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奈解尼師今

三国史記(三国時代の正史) 三國史記 · 金富軾(キム・ブシク)ほか · 1145年(高麗・仁宗23年) · 段落 25 · 漢字 717字 · 朗読 2.9分

三国史記(三国時代の正史) 新羅本紀 現存する最も古い韓国の歴史書。新羅・高句麗・百済の本紀と、志・表・列伝から成る。金富軾が随所に「論曰」として自らの評を付けているので、編者が何を疑い何を責めたかがそのまま残っている。

1奈解尼師今が即位する

奈解尼師今立,伐休王之孫也。母,内禮夫人。妃,昔氏,助賁王之妹。容儀雄偉,有俊才。前王太子骨正及第二十子伊買先死,大孫尚幼少,乃立伊買之子。是爲奈解尼師今。是年,自正月至四月,不雨。及王即位之日,大雨,百姓歡慶。

奈解尼師今が即位した。伐休王の孫である。母は内礼夫人、妃は昔氏で助賁王の妹である。姿も振る舞いも堂々として大きく、すぐれた才があった。

前の王の太子である骨正と第二子の伊買が先に死に、長孫はまだ幼かったので、伊買の子を立てた。これが奈解尼師今である。

この年、正月から四月まで雨が降らなかったが、王が即位する日になって大雨が降り、民は喜んだ。

2二年 — 始祖の廟に参拝する

二年,春正月,謁始祖廟。

二年春正月、始祖の廟に参拝した。

3三年 — 倒れていた柳が起き上がる

三年,夏四月,始祖廟前臥柳自起。五月,國西大水,免遭水州縣一年租調。秋七月,遣使撫問。

三年夏四月、始祖の廟の前に倒れていた柳がおのずから起き上がった。五月、国の西で大水が出たので、水害に遭った州や県の一年分の税を免じた。秋七月、使いを送って見舞った。

4四年 — 百済が境を侵す

四年,秋七月,百濟侵境。

四年秋七月、百済が境を侵した。

5五年 — 太白が昼に見える

五年,秋七月,太白晝見。隕霜殺草。九月庚午朔,

五年秋七月、太白が昼に見えた。霜が降りて草が枯れた。九月庚午の朔に、

6五年 — 閼川で兵を閲する

日有食之。大閱於閼川。

日食があった。閼川で大きく兵を閲した。

7六年 — 加耶が和を求める

六年,春二月,加耶國請和。三月丁卯朔,日有食之。大旱,錄内外繫囚,原輕罪。

六年春二月、加耶国が和を求めた。三月丁卯の朔に日食があった。大きな干ばつがあり、内外の囚人を記録して軽い罪は赦した。

8八年 — 靺鞨が境を侵す

八年,冬十月,靺鞨犯境。桃李華。人大疫。

八年冬十月、靺鞨が境を侵した。桃と李の花が咲いた。人々に大きな疫病が流行した。

9十年 — 狐が鳴く

十年,春二月,拜眞忠爲一伐飡,以參國政。秋七月,霜雹殺穀。太白犯月。八月,狐鳴金城及始祖廟庭。

十年春二月、真忠を一伐飡として国の政に参与させた。秋七月、霜と雹が穀物を枯らした。太白が月を犯した。八月、狐が金城と始祖の廟の庭で鳴いた。

10十二年 — 王子の利音に兵馬の事を委ねる

十二年,春正月,拜王子利音爲伊伐飡,兼知内外兵馬事。

十二年春正月、王子の利音を伊伐飡として内外の兵馬の事を兼ねて司らせた。

夾注 1

或云奈音

奈音ともいう。

11十三年 — 倭人が境を侵す

十三年,春二月,西巡郡邑,浹旬而返。夏四月,倭人犯境。遣伊伐飡利音,將兵拒之。

十三年春二月、西の郡や邑を巡って、十日ほどで帰った。夏四月、倭人が境を侵したので、伊伐飡の利音を遣わして兵を率いて防がせた。

12十四年 — 浦上八国が加羅を攻める

十四年,秋七月,浦上八國謀侵加羅。加羅王子來請救。王命太子于老與伊伐飡利音,將六部兵往救之。擊殺八國將軍,奪所虜六千人,還之。

十四年秋七月、浦上の八つの国が加羅を侵そうと謀った。加羅の王子が来て救いを求めたので、王は太子の于老と伊伐飡の利音に命じ、六部の兵を率いて行って救わせた。八つの国の将軍を撃ち殺し、とらわれていた六千人を奪い返して帰した。

