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味鄒尼師今

三国史記(三国時代の正史) 三國史記 · 金富軾(キム・ブシク)ほか · 1145年(高麗・仁宗23年) · 段落 14 · 漢字 442字 · 朗読 1.8分

三国史記(三国時代の正史) 新羅本紀 現存する最も古い韓国の歴史書。新羅・高句麗・百済の本紀と、志・表・列伝から成る。金富軾が随所に「論曰」として自らの評を付けているので、編者が何を疑い何を責めたかがそのまま残っている。

1味鄒尼師今が即位する

味鄒尼師今立,姓金。母,朴氏,葛文王伊柒之女;妃,昔氏光明夫人,助賁王之女。其先,閼智出於雞林,脫解王得之,養於宮中,後拜爲大輔。

味鄒尼師今が位に就いた。姓は金である。母は朴氏で、葛文王の伊柒の娘であり、妃は昔氏の光明夫人で、助賁王の娘である。その先祖の閼智は雞林から現れ、脫解王がこれを得て宮中で育て、のちに大輔とした。

夾注 1

一云味照。

味照ともいう。

2金氏が国を持った始まり

閼智生勢漢,勢漢生阿道,阿道生首留,首留生郁甫,郁甫生仇道,仇道則味鄒之考也。沾解無子,國人立味鄒。此金氏有國之始也。

閼智が勢漢を生み、勢漢が阿道を生み、阿道が首留を生み、首留が郁甫を生み、郁甫が仇道を生んだ。仇道が味鄒の父である。沾解に子がなかったので、国人が味鄒を立てた。これが金氏が国を持った始まりである。

3元年 — 金城の西門が焼ける

元年,春三月,龍見宮東池。秋七月,金城西門災。延燒人家三百餘區。

元年の春三月、龍が宮の東の池に現れた。秋七月、金城の西門が焼け、民家三百余戸まで燃え広がった。

4二年 — 父の仇道を葛文王に封じる

二年,春正月,拜伊飡良夫爲舒弗邯,兼知內外兵馬事。二月,親祀國祖廟,大赦。封考仇道爲葛文王。

二年の春正月、伊飡の良夫を舒弗邯とし、内外の兵馬の事を兼ねて司らせた。二月、みずから国祖の廟に祭り、大赦を行った。父の仇道を葛文王に封じた。

5三年 — 黃山で老人を見舞う

三年,春二月,東巡幸望海。三月,幸黃山,問高年及貧不能自存者,賑恤之。

三年の春二月、東を巡って海を望んだ。三月、黃山に行幸し、年老いた者や貧しくて自分では暮らせない者を見舞い、救い恵んだ。

6五年 — 直宣が烽山城を守る

五年,秋八月,百濟來攻烽山城。城主直宣,率壯士二百人,出擊之,賊敗走。王聞之,拜直宣爲一吉飡,厚賞士卒。

五年の秋八月、百済が来て烽山城を攻めた。城主の直宣が壮士二百人を率いて出て撃つと、敵は敗れて逃げた。王はこれを聞いて直宣を一吉飡とし、兵士たちに厚く賞を与えた。

7七年 — 南堂で政の是非を問う

七年,春夏不雨。會羣臣於南堂,親問政刑得失,又遣使五人,巡問百姓苦患。

七年の春と夏に雨が降らなかった。南堂に群臣を集めてみずから政と刑の是非を問い、また使者五人を遣わして民の苦しみを巡り問わせた。

8十一年 — 農事を害するものを除く

十一年,春二月,下令:凡有害農事者,一切除之。秋七月,霜雹害穀。冬十一月,百濟侵邊。

十一年の春二月、令を下した。「およそ農事に害のあるものは、ことごとく除け。」秋七月、霜と雹が穀物を害した。冬十一月、百済が辺境を侵した。

9十五年 — 宮室の造り替えに従わない

十五年,春二月,臣寮請改作宮室。上重勞人,不從。

十五年の春二月、臣下たちが宮室を造り替えることを請うた。王は人を労させるのを重く見て、従わなかった。

10十七年 — 百済が槐谷城を囲む

十七年,夏四月,暴風拔木。冬十月,百濟兵來圍槐谷城,命波珍飡正源領兵拒之。

十七年の夏四月、暴風が吹いて木が抜けた。冬十月、百済の兵が来て槐谷城を囲んだので、波珍飡の正源に命じて兵を率いて防がせた。

11十九年 — 囚人を調べ記す

十九年,夏四月,旱。錄囚。

十九年の夏四月、旱があった。囚人を調べ記した。

12二十年 — 楊山の西で大閲を行う

二十年,春正月,拜弘權爲伊飡,良質爲一吉飡,光謙爲沙飡。二月,謁祖廟。秋九月,大閱楊山西。

二十年の春正月、弘權を伊飡、良質を一吉飡、光謙を沙飡とした。二月、祖廟に参拝した。秋九月、楊山の西で大いに閲兵した。

13二十二年 — 百済が槐谷城を囲む

二十二年,秋九月,百濟侵邊。冬十月,圍槐谷城,命一吉飡良質,領兵禦之。

二十二年の秋九月、百済が辺境を侵した。冬十月、槐谷城を囲んだので、一吉飡の良質に命じて兵を率いて防がせた。

14二十三年 — 王が死ぬ

二十三年。春二月,巡撫國西諸城。冬十月,王薨,葬大陵

二十三年の春二月、国の西の諸城を巡って民をいたわった。冬十月、王が亡くなり、大陵に葬った。

夾注 1

一云竹長陵。

竹長陵ともいう。