥死。冬十月,京都地震,倒民屋,有死者。

二十一年秋七月、雹が降って飛ぶ鳥が死んだ。冬十月、都で地が揺れ、民の家が倒れて死んだ者があった。

14二十二年 — 月城に移る

二十二年春二月,築城,名月城。秋七月,王移居月城。

二十二年春二月、城を築いて月城と名づけた。秋七月、王が月城に移り住んだ。

15二十三年 — 首露王が争いを裁く

二十三年秋八月,音汁伐國與悉直谷國爭疆,詣王請決。王難之,謂金官國首露王年老多智識,召問之。首露立議,以所爭之地屬音汁伐國。於是王命六部會饗首露王,五部皆以伊飡爲主,唯漢祇部以位卑者主之,首露怒,命奴耽下里殺漢祇部主保齊而歸,奴逃依音汁伐主陁鄒干家。王使人索其奴,陁鄒不送,王怒,以兵伐音汁伐國,其主與衆自降。悉直、押督二國王來降。冬十月,桃李華。

二十三年秋八月、音汁伐国と悉直谷国が境を争い、王のもとに出て裁きを求めた。王はこれを難しく思い、金官国の首露王は年長で知ることが多いと考えて、召して問うた。首露は意見を立てて、争っていた土地を音汁伐国に属させた。

そこで王は六部に命じて首露王を集めてもてなさせたが、五部はみな伊飡を主としたのに、漢祇部だけは位の低い者を主とした。首露は怒り、奴の耽下里に命じて漢祇部の主の保斉を殺させて帰った。奴は逃げて音汁伐の主の陀鄒干の家に身を寄せた。王が人をやってその奴を求めたが、陀鄒が渡さなかったので、王は怒り、兵をもって音汁伐国を討った。その主は人々とともに自ら降った。悉直・押督の二国の王も来て降った。

冬十月、桃と李の花が咲いた。

16二十五年 — 悉直が背く

二十五年春正月,衆星隕如雨,不至地。秋七月,悉直叛,發兵討平之,徙其餘衆於南鄙。

二十五年春正月、多くの星が雨のように降ったが、地には届かなかった。秋七月、悉直が背いたので、兵を出して討ち平らげ、その残った者たちを南の端に移した。

17二十六年 — 百済が和を求める

二十六年春正月,百濟遣使請和。二月,京都雪三尺。

二十六年春正月、百済が使いを送って和を求めた。二月、都に雪が三尺降った。

18二十七年 — 加耶を討つ

二十七年春正月,幸押督,賑貧窮。三月,至自押督。秋八月,命馬頭城主伐加耶。

二十七年春正月、押督に出向いて貧しい者を救った。三月、押督から帰った。秋八月、馬頭城主に命じて加耶を討たせた。

19二十九年 — 三つの国を併せる

二十九年夏五月,大水。民飢,發使十道開倉賑給。遣兵伐比只國、多伐國、草八國,幷之。

二十九年夏五月、大水が出た。民が飢えたので、使者を十の道に送って倉を開き分け与えた。兵を送って比只国・多伐国・草八国を討ち、併せた。

20三十年 — いなごが消える

三十年秋七月,蝗害穀。王遍祭山川,以祈禳之,蝗滅。有年。

三十年秋七月、いなごが穀物を害した。王が山川にあまねく祭りを行って追い払うことを祈ったところ、いなごは消え、豊年になった。

21三十二年 — 城門が崩れる

三十二年夏四月,城門自毀。自五月至秋七月不雨。

三十二年夏四月、城門がおのずから崩れた。五月から秋七月まで雨が降らなかった。

22三十三年 — 王が亡くなる

三十三年冬十月,王薨,葬虵陵圉内。

三十三年冬十月、王が亡くなり、蛇陵園の中に葬った。