助賁尼師今
1助賁尼師今が即位する
助賁尼師今立,姓昔氏,伐休尼師今之孫也。父骨正葛文王。母,金氏玉帽夫人,仇道葛文王之女;妃,阿爾兮夫人,奈解王之女也。前王將死,遺言以壻助賁繼位。王身長,美儀表。臨事明斷,國人畏敬之。
助賁尼師今が即位した。姓は昔氏で、伐休尼師今の孫である。父は骨正葛文王、母は金氏の玉帽夫人で仇道葛文王の娘、妃は阿爾兮夫人で奈解王の娘である。
前の王が死ぬにあたって、婿の助賁に位を継がせよと遺言した。王は背が高く振る舞いが美しく、事に臨んでは明らかに決断したので、国の人々は恐れ敬った。
夾注 2
一云諸賁。
諸賁ともいう。
一作忽爭。
忽爭とも書く。
2元年 — 連忠に軍と国の事を委ねる
元年,拜連忠爲伊飡,委軍國事。秋七月,謁始
元年、連忠を伊飡として軍事と国の事を委ねた。秋七月、始祖の
3元年 — 廟に参拝する
祖廟。
廟に参拝した。
4二年 — 甘文国を討って郡とする
二年,秋七月,以伊飡于老爲大將軍,討破甘文國,以其地爲郡。
二年秋七月、伊飡の于老を大将軍として甘文国を討ち破り、その地を郡とした。
5三年 — 倭人が金城を囲む
三年,夏四月,倭人猝至圍金城。王親出戰,賊潰走,遣輕騎追擊之,殺獲一千餘級。
三年夏四月、倭人が突然やって来て金城を囲んだ。王が自ら出て戦うと、賊は崩れて逃げた。軽装の騎兵を送って追い撃ち、一千余を殺し捕らえた。
6四年 — 于老が沙道で船を焼く
四年,夏四月,大風飛屋瓦。五月,倭兵寇東邊。秋七月,伊飡于老與倭人戰沙道,乘風縱火焚舟,賊赴水死盡。
四年夏四月、大風が吹いて屋根の瓦が飛んだ。五月、倭の兵が東の国境を荒らした。秋七月、伊飡の于老が倭人と沙道で戦い、風に乗じて火を放って船を焼くと、賊は水に飛び込んでことごとく死んだ。
7六年 — 東を巡っていたわる
六年,春正月,東巡撫恤。
六年春正月、東を巡っていたわり救った。
8七年 — 骨伐国が降る
七年,春二月,骨伐國王阿音夫,率衆來降。賜第宅、田莊安之。以其地爲郡。
七年春二月、骨伐国の王の阿音夫が人々を率いて来て降った。屋敷と田畑を与えて安らかに住まわせ、その地を郡とした。
9八年 — いなごが穀物を害する
八年,秋八月,蝗害穀。
八年秋八月、いなごが穀物を害した。
10十一年 — 百済が西の国境を侵す
十一年,百濟侵西邊。
十一年、百済が西の国境を侵した。
11十三年 — 大きな豊年になる
十三年,秋,大有年。古陀郡進嘉禾。
十三年秋、大きな豊年になった。古陀郡がめでたい稲を献じた。
12十五年 — 于老に兵馬の事を委ねる
十五年,春正月,拜伊飡于老爲舒弗邯,兼知兵馬事。
十五年春正月、伊飡の于老を舒弗邯として兵馬の事を兼ねて司らせた。
13十六年 — 于老が自ら柴を焼いて兵を暖める
十六年,冬十月,高句麗侵北邊。于老將兵出擊之,不克,退保馬頭柵。其夜苦寒,于老勞士卒,躬
十六年冬十月、高句麗が北の国境を侵した。于老が兵を率いて出て撃ったが勝てず、退いて馬頭の柵を守った。その夜はひどく寒かったので、于老は兵士たちをいたわり、自ら
14十六年 — 人々の心が感激する
燒柴煖之,羣心感激。
柴を焼いて暖めたので、人々の心は感激した。
15十七年 — 白い気と地震
十七年,冬十月,東南有白氣如匹練。十一月,京都地震。
十七年冬十月、南東に白い気が一匹の練り絹のように現れた。十一月、都で地が揺れた。
16十八年 — 王が亡くなる
十八年,夏五月,王薨。
十八年夏五月、王が亡くなった。