13十五年 — 囚人を記録する

十五年,春夏旱,發使錄郡邑獄囚。除二死,餘悉原之。

十五年、春と夏に干ばつがあり、使者を送って郡や邑の獄の囚人を記録させた。二つの死罪を除いた残りはすべて赦した。

14十六年 — 官位を与える

十六年,春正月,拜萱堅爲伊飡,允宗爲一吉飡。

十六年春正月、萱堅を伊飡、允宗を一吉飡とした。

15十七年 — 加耶が王子を人質に送る

十七年,春三月,加耶送王子爲質。夏五月,大雨,

十七年春三月、加耶が王子を送って人質とした。夏五月、大雨が降って、

16十七年 — 民の家が流される

漂毀民屋。

民の家が流され壊れた。

17十九年 — 百済の沙城を破る

十九年,春三月,大風折木。秋七月,百濟來攻國西腰車城,殺城主薛夫。王命伊伐飡利音,率精兵六千伐百濟破沙城。冬十二月,雷。

十九年春三月、大風が吹いて木が折れた。秋七月、百済が来て国の西の腰車城を攻め、城主の薛夫を殺した。王は伊伐飡の利音に命じ、精兵六千を率いて百済を討ち、沙城を破った。冬十二月、雷が鳴った。

18二十三年 — 武器庫の武具がおのずから出る

二十三年,秋七月,武庫兵物自出。百濟人來圍山城。王親率兵出擊走之。

二十三年秋七月、武器庫の武具がおのずから出てきた。百済の人が来て山城を囲んだので、王は自ら兵を率いて出て撃ち退けた。

19二十五年 — 利音が亡くなる

二十五年,春三月,伊伐飡利音卒。以忠萱爲伊伐飡,兼知兵馬事。秋七月,大閱楊山西。

二十五年春三月、伊伐飡の利音が亡くなった。忠萱を伊伐飡として兵馬の事を兼ねて司らせた。秋七月、楊山の西で大きく兵を閲した。

20二十七年 — 忠萱が敗れ、鎮主に下げられる

二十七年,夏四月,雹傷菽麥,南新縣人死。歴月復活。冬十月,百濟兵入牛頭州。伊伐飡忠萱,將兵拒之。至熊谷,爲賊所敗,單騎而返,貶爲鎭主。以連珍爲伊伐飡,兼知兵馬事。

二十七年夏四月、雹が豆と麦を傷めた。南新県の人が死んで、月をまたいで生き返った。冬十月、百済の兵が牛頭州に入ったので、伊伐飡の忠萱が兵を率いて防いだ。熊谷に至って賊に敗れ、ただ一騎で帰ったので、位を下げて鎮の主とした。連珍を伊伐飡として兵馬の事を兼ねて司らせた。

21二十九年 — 烽山の下で百済を破る

二十九年,秋七月,伊伐飡連珍與百濟戰烽山下,破之,殺獲一千餘級。八月,築烽山城。

二十九年秋七月、伊伐飡の連珍が百済と烽山の下で戦って破り、一千余を殺し捕らえた。八月、烽山城を築いた。

22三十一年 — 倉を開いて分け与える

三十一年,春不雨,至秋七月,乃雨。民飢,發倉廩賑給。冬十月。錄内外獄囚,原輕罪。

三十一年、春に雨が降らず、秋七月になってようやく雨が降った。民が飢えたので、倉を開いて分け与えた。冬十月、内外の獄の囚人を記録して軽い罪は赦した。

23三十二年 — 西南の郡や邑を巡る

三十二年,春二月,巡狩西南郡邑,三月還。拜波珍飡康萱爲伊飡。

三十二年春二月、西南の郡や邑を巡り、三月に帰った。波珍飡の康萱を伊飡とした。

24三十四年 — 蛇が鳴き、大雪が降る

三十四年,夏四月,虵鳴南庫三日。秋九月,地震。冬十月,大雪,深五尺。

三十四年夏四月、蛇が南の倉で三日の間鳴いた。秋九月、地が揺れた。冬十月、大雪が降り、深さは五尺であった。

25三十五年 — 王が亡くなる

三十五年,春三月,王薨。

三十五年春三月、王が亡くなった。