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伐休尼師今

三国史記(三国時代の正史) 三國史記 · 金富軾(キム・ブシク)ほか · 1145年(高麗・仁宗23年) · 段落 12 · 漢字 397字 · 朗読 1.6分

三国史記(三国時代の正史) 新羅本紀 現存する最も古い韓国の歴史書。新羅・高句麗・百済の本紀と、志・表・列伝から成る。金富軾が随所に「論曰」として自らの評を付けているので、編者が何を疑い何を責めたかがそのまま残っている。

1伐休尼師今が即位する

伐休尼師今立。姓昔,脫解王子仇鄒角干之子也。母姓金氏,只珍內禮夫人。阿達羅薨,無子,國人立之。王占風雲,預知水旱及年之豊儉,又知人邪正,人謂之聖。

伐休尼師今が即位した。姓は昔氏で、脱解王の子である仇鄒角干の子である。母の姓は金氏で、只珍内礼夫人である。阿達羅が亡くなって子がなかったので、国の人々が彼を立てた。

王は風と雲を占って、水害や干ばつ、その年が豊作か不作かを前もって知り、また人の邪と正を見分けたので、人々は聖人と呼んだ。

夾注 1

一作發暉。

發暉とも書く。

2二年 — 軍主という名がここに始まる

二年,春正月,親祀始祖廟,大赦。二月,拜波珍飡仇道、一吉飡仇須兮爲左右軍主,伐召文國。軍主之名始於此。

二年春正月、自ら始祖の廟に祭りを行い、大赦を行った。二月、波珍飡の仇道と一吉飡の仇須兮を左右の軍主として、召文国を討った。軍主という名はここに始まる。

3三年 — 州や郡を巡る

三年,春正月,巡幸州郡,觀察風俗。夏五月壬辰晦,日有食之。秋七月,南新縣進嘉禾。

三年春正月、州や郡に出向いて風俗を見て回った。夏五月壬辰の晦に日食があった。秋七月、南新県がめでたい稲を献じた。

4四年 — 農事の時を奪うな

四年,春三月,下令:州郡,無作土木之事,以奪農時。冬十月,北地大雪,深一丈。

四年春三月、令を下した。「州や郡は土木の工事を起こして農事の時を奪うな。」冬十月、北の地に大雪が降り、深さは一丈であった。

5五年 — 百済が母山城を攻める

五年,春二月,百濟來攻母山城。命波珍飡仇道,出兵拒之。

五年春二月、百済が来て母山城を攻めた。波珍飡の仇道に命じて兵を出して防がせた。

6六年 — 狗壌で勝つ

六年,秋七月,仇道與百濟戰於狗壤,勝之。殺獲五百餘級。

六年秋七月、仇道が百済と狗壌で戦って勝った。殺し捕らえた者は五百余であった。

7七年 — 仇道が敗れ、缶谷城主に下げられる

七年,秋八月,百濟襲西境圓山鄕,又進圍缶谷城。仇道率勁騎五百擊之,百濟兵佯走。仇道追及蛙山,爲百濟所敗。王以仇道失策,貶爲缶谷城主,以薛支爲左軍主。

七年秋八月、百済が西の境の円山郷を襲い、さらに進んで缶谷城を囲んだ。仇道が強い騎兵五百を率いて撃つと、百済の兵は偽って逃げた。仇道が追って蛙山に至ったところで、百済に敗れた。王は仇道の策が誤っていたとして、位を下げて缶谷城主とし、薛支を左軍主とした。

8八年 — 蚩尤旗が現れる

八年,秋九月,蚩尤旗見于角、亢。

八年秋九月、蚩尤旗が角と亢に現れた。

9九年 — 大水と山崩れ

九年,春正月,拜國良爲阿飡,述明爲一吉飡。三月,京都雪深三尺。夏五月,大水,山崩十餘所。

九年春正月、国良を阿飡、述明を一吉飡とした。三月、都に雪が三尺積もった。夏五月、大水が出て山が十か所あまり崩れた。

10十年 — 倭人一千余人が食べ物を求めて来る

十年,春正月甲寅朔,日有食之。三月,漢祇部女,一産四男一女。六月,倭人大饑,來求食者千餘人。

十年春正月甲寅の朔に日食があった。三月、漢祇部の女が一度に男四人と女一人を産んだ。六月、倭人が大いに飢えて、食べ物を求めて来た者が一千余人であった。

11十一年 — 日食

十一年,夏六月乙巳晦,日有食之。

十一年夏六月乙巳の晦に日食があった。

12十三年 — 王が亡くなる

十三年,春二月,重修宮室。三月,旱。夏四月,震宮南大樹,又震金城東門。王薨。

十三年春二月、宮室を建て直した。三月、干ばつがあった。夏四月、宮の南の大木に雷が落ち、また金城の東門にも雷が落ちた。王が亡くなった。